cinema / 『怪談新耳袋[劇場版] ノブヒロさん』

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怪談新耳袋[劇場版] ノブヒロさん
原作:木原浩勝&中山市朗『新耳袋 第七夜』「縁にまつわる二十の話」(Media Factory/角川文庫・刊) / 監督:豊島圭介 / 脚本:加藤淳也 / プロデューサー:丹羽多聞アンドリウ、山口幸彦 / ラインプロデューサー:鈴木浩介 / 撮影:金谷宏二 / 照明:田村文彦 / 美術:橋本優 / 音楽:遠藤浩二 / 主題歌:諌山実生『HORIZON』(東芝EMI) / 制作協力:ハニーバニー / 出演:内山理名、平田満、高橋和也、田島令子、岩本千波、でんでん、筒井真理子、佐々木すみ江、織本順吉 / 配給:PANDORA
2006年日本作品 / 上映時間:1時間29分
2006年07月22日公開
公式サイト : http://www.actcine.com/sinmimi/nobuhiro.html
シネマート六本木にて初見(2006/07/27)

[粗筋]
 里中悦子(内山理名)は離婚後、ひとり娘の彩香(岩本千波)を養うために、デザイン会社で働いていた。収入確保に急くあまり、肝心の彩香との触れ合いが乏しいことを母(田島令子)に咎められるほどだったが、足を止めるわけにはいかない。
 悦子は仕事の一環として、デザインに使用する絵を発注している絵描き・島崎信弘(平田満)のもとを訪ねる。先生と呼ばれることを拒み、最初から親しげに接してきた信弘は、悦子に絵のモデルになってくれないか、と請うた。仕事の円滑を図るためにも引き受けた悦子だったが、多忙な毎日のあいだの僅かな交流に、次第に安らぎを感じるようになる。
 やがて彩香も交えて外出するようになったが、何故か彩香は信弘を激しく警戒した。「彩香、また名前が変わるの?」という言葉に怯えを嗅ぎ取った悦子は、そんなことはない、と言って彩香を安心させる。
 モデルとしての交流がひと月以上にも及んだ頃、そろそろ悦子の仕事も忙しくなってきた。そんなとき、信弘がいつもと違う日に、どうしても悦子に来て欲しいと懇願する。困惑しつつも仕事が片づき次第行く、と約束した悦子だが、当日、彼女の携帯電話に母からの急報があり、彩香が原因不明の熱を起こしたと聞いて早引けし、その日は娘の看病で潰した。信弘との約束を思い出したのは、だいぶあとのことだった。
 翌日、会社にいる悦子のもとを、ふたりの刑事が訪ねてきた。前夜、信弘が階段から転落し死亡したが、階段から落ちただけとは思えない遺体の状態に他殺の可能性も検討しており、そのために生前親しく交際していた悦子に話を訊きに来たのだという。悦子は驚愕した――何故なら、信弘が死亡したと思われる時刻のあとに、悦子は彼女のマンションを訪ねてきた信弘と会って、話をしたはずなのだ……

[感想]
 BS-iをメインに放送されたショート・フィルム連作としてスタートした『怪談新耳袋』は、まず短篇オムニバスという形で劇場版が製作され、2005年には吉田秋生監督・黒川芽以主演にて初の長篇『幽霊マンション』が公開された。本作はそれらに続く劇場版第3作であり、2作目の長篇である。
 このシリーズは最初こそ、“実話怪談”と銘打たれた原作をいわゆるジャパニーズ・ホラーの文法に当て嵌めて脚色する手法がこなれておらず反発を招いていた節があったが、次第に両者のバランスの取り方を開発していき、現在では『新耳袋』という下敷きの上に制作される映像怪談シリーズとして、独自の存在感を発揮するようになった。いまやハリウッドで活躍するようになった清水崇に、ジャパニーズ・ホラー映画隆盛のきっかけを作った鶴田法男やこれで初めてメガフォンを取った脚本家高橋洋などが携わった作品群が含まれている点でも、無視できないシリーズに発展したと言えよう。
 そして、劇場版第三作となる本編を監督したのは、これが長篇初監督となる豊島圭介である。初とは言い条、テレビドラマでの経験が長く、加えて『怪談新耳袋』においては最初のシリーズから継続して参加している。ホラーとしての文法はもとより、『怪談新耳袋』における作法も弁えている監督だけあって、その作りは堂々としたものだ。
 原作である『新耳袋』収録の一連のエピソードは、とある女性が出逢った、異様なまでに彼女に執着を示し、死後も様々な痕跡を留めた男性・ノブヒロさんにまつわるものである。そもそも出逢いや生前の経緯からして奇妙な出来事が多く、その累が異様な拡がりを見せたために『新耳袋』のなかでも出色のエピソードのひとつとして知られているが、この長篇映画版では、エッセンスをきっちりと留めながらも大胆な脚色を施し、フィクションとして昇華させている。
 たとえば、原作では“怪談”という性質故に、ノブヒロさんの死は早い段階で描かれるが、本編はそこまでの過程をじっくりと掘り下げている。その随所に、後半で出来する怪異や、隠された事情についての伏線が鏤められている。こうした趣向は実話怪談、こと怪異ごとに話を分類していく体裁を取っている『新耳袋』では不可能なものであり、敢えてこうした作劇的な工夫を凝らすことで、原作に対する敬意を示しながらも原作と一線を画し、独自の“怪談”世界を構築している。
 他方、こちらも既に文法の確立された趣のあるジャパニーズ・ホラーを充分に意識しながら、新たな様式を模索し、概ね成功していることも指摘しておきたい。従来のホラーは危害を加える側の正体や意識に不透明な部分があることが恐怖を膨らませる要素になりがちだったが、本編は加害者の顔も、その執念の正体も予め判明している。だが、それが次第に正気を逸脱した領域に踏み込み、その上に恐怖を醸成させている。こうした行き方は従来のジャパニーズ・ホラーにはなかったものであり、一風異なった重みを演出している。
 この点で功績が大きいのは、やはりタイトル・ロールたるノブヒロさんを演じた平田満である。いかにも芸術家然とした奇矯さと人の好さを滲ませた序盤での演技が、そのまま後半での鬼気迫る演技を巧みに裏打ちする。特にクライマックスでの動きは、同氏の出世作を彷彿させてどこか滑稽でありながら、物語に入り込んだ者には確かな恐怖を感じさせるという余人には真似の出来ないレベルまで昇華している。
 本編の怖さは、怪奇現象そのもののインパクトに依存していない。極めて克明に描き出された、人間の信念や執着心そのものがまず恐怖を誘い、そのうえに怪奇現象が展開しているからこそ恐ろしい、という様式を選択している。それ故、全体の手触りはどこかサイコスリラーに近いものがあるが、しかしギリギリのところで“怪談”に踏み止まっており、その匙加減もまた頼もしい。
 前作『幽霊マンション』はフィクションとしての趣向がしっかりしすぎていたために、“怪談”としての描写の弱さを際立たせてしまった厭味があったが、本編はその轍を踏んでいない。最近鑑賞したホラー映画のなかでは出色の仕上がりといっていいと思う。

(2006/07/30)


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