cinema / 『口裂け女』

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口裂け女
監督:白石晃士 / 脚本:横田直幸、白石晃士 / 製作:叶井俊太郎、吉鶴義光、宮澤伸昌 / 撮影:森下彰三 / 照明:三重野聖一郎 / 録音:岩丸恒 / 美術:畠山和久 / 編集:掛須秀一 / 特殊メイク・造型:中田彰輝 / 音楽:和乃弦、藤野智香 / 主題歌:I-lulu『ガラスの瞳』(FOR-SIDE RECORDS) / 出演:佐藤江梨子、加藤晴彦、水野美紀、川合千春、桑名里瑛、松澤一之、坂上香織、桑江咲菜、入江紗綾、柳ユーレイ、諏訪太郎 / 配給:TORNADO FILM
2006年日本作品 / 上映時間:1時間30分
2007年03月17日日本公開
公式サイト : http://www.kuchisake.com/
シアターN渋谷にて初見(2007/03/17) ※初日舞台挨拶つき

[粗筋]
 郊外に位置する長閑な街・静川町に、不意にあの噂が蘇った。背が高く髪は長く、トレンチコートに身を包んで、口許はマスクで隠している。子供達の前に忽然と姿を現し、マスクを外すとそこには大きく裂けた口がある。そして、「わたし、きれい?」と訊ね、応えられなかったり否定したりすると、切りつけるという、都市伝説史上最も有名な女性――“口裂け女”である。
 学校でその噂話を禁じるほど急激に広まっていった“口裂け女”であったが、本当に男子が噂通りに攫われるに及び、大人達も無視できなくなった。教師とPTAとが協力して集団での下校が行われたが、京子(佐藤江梨子)の担当するクラスの佐々木美佳(桑名里瑛)だけが、家に帰ることを頑強に拒んだ。話を聞くと、美佳は母・真弓(川合千春)から虐待を受けており、全身に無数の生傷を負っていた。自分がお母さんと話をしてあげるから、と京子が諭しても、美佳は帰ろうとしない。
 美佳が「お母さんなんか大嫌い」と吐き捨てたとき、遂に京子は激昂して大声を上げてしまった。驚き、怯えて逃げ出した美佳を、京子は慌てて追う。気づいたとき、京子の目の前には、美佳を抱えこんだ大柄な女がいた――まさに、噂通りの“口裂け女”が。
 間もなく警察が大挙し捜査が開始されたが、当然のように京子の目撃証言は“口裂け女”の扮装をした犯人、と解釈されて報じられる。釈然としない京子に、不意に話しかけてきたのは同僚の松崎昇(加藤晴彦)であった。彼は京子に、一葉の古びた写真を見せる。そこに写っていたのは、まさしく美佳を攫っていった女であった。事情を訊ねる京子に、だが松崎は奇妙な言葉を口走る。「次にどの子供が攫われるか、解る、って言ったら信じるか?」
 突然車に乗った松崎に無理矢理同行して、京子は写真の人物の素性について訊ねる。写真に写っていたのは他ならぬ松崎の母・タエコ(水野美紀)。幼かった松崎とその兄姉を虐待、やがて兄姉についで姿を消してしまった人物であり――松崎は昔から、“口裂け女”が彼女であると確信していた。
 松崎の予感に導かれて訪れたのは、“口裂け女”の噂を積極的に調べ、事細かなメモを取っていた少年の家。まさに今、忽然と出没した“口裂け女”に襲撃される少年を助けるため、京子と松崎は懸命に戦い、京子が無我夢中で突き刺した包丁によって“口裂け女”は倒れるが――気づけば“口裂け女”は見知らぬ普通の女性に変わっていた……!

