cinema / 『エコーズ』

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エコーズ
原題:“Stir of Echoes” / 原作:リチャード・マシスン『渦まく谺』 / 監督・脚本:デヴィッド・コープ / 製作:ギャヴィン・ポローン、ジュディ・ホフランド / 製作総指揮:ミシェル・ワイズラー / 撮影:フレッド・マーフィー,A.S.C. / 美術:ネルソン・コーツ / 衣装:リーサ・エヴァンス / 編集:ジル・セイヴィット / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:ケヴィン・ベーコン、キャスリン・アーブ、イレーナ・ダグラス、ザカリー・デヴィッド・コープ、ケヴィン・ダン、ルシア・ストラス / アルチザン・エンタテインメント製作 / 配給:Art Port
1999年アメリカ作品 / 上映時間:1時間39分 / 日本語字幕:瀬尾友子
2005年09月10日日本公開
公式サイト : http://www.artport.co.jp/movie/echoes/
銀座シネパトスにて初見(2005/09/12)

[粗筋]
 配線工のトム・ウィツキー(ケヴィン・ベーコン)がシカゴの線路にほど近い住宅街に越してきて数ヶ月。妻マギー(キャスリン・アーブ)とひとり息子ジェイク(ザカリー・デヴィッド・コープ)との暮らしは倹しくも幸せなものであったが、拭いきれない上昇志向がしばしば妻との関係に緊張を起こしている。新たな命をお腹に宿したマギーのために仕事を増やすことを決めるが、かつて残業で苦しんでいた彼を目の当たりにしてきた妻は苦々しい態度を示す。
 事件は近所で開かれたパーティーの席で起きる。前々から妙な力を喧伝し、催眠療法士の資格も持っているというマギーの姉リサ(イレーナ・ダグラス)が盛んに催眠術の有効性を訴えるのを面白がったトムは、余興として自分にかけてみるよう提案したのだ。だが、施術はリサの予測さえ超えて覿面に効いてしまった。しばらく昏睡状態に陥っていたトムは、夢の中で異様に血腥い光景の断片を目の当たりにする。
 妻と共にパーティーをはやばやと辞したトムだったが、激しい喉の渇きと奇妙な不安に苛まれてまんじりともしない。朦朧とした頭でリヴィングに赴いたトムは、何気なく腰を下ろしたソファに、見知らぬ女が隣り合って座っているのに気づき絶叫した。女は冷たい息を吐きながらか細く「助けて」と訴え、姿を消した――
 翌日、リサに対していったいどんな暗示を掛けたのかと訊ねると、彼女は日頃から視野の狭い言動の目立つトムに、もっと世界を広げて欲しいと願い、“意識の扉を開く”ように誘導した、という。暗示を解いて欲しい、と訴えるトムに、リサはお座なりな返事を寄越すだけだった。
 そして、第二の異変が彼を襲った。マギーや近所の友人たちと連れ立って、地元の高校生フットボール・リーグの観戦に向かったトムだったが、家に残してきたジェイクのことがどうしても気に掛かって仕方がない。伝手を頼って招いたベビーシッターのデビーという少女を初めて見た瞬間、視野を覆った真っ赤な色彩が、行き交う車のブレーキランプに、信号の赤に、看板の赤いネオンに重なってトムを苛む。競技場の入口でとうとう彼は道を引き返し、追う妻を顧みもせず我が家に走った。そこにはジェイクもデビーも見当たらない。
 誘拐された、と直感したトムは、しかしそれから迷うことなく駅へ突き進む。そこに、ジェイクを抱えたデビーの姿があった。デビーが言うには、半年前に行方をくらました彼女の姉サマンサのことを知っている、と訴えるジェイクに詳しく話を聞きたかったのだ、という。警官の「告訴しますか」という問いに、トムは首を横に振った。デビーが、知っているはずだ、と突き出した写真に映っていたのは、催眠術を掛けられた夜、横のソファに見た女に違いなかったのだ……

[感想]
 この作品、けっこう不幸な経緯を辿っている。原作はファンタジーやSFの分野でその名を知られたリチャード・マシスンの『渦まく谺』(邦題、ただし絶版)であるが、ユニヴァーサル・スタジオに映画化権が購入されたものの、その後四十年間も実現に至らなかったそうだ。たまたま古本屋(!)で原作を発見、魅せられたデヴィッド・コープが志願して脚本を執筆し、自らメガフォンを取って映像化に漕ぎつけたそうだ。しかしいざ公開されてみれば、同時期に話題を攫っていったのはよりにもよってM・ナイト・シャマラン監督の出世作『シックス・センス』――興収的には本編も順調以上だったそうだが、新人監督にして記録的なヒットとなった『シックス・センス』の陰に隠れてまるで目立たなくなってしまった。設定面で重なるところが多すぎるせいもあったのだろう。日本での公開も決まっていたようだが、配給会社の問題でいちど立ち消えになり、実に六年近い時を経てようやくスクリーンでのお目見えとなった。これだけ時間が経過してしまうと、普通なら映像ソフトへ直行してしまってもおかしくない。敢えて劇場に掛けた配給会社の英断にまずは敬意を表したい。
 一連の経緯を不幸だと感じるのは、この作品、心霊ホラーとして非常に端正に仕上がっているからだ。確かに、霊を見ることの出来る子供、死者からのメッセージを受け取ろうとする人々とそれが理解出来ずに悩む人々、また背景に対する拘りにおいても『シックス・センス』と重なる要素が多いため、強烈な一発アイディアとともに“泣き”までも盛り込んだ『シックス・センス』と並べるとややインパクトに欠ける。だが、それ以外の基礎とも言える部分については『シックス・センス』に勝るとも決して劣ることはない。
 まず、怪奇現象の織り込み方が非常にリアルだ。基本的に死者はあからさまな自己主張をせず、物陰や意外な角度から、迂遠と感じられる方法で意思を伝えようとする。意味不明の幻影の断片を見せられた主人公がその真意を手繰ろうとするさまに御都合主義的な印象がなく、説得力が著しい。
 また、描かれる怪奇現象に品性があることも評価したい。血飛沫などでグロテスクさを強調することなく、意表を衝くことで脅かすような手口も最小限に抑えている。醸成しようとしているのはあくまで異質なものの存在による靄のような恐怖感であり、それによって生じる主人公の緊張と、夫婦の軋轢や日常生活の破綻といったドラマ性である。決してその場しのぎの力押しで恐怖を形作ろうとするのではなく、基礎にある生活の背景や習慣のなかに描かれていたものの背後に非日常的な価値観を割り込ませることで、日常が反転していくような恐怖を演出しているのだ。『シックス・センス』や『アザーズ』のように、日常にいきなり違和感が割り込んでいくのとは微妙に異なり、その恐怖はより生々しいものになる。
 決して押しつけがましくなく描かれる、シカゴの労働階級の暮らしぶりがまた、そのリアリティを補強している。残業しなくては新しく生まれる子供を養うことの出来ない現実、ご近所や親族との微妙な関係が、後半の展開に重みを齎している。
 原作自体が古典に近いこともあって、骨格となる事件に目新しさはない。感動よりも静かな戦慄を残す結末もいささか通好みではある。だが、全体での仕上がりにホラー映画としてもドラマとしてもケチをつけるところはほとんどない。『シックス・センス』『アザーズ』の、アイディアではなく恐怖映画としての品性に惹かれるような方には間違いなくお薦めの傑作である。改めて、これをまずは劇場公開してくれた配給会社に感謝したい。

(2005/09/12)


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