cinema / 『マシニスト』

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マシニスト
原題:“The MACHINIST” / 監督:ブラッド・アンダーソン / 脚本:スコット・コーサー / プロデューサー:フリオ・フェルナンデス / エグゼクティヴ・プロデューサー:カルロス・フェルナンデス、アントニア・ナヴァ / 撮影監督:シャヴィ・ヒメネス / ライン・プロデューサー:テレサ・ゲファエル / アート・ディレクター:アラン・ベイネ / サウンド:アルベール・マネラ / 編集:ルイス・デ・ラ・マドリード / 音楽:ロケ・バニョス / 出演:クリスチャン・ベイル、ジェニファー・ジェイソン・リー、アイタナ・サンチェス=ギヨン、ジョン・シャリアン、マイケル・アイアンサイド、ラリー・ギリアード、レグ・E・キャシー、アンナ・マッセイ / 配給:東芝エンタテインメント
2004年スペイン・アメリカ合作 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:岡田壯平
2005年02月12日日本公開
公式サイト : http://www.365sleepless.com/
渋谷シネクイントにて初見(2005/02/12)

[粗筋]
 ……もう一年間もまともに眠っていない。トレバー・レズニック(クリスチャン・ベイル)の告白に、彼が贔屓にしている娼婦スティービー(ジェニファー・ジェイソン・リー)は半信半疑の面持ちながら同情の言葉を返した。
 トレバーは少々理屈っぽいきらいはあるが、仲間たちと気さくな会話を交わすことも出来る、ごく平凡な機械工、のはずだった。だが不眠症となったその頃から体重は減り始め、今や50kg近くにまで萎んでいた。目は突き出て鎖骨も肋骨も剥き出しになったような彼の躰を見て、上司は薬物中毒を勘繰るが、問題は現れない。しかし、自分の置かれた境遇が傍目に異常であることはトレバー自身よく承知していた。だが、夜中に横になっても、晦渋な文学書に目を通していても、一瞬の微睡み以上の眠りに陥ることがなかった。
 そんなトレバーにとっての心の支えは、スティービーと深夜の空港のレストランで働くマリア(アイタナ・サンチェス=ギヨン)の存在だった。長いこと通い続けているあいだにスティービーはトレバーに単なる常連客以上の態度で接するようになり、マリアは退屈に喘ぐトレバーの軽口を快く受け止めてくれていた。
 公共料金の督促状が届いていることに今更だが気づいたトレバーは、「必ず支払うこと」とメモを書いて貼り付けるために冷蔵庫に近づき、そこに見覚えのない付箋が貼ってあるのを目に留めた。それは、ハングマンゲームと呼ばれる、子供向けの遊びであり単語を覚えさせるのにも使うゲームで、鈎状の部分に吊された男の姿が完成するまでに、一番下に書かれた破線の数に合致する単語を当てるというもの。破線は六つ、文字は何も書かれていない。それ以前に、トレバー自身には貼った記憶がない。この貼り紙には何の意味があるのか、そして貼ったのは誰か……?
 ある日、トレバーは職場で友人のミラー(マイケル・アイアンサイド)に頼まれて、ミラーが担当する機械の修理を手伝っていた。ふと目を上げると、旋盤のところで見覚えのある男が作業している――その男、肉付きのいい巨漢のアイバン(ジョン・シャリアン)はトレバーの視線に気づくと、防護マスクを外して、首のあたりを切る仕種をしてみせた。何故か動揺したトレバーははずみで機械のスタートボタンを押してしまう。すると、固定されていたはずの機械は作動をはじめ、叫ぶミラーの左腕を切断してしまった……
 上司たちの事情聴取に対して自分のミスを全面的に認めるトレバーだったが、上司たちは事故の再発を防ぐためと言って詳しい説明を求める。トレバーは素直に、アイバンに目が行ってしまったせいで、と話したが、上司たちは眉を顰めた。この工場に、アイバンという男は存在しない。そういえば、駐車場で初めて会ったとき、アイバンはレイノルズという同僚が逮捕されたためにシフトを交代した、とトレバーに説明したはずなのに、レイノルズは何事もなく出勤している。トレバーの言動に、同僚たちも不信を募らせていた。
 そして、冷蔵庫にはふたたびハングマンゲームの貼り紙。文字は末尾の二文字までが埋められていた。“____ER”――相手は、トレバーにいったい何を訴えかけているのだろう……?

