/ 『フライト・オブ・フェニックス』
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『light as a feather』トップページに戻るフライト・オブ・フェニックス
原題:“Flight of the Phoenix” / 監督:ジョン・ムーア / 脚本:スコット・フランク、エドワード・バーンズ / 製作総指揮:リック・キドニー / 製作:ジョン・デイヴィス、ウィリアム・アルドリッチ、ウィック・ゴッドフリー / 原作:エルストン・トレヴァー / オリジナル脚本:ルーカス・ヘラー / 撮影監督:ブレンダン・ガルヴィン / 美術:パトリック・ラム / 編集:ドン・ジマーマン,A.C.E. / 作曲:マルコ・ベルトラミ / 出演:デニス・クエイド、ジョヴァンニ・リビシ、タイリース・ギブソン、ミランダ・オットー、ヒュー・ローリー、トニー・カラン、スコット・マイケル・キャンベル / 配給:20世紀フォックス
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間55分 / 日本語字幕:林 完治
2005年04月09日日本公開
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/flightofthephoenix/
池袋HUMAXシネマズ4(2)にて初見(2005/04/09)[粗筋]
モンゴルのタンサグ堆積盆地に設置された石油探掘作業場に突如、フランク・タウンズ(デニス・クエイド)が機長を務める輸送機が降り立った。タウンズと副操縦士のAJ(タイリース・ギブソン)の役割は、閉鎖の決定された採掘所に乗り込み、物資と人員とを強制的に送還すること。寝耳に水の閉鎖に採掘現場の主任ケリー(ミランダ・オットー)らは激昂するが、本社から派遣されてきたイアン(ヒュー・ローリー)やタウンズたちは一切聞く耳を持たず、速やかに撤去作業を進める。一攫千金を夢見てこの地を訪れた“負け犬”たちは再びの敗北に、ある者は失望を顕わにし、また別のある者は虚ろな陽気さに隠して輸送機に乗り込んでいく。
飛び立った輸送機は、だが間もなく災厄に見舞われる。ゴビ砂漠を覆う巨大な砂嵐の渦中に飛び込んでしまったのだ。タウンズは強行突破を試みるが、予測を遥かに上回る規模の砂嵐にエンジンの一機が使用不能になり、砂漠のど真ん中に不時着を余儀なくされる。
途中、吹き飛ばされた機体後部から乗員がひとり転落し、採掘所に駐留していた医師が飛散した機材の直撃を受けて亡くなった。生存者は十一名――無線が壊れ、救いを呼ぶ手だてはない。水と食料はふんだんに蓄えていたので、節約すれば一ヶ月は持ちこたえることが出来る。だが、果たして会社は採算の取れない“負け犬”のために捜索隊を派遣することがあり得るのだろうか……?
マラソンの経験のある乗員が助けを呼びに行くことを提案するが、夏のゴビ砂漠は人間の踏破できるような環境ではない。迂闊に単身飛び出していけば、ふたたび合流できる保証さえなかった。それを証明するように、夜間何気なく機外に用足しに赴いただけの若い乗員が、砂嵐に巻き込まれてそのまま姿を消してしまう。
このままただ黙然と救助隊か、或いは緩慢とした死の訪れ、いずれかを待つしかないという状況下で、本来輸送機の搭乗者リストには存在しなかった男――ある日突然採掘所にふらりと現れ、そのまま居着いてしまったという旅人のエリオット(ジョヴァンニ・リビシ)が、突拍子もない提案をした。このまま助けの訪れを待つよりも、自らの手で脱出する手段を選ぶべきだ。即ち、輸送機の無事な部分と、積載していたジャンクを用いて、新しい飛行機を建造する。設計士である自分がいれば可能だ、とエリオットは言い切る。
為す術もなく死を待つよりは遙かにましだ、と考える乗員たちに、タウンズは真っ向から反対した。飛行機を建造するという大規模な労働に携われば、その分だけ水も食料も消耗が激しくなる。正論に刃向かうことも出来ずその場は引き下がる一同だったが、耐えきれなくなった乗員のひとり・リドル(スコット・マイケル・キャンベル)が徒歩での脱出を試みて行方をくらます。これ以上の犠牲は出したくない、と足跡を辿ろうとするケリーを遮って砂漠を歩き続けたタウンズはやがて、不時着の際に激突し物資を撒き散らした現場でようやく追いつく。一緒に戻れ、と諭すタウンズにリドルは条件を出した――飛行機を作らせてくれ、と。たとえ死期を早めるとしても、何もしないよりは仕事を与えてくれ、と。
リドルと共に不時着した場所へと帰り着いたタウンズは、輸送機を解体して新しい飛行機を作ることを承諾する。にわかに活気づく遭難者たちだったが、タウンズは密かに不安を抱えていた。物資を撒き散らした現場で墜落し死亡した乗員のまわりに転がっていた無数の薬莢は、いったい何を意味するのだろう……?[感想]
本編の監督ジョン・ムーアはもともと実際に戦地を歩いた経験もある撮影助手であり、のちのCM監督としての仕事がきっかけで長篇映画デビュー作である前作『エネミー・ライン』の監督を引き受けることになったのだという。もともとリアリティのある戦闘表現を得手としていたのだろうが、それにしても本編の内容と思い合わせると、苦笑いを禁じ得ない。
どちらも、飛行機が墜ちて話が始まっている。
偶然と言われればそれまでだが、以降の行動がなまじ正反対であるだけに意図的なものを感じずにはいられない。対にすることを念頭に置いていたのか、はたまた純粋に動的な映像表現として“墜落”を芸にする考えが監督にあるとしか思えないのだ。とりあえず、このシークエンスのカット割りを多用した描写が余人の追随を許さぬほどの迫力に満ちている点だけは誰しも異論を抱かないと思う。
演出のスピード感という点では、前作にしても本編にしてもかなりのレベルに達している。ダラダラとしかねない序盤の手を束ねている状況から、飛行機の製造を開始したあたりの熱気、その過程で次第に浮き彫りになってくる価値観の違いと指導権争いなどメンタル面での緊張、そして砂嵐や次第に磨り減っていく物資など物質的な脅威が立ち現れ遭難者たちを苛んでいくさまを実にリズミカルに飽きさせず見せる手腕は、二作目にして完璧に確立されている。
ただ、折角これだけ魅力的な設定を得たにしては踏み込みが浅いのが少々気に掛かる。心理的葛藤をもっと重々しく描き、内部抗争の様子も更に深刻に突き詰めていくことで深みを増し、文芸的な魅力を付加することも可能であったはずだ。
が、恐らくそのあたりは意図的に省いたとも考えられる。あとに蟠りを残さないよう、華として女性を加えながらも妙な恋愛感情を差し挟ませず、また遺恨を残しかねない出来事も排除し、後味も爽快な娯楽作品を志して作ったと思しい痕跡が随所に認められる。実際、普通ならもっと悲劇的な展開を迎えてもおかしくない箇所で、敢えてセーブしているような印象があるのだ。
それを物足りないと思う向きもあるだろうが、しかしここまで徹底していれば立派な信念である。砂漠に不時着した輸送機の無事な部品と、積載された材料とを用いて新たな飛行機を作り死地を脱する――このアイディアと状況から思いつくトラブルを並べ展開させているだけなので先は想像の範疇を超えないが、だからこそ安心して爽快感に浸れる娯楽作品に仕上がっている。これもまた、一種の職人芸だろう。(2005/04/10)