/ 『チャーリーとチョコレート工場』
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『light as a feather』トップページに戻るチャーリーとチョコレート工場
原題:“Charlie and the Chocolate Factory” / 原作:ロアルド・ダール(評論社・刊) / 監督:ティム・バートン / 脚本:ジョン・オーガスト / 製作:リチャード・D・ザナック、ブラッド・グレイ / 製作総指揮:パトリック・マコーミック、フェリシティー・ダール、マイケル・シーゲル、グレイアム・バーク、ブルース・バーマン / 撮影:フィリップ・ルースロ,A.F.C./A.S.C. / 美術:フレックス・マクダウェル / 編集:クリス・レベンソン,A.C.E. / 衣装デザイン:ガブリエラ・ペスクッチ / 視覚効果監修:ニック・デイヴィス / キャスティング:スージー・フィッギス / 音楽:ダニー・エルフマン / 出演:ジョニー・デップ、フレディ・ハイモア、デイヴィッド・ケリー、ヘレナ・ボナム=カーター、ノア・テイラー、ミッシー・パイル、ジェームズ・フォックス、アダム・ゴドリー、フランツィスカ・トローグナー、アナソフィア・ロブ、ジュリア・ウィンター、ジョーダン・フライ、フィリップ・ウィーグラッツ、リズ・スミス、アイリーン・エッセル、デイヴィッド・モリス、ディープ・ロイ、クリストファー・リー / ナレーター:ジェフリー・ホールダー / 配給:Warner Bros.
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間55分 / 日本語字幕:瀧ノ島ルナ / 吹替版翻訳:藤沢睦美
2005年09月10日日本公開
公式サイト : http://www.charlie-chocolate.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/09/24)[粗筋]
ウィリー・ウォンカ(ジョニー・デップ)の名を知らない人は恐らく世界中探しても稀でしょう。彼は天才的なショコラティエ=チョコレート職人で、町の小さな店からビジネスを拡大し、ついに世界最大の工場を建ててしまいました。多くの人が雇用され、町に潤いを齎しましたが、しかし彼の天才的なレシピを盗むスパイが横行し、業を煮やしたウォンカはやがて工場を閉鎖してしまったのです。間もなく工場は再開されましたが、いったい誰がどんな風にチョコレートを製造しているのか、その秘密は厚いヴェールの向こうに隠されてしまったのです……
そんな、まるで魔法の城のような工場に、チョコレートの甘さに対するのに似た憧れを抱く子供達も沢山いました。この物語の主人公、チャーリー・バケット(フレディ・ハイモア)もそんなひとりです。
チャーリーの境遇は傍目に幸福とはとても言い難いものでした。お父さん(ノア・テイラー)は歯磨き粉の製造工場で毎日遅くまでキャップを嵌める職人として安い賃金で働き、お母さん(ヘレナ・ボナム=カーター)は家計を支えるためにキャベツの具オンリーのスープをやりくりしています。ジョーおじいちゃん(デイヴィッド・ケリー)含む、合計381歳にもなる祖父母はみんな身体を悪くしていて、ひとつのベットに互い違いに寝たきりになっています。かつて工場で働いていたジョーおじいちゃんの話をきっかけにウォンカに憧れて、お父さんがときどき持ってきてくれるキャップの不良品を使って工場の模型を作っているくらいのチャーリーがチョコレートを口に出来るのは毎年一回、誕生日だけ。けれど――それでも、家族の愛に包まれて、チャーリーはとても幸せだったのです。
そんなある日、チョコレート工場から世界中に向けて、メッセージが届けられました。なんと、これまで一切を公開せず秘密にしていた工場に五人の子供と保護者各一名を招待し、ウォンカ自ら案内する、というのです。全世界に出荷されたウォンカの人気商品“めちゃうまチョコ”に密かに五枚のゴールデン・チケットが封入されており、それを引き当てた者がその恩恵に預かることが出来るといいます。
当然のようにチャーリー少年もこの好機に胸を膨らませました。しかし、貧しいバケット家では好きなときにチョコレートを買うことなど出来るはずもなく、ひとりひとりと増えていくゴールデン・チケット獲得者を報じるテレビや新聞を羨むばかり。お父さんとお母さんが彼のためを思って、ちょっと早めに買ってきたチョコレートも、ジョーおじいちゃんがこっそり提供してくれたへそくりで買ってきたチョコレートも外れ、もう駄目かと思ったとき――最後の幸運がチャーリー少年に救いの手を差し伸べました。雪の中に落ちていた紙幣を使い、近所の小さな商店で買ったチョコレート・バーのなかに、確かにゴールデン・チケットが入っていたのです!
