cinema / 『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』

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スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー
原題:“Skycaptain and the World of Tomorrow” / 監督・脚本:ケリー・コンラン / 製作:ジョン・アヴネット、マーシャ・オグレズビー、ジュード・ロウ、サディ・フロスト / 製作総指揮:オーレリオ・デ・ラウレンティス / 撮影監督:エリック・アドキンス / 美術監督:ケヴィン・コンラン / 編集:サブリナ・プリスコ / VFX監督:スコット・E.アンダーソン / 衣装:ステラ・マッカートニー / 音楽:エドワード・シェアマー / 出演:ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウ、アンジェリーナ・ジョリー、ジョヴァンニ・リビシ、マイケル・ガンボン、パイ・リン、ローレンス・オリヴィエ / 配給:GAGA-HUMAX
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間47分 / 日本語字幕:風間綾平
2004年11月27日日本公開
公式サイト : http://www.skycaptain.jp/
池袋シネマサンシャイン2にて初見(2004/11/27)

[粗筋]
 1939年のニューヨーク。飛来したヒンデンブルクIII世号の話題が街を席巻するなか、もうひとつの不穏なニュースが新聞を賑わせていた。ヒンデンブルクIII世号に登場していた著名な科学者が、「尾行されている」というメモと共に荷物をポーターに託したあと、忽然と姿を消したのだ。既に他にも数名の科学者たちが行方を眩ましている。一連の出来事に関連性ありと見た敏腕新聞記者のポリー・パーキンス(グウィネス・パルトロウ)は、ペイリー編集長(マイケル・ガンボン)の制止も聞き入れず追跡調査に励んでいた。
 そんな彼女のもとに、謎の人物からの封書が届く。封書には謎の設計図と、一通の招待券。誘われるように映画館を訪れると、ひとりの科学者・ジェニング博士がポリーを待っていた。誘拐事件はこれで終わりではない、今度は私が“トーテンコフ”に攫われる……そう博士が訴えるなか、突如ニューヨークに警報が鳴り響いた。
 無数の機影が飛来するのにも構わず編集局に電報を打っていたポリーは、そのとき信じがたいものを目撃する。無数の巨大なロボットが街を行進してきたのだ。猪突猛進のポリーは危険を顧みずロボット群の撮影に乗り出すが、取り落としたカメラを回収しようとしてロボットたちの行軍のど真ん中に孤立してしまう。そんな彼女を救ったのは、一機のカーチスP-40ウォーホーク――その度胸と勇敢さから世界中の尊敬を集めるスカイキャプテンことジョー・サリバン(ジュード・ロウ)の駆る戦闘機であった。しかし多勢に無勢、辛うじて一体のロボットを破壊し一部の行軍を塞き止めたところでロボット群は突如として撤退、都市は地下発電所を中心に大きな被害を受けた。
 各国はスカイキャプテンに対して正式に今回のロボット襲撃首謀者の割り出しを依頼、破壊されたロボットはすぐさまスカイキャプテンの基地に移送された。調査を部下であり無二の友人でもあるデックス(ジョヴァンニ・リビシ)に託して私室に戻ったジョーを待っていたのは、他でもないポリー。ポリーはロボット襲来に関する情報を得るために彼の元を訪れたが、かつて恋人同士だったが、ある事件をきっかけに誤解を積み重ね別れたも同然の状態になっていた彼女をジョーは追い返そうとした。が、そんな彼にポリーはロボットの設計図らしきものをちらつかせる――デックスの勧めもあって、ジョーは彼女を秘密の倉庫に案内する。そこには、今回のものとは異なる無数のロボットが並んでいた。すべて、世界各国を襲撃し様々なものを奪っていったロボットの一部である。スカイキャプテンは極秘でこれらの調査も依頼されていたのだ。
 ポリーがジェニング博士から託された設計図とこれらのロボット、そして今回の大規模な襲撃――すべて関連性があると判断したジョーは、ポリーの案内によってジェニング博士の元を訪ねる。
 鍵のかかった研究室に踏み込むと、先に侵入した何者かによってジェニング博士は襲われ瀕死の状態にあった。謎の襲撃者を発見し対決しようとしたジョーだったが、予想外の戦闘力にあっさり退けられ、取り逃がしてしまう。ジェニング博士は容態を確かめていたポリーに二本の奇妙なガラス管を託すと、間もなく息を引き取った。
 ふたりはジョーが辛うじて死守したジェニング博士の鞄を携えて基地に戻る。ジョーが留守しているあいだに基地は無数の飛行機の襲撃を受け、交戦状態に入っていた。ジョーは同乗したがるポリーを渋々乗せた愛機を駆り、正体不明の敵に立ち向かう――

