cinema / 『スパイダーマン2』

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スパイダーマン2
原題:“SPIDER-MAN2” / 監督:サム・ライミ / 脚本:アルヴィン・サージェント / ストーリー:アルフレッド・ゴー&マイルズ・ミラー、マイケル・シェイボン / 原案:スタン・リー、スティーヴ・ディッコ / 製作:ローラ・ジスキン、アヴィ・アラド / 製作総指揮:スタン・リー、ジョセフ・M・カラッシオロ、ケヴィン・フェイグ / 共同製作:グラント・カーティス / 撮影監督:ビル・ポープ,A.S.C. / 美術監督:ニール・スピサック / 編集:ボブ・ムラウスキー / 視覚効果デザイン:ジョン・ダイクストラ,A.S.C. / 衣装デザイン:ジェームズ・アシェソン / 音楽:ダニー・エルフマン / 出演:トビー・マグワイア、キルスティン・ダンスト、アルフレッド・モリーナ、ジェームズ・フランコ、ローズマリー・ハリス、ドナ・マーフィー、J.K.シモンズ、ダニエル・ギリース、クリフ・ロバートソン、ウィレム・デフォー / 配給:Sony Pictures Entertainment
2004年アメリカ作品 / 上映時間:2時間7分 / 日本語字幕:菊地浩司
2004年07月10日日本公開
2004年12月03日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.sonypictures.jp/movies/spiderman2/
新宿アカデミーにて初見(2004/07/03) ※先行オールナイト

[粗筋]
 敬愛する叔父ベン(クリフ・ロバートソン)を自らの驕りで失ったことを契機に“スパイダーマン”として覚醒してからはや二年。ピーター・パーカー(トビー・マグワイア)は疲れ果てていた。サイレンの音を聞くたびにスパイダーマンに変身して飛び出していく彼は、バイト先でも大学でも遅刻を重ね、バイト先は何度も解雇され、大学では教授に才能を浪費するかのような振る舞いに苦言を呈される。スパイダーマンを仇と憎んでいる親友のハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)とはそのことでたびたび険悪な雰囲気となり、舞台女優としての地位を着々と固めつつあるメリー・ジェーン(キルスティン・ダンスト)への未練を断ち切れていないのに、彼女の舞台をろくすっぽ訪ねることも出来ず、気持ちが離れつつあるのを感じていた。
 それでも何とか学業と“責任”を全うしようとピーターは懸命だった。せめてレポートは提出できるようにと、彼はハリーの伝手でDr.オットー・オクタヴィウス(アルフレッド・モリーナ)との面会を果たす。父の死後ハリーが継承したオズコープ社の援助により従来を遥かに上回る効率での核融合理論を完成させつつあるオクタヴィウスとの対話はピーターにとって有益なものだった。科学者として世間に貢献したいという意欲に満ちあふれ、それを支える妻ロージー(ドナ・マーフィー)の愛にも恵まれたオクタヴィウスの生き方に、ハリーは憧れを感じる。
 だが、そのオクタヴィウスの公開実験の席で、思いがけない事件が発生する。核融合がバランスを崩し、巨大な磁場を発して周辺にある鉄製のものを飲み込み拡大し始めたのだ。現場に立ち会っていたピーターはすぐさまスパイダーマンとしてハリーたちを助け、装置を止めようとするがオクタヴィウスはちょっとしたミスだと言い張り納得しない。そして、彼らが目を離した隙に、飛び散ったガラス片によってロージーが命を落とした。辛うじてスパイダーマンが装置を止めたものの、被害は甚大なものとなった。
 オクタヴィウスは実験を安全に行うために用意した、自律的な思考回路を備えた4本の特殊金属製アームとオクタヴィウスとを接続するケーブルが彼の脊髄に癒着した状態となって病院に運ばれた。医師がアームの切断を試みようとしたそのとき、アームが動きはじめて医師や看護師を攻撃、オクタヴィウスは逃走する。アームの意思はオクタヴィウスを冒し、妻を喪ったばかりの彼は狂気に憑かれていった――意地でも実験を成し遂げねばならない、と。
 ピーターにとってただひとりの家族である叔母のメイ(ローズマリー・ハリス)はベンの死後収入が安定せず、その日もピーターを伴って銀行に赴き融資を請うていた。だが、もはや自宅の抵当権も喪失し、高齢のため充分な収入も見込めない彼女に対して銀行は冷たかった。溜息を吐いてふたりが立ち去ろうとしたそのとき、怪物と化したオクタヴィウスが銀行を襲撃した――!

