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『light as a feather』トップページに戻るディパーテッド
原題:“The Departed” / 映画『インファナル・アフェア』に基づく / 監督:マーティン・スコセッシ / 脚本:ウィリアム・モナハン / 製作:ブラッド・ピット、ブラッド・グレイ、ジョンニ・ナナーリ、グレアム・キング / 製作総指揮:ロイ・リー、ダグ・デイビソン、G.マック・ブラウン、クリスティン・ホーン / 共同製作、第一助監督:ジョゼフ・リーディ / 撮影監督:マイケル・ボールハウス,A.S.C. / 美術:クリスティ・ジー / 編集:セルマ・スクーンメイカー.A.C.E. / 衣装:サンディ・パウエル / 音楽:ハワード・ショア / 出演:レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソン、マーク・ウォルバーグ、マーティン・シーン、レイ・ウィンストン、ビーラ・ファミーガ、アレック・ボールドウィン、アンソニー・アンダーソン / プランB、イニシャル・エンタテインメント・グループ、ヴァーティゴ・エンタテインメント製作 / 配給:Warner Bros.
2006年アメリカ作品 / 上映時間:2時間32分 / 日本語字幕:栗原とみ子
2007年01月20日日本公開
公式サイト : http://www.departed-movie.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2007/01/27)[粗筋]
コリン・サリヴァン(マット・デイモン)にとっての始まりは幼少時代に遡る。ボストン南部の場末にある商店で、彼はフランク・コステロ(ジャック・ニコルソン)と出逢った。幼いながら既に聡明さを閃かせていた彼にコステロは着目し、自らのノウハウを注ぎ込むと同時に正規の教育を受けさせる。そうしてコリンが門を叩いたのは、警察学校であった――コステロはコリンにエリート警官の道を歩ませ、非常時に情報を横流しする“内通者”に仕立て上げようと目論んだのである。権力への憧れを胸に宿しながら、コリンは着実に階段を上り詰め、エラービー警部(アレック・ボールドウィン)の指揮するS.I.U.――“特別捜査課”に配属される。そこは、ギャングなど大型組織犯罪を専門に捜査する、コリンの目的にとって格好の部署だった。
一方、ビリー・コスティガンにとっての始まりは、警察学校を卒業し、マサチューセッツ州警察S.I.U.の極秘捜査課に属するクイーナン警部(マーティン・シーン)とディグナム巡査部長(マーク・ウォルバーグ)に呼び出されたその日である。一族に犯罪者やアウトローが多く、その家系に対する反発から熱心に学び、警察学校で優秀な成績を収めて刑事となったはずの彼であったが、クイーナン警部たちはまさにその経歴に目をつけた。劣悪な環境にありながら己を磨き、自らの資質を覆い隠すことの出来る演技力を身に付けた彼は、この危険で精神力を強いる任務に、誰よりも相応しいと見込まれたのである。それは、実に5年間に及ぶ、暗黒街への潜入捜査であった。
ビリーが憎悪した自らの“血”は、この任務に大いに役立った。従兄とともに麻薬密売に手を染め、野蛮さを発揮させると、ほどなくその血の気の多さがコステロの目に留まる。奇しくもビリーの父を知っていたコステロは、警察学校を出てすぐに警察を辞めた、という経歴を一瞬だけ訝るが、その“血”と目から鼻に抜ける知性を信頼して、ミスター・フレンチ(レイ・ウィンストン)に次ぐ扱いで自らの傍に置くようになった。
コリンは順調に功績を重ね、部署内での地位を盤石としていく。やがてブラウン(アンソニー・アンダーソン)をはじめとする部下もあてがわれ、いよいよ内通者としての動きを活発化させていく。一方のビリーもまた、コステロの“仕事”に随行することで彼らの信頼を買うようになっていたが、もともと犯罪者一族という自らの血に対する嫌悪感から警官を志したビリーにとって、正義のためと言い訳しながら暴行、恐喝、殺人に手を貸す日々は重圧に他ならなかった。
クイーナン警部らの薦めもあり、ビリーは精神科医のカウンセリングを受けるが、身分を覆い隠して受ける診察もまた彼にとっては拷問に等しかった。苛立ちをぶつけて飛び出していった彼を、だがその精神科医は見捨てることが出来ず、特例で睡眠薬の処方箋を手渡す。その行動に興味を持ったビリーは医師と患者という立場抜きに交流を持ち、いつしかふたりは奇妙な絆を築いていく。
だが、ビリーは知らなかった。その精神科医マドリン(ビーラ・ファミーガ)が、コステロの“ネズミ”としてS.I.U.に潜りこんだコリンの同棲相手であるということに――そうして、対立する組織に潜入したふたりの男は、知らず知らずのうちに運命を交錯させていく……[感想]
