cinema / 『SAW2』

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SAW2
原題:“Saw II” / 監督:ダーレン・リン・バウズマン / 脚本:ダーレン・リン・バウズマン、リー・ワネル / 製作:マーク・バーグ、グレッグ・ホフマン、オーレン・クールズ / 製作総指揮:ピーター・ブロック、ジェイソン・コンスタンティン、ステイシー・テストロ、ジェームズ・ワン、リー・ワネル / 共同プロデューサー:ダニエル・J・ヘフナー / 撮影監督:デイヴィッド・A・アームストロング / 編集:ケヴィン・グルタート / プロダクション・デザイナー:デイヴィッド・ハックル / 衣装:アレックス・カヴァナ / メイクアップ:パトリック・バクスター、ニール・モリル / 音楽:チャーリー・クロウザー / 出演:ドニー・ウォルバーグ、ショウニー・スミス、トビン・ベル、フランキーG、グレン・プラマー、ダイナ・メイヤー、エマニュエル・ヴォジエ、ビヴァリー・ミッチェル、エリック・ナドセン / ライオンズ・ゲート・フィルムズ&ツイステッド・ピクチャーズ製作 / 宣伝:PHANTOM FILM / 配給:Asmik Ace
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間34分 / 日本語字幕:松浦美奈
2005年10月29日日本公開
公式サイト : http://saw2.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/10/29)

[粗筋]
 エリック・マシューズ刑事(ドニー・ウォルバーグ)はどうしようもなく機嫌が悪かった。最近になって外勤から内勤へと異動させられ、離婚した妻に引き取られた息子ダニエル(エリック・ナドセン)は問題を起こしてエリックの手を煩わせながら、彼に対しては反感しか示さない。そんな矢先に、同僚のケリー(ダイナ・メイヤー)がとある事件現場へと彼を呼び寄せた。
 暗く薄汚れた部屋で発見されたのは、頭をハエトリソウのような機械で潰された男。部屋の隅に残されたモニターとビデオテープ、そして肩に残されたパズルのピース状の傷痕。それらの痕跡は、一年ほど前から一帯を震撼させている通称“ジグソウ”の犯行であることを示唆していた。ジグソウの事件の担当はケリーであり、もともとエリックは関与できる立場にない。そんな彼をケリーが呼び立てた理由は、犯行現場の天井に記されていた。不敵にもジグソウが残していった文章は、“近づいてよく見ろ、マシューズ刑事”
 ジグソウが目をつけたのには何らかの理由があるとしてケリーは協力を要請するが、エリックは乗り気になれない。しかし深夜、悪夢のように甦った事件現場の記憶の中に、エリックはヒントらしきものを見出した。被害者に死を齎した処刑具に、ご丁寧にも『ウィルソン鉄鋼』のロゴが記されていたのだ。
 エリックはケリーやSWATと共に、現在は廃屋となっている『ウィルソン鉄鋼』の建物に突入する。凶悪な罠を乗り越えて潜入した先には――病み衰え、医療器具から伸ばしたケーブルを腕に刺した男がいた。
 ジョン(トビン・ベル)と名乗るその男は照準器の光を向けられても身動ぎひとつせず、名指しでエリックに語りかける。私を逮捕する前に、君にはあのゲームを解いてもらわなければならない、と言って、ジョンは部屋の奥を指さす。
 フェンスで囲われたその一画には、様々な図面と共に、シーツに覆い隠される格好で幾つかのモニターが置かれていた。画面に映っているのは、いずことも知れない館のなか、ある者は倒れ、ある者は扉に取りすがり、ある者は絶望に打ちひしがれて縮こまっている姿。そのひとりが我が子ダニエルであると気づいた瞬間、エリックは立場を忘れてジョンに詰め寄る。助けたいと思うなら私と話をしろ、とジョンは薄気味悪いほどの穏やかさで言った。
 館の中にはダニエルを含め8人の男女が監禁されていた。事態が把握できず混乱する一同のなかで、ただひとり、絶望に顔を歪ませながらも迷うことなく動き、隠されていたテープレコーダーを発見した女性がいた。彼女の名はアマンダ(ショウニー・スミス)――一年ほど前、やはりジグソウの虜となりながらも生還した、唯一の人物だった。再生されたテープから、不気味な低音がルールを囁く。8人は遅効性の神経ガスに冒されている。三時間後に館の正面の扉が自動的に開く仕組みになっているが、君たちの躰は二時間程度しか保たない。解毒剤を入れた注射器は人数分、部屋の中央にある金庫に納めてある。暗証番号のピースは8人それぞれが持っているが、注射器は屋敷の各所に仕掛けられた“ゲーム”をクリアすることでも得ることが出来る。僅かなヒントを残して、テープは終わった。
“さあ、私とゲームをしよう”

