cinema / 『ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方
原題:“The Life and Death of Peter Sellers” / 監督:スティーヴン・ホプキンス / 原作:ロジャー・ルイス / 脚本:クリストファー・マーカス、スティーヴン・マクフィーリー / 製作総指揮:フレディ・デ・マン、ジョージ・フェイバー、チャールズ・バッティンソン、デヴィッド・M・トンプソン / 製作:サイモン・ボサンクエット / 撮影監督:ピーター・レヴィ,A.C.S.,ASC / プロダクション・デザイナー:ノーマン・ガーウッド / 編集:ジョン・スミス / 音楽:リチャード・ハートレイ / キャスティング:ニナ・ゴールド / 出演:ジェフリー・ラッシュ、シャーリーズ・セロン、エミリー・ワトソン、ジョン・リスゴー、ミリアム・マーゴリーズ、スティーヴン・フライ、スタンリー・トゥッチ、ピーター・ヴォーン、ソニア・アキーノ / HBOフィルムズ製作 / 配給:東芝エンタテインメント
2004年アメリカ・イギリス合作 / 上映時間:2時間5分 / 日本語字幕:岡田壯平
2005年01月29日日本公開
公式サイト : http://www.lifeiscomedy.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/02/01)

[粗筋]
 イギリスのラジオ局BBCの人気番組『グーン・ショー』で強烈な個性を放っていたピーター・セラーズ(ジェフリー・ラッシュ)。だが、彼は映画界で活躍する夢を持っていた。積極的にオーディションに参加し、ある映画で60代の元軍人役を探していることを聞きつけると、事前にキャラクターを自分のなかで固めてからキャスティング・エージェントのもとを訪れた。だが、当時まだ30代だったセラーズを起用するつもりはない、とエージェントはほとんど門前払い同様に拒否する。萎れるセラーズに、彼に役者としての夢を託して育て上げた母ペグ(ミリアム・マーゴリーズ)は「チャンスは自分の手でもぎ取るものよ」と諭し、挑戦を促す。セラーズは老人の装いと演技でエージェントのもとを訪れ、遂に念願の役をもぎとった。
 やがて、セラーズの映画俳優としての活動が実を結ぶようになった。数本のヒットを繰り出し、『I'm All Right, Jack』では英国アカデミー賞の主演男優賞に輝く。この高い評価がイタリア女優ソフィア・ローレン(ソニア・アキーノ)との共演に結びついた――だが、ある意味ではこの出来事こそ、セラーズのケチのつき始めだったのかも知れない。
 元来、セラーズは極めて芸達者である一方、非常に幼稚な言動が多く、そのために妻アン(エミリー・ワトソン)や子供達を悩ませることが屡々だった。子供が気遣うつもりでしでかした間違いに異常な憤りを示し、それを糊塗するために突拍子もない行動に出る。その突拍子のなさが、ソフィア・ローレンと出逢ったとき、恋心に発展するというかたちで表出してしまった。ソフィアを家に招いたとき、「こんな田舎では不便だわ」と言われたのを真に受けてすぐさま都会に越し、食事に誘った彼女に「奥様とお子さんたちのところへ帰るべきよ」と言われると即座に離婚を申し立てる――呆れ果てたアンは、子供達を連れてセラーズのもとを去った。
 そこまで犠牲を払ったにも拘わらず、結局ソフィアはセラーズに振り向かなかった。喪失感のあまりセラーズは女遊びと車道楽に走り、同時に占い師モーリス・ウッドラフ(スティーヴン・フライ)に精神的に依存するようになる。
 本格的な転機は1964年に訪れた。『ティファニーで朝食を』で名を上げたブレイク・エドワーズ(ジョン・リスゴー)の新作『ピンクの豹』に出演予定だった俳優が降板、急遽セラーズにお鉢が廻ってきた。ポルノのような題名にしばし渋るセラーズだったが、子供達の養育費などの問題もあって選り好みできる立場ではない。また、たとえ私生活が無軌道であったとしても、演技の場に立てば全力を尽くすのがセラーズだった。移動中の飛行機のなかでキャラクターを固めると、主役さえ食う勢いで熱演する。こうして、セラーズ生涯の当たり役となるクルーゾー警部は誕生した。
 製作中に続編が決定し、あまりの巧みさにセラーズをフランス人俳優と誤解するファンが生まれるほどの好評を博した『ピンクの豹』だが、セラーズは自分の持ち味が活きていないと不平を漏らす。そこへ新たな仕事を齎したのがスタンリー・キューブリック(スタンリー・トゥッチ)だった。彼がセラーズに頼んだのは、タイトルロールでもあるストレンジラブ博士を含む一人三役――まさに独壇場であった。更に爆撃機操縦士の役を託そうとされたときには策を弄して固辞したが、本編での演技はハリウッドでも賞賛を浴び、アカデミーの主演男優賞にノミネートされる。
 こうしてキャリアの頂点を迎えたセラーズだったが、そんな彼にある日、思いも寄らない報せが齎される。やはり役者であった父ビル(ピーター・ヴォーン)が心臓病の発作を起こして入院しているという。ハリウッドで活躍する彼に気遣うつもりで連絡しなかったという母。慌てて駆けつけたセラーズとろくに会話する間もなく、父は息を引き取った……

