cinema / 『ヒューマン・キャッチャー/Jeepers Creepers2』

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ヒューマン・キャッチャー/Jeepers Creepers2
原題:“Jeepers Creepers2” / 監督・脚本・キャラクター原案:ヴィクター・サルヴァ / 製作:トム・ルーズ / 製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ、ボビー・ロック、カーク・ダミコ、ルーカス・フォスター / 共同製作総指揮:フィリップ・フォン・アルフェンシュリーベン / 撮影:ドン・E・ファン・ル・ロイ / 美術:ピーター・ジェイミソン / 編集:エド・マークス / 視覚特殊効果:ジョナサン・ロスバード / 特殊メイクアップ:ブライアン・ベニカス / 音楽:ベネット・サルヴェイ / 出演:レイ・ワイズ、エリック・ネニンジャー、ギャリカイ・ムタンバーワ、ニッキー・エイコックス、ジャスティン・ロング、ジョナサン・フレック / アメリカン・ゾエトロープ製作 / 配給:20世紀FOX
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本版字幕:栗原とみ子
2004年05月22日日本公開
2004年10月08日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/humancatcher/
新宿シネマミラノにて初見(2004/05/22)

[粗筋]
“それ”は23年にいちど、23日のあいだ出没し、喰いまくる。対象は――人間。
 折しもポホ郡で、捨てられた教会の焼け跡から300を越える異様な屍体が発見されたことから、奇妙な噂がアメリカ各地で囁かれていた頃のこと。農場の主タガート(レイ・ワイズ)は息子のビリーに命じて、トウモロコシ畑の柱に案山子を結びつける作業をさせていた。ほんの一瞬、目を離した隙に、ビリーは攫われた――人間の体に大きな翼を持った何者かに。茫然自失となった父の代わりに捜索に出たビリーの兄ジャッキーは、畑の中に奇妙なレリーフを施したナイフが落ちているのを発見する。鋭く不気味に輝くそれは、突如タガートの手を離れ、自ら飛んで調度を貫いた……
 翌日。東9号線を一台の古びたバスが疾走していた。バスに乗っているのは、高校バスケ大会で優勝し、母校に凱旋する途中の生徒たち。コーチとの確執から満足に出場させて貰えなかったスコッティ(エリック・ネニンジャー)を除けばいずれも上機嫌だったが、それに水を差すように、バスに突如トラブルが発生した。タイヤのひとつが完全に断裂していたのだ。調べに出たコーチたちは、タイヤに十字状の奇妙な物体が刺さってパンクした事実を悟るが、生徒たちには知らせることなく、無理のないスピードで走行を続けると宣言する。人気のないハイウェイでは、携帯電話をかけることも無線で助けを呼ぶことも満足には出来なかった。
 その晩、警察無線に耳を澄ませていたタガートは、「ヤク中の戯言としか思えない」通報があった、という内容を敏感に捉えた。日中から用意していたトラックに乗って、その通報があった一帯へと走らせる――
 バスの中で、チアガールのひとりミンクシー(ニッキー・エイコックス)は奇妙な夢を見ていた。バスはトウモロコシ畑の横に延びる車道を走っている。路肩で気味の悪い破け方をした服を身につけた若者が、バスを見つめながら畑のなかを盛んに指さしている。ミンクシーが目で追っていると、若者の姿は頭から血を流した少年に変わり、若者と少年は交互に現れては畑のなかを示す。ようやくそちらに視線を向けると、帽子を目深に被り厚手のコートを纏った何者かが、手に握った十字状の何かをバスに向かって投げつけ――ミンクシーは衝撃で目醒めた。バスのタイヤがもうひとつ割れてしまい、一同は立ち往生を余儀なくされた。
 コーチたちは発煙筒を焚き、マネージャーの生徒は無線で警察や周辺を走っているはずの車に救助を呼びかける――本物の“悪夢”が間際まで迫っていることに気づきもせず。

