cinema / 『ウォルター少年と、夏の休日』

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ウォルター少年と、夏の休日
原題:“Secondhand Lions” / 監督・脚本:ティム・マッキャンリーズ / 製作:デヴィッド・カーシュナー、スコット・ロス、コーリー・シエナガ / 製作総指揮:トビー・エメリッヒ、マーク・カウフマン、ジャニス・ロズバード・チャスキン、カレン・ループ、ケヴィン・クーパー / 共同製作:エイミー・セイレス / 撮影監督:ジャック・N・グリーン,A.S.C. / 美術:デヴィッド・J・ボンバ / 編集:デヴィッド・モーリッツ / 衣装デザイン:ゲイリー・ジョーンズ / 音楽:パトリック・ドイル / キャスティング:エド・ジョンストン、エミリー・シュウェバー / 出演:マイケル・ケイン、ロバート・デュヴァル、ハーレイ・ジョエル・オスメント、キーラ・セジウィック、ニッキー・カット、エマニュエル・ヴォージュア、ジョシュ・ルーカス、ケヴィン・ハバラー、クリスチャン・ケイン / NEW LINE CINEMA製作 / 提供:日本ヘラルド、Pony Canyon / 配給:日本ヘラルド
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間50分 / 日本語字幕:川本Y子
2004年07月10日日本公開
公式サイト : http://www.herald.co.jp/official/s_hand_lions/index.shtml
丸の内ピカデリー2にて初見(2004/07/10)

[粗筋]
 ウォルター少年(ハーレイ・ジョエル・オスメント)には父親がない。唯一の肉親である母メイ(キーラ・セジウィック)は息子である彼に無関心で、彼を放り出して遊び回り或いは男と暮らし、ウォルターを孤児院に押し込めたこともあった。
 そんなろくでなしの母親でも、ウォルターは慕っていた。だから、メイがこの夏、速記学校に通って資格を得るまでのあいだ、大伯父ふたりのもとに身を寄せているよう指示されたときも、黙ってその言葉に従った。戦争を挟み四十年に亘って行方を眩ましていたガース(マイケル・ケイン)とハブ(ロバート・デュヴァル)の兄弟は、ある日突然アメリカに舞い戻ると、テキサスの片田舎にある朽ちかけた農家を手に入れて暮らし始めた。ふたりはどこかから大金を手に入れ、隠し持っているというもっぱらの噂だが、それに群がるセールスマンやメイを筆頭とする親類たちを鬱陶しがって、来る者のほとんどをライフルで威嚇して追っ払ってしまう。メイはウォルターに、彼らが家のどこかに隠し持っているはずの財産を捜し出すよう言い含めたあと、息子を置き去りに旅立っていった。
 無愛想な大伯父たちだったが、ウォルターを無碍に追い出すような真似はしなかった。子供の欲しがるものは自分で調達するか我慢しろ、と言って家の一番上、櫓代わりの小部屋をウォルターにあてがう。埃だらけガラクタだらけの有様にしばし閉口したが、やがてウォルターは鍵のかかった箱を見つけ、部屋の中にあった鍵でその中身を覗く。期待したような金銀ではなく、なかにはいっぱいの砂と、それに埋もれて一枚の、エキゾチックな美貌の女性を撮した写真が入っているだけだった……
 数日後、大伯父の家を五人の家族が訪れた。やはり二人の財産目当てに近づいてきた親類で、弁護士をしているという父親はガースとハブに対して盛んに遺産の見直しを提案し、メイが残していったウォルターをスパイだと言って憚らない。耐えられなくなったウォルターは母の元に戻ろうと、家にはない電話を探して飛び出した。だが、母に教えられた速記学校には母の名前は登録されておらず、それどころかこの学校の新学期は一月からであり、この時期に新入生を受け入れることはない、という返答だった。
 やがて彼を探しに来た大伯父ふたりに、母の行方を訪ねてモンタナまで向かう、と言うウォルターに、ガースはハブに対して「この子がいれば、あの家族もじき痺れを切らして出て行く」と提案、少年を説き伏せて家に連れ帰った。
 翌日、またしてもやって来たセールスマンをいつものように追い返そうとした大伯父ふたりを、ウォルターは「お金は使わなきゃ意味がない」と言って、話だけでも聞くように説得する。セールスマンが運んできたのは、クレー射撃用のクレー射出機だった。子供の遊び道具にはならない、という反対を無視してあっさりと財布の紐を緩めたハブたちに弁護士一家は呆れて、家を出て行く。
 そうして、ウォルター少年にとって初めて孤独ではない“夏休み”が始まった……

