cinema / 『スターウォーズ episode III/シスの復讐』

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スターウォーズ episode III/シスの復讐
原題:“Star Wars: Episode III - Revenge of the Sith” / 監督・脚本・製作総指揮:ジョージ・ルーカス / 製作:リック・マッカラム / 撮影監督:デヴィッド・タッターソル,B.S.C. / プロダクション・デザイナー:ギャヴィン・ボケット / 編集:ロジャー・バートン / 編集&サウンド・デザイナー:ベン・バート / 衣装デザイン:トリシャ・ビガー / 音楽:ジョン・ウィリアムズ / 視覚効果スーパーヴァイザー:ジョン・ノール、ロジャー・ガイエット / アニメーション監督:ロブ・コールマン / ソードマスター&スタント・コーディネーター:ニック・ジラード / 出演:ユアン・マクレガー、ヘイデン・クリステンセン、ナタリー・ポートマン、イアン・マクダーミド、サミュエル・L・ジャクソン、ジミー・スミッツ、クリストファー・リー、アンソニー・ダニエルズ、ケニー・ベイカー、テムエラ・モリソン、アーメド・ベスト、ピーター・メイヒュー、ブルース・スペンス、サイラス・カーソン、デヴィッド・ボワーズ、マット・ローワン、ケイシャ・キャッスル=ヒューズ / 声の出演:ジェームズ・アール・ジョーンズ、フランク・オズ / 配給:20世紀フォックス
2005年アメリカ作品 / 上映時間:2時間21分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2005年07月09日日本公開
公式サイト : http://www.starwarsjapan.com/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/07/09)

[粗筋]
 遠い昔、遥か彼方の銀河系の物語――
 共和国と分離主義者たちとの戦争は激化の一途を辿っていた。三年前に活躍したクローン軍団はいまや共和国の重要な戦力として、ジェダイ騎士たちの指揮下全宇宙で戦いを繰り広げている。一方、あまりに長びく戦争は国力を疲弊させ、ひいては共和国市民たちの反感を買いつつある。最高のジェダイ・マスター=ヨーダ(声:フランク・オズ)を筆頭に、この状況を憂慮する者も少なくなかった。
 そんななか、元老院の議長パルパティーン(イアン・マクダーミド)が分離主義者によって攫われる、という事件が発生する。奪還の使命を帯びてグリーバス将軍(声:マシュー・ウッド)が指揮する戦艦インビジブル・ハンドへと赴いたのは、オビ=ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー)とアナキン・スカイウォーカー(ヘイデン・クリステンセン)の師弟であった。かつてはその増長からいいように翻弄され、遂にドゥークー伯爵(クリストファー・リー)によって右腕を切り落とされてしまったアナキンだが、その後オビ=ワンのもとで修行と経験とを積み重ね、いまや師を乗り越える実力を身につけていた。様々な局面で師の窮地を救い、インビジブル・ハンド内にてドゥークー伯爵を倒し、グリーバス将軍こそ取り逃がしたが、半分を失い墜落する戦艦をうまく操り、無事不時着に成功する。
 コンサルトに帰還したアナキンを、ふたつの朗報が待ち受けていた。ひとつは、久々に再会した妻パドメ(ナタリー・ポートマン)の懐妊。もうひとつは、今回の手柄を評価したパルパティーン議長が、アナキンをジェダイ・マスターに推しジェダイ評議会の議員に加えるよう働きかけると約束したことだ。
 だが、いずれの事実も決してアナキンの心の安寧を約束するものではなく、寧ろ悩みを深めただけであった――特定の事物に対する執着をよしとしないジェダイの掟は妻帯を認めておらず、未だパドメとの結婚は世間的には伏せられている。子供を産むにしても極秘裏にことを進めねばならず、生まれた子供達の親であると声を大にして宣言することなどもってのほかだった。彼女に対する愛を包み隠していることでさえ耐えきれなくなっているアナキンには、更に酷な現実が課せられようとしている。
 ジェダイ評議会は特例としてアナキンの評議会入りを認めながら、彼にマスターの称号を与えることについては留保を決めた。非公式の場でオビ=ワンはアナキンに、評議会の議題に容喙するパルパティーン議長に対する不信感が議員たちのあいだに広まっており、パルパティーンと懇意であるアナキンに、密かに彼の様子を窺い随時報告を行うよう請うていることを告げる――つまりアナキンに、スパイをしろ、と命じているのだ。実力を評価しながら依然アナキンがマスターになることをよしとせず、戦時であることを理由に本来ジェダイの掟に反する裏切り行為を強制するジェダイ評議会に対して、アナキンは強い不満を覚える。
 そしてアナキンの不安を煽る出来事がもうひとつ彼の身を襲った。夜毎目にする悪夢は、パドメが出産のさなかに若くしてその命を喪う危険を彼に告げた。パドメはオビ=ワンに相談するよう勧めるが、彼を慕う一方で自分の出世を妨げているという思い込みが未だに拭えないアナキンは二の足を踏む。代わりに、妻と子供の存在とを伏せてヨーダに相談するが、執着と喪うことへの恐れは暗黒面を招く要因だ、と警告を発するだけのマスターに失望を隠せない。
 そんななか、行方をくらましていたグリーバス将軍が、ウータパウに潜伏しているとの情報がパルパティーンからアナキンへと齎される。議長はアナキンが追討の命を帯びることを望み、評議会の場でもアナキンは自分の起用を求めるが、メース・ウィンドゥ(サミュエル・L・ジャクソン)らはより経験の豊富なマスターのほうが適当であるとし、オビ=ワン単独の派遣を決定する。一方で分離主義者との小競り合いが続くキャッシークへは、ここを母星とするウーキーたちと友誼の深いヨーダ自らが赴くことを決定する――評議会入りは認められながら、審議ではまるで蚊帳の外に置かれたままのアナキンは、不信感を募らせるばかりだった。
 そんなアナキンの様子に不安を覚えたオビ=ワンは、パドメにあとを託し、アナキンとの友情を確かめながらも後ろ髪を引かれるように任地へと旅立っていく。よもやまさか、彼も想像していなかったのだ――この僅かのあいだの離別が、ふたりのあいだに取り返しのつかない断絶を齎そうなどとは。

