cinema / 『ロスト・イン・トランスレーション』

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ロスト・イン・トランスレーション
原題:“Lost In Translation” / 監督・脚本:ソフィア・コッポラ / 製作:ロス・カッツ、ソフィア・コッポラ / 制作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ、フレッド・ロス / アソシエイト・プロデューサー:ミッチ・グレイザー / ライン・プロデューサー:カラム・グリーン / 共同製作:スティーブン・シブル / 撮影:ランス・アコード / 編集:サラ・フラック / プロダクション・デザイナー:アン・ロス、K.K.バレット  / 衣装デザイナー:ナンシー・スタイナー / 音楽プロデューサー:ブライアン・レイツェル / 出演:ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン、ジョバンニ・リビシ、アンナ・ファリス、林 文浩 / 提供:フォーカス・フィーチャーズ / 制作:アメリカン・ゾエトロープ&エレメンタル・フィルムズ / 宣伝:PAHNTOM FILMS / 配給:東北新社
2003年アメリカカ作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:松浦美奈
2004年04月17日日本公開
2004年12月03日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.lit-movie.com/
シネマライズにて初見(2004/04/24)

[粗筋]
 盛りを過ぎた俳優のボブ・ハリス(ビル・マーレイ)は、洋酒のCM撮影のために来日した。200万ドルという報酬も魅力だったが、それ以上に関係に歪みの生じている妻や子供達から逃げ出したい、という思いに駆られて承諾した話だった。
 だが、時間を区切られた日本での日々は、寛ぐという言葉からほど遠い状況だった。ホテルの従業員やエージェントとはいちおう英語でコミュニケーションが取れるが、肝心の撮影のスタッフがまるで英語を解さない。演出家の長々とした注文も通訳を介するとまるで違う内容にしか思えないし、多少話せる様子のカメラマンも話が一方通行で、ボブの言葉を充分に理解しているとはとても思えない。フラストレーションのせいで、ボブは滞在初日から不眠症に陥ってしまう。
 ボブと同じパークハイアットに宿泊しているシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)もまた、不眠症に悩まされていた。カメラマンとして招待された夫ジョン(ジョバンニ・リビシ)に随行しての来日だったが、夫が毎日忙しく働き回っているあいだ、シャーロットはひとりホテルで彼の帰りを待ち続けている。ジョンには出かけていいと言われて、生け花教室に参加したり寺院に読経を聴きに赴いたりしたけれど、まったく琴線に触れない。寂しさに、郷里の母に電話をかけても、シャーロットの孤独を理解してはくれなかった。
 そんなボブとシャーロットがある日、ホテルのバーで巡り会った。親と子と言ってもいいくらいの年齢差があったが、互いの表情に共鳴するものを感じ取ったのか、ふたりは瞬く間に親密になった。ボブの躰が空く日の前夜、ふたりはシャーロットが日本で得た数少ない友人チャーリー(林 文浩)の案内で、いつもとは違う場所へと出かけていった……