[感想]
 粗筋でそこまで辿り着くことが出来なかったが、このあとウォルター少年は主にガース伯父から彼らの四十年に及ぶ“冒険譚”を聞かされることになる。
 この一連のくだりはまさに冒険ものの王道を行くような内容で、仮にこの部分だけ切り出されて映像化されたらあまりの陳腐さに失笑するに違いない。だが、それが長年行方を眩ませ、突如帰国したかと思うと大金を抱えたまま隠棲してしまった老人ふたりの言葉と行動と併せて語られると、妙な説得力を帯びる。彼らの行動があまりに英雄的で「嘘くさい」と思う一方で、なぜか信じたいような気持ちにさせてしまうのだ。
 それはこの大伯父ふたりの、やって来るセールスマンをライフルで威嚇し、また釣りに拳銃を持ち出し、ウォルター少年に唆されて買い物の味を覚えるとしまいには毛皮の飾りが欲しいという理由で動物園から供出されたライオンを買い取るなどといった無鉄砲極まりない行動に一因がある。また、ガース伯父はいまいち実力が知れないが、一方のハブ伯父は折に触れかつての栄光を窺わせるパワーと勇猛さを見せつけ、更に一連の冒険譚に説得力を加えている。
 現代――と言っても、1960年代の話なのだが――の出来事は決して脈絡はなく、丁寧な伏線が張られているわけでもないので、若干カタルシスに欠くきらいがある。ウォルター少年を演じたハーレイ・ジョエル・オスメントの演技力は相変わらず尋常ではないが、如何せん普通の“いい子”であること以外にこれといった特徴もないのでやや印象に乏しく、彼の母メイや押しかけてくる親類もステレオタイプに作られている。だが、そのお陰で個々の立場はシンプルに明確になり、話は伝わりやすく誰にとっても感情移入しやすい物語になっている。ウォルター少年たちがそんな風に平凡だからこそ、伯父たちの特異な個性がまた際立ってもいるのである。
 そして、随所に現れる挿話の心地よいこと。隠居生活といえばガーデニングだ、と穀物の種を様々購入したはいいものの、育ててみたらぜんぶトウモロコシだったり、ハブ伯父がさっき倒れたと思ったらすぐさま病院を飛び出して、街はずれの酒場で若者相手に大立ち回りを演じてみせたり、いきなり第一次大戦の複葉機を購入してみたり……無茶苦茶で大雑把な行動の数々が、実に微笑ましい。その端々に姿を見せる犬たちやライオンの愛らしさもいい。
 不思議なお伽噺も胸躍らせる冒険譚も、本来の役目は子供達の好奇心と想像力を養い、またそのなかから自分なりの教訓を導き出すことにあった。だが、そのいずれも尊敬できる大人の口から発せられて初めて効力を得る。無茶苦茶でどこか照れ屋で、およそ常識とはさほど縁のなさそうなふたりだが、彼らによって語られるからこそ、この物語は“ひと夏の冒険”として力を与えられた。
 見ていてふと思い出したのは、やはり最近鑑賞した映画『ビッグ・フィッシュ』である。どちらも荒唐無稽なお伽噺や冒険譚にどんな意味を齎すか、という主題が共通している。その語り手の個性も聴き手の立場も、また物語の締め括り方も方向性は異なっているが、いずれも訴えていることは同じだ。信じる価値のあることだけを信じればいい。それが真実かどうかなんて、実はあまり重要ではない。
 若干ひねくれマニアックな観点を採り入れた『ビッグ・フィッシュ』よりも親しみやすく、また口当たりを良くした新しい“お伽噺”である。大作ファンタジーもいいが、どうせ子供に見せるならこんな話がいちばんいいような気がした。
 それにしても――みんな、なんていい死に様だろう。

(2004/07/10)


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