cinema / 『ファム・ファタール』

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ファム・ファタール
原題:“Femme Fatale” / 監督・脚本:ブライアン・デ・パルマ / 製作:タラク・デン・アマール、マリナ・ゲフター / 編集:ビル・パンコウ / 撮影:テリー・アルボガスト / 美術:アン・プリチャード / 衣装:オリヴィエ・ペリオ / 音楽:坂本龍一 / 出演:レベッカ・ローミン=ステイモス、アントニオ・バンデラス、ピーター・コヨーテ、エリック・エブアニー、エドゥアルド・モントート、リエ・ラスムッセン / 配給:日本ヘラルド
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間55分 / 日本版字幕:古田由紀子(うろ覚え)
2003年08月23日日本公開
公式サイト : http://www.ffmovie.jp/
日比谷映画にて初見(2003/09/19)

[粗筋]
 カンヌ映画祭の会場。例年のように各国の著名人が集うなかで、ひときわ注目を集めるものがあった。スイスの老舗ブランド“ショパール”がデザイン・制作した“蛇のビスチェ”と、それを纏うモデル・ヴェロニカ(リエ・ラスムッセン)である。ロール(レベッカ・ローミン=ステイモス)はプレスの女性カメラマンを装ってヴェロニカに接近し、トイレに誘い出すと個室で抱きあった。レズビアンのヴェロニカが情事に気を取られている隙に、ロールの仲間のブラック・タイ(エリック・エブアニー)が偽物とすり替え、もう一人の仲間ラシーン(エドゥアルド・モントート)が会場全体の照明を落として、その間に脱出する、という計画だった。だが、予期していたよりも早くヴェロニカのボディガードが様子を見に来たことに動転したブラック・タイは銃を使ってしまう。銃撃戦で重傷を負ったブラック・タイは更にヴェロニカにも銃口を向けるが、ロールはそれを止めて、ヴェロニカを逃がした。ブラック・タイはロールが自分たちを裏切ったことを悟るが時すでに遅く、ロールは混乱に乗じて会場を脱出したあとだった……
 逃走の手段を失っていたロールは身分証を偽造するために、ホテルである人物に接触したところでラシーンに見つかってしまい、吹き抜けから突き落とされる。目醒めたとき、ロールは見知らぬ部屋に運び込まれていた。自分をそこへ運び込んだ男女は、どうやらロールをリリー(レベッカ・ローミン=ステイモス二役)という、夫と子供を亡くしたばかりの女性と勘違いしたらしい。部屋の中でリリーが用意したパスポートと旅券を見つけ、更にパスポートを紛失したことで生きる意味を見失ったリリーが自殺したのを見届けると、ロールは完璧に彼女になりすまして、フランスからアメリカへと渡った。
 それから七年後。パパラッチから風景写真家に転身したもののの、満足な稼ぎを得られないで暇を持て余しているニコラス・バルド(アントニオ・バンデラス)のもとに、友人から仕事の依頼が入る。新たに赴任したアメリカ大使のブルース・ワッツ(ピーター・コヨーテ)には美貌の妻がいるという話だが、いちども人々の前に姿を見せたことがない。近頃ようやくフランスにやって来た彼女の写真を撮ってくれれば、莫大な報酬を約束する、というものだった。盲人を装ったトリッキーな行動によって首尾良く撮影に成功したニコラスだったが、それが原因でとんでもないトラブルに巻きこまれることになる――

[感想]
 本編のヒロイン選考にあたって、監督らがつけていた条件は、“運命の女”の名に相応しい美貌と複数の役柄をこなす演技力、そして決して著名な役者ではないこと、だったそうな。そこで登場したのが、『X−MEN』シリーズのカメレオン女ミスティークを演じて強烈な存在感を放ちながらも顔だけがよく解らないレベッカ・ローミン=ステイモスだったのが象徴的といおうか何と言おうか。
 予告編の印象から、宝石を鏤めたビスチェの強奪計画を巡るサスペンスかと早合点していたが、ちょっと違う。むしろ題名の“ファム・ファタール”=運命の女、によりそぐわしい内容だった。終盤の興を殺ぎかねないので細かく述べることは出来ないが、要するに降りかかってくる様々な出来事にどう立ち向かっていくか、という点に主眼を置いたサスペンスである。計画性よりはその場その場でのやり取りの鋭さと緊張感がメインであり、例えば『スコア』あたりの雰囲気を期待するとかなり違った印象を受けるが、これはこれでなかなか面白い。
 ――が、1時間35分ぐらいで突然谷間が来る。スクリーンに向かって激しくツッコミたくなるような展開なのだが、しかしまだ物語は終わらず、むしろこの先こそ本編最大の挑戦なのだろう。あまりにも極端な手口なので、確実に賛否は分かれるだろうが、このあとのために張られた伏線が非常に多くそれまでの中途半端な印象も払拭するぐらい鮮烈なラストは、とりあえずいちどくらい観ておく価値はある――と思う。少なくとも、『ミッション・トゥ・マーズ』のように腰砕けにはなっていない。
 登場人物たちがしのぎを削っている舞台はけっこう限定されているのだが、そう感じさせないのは膨らみのあるシナリオと、ロングショットや画面分割を随所に取り入れたスタイリッシュかつ企みに満ちた画面演出によるものだ。基本は大ネタひとつなのだが、それを二時間近く繋いでいく手管は監督の巧さを感じさせる。ラストで集約していく幾つかの要素を、捻りの利いたカメラワークのなかにこっそりと隠しておくあたり、近年登場したポスト・ヒッチコックを標榜する若い演出家には真似の出来ない洒脱さがある。
 展開が展開なだけに好き嫌いが分かれると予想がつき、迂闊にお薦めは出来ないが、それを試すために観てみるのも悪くはない――と言っても、これを書いている時点でロードショーは終了しているのだが。
 ちなみに個人的には、レベッカ・ローミン=ステイモスの七変化ぶりも印象的だったが、それ以上にある場面でのアントニオ・バンデラスのオカマっぽい喋り方がヒットでした。

(2003/09/21)


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