cinema / 『着信アリ2』

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着信アリ2
企画・原作:秋元 康 / 監督:塚本連平 / プロデューサー:佐藤直樹、有重陽一 / アソシエイトプロデューサー:門屋大輔 / ラインプロデューサー:山本 章 / 脚本:大良美波子 / 撮影:喜久村徳章 / 照明:才木 勝 / 美術:新田隆之 / 録音:海澤 修 / 編集:上野聡一 / VFXスーパーヴァイザー:田中貴志 / 音楽:遠藤浩二 / 音響効果:柴崎憲治 / 主題歌:aki『愛の祈り』 / 出演:ミムラ、吉沢 悠、瀬戸朝香、ピーター・ホー、石橋蓮司、鰐淵晴子、大島かれん、小泉奈々、ちすん、大久保運、シャドウ・リュウ、小林トシ江、眞島秀和(前作『着信アリ』の映像を一部使用) / 製作プロダクション:角川映画 / 配給:東宝
2005年日本作品 / 上映時間:1時間46分
2005年02月05日公開
公式サイト : http://www.chakuari.jp/
池袋HUMAXシネマズ4(1)にて初見(2005/02/05)

[粗筋]
 未来の自分から送られてくるメッセージは、その人の死の間際の声、或いは姿。携帯電話を介して伝染した心霊事件は、2003年の春に完結した――そう、思われていたのだが。
 とある中華料理店の娘・王美鳳(シャドウ・リュウ)の携帯電話が鳴っているのに気づいた店主・王建峰(大久保運)が代わりに取ると、聞こえてきたのは娘の声。噛み合わないやり取りのあと、つんざくような悲鳴で通話は切れた。居合わせたアルバイトの桜井尚人(吉沢 悠)
ともども心配していると、美鳳は何事もなかったかのように帰ってきた。
 その晩、尚人の恋人・奥寺杏子(ミムラ)とその友達・内山まどか(ちすん)が料理店を訪れた。携帯電話を換えたばかりだという美鳳が新しい番号をふたりの携帯電話に宛てて送ると、途端にまどかの電話が登録した覚えのない奇妙な着信メロディを奏で始めた。それが昨年の春に、テレビで生放送された“死の着信”のときに鳴ったものと似ていることに気づいて、三人は怯える。次の瞬間、厨房から尚人の悲鳴が轟いた――料理店の厨房で、店主が鍋の炎で顔を焼いた無惨な姿で死んでいたのだ。
 翌日、発見者として事情聴取を受けた尚人はその帰り道、ひとりの女に呼び止められる。野添孝子(瀬戸朝香)と名乗った彼女はルポライターであり、昨年の春から急増したいわゆる“死の着信”事件を追っているという。最初は半信半疑で話を聞いていた尚人だったが、孝子から問題の着信音を録音したものを聞かされて愕然とする。尚人は昨晩、そのメロディをまどかの携帯電話が鳴らしていたのを確かに耳にした。
 同じころ、突然の父の死に憔悴した美鳳の看病をしていた杏子は、まどかを相手に携帯のテレビ電話機能で話をしていた。気づくと、まどかの背後には何かの人影が迫っている。警告してもまどかは気づかない。やがて、画面を介して不気味な影がこちらへ乗り出してきそうな気配に驚いて、杏子は携帯電話を放り投げた。
 まどかが心配になった杏子が急いで彼女の部屋に駆けつけると、まどかは浴槽で変わり果てた姿になって息絶えていた。異様な事態に動揺する彼女を、遅れてやって来た尚人と孝子が宥めているとき、ふたたびあの着信メロディが響き渡った――今度は、杏子の携帯電話から。表示されているのは杏子自身の名前、日付は三日後。
 杏子の携帯電話に届いていた謎の画像を手懸かりに、三人は孝子の旧知の人物であり、昨年の“死の着信”事件に携わった経験のある本宮刑事(石橋蓮司)は、写真の場所の特定など出来る限りのことをする、と約束してくれたが、全面的に保証はせず、杏子と尚人は不安を膨らませる。孝子は、自分たちで呪いの源泉を突き止め、回避するしかないと言い、改めて一連の悲劇の発端と見られている水沼美々子(大島かれん)の周辺を調査してみることを提案する。
 三人が接触した美々子の祖母サチエ(鰐淵晴子)は美々子の生前の姿を回想する。そのなかで、美々子の母をレイプして妊娠させた男を殺害したというサチエの夫の話が出て来た。彼は台湾の出身であり、出所後帰郷したという。彼にも話を訊くために、孝子は別居中の夫で台湾在住のジャーナリスト陳 雨亭(ピーター・ホー)に連絡を取る。雨亭は事情を聞くと、驚きを顕わにした。なんと、“死の着信”事件は台湾でも発生していたのだ――しかも、美々子が亡くなるよりも以前から……