[感想]
 古今東西、都市伝説には様々なキャラクターが登場するが、本邦において何よりも有名なのは“口裂け女”であろう。まさに上記粗筋のような特徴的ないでたちで出没し、子供達を恐怖に陥れ、1980年代に一気に知名度を高め、大人達をも巻き込んだ騒動になったことはよく知られている。
 有名でありながら、しかしそれ故にかあまりフィクション、こと映画では採りあげられたことの少なかったこの題材に、初めて真っ向切って着手したのは、2005年に現実と虚構との境を取り払う手法によってホラー映画に金字塔を打ち立てた傑作『ノロイ』を発表、一躍注目を集めた白石晃士監督である。同作に惚れ込んだ私としては素材云々を抜きにして期待の高かった本編であるが、いい意味で裏切らない、実に優秀な作りであった。
 ビデオ・ルポルタージュの様式をそのままフィクションに用いるという、『ブレアウィッチ・プロジェクト』のスタイルを深化させた手法で斬新な印象を与える前作と異なり、本編はかなりオーソドックスな怪奇映画、ホラー映画の体裁を取っている。まず子供達のあいだを中心に飛び交う噂と、そこに絡む親子関係の歪さを鏤めて不穏な空気を醸成し、畳みかけるように事件が起きていく。演出に大幅な冒険こそないが、その定石を押さえた話運びには、娯楽映画としての安心感がある。他方、随所で細かく定石を外していくあたりが巧みだ。こんなに早く本命は登場しないだろう、と思っていたところへいきなり“口裂け女”が現れて、物語の焦点となるかと思われていた少女をいきなり攫っていくあたりからしてそうだが、これだけ定番を押さえていたら次はこうだろう、という賢しらな観客の読みを巧みに外して度胆を抜く。だが、だからこそ本編はそのホラーとしての王道ぶりに洗練されたものが窺える。知悉しているからこそ出来る安定感と緊張感は出色だ。
“口裂け女”というモチーフを現代に移植するにあたって、定番であった「美容整形への憧れと恐怖」という解釈を避け、代わりに昨今、しばしば取り沙汰されている屈折した親子関係に繋げていったあたりも巧い。このテーマ自体も今となっては有り体の印象が強いが、しかしそれを“口裂け女”という、オカルトに親しんだものにとっては馴染み深く、しかも一般人であってもある程度知識を備えているであろう素材と絡めたことで、双方に異なった光を当てている。ホラーという側面を取り除いても、なかなかの着眼であったと言えよう。
 ただ、怪奇映画である以上、そういう深甚なテーマに寄り添いすぎるのもあまり良くないのだが、本編はその点もわきまえている。世間一般に流布した“口裂け女”にまつわる様々な情報を巧みに利用し、きちんと物語のなかで活かしており、“口裂け女”を立派な和製のクリーチャーとして成立させている。しかも単純にそのまま使うのではなく、必要に応じて潤色を施し、親子関係との対比のみならず新しい解釈をつけていることにも注目していただきたい。こと、ある有名な要素についての解釈は個人的に、思わず膝を打ってしまうほどに感銘を受けた。
 そして、そのタイトルロールたる“口裂け女”を演じた水野美紀の演技がまた素晴らしい。挑発するような雄叫びを上げるわけでもない、ただ黙然と現れて子供達を攫い凌虐を加える様の迫力。その出自を語る回想シーンにおける、子供達への愛情と苛立ちとの相克する悩める姿の痛々しさ。私は舞台挨拶つきの回で鑑賞したのだが、そのとき登壇した子役は、水野美紀を前にすると演技でなく恐怖を感じた、と語っていた。それも納得の渾身の演技は、近年稀に見る屈指のホラー・ヒロインぶりであった。
 ほぼ文句のない仕上がりであるが、ただ一点惜しまれるのは、そうして伏線を鏤めながらも巧みに死角を衝き度胆を抜いていく筋書きにも拘わらず、終盤の展開だけは読めてしまうことだ。だがこの点について言えば、むしろ徹底して定石を踏まえていることの証明であり、やはりそこまで込みで良質のホラー映画と評価していいのではないか、と思う。改めて、いい意味で期待を裏切らない、優秀な出来である、と申し上げておく。

(2007/03/31)


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