cinema / 『ロード・オブ・ウォー―史上最強の武器商人と呼ばれた男―』

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ロード・オブ・ウォー―史上最強の武器商人と呼ばれた男―
原題:“Lord of War” / 監督・脚本:アンドリュー・ニコル / 製作:ニコラス・ケイジ、ノーマン・ゴライトリー、アンディ・グロッシュ、アンドリュー・ニコル、クリス・ロバーツ、テリー=リン・ロバートソン、フィリップ・ルスレ、アンドレアス・シュミット / 製作総指揮:ブラッドリー・クランプ、クリストファー・エバーツ、ファブリス・ジャンフェルミ、ゲイリー・ハミルトン、マイケル・メンデルソーン、ジェームス・D・スターン / 撮影監督:アミール・モクリ / 美術:ジャン・ヴァンサン・プゾス / 編集:ザック・ステーンバーグ,A.C.E. / 衣装:エリザベッタ・ベラルド / 音楽:アントニオ・ピント / 出演:ニコラス・ケイジ、イーサン・ホーク、ジャレッド・レト、ブリジット・モイナハン、イアン・ホルム、サミ・ロティビ、イーモン・ウォーカー、ドナルド・サザーランド / 配給:GAGA Communications
2005年アメリカ作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:太田直子
2005年12月17日日本公開
公式サイト : http://www.lord-of-war.jp/
有楽座にて初見(2006/01/04)

[粗筋]
 そもそものきっかけは、純粋な“出逢い”であった。
 両親共々ウクライナから、ユダヤ系と偽ってアメリカに移住してきたユーリー・オルロフ(ニコラス・ケイジ)は、刃傷沙汰の絶えないブライトン・ビーチで暮らしながら、父の経営するレストランの先行きに不安を抱き、より発展性のある事業を捜し求めていた。そんなある日、ふだんは優れた嗅覚で避けていた、ロシア人マフィアたちの殺し合いの現場に居合わせてしまったユーリーは、しかしその惨劇から天啓を得る――需要のあるところに商売は成り立つ、と。偽りの経歴からユダヤ教に傾倒していた父を経由して調達手段を得たユーリーは、マフィアや犯罪者など、合法的に武器を入手することが困難な“顧客”に“商品”を売り捌く、というビジネスに踏み込んだ。
 家業を継ぐつもりでいた弟ヴィタリー(ジャレッド・レト)を相棒に始めたビジネスは、瞬く間に軌道に乗る。冷戦下にあっても、制裁によって物資の調達が困難になった途上国など、紛争・内戦のために武器を必要とする顧客は多かった。合法と非合法のバランスを巧みに調整し、灰色の領域で暗躍する自らの才能を知ったユーリーは、まさに水を得た魚の如く急速にビジネスを拡大していった。賄賂では決して翻心することのない潔癖なインターポール捜査官ジャック・ヴァレンタイン(イーサン・ホーク)の追求も、ユーリーはのらりくらりと躱し続ける。
 だが反対に、ヴィタリーは自分がこの商売に向いていないことを、日増しに痛感していた。自らは戦わない、武器の用途に関心を持たない、というルールを敷くことで心のバランスを巧みに守る兄と異なり、ヴィタリーは得意先で遭遇する凄惨な現実を意識せずにはいられなかった。自分たちが売り捌いた武器で死ぬようなことはしてはいけない、と、取引中に銃弾を浴びながらも泰然とするユーリーの姿が、そんな彼にとどめを刺した。ある取引で、金の代わりに渡されたコカインの一部を着服したヴィタリーは、その快楽に溺れてしまったのである。
 やむなく弟を更生施設に入れ、危険なビジネスの場にひとり身を置く境遇に追い込まれたユーリーは、慰めのために家族を求めた。そのために接近したのは、エヴァ・フォンテーン(ブリジット・モイナハン)――彼女はユーリーと同じブライトン・ビーチ育ちで、実は10歳の頃から憧れていた女性でもあった。一流モデルとして各国で活躍するエヴァを口説き落とすために、ユーリーは大枚をはたいて“運命”を演出、首尾良く彼女を口説き落とし、晴れて結ばれることに成功した。
 しかし、出だしで大きな見栄を張ってしまったユーリーは、エヴァのために実際の収入を遥かに上回る贅沢な暮らしを余儀なくされ、気づけば破産の危機に瀕していた。金策に汲々とするなか、だが突如として好機がめぐってきた。アメリカと長年にわたって冷戦を続けてきたソビエト連邦が崩壊したのである。それは即ち、かつて連邦に属していた国々に、来る大戦争のために備蓄されていた兵器が、一時的に所在を失うことを意味した。そして、旧ソ連のウクライナでは、ユーリーの叔父が将軍を務めていた……