[感想]
 公開前に大きく話題となったのは、主演クリスチャン・ベイルが役作りのために約30kgという大幅な減量を行い、骸骨のような外見になって撮影に臨んだというエピソードである。予告編でもその姿がクローズアップされ、公式サイトや各種プレスでもまずその役者魂が賞賛されたものだが、寧ろ注目するべきは、クリスチャン・ベイルがそこまで本気で取り組む決意をした本編の企画内容と脚本だ。
 主人公は序盤で「一年間眠っていない」と言い放ち、実際作中でも眠る場面がない。夜中、『白痴』を手にしながらうつらうつらと微睡み、手から本が落ちた表紙に目醒める、という描写があるあたりから、実際には時折意識が途切れる瞬間があると思われるが、実際その程度なのだ。そうして“眠りたくても眠れない”という状況に追いやられた主人公トレバーの言動は、序盤こそ常識的だが、冷蔵庫の貼り紙、アイバンという謎の男など、理解不能の出来事が積み重なっていくにつれてエキセントリックさを増していく。一晩以上の徹夜を経験したことのある人なら解るだろうが、睡眠の足りない状況で人は虚ろになるか、傍目に異様な高揚状態に陥り、感情の変化が激しくなる。物事への理解が単純化し、ある出来事から唐突に妙な結論に到達して独善的な行動に走ることが多くなる。食欲も減退するわけで、この状態が続けば痩せていくことも想像に難くない。
 物語はこのあまりに特異な状況を徹底的に活かして構成されている。ちょっとでも詳しく書こうとすると簡単にネタバレになってしまうのが辛いが、とにかくその展開と結末に説得力を与えるためには、主人公トレバーの不眠症という状態が完璧に描かれていなければならなかったことは間違いない。
 当初監督や脚本家はCGや着ぐるみを使って主人公の衰弱ぶりを再現するつもりだったというが、恐らくそれでは物語の強度を支えきれなかっただろう。クリスチャン・ベイルの文字通り身を削るような努力があって初めて、この異様な出来事に芯が通ったのだ。
 肝心のアイディアは、その大きな屋台骨のひとつは割と有り体なもので、すれた観客なら早い段階で察しがつく。だが、優れているのはその先だ。何故そんなことが起きているのか、の説明が有り体ではなく、しかし古来繰り返し描かれたあるテーマにまったく異なる光を当てることに成功している。衝撃的なラストのあと、作中描かれた出来事を振り返っていくと、実に明快な説明がつくことに気づき、ふたたび驚かされるはずだ。
 映像と音楽も、この一風変わった物語に更なる力を齎している。映像はモノクロ映画と見紛うかのように色の数が少なく、突如として極彩色の存在を繰り出してその異物感を増長させる。オーケストラ風のオーソドックスな構成を採用した音楽はいかにもサスペンス映画らしく、不安や緊張感を否応なくあおり立てる。いずれも決して珍しいスタイルではないのだが、そのバランス感覚が絶妙であり、過剰に彩ることをしないから尚更に根本のアイディアとプロットを引き立てているのだ。
 実のところ、見終わった直後の印象はそこそこだったのだ。だが、感想を書くために改めて振り返り、その素材のひとつひとつを検討していくと、製作者たちの深甚な企みが浮かび上がってくる。矯めつ眇めつしているうちに、端倪すべからざる作品だという評価にすり替わってしまった。今ではもういちど劇場に足を運びたい衝動にさえ駆られている。あの緊張感と高揚感、そして結末にいたる伏線を再度検証するために。
 一見、オーソドックスな構成にちょっとした“驚き”を交えただけのサスペンス。だがその実、極めて精緻な企みに彩られた脅威の“心理ドラマ”である。クリスチャン・ベイルの痩せ衰えた躰と共に前面に打ち出された“『メメント』に継ぐカリスマ・ムービー”という惹句は大袈裟でも何でもない。

(2005/02/13)


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