cinema / 『ユナイテッド93』

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ユナイテッド93
原題:“United 93” / 監督・脚本:ポール・グリーングラス / 製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、ロイド・レヴィン、ポール・グリーングラス / 製作総指揮:デブラ・ヘイワード、ライザ・チェイシン / 撮影:バリー・アクロイド / 美術:ドミニク・ワトキンス / 編集:クレア・ダグラス、クリストファー・ロウズ、リチャード・ピアソン / 衣装:ダイナ・コリン / 音楽:ジョン・パウエル / ワーキング・タイトル製作 / 配給:UIP Japan
2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2006年08月12日日本公開
公式サイト : http://www.united93.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2006/08/12)

[粗筋]
 2001年9月11日。アメリカはいつもと変わりない朝を迎えた。西海岸に僅かにかかっている雲も昼頃には無くなり、全国的な晴天になると予測されていた。ニューアーク空港も、いつものように離発着の渋滞が発生し、8時発予定であったユナイテッド93便は41分遅れて飛びたった。
 だが同じころ、ボストン管制センターが最初の“異変”によって静かに動揺していた。ある時点から呼びかけに応えなくなったアメリカン11便と一時的に回線が繋がったとき、争うような物音と、何者かが乗客に向け、機体を制圧したという宣言をする音声を管制官が聞き取ったのである。各所に情報が伝達され動揺が拡がるなか、アメリカン11便はマンハッタン上空でレーダーからその姿を眩ました。
 直後、CNNの速報によって、ワールド・トレード・センターの北棟に飛行機が突っ込み、炎上したことが伝えられた。当初は小型機の衝突という報道が流れたが、モニターに映された惨状に、連邦航空局は旅客機の衝突を確信する。
 やがて、アメリカン11便と同様にボストンを発したユナイテッド175便もまた、管制官の呼びかけに応えることなく異様な降下を開始する。この頃になると各所が異常事態を認識した。連邦航空局は同様に不審な動きを見せる機体を割り出しにかかり、軍部は首都防衛のために即刻戦闘機を招集する。その矢先、奇行を繰り返していたユナイテッド175便が、大勢の見守る目の前で、ツインタワーの残る一棟に突入していった。
 これがただの事故でなく、前例を見ないテロだと察知した連邦航空局は、飛行する全ての旅客機に、コックピットへの潜入を警戒するよう呼びかけるメッセージを送信する。だが、その真意が乗員たちに浸透するよりも早く、ユナイテッド93便に登場していた5人のハイジャック犯が動きはじめた――