本編は、香港にて公開されるやいなや、その魅力的な発想と、それを存分に活かし捻りの利いたプロット、緊迫感ある話運びによって世界中でヒットを飛ばし、前日譚・後日譚によって構成された三部作にまで発展した映画『インファナル・アフェア』に基づいている。リメイク権が争奪戦となったことでも話題となったが、実際にメガフォンを取ったのが巨匠マーティン・スコセッシだったために、現時点でアカデミー賞5部門ノミネートをはじめ、多くの映画賞で受賞・ノミネートの相次ぐ注目作となった。
本家『インファナル・アフェア』は香港の闇社会を題材としているが、本編では当然ながらアメリカ、それもスコセッシ監督と因縁の深いニューヨーク、特にボストンを舞台に変更している。また、オリジナルでは3作で順繰りに綴られていった主人公ふたりの変遷を、本編は第1作を主体としつつ、随所に盛り込むかたちで膨らませているようだ。このあたりの脚色の技は、さすがにハリウッドでも突出した質の高さを誇るスコセッシ監督のスタッフだけあって巧い。オリジナルでは香港映画が伝統的に描く“暗黒街”のモチーフを踏襲しつつ、アイディアを活かしたプロットに仕立てているが、本編ではアイルランド系アメリカ人が抱える人種問題に、警察とFBIの対立といった素材を盛り込んで、より迫真の世界観を築きあげているのだ。スタッフにとってお馴染みのニューヨークという土地に根付いた話に造り替えたことが奏功して、もともとこの作品のために練られたプロットのような趣さえある。
人物を増やしたり、メインふたりの関わりを巧みな伏線によってより密に紡ぎあげているが、基本的なプロットに変更は施していない。その発想を高く評価し敬意を払っているからこその対応であり、その潔さには好感が持てるものの、ためにオリジナルでもあった序盤の混乱をそのまま引き継ぐことにも繋がっている。あまりに多すぎる登場人物が立て続けに姿を現し、ふたりの主人公ビリーとコリンの描写が密に交錯するために、観ている者は双方の人間関係を把握するにもしばしまごつく。優秀なスタッフが集っているので、カメラワークを駆使した整理整頓は行き届いておりオリジナルよりも状況はずっと明確だが、どうせならば更に洗練して欲しかったところである。
ただ、これは厄介な注文であることは、書いている私も自覚している。後半に進むに従って繰り返されるツイスト、どんでん返しはすべて序盤で描きこまれた人間関係やモチーフが齎すものであり、それらを避けてはクライマックスの迫力もあり得ない。寧ろそのあたりをよく噛み砕き消化している点については評価するべきであろう。
話が始まって40分ほど経ち、人物や背景が出揃ったあたりからは俄然、面白くなってくる。コステロの取引の現場を軸にふたりの“内通者”が齎す情報が醸成する混乱と緊張とを描き、それをきっかけに双方の組織が内部に情報漏洩をしている者がいることを自覚、当の“裏切り者”である主人公ふたりが“裏切り者”を捜すよう命じられる、という倒錯した状況が構築されていく。そうして複雑化していく人間関係と、それに翻弄されるビリーとコリンの姿を、性格の違いをはっきりと感じさせるかたちで描き出していく手腕は、さすがに練達の技である。
前述の通り、香港映画の伝統である“暗黒街”描写を前提としたオリジナルにはいい意味で荒唐無稽な部分が多々あり、暴力描写は強烈ながらどこかファンタジックな印象がある。だが本編では、これもハリウッドでは伝統的ながら、より現実に則して構築された人種問題や警察とFBIの軋轢などといった要素で代用し、スコセッシ監督一流のスタイルを導入することで全体が洗練され、生々しい重みを備えることに成功している。ビリーが潜入捜査官に選ばれる理由も、それに添った細かな演じ分けも実践し、また“内通者”コリンの瀬戸際の情報伝達とそこから生じる頭脳戦の模様もインパクトを増した。
オリジナルを踏襲しながら、微妙に異なる悲劇的結末も、オリジナルはむろんのこと従来のハリウッド映画と異なる無常感を湛えて余韻は深い。もう少し纏まりが欲しかった、という厭味は消えねど、リメイク作品であっても変わらぬ貫禄をスコセッシ監督が示した、上質のサスペンスに仕上がっている。
ただ、どうしても言っておきたいことがある――主役級の配役は、もう少し吟味して欲しかった。ディカプリオもデイモンも演技力に問題はなく、アカデミー賞助演男優賞候補にも挙がったマーク・ウォルバーグなど言うこともないが、しかし写真を並べてご覧頂ければ解る通り――全員、猿系統の顔立ちである。一瞬観たときの印象が近しいため、油断すると混乱し、クライマックスにおいて伏し目加減で行動している場面では、どちらなのか解らなくなってしまった。(2007/01/27)