cinema / 『LOVERS』

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LOVERS
原題:“十面埋伏” / 監督:チャン・イーモウ / 製作:ビル・コン、チャン・イーモウ / 製作総指揮:チャン・ウェイピン / 原案:チャン・イーモウ、リー・フェン、ワン・ビン / 脚本:リー・フェン、チャン・イーモウ、ワン・ビン / 撮影:チャオ・シャオティン / アクション監督:トニー・チン・シウトン / 美術:フォ・ティンシャオ / 録音:タオ・ジン / 音楽:梅林 茂 / 主題歌:キャスリーン・バトル / 衣装デザイナー:ワダ・エミ / 編集:チェン・ロン / 共同製作:チャン・ジェンイェン / 出演:金城 武、チャン・ツィイー、アンディ・ラウ、ソン・タンタン / 配給:Warner Bros.
2004年中国作品 / 上映時間:2時間 / 日本語字幕:水野衛子、太田直子
2004年08月28日日本公開
2005年01月28日DVD日本盤発売 [amazon|プレミアムBOX:amazon]
公式サイト : http://www.lovers-movie.jp/
丸の内ルーブルにて初見(2004/08/28)

[粗筋]
 西暦859年、中国、唐代。政治腐敗が進行していた体制に反発する組織が乱立するなか、その最大勢力である「飛刀門」と捕吏とのあいだで激しい戦いが続いていた――敵味方の彼岸を見失うほどに。
 捕吏の同僚である劉(アンディ・ラウ)が得た情報を頼りに、金(金城 武)は身分を隠して牡丹坊なる遊郭を訪れた。牡丹坊一の芸妓がどうやら「飛刀門」と関わりがあるらしい、というのである。もとより女好きを自認する金は、“随風[スイフォン]”を名乗り客として潜入すると巧みに女将(ソン・タンタン)に取り入り、問題の芸妓と対面した。彼女の名は、小妹[シャオメイ](チャン・ツィイー)――盲目ながら踊りの達人である。
 金は小妹相手にトラブルを起こし、それに乗じて劉が金もろとも小妹を取り押さえた。劉は女将の取りなしを受けて、袖で鼓を打ち鳴らしながら踊る独特の舞をこなせれば放免する、と約束する。牡丹坊の面々が固唾を呑んで見守る中心で、小妹は見事な舞を披露するが、突如刀を取って劉に襲いかかった。「朝廷の犬はすべて殺す」そう言い放った彼女を、劉は返り討ちにし、拘束する。
 劉は拷問を匂わせて、牡丹坊に潜伏していた目的と、他の仲間の所在を聞き出そうとするが、小妹は口を開こうとしない。さきごろ、朝廷側は「飛刀門」の頭目を謀略によって殺害したが、その頭目の娘が行方を眩ましている。彼女が盲目であった、という事実から、小妹こそその娘ではないか、という読みを劉は金に打ち明ける。
 一日の猶予を小妹に与えて劉が監獄を立ち去ったその晩――何者かが監獄を襲撃した。看守たちを瞬く間に叩き伏せると、小妹の拘束を解いてその場を脱出する。男は、随風であった。
 随風こと金は劉と共謀し、小妹の逃走を手助けすると見せかけて「飛刀門」の本拠を割り出そうと目論んでいた。劉は偽の追っ手を出して随風に撃退させ、小妹の彼に対する信用を強める工作まで施すが、ここで思いがけない事態が勃発する。小妹と、その逃走に手を貸す随風に、朝廷が直々に捕吏を送り出したのだ……!

