cinema / 『恋愛睡眠のすすめ』

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恋愛睡眠のすすめ
原題:“The Science of Sleep” / 監督・脚本:ミシェル・ゴンドリー / 製作:ジョルジュ・ベルマン / 共同製作:フレデリック・ジュンカ / 撮影監督:ジャン=ルイ・ボンポワン / 美術監修:ピエール・ベル、ステファヌ・ローゼンバウム / 編集:ジュリエット・ウェルフリング / 衣装:フロランヌ・フォンテーヌ / 音楽:ジャン=ミシェル・ベルナール / 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、シャルロット・ゲンズブール、アラン・シャバ、ミウ=ミウ、ピエール・ヴァネック、エマ・ド・コーヌ、オレリア・プティ、サシャ・ブルド、ジャン=ミシェル・ベルナール / パルチザン製作 / ゴーモン、フランス3シネマ共同製作 / 配給:Asmik Ace
2006年フランス・イタリア合作 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:石田泰子
2007年04月28日日本公開
公式サイト : http://renaisuimin.com/
渋谷シネマライズにて初見(2007/05/05)

[粗筋]
 メキシコ人の父とフランス人の母のあいだに生まれたステファン(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、父の死後、母クリスティーヌ(ミウ=ミウ)たっての願いでフランスに帰ることになった。彼の望んでいたクリエイティヴな仕事先を用意している、という話で、彼自身もかつて暮らしていた、母の所有するアパートメントに戻ったステファンだったが、実際に案内された会社で提供されたのは、カレンダーにロゴを貼りつけるだけの簡単な仕事。
 いまさらメキシコに戻ることも出来ず、やたらと馴れ馴れしい中年の同僚ギイ(アラン・シャバ)らの言動に悩まされ、次第に鬱憤を溜めこんでいたステファンだったが、ある日思いもかけない出逢いを迎える。隣にピアノを運び込もうとしていた運送業者のヘマで怪我をし、引っ越してきたばかりの隣人ステファニー(シャルロット・ゲンズブール)とその友人ゾエ(エマ・ド・コーヌ)の手当を受ける。音楽のプロデューサーをしている、などと他愛もない嘘をつく彼女たちを軽蔑しながら、自分も話の成り行きで何故か隣に住んでいる人間であることを暈かしてしまい、奇妙な交流が始まる。
 容姿についてはゾエのほうが魅力的だと思いながら、しかしステファンはいつしか、似たような世界観を持つステファニーに心惹かれていく。けれど、恋愛にはあまり関心のなさそうなステファニーに対して告白することも出来ず、いつしかステファンは唯一自分が万能でいられる夢の中に閉じこもってしまう……

[感想]
 監督・脚本のミシェル・ゴンドリーは、独創的なアイディアを用いたPVやCFによって評価を高め、映画界に進出した人物である。スパイク・ジョーンズとのコンビで知られるチャーリー・カウフマンの脚本を得た『ヒューマン・ネイチュア』で本格デビュー、同じくカウフマン脚本による第2作『エターナル・サンシャイン』はアカデミー脚本賞受賞をはじめ多くの賞に輝き、早くもその名を確立した趣がある。
 本編はそんなゴンドリー監督が初めて自ら脚本をも手懸けた長篇であるが、しかしそう聞いたときから私には一抹の不安があった。ゴンドリー監督によるPVの代表作は『Directors Label ミシェル・ゴンドリー Best Selection』で鑑賞することが出来、『エターナル・サンシャイン』鑑賞前後に私もこれで痺れた口だ。そのアイディアの鮮烈さと衝撃度は確かに凄い。だが同時に、これらのアイディアはPV特有の数分程度の尺で、しかも背景に音楽とそのテーマがあるからこそ活きるものだという印象を受けた。これらのアイディアから音楽を外し、長篇に引き延ばしても、あまり面白くならないのではないか、という危惧を抱いたのである。
 実際に観てみると、やはり恐れた通りの結果であった。アイディアや趣向、映像的な遊び心は突出しているが、しかし長篇映画としてはあまりに牽引力に乏しい仕上がりになってしまっている。
 冒頭からいきなり、夢の世界の成り立ちをシュールな状況で解説するその光景はどこかチープで、しかしそれ故に手作りの暖かさがあり、早くも独自のムードを醸成する。この主人公ステファンの夢の中での万能ぶりを示すシークエンスと、現実世界での情けない状況とを絡めていき、次第に両者の境界が不明瞭になっていく、というのが着眼なのだが、しかしあまりに不分明にしてしまったうえ、物語としてのフックに欠いているため、終始焦点がぼやけ、観ている側はどこに関心を持っていいのかが解りにくい。話として興味を集中させられる部分がないので、結果的に退屈させられてしまう。率直に言って、終始眠気との戦いを強いられる格好だった。
 但し、シチュエーションの構成や映像のアイディアそのものは優秀なのである。夢を一種のTVショーと仮定することで現実との境界線を設ける試み、手だけが肥大したり背景をすべて書き割りにしてしまう美術的な趣向の数々、とりわけ現実の中でステファンとステファニーが作ろうとしていた“箱庭”の素材を用いた描写は詩的で、鋭敏な感性を示している。
 連携が悪く、展開そのものも恣意的に感じられるため、話に乗るのは難しいが、しかしシチュエーションそのものは実際にあり得るものを採りあげているので、人によっては身に沁みるような感覚を味わわされることだろう。ラストもいささか唐突に訪れるが、そこで示される、映像的な外連味を省いたシンプルな映像には、甘くも切ない感覚が滲む。物語としてのアイディアが唯一、しかし最高のかたちでここに活きてくる点は評価したい。
 登場人物は主人公のみならず、ヒロインもその友人も、主人公が詰まらない職場と切って捨てる会社の同僚たちでさえ変わり者であり、それ故に愛すべき“負け犬”の雰囲気が漂っており、滑稽さと切なさを等しく感じさせる造型は巧みだ。彼らの個性が、夢の世界のシュールな趣向にちゃんと活かされている点で、本編は一貫したテーマによって構築された映像空間としては完成されている、と断じられる。ただ、お話として眺めて決して興味を惹くような作りではなく、また率直に言って間違いなくマニアックな代物であるが故に、万人には薦めがたい作品である。ロマンスとしてもっと完成させたかったのなら、別の脚本家の助けを借りるなどしたほうが賢明であったように思うし、ミシェル・ゴンドリーが長篇映画を撮り続けるつもりであれば、恐らくそのほうがより傑作を生み出せると思う。間違いなく才能は優れているのだから。

(2007/05/05)


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