[感想]
 前作『SAW』を見た直後の衝撃は凄まじかった。映画道楽が高じた結果、ジャンルを問わず様々な作品を渉猟するようになったが、それでも何より切実に求めていたのは『セブン』や『羊たちの沈黙』のような、残酷ながらも理知を備え、かつ結末で価値観を揺さぶられるが如き衝撃を齎すものだった。惹句にそうした作品群を持ち出しているものは多いがほとんどは私の渇望に応えるものではなく、すっかり飢えきったところへ出没した第一作に、私は熱狂した。その後あっちこっちで薦めまくった挙句、しばらくのあいだ会う人会う人に「『SAW』観ましたよー」と言われるようになってしまうほどだった。
 しかしそれ故に、全米での公開後間もなく決定したという続編製作に不安を禁じ得なかった。ヒットに乗じて製作された続編が、第一作のファンの期待に応えられぬ代物に仕上がってくるケースは少なくない。たとえば『CUBE2』はVFXを駆使したあまりオリジナルとかけ離れたものになってしまったし、『クリムゾン・リバー2』はまだしも観られる出来ながら自己模倣の域を出なかった。本編にしても、続編製作が決定した時点で既に最大の功労者である監督のジェームズ・ワンと脚本・主演のリー・ワネルはふたたびタッグを組んだ新作に着手しており、初期段階で監督を別の人物が手懸けることが報じられていた。まさに例に挙げた二作と似たようなパターンを辿っているだけに、尚更に危機感が募る。
 それがある程度払拭されたのは、前作の監督ジェームズ・ワンが製作総指揮に、脚本・主演のリー・ワネルがやはり脚本と製作総指揮に名前を連ねており、前作の世界観を踏襲するアイディアを盛り込むのに協力した、と聞いたことにあった。前述の作品群の失敗は、主要な部分を担っていたスタッフが現場を離れ、新人や別の作り手が中途半端な形で前作のスタイルだけを借りてきて無理矢理に格好だけ整えたことに因っている。翻って、メインではないにしてもきちんとオリジナルのスタッフが加わっている本編は、前作を超えるのは無理にしても、ある程度のクオリティは保っているだろう、と確信したのである。
 そうして初日に馳せ参じ、鑑賞した本編は――ある意味で期待通りであり、ある意味で大幅に期待を裏切るものだった。これほど理想的な“続編”に仕上がってくるとは、正直予測していなかった。
 とはいえ不満もあり、まず先にそれを軽く連ねていこう。
 今回、罠に嵌められた人物の数が前作よりもずっと多い。外部での出来事も一緒に描かれるものの基本的に閉じこめられ鎖で繋がれた二人の会話を中心とした前作と比べると、本編はやや会話で醸成される緊迫感の密度が低い。何せそれぞれに一癖のある人物が訳も解らずひとつところに閉じこめられ、間近に死が迫っているとあって諍いは絶えず緊張は持続するのだが、個々の背景を掘り下げる場面がないので、全般に浅く感じられるのだ。
 また、導入代わりに描かれる、前作を踏まえた場面を除くと、全体に不公平な“ゲーム”が増えた印象がある。尺の問題や話の展開から致し方のない部分が多いとはいえ、館に仕掛けられた罠のほとんどに予め解決法が提示されていないのは、前作の緊密な作りを目にしている手前、どうにも物足りなく映る。
 だが、ひとまず目につく欠点は実質その程度しかない。監督が入れ替わることで雰囲気の変化やテーマの曲解が行われるような事態に陥らず、寧ろ前作の大前提では盛り込めなかった要素を追加し、テーマを膨らませた感さえある。
 心理的な厚みはやや乏しくなったものの、予算が格段に向上したお陰もあって、罠の趣向は格段に増えヴァリエーションも多岐に亘っており、状況の齎す緊迫感はよりいっそう深刻になっている。前述のように、身を切り刻んででも解決する方法が提示されていないために生じる不公平感があるため、数を絞っていればという厭味はあるが、しかしそれでは互いに素性を知らないために、「いったい何を基準にジグソウがこの面々をいちどに監禁したのか」という謎が演出しにくくなることも想像がつく。このあたりは好みの違いだろう。
 一方で、前作のファンを蔑ろにしていないのには好感が持てる。ケリーやアマンダといった端役を再度起用するほか、ガジェットのあちこちに前作とのリンクを施している。緊張感著しい物語のなかでひょっこりと顔を覗かせる前作の要素に、あれで打ちのめされた観客はニヤリとし、驚きを新たにすることは確実だ。
 多くの要素を注ぎ込みながら、その随所に衝撃のクライマックスへと繋がる伏線を鏤める手管もまた巧みだ。例によって初見の方の驚きを削がぬよう詳述は避けるが、驚きの真相に繋がる心理的な論拠が至る所に隠されていることは指摘しておこう。完璧に前作の精神を継承している。
 結末の幾つかの描写については首を傾げるところがあったが、それもよくよく検討してみると、決して物語の全体像と矛盾していないことに気づかされる。遊び心をちらつかせつつ提示されるラストの戦慄は、前作に勝るとも劣らない。
 しかし、観終わってしばらく経ってから、この作品で何より巧いと感じたのは、冒頭のシークエンスである。あくまで“ジグソウ”がまだ暗躍を続けていることを示すためのひと幕のように思われるこの数分間だが、よくよく考えてみると、これ以外に本編のオープニングはあり得なかった、と感じられてくるのである。どうして、というのを説明するには……やはり、観ていただく他はない。
 それなりにたくさんの映画を見続けてきた私を震えさせた傑作の、早すぎる続編であっただけに期待と不安が半ばしていた本編だが、そのプレッシャーを見事にはね除けてくれた。前作に打ちのめされた人ならば、ある意味安心して、ある意味最大級の不安を抱えて足を運ぶ価値がある。前作が未見であっても相当に楽しめるだろう――が、やはり随所に鏤められた前作と関連する要素を味わい、そしてクライマックスに用意された衝撃を存分に堪能するためには、予め前作を御覧になって置いたほうがいいと思う。二本セットで、本編は更に高みに上り詰めた。
 とりあえず、私に騙される格好で前作を観に行ったという方には、是非とももう一回騙されてください、と申し上げておきたい。

(2005/10/29)


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