cinema / 『ラッキーナンバー7』

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ラッキーナンバー7
原題:“Lucky Number Slevin” / 監督:ポール・マクギガン / 脚本:ジェイソン・スマイロヴィック / 製作:クリス・ロバーツ、クリストファー・エバーツ、カイア・ジャム、アンディ・グロスチ、アンソニー・ルーレン、タイラー・ミッチェル、ロバート・S・クラヴィス / 製作総指揮:ドン・カーモディ、シャロン・ハレル、ジェーン・バークレー、エリ・クライン、アンドレア・シュミッド、AJ・ディックス、ビル・シブレイ / 共同製作総指揮:ハンナ・リーダー / 共同製作:チャールズ・ジュード・フェウアー / 撮影監督:ピーター・ソーヴァ,A.S.C. / プロダクション・デザイン:フランソワ・セガン / 編集:アンドリュー・ハルム / 衣装デザイン:オデット・ガドリー / 音楽:J・ラルフ / キャスティング:トリシア・ウッド,C.S.A.、デボラ・アキュア,C.S.A. / 出演:ジョシュ・ハートネット、ブルース・ウィリス、ルーシー・リュー、モーガン・フリーマン、サー・ベン・キングスレー、スタンリー・トゥッチ、ミカエル・ルーベンフェルド、ロバート・フォースター、ミケルティ・ウィリアムソン、ダニー・アイエロ、スコット・ギブソン、オリヴァー・デイヴィス、サム・ジャガー / 配給:Art Port
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:岡田壮平
2007年01月13日日本公開
公式サイト : http://www.lucky-movie.jp/
丸の内プラゼールにて初見(2007/01/13)

[粗筋]
 ニューヨーク。街道を挟んだふたつの高層ビル最上階に閉じこもる“ボス”(モーガン・フリーマン)と“ラビ”(サー・ベン・キングスレー)によって、一帯の闇勢力は二分されている。かつては仲間同士であったふたりが袂を分かって長いが、双方が疑心暗鬼から、護衛と防弾ガラスによって固められた最上階に閉じこもっていることで、剣呑ながら均衡は保たれていた。
 だが、両者に関係する人物が相次いで殺害されたことで、バランスは崩壊する。“ボス”は最愛のひとり息子を“ラビ”によって殺されたと判断、報復のために“ラビ”の息子イツザック(ミカエル・ルーベンフェルド)の殺害を画策する。
 そのために“ボス”は事務所にニック・フィッシャーという男を呼び寄せる。先日殺害された“ボス”の部下であるノミ屋に多くの借金を抱える男であり、それをチャラにする代わりにイツザックを殺害するよう指示したのだ。
 しかし、ニックの部屋に押しかけた“ボス”の配下が発見した男は、スレヴン(ジョシュ・ハートネット)と名乗った。職をクビになり彼女にはフラれ、ニックを頼ってニューヨークにやって来たが、当のニックは姿を眩ましている。身繕いの最中で、腰にタオルを1枚巻いただけの姿だった彼はそう言い募ったが、配下は単なる見苦しい言い訳だと判断して“ボス”に差し出したのである。
 返答まで一日の猶予を与えられたスレヴンはニックの部屋に舞い戻るものの、ふたたび押しかけた男達によって、今度は“ボス”の暮らすのとは真向かいに位置するビルに連れて行かれる。再度、ニック呼ばわりされたスレヴンは、“ラビ”に対して負っている借金を3日以内に返すよう命じられる。スレヴンに逃げ道などなく、ただ言われるがままに頷くだけだった。
 ニックに間違われた男を中心に、突如として崩れはじめた均衡。だがその背後には、確かに謀略の気配が蠢いていた……

