cinema / 『Re:プレイ』

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Re:プレイ
原題:“The I Inside” / 原作:マイケル・クーニー(舞台劇“Point of Death”より) / 監督:ローランド・ズゾ・リヒター / 製作総指揮:サミー・リー、ステュアート・ホール、ボブ・ウェインステイン、アンドレアス・シュミット、アンドレアス・グロッシュ / 製作:ルディ・コーエン、マーク・デーモン / 脚本:マイケル・クーニー、ティモシー・スコット・ボガート / 撮影:マーティン・ランガー / 編集:ジョナサン・ラッド / 衣装デザイン:フィオン・エリノア / プロダクション・デザイン:アラン・スタースキー / 音楽:ニコラス・パイク / 出演:ライアン・フィリップ、サラ・ポーリー、パイパー・ペラーポ、スティーブン・レア、ロバート・ショーン・レナード、スティーブン・ラング、ピーター・イーガン、スティーブン・グラハム、ラキー・アヨラ / 配給:日本ヘラルド
2003年イギリス作品 / 上映時間:1時間32分 / 日本語字幕:高内朝子
2004年04月24日日本公開
公式サイト : http://www.herald.co.jp/official/the_i_inside/index.shtml
新宿K's Cinemaにて初見(2004/05/01)

[粗筋]
 ――目醒めたとき、サイモン(ライアン・フィリップ)は病院のベッドに横たわっていた。ニューマン(スティーブン・レア)と名乗る担当医は、彼が何らかの事故に巻き込まれ、約二分間の心停止状態から辛うじて生還した、と告げる。何らかの障害が出ている可能性が、と説くニューマン医師にサイモンは自らのプロフィールを語り、正常を訴えた。だが、ニューマン医師の「今日の年月日は?」という質問に、2000年7月29日と応えると――ニューマンは、二年間のずれを指摘した。2000年ではなく、いまはとうに2002年だというのだ。二年間に唯一の肉親であった兄ピーター(ロバート・ショーン・レナード)は死に、自分は配偶者を得ている……サイモンは愕然とした。
 そんな彼のもとを、今にも折れそうな表情を浮かべる金髪の女(サラ・ポーリー)が訪れる。だが、彼女はサイモンが記憶喪失に陥った、という話をすると、動揺して病室を飛び出してしまった。彼女を追ったサイモンは、前を遮ったニューマン医師を「妻にちゃんと説明したのか」と詰るが、医師はちゃんと説明した、君の治療にも協力してもらう、と横に控えていた黒髪の女――アナ(パイパー・ペラーポ)を紹介する。
 ニューマン医師は、記憶はパズルのようなものだ、とサイモンに説く。すべてのピースはサイモンの頭のなかにあり、過去を取り戻すためにはそれらを再構築せねばならない。そんな言葉を聞きながら窓の外を眺めると、スプリンクラーが壁一面のガラスを濡らしている……その情景に触発されて、サイモンは雨の夜、兄に会いに行き、そして事故に遭ったことを思い出す。だが、アナはそんなことはあり得ない、と一言のもとに否定する。ピーターは二年前に死んでいる、というのだ。更に医師が席を外し、窓際でサイモンに背を向けて佇むアナに歩み寄ると、彼女は突如サイモンの頬を張り、「芝居はもう沢山」と言い捨てる。いったい何がどうなっているんだ、本当に兄は死んでいるのか、と叫ぶサイモンに、アナは確かだ、と応える。
 だって、ピーターはあなたが殺したんだから。
 追求しようとするサイモンを遮るように、看護師のトラヴィス(スティーブン・グラハム)がMRI撮影の準備が出来たと告げにやって来る。混乱するサイモンを余所に、アナは夫を心配する妻の態度を装いながら身を翻し、その場を去っていった。
 トラヴィスに脅しのような言葉をかけられながらMRIに繋がれたサイモンは、何故かそのまま放置された。不安に苛まれる彼のもとに、看護師の着衣に顔をマスクで覆った奇妙な男が現れ、得体の知れない注射を打とうとする。眩暈を覚えながら懸命にはねつけたその瞬間――サイモンはまるで別の部屋にいた。
 それまで自分が入れられていた個室ではなく、他に数人の病人が収容された大部屋。動揺するサイモンの隣のベッドにいた男が苛立って呼び出した医師に見覚えはない――その医師トルーマン(ピーター・イーガン)は、サイモンは交通事故が原因で収容された、ここにはニューマンなどという医師はいないし、君には妻はいない、と告げる。しかも今は2000年の7月だという。だが、そこへ見覚えのある黒人の看護師(ラキー・アヨラ)とともに現れたのは、先刻自分の妻として現れたアナだった。パニックに陥ったサイモンはトルーマンたちによって鎮静剤を打たれ、ふたたび意識を混濁させる――その中で彼は、見覚えのある邸宅にいる自分の姿を幻視していた……