[感想]
 チャン・イーモウ監督以下、『HERO』に関わったメイン・スタッフが再結集して作りあげた第二の武侠映画である。制作者側もそう捉えられることを重々承知のうえのことであろうから、前作『HERO』との比較を中心に感想を記してみよう。
 一種、天上の華麗なる戦いという様相を呈していた前作に対し、本編はその圧倒的技倆を留めつつも地上に降ってきた、という趣がある。冒頭、牡丹坊における小妹の舞踏とそれに続く格闘場面には、画面狭しと翻る衣装や極度に無個性化した群衆、そして絢爛に作り込まれた舞台と、前作を彷彿とさせる意匠が鏤められているが、その華美な装いは監獄からの逃走を経、主な舞台が野外に移るとにわかに生々しくなる。相変わらず武芸の数々は超人的なのだが、その活用ぶりも効果も抽象的だった前作と比べると、すべてが具体的に描写されるのだ。繰り出される矢や飛刀と併走するカメラアングルが、その攻撃の齎す効果を劇的に演出する。全体的に武芸の見せ方が動的になっているのも前作を意識してのことだろう。
 だが、最も変貌したのは登場人物たちとその設定である。前作は主人公こそ“無名”だがいずれも志の高い人物が連なり、剣や槍を携えての戦闘シーンでさえ哲学的な色彩を帯びたものだったが、本編はいちばん観客に近い立場にある金=随風は女好きで知られる下っ端の役人、劉は捕吏を統率する立場ではあるが地位としては金とさほど変わらない。そして宿命のヒロイン小妹に至っては、盲目にして遊郭の芸妓。いずれも異常なほど武芸に秀でているが、前作のように互いの思考を探る、といった哲学的な意図で刀を交えることなどはせず、生身で意味合いの明確な戦いを繰り広げる。
 その一方で、プロットに秘められた企みやふんだんな伏線の妙は健在だ。会話の隅々にクライマックスへの伏線を鏤め、一見、舞踏の美しさを披露するためだけに設けられたように思える冒頭・牡丹坊の一幕でさえ、中盤以降に判明するある事実に説得力を付与する材料として用いられている。但し、その企みもまた前作と比べると卑近で生々しい。次第次第に神話の神々じみた立ち居振る舞いを見せる前作の登場人物たちに対し、本編の金や劉、小妹の表情は話が進むに従って豊かになり、現実味を増していく。小出しにされる真実のひとつひとつが、彼らの表情の裏側にあるものを浮き彫りにしていくのである。
 これほど企みの多い作品であると、本編のタイトルが窺わせるようなロマンスは形骸化し、物語の中で単なる彩り以上の意味を持たなくなるのだが、本編ではある段階でどんでん返しを中断し、戦闘の向こう側に細かな心理の綾を窺わせる演出にスライドすることで、終盤にかけて物語に隠されていた情感を盛り上げていく。このさじ加減が非常に巧い。
 それまで色彩豊かな背景で、人間離れした戦闘を繰り広げていた彼らは、ここで雪の絶え間なく降り積もる白一色の広原で、地に足をつけたまま互いの肉を切り刻む壮絶な戦いぶりを見せる――いわば、生身に戻っていく。序盤が華麗であるだけに本来地味に感じられても仕方のないこの場面が強烈な印象を齎すのは、そこまでの筋運びの巧さと、心理描写の積み重ねによるものだ。このドラマの高まりはまさに圧巻と言うほかない。
 とことん幻想的であったのが『HERO』なら、本編はその面影を残しながらも官能的に発展させたという気がする。寓話性はほとんど消えてしまったが、その分登場人物の感情や行動に具体性が伴った。
 あまりに説明を省きすぎたために、たとえば終盤である人物が下す命令が主人公たちにとって都合良すぎることなど、引っかかる点も幾つかあげられる。中盤から後半あたまぐらいにかけて繰り返されたどんでん返しのために、最後でもう一ひねりぐらいを期待させられてやや拍子抜けのような思いを味わう、という欠点もある。だが、いずれも大した問題ではない――特に後者は、寧ろここで収めたからこそ、終盤の身振りや会話の意味を強め、余韻を深めているのだ。
 前作の哲学的なストーリーや幻想的なアクション・シーンを期待しすぎると、かなり肩透かしの気分を味わわされるかも知れない。だが、前作を強く意識しながら別の方向性を探りつつ、しかしエンタテインメントであることにも神経を使った本編は、間違いなく前作の延長上にある傑作である。

(2004/08/29・2005/01/27追記)


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