cinema / 『ボーン・スプレマシー』

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ボーン・スプレマシー
原題:“The Bourne Supremacy” / 原作:ロバート・ラドラム『殺戮のオデッセイ』(角川文庫・刊) / 監督:ポール・グリーングラス / 脚色:トニー・ギルロイ / 製作:フランク・マーシャル、パトリック・クロウリー、ポール・L・サンドバーグ / 製作総指揮:ダグ・リーマン、ジェフリー・M・ウェイナー、ヘンリー・モリソン / 撮影:オリバー・ウッド / 編集:クリストファー・ロウズ、リチャード・ピアソン / 衣装デザイナー:ディナ・コリン / 音楽:ジョン・パウエル / 出演:マット・デイモン、フランカ・ポテンテ、ジョアン・アレン、ブライアン・コックス、カール・アーバン、ガブリエル・マン、ジュリア・スタイルズ / 配給:UIP Japan
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:菊地浩司
2005年02月11日日本公開
公式サイト : http://www.bourne-s.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/02/22)

[粗筋]
 記憶を失ったことに始まった“最後の使命”を辛うじて切り抜け、インドに暮らす恋人マリー(フランカ・ポテンテ)の元に辿りついてから二年――だが、ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)の心は未だ安息を得ていなかった。夜毎、失われた記憶の断片が夢の中にフラッシュバックして彼を悩ませる。断片的な固有名詞を書き留め、自衛の材料にしようと試みても、情報としては不充分なままだった。
 ある日、海岸沿いをランニングしていたボーンは、それまで見かけなかった人物を二度目撃する。スパイとして、暗殺者としての英才教育を施されていたボーンの直感はすぐさま危険信号を発した。車で家を飛び出し、途中で買い物途中だったマリーを拾って逃走する。追跡者(カール・アーバン)もまたすぐさまそれを察知、猛追に及んだ。
 橋を越えたところで迎え撃つつもりだったボーンだが、その手前で運転を代わったマリーが銃撃され、車は川へと転落する。既に息絶えた彼女の亡骸が沈んでいくのを、ボーンはただ手を束ねて見守るしかなかった……
 場所は変わって、ドイツ−ベルリン。CIA内部の横領事件に関する情報を提供する、という人物と接触するために、事件の担当調査官であるCIAのパメラ・ランディ(ジョアン・アレン)は交渉場所周辺に厳重な警戒態勢を敷いていた。だが、捜査官のひとりが情報屋と接触した直後、現場であるビルの電源が落とされ、盗聴器からサイレンサーを通した銃声が鳴り響く。情報屋に捜査官一名が殺害され、肝心の情報と報酬までもが現場から奪われてしまった。
 現場地下にある電源に仕掛けられていた小型爆弾はふたつ、うち不発のまま残された一個に指紋が残されていた。ライブラリに照合をかけた結果、現れたのは“トレッドストーン計画”という、ランディの権限が及ばない機密の壁。部下が殺されたという憤りを胸にしたランディは本国へと舞い戻り、計画の主導者のひとりであったアボット(ブライアン・コックス)に接触、ボーンに関する情報を得る。
 ひととおりの情報を掴んだ彼女はこう推理した――七年前、CIAの公金横領事件に関して情報を持っていたらしいネスキーというロシアの政治家が、妻によって射殺され妻もその場で自殺する、という事件があった。情報屋が提供するつもりだったのがこの事件に関係する情報だった、という事実から、当時ボーンが何者かと結託のうえで犯行に及ぶか事件に関与し、ふたたび累が及ぶことを恐れて今回の挙に出たのではないか。CIA絡みとはいえ本来殺人の担当ではないランディをアボットらは諫めるが、それを押して彼女はボーン確保の網を張る。
 そこへ急報が齎された。ナポリの空港にボーンが現れた、というのである――あっさりと包囲網にかかったかに見えた彼だが、その眼は監視カメラをしっかりと見据えていた。
“トレッドストーン計画の最高傑作”ジェイソン・ボーンがいま、二年振りに牙を剥く――

