/ 『めぐりあう時間たち』
『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻るめぐりあう時間たち
原題:“The Hours” / 原作:マイケル・カニンガム(集英社・刊) / 監督:スティーヴン・ダルドリー / 製作:スコット・ルーディン、ロバート・フォックス / 脚色:デイヴィッド・ヘア / 撮影:シーマス・マクガーヴィ、BSC / プロダクション・デザイン:マリア・ジャーコヴィク / 音楽:フィリップ・グラス / 衣装デザイン:アン・ロス / 編集:ピーター・ボイル / キャスティング:パッツィ・ポロック、ダニエル・スウィー / 出演:ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ、エド・ハリス、スティーヴ・ディレイン、ジョン・C・ライリー / 配給:Asmik Ace、松竹
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間55分 / 字幕:松浦美奈
2003年05月17日日本公開
公式サイト : http://www.jikantachi.com/
丸の内ピカデリー1にて初見(2003/06/01)[粗筋]
1923年、ロンドン郊外のリッチモンド。新作『ダロウェイ夫人』の執筆に着手した作家のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は、だが納得のいかない生活のために煩悶していた。流れは決まったが、肝心の文章が思うように進まない。夫のレナード(スティーヴ・ディレイン)は自宅に設けた印刷所の仕事に忙殺されながら、それでも妻のことを気遣っている。そこへ、約束していたよりもだいぶ早くに、姉のヴァネッサ・ベル(ミランダ・リチャードソン)とその子供達がやって来た。途端騒々しさを増した邸内で、ヴァージニアは落ち着いて執筆することが出来ない――
1951年、アメリカ・ロサンジェルスの住宅街。ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は夫ダン(ジョン・C・ライリー)を送り出したあと、誕生日を迎える彼のために息子リッチー(ジャック・ロヴェロ)とともにケーキ作りに勤しむ。だが、読みさしの『ダロウェイ夫人』に気を取られるローラの様子は、息子でさえ異常を感じるほどに挙動不審だった。そんな折、友人のキティ(トニ・コレット)が訪ねてくる。一見陽気だったキティだが、その用向きは深刻だった。腫瘍が発見されたため、検査入院をする。そのあいだ、犬に餌をやって欲しい、というものだった――
2001年、ニューヨーク。いちどは愛し合い、今も親しい友人として付き合うリチャード(エド・ハリス)がその詩作で賞を授与され、今日はその授賞式という日。編集者のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)は授賞式のあとに彼女の自宅で開くパーティーのために花を買い、蟹料理の準備をし、大はしゃぎだった。だが、その様子はどこか空疎で足許が覚束ない。リチャードはだいぶ前からエイズを患い、命がいつまで保つのかも定かでない状態が続いていた。クラリッサにとってこの上ない重荷である自分を知っているリチャードの態度は、真綿のようにクラリッサの心を締めつける。互いにそれを自覚していることが、ふたりの最大の不幸であり、幸福の証明でもあった――
三つの時代、三つの場所で繰り広げられる、三人の女性を軸とした人間模様。それらは時を超えて、やがて複雑に交錯する……[感想]
なんという奥深さか。
描写は極めてスピーディで、三つの時代それぞれの出来事は決して派手ではない――ただ、2001年終盤の出来事はなかなか強烈だが――のに、そのテンポに乗せられて見入ってしまう。息を吐く間もなく物語はぐいぐいと進んでいき、二時間足らずとは言え瞬くうちに終わってしまった、という感慨を抱く観客もあることだろう。
三つの物語の重ね方が抜群に巧いのだ。それぞれの出来事の方向性は違うのだが、重なる要素を巧みに継ぎ合わせ場面転換に違和感を覚えさせることなく、それでいて三つのエピソードを混同させない配慮も行き届いている。
そして語られている主題は三つの時代で一貫しており、揺らぎもしないほどに重く、そのうえ明瞭で快い。主軸であるヴァージニア・ウルフの資質と作家性に敬意を表してか、主に描かれているのは女性たちの煩悶であり、部分部分に同性愛的な要素も織り込まれているため、女性のための物語と錯覚する(宣伝活動でもそうした側面が押し出されている感が強い)が、その実語られていることは普遍的で、必ずしもジェンダーの問題に束縛されていないことが、作品の強度を増している。センセーショナルな側面に囚われず、虚心に全体を眺めれば、本編で扱われているのはもっと幅広く奥行きのある人間関係なのだと気づくはず。性も年齢も窮極的には重要でないのだ。
物語の深みを補強する美術や音楽もいい。主題の明確なメロディーと、花という素材を全体に用いることで一貫性を与えながら、時代時代でファッションや家財調度をはっきりと変化させ、観客の理解をよく助けている。実はかなり傑出した特殊メイクの技術を用いている点もちょっと注目していただきたいところ。
娯楽として豊かな膨らみを具え、繰り返しの賞味に耐えるだけの奥深さをも内包した、奇跡的な傑作。アカデミーの作品賞こそ『シカゴ』に譲ったが、個人的にはこちらに軍配を挙げたい。作品賞などは落としたものの、アカデミーでは不遇を託っていた印象のあるニコール・キッドマンが本編で遂に主演女優賞を獲得したのは喜ばしい。実際、従来の出演作のイメージをまったく引きずることなく、偏屈で己の置かれた環境に思い悩み創作に苦しむ女性作家を見事に表現した演技は受賞に相応しい。
とは言え、ほぼオールスターも同然の本編のキャストは、ひとり残らず力強い演技を見せている。事実、ゴールデン・グローブでは主演女優賞にキッドマンとメリル・ストリープが同時にノミネートされ(こちらもキッドマンが獲得)、アカデミーでもジュリアン・ムーアとエド・ハリスがそれぞれ助演賞に名前が挙がっていた。受賞した、しないに拘わらず、隅々までその演技の確かさをご確認いただきたい。個人的には、僅かな登場で強烈なインパクトを示したトニ・コレットにも注目していただきたいと思った。ところで。
私はこれの前日に『家宝』というフランス・ポルトガル合作映画を鑑賞した。別に意図したわけではなかったのだが、本編と並べるとあらゆる点で対照的な作品である。
かたや場面場面をじっくりと描き、かたやスピーディに場面もアングルも転換し。かたやベテランの女性作家が執筆した、男達を意図せず翻弄するファム・ファタールものの小説に基づき、かたや気鋭の男性作家が執筆した、女性達が運命に翻弄されながら力強く生きていこうとする様を描いた小説に基づき。かたや長年不遇を託ち、長じて評価されるようになると老齢に至った現在も精力的に映画を撮り続ける現役最長老の監督が手掛け、かたや舞台演出で名声を確立し映画デビュー作が即評判となった壮年の監督の第二作である――といった具合に。
どちらも名作で、極めて対照的であるがゆえに、不思議と近しいイメージがある、と感じてしまうのは私だけだろうか。気の向いた方は立て続けに鑑賞してみることをお薦めする――っても、『家宝』は単館上映だったうえに、これを書きあげた今日が劇場公開最終日なので、ソフト発売を待っていただかねばならないんだけど。(2003/06/06)