cinema / 『愛の神、エロス』

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愛の神、エロス
☆三作共通クレジット
原題:“eros” / 製作:ラファエル・ベルドゥゴ、ステファーヌ・チャルガディエフ、ジャック・バール / タイトル絵画:ロレンツォ・マットッティ / タイトル音楽:カエターノ・ヴェローゾ / 配給:東芝エンタテインメント
2004年フランス・イタリア・ルクセンブルグ・アメリカ・中国合作 / 上映時間:1時間49分 / 日本語字幕:古田由紀子
2005年04月16日日本公開
公式サイト : http://www.ainokami-eros.com/
シネスイッチ銀座にて初見(2005/04/26)

1, 若き仕立屋の恋
原題:“The Hand” / 監督・脚本・製作:ウォン・カーウァイ / 製作総指揮:チャン・イー・チェン / 製作:ジャッキー・パン / 撮影監督:クリストファー・ドイル / 美術監督・衣装・編集:ウィリアム・チョン / 出演:コン・リー、チャン・チェン
 仕立屋見習いだったチャン(チャン・チェン)は親方の命で高級娼婦ホア(コン・リー)のもとに使わされる。来客中と言われ、隣室で待たされていたチャンは、壁越しに聞こえる房事の響きに感情を昂らせる。やがて彼を通したホアは、一目でチャンの欲望を見抜き、からかうようにその手だけでチャンを慰める。以来、彼女を受け持つことになったチャンは、一人の美しい娼婦が朽ちていく過程をつぶさに目の当たりにすることになる……
 同監督の代表作『花様年華』と長篇最新作『2046』のあいだに挟まれるエピソード、と捉えることも出来るようだが、単体でテーマもストーリーもスッキリと纏まっているので、ほかの作品を知らなくても問題はあるまい(かくいう私も『花様年華』は未見)。
 具体的な交渉は初対面のときのみ、それも手であしらわれただけという経験が、その後いっさい直接の性的行為に及ばないが故に官能を深める。彼女のために仕立て直している途中のドレスの裾から手を差し入れて苦しげに背中を折ったり、隣室で待たされながらパトロンと激しい諍いを起こす女の様子に表情を硬くしたりしている仕立屋の姿が痛々しい。
 最後、何もかも失った女との最後の会話と、直後に描かれるエピローグの余韻も深い。初っぱなから文学的芳香の漂う良作である。

2, ペンローズの悩み
原題:“Equilibrium” / 監督・脚本:スティーヴン・ソダーバーグ / 製作:グレゴリー・ジェイコブス / 撮影:ピーター・アンドリュース / 出演:ロバート・ダウニーJr.、アラン・アーキン、エル・キーツ
 目覚まし時計の企画設計をしているペンローズ氏(ロバート・ダウニーJr.)はちかごろ、妙な夢に悩まされている。最初目の前にいるのは見知らぬ女(エル・キーツ)。やがて女は全裸のまま浴室へと赴き、浴槽に湯をため躰を洗う。それから服を着、ペンローズに対して、鳴り続ける電話に出ないように警告する。だが、それでもペンローズ氏が電話を取ると、途端に目が醒める。毎晩のように見るその夢の話をうっかりと妻にしてしまったせいで、そうでなくても仕事がうまく行っていないというのに、家庭までがギクシャクしている。仕方なしに、わざわざ精神分析医パール氏(アラン・アーキン)のもとを訪ね、いまひとつ信用していないカウンセリングなるものを受けることにしたのだが……
 実にソダーバーグらしい作品である。距離と障害物を巧みに扱うカメラワークもさることながら、出世作『セックスと嘘とビデオテープ』を彷彿とさせる企みに満ちた会話のやり取り、画面の背景に展開される滑稽な行動の数々が目を惹く。
“性”テーマの共作だと言っているのに、それらしい描写が殆どないのも特徴的である。他のふたりがストレートでやるのが解っていたから、と弁解しているが、仮にそうでなかったとしてもこの程度の捻りは実行していたに違いない。直接描写はなくとも、大部分を占めるカウンセリングの性質上、会話には随所に性的な内容が鏤められているし、よくよく眺めると象徴的なものをあちこちに埋め込んでいることに気づく。
 そして短篇にも拘わらず、だからこそ可能な仕掛けを施しているあたりも非常にこの監督らしい。メジャー系に進出してもなおインディペンデント魂に満ちた作品を繰り出し続ける彼ならではの作品だろう。