[感想]
 今年公開の映画の中でもっとも楽しみにしていた一作――と言ってしまうのは気が引ける。言うまでもなくこれは実話に基づいており、しかも遺族や関係者、目撃者の証言を丹念にリサーチして、2001年9月11日に文字通り消失してしまったユナイテッド93便のなかで起きた出来事を極限までリアルに再現しようとした作品である。
 監督であるポール・グリーングラスはもともとドキュメンタリーを中心に活躍してきた人物であり、それを映画のなかにも持ち込んで独自の映像世界を構築している。一般にも名前を知られるきっかけとなった『ボーン・スプレマシー』自体がこのドキュメンタリー・タッチをフィクションに持ち込んで圧倒的な臨場感と迫力とを作品に齎した傑作であったが、それに先んじて高い評価を得た『ブラディ・サンデー』もまた、実際の事件をドキュメンタリー風のカメラワークと演出とで再現した作品である。それ故に、未だ多くの人々の記憶に生々しい911を題材として採りあげたのは決して不自然なことではないし、『〜スプレマシー』でその実力と可能性とを感じた身には、願ってもないことのように思われた。
 そうして期待に期待を重ねて鑑賞した本編は、まったくこの期待を裏切らぬ出来であった。
 一般にこうした凄惨な現実を取り扱った作品は、本来あり得ない主役を設定したり、現実にはなかったロマンスを加えて結構を台無しにしてしまったり、ナレーションなどを大量にまぶして作品をゴテゴテしたものにしてしまう――映画ではなく、本当にただの安っぽい再現VTRにしてしまう場合が予測されるが、本編ではそうした考えられる轍をすべて回避している。ときおり必要に応じて、場面が転換するごとにそれがどこの出来事であるのか――連邦航空局であったり各地の管制センターであったりを明示するためにテロップが使用されているくらいで、ナレーションはもとより説明的な台詞もない。
 登場人物の地位や立場はその会話や言動から類推されるのみで、誰かを過剰にクローズアップすることもない。そうして“主役”というものを排除することで、登場するすべての人々がそれぞれの立場から対峙する“911”という出来事に照準を合わせている。そうすることで、観客に誰かに感情移入するという疑似体験的な見地からではなく、自らの体験としてこの出来事に向かい合うよう誘導している。
 あまりに徹底した手法のため、序盤はどうしてもありふれた日常を追うだけになってしまっているため、退屈な印象を受ける。だが、そうして込み入った説明もなく、緊張感や不安を過剰に煽る演出もないままに、静かに始まる非常事態が、いつか登場人物もろとも観る側を混乱へと巻き込んでいく。そうしてひとつの臨界点として目の当たりにさせられるツインタワーの炎上に、リアルタイムであの報道に接した人間としては、その衝撃を新たにせざるを得ないだろう。身近に被害のあった人ならば、哀しみや憤りを蘇らせるかも知れない。
 だが、事態がいよいよ物語の焦点であるユナイテッド93便のハイジャックに移っていくと、恐怖や不安と共に、物語はある種の荘厳な雰囲気を纏い始め、見ていると厳粛な心持ちに変化していくはずだ。突然の惨劇と不運、そのなかで乗客はそれぞれに事態に対処するため、犯人の目を盗んで動く。助けを求めるために客席備え付けの電話で連絡を取り、そうしてアメリカの国中で起きている異常事態を乗客たちが順々に認識していく。犯人の意図が不明であるためにその指示に従うべきだと提案する者も最初はいるが、民間の旅客機が二機ワールド・トレード・センターに、そして一機がペンタゴンに突入したことを知るに及んで、それぞれに覚悟を固める。この間、僅か30分足らず。
 凄まじいのは、現実にもこの程度の時間で、乗客たちは決意に至ったと考えられることなのだ。携帯電話などで機内にいる乗員乗客たちと連絡を取った遺族たちの証言から証明されている。僅か数分で自らの死を悟り、だが生きるために最期の戦いに挑む覚悟を決める人々。そうして始めた祈りが、テロリストとして搭乗した男達のそれとも重なっていくのが尚更に重くのしかかる。
 派手さはない。テロリズムへの敵意を煽るわけでもない。ただ、その現場にあって最善を選び、何かを守るために突き進もうとした人々の姿を、あったと想像される現実へと極限まで迫るかたちで描こうとした作品である。それが正解か間違いかただの思い込みであるか、などはどうでもいい。対峙すれば、いつか様々なことに想いを馳せずにいられなくなる、そういう意味でこれは“本物”の傑作である。
 重すぎて、そう繰り返し何度も見続けられるものではない。だが、また時間が経ってから改めて向かい合いたい、そう思わせる本編は、あの事件からたった5年しか経ていないが、それでもいまあるべくして現れた作品と言えるだろう。

 ――なお、上のスタッフ・キャスト一覧において、ふだんはなるべく主要な俳優の大半を網羅しようと務めているが、今回は敢えて一名も記さないことにした。もともと意図的に知名度の高くない俳優が集められていることもそうだが、敢えて主役不在として描いた製作者の意向を尊重したいがためである。――かといって全員記すとえらい長くなってしまうから、というのもあるのだが。気になる方は公式サイトのほうを参照していただきたい。

(2006/08/12)


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