[感想]
 やっぱり、この監督はよく解っている。
 前作『ジーパーズ・クリーパーズ』はある勘所を序盤伏せておいて、徐々にその本性を明確にしていくことで恐怖を盛り上げる手法を取っていた。日本での公開当時は広告などで妙な方向への期待を煽りすぎたのか、あまり好意的な感想は耳にしなかったが、いったん「そういう狙いだったのだ」と解ると、終始計算された演出の巧みさに唸らされる。
 しかし、続編である今回はそうはいかない。旧作を観ていない客はともかく、観ていた人間は登場人物に何が起きるのかをよく承知している。そこへどんな形で“恐怖”や“驚き”を仕掛けるべきか。
 本編は前作の発想をひっくり返した形で組み立てられている。つまり、何が起こるか解っているからこそ怖い、次を期待する、という状況を利用した演出に切り替えているのだ。冒頭からいきなりその全体像を見せつけたクリーパーは、東九号線沿いに猛威を振るう。その破壊と殺戮の行く先に、バスケ部員を乗せたバスが走っている――そして、両者が交錯するとともにすぐさま始まる“人間狩り”、それを追う息子を殺された男。三つのシチュエーションが絡みあい、追いつけるか逃げ切れるか、殺すか殺されるか、という緊張と恐怖が絶え間なく続く。観客はクリーパーが非常識な化物であることを解っており、どんな手を繰り出してくるか想像できるからこそ、却って緊張を高めているのだ。ある程度想像できるからこそ、場面場面にカタルシスが生じるし、また裏切られたときの衝撃が強い。
 そして、人によっては創出された怪物・クリーパーの魅力に惹きこまれてしまう――わたしのように。前作でも充分におぞましく残酷で、それ故に翻って愛嬌すら漂わせていたクリーパーだが、今回は新たな要素が付け加えられたうえに、きちんと表情の映る場面が増えたぶん、更に魅力的になった。作中、バスの中にいる生徒たちを、屋根の上から後部座席の窓越しに品定めするシーンがあるが、ここでの表情や仕種など、当事者の立場になればおぞましいことこの上ないだろうけれど、他人の立場にいると実に面白い。
 ただ、無闇には褒められない、褒めたくない点もある。褒められないのは、折角多数用意した生徒たちのキャラクターが、物語にとっても恐怖の醸成の上でもあまり役立っていなかった点。それぞれ非常に丁寧に特徴づけられているのは解るのだが、人数が多すぎて名前も把握できないうちに舞台が夜に変わってしまうので、個体の識別が難しく逃亡の場面にやや緊迫感が乏しくなり、また感情移入もしづらくなっている。追われる側が僅か二人であったために背景の理解も想像もしやすく、感情移入も容易だった前作と比べると少々寂しい。
 もう一点、前作でクリーパーの不気味さを増幅していたある要素が削られていたのも残念だった。この点は別の要素に置き換えられているのだが、同じ理屈で説明が出来ないなら、前作を踏まえた方が良かったように思う――但し、この差し替えがないとクリーパーに関する情報を生徒たちに齎す方法が極度に減ってしまうので、難しいところか。
 ただ、それでも全体や、恐怖表現の細部の徹底ぶりは否定しようがない。仮に恐怖を覚えることはなくとも、こなれた映像演出とこれぞホラーと叫ばんばかりの展開に、一種の喜びさえ感じるようになる。繰り返し観れば観るほど味が出てくるかも知れない。
 本編には色々な楽しみ方がある。前作を見ず、極力予備知識なしで鑑賞しても構わないだろうし、前作で予習してその特徴を覚えておくと作中「ああ!」と頷けるポイントも少なからずあるだろう。但し、それが恐怖映画としてストレートに楽しめるか、笑い混じりになるかはその人の資質次第だ。気構えさえ間違わなければ、極めてシンプルに“面白い”映画である。

 劇場で上映が始まるのを待っているあいだ、作品のBGMが流れているのは普通のこと。が――物語の粗筋を歌ったラップが頻繁に挟まれるというのは記憶にない。タンバリンぐらいしか伴奏がなく、しかも首を絞めてやろーかと思うくらいチープなラップ調で。聴くたびに腰が砕けそうになりました。誰だあれを歌ってたのは。いやそれ以前に企画したのは誰だ。

(2004/05/22・2004/10/10追記)


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