[感想]
 ……終わったことだけでもう充分満足なんですが。
 たぶんオリジナル三部作公開当時からそれなりに観ていたはずだが、マニアというわけでもない。ただ、テレビでエピソード1を観て間もなくエピソード2が劇場公開となり、その頃から本格的に映画に嵌っていたために流されるように鑑賞、けっこう面白かったので、完結編となる本編の公開に先駆けてテレビ放映やDVDなどで旧作をちゃんと鑑賞しなおしたり、という準備をしていたために、観終わったら出来はどうでも良くなってしまったのだ。が、どうでもいいで済ますのも忸怩なので多少詳しく記していく。
 とりあえず、この主題を二時間程度で描くのは本質的に無理だったことは指摘せねばなるまい。才能ある若きジェダイのアナキン・スカイウォーカーが当初から孕んでいた驕りと執着心とにつけ込まれ、暗黒面へと急激に傾いていくさまを辿るのがこの章の主題なのだが、冒頭ではいささか才気走りすぎているとは言え自らの師であり刎頸の仲でもあったオビ=ワン・ケノービに対して敬意を払い、ジェダイの掟にも忠実たろうとしていた男がほんの一時間ちょっとで完璧に敵方に陥落してしまうのはさすがに性急すぎる。
 生来の自己主張の激しさに加えて、束縛の厳しいジェダイ評議会に対する反発、師オビ=ワンへの敬意と共存する、彼が自らの出世を妨げているのではという猜疑心、更に執着のあまり他のものごとに対して目が眩むほどに強烈なパドメへの愛と、予知夢を契機にした彼女を喪うことへの恐怖、そうしたピースが巧みに鏤められているうえ、戦時中の複雑な情勢を利用して評議会を雁字搦めにし、不可避的にアナキンと評議会との断絶を深めていくように仕向けるシスの策略もちゃんと盛り込まれているのだが、何故そこでそういう行動が効果を齎したのか、またジェダイ評議会側も若きスカイウォーカーを蔑ろにするような方向へと傾きがちだったのか、などの説明が不充分であるため、話運びがかなり乱暴に見えてしまう。語られていない戦況や政治情勢を想像すると、経験の乏しいスカイウォーカーには敢えて我慢を強いて、彼の要望に応えることは後回しにした、と捉えるのも難しいことではないのだが、ここがシリーズ最後の欠けたピースであったからこそ、もっと丁寧に描いて欲しかった、という厭味は禁じ得ない。
 また何よりも、結局は最低限でもepisode IとIIぐらいは観ておかないことには、掴みきれない部分が多すぎるのも疑問に思える。前述のアナキンが暗黒面へと引きこまれていく要因の幾つかは本編よりもIやIIで多く描きこまれているものがあり、順を追って鑑賞していればまだしも納得出来ても、いきなり本編から観てしまったら意味不明の箇所が多すぎる――これほどの話題作・超大作ともなれば旧作を観ずに触れようとする人間はかなりの少数派だ、とは思うものの、観に来るのがマニアばかりでないのは自明だし、私のように予習復習をしてくるのも少数派であることを考えれば、もう幾許か親切でも良かったのではなかろうか。