[感想]
 なんだかあらゆるポイントで既視感を呼び起こす作品である。
 まず監督であるケリー・コンランの経歴からしてそうだ。彼にとって本編が初めての長篇である。この監督が最初に作ったのは、自宅ガレージにあるコンピュータを駆使し四年間を費やして製作した僅か六分間の映像、それも本編の冒頭で使用されている、街にロボットが襲来するさまを描いた場面だったという。この僅かな映像が製作者たちの目に留まり、あれよあれよのうちにこの長篇製作に至った。個人製作から資本協力による長篇へ、という流れ、最近別のところでも聞いた気がする。
 本編の演技はすべてブルースクリーンの前で行われ、CGによる背景と合成されている。背景に馴染ませるためにトーンにも手が加えられ、美意識が滲み出た映像も含めてこれまた最近日本で製作・公開された作品を思い出させる。
 そして作品世界。第二次世界大戦直前のアメリカを舞台に、実在した戦闘機に乗って活躍するヒーローに活動的なヒロイン、熱気球に巨大ロボット、翼のある飛行機、飛行する基地に極秘の建築物……監督はフライシャー兄弟というアメリカのアニメーション作家の影響を色濃く受けているそうだが、他でもない、日本の宮崎駿監督もまたその影響下にあり、モチーフに既視感を覚えるのも当然と言える。
 何よりストーリーが実にオーソドックスだ。襲来する謎の組織、それに対抗する正統派のヒーロー。彼と行動を共にする、美しくも勇敢なヒロイン。訪れる危機また危機、そして多くの仲間の協力を得て敵の本拠へと乗り込み、世界を破滅から救わんとする――冒険ものと言ってすぐに思いつく、いちばんシンプルな構成を選んでいる。
 ただ、正直お話は破綻しっぱなしだ。事件の首謀者の目的はなかなか壮大だが、しかし一連の事件の動機としてはかなりずれており、目的と行動が噛み合っていない。見たところ、まず描きたいシチュエーションが先にあって、そこに黒幕の計画や最終目的を填め込んでいったと感じた。あとづけで設定したものだから、支離滅裂になっている。
 反面、物語を壊してまで作りあげた場面場面の美しさは秀逸だ。監督のみで精魂こめて作りあげた巨大ロボット群の姿もそうだが、雁行する戦闘機や飛行する空母、そして終盤に登場する如何にもSFらしいガジェットの数々。基本形は実物そのものだったり、有り体なスタイルを流用しているだけだが、それをCGによって微に入り細を穿ち丁寧に再現したうえで美しく動かしており、見ているだけで惚れ惚れとする。
 キャラクター造型も、特に個性的ではないがうまく確立されている。惜しむらくはスカイキャプテンが英雄として崇拝される過程なり背景なりをほとんど描写しておらず、裏付けがない分やや彼のヒーローとしての存在感が薄れている点だが、実にフォーマルなヒーローらしい無謀と紙一重の勇敢な行動にジュード・ロウの演技の説得力が加わって、ベースは確立されている。素晴らしいのはヒロインであるポリーだ。もともと猪突猛進というキャラクター設定らしいが、それ故にお話のなかで果たす役割が実に大きい。よくよく考えると概ねスカイキャプテンの足を引っ張っているだけなのだけど、同時に彼の原動力になっている部分も随所に窺わせ、破天荒さと愛らしさとがはち切れんばかりの魅力を発揮している。お嬢様のイメージが強いグウィネス・パルトロウだが、かつて『愛しのローズマリー』で肥満に悩む女性を演じたぐらいその演技の幅は広く、イメージに囚われない才能の一端を見せつけたかたちだ。出番は少なかったが、アンジェリーナ・ジョリーのインパクトも忘れがたい。
 そして、この主人公ふたりの痴話喧嘩スレスレのやり取りの楽しさが、繋がりの甘い物語に統一感と緩急を齎して、一時間四十分こちらの気を逸らさない。ぽつりとコメディ風の受け答えが挿入されるが、それが劇場を出たあとも笑いを呼び起こさせるのは、シチュエーションとタイミングをよく弁えて利用した証拠と言えるだろう。ラストシーンのいちばんいい場面でもそんな感じのやり取りになってしまったのはさすがにどうか、と一瞬思ったが、あのやり取りのお陰で話が変に壮大にならず、快い余韻を残す感じで幕を下ろせたようにも思う。
 全篇、イラストを原型にしたCGを背景に合成した映画という手法は極めて現代的ながら、用いられているシチュエーションやガジェットがすべて懐かしいものであり、それに対する製作者たちの惜しみない愛情が窺える実に印象のいい作品。如何せん、ストーリーの背骨がかなりガタガタなので傑作とは呼びがたいが、画面の隅々にまで満ちあふれた“愛情”を堪能するためには劇場のスクリーンで鑑賞することをお薦めします。

(2004/11/27)


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