cinema / 『デス・サイト』

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デス・サイト
原題:“Il Cartaio” / 英題:“The Card Player” / 監督:ダリオ・アルジェント / 脚本:ダリオ・アルジェント、フランコ・フェリーニ / 製作:クラウディオ・アルジェント / 撮影:ベノワ・デビエ / 音楽:クラウディオ・シモネッティ / 出演:ステファニア・ロッカ、リーアム・カニンガム、フィオーレ・アルジェント、クラウディオ・サンタマリア、アントニオ・カンタフォーラ、シルヴィオ・ムッチーノ / DVD日本盤発売:タキ・コーポレーション
2003年イタリア作品 / 上映時間:1時間39分 / 日本語字幕:不明
日本劇場未公開
2004年07月02日DVD日本盤発売 [amazon]
DVDにて初見(2005/08/16)

[粗筋]
 イタリア警察に勤めるアンナ・マリ(ステファニア・ロッカ)のもとに、差出人不明の電子メールが届いた。メールに添付されていた写真は、行方不明になっていたイギリス人女性の旅行者のもの。差出人は警察に、ネット経由のポーカーゲームに参加することを求め、勝てば女性を解放、負けるか勝負を放棄すればその場で女性を殺す、と脅してきた。
 指定の時間、指示されたウェブサイトにアクセスすると、ゲーム画面と共に人質となった女性の怯える姿が動画で映し出された。だが、警察署長のマリーニ(アントニオ・カンタフォーラ)はただの脅しだと主張、ゲームを拒否する。アンナはじめ数名の刑事が異を唱えるあいだに、制限時間を超えてしまった――ネットワーク経由で、人質の女性が殺害される姿が、刑事達の前に映し出された……
 アンナは自分と同様、僅かな可能性に託して勝負するべきだった、と訴えるイギリス大使館詰めの刑事ジョン・ブレナン(リーアム・カニンガム)とともに自分なりの捜査に乗り出す。連れ立って訪れた屍体安置所で、ジョンは遺体の鼻孔に特徴的な種子が遺されているのを発見する。
 息を吐く間もなく、犯人は再戦を挑んできた。前回と同じくポーカーによる三回勝負、一回負けるごとに人質の躰を切り刻み、三回目には命を奪う――刑事達の主張に屈して、警察署長はゲームへの参加を認める。ゲームの席に着いたのはポーカーが得意だというカルロ刑事(クラウディオ・サンタマリア)であったが、結果は三連敗。ディスプレイにはふたたび、人質の惨殺される姿が映し出されるのだった。
 アンナとジョンはプロファイリングの結果と犯人の驚異的な勝負強さから、犯人が非合法のビデオ・ポーカーに参加している可能性があると踏み、カジノに当たる。確かに該当するような強運のプレイヤーがひとり存在したようだが、あいにく漠然とした外見だけで、素性は一切知らなかった。間もなく提供された情報を辿り訪れたカジノにいたのは、レモ(シルヴィオ・ムッチーノ)という十代後半の少年。折も折、犯人が第三の対戦を求めてきたという連絡に、アンナたちは奇策を思いつく。犯人ではないようだが驚異的な腕を持つレモを犯人と対戦させようというのである。
 プレッシャーに逃げようとしたレモだが、アンナたちの励ましでどうにか一勝を得る。だがそのとき、画面のなかの人質は自ら拘束を解いて果敢に抵抗し、しかし力及ばず、殺害されてしまう……

[感想]
 事前に話を聞いて覚悟はしていたが、確かにこれ、あまりダリオ・アルジェントらしくない。
 アルジェントと言って思い浮かぶ要素があまり盛り込まれていないのが最大の理由である。久々に正統派スリラーに回帰した前作『スリープレス』を踏襲して、連続殺人と謎解きに主眼が置かれているが、『スリープレス』や『サスペリアPART2』などに見られるような、過剰な残酷描写を全般に控えているのだ。ほかの作品では被害者が切り刻まれていくさまをそのまま画面に映し、血飛沫が舞う場面などざらなのだが、本作では相変わらず殺害手段はえげつないが、直接画面に映している箇所はかなり少ない。初心者や心臓の弱い方には優しい作りだが、ファンとしては「ひよったか?!」と思わずにいられない部分である。
 アルジェント作品は大抵、大きな仕掛けを用意すると謎解きはそこに依存し、残虐場面以外のところで不必要な“引き”を設けることが多い。例えば意味もなく車を暴走させる女性が現れ、例えば重要な人物があっけなく死に、例えば物語上決して重要でないトラップを用意し、例えば余剰でしかない恋愛の要素を採り入れる、といった具合だ。この作品については、そうした無駄が思いの外少ないことも、ファンに物足りなさを感じさせる一因となっている。アンナとジョンとのあいだに芽生える恋愛感情も、中盤での捜査も基本的に結末に対してまるで無意味とはなっていない。絶対にそうであるべき必然性もない代わりに、いずれもほどほどに物語の展開に奉仕している。犯人の行動にしても、いちばん肝心のバックボーンは明かされていないが、とりあえず決着してみればその行動に不自然なところはない。全体にこぢんまりと纏まってしまっているのだ。
 但し、そうした点をひっくり返して眺めると、アルジェント作品であるという前提を外せば結構体裁の整ったスリラーになっているのだ。犯人から仕掛けられるカードゲームの緊張感、『羊たちの沈黙』を想起させるヒントに、捜査関係者が巻き込まれていくスリル、そして恋愛感情が齎す終盤のカタルシスなどなど、月並みではあるがポイントをきっちりと押さえ、見せ場に欠かない。
 残虐描写を直接見せないことも、翻って余分な刺激を和らげており、一般の観客にも比較的親しみやすい状態に作品を留めていると捉えれば評価の対象となる。血の色を抑え、清潔ながら拘りを感じさせるカメラワークも、アルジェント作品としては異色だがかなり美しい。
 ファンとしては、もっと蠱惑的な血の色を見せてくれ! と叫びたいところだが、全体としてはよく基本を押さえたスリラーであり、アルジェントらしさを期待しすぎなければかなり楽しめるはずだ。

 ……しかし何だ、なにが足りないって、いちばん足りないのは美少女分ですよあなた。アルジェントは可愛い女の子いぢめてナンボでしょーが。

(2005/08/16)


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