cinema / 『スターフィッシュホテル』

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スターフィッシュホテル
監督、脚本:ジョン・ウィリアムス / 撮影:ベニート・ストランジオ / 美術:金田克美 / コンセプチュアル・デザイナー:斎藤岩男 / 装飾:松田光畝 / 録音:山方浩 / 照明:仲西祐介 / 編集:矢船陽介 / 音響効果:渡部健一 / ヘアメイク:豊川京子 / 特殊メイク:原口智生 / 衣裳:会田晶子 / 音楽:VORTEX(永井晶子、武石聡) / 主題歌:ケイコ・リー『夢幻蒼』 / イメージアルバム:浅倉大介 / 出演:佐藤浩市、木村多江、KIKI、柄本明、串田和美、上田耕一、綾田俊樹、歌川椎子、大楽源太、北川さおり、縄田一男 / 100meterfilms製作 / 配給:PHANTOM FILM
2005年日本作品 / 上映時間:1時間38分
2007年02月03日日本公開
公式サイト : http://www.starfishhotel.jp/
シネマート六本木にて初見(2007/02/03) ※初日舞台挨拶つき

[粗筋]
 建築会社に勤める有須(佐藤浩市)の妻ちさと(木村多江)が、忽然と行方をくらました。設計事務所に勤めるちさとは前日まで新しい仕事の検証を自宅で進めており、消える兆候など微塵もなかったのに。
 あるとすれば、ふたりともこのところ、奇妙な夢を見ていたらしい、ということぐらいだった。有須は見覚えのない洞窟を彷徨う夢を、ちさとはどこかの扉が開けられずに苦しんでいる夢を見ていたらしい。だが、手懸かりとも言えぬ手懸かりを役立てようがなく、定石通りに警察に届け出、身の回りの持ち物に痕跡を探るしかなかった。
 唯一変わったものは、名刺入れに残された、探偵事務所のアドレス。有須はその探偵事務所の主(上田耕一)を訊ねるが、「主婦が探偵事務所に関心を持つのがどういうときなのか、お解りでしょう」と仄めかすだけだった。
 心当たりは、ある。二年ほど前、出張で赴いた東北にて滞在したスターフィッシュホテルで、佳世子(KIKI)という女と出逢い、関係を持った。妻とは異なる神秘的な色香を持った彼女に有須は溺れ、東京に出てくるよう促したが、佳世子は「ふたつの世界が混ざってしまう」と頑なに拒み、出張のとき、或いは佳世子が上京したときに慌ただしい交渉を持つ関係に発展する。
 しかし、ちさとが消えたことで有須は、自分にとってどれほど彼女が大切な存在であったのかを思い出し、懸命にその行方を捜す。そんな彼の前に、ちかごろ奇妙な男がやたらと姿をちらつかせるようになる。有須自身も熱心な読者である、幻想ミステリの大家・黒田ジョウ(串田和美)の新作キャンペーンのために、ウサギの着ぐるみ姿でチラシを配る男(柄本明)である。謎めいた言葉を投げかけて去っていくこの男は、やがて有須に衝撃的なものを渡す。それは、ファッションヘルス店のチラシであり、そこにはちさとの姿が刷られていた……

[感想]
 映画で“本格ミステリ”“幻想ミステリ”などと銘打った作品は、そうした小説を愛読する人間にはあまり芳しくない出来になる場合が多い。だが、その意味では本編はいい意味で裏切ってくれた。
 とは言え、序盤はいささか退屈であることは否めない。夢の中の光景と現実、そして過去の回想が入り乱れる構成は、あまり秩序だっておらず、全体の脈絡が掴めない。個々の映像、表現の繊細さは際立っており、目を惹くのは確実なのだが、ストーリーとしての流れが薄いので頻繁に興味が途切れてしまうのだ。
 主人公の姓が“有須”、彼を幻想世界へと導く案内役を務めるのはウサギの着ぐるみの男、とあからさまな『不思議の国のアリス』モチーフを使用しているが、さすがに手垢がつきすぎているためにどうも新味が感じられない。こと、ウサギの着ぐるみは個人的に『ドニー・ダーコ』を思い出した。
 だが、前述の通りその映像美と表現の巧みさは出色である。日本人にとってごくお馴染みの風景を巧みに切り取り、不自然さを感じさせないのにそのタッチはどこか異国風だ。夢の中では日本風の外装に無国籍な内装を備えた宿を描く一方、東北への出張中の出来事として描かれる有須と佳世子の逢瀬に用いられるスターフィッシュホテルは、ヨーロッパの歴史ある、しかし寂れた一画の趣だ。そこに日本人のキャストを配しながら違和感を齎さず、日本映画でありながら日本のような印象を与えない不思議な映像美を実現している。その巧さはたとえばクエンティン・タランティーノやリドリー・スコットなどの、海外資本で撮影された日本を舞台とする映画と比べてみると明確だ。彼らはあくまで他人として日本を描いているが、この作品はきちんと日本の文化や風土を血肉としているのが解るのである。とうていイギリス出身の監督が撮ったとは思えない――実際、20年も日本に滞在している監督は会話のセンスまで完璧に日本人そのものだったので、そう思えば当然なのだが。
 抽象的なイメージの積み重ねは、観ているあいだは「付き合わされている」感が強いものの、しかしクライマックスが迫ると急速にそれぞれが意味を帯びていき、途端に重厚さを増していく。ミステリ、という観点からすると、根拠として説得力のあるものは乏しいので緻密な謎解きとは言えないものの、だが多くの出来事や描写について伏線を鏤めた挙句のカタルシスは、派手ではないがしかし間違いなくミステリのそれである。幻想的で抽象的だが、しかししっかりと籠められた意味が滲んでくるあたりは、本格ではないがまさに“幻想ミステリ”という表現に相応しい。
 本編の秀逸さは、そうした幻想的、非現実的な主題と描写にもきちんと、人間の生地を織りこんでいる点だ。一連の出来事の背景にあるのはごく当たり前の人間感情であり、それ故に物語には異様さと共に哀愁が滲む。作品の主題にいちばん近い言葉を、主要登場人物ではなく、まるっきりの脇役が口にしており、それがごく自然に感じられるのは、主題がきちんと物語に芯を齎しているからだ。いちおうは理が通ったように見える事件の“決着”のあとに敢えてふたたび夢と現の境を取り払うようなラストを持ってきたことも、その主題からすると当然なのである。観終わったあとにモヤモヤとした印象を留めるが、しかしそれは時間を経て、検証すればするほど豊饒な余韻に変容していく。
 監督は本編に、『不思議の国のアリス』とともに、小泉八雲や新藤兼人の映画のような“日本の怪談”をモチーフとして盛り込んだという。なるほど、確かに物語で描かれる異様な出来事とその気配の表現には、確かに『新耳袋』のような自然さと湿り気がある。
 日本と西洋を溶かし混ぜたような映像感覚、曖昧なようでいて骨のある主題とプロット。はじめのうちは退屈に感じられるだろうが、観終わったあとに考察すればするほどに忘れがたい余韻を強めていくはずだ。やや通好みではあるが、上質の手触りが堪能出来る秀作である。

(2007/02/03)


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