/ 『エレクトラ』
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『light as a feather』トップページに戻るエレクトラ
原題:“Elektra” / 監督:ロブ・ボウマン / 脚本:ザック・ペン、スチュワート・ジカーマン、レイヴン・メツナー / 製作:アーノン・ミルチャン、ゲイリー・フォスター、アヴィ・アラド / 製作総指揮:スタン・リー、マーク・スティーヴン・ジョンソン、ブレンド・オコナー / 共同製作:ケヴィン・フィージ、ジョシュ・マクレグレン / 撮影:ビル・ロー,A.S.C. / 美術:グレイム・マレー / 編集:ケヴィン・スティット,A.C.E. / 衣装:リザ・トメクゼスジンン / 音楽:クリストフ・ベック / 音楽監修:デイヴ・ジョーダン / 出演:ジェニファー・ガーナー、テレンス・スタンプ、キルステン・プラウト、ゴラン・ヴィシュニック、ケリー=ヒロユキ・タガワ、ウィル・ユン・リー、クリス・アッカーマン、エドソン・T・リベイロ、ナターシャ・マルテ、ボブ・サップ / ニュー・リージェンシー&ホースショー・ベイ製作 / 配給:20世紀フォックス
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:栗原とみ子
2005年06月04日日本公開
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/elektra/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/06/16)[粗筋]
――彼女は死んでいなかった。闇の世界に身を投じ、過去の記憶から来る不安に苛まれながら、生き長らえていた。
彼女の名はエレクトラ(ジェニファー・ガーナー)。海運王の娘として、自分の身を守るために武術を叩き込まれて育ったが、とある事件に巻き込まれて(映画『デアデビル』参照)命を失った、はずだった。だが彼女は間もなく武術集団“キマグレ”の師範ステック(テレンス・スタンプ)の力によって蘇生し、彼によってより高度な戦闘術を授けられた。だが、かつての暗い過去のために暴力と死とに突っ走りがちだったエレクトラは破門され、暗殺者として生計を立てるようになる。美しい肢体を深紅の衣裳に包んだ暗殺者の名は、瞬く間に闇の世界に轟いていった……
そんな彼女のもとにエージェントが新たに齎した依頼は、いささか奇妙なものだった。孤島のリゾート地に予定の二日前から滞在し、次の指示を待つこと。訝しがりながらも、エージェントであるマッケイブに「少しは休養を取れ」と諄く言われていたこともあって指示に従うエレクトラだったが、相変わらず眠りに入れば過去の記憶が甦って彼女の神経を磨り減らしていく。
短い生活のあいだに、エレクトラはマーク(ゴラン・ヴィシュニック)とアビー(キルステン・プラウト)の父子と知遇を得た。跳ねっ返りなアビーがエレクトラの借りているロッジに侵入、窘められたのに何故かエレクトラを気に入った様子で、折しもクリスマスの夜だったのをいいことに彼女を食卓に誘ったのだ。困惑しながらも承諾したエレクトラは、アビーの極端な言動に辟易しながらも、父と娘の境遇にシンパシーを感じる。彼女もまた幼い頃に母を喪い、父ひとり娘ひとりで育ったから。
翌日、エレクトラに齎された指令は、そのマークとアビーを殺せ、というものだった。いちどはふたりに武器の照準を合わせるエレクトラ――だが、出来なかった。マッケイブにふたりを狙う理由を探らせる一方で、彼女はふたたびマークに接触、早くも迫りつつあった新たな討っ手から父子を守り抜く。
ふたりに差し向けられた新たな刺客は、“キマグレ”と対立する組織“ザ・ハンド”。総帥ローシ(ケリー=ヒロユキ・タガワ)を筆頭に、忍者の系譜を踏み無数の暗殺者を養成する組織である。今回の計画を組織の存亡に関わるものと判断したローシは、息子にして最も残忍な戦闘員を擁するキリギ(ウィル・ユン・リー)――キリギもまた、相手方に伝説の美しき暗殺者がついたことを知り、密かに闘志を燃やしつつあった。
果たして何故父子は狙われたのか。そして彼らの何がエレクトラの心を揺り動かしているのか――疑問に苛まれながらも、エレクトラは襲い来る刺客達と対峙する。[感想]
粗筋にも書いたように、本編の物語の端緒は映画『デアデビル』のなかにある。主人公であるマット・マードックと心を寄せ合ったエレクトラだが、クライマックスで刺客により殺害される。だがその彼女が実はとある組織の尽力によって一命を取り留め、数奇な運命から暗殺者に身を窶していた――という具合に発展させ、エレクトラというキャラクターに本格的なスポットライトを当てた。原作であるコミック版でも似たような過程で独立した経緯があるようで、あちらでは彼女がかなり愛されているキャラクターであることが窺われる。
