cinema / 『キル・ビル Vol.2』

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キル・ビル Vol.2
原題:“Kill Bill Vol.2” / 監督・脚本:クエンティン・タランティーノ / “ザ・ブライド”キャラクター原案:Q&U / 製作:ローレンス・ベンダー / 製作協力:ディード・ニッカーソン、前田浩子(日本) / 製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、エリカ・スタインバーグ、E・ベネット・ウォルシュ / 撮影監督:ロバート・リチャードソン,A.S.C. / 美術監督:デヴィッド・ワスコ、ツァオ・ジュウピン / 衣装デザイン:小川久美子(日本、北京)、キャサリン・マリー・トーマス(USA、メキシコ) / 編集:サリー・メンケ / 武術指導:ユエン・ウーピン / 特殊メイクアップ効果:KNBエフェクツ・グループ / オリジナル音楽:THE RZA、ロバート・ロドリゲス / 出演:ユマ・サーマン、デヴィッド・キャラダイン、マイケル・マドセン、ダリル・ハンナ、ゴードン・リュー、マイケル・パークス、サミュエル・L・ジャクソン / 配給:GAGA-HUMAX
2004年アメリカ作品 / 上映時間:2時間18分 / 日本版字幕:石田泰子
2004年04月24日日本公開
2004年10月08日DVD日本版発売 [amazon(限定プレミアムBOX)amazon(1&2ツインパック)amazon(通常版)]
公式サイト : http://www.killbill.jp/
丸の内シャンゼリゼにて初見(2004/05/25)

[粗筋]
 ――日本・青葉屋での死闘でオーレン・イシイ(ルーシー・リュー)を殺した。パサデナでヴァニータ・グリーン(ヴィヴィカ・A・フォックス)を殺した。次は、ビル(デヴィッド・キャラダイン)の弟バド(マイケル・マドセン)。
 エル・パソの虐殺と呼ばれた、花嫁(ユマ・サーマン)を昏睡状態にし、彼女から胎内の娘を奪った事件のとき、ビルはいちど花嫁の前に姿を現した。まだ予行演習の最中であった花嫁とその花婿に寛容な態度を示し、式の本番にも出席するような素振りを見せたビルの背後には既に、彼の命を受けた四人の刺客が揃っていた。その脳裏にまざまざと焼き付いた顔も、二つまで死の淵に沈めた。次は、バド。
 当のバドはあの事件ののち兄と袂を分かち、いまはテキサス州オースティンのバーで用心棒として働き、荒野に駐めたトレーラーハウスで暮らしている。警告のためにわざわざ訪ねてきた兄には、「彼女には復讐する権利がある」と剛毅な言葉で応えたが、やがて襲撃してきた花嫁に、バドは岩塩で作った弾丸を撃ち込む。とどめを刺す前に、バドは携帯電話を取りだして、花嫁の復讐リストに名前を刻むもうひとりの女エル・ドライバー(ダリル・ハンナ)に連絡を取った。バドは花嫁が服部半蔵(千葉真一)に打たせた刀を、エルに100万ドルで譲る、と言う。エルはその条件に乗った。
 バドは花嫁を、生きたまま墓地に埋葬した。手足を拘束し、だが代わりに懐中電灯ひとつを一緒に埋めて。棺のうえに落ちる土の音に絶望し、しばし取り乱した花嫁だったが、完全に物音が絶えてしばらくのち、彼女の脳裏に、ビルの師でもあるパイ・メイ(ゴードン・リュー)のもとで修行した日々の出来事が蘇った……

