cinema / 『海を飛ぶ夢』

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海を飛ぶ夢
原題:“Mar Adentro” / 英題:“The Sea Inside” / 原作:ラモン・サンペドロ(アーティストハウス・刊) / 監督・製作総指揮・脚本・音楽・編集:アレハンドロ・アメナーバル / 脚本:マテオ・ヒル / 製作:フェルナンド・ボバイラ / 撮影監督:ハビエル・アギーレサロベ / ライン・プロデューサー:エミリアノ・オテギ / 美術監督:ベンハミン・フェルナンデス / 音響:リカルド・スタインバーグ / 衣装:ソニア・グランデ / 特殊メイクアップ・デザイン:ジョー・アレン / メイクアップ:アナ・ロペス−プイグセルベル / ヘア・スタイリスト:マラ・コリャーゾ / 音楽協力:カルロス・ヌニェス / 出演:ハビエル・バルデム、ベレン・ルエダ、ロラ・ドゥエニャス、マベル・リベラ、セルソ・ブガーリョ、クララ・セグラ、ホアン・ダルマウ、アルベルト・ヒメネス、タマル・ノバス、フランセスク・ガリード、ホセ・マポウ、アルベルト・アマリーリジャ / 配給:東宝東和
2004年スペイン・フランス合作 / 上映時間:2時間5分 / 日本語字幕:松浦美奈
2005年04月16日日本公開
公式サイト : http://umi.eigafan.com/
日比谷シャンテ・シネにて初見(2005/04/16)

[粗筋]
 ラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)の人生は、1968年に文字通り叩き折られた。友人たちと赴いた海岸で、女性の姿に気を取られた彼は引き潮に気づかずに飛び込み、海底に首を叩きつけ頸骨を折った。辛うじて救い出されたラモンだったが、神経の損傷によって首から下は僅かたりとも動かせない状態になっていた。
 それから二十数年。ラモン同様に海の男であった兄ホセ(セルソ・ブガーリョ)が陸に上がり立てた農場の収入と、その妻マヌエラ(マベル・リベラ)の献身的な介護、甥ハビ(タマル・ノバス)や父ホアキン(ホアン・ダルマウ)らの協力と、知性的でユーモアを失わない人柄もあって、病床にありながら決して沈みこまない生活を送っていたラモンであったが、ある日、家族の予想を超えた願いを口にする。
 このまま不本意な生を続けるよりも、死を選びたい。
 波紋を呼んだ彼の訴えから更に約一年後、ラモンのもとを女性弁護士フリア(ベレン・ルエダ)とマルク(フランセスク・ガリード)が訪れる。ボランティア運動家ジェネ(クララ・セグラ)らの協力によって“尊厳死”実現へと尽力してきたラモンだったが、いま彼の前に“法律”という大きな壁が立ちはだかっていた。尊厳死を願うラモンはしかし、自らの力によって死を選択する術はなく、否応なく第三者の協力が必要となる。だが、“自殺”に協力することは犯罪となり、ただ彼の意思を尊重しようとした友人たちに泥を被せることにもなるのだ。そのため、ジェネらは外部への訴えに奔走したが、論争は遂に法廷の場に持ち込まれていた。
 ガリシアにあるラモンの家に滞在したフリアは、法廷での弁論を有利にするため、ラモンの口から事故以前の彼の生き方やその後の心境などについて聞き出そうとするが、ラモンはその姿勢に疑いを抱く――君は本当に、私に協力するために来たのか、と。過去には興味はない、とさえラモンは言い切った。私が見据えているのは未来、自分の“死”なのだ、と。
 同じころ、ラモンのもとに不意の訪問者が現れる。さきごろテレビで放送された、ラモンの尊厳死を願う訴えを纏めたドキュメンタリーを目にしたというその女性――ロサ(ロラ・ドゥエニャス)はラモンを生に絶望した人物と誤解し、翻意させるためにやって来たのだが、そんな彼女に対してラモンは微笑みながら指摘する。寧ろ人生に失望しているのは君のほうだ、と。自分よりも絶望している人間に慰藉を齎すことで自分も救われようとしているに過ぎない。核心を言い当てられたロサは逃げるように飛び出していくが、後日詫びに訪れ、以降もたびたび顔を見せるようになる。
 フリアの根気強い要請に屈して、ラモンは少しずつ自らの過去を語りはじめた。ある日、ラモンの義姉マヌエラはフリアに、筐底に秘した原稿の束を見せる。それは、ラモンが病床で綴り書きためた文章であった。詩や随想の体裁で綴られたそれらにフリアは魅せられ没頭し、ラモンに出版することを提案する。ただ苦笑いしたラモンだったが、突如フリアが倒れる現場に遭遇し、動転する――彼女は、進行性の病に冒され、ラモン同様死の間近にいたのだ……