[感想]
 まず白状します。わたくし、本編のタイトルロールであるピーター・セラーズ本人の出演作を見事に一篇も観てません。『ピンクパンサー』シリーズでさえも、です。唯一手許にあったのは作中語られなかったキューブリック作品での初仕事『ロリータ』ぐらいですが――観ておくべきだったような。
 しかし、それほど真面目に予習する必要もなかったようです。本編は映画での活動をはじめる直前、銀幕での活躍を夢見てオーディションを手当たり次第に受けるようになったくだりから始まっており、セラーズのキャリアにおける主な局面はほとんどフォローしているようで、話自体が一種セラーズという俳優のカタログのような役割を果たしている。実際、本編を観て逆にセラーズ出演作を観てみたいという気にさせられた私は、思わず発売済のDVDをチェックしてしまったほどだ。ジェームズ・ボンドのパロディ『カジノ・ロワイヤル』は2005年02月に1000円を切る廉価版が発売されるようなので手始めに買ってみようかな、とか。
 だが何より凄まじいのは、主演俳優ジェフリー・ラッシュの文字通りの百面相ぶりである。本編ではピーター・セラーズ出演作の撮影風景を幾つも再現しているが、それぞれで別個の役作りを行い、完璧に演じ分けたセラーズに倣って、ラッシュ自らがそのキャラクターを改めて再現している。更には作中、一風変わった演出として、しばし現実での登場人物が変装したセラーズに入れ替わるという描写があるため、結果として最初の妻アン、両親、『ピンクパンサー』シリーズの監督ブレイク・エドワーズ、『博士の異常な愛情』の監督スタンリー・キューブリックなども演じるかたちとなっており、恐らくラッシュが演じたキャラクターは両手でも数え切れまい。一部、演出上の計算もあって充分に演じ分けられていない部分もあるが、それも含めて驚異的な演技力と言うほかない。終生セラーズに頼られる最初の妻アンを演じたエミリー・ワトソン、当時21歳だった2番目の妻ブリット・エクランドを28歳で演じたシャーリーズ・セロン、最もセラーズの魅力を引き出しながら二流呼ばわりされる監督ブレイク・エドワーズの苦悩を丁寧に再現したジョン・リスゴーなどなど、脇を固める役者も名演を見せているが、それさえジェフリー・ラッシュの力強さの前に霞んでいるぐらいだ。
 一方で、シナリオの組み立てはかなり癖が強い。前述のように突如としてある登場人物が、同じ扮装をしたジェフリー・ラッシュ――というより、ピーター・セラーズに同化したラッシュが他人を装っていると言うべきか――に入れ替わり、恐らくはセラーズの主観によるその人物の内心を吐露する、という場面が数箇所登場する。極端に解釈すると、この映画まるごとがピーター・セラーズという人物が自らの生涯を演じようとしている風にも見てとれる、メタフィクション的な趣向が用いられているのだ。随所でVFXを駆使したファンタジックな表現が挿入されるのも、物語に非現実的な色彩を齎すことで実際の出来事を“虚構”のように感じさせる手管と言える。
 やもすると一般的な観客を遠ざけがちな趣向だが、敢えてこういう表現を選んだのは、単純に時系列通り、虚飾を含めずにセラーズの人生を語ると“悲劇”にしかならないからだろう。役者になるためだけに育てられ、それ以外の部分では幼稚さを生涯拭えなかったセラーズは、自らトラブルを招き孤独へと追い詰められていく。最後まで自らの愚かさに縛られた彼の生涯をただ悲劇として描かないためには、セラーズ自身が自らの人生を道化として演じる、という枠が必要だった。昨年末に日本で公開された『五線譜のラブレター』と同系列の発想であり、こうした趣向そのものがいわばセラーズに対する製作者たちの敬意の表れとも考えられる。
 いささか極端すぎて、単純にコメディを観るつもりだったり、伝記的なものを期待する観客を戸惑わせかねないが、しかし趣向を徹底したお陰でかなり沈鬱な生涯も明るさを損なわず、また終始洒脱に描かれていて後味が快い。身近にいたら非常に迷惑だろうが、しかし才能豊かで“空っぽの器”であってもそれ故に人間性に富んだセラーズの魅力をも充分に伝えている、かなりの力作であり傑作。これがテレビ映画として製作されたものだとは、日本人の感覚だと俄に信じられない。

 プログラムによると、ジェフリー・ラッシュは当初、本編のオファーを断ったという。セラーズを演じるのが難行であるのを承知していたからこそだったらしいが、『パイレーツ・オブ・カリビアン』出演中、他の役者にも断られふたたび話が舞い込んできたときに初めて承諾した。その理由が、『パイレーツ〜』の現場を楽しみすぎたことについて自己嫌悪に陥り、もっと真剣に仕事をして観客を感動させたい、と考えたからだという。
 ――そもそも、ろくにピーター・セラーズを知らなかった私が本編を鑑賞することに決めたのも、『クイルズ』での演技を目の当たりにして以来注目していたジェフリー・ラッシュ主演だったからこそだが、本編を観、更にそうした出演に至る背景を聞いて、改めて惚れ直しました。何と言いましょうか、役者の鑑だこの人。

(2005/02/02・2005/02/20ちょっと文章を修正・2005/03/28サイト内リンクを追加)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る