/ 『テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる』
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『light as a feather』トップページに戻るテハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる
英題:“Teenage Hooker Became Killing Machine in DaeHakRoh” / 監督・脚本・撮影・編集・音楽:ナム・ギウン / プロデュース:ウン・ギジン / 助監督:パク・ジュノ / 編集・FX&CG:イ・チャンマン / 照明:パク・ミン / 音響:パク・インシク / 出演:イ・ソユン、キム・デトン、ペ・スベク、キム・ホギョム、ヤン・ヒョクチュン、パク・トンヒョン、ユ・ジュンジャ、ファン・ピルス / 制作:火鉢の周りの子供達 / 配給:グアパ・グアポ、武藤起一事務所
2000年韓国作品 / 上映時間:1時間 / 字幕:尹 春江
2003年05月31日日本公開
2003年11月28日DVD版日本発売 [amazon]
公式サイト : http://www.tehanno.com/
新宿武蔵野館にて初見(2003/06/21)[粗筋]
テハンノは女子高生の彼女(イ・ソユン)にとって仕事場所。二万ウォンならその辺の路地裏で、三万ウォンなら走りながら――その夜もひとりの男性と追いかけっこをして、路地裏でセックスに耽っていたら、悪いことにそこは担任の先生(キム・デトン)と彼の祖母(ファン・ピルス)が暮らすアパートの裏。
お叱りに現れた先生に、五万ウォンのコースでお許しをいただいちゃう女子高生だったが、実は彼女、秘かに先生に恋していた。ことを終えたベッドの上で、今夜、もしかしたら妊娠したかも知れない、と嬉しそうに告白する女子高生に、だが先生は返事をしてくれない。代わりにその場に現れたのは、馬鹿でかいホクロのある三兄弟(ペ・スベク、キム・ホギョム、ヤン・ヒョクチュン)――三兄弟は女子高生を殺し、遺体をバラバラに切り刻んだのだった。
無惨な骸となりはてて放置された女子高生だったが、殺人者たちが去ったあと、謎の男(パク・トンヒョン)が彼女を回収して、謎の老婆(ユ・ジュンジャ)のもとに運んだ。老婆が少女の体をミシンにかけると、あら不思議、女子高生は見事甦った――男の指示するまま、拳銃を操る殺人マシーンとして。
しかし、最初の使命のとき、手違いから銃撃戦となり、背中から撃たれた女子高生は我を取り戻す。その瞬間、女子高生は殺人マシーンから復讐鬼に変貌した。深夜のドライブを愉しむホクロ三兄弟の前に、女子高生が立ちはだかる――![感想]
なんだこりゃ。予想はしていたが、凄まじいばかりの無茶苦茶加減に苦笑いしっぱなしだった。
頭から、制作時期としては『アレックス』を先取りするような逆回しのクレジットが表示され、終わった途端に妙にサイケなビジュアルで売春の光景が描かれる。終始どこか幻覚めいた映像と物語が展開するのだが、それらを妙に長いカットで描いているのが更に変。女子高生が担任に売春を見つかった場面、五万ウォンのコースで勘弁してもらうことになったあと、韓国語の歌をバックに二人が踊り始めるのだが、そもそもなんで踊り出すのか解らないしここでフルコーラス流すことにいったい何の意味があるのか。
以後も似たような調子で、女子高生が情事のあと恋心を告白する場面では、横たわった彼女の顔をアップにして延々数分に渡ってひとり語りが続くし、バラバラ殺人のシーンに至っては厭すぎる音付きで執着的に表現してみせる。始終こんな感じで、たった1時間なのだが合わない人は早々に辟易するであろう内容である。
ただ、ビジュアルセンスにはただ事でないものを感じる。デジタルビデオカメラによる撮影を逆手にとって加工しまくったと思しい色調はサイケデリックだし、また殺人の行われるベッドそのものに光源を入れるあたりや、殺人マシーンとして復活した女子高生のオプションはグロテスクで独特の美学が窺える――ただ、意味不明の長回しと同じで、この辺も合わない人にはとことん合わないと思われるが。
ただ、自主制作だからかも知れないが、話や意匠の辻褄合わせがかなりいい加減なのが引っかかる。女子高生の殺害から復活までの展開は、ちゃんと説明が付けられているのだけれどそれ故にあまりに手回しが良すぎるという不自然さを残しているし、ある意味衝撃的な結末では、なんでこの人がこんなときここに現れるんだ、とスクリーンに向かって激しく突っ込みたい衝動に駆られる。だが何よりも凄まじいのは後半、殺人マシーンとして再生された女子高生が後ろから銃撃され、左の乳房が吹き飛んでしまう場面だ。難を逃れたあと、前をはだけて確認するとなんだか機械のような配線のようなものが飛び出している、というなかなかえぐい場面で、そのあともセーラー服の左胸のところに裂けたあとがあり、オイルだか何かの染みが残っている。のだが。
背中には何の痕跡もないのだ。真っさらな状態のままなのである。
まー映画ではよくある話といえばそうなのだが、ここまではっきり解ると流石に笑える。……そして、その「笑える」という事実をもって何もかも許したくなってしまうのもまた真実だったりする。
デヴィッド・リンチや塚本晋也と並べるのはどうかと思うが、確かに監督の異様な才能を窺わせ、馬鹿馬鹿しいながらも無視できない一本である。エキセントリックな作風に相当寛容な態度が取れる人でないとお薦めするのは難しいけれど。しかし、私がこの映画で何よりショックだったのは、オープニングにクライマックス、そしてエンディングの三箇所でパット・メセニー・グループの曲が使われていたことだ。帰宅後調べてみれば、それはECM時代のラストを飾る名盤『First Circle』のなかでも特に印象深い『If I Could』。どーしてくれるんだ当分冷静に聴けないじゃないかっ。
更に気になるのは、この曲を使用した点をクレジットに明記していないこと――世界各国で公開されたあとで何だが、権利問題は大丈夫なんだろうか?(2003/06/25・2003/11/27追記)