cinema / 『ラスト・サムライ』

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ラスト・サムライ
原題:“THE LAST SAMRAI” / 監督:エドワード・ズウィック / 脚本:ジョン・ローガン、マーシャル・ハースコヴィッツ、エドワード・ズウィック / 製作:エドワード・ズウィック、マーシャル・ハースコヴィッツ、トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー、スコット・クルーフ、トム・エンゲルマン / 製作総指揮:テッド・フィールド、リック・ソロモン、チャールズ・マルベヒル / 撮影:ジョン・トール、A.S.C. / 美術:リリー・キルバート / 編集:スティーブン・ローゼンプラム、A.C.E.、ビクター・ドゥボイス / 音楽:ハンス・ジマー / 出演:トム・クルーズ、渡辺 謙、真田広之、小雪、ティモシー・スポール、ビリー・コノリー、トニー・ゴールドウィン、中村七之助、原田眞人、福本清三 / 配給:Warner Bros.
2003年アメリカ作品 / 上映時間:2時間09分 / 字幕翻訳:戸田奈津子
2003年12月06日日米同時公開
2004年05月16日DVD版日本発売 [amazon]
日本公式サイト : http://www.lastsamurai.jp/
アメリカ公式サイト : http://lastsamurai.warnerbros.com/
新宿ピカデリー1にて初見(2003/11/23)※先々行オールナイト

[粗筋]
 南北戦争で勲功を挙げ英雄と呼ばれながらも、無辜の部族を掃討したときの罪悪感からやがて自分を見失い、ウィンチェスター社の宣伝活動に従事しながら酒浸りとなっていったネイサン・オールグレン大尉(トム・クルーズ)のもとに、大きな仕事の話が舞い込んだ。日本から訪米した資産家の大村(原田眞人)の要請により、維新直後に結成されたばかりの日本軍に銃器の扱いと指揮系統の構築を依頼されたのだ。月500ドルの莫大な報酬と、自暴自棄の思いに駆られて、オールグレンは果ての島国を訪れた。
 農民などから寄せ集めで結成されたばかりの軍隊はまだまだ使い物になる状態ではなかった。武器の扱いから統制に至るまで指導を行うオールグレンだったが、何ヶ月も経たぬうちに試練のときがやって来た。大村の経営する鉄道路線を破壊した勝元(渡辺 謙)らの一群に報復するため、軍を出動させるという命令が下ったのだ。経験不足を主張するオールグレンを尻目に軍は初陣に駆り出され、そこで彼は初めて本物の“侍”と相見えた。
 最先端の装備を調えたところでまともに統制のとれていない軍に対して、勝元の率いる部隊は一糸乱れぬ戦いぶりを見せ、オールグレンらを圧倒した。旧友の死を目の当たりにしたオールグレンはひとり奮闘し数人を打ち倒すが遂に力尽き、勝元の指示によって生きたまま連れ去られた。
 目醒めたとき、オールグレンは勝元の息子・信忠が首領を務める村に囚われていた。傷がもとで身動きもままならず、癒えたところで雪に深く閉ざされた村から単身脱出するのは春になるまでは難しい。なぜ自分を生かして捕えた、と訊ねるオールグレンに、勝元は「敵を知るためだ」と応えた。
 こうして、勝元の村での奇妙な暮らしが始まった。最初はオールグレンの存在を半ば無視していた村の人々だったが、オールグレンが彼らの暮らしぶりや剣術の稽古に興味を示すようになるにつれて、次第に心を開いていく。そしてオールグレンもまた次第に、村の人々の無駄が無く清廉な暮らしぶりと、ひたすら忠義に身を捧げようとする勝元らの心意気に魅せられていくようになる……

