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『light as a feather』トップページに戻るコーラス
原題:“Les Choristes” / 監督・脚本・音楽:クリストフ・バラティエ / 製作:ジャック・ペラン、アーサー・コーン、ニコラ・モヴェルネ / 原案:映画『春の凱歌』 / 脚色・台詞:クリストフ・バラティエ、フィリップ・ロペス=キュルヴァル / 撮影監督:カルロ・ヴァリーニ,A.F.C.、ドミニック・ジャンティ,A.F.C. / 編集:イヴ・デシャン / 美術:フランソワ・ショヴォー / 衣装:フランソワーズ・ゲガン / 音楽:ブリュノ・クレ / 合唱団:サン・マルク少年少女合唱団 / 合唱団指揮:ニコラ・ポルト / 出演:ジェラール・ジュニョ、フランソワ・ベルレアン、ジャン=バティスト・モニエ、カド・メラッド、マリー・ビュネル、ジャン=ポール・ボネール、グレゴリー・ガティニョル、キャロル・ヴェイス、マクサンス・ペラン、ジャック・ペラン / 配給:日本ヘラルド
2004年フランス作品 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:古田由紀子
2005年04月09日日本公開
公式サイト : http://www.herald.co.jp/official/chorus/index.shtml
シネスイッチ銀座にて初見(2005/04/26)[粗筋]
1949年、失業中の音楽教師クレマン・マチュー(ジェラール・ジュニョ)はフランスの片田舎に降り立った。彼が辛うじて得た仕事は、不良少年たちの更生施設“池の底”の舎監兼教師というもの――何もかも失った自分に相応しい、と自嘲的になっていたマチューは、早速洗礼を受ける羽目になる。庶務のマクサンス(ジャン=ポール・ボネール)が生徒の悪戯によって大怪我を負い、ラシャン校長(フランソワ・ベルレアン)は見せしめとして、赴任したてのマチューに名簿から適当な生徒を選ばせて反省室に入れさせ、真犯人が判明するまでは休憩時間なし、と申し渡したのだ。“やられたら、やり返せ”という校長の方針、生徒の悪戯で10針縫う大怪我を負った経験のある前任者、そして心ない言動を繰り返す生徒たち、すべてのものにマチューは恐怖を覚える。
しかし、大きすぎる障害が却ってマチューの反発心を呼び覚ましたのか、彼は校長とは逆の方法で生徒の心を開かせることを決意した。理解し、受け入れ、少しずつ打ち解けていくこと。道程は平坦ではなかった。
ある日、マチューが大切に持ち歩いていた鞄を、ピエール・モランジュ(ジャン=バティスト・モニエ)たち札付きの不良生徒たちが勝手にこじあけ、封印してあった大切な楽譜を勝手に覗き見る、という事件が起きる。同僚のシャベール(カド・メラッド)に見つかりそうになったマチューはそれでも咄嗟に「この子たちに歌わせようと思った」と言って庇う。その夜、寝室でマチューを揶揄する内容の戯れ歌を口ずさむ子供達を叱りながら、しかしその出来事がマチューに天啓を齎した。
翌日から早速マチューは実験を開始した。受け持ちの生徒たちひとりひとりに歌を歌わせ、声質でパートを振り分け、合唱隊を組織した。音程、メロディ、ハーモニー、そうしたことを教えていくうちに、子供達のなかに確実な変化が生まれはじめた。相変わらず態度は反抗的だが、少なくとも危険な悪戯や挑発に出るものは減っていったのだ。少なくとも子供達は歌っているあいだ、我が身に降りかかる不幸を忘れていたのかも知れない。
だが、当初から問題児扱いされていたひとりであるモランジュは、なかなか輪に加わろうとしなかった。精神科医が「破壊的な言動が多い」として施設に送りこんできたモンダン(グレゴリー・ガティニョル)はそんなモランジュに目をつけ、早速悪事に荷担させようとするが、それにすら乗ろうとしない。マチューには彼の本心がいまひとつ理解できずにいた――モランジュは本質的に悪い子ではない、という直感がマチューにはある。ただ無理をして悪党ぶっているのだ、と。
どうにか彼に自信を持たせてやりたい、と念じていたマチューは、ある日衝撃的な場面を目撃する。幾ら言っても合唱隊に加わろうとしなかったモランジュが、教師たちの目を盗んで施設を抜け出したのちの休憩時間、黒板に記された歌詞を歌っているところに偶然遭遇した。瞬間、マチューは確信した――この子は、本物の天才だと。[感想]