心優しいチャーリーは、貧しい家族のことを気遣い、お金を払ってでも欲しいという人にチケットを譲ろうかと考えます。しかし、いつも口の悪いジョージおじいちゃん(デイヴィッド・モリス)は言います――お金は毎日のように印刷されているが、ゴールデン・チケットはこの世に五枚しか存在しない。そんな俗なものに換えたりせず、ズボンの泥を払って、行きなさい。
翌日。かつて工場で働いていた経験のあるジョーおじいちゃんとともに向かったチャーリーの前で、遂に工場の固い門戸が開かれました。さて果たして、従業員のいないはずの工場の中で、少年はいったい何を見るのでしょう……?[感想]
ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演に音楽がダニー・エルフマンと来れば、それだけで“アタリ”は半ば保証されている、と言えば賛同してくださる方も多いだろう。実際、『シザー・ハンズ』と『スリーピーホロウ』を評価している方なら、ほぼ確実に失望を味わうことのない出来である。おもちゃ箱をひっくり返したような、という形容でも物足りないくらいにビザールぶちまけ放題な工場内部の様相に魅了されること請け合いだ。
極力CGの使用を避け、繊細に形成されたセットを中心に撮影された映像と場面の数々は美術にも匹敵する魅力を放っている。が、あまりに怒濤のように提示されるうえ、それぞれのモチーフの関わり合いがあまり密接でないために、興味の繋がりが保てないという欠点が生じている。ふんわり感を出すために説かしたチョコを滝のように流すのと、それを川にして洞窟に流すという発想は面白いが、なんでそこを通ったら他の作業室に辿りつくのかが解らない。そもそもいったいどんな層構造になっているのか。
だが、そうした因果関係や物理的常識に囚われた思考で眺めるのがそもそもの間違いだろう。たくさんのチョコを流して川や滝にしたいとか、クルミの殻を剥くならリスがいちばん巧いだろうとか、誰しもいちどは考えたことのある荒唐無稽なアイディアを実際に映像にしてしまう、という遊び心を喜び、虚心に楽しむのがいい。こういうものを具体化してしまうのは、まさに映画ならではの醍醐味なのだから。
風変わりな髪型とメイクで相変わらずの存在感を誇示するジョニー・デップにそれぞれ個性の際立った子供達、また決して登場する時間の長くないチャーリーの家族に至るまで余すところなく魅力を発揮しているが、こと俳優に関して言えば誰よりも素晴らしかったのはディープ・ロイであると思う。何を演じたかというと、工場の操業に携わる小人族ウンパ・ルンパ、そのぜんぶである――性別年齢を問わずみんな似たような容姿、という設定ゆえ、工場のほとんどすべてのパートを任されているこの種族を、すべてディープ・ロイが演じている。服装を変え動きを変え、しかも彼らが歌に合わせて踊る場面が幾つもある。いったいどのくらいの撮影を繰り返したのか、想像しただけでも頭の下がる想いがする。そして完成された映像は薄気味悪くも滑稽極まりない。彼らの指揮者として渡り合うジョニー・デップの素晴らしさは言うまでもないが、しかしこの映画のムード醸成に誰よりも貢献しているのがウンパ・ルンパ=ディープ・ロイであることは間違いない。
そして、彼の活躍を煽りたてるダニー・エルフマンの音楽もまたいい。この作曲家はティム・バートン監督とのコラボレーションはさることながら、『スパイダーマン』や『メン・イン・ブラック』でも記憶に鮮烈な印象を残す旋律を用意して、作品の存在感をより強固にする技に長けた現代でも屈指の映画音楽家だと個人的に捉えているのだが、本編においてその才能を遺憾なく発揮している。バートン監督作品では毎回凝る傾向にあるオープニングの背景に流れる曲もそうだが、様々な名作や名曲のパロディ的な要素をふんだんに詰め込んだウンパ・ルンパのミュージカルにおける八面六臂の活躍ぶりは賞賛に値する。クレジットを見て驚いたが、何とヴォーカルまでダニー・エルフマン自らが担当しているというのだから。ウンパ・ルンパの強烈なインパクトは、ディープ・ロイとダニー・エルフマンのコラボレーションの産物であり、そういう意味でやはり本編における貢献者はこのふたりと言っていいだろう。無論、ディープ・ロイ増殖のために手を尽くした美術や衣装、VFXなど裏方の存在もあるのは間違いないが。
ストーリーの骨格については、短編小説と児童小説の分野で多大な功績を残したロアルド・ダールの原作があり、既にいちど映画化が成し遂げられ、好事家の記憶に刻まれている点からも折り紙付きであるが、ティム・バートンが監督したことによって、そこに含まれているであろう毒が抜けなかったこともいい方向に作用したと考えられる。強欲な子供をチューブで吸い上げたり、我が儘邦題に振る舞う子供をダストシュートに落としてしまったり、というくだりは良識ある(と自らを信じ込んでいる)大人なら顔を顰めるだろうし、そうでなくても冷静に考えればかなりヤバいことをしている。それを敢えてやってしまい、しかし残酷さを直接は感じさせないあたり、変に善良を装ったり慈愛ばかりを闇雲に謳いあげる子供向け映画もどきなど到底及ばないくらいに“寓話”になっている。
そうした危険な要素を乗り越えたところに、ちゃんと綺麗な“答”が用意されているのにも好感を抱く。どうやら終盤の幾つかの展開は原作にないもののようで、「取って付けた印象がある」といった感想を幾つか目にしたが、ある程度同感は覚えつつも、決して悪くないと私は思っている。かなり強引にではあるが伏線はきちんと張ってあるし、そこに奇妙さと同時に微笑ましさを感じさせるのもいい。何より、きちんと主題を敷衍したうえで、なるべくすべてのことに答えを出そうとした姿勢は非常に好ましい。またそうした追加があったことで、中盤はギミックの観客と化して埋没しがちだった名子役フレディ・ハイモアに、冒頭に匹敵するもうひとつの見せ場を齎した点でも評価したい。寧ろ、そうした構成の微妙な“隙”が却って作品を愛すべきものにしている、という見方もあるのだ。
中盤が不気味すぎて抵抗を覚える人もいたようだが、そこを乗り越えれば、長く記憶に残ることは疑いない。『ビッグ・フィッシュ』に続いていい仕事してますティム・バートン監督。(2005/09/24)