/ 『獄門島』
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『light as a feather』トップページに戻る獄門島
原作:横溝正史 / 監督:市川崑 / 脚本:久里子亭 / 製作:田中収、市川崑 / 企画:角川春樹事務所 / 撮影:長谷川清 / 美術:村木忍 / 音楽:田辺信一 / 編曲指揮:田辺信一 / 演奏:東宝スタジオ・オーケストラ / 出演:石坂浩二、司葉子、大原麗子、草笛光子、東野英治郎、内藤武敏、武田洋和、太地喜和子、浅野ゆう子、中村七枝子、一ノ瀬康子、佐分利信、加藤武、大滝秀治、上條恒彦、松村達雄、小林昭二、ピーター、三木のり平、坂口良子、池田秀一、三谷昇、荻野目慶子 / 配給:東宝
1977年作品 / 上映時間:2時間21分
1977年08月27日公開
DVD最新盤2004年05月28日発売 [amazon:単品|4作品セット]
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて鑑賞(2006/11/25) ※『犬神家の一族』リメイク版公開記念特別上映[粗筋]
終戦間もなく、未だ消息の定かならぬ家族を持つ者が期待と不安に揺れていた昭和21年。私立探偵である金田一耕助(石坂浩二)の姿は瀬戸内海にあった。旧友である雨宮から託されたのは、雨宮が引き揚げ船にて死を看取った鬼頭千万太(武田洋和)の遺書と、千万太がいまわの際に残した言葉の謎を探る仕事であった。
折しも戦時中、軍によって徴集されながら鋳つぶされることなく残った鐘を回収するため本州の港にいた了念和尚(佐分利信)、幸庵医師(松村達雄)、荒木村長(稲葉義男)に巡り逢った金田一が千万太の遺言を伝えると、彼らは顔色を変えた。まさに同じ日、復員した男によって、鬼頭分家の長男・一が戦場を生き延び、間もなく帰還する旨が伝えられたばかりだったのである。金田一は彼らと共に、鬼頭家が網元として君臨し、いまや不穏な気配を帯びる獄門島へと渡った。
改めて鬼頭家に遺言の報告に赴いた金田一を迎えたのは、一の妹・早苗(大原麗子)と、死んだ千万太の妹である月代(浅野ゆう子)、雪枝(中村七枝子)、花子(一ノ瀬康子)の三姉妹。総領である与三松(内藤武敏)は後添えが死んで以来気が触れ、座敷牢に閉じこめられており、家督を継ぐべき千万太の留守を、姪である早苗が切り盛りしている状態だった。
他方、鬼頭家から分かれ、勢力を拡大していた分鬼頭家では、お志保(太地喜和子)が本鬼頭を吸収するべく、どこからともなく連れてきた鵜飼章三(ピーター)という男を使って、本鬼頭の三姉妹を籠絡しようとしている。一が戻ってくる前に三姉妹のいずれかと所帯を持たせれば、正式な跡取りとして名乗りを上げられると息巻いているのだ。
翌日鬼頭家にて、遺体のないまま千万太の葬儀が執り行われた。僅かな係累と島の有力者のみが参列する倹しげな葬儀に、だが兄の死にさほど衝撃を受けた様子もなく、鵜飼を対象にした恋の鞘当てに興じている三姉妹は顔を出しもしない。うちの花子などは完全に行方をくらましていた。さすがに気懸かりだ、ということになり、金田一たちは手分けして花子を捜す。
日が暮れたのち、了念の寺の境内でようやく花子は発見された。足首に巻いた帯で逆さまに吊されるという無惨な姿で、彼女は息絶えていた。
金田一の友人・雨宮がいまわの際にある千万太の口から聞かされた、「自分が戻らなければ、妹たちが殺される」――その言葉が現実のものとなったのである……[感想]
『悪魔の手毬唄』に引き続き鑑賞した本編は、『犬神家の一族』リメイク版公開記念のイベント上映第2弾である。オリジナル『犬神家の一族』から数えて、石坂版金田一の第3作に当たる。
原作の評価は先行する2作よりも高い、というより横溝正史の最高傑作とすら言われるのだが、当然ながら原作の出来が良ければ映画版も良くなる、ということはない。寧ろハードルが高くなるので却って失敗することも多い。『悪魔の手毬唄』は巧みに処理したものの、本編は良質の本格ミステリを映像化する場合にありがちな失策に完全に嵌ってしまったようだ。
本格ミステリは緻密に張り巡らされた伏線を、解決編に至って論理的に解きほぐしていく点にこそ読みどころを置いている。それだけに、伏線の提示が中心となる序盤ではしばしば情報の羅列のみになりがちで、映像にすると退屈する場合が多い。本編は原作に忠実であった序盤で、まさにそうした問題に躓いている。丹念に謎解きのためのヒントやミス・ディレクションを配置しているものの、物語として引っ張っていく要素に乏しいので、よほど積極的に成り行きを解釈しながら観るのでなければ倦む可能性が高い。
何よりもいけないのが、原作とは若干異なる犯人像を作るために盛り込んだ描写が、ことごとく矛盾を来している点だ。趣向はそのままなのに犯人の立ち位置だけ変えてしまったため、犯行が成立する経緯が偶然に頼りすぎている印象を齎し、同時に犯行そのものに秘められたヒントを何箇所か向こうにしてしまっている。原作通りの伏線もちゃんと盛り込まれていたにも拘わらず放置されているので、原作を知っているほどに釈然としない気分を味わわされるのだ。きちんと平仄を合わせて流れを変えていればいいのだが、伏線のほとんどが原作に従っているだけに尚更不格好になっているのだ。
そもそもその犯人像の変更にしてからが、昔から現在に至るまで、優れた探偵小説・推理小説の映像化に際してしばしば行われていた類の改竄であり、映画化を失敗させる最大の要因ともなりうる種類の脚色なのだ。前作『悪魔の手毬唄』であれほど丁寧に脚色を施したのと同じスタッフなのだから、もう少し巧く処理できただろうに、と思うのだが、なまじ原作が謎解きとして優れたアイディアと構築美を誇っていただけに、困難はより大きかったのだろう。
とは言うものの、完璧に確立した石坂浩二による金田一像と、シリーズ特有の雰囲気はきちんと押さえており、ミステリ史上最もおどろおどろしく、同時に美しい殺人現場の描写はおぞましくも美麗に仕上がっている。このあたりはさすがに貫禄と言うべきだろう。動機や行動理念にかなり無理が出てしまっているが、その上に乗せられた感情表現には厚みがあり、終盤での会話やその細かな所作は観ていて沁みるものがある。細部が歪すぎ、しかも終盤にかけて明らかに無駄な描写が増えているので、充分な効果を発揮できなかった厭味もあるが、このあたりの手腕はやはり一級だ。
先行する『悪魔の手毬唄』が優秀な映像化だったので期待してしまうが、それ故に本編はよけい損をしている嫌いがある。日本国内のミステリ・オールタイム・ベストといった企画を実施するとかなりの率で上位に昇ってくる大傑作の映像化としては大いに不満の残る出来だが、市川崑監督・石坂浩二主演の映画“金田一耕助”シリーズの一編としての様式美は整えられており、そのつもりで鑑賞すれば納得はいく。金田一らしい描写に加藤武をはじめとするレギュラー出演陣の活躍ぶりを楽しみたい。(2006/11/25)