が、正直、作品としてはあまり成功していない。まず、『デアデビル』の監督マーク・スティーヴン・ジョンソンも製作総指揮のひとりとしてスタッフに名前を連ねており、設定的にも連携しているはずなのに、本編の世界観は『デアデビル』のそれと食い違っているのがいけない。『デアデビル』の主人公は化学廃棄物を浴びたことで視力を失うが、同時に優れた聴覚を得て音の反響によって周囲の状態を把握出来るようになった。そのことをきっかけに戦闘術を学び、闇の戦士に変貌していくのだが、基本的に主人公自身を含め、戦闘そのものには特殊能力を用いない、という一線が引かれていた。それ故にアクションシーンに一種のストイシズムを漂わせることに成功し、決してよく出来ているとは言いがたいプロットにも拘わらず作品としては一定のカタルシスを齎しているのだが、本編ではほぼのっけからその原則を破壊してしまっている――エレクトラ自身は、瞑想による予知を身につけた程度で、相変わらず戦闘の面では自らの肉体にのみ依拠しているのだが、敵キャラの設定が完全にぶち壊しにしている。接触した相手の生気を奪う、というキャラクターが特に如実であるが、敵キャラの設定は同じアメコミでも『X−MEN』寄りのイメージだ。
世界観を破壊している、といっても『デアデビル』から踏襲しているものはエレクトラのキャラクターひとつなので、作品としての構成がしっかりしており、面白ければ一向に構わなかったのだが、出来そのものも甚だ微妙である。特に、そうして世界観を覆してまで登場させた敵キャラクターがほとんど活きていないのが致命的だろう。たとえば、キンコウ、というキャラクターが敵方にいるが、どうやらこれは“均衡”の字を当てたいらしいと見え、プログラムには「人間には不可能なバランス感覚を備えている」と記されている。が、その特徴的な設定が彼の出演シーンにはほとんど役だっておらず、これといった印象も残さないままに退場してしまう。
その点で更に悲惨なのはボブ・サップ演じたストーンである。ナイフも散弾銃も受け付けない強固な肉体の持ち主、という設定なのに、驚くほど呆気ない方法で倒されてしまう。あの状況から察するに、恐らく弱点が設定されていたのだろうが、そういうことに考えが及ぶよりも前に強制退去させられているような雰囲気だ。あの巨体に独特の笑い声で、ほとんど台詞がないにも拘わらず存在感を発揮していただけに、もっと設定を活かした見せ場を与えても良かったのではなかろうか。
最強の敵キャラとして設定されていたはずなのにほとんど気を吐く暇もなかったキリギ、雰囲気だけたっぷり醸しだしておきながら結局“いた”だけだったローシまで含め“ザ・ハンド”側の主要キャラ七名は、数を減らし役割を統合させればそれぞれにもっと見せ場を与えられたはずだし、“無駄死に”の汚名を着ずに済んだはずだ。アメコミの美点であると同時に悪弊でもある、脇役であっても設定は細かく作る、という傾向が本編では完璧に悪い印象を齎している。
本編で評価出来るのは、エレクトラというキャラクターを膨らますためのエピソードはきっちり作っていること、そのために創出されたと思しいスタックを演じたテレンス・スタンプの存在感の素晴らしさ、またエレクトラを演じたジェニファー・ガーナーの肉体美そのものはしっかり描ききった、この三点ぐらいだ。しかも、しっかりエピソードを作ったはいいが、それを活かすべき事件の背景などがしごく粗雑で歪になっているために、エレクトラの心の動きやアビーに対する共鳴を観客に納得させるところまで突き詰められなかったのがまた拙い。
散々貶してきたが、ではどうしようもなく観られない作品なのか、と問われると――これはこれで楽しい、と言ってしまう私もここにいたりする。映画としてはガタガタもいいところだが、しかしそのガタガタぶりをツッコんでいくのが非常に愉快なのである。とりわけ、“キマグレ”にしても“ザ・ハンド”にしても日本の武術や忍術を背景に構成されている、という設定なのだが、ハリウッドのお約束どおりその理解が中途半端で無茶苦茶なので、日本人の眼で見ると思わぬところで笑いを誘われるのだ。キリギは首に“反抗”なんて入れ墨を彫っているし(しかも“抗”の字が“坑”に見える)、“ザ・ハンド”のアジトは高層ビルの屋上にわざわざ和風の家を建てていて本当に秘密組織なのか疑わしいくらいに悪目立ちしている。だいたいあの建物の造りは何の様式だ。武家とか忍者の隠れ家というより農家だぞ。一方エレクトラがかつて属していた組織“キマグレ”のほうも、隠れ里としているらしい集落にある建物の意匠は日本風なのに土足で上がれる作りになっているし、寝ているのはベッドだ。よく見ると、エレクトラの愛用する武器であるサイには“死”なんて文字まで彫ってある。だいたい、未来予知さえ可能にする悟りの境地が“キマグレ”なんて名前で呼ばれていること自体無茶苦茶である。しまいにはエレクトラが刺客と会話する場面ではどうしようもなくカタコトすぎて一瞬聴き取れない日本語が聞けたりする。仮に日本文化に親しみがない観客であっても、その珍妙さに失笑すること請け合いだ。
とまあ、話の不格好さを忘れるくらい無数に存在するツッコミどころが実に楽しいのである。また、本筋であるエレクトラの心理描写は、ところどころ解釈の雑さを認めるものの概ね説得力があって、可笑しいなかにも胸を打たれる場面が少なくなかった。
アクション映画であっても物語としてのダイナミズムや端正な結構を求める向きは間違いなく腹を立てそっぽを向く類の作品だが、寛容になって鑑賞すれば色々と楽しさの見いだせる作品である。……まあ、C級もいいところではあるけれど。(2005/06/17)