cinema / 『スクール・オブ・ロック』

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スクール・オブ・ロック
原題:“The School of Rock” / 監督:リチャード・リンクレイター / 製作:スコット・ルーディン / 脚本・出演:マイク・ホワイト / 製作総指揮:スティーヴ・ニコライデス、スコット・アヴァーサノ / 撮影:ロジェ・ストファーズ,N.S.C. / プロダクション・デザイン:ジュレミー・コンウェイ / 編集:サンドラ・エイデアー / 衣装:カレン・パッチ / 音楽監修:ランドルー・ポスター / 音楽コンサルタント:ジム・オルーク / 音楽:クレイグ・ウェドレン / 出演:ジャック・ブラック、ジョーン・キューザック、サラ・シルヴァーマン、ジョーイ・ゲイドスJr.、レベッカ・ブラウン、ロバート・ツァイ、ケヴィン・クラーク、マリアム・ハッサン、カイトリン・ヘイル、アリーシャ・アレン、ミランダ・コスグローヴ、ブライアン・ファルデュド、ザカリ・インファンテ、ジェームズ・ホージー、アンジェロ・マサグリ、コール・ホーキンス、ヴェロニカ・アフラーバック、ジョーダン・クレア・グリーン / 配給:UIP Japan
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間50分 / 日本語字幕:太田直子
2004年04月29日日本公開
2004年09月17日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.schoolofrock-movie.jp/
日比谷映画にて初見(2004/04/29)

[粗筋]
 デューイ・フィン(ジャック・ブラック)は唐突に窮地に追い込まれた。同居人のネッド・シュニーブリー(マイク・ホワイト)が恋人パティ(サラ・シルヴァーマン)の言いなりに、それまで溜まった家賃を収めるようデューイに要求してきたのが最初だった。かつてデューイ同様にミュージシャンを目指していたネッドは、だがいつまで経っても芽の出ないネッドに「ギターを売って金を工面すれば」と提案する。長年の親友のそんな情けない言葉を聞くと、邪険には突き放せず、どうにか金を用意する、と約束する。その為には間もなく開催されるバンド・バトルで優勝しなければ、と躍起になってスタジオに駆けつけたデューイだったが、。彼を待ち受けていたのはバンド仲間からの解雇通告だった。“NO VACANCY”はデューイの結成したバンドだったが、横暴な言動に曲の構成を無視した長尺のソロ・アドリブなどがいつの間にか彼らの反感を買っていた……
 捨て科白を残して立ち去ったデューイだったが、新しいバンドを組む当てもなければ、当座の仕事も見つからない。部屋で腐っていると、留守のネッド宛に電話がかかってきた。私立学校ホレス・グリーン学院のロザリー・マリンズ校長(ジョーン・キューザック)と名乗った相手の女性は、代用教員として登録していたネッドに仕事の依頼を持ちかけてきたのだ。伝言を、と頼まれたデューイの胸中に、危険な企みが鎌首をもたげた――
 次の日には、デューイの姿はホレス・グリーン学院の教壇にあった。口八丁手八丁で自らをシュニーブリー“先生”だと人々に思いこませて無理矢理得た職だったが、当然授業の仕方など知らないし、まして規則規則で雁字搦めのやり方に馴染めるはずもない。初日はず〜っと休憩! の一言で終業までやり過ごしてしまった。
 転機はまた唐突にやって来た。音楽の授業に出向いた生徒たちの様子を何気なく眺めに行ったデューイは、彼らがかなり楽器を扱えることを知った。すぐさま自分のバンから機材一式を教室に持ち込むと、戸惑う生徒たちに対して言い放つ。これは特別研究だ、本当は来学期から始めるべきものだが、早く始めたほうがいい――
 翌日から、デューイの“授業”が本格的に始まった。それぞれに素質のありそうな生徒に楽器を持たせ、他の子供達には衣装やライティングなどの裏方仕事を割り当てる。クラシックや最近のヒップホップの類しか知らない生徒にロック史やロックの理論、何よりロックの精神を教え込む。
 最初こそ疑問符だらけでS先生=デューイの言うなりになっていた生徒たちだったが、次第に自分たちの適材適所に辿り着くと、それぞれに楽しみを見出していく。当初グルーピーを命じられた学級委員のサマー(ミランダ・コスグローヴ)はマネージャーに転身して音楽のマーケティング理論に意欲を見せ、引っ込み思案な性格から裏方に回っていたトミカ(マリアム・ハッサン)は歌唱力をデューイに披露してコーラスに採用された。リズム担当のケイティ(レベッカ・ブラウン)とフレディ(ケヴィン・クラーク)はロック議論を戦わせるまでになり、リードギターのザック(ジョーイ・ゲイドスJr.)は作曲の才能に目醒める。怠惰だったデューイも、彼の指導要領に疑問を抱き始めたロザリー校長らの追求を巧みにかわしつつ、いつしか子供達に触発されるように、生徒たちとのバンド“スクール・オブ・ロック”にのめり込んでいく……

