cinema / 『300<スリー・ハンドレッド>』

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300<スリー・ハンドレッド>
原題:“300” / 原作:フランク・ミラー、リン・ヴァーリー(小学館プロダクション・刊) / 監督:ザック・スナイダー / 脚本:ザック・スナイダー、マイケル・B・ゴードン、カート・ジョンスタッド / 製作:ジャンニ・ヌナリ、マーク・キャントン、バーニー・ゴールドマン、ジェフリー・シルヴァー / 製作総指揮:フランク・ミラー、デボラ・スナイダー、クレイグ・J・フローレス、トーマス・タル、ウィリアム・フェイ、スコット・メドニック、ベンジャミン・ウェイスブレン / 撮影監督:ラリー・フォン / プロダクション・デザイナー:ジェームズ・ビゼル / 編集:ウィリアム・ホイ / 音楽:タイラー・ベイツ / 出演:ジェラルド・バトラー、レナ・ヘディ、デヴィッド・ウェンハム、ドミニク・ウェスト、ミヒャエル・ファスベンダー、ヴィンセント・リーガン、トム・ウィズダム、アンドリュー・プレヴィン、アンドリュー・ティアナン、ロドリゴ・サントロ、マリー=ジュリー・リヴェス、スティーヴン・マクハティ / 配給:Warner Bros.
2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間57分 / 日本語字幕:林完治
2007年06月09日日本公開
公式サイト : http://www.300-film.net/
中野サンプラザにて初見(2007/05/28) ※特別試写会

[粗筋]
 紀元前480年、ベロポネソス半島南に位置するギリシアの小国スパルタを、ペルシア帝国からの使者が訪れた。
 クセルクセス王(ロドリゴ・サントロ)の野望のもと、凄まじい勢いで版図を広げつつあったペルシア帝国はスパルタに調停による無条件降伏を求めてきたが、“撤退しない、降伏もあり得ない”という信条を掲げるスパルタ国のなかでも伝説的な出自を持つレオニダス王(ジェラルド・バトラー)はそれを潔しとはせず、使者を葬り去ってその答とする。
 極めて過酷な試練を潜り抜け、譲らぬ信念を備えるスパルタの民だが、しかしそんな彼らも、本当に重要な決定は神託に依らねばならない理不尽な掟を抱えており、ペルシア帝国との戦いを覚悟したレオニダス王も、高所に暮らし巫女との淫欲に耽る預言者たちに伺いを立てることになった。作戦を話し神の許しを求めたレオニダス王に対し、預言者は間もなく訪れる祭りを祝え、戦争などもってのほかと拒絶する。レオニダス王は知らない――預言者の背後には、ペルシア帝国と内通し、金を以て預言の内容をすり替えさせた重臣・セロン(ドミニク・ウェスト)の姿があったことを。
 全面戦争を禁じられたレオニダス王であったが、このまま手を拱いていればスパルタの国民の安寧は失われる、と考え、一策を講じる。配下に命じ、「既に後継者がいる」「兄弟が多い」といった理由から後顧の憂いがない戦士を集めさせ、戦いとは異なる適当な口実を設けて、ペルシア軍を迎え撃つことにしたのである。
 ペルシアの軍勢100万人に対し、レオニダス王が率いるのは僅かに300人。圧倒的に不利な状況のなか、スパルタの戦士たちは如何にして闘うのか……?

[感想]
 原作及び製作総指揮に名前を連ねるのは、その独自の映像感覚によって賞賛を集めた『シン・シティ』で原作とロバート・ロドリゲスとの共同監督とを務めたフランク・ミラーである。ロドリゲスがミラーの映像世界を実写で再現するためには彼が不可欠だ、と判断して、映画のプロローグに使われているワンシーンを先んじて撮影してミラーを納得させた、という話があるが、結果として、この手法であれば自らの理想とするヴィジュアルを実写で再現することは可能だ、と理解したのだろう、ミラーは引き続き『シン・シティ2』でも監督を手懸け、本編にもやや裏方に回りつつ、そのヴィジュアルの実写化に手を貸したというところだろう。
 こうした情報に興奮を覚えるような方なら、まず本編は期待を裏切ることはないと言い切っていい。『シン・シティ』のようにモノトーン主体、血やドレスなど意図的に一部の色彩を強調する、というところまでストイックな手法は用いていないが、本物の俳優たちの演技を大半がCGで制作された背景に埋め込み、絵画的な思考で作りあげていった映像には明らかに根底に流れる意志の一貫性が感じられるし、暴力や人としての美学を体現したストーリーの組み立てに似通った芳香がある。
 一方でストーリーは単純化されている。ギリシアに攻め込んできたペルシアに対抗する勢力は僅か、こと最強として知られるスパルタの戦士たちは謀略によって参加が許されず、レオニダス王が辛うじて連れ出すことが出来た300人のみが頼り。そういう状況で考えられる戦況の変化とドラマを、定石通りに辿っているに過ぎない。
 しかし、その細部にある虚構、嘘に厭味がなく、すべて“戦士としての矜持”を謳った本編の主題に奉仕して、決して歪めていないあたりの一貫性は素晴らしい。中盤において、かつて肉体の不利からスパルタに捨てられた男が名誉回復のために参加を王に訴えるが、肉体的な問題がそのままスパルタ戦士の誇る陣形を乱すことを冷静に指摘し、情に流されることなく後方での支援を求めるあたり、嘘を感じさせず、しかし物語としての美学を汚さないような慎重な配慮が窺われる。この出来事がそのままクライマックスでも活きており、脚本の整理の仕方も巧い。
 何より、ストーリーがシンプルである分、最小限に絞られた台詞や細かなやり取りが印象に残る。ナレーションにごく単純な叙述上のミスがあるようにも感じられたが、決して騒がしくなく、巧みに“叙事詩”としての物語の性格を浮き彫りにし、僅かな台詞を引き立てる。随所で用いられるスローモーションの演出によって、肉体同士のぶつかり合いを美しく表現したヴィジュアルの完成度もまた、物語の美学に馴染んで快い。
 ただ、あまりに徹底したこだわりぶりに、そこで痺れることが出来なければ最後まで乗れないことも考えられる。『シン・シティ』と同じ原作者なだけあって、暴力の描写が不慣れな人にはかなり厳しいことも事実で、そこに抵抗を覚える人もいるだろう。だが、いったん「いいなあ」と思ってしまったが最後、クライマックスまで惹きつけられることは確実である。
 そして概ね予想通りのストーリー展開の果てに辿り着くラストシーンは、いくら予想できたとしても、グッと来るものがあるはずだ。特にいちどでも“男の子”であった人なら、僅かなりとも感銘を受けることは間違いない。何より、物語のすべてがきっちりとこのラストシーンに奉仕しており、そのカタルシスは理屈抜きに優れている。
 容赦なしのアクション、作り込まれたヴィジュアル、そしてストーリーを含めて貫かれた心意気が素晴らしい、正真正銘のエンタテインメント大作である。如何せんあまりに鮮烈すぎる映像と、いっそストイックとも呼べるストーリーや精神性に拒否反応を起こす人も少なくはないだろうが、そこを乗り越えられれば存分に楽しめる。『シン・シティ』は色々と厳しかったけど雰囲気は嫌いではない、という程度の人ならばまず確実に嵌るはずだ。

(2007/06/06)


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