[感想]
 監督のアレハンドロ・アメナーバルは『テシス 次に私が殺される』でデビュー、以来『オープン・ユア・アイズ』、ハリウッド進出となった『アザーズ』と企みに満ちたサスペンスをお家芸のようにして存在感を膨らませていった映像作家であるが、本編は初めてそうしたストーリー面での仕掛けを凝らさず、象徴的な映像と重厚な主題に拘りを見せた作品である。
“尊厳死”という重いテーマながら、決して鬱陶しさを感じさせずに描き出しているのは、主人公であるラモンのユーモアに溢れた人柄もさることながら、人物同士、そして物語対観客の距離感が絶妙だからだろう。
 基調は生という義務、死という権利を突き詰めた先にある“魂の自由”というものを描くことにあるのだが、一方でこの彼我の距離感、認識の断絶もまた重要な鍵となっているように思う。ラモンは結局、最後に自ら選んだ死の海へと身を投じるわけだが、その本心を完璧に理解した人は稀であろうし、完璧に受け入れられた人も多くはないだろう。だが、彼の主張を拒む人々もまた、多くはラモンのことを愛している。
 最も象徴的であるのは終盤、兄であるホセが投げかける言葉だ。「父も妻も息子も、みんなお前の奴隷じゃないか」そう吐き捨てた兄に、本来多弁であるはずのラモンは一切反論しない。そんな弟の姿に、ホセは涙してその場を離れる、という場面がある。兄は弟のほうが遥かに聡明であり、正しい主張をしていることを理解しながらも、彼のために海を捨て生活を犠牲にする自分を置き去りにするような弟の行動が許せない。ラモンもまた、そのことを深く承知しているから、覆せると知っていても反論は出来ない――双方の深い思いやりが滲むだけに、余計にやりきれない一幕である。
 この距離感はそのまま、四肢麻痺というラモンの現実と符合して物語に厚みを添える。いみじくもラモンは、彼に対して証言を求めるフリアにこう語っている――君との距離はせいぜい一メートル、健康な君たちにとってはほんの僅かな距離が、私にはどうしても越えられない。その苦しみ、哀しみ、切なさが全篇に亘って物語を覆う。それが決して厭らしいほど露骨に感じられないのは、やはりラモンという人物のカリスマ性に因るところが大きいのだろう。
 一方でラモンは想像の内側において自在に世界を羽ばたいていく。作中ではそのイメージをまったくそのままの映像として挿入する。この描写もまた、物語の美しさと切なさとをより際立たせている。助走をつけて窓から飛び立つラモンの視点を辿るカメラの浮遊感、ラモンの見つめる窓の向こうに突如展開する荒波、ベッドに半身を起こして傍らの女性を抱き寄せ口づける姿――しかしその自在な映像が、同時にラモンの閉じこめられた牢獄の堅牢さを思わせて余計にやるせない。
 空想をそのまま形にした映像もさることながら、身動きの出来ない人物を主軸に据えているとは思えないほど画面に動きがあるのも本編の特色であり、作品の印象を強烈にしていると言えよう。映画ならではの横幅の広い画面のお陰で、ワンカットに籠められる情報量が増え、ラモンひとりを追っていても多くの描写が可能になっていることもそうだが、意図的にカットの動きを多くしているように感じた。そのこともまた、設定から生まれかねない閉塞感を排除しつつ、ラモンの哲学をも反映しているように思う。
 アメナーバル監督は極めて創意に富んだプロットとともに、すべての作品で自ら音楽を手がけていることでも知られる。本作でも同様なのだが、スリラー中心であった旧作ではあくまで緊張感・恐怖感を盛り上げるための道具に利用されていた感のある音楽が、今回は優れて印象的であったことも指摘しておきたい。特に、ラモンが法廷に赴くため車に乗せられたとき、窓外に繰り広げられる外界の人々や動物たちの挙措を追う背後に流れる音楽は、久々に外の世界に出て行ったラモンの躍る胸中を思わせて記憶に残る。クライマックスとエンドロールで流れた音楽も同様で、スコアの面でもアメナーバル監督の最高傑作と呼んでいいのではなかろうか。
 しかし、出色なのはやはりラストシーンだろう。それまでの出来事を踏まえながら、どうしようもない無常感を含んだ結末は、安易な感傷に流されることなく、しかし途方もない情感を湛えてもいる。陳腐に表現される“死”に対する救いを避けながらも、だが彼らの身に起きた出来事を追体験してきた観客の胸に何かが残る、美しすぎるクライマックス。各国の映画賞で多くの栄冠に輝いたことも頷ける、間違いなく現時点でのアメナーバル監督最高傑作である。

 近年、原題そのまんまカタカナにしただけの、想像力のカケラもない邦題が増えてうんざりしているのだが、そんななかにあって本編の邦題は実にいい。英題の“The Sea Inside”は作中のモノローグに利用されているラモンの詩にある語句“裡なる海”に基づいているようだが、そこから飛躍してつけられたと思しい『海を飛ぶ夢』というタイトルは、ラモンの願望と作中の描写を直接的に想起させる。ここ数年に鑑賞した洋画のなかでは出色の名タイトルと言い切りたい。

(2005/04/16)


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