cinema / 『エンパイア・オブ・ザ・ウルフ』

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エンパイア・オブ・ザ・ウルフ
原題:“L'Empire des Loups” / 原作:ジャン=クリストフ・グランジェ『狼の帝国』(創元推理文庫・刊) / 監督:クリス・ナオン / 脚色・台詞:ジャン=クリストフ・グランジェ、クリス・ナオン、クリスチャン・クラヴィエ、フランク・オリヴィエ / 製作:パトリス・ルドゥー / 製作総指揮:ジェローム・シャルー / 撮影監督:ミシェル・アブラモヴィッツ / プロダクション・デザイナー:ギィー=クロード・フランソワ / 編集:マルコ・キャヴェ / 衣装:オリヴィエ・ベラオ / 音楽:ダン・レヴィ、サミュエル・ナルボニ、ルカ・ドゥ・メディチ / 出演:ジャン・レノ、アーリー・ジョヴァー、ジョスラン・キヴラン、ローラ・モランテ、フィリップ・バス、ダヴィド・カメノス、ディディエ・ソヴグラン、パトリック・フロエルシャム、エチエンヌ・シコ / 配給:GAGA Communications
2005年フランス作品 / 上映時間:2時間8分 / 日本語字幕:寺尾次郎
2005年12月10日日本公開
公式サイト : http://www.eow.jp/
丸の内TOEI2にて初見(2005/12/10)

[粗筋]
 ――アンナ(アーリー・ジョヴァー)は苦しんでいた。警察官僚である夫ローラン(フィリップ・バス)と幸せな結婚生活を送っていたはずなのに、ふと気づくと夫の顔が見知らぬ他人に見えてしまう。夫の友人の顔がどろどろに崩れて見えてしまう。ローランの友人である脳神経科医アケルマン(ディディエ・ソヴグラン)の診断を受けたが、脳の組織の生体検査をする必要がある、と言われては安易に飲めなかった。そうこうしているあいだにもアンナの症状は悪化の一途を辿り、結婚前にしたはずの約束さえ思い出せなくなっていた……
 同じころ、パリ市内で異様な殺人事件が立て続けに発生していた。トルコ人街でひと月おきに発見される犠牲者はいずれも女性、三十時間近く拷問を受け死亡したのちに鼻や唇を削ぎ落とされている。身体的特徴からトルコからの不法入国者で、数に数えられない労働者としてパリの地下に潜伏していた女性と見られた。事件を担当するポール・ネルトー(ジョスラン・キヴラン)は正規の捜査手順では限界があると感じ、逡巡の挙句、ある人物に協力を求める。
 その人物とは、パリで長年にわたって警視庁に奉職、多数の勲功を上げる一方で、裏事情に精通しているがゆえの汚れた収入も多いと噂されることから“裏金”などという仇名まで受け、殺人すら躊躇わないといわれるダーティな捜査手法のために遂に嫌疑をかけられ、告訴こそ免れたものの現在はもと警察職員を対象とした療養所に幽閉同然で収容されているもと刑事、ジャン=ルイ・シフェール(ジャン・レノ)である。会った早々から、若い自分を侮る言動を繰り返すシフェールにポールは苛立たされるが、彼の捜査の手腕とトルコ人街へのコネクションは確かなものであっただけに、今更依頼を撤回することもできずに、シフェールの促すままに行動する。
 アンナは生検に対する嫌悪感と、どうしても拭いきれない夫とその友人たちへの不信感から、電話帳でランダムに捜し求めた精神科医マチルド・ウィルクロー(ローラ・モランテ)を訪ねて相談する。マチルドはふりでやって来たアンナに親身に対応し、生検をどうにか引き延ばすよう提案した。しかし間もなく、アンナは恐るべき事実に気づいて、夫の元から逃亡することとなる――

[感想]
 まったく話が先に進んでいないところで粗筋を断ち切ってしまったが、序盤であり、まだ振りの段階であるとはいえ、この辺もひとつのサプライズとなっているので、やはり実地で御覧いただきたい。ミステリアスな筋はここから急激に留まるところを知らないサスペンスへと変容していく。
 序盤の不可解な空気をより盛り上げているのが、降りしきる雨を象徴するかのような青みがかった映像である。カメラに水滴の反射を残し、雨水のしたたる窓ガラス越しに登場人物を捉え、僅かな所作にあわせて飛沫が舞う。アンナを追うカメラに頻繁に混入するフラッシュバックや、シフェールの剣呑極まる行動とも相俟って、緊迫感を高めている。
 次第に様々な事実が明らかとなっていくが、しかしアンナの記憶障害の背景や、シフェールの行動理念が明らかにならないために、物語はどんどん混迷の度を深めていく。果たして誰と誰が味方で誰が敵なのか判然とせず、見ている側も戸惑いを禁じ得ない。しかしそれでいて目が逸らせないのは、その勢いが強烈であることと、事件を追う純然たる第三者として、ポール・ネルトー刑事という人物をきちんと用意していることだ。アンナのほうに関しては、彼女の動揺、混乱、悲嘆がそのまま観客の感情移入を誘うが、そもそもの客観的評価が善悪どちらとも定まらず、痛快とも残虐とも言える行動の多いシフェールについては、どう捉えていいか解らなくなる。だが、その彼を描くためにポールの存在を仲介することで、アンナのパートと同様の感覚を観る側に齎すことに成功している。
 だがしかし、如何せん情報量が多すぎる。物語は終盤、大混乱の末にきちんと決着を見るのだが、事実関係を完璧に把握して劇場を立ち去ることができる人は少ないだろう。とりわけシフェールの立ち位置は、観終わったあとでも判断は難しい。あの段階でのあの行動の真意は何だったのか、あれはそれはいったい、と疑問が幾つも思い浮かぶだろう。ごく冷静に検討していけば大きな矛盾はなく説明がつくと解るのだが、いちど観た瞬間に把握するのはまず無理だ。
 が、実のところ観ているときにそんな疑問に気を取られっぱなしの人は珍しいほうだろう。物語は終盤に至って、誰が敵か誰が味方か解らぬまま、入り乱れての駆け引きやアクションが連続する。映画らしいダイナミズムに満ちあふれた展開と映像とに圧倒され、あれよあれよという間に物語はクライマックスを迎える。ある人物の「一件落着だ」というひと言で至極さっぱりと締めくくられるラストには、疑問を抱くよりも「あ、本当に一件落着だ」と感じさせられてしまうだろう――そのあとで何度も首を傾げるかも知れないが。ただ、恐らく何度か繰り返して鑑賞するうちに、感じていた疑問も解消されていくだろう。そのくらい、プロットには練り込んだ痕跡が認められる。
 歴史的事実に基づく背景は別としても、その大仕掛けを支える発想はかなりとんでもない代物であるし、全体を貫く真意が掴みにくいのは謎解きとしてやはり問題だろう。しかし、ポリシーを感じさせる映像と作り込まれたプロット、壮大な背景に怒濤のクライマックスと、その徹底した娯楽志向にはただただ感心させられるし、二度三度と鑑賞しても楽しめるはずだ。『クリムゾン・リバー』『ジェヴォーダンの獣』あたりを契機にフランスに根付いていった娯楽大作における、白眉のひとつだと思う。翻って、『クリムゾン・リバー』がどうしても肌に合わなかった、という方は予め避けて通るのが無難かも知れないが。

(2005/12/11)


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