[感想]
 前作ではヒーローの起源と真の誕生を描いたが、本編ではそれを踏襲しての苦悩と挫折、そこからの再起を描いている。
 日本の特撮ものでは既にだいぶお馴染みとなっているようだが、本編ではあちらのヒーローものには珍しく、まず正体を隠しながら英雄で居続けることの難しさを、執拗とも言っていいくらいに徹底して見せつける。サイレンを耳にするたび、原作ではスパイダーセンスと呼ばれる本能(映画版でこういう表現をしていない。賢明だと思う)で危険を察知するたび駆けつけているのだから、日常生活には甚だ支障を来すだろうし約束をしても果たせるはずがない。休む暇もない生活で寝不足になるだろうし、本筋であるはずの学業も捗らなくて道理だ。そりゃ自分のユニフォームを間違って白い服と一緒に洗濯機に入れて斑に染めてしまうはずである。客観的にはコミカルに描きながら、しかし同時にその遣る瀬ない苦しみが伝わってくる。
 そして、ヒーローとしての生き方を優先させるあまり、愛するべき人々とのあいだに生じた溝は更に深まっている。親友であったハリー・オズボーンは前作で父を殺されたことによりスパイダーマンを恨んでおり、カメラマンという格好でスパイダーマンと親しんでいるピーターを快く思っていない。メリー・ジェーンはピーターに対する想いを自覚しながら、謎の部分が多く本当の意味では傍にいようとしてくれない彼に疲れを感じ、新しいボーイフレンドに走ろうとしている。ピーターは彼らに対する想いと、大いなる力を与えられた“責任”とのあいだで揺れ動いている。
 そうした具合に前作で完成されたキャラクターを綺麗に膨らませ、ドラマの深みは更に増した。一方でピーターの変化にもたいして動じることなく、彼の裏の顔をさも知っているが如く彼の迷いを断ち切るような言葉をかける叔母のメイや、相変わらずピーターに冷たくあたり世評をものともせずスパイダーマンを目の敵にする編集長といった前作と基本的に変わらないキャラクターがおり、更にピーターが暮らすアパートの大家とその娘、ピーターが受講する教授(原作ではどうやらのちのち色々とあるらしい)といった味のある新キャラも登場して、笑いどころも含めて見所が増えている。
 更に注目すべきは、本編の敵役ドック・オクである。原作では数十年に亘ってシリーズを代表する怪物として君臨する人気キャラらしいが、本編では一種、スパイダーマンの苦しみをそのまま反転させたようなキャラクターとして構築されている。ピーターが憧れとする、科学者として生活を立て、愛にも恵まれ成功した身でありながら、たった一度の失敗から怪物へと変貌する。自らの顔を晒したまま悪事を働き、他者に被害が及ぶことを顧みず自らの巨大な力を行使する――彼のキャラクターは見事なまでにスパイダーマンと対比する形になっており、反対側から本編のテーマを支えているのだ。
 正直に言えば、前作を観た者にとってアクション場面には格別目新しさを感じるところはない。だがそれは、蜘蛛の糸と壁だろうと天井だろうと移動可能な手足を利用した縦横無尽のアクションにこちらが慣れてしまったせいであり、クオリティが落ちたわけではない。寧ろ、このレベルで安定していること自体評価の対象となりうるだろう。
 決まり切った形の多かったアメリカ流ヒーロー・アクション映画の方向性を事実上変革させたのが前作である。本編はそれをきっちりと踏襲し、子供にも解り易い娯楽でありながら、現実の苦みを描いて大人にも賞味できる作品に仕上げている。
 基本的に、第一作を観なくとも素直に楽しめるよう配慮されている点もいい。オープニングタイトルではイラストレーターの手による前作のダイジェストが流れて、おおまかながら本編に繋がる要素が把握できるようになっている――無論、前作をおさらいしてから鑑賞するのがいちばんなのは言うまでもないけれど。
 本編ラストでふたたび人間関係が動き、新たな禍根の影が仄めかされた。それ自体が、既に決定済らしい『3』の伏線なのだろうが、個人的にはラストシーンでのMJの、哀しげな表情が印象的だった。たとえ覚悟を決めたとしても、先に待つのは相変わらず苦難の道である。前作同様、本編はそのことをきっちり垣間見せた上で幕を閉じた。まさに文句なし、期待に違わぬ一本。続編の一日も早い登場を期待しましょう。

 ちなみに私が本編でいちばん好きな場面は、ドック・オクとの戦闘場面でも、親しい人々との繊細なやり取りでもなく、クライマックスでの暴走する電車を止める場面と、それに続く一幕である。本質的に本編は予算を惜しみなく投じた卑近な青春映画であるのだが、この一幕があるお陰で、極めて優秀なヒーロー映画としても成立した趣がある。いったい何が起きたのか、ここでは詳細に語らないので、是非とも実地に御覧ください。ヒーローとは決してその力だけで成立するものではなく、彼を信じる人々の存在あってこそ初めてヒーローたり得るのです。

(2004/07/05・2004/12/02追記)


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