cinema / 『新暗行御史』

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新暗行御史
原作:尹 仁完・梁 慶一(小学館・刊) / 監督:志村錠児 / スーパーバイザー:本郷みつる / 脚本:本郷みつる、志村錠児、尹 仁錫 / 絵コンテ:志村錠児、本郷みつる、安 台根 / エグゼクティヴ・プロデューサー:亀井 修、鄭 U / キャラクターデザイン:高橋英樹、呉 敬吾 / 総作画監督:高橋英樹 / 美術監督:小林七郎 / デジタルワークス:高尾克己 / 撮影監督:水谷貴哉、金 智燦 / 日本版音響監督:三間雅文 / 音楽:大谷 幸 / 主題歌:BoA / 声の出演:藤原啓治、小林沙苗、宮本 充、朴 路美(※正しくは「王」に「路」)、中尾隆聖、日のり子、岸尾大輔、福島 潤、早水リサ / 特別出演:ユンソナ、イ ジフン、チソン / 配給:KLOCKWORX
2004年日本・韓国合作 / 上映時間:1時間27分
2004年12月04日公開
公式サイト : http://www.shin-angyo.com/
シネ・リーブル池袋にて初見(2004/12/04)

[粗筋]
 聚慎に、暗行御史という特殊官吏が存在した。素性を隠して各地を歴訪し、悪政で民衆を苦しめる領主達を摘発、糾弾する、個人による警察組織のような役割を果たしていた。聚慎が滅び、各国がバラバラになったのちも、あるひとりの暗行御史が旅を続けている……
 その暗行御史の生き残りである文秀(藤原啓治)は、砂漠で行き倒れになったところを、夢龍(岸尾大輔)という若い男に助けられる。暗行御史を志し、首都まで赴いて官僚試験を受けたものの三度も落ち、夢破れて郷里へ帰る途中だったという。御史を志した動機が、悪逆極まる施政で民衆を虐げる領主・弁(中尾隆聖)によって奪われた恋人・春香(小林沙苗)を取り戻すためだと聞いて、文秀は不快を顕わにする。そんな考えでなれるほど暗行御史という仕事は甘くない――素直に夢龍は聞き入れるが、その直後、彼は砂漠に棲む妖怪サリンジャーの手にかかって命を落とす。
 夢龍の郷里では弁による圧政が未だ繰り返されていた。滅びたはずの聚慎が派遣する暗行御史の影に怯え、強い傭兵を募りながらもおちおち眠ることが出来ない弁は、遂に最後の策を取る。貞操を守り抜くためにとうとう自らの舌を噛みきろうとした春香のもとに催眠術師を送りこんだのである……
 ちょうどそこへ、百人の兵と対しても勝利する自信がある、と嘯く男が訪れた。弁は兵隊を使って領民のなかから若い男を百人拉致し、その男と対峙させる。男の正体は、暗行御史となった夢龍――ではなく、文秀。
 他人の力や奇跡ばかりを願って自ら解決の道を探ろうとしなかった民を罵倒したのち、文秀は三馬牌を掲げ幽幻兵士を召還すると弁の兵隊達を始末していく。そこへ、疾風のように馳せ参じると、幽幻兵士を容易く切り裂く影が現れた。催眠術によって弁の傀儡と化した春香は、かつて弁の討伐隊を数週間に亘って悩ませたという驚異的な戦闘能力で文秀に肉薄する。
 春香の鉄爪が文秀の喉元に迫ったそのとき、春香は文秀の髪を留めたヘアバンドを眼にして、我に返る――それは恋人・夢龍に、他ならぬ彼女が託したものだった。家庭を持つことを許されない暗行御史になることを志した夢龍と一緒にいるために、御史に護衛として付き添う“山道”になる、という誓いの証でもあるヘアバンドだった。頽れる彼女の背後で、文秀の一喝で自尊心を取り戻した領民達が弁の首を取り、凱歌を挙げた。
 文秀は春香を夢龍の墓に導き、その力を正しいことのために使え、と言いおいて立ち去る。その背中に、春香は告げた。
「私の名は、山道――守ってあげるわ、貴方を」