[感想]
 日本人に親しみやすい、という点では『ラスト・サムライ』以上の作品である。現代の日本、主に渋谷界隈を舞台に、過剰なノスタルジーにも最新の風俗にも染まることなく、平均値に近い日本像を描いているからだ。
 題名である“Lost In Translation”とは、通訳を介することで、その言葉が本来意図していたものから失われてしまった意味のこと――と書くと回りくどくて解りにくいだろうが、これは映画で実際のやり取りを御覧いただければ一目瞭然である。この食い違いはちょっとでも英語に触れた人間には非常によく解る感覚で、劇場にこぼれる笑いにもちょっと苦々しいものが混ざる。主要スタッフに混ざって名前を連ねていた日本人のお陰だろう、日本人の言動にも違和感がなく、日本人ならば海外の観客以上に楽しめること請け合いだ。
 ただ、これは題名に掲げられているにも拘わらず、物語の一番重要なテーマではない。問題となるのは、そうしたコミュニケーションの断絶によって生じる孤独と、孤独という共感から生じた仄かなロマンスである。
 俳優であるボブの孤独は何も日本に来てから感じはじめたことではない。役者としての盛りを過ぎてしまった彼は、芝居に精進するべきだと思いながら多額のギャランティが発生する日本でのCM撮影に目が眩み、そんな自分に自己嫌悪を感じている。また、既に25年も一緒に暮らしている妻とのあいだには断絶があり、年の離れすぎた子供達とも感性の違いを意識せずにはいられない。もうひとりの主人公であるシャーロットは、結婚二年目で情も深い夫に随行して来日したものの、やはり言葉も満足に理解できないのに、忙しい夫の留守を待って毎日ひとりで過ごす時間を強いられている。もともと親日家だったらしい描写がある彼女は、実家の母に連絡しても羨ましがられるだけで、その孤独を理解して貰えない。たぶん異国に身を置いて初めて意識した親しい人々との疎隔に、シャーロットの孤独はより募っていたはずだ。
 彼らに束の間の安らぎを与えたのが、生け花や神社仏閣といった日本独特の観光資産ではなく、風俗の東西にこだわりを見せない人々だった、というのは一種の皮肉であると同時に、いちばん現実に即した捉え方と言えるだろう。
 とは言え、本編の意図は別段、日本文化の画一的な捉え方に異を唱えることにも、まして日本人の柔軟性に欠く対応を批判することにもなかった。前述の通り、あくまでもこの物語の基幹となるシチュエーションは、意思の疎通が困難な土地で生活するという孤独と、その中で生まれた微かな共感と、恋慕に似た感情を描くことにあった。
 いずれの感情も、この場所、この時をおいて他の状況では成立しえなかった。だからこそ、そうした微妙な交流を理解したソフィア・コッポラの繊細な感性と、日本とアメリカどちらの文化圏に属する人々にとっても違和感なく描写した手腕に感嘆せずにいられない。
 ラストシーン、雑踏のなかでの静かでしかし情感に満ちた抱擁が、そうした主題を綺麗に象徴し、優しい余韻とともに幕を下ろす。この国を去るボブの目に映る情景は、冒頭とはたぶん百八十度異なったものだったろう。
 エンドクレジットのバックで流れるはっぴいえんど『風をあつめて』のメロディとともに、心地よい後味を残す美しいロマンスにして、柔らかなコメディ。こんな作品には、そう滅多にお目にかかれるものではない。
 ……冒頭、いきなりスカーレット・ヨハンソンのお尻が大写しになったときには正直どうしようかと思いましたけど、ね。

 日本人にとっては作中登場する風物の取り扱いも楽しみのひとつとなる。見覚えのある風景が外国作品のスクリーンに登場するだけで、新しい趣に出会ったような気がするはずだ。
 そんななかに、実は上映前から個人的に気にしていたものがひとつある。物語の終盤で、ボブが日本のトークショーへの出演を承諾し、その収録の模様と番組のさわりが描かれているのだが、その番組、テレビ朝日系にて放送されている『Matthew's Best Hit TV』なのである。
 吉本興業所属の藤井隆が海外でも人気を博するマシュー南なる人物に扮してMCを務める、かなり個性的なバラエティー番組で、出演者の大半がマシュー南旧知の人物として紹介されるという妙なノリが大きな特徴のひとつとなっている。これにボブがゲスト出演する、という虚実をないまぜにしたシチュエーションをどのように扱っているのか興味津々だったのだが、残念なことに作中あまり扱いは大きくない。収録場面も肝心の放送も数十秒程度で終わっている。
 まあ、番組の個性がきつすぎて、あまり採りあげすぎると作品のムードを壊す危険もあったのだから、妥当な扱いだったとは思う。収録から放送までの時間が異様に短すぎるとか、どー考えても放映日が間違っているとか、些末な点に突っ込んでみるのもまた一興。
 ちなみにスタッフロールには芸人“Takashi Fujii”ではなくスーパーマルチタレント“Matthew Minami”として記載されてました。そーいうところは解ってます。

(2004/04/25・2004/12/02追記)


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