[感想]
 良くも悪くも、『アイデンティティー』の脚本家による作品だなー、というのが最初の印象。
 という感想では『アイデンティティー』を観ていない方には解りにくいはずなのでもうちょっと詳しく述べると、伏線や象徴の鏤め方は一流、だが肝心のアイディアは手垢がついたもので、その扱いに捻りが今ひとつ足りない、そうした『アイデンティティー』に見られた欠点が、そのまま本編にも当て嵌まるのだ。
 勘のいい人は題名と、冒頭の幾つかの会話だけで何が狙いか解ってしまうに違いない。そのうえで私は「このネタを最後でどう捻ってくれるのか」とワクワクしながら観ていたのだが、案外簡単に予想通りのところに収まってしまい、正直なところ拍子抜けした。
 だが、前述の通り、その伏線の鏤め方や象徴的な台詞の扱いなどは巧妙を極めている。かなり最初のほうの台詞が既に結末を予見させていたり、このテーマでは恣意的になりかねない登場人物の設定にも繊細な企みの影が覗いている。
 ネタが読めても1時間半緊張感が途切れず悪い印象を残さないのは、ひとえに視点人物であるライアン・フィリップの熱演と、ローランド・ズゾ・リヒター監督による緩急自在の演出の賜物だろう。来歴が語られず、主人公自身が善か悪かも解らない状況なのに、観客に感情移入させるのは決して容易な仕事ではない。自らを翻弄する状況に困惑し恐怖し、時には迎合して敢えて直感的に状況打破に挑むなど、難しい感情表現を見事に実現している。
 現実と夢とを行き来するようなシナリオだが、そこを敢えて境界線を作ることなく描写しているため、人によっては一回観ただけではただ混乱を覚えるだけかも知れない。早くから結末が読めたという方であっても、その企みや繊細な伏線を充分に読み解くことは難しいと思われる。そうして何度も観ることで初めて自分のなかでの評価を定めるべき作品であり、そういう意味では極めて厄介で、だからこそパズル的な趣向を愛するような観客にとってはこの上なく蠱惑的な一本になるはず。何せ少々過剰な期待があったせいか、私自身が初見で抱いたイメージは決して芳しくないのだけど、それでももう一回観てみたいと感じているのが何よりの証拠ではなかろうか。
 ただ――この邦題は、ちょっと拙いような気がする。折角の複雑なプロットを、何だか軽薄なものに感じさせてしまうような……。

 余談。本編でたぶん最も怪しげな人物である看護師のトラヴィスを演じているのはスティーブン・グラハム。彼はガイ・リッチー監督の『snatch』でジェイソン・ステイサムの相棒を演じていた人物で、イギリスのテレビ・映画を中心に活躍している。そうと理解したのは観賞後、プログラムを眺めてからのことで、映画を観ているあいだは――
「誰だ、このラッセル・クロウを柔軟剤につけたような男わ」
 などと思ってました。……似てるよね。

(2004/05/02)


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