cinema / 『スチームボーイ』

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スチームボーイ
監督・原案・脚本:大友克洋 / 脚本:村井さだゆき / 総作画監督:外丸達也 / メカ・エフェクト作画監督:橋本敬史 / 美術監督:木村真二 / 演出:高木真司 / CGI監督:安藤裕章 / テクニカルディレクター:松見真一 / 音響監督:百瀬慶一 / 音楽:スティーヴ・ジャブロンスキー / アニメーション制作:サンライズ / 声の出演:鈴木 杏、小西真奈美、津嘉山正種、沢村一樹、斎藤 暁、寺島 進、児玉 清、中村嘉津雄 / 配給:東宝
2004年日本作品 / 上映時間:2時間6分
2004年07月17日公開
公式サイト : http://www.steamboy.net/
池袋HUMAXシネマズ4にて初見(2004/07/17)

[粗筋]
 1866年、イギリス、マンチェスター。紡績工場で技術者として働くレイ少年(鈴木 杏)が自宅に帰ると、祖父ロイド(中村嘉津雄)から彼に宛てた荷物が届いていた。中身は一抱えほどある金属製のボールと、数枚の設計図と、レイ宛の手紙。手紙にはそれ――“スチームボール”をロバート・スチーブンスン(児玉 清)に託せ、他の誰にも渡してはならない、と書いてあった。時を合わせたかのように、レイの父・エドワード(津嘉山正種)とロイドが開発スタッフとして従事していたオハラ財団の使者としてアルフレッド(寺島 進)とジェイソン(稲田 徹)がレイの家を訪れ、ボールを渡すように言うが、レイは拒む。そこへロイドが現れ、レイにボールを持って逃げろ、と命じた――エドワードは死んだ、という衝撃の言葉と共に。レイは出来たての自作一輪自走車を駆使して逃げ、アルフレッドたちはトラクターを動かして彼のあとを追う。
 線路際を疾走し、危うく機関車とアルフレッドたちのトラクターに挟まれ潰されかかったレイだったが、機関車の乗客の機転によって難を免れる。彼を助けたのは偶然にも、レイが祖父からスチームボールを託すよう伝えられていた相手・ロバートと彼の助手を務めるデイビッド(沢村一樹)だった。ちょうどいいとボールを手渡そうとしたそのとき、客車の天井が破れてアルフレッドたちがふたたび姿を現す。オハラ財団は強引にも、飛行船を使ってレイの誘拐を試みたのだ。必死に抵抗するが、遂にレイはアルフレッドたちの手に囚われてしまう……
 囚われたレイは礼服に着替えさせられ、豪華な食卓に就かされた。そこに現れたのは、オハラ財団の雇われ社長サイモン(斎藤 暁)と、財団創始者の孫娘であり、姉の代わりに使者として寄越されたスカーレット(小西真奈美)と――死んだとロイドが言っていたはずの父・エドワードだった。食事に興味を示すことすらなく、エドワードはレイと、勝手についてきたスカーレットを自分の“職場”に案内する。ロンドンに建造されていたその建物を、エドワードは“スチーム城”と呼んだ。ロイドが最初に図面を書き、エドワードが手を加えて実現に漕ぎ着けたこの壮大な発明を、万国博覧会に合わせて披露する、という。エドワードはレイにその開発を手伝って欲しい、と請うた。ロイドの説明との大幅な食い違いに戸惑いながら、レイは承諾する。
 それから数日、レイは“スチーム城”で忙しい時間を過ごした。忙しい、というのに、同年代であるという事実のせいか、スカーレットはやたらとレイに絡んでくる。かつてロイドに作らせた愛犬(?)コロンブスの運動装置が壊れたと言ってレイに修理させ、スチーム城には適合する部品がない、というレイを、禁じられているにも拘わらずロンドンの街へと連れ出し、夜で戸締まりされているクリスタルパレスへと引っ張っていく。彼女の言動にさんざ戸惑わされるレイだったが、いちばん引っかかったのは、彼が母に対して送ったはずの手紙が捨てられているのを見つけた、という発言だった。
 翌日、手紙の行方を父に訊ねたレイだが、自分の手紙と一緒に投函されているはずだ、と何の変哲もない返事。そこへ父の部下のひとりが、ロイドが牢を破って逃走し、装置の圧力を過剰に上げる工作をしているらしい、と告げた。何故父が祖父を牢に閉じこめていたのか、ロイドはいったい何を企んでいるのか――父に命じられて作業に赴いたレイがロイドと再会を果たしたとき、物語は加速をはじめる……