[感想]
 日本版『ダンス・ウィズ・ウルブス』でした。もー一旦そう思ってしまったら他の何ものでもありません。違うのは、あちらのケヴィン・コスナーが自ら進んでネイティヴ・アメリカンとの接触を図っていったのに対し、トム・クルーズ演じるオールグレン大尉は俘虜の身から日本人に近づいていった点ぐらいだろう。あとの物語的な構造は見事なほど似通っている。
 では作品として先行する『ダンス〜』に劣るのかというとそんなことはなく、あくまでテーマの突き詰め方ゆえに似通ってしまった、というのが真相ではないかと思う。欧米諸国が日本、ひいては「侍」というものに対して抱いている先入観から極力解き放たれ、本来の姿に近い形で描き出そうとした心意気が、同じようにネイティヴ・アメリカンに対する偏見から脱しようとした『ダンス〜』と呼応して、似たような筋を辿ってしまったのではなかろうか。
 恐らくそうした意識故だろう、作中の「日本」像はおよそこれまでのハリウッド映画とは比べものにならないほど実情に迫っている。誰も彼もが侍で芸者で、寺社などに存在する意匠が町中で平然と出没するといった荒唐無稽な部分は殆ど見あたらず、明治維新頃の市井の姿が見事に再現されている。主要スタッフにおいては少数だが、メインキャストに各種スタント、またアシスタント的な役割で名前を連ねた日本人が作中の日本像の完成を大いに手助けしたことは想像に難くないが、資本もロケーションも日本以外のものを使わざるを得なかった状況でこれほど再現されているあたりに、製作者たちの努力が伺われて好感が持てる。
 ただ、明治維新前後の史実や、それに関連する人物像はあまり作品に反映されておらず、ある程度常識としてその頃のことを知っている日本人としては戸惑う場面も少なくない。実在した政府高官の名前がほとんど登場せず大半が架空であること、皇居の所在や勝元らが暮らす村の情景が日本にしては広大すぎることなども、細かい点を気にするような人にとっては棘のように感じられるかも知れない。
 だが、上記のような意識に基づいて、史実を簡略化し極力説明を省きながら日本の原風景を築き上げてみせた、そのことだけで本編は高く評価されて然るべきだと思う。勝元という武将は存在せずとも、似たような立場にいた西郷隆盛が実在した。極端な欧化政策のひずみに苦しめられた民が少なからず存在した。私利私欲に動かされ政府、ひいては天皇でさえ利用しようとした人々もいたことなど、史実と状況は違っても実際の出来事に倣った描写は幾らでも見いだせる。
 こういう描き方は、日本人には却って難しい。また、ハリウッドほど映画が産業として発達していない日本では、広大な村落の風景や壮絶な戦いの場面などは作りたくても無理な相談というものだろう。如何にもハリウッドらしい、しかし確かに日本を感じさせる映画。
 こんなに美しい「日本」を見たのは、『たそがれ清兵衛』以来です。無茶苦茶買ってます。

 内心、本編を製作するきっかけはトム・クルーズが剣術や日本の武者装束に憧れて、それを纏う理由を求めてのことではなかったか、とちょっと勘繰っていたりする。如何に不純な動機であっても、ここまで徹底して本物を志向してくれたなら文句を言う筋合いはないし、可愛くも映る。後半でもうちょっと流暢な日本語を披露してくれれば更に言うことはなかったのだが、『キル・ビル Vol.1』のユマ・サーマンらと比べれば所作・滑舌ともに雲泥の差だ。着物姿や甲冑姿が見事に様になっており、真田広之らと並んでもひけをとっていない。
 よく実績を理解したうえでの日本人俳優の起用も嬉しい。健闘したトム・クルーズを食うほどの迫力を示した渡辺 謙、言葉少なながら洗練された所作で「武士」の顔を務めた真田広之、後ろに控えながらも凛とした存在感を示した小雪。しかし、誰よりも印象的だったのは、いちどとして名前を口にせずオールグレンからは“ボブ”呼ばわりされ、名もないまま鮮烈な散りざまを見せつけた、最高の「斬られ役」福本清三だろう。クレジットでは「Silent Samrai」と記された彼の台詞はたった一言、それも非常に単純な叫び。役柄としてもそうだろうが、役者としても本望だったのではなかろうか。素晴らしすぎる。

 鑑賞した当日、まだ劇場用プログラムが完成していないとかで入手できませんでした。こういうとき、普段なら公式ホームページを参考にするのですが、今回は公式すら役立たずで、仕方なく心許ない英語力でアメリカ版のページを眺めつつ執筆にあたりました。なんで日本の公式サイトはあんなに特殊な作り方をしてるのでしょーか。

(2003/11/24・2004/05/15追記)


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