往年の名作と並べて賞されることの多い本編だが、個人的にはリアル志向の『スクール・オブ・ロック』という捉え方がいちばん解りやすいように思う。主人公は人生の敗者であり、赴任した先の学校で子供達に音楽を教えることによって自信と音楽に対する情熱を取り戻していく、という過程が一致している。
とは言え、あちらのように職欲しさに友人の名を偽って潜りこむのではないし、子供達も優等生ではなく御しがたい存在として描かれている。マニアックなアイディアや映像センスを注ぎ込みながらも大筋で娯楽映画の文法に則っている『スクール・オブ・ロック』に対し、本編では音楽に関する知識を闇雲に披瀝することはないし、ドラマ性を保ちながらも定石を微妙に外して物語が進行していく。出発点は似ているが、アプローチはほとんど正反対と言っていいだろう。
何より本編にはほとんどドラマティックな見せ場がない。大半は音楽教師マチューが赴任以来つけていた日記に基づいて描かれている、という構成を採っており、際立った出来事と言ってもせいぜいモンダンの編入やクライマックスのとある出来事ぐらいで、あとは概ね淡々と日常が積み重ねられていくといった趣である。交流を通して生徒たちは少しずついいほうへと変化していくのは間違いないのだが、たとえばそうなっていく明確な契機が随所で描かれるということはなく、気づくと輪のなかに加わっていたり、歌いながら自然と笑みをこぼしていたり、といった描写が代弁するのみだ。
そのわりに物足りなさや味気なさを感じさせないのは、そうした描写を決して深刻にせず、ユーモアを交えて提示しているからだろう。たとえばモンダンが問題を起こし、校長の手で反省室に投げ込まれる場面、それを見届けるマチューは校長の横暴に率直な憤りを漏らす代わりに、「貴重なバリトンなのに」と婉曲にこぼす。また、最年少のペピノが「5たす3はいくつ?」と隣の席の生徒に尋ねると、真面目くさって「53だ」と応えるといった、本筋と関係はないけれどちょっとした擽りのような挿話もあって、退屈さを感じさせない。
物語のうえで見せ場がないとは言い条、その分を補って余りあるのがタイトルにもなっているコーラスの場面である。前述のようにその表情や所作、或いは歌声そのものがマチューと生徒たちの関係性の変化を象徴する一方、それ自体の美しさや聴き応えが素晴らしい。とりわけ、製作者たちが撮影開始僅か三ヶ月前に発見、一目惚れしたというジャン=バティスト・モニエの美声は一聴に値する。やや硬さの残った天使的な容貌が、万事に対し頑なな態度を取る少年という役柄にも馴染んで、演技の面でも存在感を発揮している点も指摘しておくべきだろう。本作で演技に開眼したという彼は役者の道に進むことを決意、既に200本近いオファーがあるというが、それだけに本編で披露する奇蹟のソプラノは貴重な価値がある。
前述の通り、物語の構成に現実的なものが見え隠れする本編では、決して華々しい方へと話が進展することはない。これほど完成された合唱隊を築き上げるのだから、凡庸な発想では晴れ舞台を用意したいところだが、安易に“世間的に認められる”という道筋を取らず、あくまで状況改善への布石程度に扱っている。また、如何に成功を収めようとも生徒たちがはみ出し者であり教師が敗者であるという現実に変わりはなく、結局誰彼からも受け入れられるという話にならず、挫折を経験することになる。
だが、その代わりに提示されるクライマックスは、静かであるが胸に沁み入り、作中描かれることのない大半の生徒たちの“その後”に救いを垣間見せる。エピローグとして綴られる出来事にもちゃんと伏線が張られているのにニヤリとさせられる。
物語としての派手さはない代わりに、細かな描写がコーラスの美しさと相俟っていつまでも記憶に残る良作。本国フランスでサントラまで含めて大ヒットを飛ばしたのも頷ける。ちなみに、これが監督デビューだというクリストフ・バラティエは、製作に名を連ねているジャック・ペランの甥に当たる人物だそうです。むろん、別に血縁だから起用されたというわけではないはずで、ペランの製作会社に就職したあと幾つかの作品で製作補を務めたのち、本編の企画を練り上げ自ら音楽も手がけているわけですから。
しかし、ペピノ役のマクサンス・ペランがジャック・ペランの実子だと聞くとさすがに苦笑いを禁じ得ません。君ら家族で映画を作ってるのか。――とは言え、このマクサンス少年も存分に愛らしさを振りまいて、マスコット的な役割を見事に果たしているので、文句をいう筋合いはないのですが。(2005/04/27)