/ 『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか』
『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか
原題:“Dr. Strangelove : or How I learned to stop worrying and love the bomb” / 原作:ピーター・ジョージ / 監督:スタンリー・キューブリック / 製作:ヴィクター・リンドン / 脚本:スタンリー・キューブリック、ピーター・ジョージ、テリー・サザーン / 撮影:ギルバート・テイラー / 音楽:ローリー・ジョンソン / 出演:ピーター・セラーズ、ジョージ・C・スコット、スターリング・ヘイドン、キーナン・ウィン、スリム・ピケンズ、ピーター・ブル、トレイシー・リード、ジェームズ・アール・ジョーンズ / 配給:COL(日本初公開時) / DVD発売:Sony Pictures
1964年イギリス・アメリカ合作 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:?
1964年10月06日日本公開
2005年03月25日DVD日本最新版発売 [amazon]
日比谷みゆき座にて初見(2005/03/27)※日比谷映画・みゆき座閉館記念名作上映会[粗筋]
非常事態は何の前触れもなく発生した。アメリカ空軍戦略基地に派遣されていたイギリス空軍大佐マンドレイク(ピーター・セラーズ)は突如、彼が副官としてサポートしている基地の責任者リッパー将軍(スターリング・ヘイドン)から、「R計画」遂行の指令を下された。「R計画」はソ連からの攻撃に対して行われる絶対的報復手段であり、この命令が発動されると、緊急通信以外の一切を遮断した爆撃機が、予め搭載された指示書に基づきロシア大陸の要所に核爆弾を投下する。ちょうど演習飛行中であったキング・コング少佐(スリム・ピケンズ)以下が搭乗する爆撃機も、即刻ソビエトのレーダー領域内へと赴き、指示書通りの準備を開始した。
基地の封鎖を準備していたマンドレイク大佐は、接収し忘れたラジオから脳天気な音楽が流れていることに気づき、アメリカが攻撃を受けていない事実を悟り、将軍に攻撃の停止を進言する。だが、リッパー将軍は耳を貸さなかった――攻撃の有無は問題ではない。迫り来る共産主義に対抗するために、こちらから攻撃を仕掛ける必要があるのだ、と説く彼の姿に、マンドレイクは事態の正体を知る。リッパー将軍は、狂ったのだ。
米軍指揮官タージッドソン将軍(ジョージ・C・スコット)は秘書兼愛人との逢瀬を楽しんでいた最中に「R計画」実行の異常事態の報を受け、慌てて国防総省へと赴く。ソ連からの攻撃という事実なく計画が発動された事実から、戦略基地のリッパー将軍の独断により蛮行であることは自明であり、大統領(ピーター・セラーズ)は即刻爆撃機に中止命令を送達するよう要請する。だが、指揮体系の混乱をも想定した計画の指示書には、呼び戻しのためには三文字の暗号を必要とすることが明記されており、その暗号は他でもないリッパー将軍の頭のなかにしか存在しない。この期に及んでは、潔くソ連に対する先制攻撃に切り替えて、戦争の準備をするしかない、とタージッドソン将軍は訴えるが、大統領は会議室にソ連大使(ピーター・ブル)を招き、ソ連側から爆撃機を攻撃してもらうべく要請する。
しかし、それに対する大使の答は衝撃的なものだった。仮に大半を退けたとしても、うちの一機が核弾頭を落とせば、自動的に報復が行われる。そのためにソ連が用意したのは“皆殺し”爆弾であった――ドイツから亡命しアメリカの兵器開発局長に就任していたストレンジラブ博士(ピーター・セラーズ)はその実在を保証する。通常の核兵器は数週間で半減期を迎えるが、この“皆殺し”爆弾の放射能の半減期は凡そ百年――そのあいだ地表は黒い雲で覆われ、一切の生物が死に絶える。
そうこうしているあいだにも、攻撃の準備は着々と進みつつあった……[感想]