[感想]
 本当にラブストーリーだった。
 Vol.1の弾けっぷりはなりを潜め、冒頭、教会での虐殺の回想からして、独特の味わいを湛えた花嫁とビルとの会話に象徴されるように、終始会話をメインに展開している。よくよく考えると、相変わらず腰に下げたり背中に抱えた刀について誰もなぁんにも追求しなかったり、銃を使えばいいところをわざわざ刀で戦ってみたり、という前作の奇矯な要素を踏襲したうえで話が成り立っているので、まるっきりオーソドックスに変貌した訳ではないのだが、しかし結婚式での虐殺を敢えて教会の外から垣間見せるに留めたり、被害者の数が大幅に減っていたり、と全般に大人しくなっているのは確かだ。
 但し、細部には前作同様にタランティーノ監督の映画オタクっぷりが横溢している。何せ尋常な分量ではないし、私はさほど過去の作品をよく知っているわけではないので、詳しく知りたい方は劇場用パンフレットやムックなどの書籍を参照して頂いたほうが早いが、敢えて花嫁を生き埋めにして『ゾンビ』紛いの復活を描いたり、その伏線として中国拳法の修行を描いたりするあたりはもう完璧な逸脱だ。だいたい既に拳銃・剣道に通じている人間にいまさら別の戦闘術を叩き込む、というのは(暗殺者としての)実際的な観点からすれば無駄な行為なのだから。
 そして、残虐な場面こそ減ったものの、戦闘のアイディアと決着のえげつなさは密度を増して、Vol.1同様に衝撃的だ。花嫁を迎え撃つにあたってのバドの位置づけもその後の展開を盛り上げるうえで絶妙だし、バドとエル・ドライバーの対面の結末も意外、撮影直前に思いついたという花嫁とエル・ドライバーの対決のクライマックスも、それまでの設定を敷衍して巧い。
 斯様に肉付けはVol.1同様特殊ながら、本編はそちらで世界観を充分観客に植え付けた、と監督が判断したのか、心理的な描写が精妙になっている。そもそもバドやエル・ドライバーとのやり取り自体が微妙な心理の綾をかいくぐるように成り立っており、特にバドとエルとの会話とその顛末は秀逸だ。彼女の行為ひとつひとつにVol.1からの伏線が行き渡っており、一面醜悪なエピソードであるにも関わらず、奇妙な爽快ささえ感じさせる。
 が、そうした要素のすべてが、題名にあるビルとの対決を最高潮に達させるための布石であることは言うまでもない。二人の会話の端々に、それまでの出来事が行き着くべき結末があり、それを踏まえて僅か数秒の戦いが静かに、しかし強烈に繰り広げられる。
 甘さなど微塵もない。だが、それでもこれが彼らにとって唯一の――いや、彼らにしか成し得ないラブストーリーの顛末だったのだ。この設定と、凄絶な成り行きがあってこそ成立する、最も深刻なラブシーンだった、とさえ言える。
 Vol.1から過剰なまでに盛り込まれた要素が見事に昇華された、意外なほどに美しい結末。前作の徹底的にタランティーノ流に料理され、先鋭化されたパロディや血の匂いがスクリーンから漂ってくるかと思えるほどのバイオレンスがお望みだと肩透かしを食うだろうが、花嫁の復讐劇としてこれほど華麗な帰結は他にあるまい。
 それでは、15年後らしいVol.3に期待するとしましょう。……あの歳で寝物語に『子連れ狼』を選ぶセンスを備えた娘が活躍する、次の舞台を。

 本編で個人的にいちばん痺れたのは、実は幾つかの戦闘シーンではなくて、――花嫁が生きながら棺に閉じこめられ、埋められるシーンだった。埋める方の視点から描くようなことはせず、棺の中にいる花嫁の表情を横から捉えながら、音だけで次第次第に埋没していく様を表現している。棺の蓋のうえに土が積み重なっていく音、あいだに聞こえてくる男達の話し声、最初はまるで砲弾を受けているかのような衝撃だが、それらが次第に小さくなっていく。その臨場感たるや、思わずこっちまで墓の下に押し込められている気分になったほどだ。それを経たうえだからこそ、回想と脱出の場面にもカタルシスがあり――直後の花嫁の行動が、実にコミカルに映るのである。まあ、それが自然な反応かもね。
 ともあれ、この場面の臨場感を味わうためだけにでも劇場に駆けつける価値はあった、と思った次第。特にホラー映画愛好家はいちど体感しておきましょう。

 あ、そうそう、キャストの末尾に添えたサミュエル・L・ジャクソンはほぼ1シーンしか登場しません悪しからず。でも探さなくても顔と声を覚えていれば見つかります。

(2004/05/26・2004/10/07追記)


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