[感想]
 また粗筋を書くのが難しい映画である。そのうえ感想も迂闊に書きづらい。
 とりあえず、仕掛けが用意されている映画である、とだけは断言しておきたい。しかし、ちょっと目端の利く人であれば、その背景は一瞬で見抜けるし、真相についても早い段階で察知は出来るだろう。だが、解るから評価が下がるということにはならないし、詰まらないということにも繋がらない。実際本編は、最後まで緊張感が緩まず、スクリーンから目を離すことは出来ないはずだ。
 まず、見せ方が非常に巧い。デザインの優れたタイトルバックと絡む形で、いきなり立て続けに行われる殺人の模様を描いたかと思えば、急に舞台は人気の少ない空港のロビーに移り、不意に現れた男が飄然と物語り、そして鮮やかな手際を披露する。再度視点が変わると、今度はまるで笑い話のような不運を語る男が、更に洒落にならない状況へと追い込まれていくさまをリズミカルに描く。次から次へとエピソードと謎とを積み重ね、観客を五里霧中に導いていこうとする筆捌きが流暢で、全体像が把握できないまま、しかし観るものはいつの間にか目をスクリーンに釘付けにされている。この牽引力に富んだ構成は実に見事だ。
 また配役も絶妙である。対立するふたつの組織の首領にはモーガン・フリーマンとサー・ベン・キングスレーというふたりのアカデミー俳優を配し、存在感と洒脱な表現力とで役柄にフィットしてみせる。スタンリー・トゥッチのどこか胡散臭い刑事役も秀逸だし、あらゆる出来事の背後にその姿をちらつかせるブルース・ウィリスも久々にシャープな演技を披露している。とりわけ主演格となるジョシュ・ハートネットは世にも情けない男の演技を主軸に、物語の中心人物をユニークに、しかしクールに体現して、『ブラック・ダリア』のときにも匹敵する好演を見せている。その絶妙な配役ぶりが特に活きているのはルーシー・リューである――が、なぜ絶妙なのかは観ていただいてご理解いただく以外ない。観終わったあとに唸らされること確実である。
 が、まったく欠点がないわけではない。リズム感に富みシャープに繰り広げられる演出は、監督がスコットランド出身であることもあって如何にもイギリスの犯罪映画の系譜を感じさせるが、スタイリッシュと呼ぶには終盤がやや深刻で、少々泥臭さがあるのが気に掛かる。謎解きと言えるクライマックスに滲む生真面目さが、オープニング以降の洒脱さと、ギリギリにある緊張感の齎す雰囲気と若干ズレを生じさせており、ややちぐはぐな印象がある。
 もうひとつの問題は、恐らく観客の誰もがいちばん知りたかった謎について、明確な答を示していない点だ。このことから本編について否定的な感想を持つ人もあるだろうと思う。だがしかし、この部分についてはラストシーン、最後に解かれるある仕掛けに対する、張本人の反応そのものが答を仄めかしていると捉えられる。ユニークかつスタイリッシュ、しかし血によって彩られた物語ながら、底流には“情”が鏤められている。それを最も明瞭で、鮮烈なかたちで示し、やや泥臭くなりかけたストーリーをふたたび綺麗に纏めたあたり、姿勢に一貫したものが窺われる。
 何より、観終わったあとで検証していくと、細部までよく考慮した上で描写を選び、小道具を用いているのが解る。幾つかの殺人の意味、終盤で突如として利いてくる些細なひと言、巧妙に扱われるアイテム。一見して腑に落ちなかったという人でも、いやそういう人であればこそ、二度・三度と繰り返し鑑賞するほどに面白さが増すのではなかろうか。
 計略自体は大きな目的意識で統一されており、ある一点に着目すれば簡単に解き明かすことは可能だ。しかしそこで安易に批評することなく、細部まで目を凝らせば凝らすほどに楽しめる、吟味しがいのある良作である。次第に二枚目俳優という狭い枠から脱却しつつあるジョシュ・ハートネットの成長ぶりを窺い知るうえでも見逃せない1本と言えよう。

(2007/01/13)


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