 といった具合に、筋はギクシャクとし乱暴な印象は免れないが、しかしスター・ウォーズシリーズ特有のフォーマットに従ったプロットの牽引力は相変わらず凄まじい。冒頭にいきなり激しい戦闘シーンを導入し、息を吐く間もなく観客を作品世界に引っ張り込むと、随所で謀略や冒険を織り込みながらアナキンが心情的に追い込まれていく様を描いていく。主題は主題として、過剰なまでに細部を描き込み、合理性よりも見た目の迫力を重視したアクションシーンには大量の尺を割き、心ゆくまで楽しませてくれるあたりは、何よりも娯楽を重視していることが感じられて好もしい。クライマックスがあまりに凄惨であるために、シリーズ初のPG-12規制を受けてしまったほどの本編だが、しかしそれ以前の残酷な場面はちゃんと目隠しをしたり直接描くことをしない配慮も覗かせている。クライマックスだけは、あそこできちんと描かないことにはオリジナル三部作における布石が不充分となってしまうので、描写を避けるわけにもいかなかったのだろう。
 また、全体にかなり強引な筋廻しであるとは言え、ここまでシリーズに付き合ってきた人間にとってみれば、本章の展開はある程度は自明であったことも間違いない。スター・ウォーズ・サーガがepisodeIからIIIまでが父アナキンの物語、IVからVIまでが息子ルークの物語となっており、両者が共鳴して途中までは似たような筋を辿っていることはepisode IIまでで明確になっている。故に、どういった具合にアナキンに対して暗黒面からの誘惑があるのか、といった大まかな展開は“約束済”であり、そのことと併せると一見説明不足な筋廻しも、約束を観客が知っているが故のまだるっこしさを回避しテンポよく綴るために不可欠だった、という判断の仕方もある。
 詰まるところ、これはあくまでシリーズ全体に親しんできた人にこそ楽しんでもらおうと意を尽くした作品なわけで、基本的に旧作をよく知らない人は置いてけぼりにされるよう出来ている。先端技術の粋を尽くした映像はほとんど芸術の域に迫りつつあるし、呼吸する間さえ奪うような物語のスピード感と戦闘シーンの迫力は仮に一見さんであっても楽しめることは間違いないだろうが、やはり最低限、episode IおよびIIぐらいは観ておかないと戸惑うことのほうが多いと思う。
 何にしても、これでようやく父と子を巡る物語の円環が完成したわけで、これを機に全六作を一気に鑑賞してみるなどの楽しみ方もありでしょう――個人的には、早くも構想をぶち上げた全100時間のドラマシリーズも片づかないうちに、旧三部作をリニューアルするとか言い出しそうな予感がしてちと怖いのですが。

 ところで。
 本編について、個人的に内容とは別のところで楽しみにしていたのが、ニュージーランド版『風の谷のナウシカ』こと『クジラの島の少女』のヒロインを演じて、デビュー作にしてアカデミー賞主演女優賞候補となったケイシャ・キャッスル=ヒューズがどこに顔を出しているか、ということ――だったのですが、ナブーの新女王役だった彼女の出方は、ほとんど仮装パーティーに顔を連ねているような代物でした。新たに製作されるというドラマ版では活躍の場を用意されているのかも知れませんが、この程度の出番なら触れない方が良かったような……

(2005/07/12)


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