[感想]
 戦争映画において、武器商人という存在は、決して目につかないながらも常に重要な位置を占める。だが、そんな彼らに焦点を絞って描いた映画というのはあまり思いつかない。そういう意味で、まず着眼点からユニークである。
 殺伐とした世界に入っていく主人公ユーリー・オルロフだが、しかしその語り口は終始軽妙だ。商売の着想を得る契機からして、凡人ならトラウマになりそうな状況に基づいている。その後も生き死にと背中合わせの世界に身を置きながら、彼の言動はいっそ無邪気と言えるほどに泰然としている。
 ただ、言うまでもなく彼のビジネスが成功する背後には、幾多の血が流されている。オープニングでは鋳造された弾丸が実際に人に向かって放たれるまでを、弾丸の視点から描くというトリッキーなヴィジュアルを使用しているが、あのユーモアたっぷりなシークエンスにしても、行き着くところは誰かの死だ。この事実と思い合わせてユーリーの行動を眺めると、その脳天気さがおぞましくさえ感じられる。
 そうした二重構造の表現にこそ製作者の狙いがあることは、冷戦終結後、アフリカの独裁国家と取引が発生したあたりから如実になる。表の生活と裏の顔とのバランスが保ちがたくなり、信念が揺らぎ始めると、それまで目を逸らしていた戦争の凄惨な現実が急激に大きく立ちはだかってくる。序盤の洒脱な語り口を留めたまま、陰惨さを増していくプロットは圧巻だ。
 実のところ、諸悪の根源という役回りを振られながら、ユーリー自身は決して悪人ではない。寧ろ根っこには流血沙汰を嫌っている印象がある。銃を撃つさまを目にして楽しげにしながら、決してそれが人に向かって放たれる場を目撃するのは好まないし、エヴァとのあいだに生まれた息子に弟ヴィタリーがプレゼントした銃の形をした玩具を即座に廃棄するくだりなど、妻や息子を血腥い世界に触れさせたくないという一面を垣間見せる。商人である自分が商売道具に直接関わらない、というルールを敷いたのも、商売人としての一線というより、自分が命のやり取りに携わっている、という実感から逃げようとするあまり、という風に映る。
 弟との絆を失い、やがて間近に迫ってきたジャック・ヴァレンタインによって家族の関係さえ危機に追い込まれ、更にあれほど避け続けていたにも拘わらずとうとう自らの手を汚す段になると、さしものユーリーも信念を揺るがせる。だが、武器商人という仕事を天職だと自認してしまった彼は、けっきょく裏稼業から逃れることが出来ない。なまじ最後まで飄々としているだけに、その立ち居振る舞いには覆いがたい虚無が見え隠れする。
 あれだけ追い込まれれば破滅しか残らない、と観ているほうは感じるし、それならまだハリウッドのお約束に則るものだが、ここでとんでもない捻りをかけてくるのが曲者だ――いや、しかしあの結末は恐らく捻りでもなんでもなく、現実なのだろう。だからこそ余計に衝撃的だし、決して派手な描写のないクライマックスが異様な余韻を伴って胸に残る。
 本来、物語的には共感するならイーサン・ホーク演じるインターポール捜査官ジャック・ヴァレンタインのほうだろう。だがたぶん観客はこの、真実から目を逸らし、戦争をあくまでビジネスとして扱い続けるユーリーに、嫌悪感を抱きながらも同情を覚えてしまうこともあるだろうが、それを否定すべきではあるまい。特異な世界を描きながらも、登場人物の感情が決して大幅に逸脱していないことが、この世界の闇を浮き彫りにしている。とりわけ終盤、ジャックとユーリーの一種屈折したやり取りが、本作の懐の深さを如実に証明している。
 深刻でありながら滑稽、洒脱でありながらその背後に桁外れた腥さを隠した、癖のある作品。ショウビジネス社会の露骨なメタファーである出世作『トゥルーマン・ショー』や虚構が現実を呑みこんでしまう『シモーヌ』を手懸けた監督らしい、一筋縄では行かない傑作である。

(2006/01/04)


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