[感想]
 極めてオーソドックスな冒険物語であり、趣旨において逸脱することがなかったのには好感を覚えたのだ、が――どうも、すっきりとしない。
 映像と役者の演技は賞味に値するし、キャラクター造型も悪くない。が、それがいまひとつ活きていない。脚本のレベルが低いために、美点をだいぶ殺してしまっているのだ。
 決して特異な個性を与えられているわけではないが、いずれもキャラクターは立っている。だが、それを充分に活かす機会がなく、また巧く絡みあっていないから、ストーリーが全般にちぐはぐになっている。複数の組織の意思と個人の思惑とが未整理のまま単純に羅列されているだけなので、話が進めば進むほど散漫な印象が強まり、冒険ものにあるべきカタルシスがかなり損なわれている。
 特に序盤、マンチェスターのレイの家にいた人々がほとんど意味を持っていない点が問題だ。エマという親類の娘がメイン寄りで活動することを想定したような筋運びになっていて、これが無駄になっている。色づけや、日常を膨らませるための要素と考えるには、このときだけたまたま身を寄せていたという設定が絶対に邪魔なのである。彼女たちは潔くカットしてしまうか、はじめからレイの姉か妹ぐらいに設定を変更して、日常の延長上に乗せるべきだった。
 また、時間の経過と技術力・開発力の変遷がどうもいい加減に思える。前半で失われた設計図が後半のある箇所で影響を及ぼすのだが、話をなぞる限り両者のあいだには数日、せいぜいひと月足らずしか経過していないはずで、そのあいだにあれだけのことが可能なのか疑問に感じる。このくだりで鍵を握る人物とレイの父・エドワードとの関係性を窺わせる描写にしても、こうした考証の雑さを浮き彫りにしているだけで、話を膨らます役を成していない。
 最大の欠陥は、本編の根幹をなすプロットが、大友克洋監督がこれ以前にシナリオを手がけた映画『METROPOLIS』と異常に似通っていることだ。更に言えば、いずれもエッセンスの部分は著名なある映画と酷似している。
 パクリ、という言葉で非難するつもりはない。同じエッセンスでもテーマや細部の設定が異なっていれば充分に独創的になりうる。が、理想的な一例を示した先行作に対し、本編では最も重要な終盤の展開にカタルシスを齎すための用意をまるで整えておらず、消化不良ばかりの印象が残り、遥かに劣る出来となっている。
 正統派の冒険ものを志すのであれば、終盤の展開を前にもっと芯の通った動機付けが必要だ。それなしにカタルシスなどあり得ないし、個人的にカタルシスのないものを正統派などと言って欲しくない。
 が、キャラクター造型もそうだが、細部の完成度の高さは特筆に値する。蒸気機関を用いた独創的な発明の数々が勇躍する様や、ヴィクトリア朝のイギリスを緻密に再現した映像は観ているだけで飽きない。実際に建造され、いちど再建もされたもののの現在は失われてしまったクリスタルパレスの威容など、直接本筋に関わらない箇所の描き込みにも好感を覚えた。
 冒険ものゆえアクションシーンが随所に盛り込まれているが、個人的にはかなり唐突に感じられる箇所が多く、ばたばたしていて全体像が掴みにくいのが難と感じた。寧ろアクション以外の、会話や表情のみで交わされる繊細なやり取りのほうが印象に残る。様々な夾雑物が混ざっているものの本編は突き詰めれば親と子の対決であり、少年が家族という呪縛から離れていく過程を描こうとした物語とも映る(但し、そう捉えた場合、明らかに本編では完結しておらず、その点も疵になっている)が、そういう見方からすると、彼の父と祖父とのやり取りと、それを間近で見つめるレイの真摯な眼差しがうく描かれている。
 脇役についても、アクションなどよりはそうした細かな描写が光っていた。とりわけ異彩を放つのはスカーレットであり、特にクリスタル・パレスでのレイとスカーレットとのやり取りは秀逸だった。あのシーンがあったから、辛うじて後半におけるスカーレットの意識の変化に根拠が与えられたと言える。
 純粋な冒険ものとしてはかなり失敗しているとは言え、そうした細部に目を配ると見所は少なからずあり、想像力を喚起する作りは鑑賞してみて損はない。
 日本のアニメーションの高い技術力を示した一篇ではあるが、シナリオ・演出面では大いに難があり、ただただ勿体ない、という印象を残す。どうやら既に続編の計画が動きはじめているらしいが――個人的には、大友監督自ら脚本を書くことだけは止めた方がいいんじゃないか、と思うのだが……

(2004/07/18)


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