上にも記したように、本編は東宝本社の改築に合わせて閉館の決まった日比谷映画及びみゆき座の閉館記念イベントとして実施された名作上映会のなかで鑑賞した。他にも『リバー・ランズ・スルー・イット』、『サイダーハウス・ルール』や『ジョニーは戦場に行った』などなど名作が目白押しのなか、特に本編を選んだのは――観に行くのに不都合のないスケジュールを選択した結果でもあるのだが、さきに鑑賞した『ライフ・イズ・コメディ!』の影響がいちばん大きい。
ピーター・セラーズの生涯を一風変わったタッチで描いた伝記映画である『ライフ〜』のなかでは、本編の撮影風景もきちんと描かれている。稀代の映像作家であるスタンリー・キューブリックとピーター・セラーズが組んだ最大の仕事であり、セラーズとしても一人三役という難関に挑み見事成し遂げたベスト・パフォーマンスのひとつであるからだろう。
実際、本編でのピーター・セラーズはその才能を遺憾なく発揮している。もともと役柄に徹底的に染まりきり、別人と見紛うほどに演じ分けることが可能だった男だったそうだが、本編では恐らくそうと指摘されなければ三人を同一人物が演じていることに気づかない観客もあるはずだ。口ひげや眼鏡をいじって顔立ちの印象を変えるのみならず、言葉遣いや訛りもコントロールし、口癖までが完璧に別人になっており、仮に並んで登場したとしても同じ人間が演じているとは思うまい。そのうえ、いずれもが他の登場人物と比べても個性が際立っている。僅かな台詞で作品世界を覆い尽くすばかりのインパクトを留めるタイトルロール=ストレンジラブ博士が珠玉であることは言うまでもないが(だからこそ、前述の『ライフ〜』のなかでセラーズを演じたジェフリー・ラッシュも特にこの役柄を演じてみせたわけだ)、飄々とした洒落者で、発狂した上官に悩まされながら笑いを取ることを忘れないマンドレイク大佐に、こちらは見事なまでにステレオタイプながら貫禄のある大統領役も見事に際立っている。
だが、監督であるスタンリー・キューブリックはそれに飽きたらず、更にもう一人の主要人物である爆撃機の操縦士役も割り振ろうと説得を続けていたらしい。『ライフ〜』のなかではキャラクターがものに出来ないことに苦しんだ挙句、骨折を理由に固辞したという筋書きになっていたが、実際も似たような展開だったらしい。本編を実際に観るまでは、キューブリックも無茶を言いすぎだろう、ぐらいに捉えていたのだが――今になると、確かに操縦士役もセラーズであったほうが良かったと思う。実際に演じたスリム・ピケンズが悪いわけではない。そうではなく、この操縦士役もセラーズがこなしていれば、作中に登場する三つの舞台すべてで彼が主な役割に就くことになり、全体のバランスが更に良くなったと思われるのだ。むしろ、セラーズが演じなかったことがこの優れた映画唯一の瑕疵と言い切ってもいい。完璧主義者だったというセラーズが、キャラクターを案出できなかった操縦士役を固辞した理屈も解るのだが、多少凡庸であってもここを抑えていてくれれば、この作品における彼の評価は更に高まっていたのではなかろうか――本編でセラーズは1964年度のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、賞自体は惜しくも逃しているのだが、この一歩の踏ん張りで受賞に漕ぎつけられたかも知れない、とさえ思う。
シナリオ、演出、演技、映像演出などの出来については今更言うことはありません。現代においてもその骨子は未だに通用する、傑出したブラック・コメディ。黒すぎてもう笑えません。既に世評の固まった作品についてああだこうだと論じるのもアレなので、先に鑑賞した『ライフ・イズ・コメディ!』と絡めて書いてみたわけですが、こうして並べてみて改めて感じるのは、『ライフ〜』にてセラーズを演じたジェフリー・ラッシュの素晴らしさである。セラーズ本人の特徴も丁寧に研究して自分のものとしていたそうだが、その彼が出演作で演じたキャラクターをも完璧に掴んでいたのがよく解った。本編を既に御覧の方は、是非『ライフ〜』にてジェフリー・ラッシュが演じたストレンジラブ博士をも御覧頂きたい。あの強烈な個性を、見事に再現している。
(2004//)