[感想]
 冷戦終結後、目に見えて減ったのがスパイ映画である。諜報戦というのは歴史の背後に隠れたやり取りであり、直接戦争が行われている状況下では裏方に廻らざるを得ないわけで、駆け引きどころではない昨今の世界情勢で諜報員たちの活躍の場が限られてしまうのも致し方のないところだろう。まだ映画愛好家になって日の浅い私が観たなかでは、『アイ・スパイ』『カンパニー・マン』『スパイ・ゲーム』『リクルート』『007 ダイ・アナザー・デイ』『トリプルX』ぐらい、このうち真っ当に諜報活動をしているのは後ろ二本ぐらいのもので、真ん中の二本は内部での出来事、前者ふたつは一種のパロディだ。
 前作と本編の原作を含むロバート・ラドラムの小説ボーン三部作はまさに冷戦まっただ中の世界を舞台としており、そのまま現代に移植するのは困難な作りとなっているらしい。故に、前作では原作者の協力も仰いで大胆な脚色を施し、2002年でも不自然のないストーリーを創り上げた。あまりの大胆さと、大部の小説を映像化するときにはありがちな圧縮ゆえに原作と比べて見劣りすることは否めなかったようだが、しかし色彩を抑えた独特のトーンとリアルな逃亡の様子、アクション描写によって一定の評価を得、本国でも日本でもヒットとなった。
 その続編、しかも監修を務めた原作者も前作の完成を待たずに逝去したあととあって、プレッシャーは少なからずあっただろうが、本編はそれを見事にはね除けた。それどころか、クオリティでは前作を上回ったと断じてもいい。
 諸般事情から監督はバトンタッチしたものの、主人公含め、共通するキャストはすべて引き継いでいるから当然ではあるが、トーンを抑えた映像にリアリティ重視という基本的な製作スタイルは変わっていない。そこへ、新たに起用されたポール・グリーングラス監督がお家芸としているらしいドキュメンタリー・タッチの撮影と編集手法が加わったことで、場面場面の迫力とスピード感が強まった。手持ちカメラ中心の撮影のために、追う側と追われる側の緊張感が常にビリビリと伝わってくる。幾つかの視点が重なる場面での描写など、先を窺わせなかったり、敢えて先読みさせたりを繰り返すことで巧みに緩急をつけている。
 またこれは原作の大量のエピソードを圧縮したことも奏功しているだろうが、物語の進行が異様なほど早い。恋人マリーの死はほんの十数分程度で訪れ、粗筋に記したところまでだと恐らくやっと30分経過したぐらいだろう。ほとんど息を吐かせる暇も与えられず、観ているこちらは終始手に汗を握りっぱなしだ。
 ただ、序盤は困惑することも多いに違いない。主人公ボーン、パメラを筆頭とするCIAの捜査陣、ボーン及び捜査官の暗殺に携わった男達と三つの視点と解釈が入り乱れ、咄嗟に状況が掴めないのだ。しかし、掴めないなら掴めないまま押し流されてしまい、気づくと状況が把握できているのも確かなはず。複雑なプロットをよく整理して、極力シンプルに、解りやすく伝えることに成功した脚本は、前作以上に洗練されている。
 そして各所で展開される、知能を駆使したボーンの逃走劇とアクションの秀逸なこと。イタリアのナポリに空路で移動した際、簡単にボーン名義のパスポートを提示して油断したと見せかけておきながら、見事な立ち回りで追っ手に関する必要最小限の情報を手に入れる。またトレッドストーン計画の関係者に接触したあとの場面では、交通機関の動きを巧みに利用して追っ手をミスリードしてみせる。すべて危険と背中合わせの行動であり、それをほとんど顔色ひとつ変えずにギリギリで成し遂げるボーンの姿は、行動に道義的な問題があるはずなのに、それすら感じさせないほどに格好いいのだ。
 全篇余すところなくクライマックス、と言ってもいいぐらいに無駄も隙もない緊密な脚本と演出だが、それでもラスト30分の衝撃と豊かな情感は突き抜けて素晴らしい。ボーンが最終的に目指した場所については、すれっからしの観客であれば早い段階に予測はつくものの、その場面での無駄のない描写、必要以上に語らせない姿勢は、静謐で重い余韻を残す。
 ここで括ってもいいところだが、物語は最後にもうひとつエピローグを添える。恐らくこの一幕は、映画版も原作と同様に三部作で締めくくるための布石であろう。あざといとも言えるが、しかし不快に思うよりも先にその去り際の格好良さに痺れてしまう。依然ボーンに安息の地はない、だがそれを承知で歩き続け、雑踏に消えていく彼の姿はひたすらに凛々しく潔い。
 脚本、演出、そして主人公の存在感と、すべてが見事に噛み合った超一級のエンタテインメント作品。前作が素直に気に入ったという方ならまず間違いなく納得できる仕上がりであり、仮に前作を観なかったとしても存分に楽しめるはず。

 私自身は原作未読ゆえ詳しくは解らないのだが、背景に大幅な手を入れた本編は、舞台についても変更を施しているという。原作はアジアを舞台にしており、プログラムの寄稿者の一人は欧州を舞台に据えたことでアジアン・テイストが払拭されたことを惜しんでいるが、原作を読まずにいる私はそうは感じなかった。確かにアジアで活躍するボーン=マット・デイモンの姿も見てみたかったが、本編で彼が漂わせる悲愁と虚無の匂いは欧州、とりわけクライマックスの舞台となるモスクワの寒々とした雪景色こそが相応しいと思う。

(2005/02/23)


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