[感想]
 作中繰り返しジャック・ブラック(自称JB)演じるデューイが発言するように、ロックの根本は反骨精神にある。体制や束縛に対する反感や怒りを表現して何らかの変革を起こそうとする意志が、ロックという音楽に説得力を齎すわけだ。だから、本来制度の内側にある学校という場でロックを教える、という行為は本質に反しているし、本作の日本公開に合わせて来日したJBもその矛盾を自ら明言した。
 その矛盾を敢えて形にしてしまったところに、まず本編の特徴がある。本来相容れないものを共存させようとすることから生じる笑いを扱ったコメディであり、それがいつしか解け合っていく不思議を描いたファンタジーなのだ。
 従って、こういう風に身分を偽って学校に潜り込んで教室でロックを教えること自体が現実的に成立不可能だ、とか、子供達がそれぞれあんなに才能に恵まれていて、簡単にあのスタイルに馴染んでいくことがあり得るのか、と追求することにはまったく意味がない。そーなんだからいいじゃん、と割り切って、ありのままを楽しむべきだろう。
 という大前提を受け入れてしまえば、これほど楽しく、しかもロックンロールを堪能できる映画も滅多にない。授業という設定だから、当然のようにロックの蘊蓄も噴出し、随所にロックの歌詞や有名なモチーフを応用したギャグも鏤められている。わたし自身はさほど知識があるほうではないが、それでもところどころニヤリとさせられる描写があるし、そもそも何も知らなくてもジャック・ブラックのそれ自体破壊的なキャラクター性で存分に笑わせてくれる。
 一方で本編は、実に正統的なコメディの形も整えている。最初こそ戸惑っていた生徒たちがいつのまにやらデューイを驚かせるほどのロック少年少女に変化していくさまは、いわゆる青春ものの路線を辿りつつ笑わせてくれる。基本的に悪人はおらず、いちばんの困った人はむろん主人公デューイなのだが、愛嬌があって憎めないし、何より自分たちが教えているはずの子供達に次第に感化され、それなりに熱意を滾らせていく姿が妙に微笑ましい。
 そのうえ、笑い事でないくらいにこの生徒と偽教師によるバンドが格好いいのだ。あまりに都合よく転がりすぎているきらいの終盤にわざとらしさがないのは、キャラクターを活かした迫力のある演奏と実に決まったステージング、そして物語のテーマを余すことなく語り尽くした楽曲のクオリティに依るところが大きい。少々型に嵌っているのが残念とは思うが、本気で革新的な演奏されても観客は戸惑うだけだし、このくらいにフォーマルで、しかし力強さがあれば充分ではないか。
 監督であるリチャード・リンクレイターは近年、実写にデジタル・ペインティングを施して製作し『2001年宇宙の旅』以来にブッ飛んだ映画と評された『ウェイキング・ライフ』、狭いモーテルに僅か三人の登場人物でサスペンスを醸成した『テープ』など実験的な作品が多かったが、本編では極端な冒険はせず、素直だがリズミカルな演出に徹している。デューイが学校に潜り込むくだりやその後の授業光景――とりわけそれを校長ら学校関係者に知らないための工夫など、まともに描いたら絶対に奇妙に見えるところを、疑問を抱かせる暇もなく綺麗に流してしまい、しかもそれが可笑しいのは、やはり監督の手腕だろう。オープニングのスタッフクレジットの出し方や場面移動の巧さ、そして突如メタ・フィクション風味になるエンディングなど、相変わらず癖のあるところをちらつかせながら、マニアやアート系のファン層以外にもアピールしうる才能を発揮している。
 テネイシャスDとしてロックンローラーの実力も備えたジャック・ブラックにそれぞれ音楽的素養を備えた子供達、もともとブラックの隣人で彼のキャラクターはもとより主義主張にも通暁したマイク・ホワイトの脚本、そして作中登場するロック史の変遷を一望した黒板の記述を自ら手がけるくらいにロック愛好家だったというリンクレイター監督、それぞれに音楽への愛を存分に盛り込みながら、娯楽映画の基礎をきちんと押さえたアツい作品。ロックを扱っているわりには汚い言葉も少なく、暴力もセックスもないからあらゆる世代に受け入れられる力を持っており、よほどのロック嫌いでもない限り安心してお薦めできる。むろん、ロックの知識を備えていればよりディープに楽しめるに違いない。

 ちなみに本編のサントラは、バンド“スクール・オブ・ロック”の演奏はもとより、作中に登場したロックの名曲を網羅し、それ自体が格好の入門書にもなりうる内容で、グラミー賞にもノミネートされた逸品。本編を御覧になって初めてロックに興味を抱いた、という方は、とっかかりとしてサントラも購入してみては如何か。→amazon商品ページ日本盤輸入盤

 作中、デューイの暴走に(無自覚に)ブレーキをかけ続け、実は内心弾けるきっかけが欲しくてたまらない、というやっぱりコメディ向けのキャラクターを演じたジョーン・キューザックという女優、なんか名前がある俳優にやたらと似ている――と思ったら、姉だそうです、ジョン・キューザックの。そういや顔立ちも何となく似てますが……一文字しか違わない(Joan CusackとJohn Cusack)この名前、親御さんがつけたものなんでしょうか……。発音するとけっこう印象が違うので問題は少なかったかも知れませんが、ちょっと、あんまりのよーな。

(2004/04/29・2004/09/16追記)


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