3,危険な道筋
原題:“The Dangerous Thread of Things” / 監督・原案:ミケランジェロ・アントニオーニ / 脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ、トニーノ・グエッラ / 製作:ドメニコ・プロカッチ、ラファエル・ベルドゥゴ、ステファーヌ・チャルガディエフ、ジャック・バール / 製作総指揮:ダニエル・ロゼンクランツ / 出演:クリストファー・ブッフホルツ、レジーナ・ネムニ、ルイザ・ラニエリ
 別荘で寛いでいたのはクリストファー(クリストファー・ブッフホルツ)とクロエ(レジーナ・ネムニ)の夫妻。だがこのふたり、ちかごろしっくりいっておらず、口をきけばすぐに喧嘩になる。帰途、近くにいながら気づかなかった美しい光景に胸を打たれたりしながらも、結局話がこじれた挙句、別々の道を辿る。クリストファーは海岸そばに建つ塔を何気なく訪れると、そこにひとりで暮らしている謎の女(ルイザ・ラニエリ)と関係を持つのだった……
 この粗筋で意味が解るでしょうか。私には解りません。そもそもこの夫婦はいったい何処で何をしていて、何処へ向かう途中だったのか。妻のクロエが全裸で庭に寛いでいる姿から映画は始まり、やがて奥の家屋から現れた夫と口喧嘩を始める。夫の運転する車に乗って出かけていくが、何を思ったか車はある程度進んだところでバックを始め、途中の分岐から別の道に向かう。やがて発見した川の源流らしき場所で、全裸で戯れている女性ふたりを遠目に眺めながら「こんな場所は知らなかった」と呟く。それから海岸に移動すると、ふたたび険悪な一幕が演じられ……
 そんな具合で、シチュエーションは乱れていないものの、これといった具体的な筋のないまま展開していき、美しくも象徴的な場面で幕を下ろす。まともに内容について考察しようとすると困惑が増すだけだ。夫婦はそもそもどんな理由で諍いを起こしているのか? 海岸のレストランにおける妻の行動の意味はなんだったのか? あの塔に住む女性はいったい何者なのか? そしてあまりにも謎めいたラストシーンが暗示するものとは何だったのか?
 本編は、そうして提示された様々な象徴によって観客のイメージを喚起することのみに捧げられている、という気がする。無理に答を設定する必要はなく、同じ作品を観た人々と語り合って共通のものを探り出すとか、或いは解釈することを捨てて、象徴が齎す余韻に浸るだけでもいいのだろう。深く考察するもよし、ただ感じているだけでも構わない、まさに映画でしか語れない世界である。

[総評]
 オムニバス映画ほど贅沢なものはない、と思う。こと、海外から日本に渡ってくるものについては、大半名匠・巨匠・鬼才と呼ばれるクリエイターたちが競演したものが多いだけに、なまじの映画一本観るよりも多くのものを与えてくれる。
 時間も尺も予算も限られているだけに、基本的にそれぞれのクリエイターにとって最高傑作となることはまずない。本編にしてからがそうで、いずれも個性の際立った監督が手がけているだけに彼らの体臭とでもいうべきものが濃密に感じられはするものの、いずれも若干の物足りなさは否めない。こと、性愛をテーマに据えながら、存外穏当な描写が多いのも評価の割れるところだろう。全篇通していちばん衝撃的なのが筆頭のウォン・カーウァイ監督作品、それも冒頭の一場面なのだから、通しての官能度は推して知るべきだ。
 だが、様々な点で限られているからこそ、それぞれの作家の美醜共に浮き彫りにされる点こそオムニバスのいいところでもある。そういう意味では実に理想的な構成を成し遂げた本編は、確実に入場料以上の満足度を得られる佳作といっていいと思う。それぞれの監督と自分との相性を測る試金石代わりに鑑賞してみるのもまた一興ではなかろうか。

(2005/04/27)


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