[感想]
 原作を知っている人間にはもはや言わずもがなだが、念のために記しておくと、本編に登場する“暗行御史”は韓国に実在した、いわばあちら版の“水戸黄門”とも言うべき役職らしいが、作中描かれているものはかなり実情とかけ離れているそうだ。また、日本ではCLAMPが大胆に脚色して漫画化した“春香”の伝説をはじめ、韓国にある多くの史実や伝説、お伽噺を原型にしているが、すべて大幅に脚色している。
 脚色する狙いは、テーマを現代的なものにすることと、漫画の短い尺のなかでインパクトを与える筋にするためだったという。たとえば本編に登場する暗行御史・文秀は三馬牌の魔力を行使する際、民衆に対してこう告げる。これから起こることはすべて偶然だ、今後一切こんなことが起こるなどと願うな――奇跡を一切信じず、他人から齎される僥倖に依拠する民衆に対しては、圧政を敷く悪徳領主と共に断罪する。シンプルに第三者の助けの手を信じられる時代ではない、という理解から文秀はこういう現実主義的な造形になり、定番の伝説や物語を応用しながら予測しにくい筋やサプライズエンディングを模索する。圧倒的な画力と併せて、そうしたプロットにおける試みが国境をものともしない支持を集めてきた所以である。
 反面、あまりにどんでん返しや主題に拘る余り、設定のすりあわせや辻褄合わせに手抜かりが認められ、終わってから顧みると十分に説明がつかなかったり、破綻している話も少なくない。――実は今回の映画化に当たって、原作から採りあげられたエピソードふたつが、そういう疵のある話なのである。
 たとえば、上でほぼ全篇紹介した最初のエピソード――このあと重要なキャラクターとして登場し続ける山道との出会いとなる話は、夢龍が試験を受けていた時期と聚慎の滅んだ時期の重なりが微妙であり、また捕らえられた春香の扱いも、その期間を想定するとかなりおかしい。弁はいったいいつ頃彼女を捕縛し、どのくらいの期間ああいう境遇に置いていたのか――? あまりに期間が長引けば必然的に体力は失われ、催眠術といえども解放された途端にああも機敏に動くことは出来なかったはずだ。筋の意外性にばかり意識が行っていたがゆえの不整合である。このあと、物語は原作二巻で描かれる、死者をも蘇らせる医師に守られた島のエピソードに移るが、この話は更に奇妙な点が多々ある。それでもサプライズであることには違いないので、原作を知らない方のために詳述は避けるが、一見して妙な点に幾つも気づく方があるはずだ。
 映画版においては、このエピソードに摩利(朴 路美)というオリジナルキャラクターを導入しているのだが、これが更に本筋の不自然さを強調する結果となっている。もともと首謀者の目的が不透明であるところへ、摩利が文秀の命を狙う、という状況が挟まれて、更におかしくなっているのだ。
 しかし、だから映画化に当たってこのふたつのエピソードを選んだのが間違いか、と訊かれると――否、と言わざるを得ない。文秀と山道との出会いは原作にとってもいちばん重要な場面であるし、そのくだりにおける文秀の述懐と、その後の“奇跡の島”での立ち居振る舞いは彼という“暗行御史”の姿勢をいちばん解りやすく説明している。全篇を貫く文秀という男の非情さと熱意、侠気とが最も解り易く現れるエピソードでもあるし、また傷だらけとはいえサプライズが待ち受けるクライマックスは、昨今の映画業界で持て囃されるものに近く、狙いは間違っていない。一方で、後者のエピソードには冒頭ほど明確なアクションシーンがなく、映像的な盛り上がりに欠ける一面もあり、それを摩利というキャラクターがきちんと補っている。押さえるところはきっちりと押さえており、その姿勢は大いに評価したい。
 問題は、そういう作り手の狙いがかなり簡単に透き見えてしまうことそれ自体なのだ。いずれのエピソードも、摩利の登場を除けば原作をほぼ忠実に再現しており、少なくともファンの期待は裏切っていない。が、そこ止まりになっていることも事実だろう。ミックスし動画としての魅力を発揮したいのならば、もっと小刻みに、なおかつ不自然さを補う形で行うか、さもなくばまるで別のエピソード――たとえば原作第六巻から七巻にまたがる“平岡と温達”などが相応しいだろう――を採りあげるなり、映画用にまったく別のエピソードを構築するべきだったように思う。更に言えばこのふたつのエピソード、原作では間隔が空いているために認識しなかったが、それぞれ限定で登場するゲストの夢龍と浚(福島 潤)は印象が似通っているうえに、困ったことに声優のムードも近しく、しばし混乱させられた。
 と、否定的なことばかりばばはと書き連ねてしまったが、実は全体通しての印象は、言うほど悪くない。この点だけは繰り返すが、原作のイメージは見事なまでに忠実に再現しており、原作の読者を裏切ることはまずない。文秀の非情さや侠気はきちんと表現し、前述の(原作ではすっかりご無沙汰となった)名台詞をちゃんと採りあげ、しかもそれが痺れるくらいに格好いい。また山道など、原作では闘士のわりにどーしてそんなに露出度の高い服を着てるんだ、程度にしか思わされていなかったものを、いでたちの色っぽさと裏腹な愛らしさ、というたぶん原作者達が表現したかった個性をきちんと引き出している。この二点については、声優のイメージが見事に嵌っていたことも寄与している。
 プロットでは敢えて大幅な冒険をせず、軸となるテーマをよく反映したエピソードふたつを原作から引っ張り出して繋げ、更に見せ場を用意するためにオリジナル・キャラクターを、原作の世界観の延長上で創り上げた(原作第五巻で登場する麻古というキャラクターに繋がる要素が認められる)。作画のクオリティ、演出などについても――たとえば『イノセンス』や『スチームボーイ』などと比較してしまえば見劣りするのは仕方ないにしても――及第点と言って差し支えないレベルにある。
 前述のように、その選択が最上だったとは思わないけれど、この映画で初めて作品世界に触れる人に対しては親切に、既に知っている人には極力その期待を裏切らぬようにという配慮が見られる姿勢には好感を抱く。そして、文秀の台詞や山道の凛々しさと愛らしさ、随所の名シーンの理想的な組み立てなどなど、細部の完成度は素晴らしい。
 原作と同様に疵があることを承知したうえで、観る価値は充分にあり、また続編にも期待したくなる仕上がり。メインキャストやスタッフはそのままなら、本気で期待します。特に“平岡と温達”あたりの話を。

(2004/12/06)


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