[感想]
 昨年あたまに上映されて好評を博し、私も鑑賞してなかなかの好感触だった映画『着信アリ』の続編である。企画・原作の秋元康氏に脚本の大良美波子氏はじめ一部のスタッフは固定となっているが、監督が三池崇史氏から塚本連平氏にバトンタッチした。塚本氏は『アットホーム・ダッド』や『花村大介』(これは非常に面白い法律ドラマでした。未だに再放送or続編を待ってたりして)などテレビドラマ中心に活躍、昨年末に公開直前で突如占いを理由にタイトルを換えられた『ゴーストネゴシエイター』改め『ゴーストシャウト』で銀幕に進出した人物であり、これが劇場公開作品としては二本目に当たる。
 長年娯楽作品に携わってきた監督だけあって、観客の興味を逸らさないテンポを弁えており、演出面ではなかなか安心感のある仕上がりになっている。が、話としてはかなーり疑問の多い出来になってしまった。
 前作からして、終盤はただただ観客を意味もなく驚かせ脅かすだけの虚仮威しになってしまい、また抽象的な結末もあって散漫な余韻を残したものだが、それを踏まえた本編は更に事象の結びつきが緩くなって全篇がバラバラな印象となってしまった。
 色々と新しい事実を小出しにして物語を進めているが、まず何故約一年のあいだ何もなかったのか、前作の関係者はそのあいだいったいどうしていたのか、また何故ほかの関係者が最近までその消息を掴めずにいたのか、という疑問がいきなり出てくる。主人公の一人・杏子の恋人が務める中華料理店の娘の携帯電話にこの作品最初の予告電話がかかってくることで、台湾に物語が移行する手懸かりがあるのかと思ったが、まったく異なるところから台湾にリンクしていったのも妙だ。序盤の設定にどんな意味があったのだろう? 他にも序盤には宙ぶらりんになっている出来事があるが、さすがにその点を詳述すると興を削ぎすぎるのでとりあえず省いておく。
 また、演出と編集の巧さで誤魔化しているが、まどかの死以降はクライマックス付近までこれといって派手な怪奇現象が起きていないのも物足りないところ。前作では終盤以外に、状況こそ無茶苦茶ではあるが「テレビでの生中継に怪奇現象で人が死ぬ場面が流れる」という強烈なフックがあったのに対して、本編は中盤で描かれるのが意外“そうな”展開ばかりで、怪奇現象そのものは有り体なものに終始してしまったのも散漫なイメージを生む一因になっている。
 上の粗筋のあと、物語は美々子とは異なる呪いの源泉に立ち向かうため関係者が台湾に赴くことになるのだが、まずそのもうひとつの呪いがのちに美々子に入れ替わる理由がいまいち解らない――製作者たちの解釈だともっと昔に発生していても良かったし、だいいち別の展開はそれを仄めかすかのようだったのだが、けっきょくその辺の説明がなおざりにされているのが拙い。解らないなら解らないでも構わないのだが、主人公たちが「原因を特定する」と言いながらまったくそこまで踏み込めていない(ように感じさせる)のが問題なのである。
 また、終盤では時系列を前後させ意外な展開によって魅せるが、しかしその流れがごちゃごちゃして把握しづらいのもいけない。そもそも関係者たちの理念と行動がいまいち結びついておらず、なんでそこでそんなことをするんだ? という疑問を残しているのに、説明もないまま怪奇現象が発生してえらいことになる。その一方、別のイベントが並行した時系列で発生しており、しかも他の現象との繋がりが解りにくい……意外性で見せたかったのは解るが、筋を混乱させているようにしか見えず、事情が分かって「そういうことか」という理解にはなっても恐怖にも意外性にも結びついてないのでは無意味だ。その意外性の演出も含めて、終盤の怪奇現象は前作や序盤と比べても蓋然性の認められないものばかりで、観たときは驚いてもさほど怖いとは感じられないのが根本的な弱みだ。
 とまあ、論っていくと“ホラー映画としては論外”という結論になってしまうのだけれど、なら嫌いか、と訊かれると「そーでもない」と答えたくなるのがこの作品の不思議なところだ。理由はまず、前述の通り娯楽作品のノウハウをよく熟知しているスタッフだからなのかテンポは巧く確立されているし、日本のホラー映画で怪奇現象を描くときに最も肝心な“間”の表現が丁寧なので、怪奇現象自体が弱くても雰囲気は醸成されており、そういう意味でよく勉強しているらしいのには好感を抱く。また、新しい怪奇現象とその源泉を設定することで前作とは異なる“恐怖”を醸成したその誠意と努力も評価できる――個人的には余計な意外性など付加せずに、純粋に“美々子の呪い”を継続させていったほうが真っ当なホラー映画になったとは思うのだが、それは観たあとだから言えることだろう。要は、姿勢に不遜さをあまり感じなかったのだ。
 物語の軸となる杏子と尚人のカップルの、決して甘くなりすぎず、しかしちゃんとした“絆”を感じさせるロマンスの表現に嫌味がないことも、作品全体に悪感情を抱かせない理由のひとつだと思われる。これが海外のホラーだとむやみやたらにベタベタしがちで鬱陶しくなるものだが、そうしたものに影響されず二人の恋心を程良い匙加減で描写しているのが、全体の味付けにロマンスを用いながらも、それをあくまでホラー映画であることの背骨に応用しているのが解って、妙にいい印象を与えているようだ。
 また、描き方には大いに問題はあったものの、“呪い”にまつわる発想とラストのどんでん返しはなかなかの着想だと思う。前者はストーリーのなかでちゃんと伏線が張られているし、後者についてもあれだけバタバタした展開ながらそれなりに衝撃を齎すのだから、思いつきとしては秀逸なほうに属する。そう考えていくと、もっと中盤の怪奇現象を迫力のあるものにして欲しかったとか、ラストの整理整頓の拙さはどうにかならなかった、とかが余計に悔やまれるが、いずれにしても発想そのものは評価したい。
 作品としては正直失敗作と言わざるを得ないが、ホラー映画というものを侮らずに真摯に作ろうとした態度は窺われて、どーにも憎めない不思議な作品である。とりあえず、前作のファンやホラー映画の愛好家なら観ておいてもいいのではないでしょうか――私と同様、許せる気分でいられるかどうかは保証の限りではありませんが。

 ――我慢しようとしましたけどやっぱり耐えられなかったので以下伏せ字で叫びます。ここから→冒頭の保育園のシーンに一体何の意味があったんだ。あの子は何を観たんだそしてあの親はいったい何者だ?!←ここまで。

(2005/02/06)


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