/ 『怨霊の森』
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『light as a feather』トップページに戻る怨霊の森
原題:“The Woods” / 監督:ラッキー・マッキー / 脚本:デヴィッド・ロス / 製作:ショーン・ファースト、ブライアン・ファースト / 製作総指揮:マルコ・メーリッツ、マイケル・オホーヴェン、ランディ・オストロウ / 撮影監督:ジョン・R・リオネッティ,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:ダン・リー / 編集:ダン・リーベンタル、ジョエル・プロック / 音楽:ジョン・フリゼール / 出演:アグネス・ブルックナー、パトリシア・クラークソン、レイチェル・ニコルズ、ローレン・バーケル、キャスリーン・マッキー、ブルース・キャンベル、エマ・キャンベル / DVD発売元:Sony Pictures Entertainment
2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間31分 / 日本語字幕:小泉真祐
日本劇場未公開
2007年01月01日DVD日本盤発売 [amazon]
DVDにて初見(2007/01/01)[粗筋]
放火未遂を犯した少女ヘザー(アグネス・ブルックナー)は、家から隔離されるようなかたちで、全寮制女子校に編入させられる。鬱蒼とした森に取り囲まれたそこは、伝統と格式とを重んじる、歴史のある学校であった。決して裕福でないヘザーの両親の意向で、彼女は奨学生の試験を受けることになるが、意外にもあっさりと合格し、晴れてここ、ファルバーン学院の生徒となる。
だが、学院の空気はどう考えてもヘザーの性分には合わなかった。態度のおどおどとした少女マーシー(ローレン・バーケル)に対する陰湿ないじめ。たまたま最初に彼女に近づいてしまったためにサマンサ(レイチェル・ニコルズ)に目をつけられ、ヘザー自身もいじめに遭う。教師はヘザーのそんな立場を察することもなく、閉じこめられて教室に遅れてきた彼女を叱るのだった。家に帰ろうにも、母アリス(エマ・キャンベル)はすっかり厄介払いをした気分になっていて、ヘザーの助けを求める連絡に聞く耳を持とうとしない。
哀しみに飛び出し森を抜けようとしたヘザーは、だがあたりから絶え間なく聞こえてくる囁き声や、何者かに追われている気配に恐慌し、無闇に彷徨する。やがて気づけば、彼女は学院の寮に戻っていたのだった。
ヘザーは腹を決めて、学院に留まることにする。マーシーらとの交流を深める一方、サマンサとの対立姿勢を頑なにして、自分の立ち位置を確立していく。そのうちにヘザーは学友たちから、学院と森との関わりを巡る、昔話を聞かされることになる――それは、血塗られた忌まわしい出来事であった。[感想]
監督のラッキー・マッキーはインディペンデント系にて『MAY―メイ―』という作品を発表、一部のホラー愛好家から高く評価された人物である。その後、ダリオ・アルジェントやトビー・フーパーなどが参加したオムニバス企画『マスター・オブ・ホラー』に作品を発表するなどしていたが、長篇映画としてはこれが第2作となる。『MAY―メイ―』が日本で公開された時点で既にプログラムではその概要に触れられており、ダリオ・アルジェントに対して敬意を表する監督が「森の中に建つ全寮制の女子校」を舞台にしたホラーを撮る、というのだから、『MAY―メイ―』に惚れ込んだ人間としては期待せずにいられない。以後2年と約7ヶ月、待ち焦がれた挙句に劇場公開なしで直接の映像ソフト・リリースとなり、喜んで鑑賞したのだが――率直に言って、物足りない。
雰囲気の作り方やヴィジュアル・イメージの統一感は優れている。森のなかの孤立した女子校の閉塞的で、規律に守られながらも何処か不道徳な気配が蔓延っている雰囲気を見事に確立しており、そのあたりはさすがだ。特殊な資質を持つ少女の不安定な心情を描き出す筆致も、『MAY―メイ―』同様に巧い。
しかしホラーとしては、その現象にいまいちポリシーが感じられないので、怖さも終盤のカタルシスも薄い。ヒロインであるヘザーが放火という過去を持っていること、また途中からある才能に目醒めたことが話のなかではあまり活きていないし、そもそも一連の事件の背景にいた存在が、なぜヘザーやその周辺の才能のある少女を集めたのかが不明瞭なままなのが気に掛かる。ホラーの手法として、そうした“悪意”の源泉を敢えて暈かすことで恐怖を高める、というのがあるのも事実だが、それであっても視点人物が最後に窮地を脱出する方法であるとか、全篇に鏤められた伏線が最後である事実や現象と結びついて何らかの目的を果たす、などの、物語としての着地点を用意したうえで初めて成立するやり方である。本編ではそのあたりの描写が徹底されておらず、何処か曖昧なかたちでの幕引きが薄気味悪さよりも単なる収まりの悪さに留まってしまっている。
終盤において突然スペクタクル調に物語は急転するが、そのあたりのきっかけも微妙だ。動けなくなっていたある人物の復帰も唐突だったし、けっきょくヒロインがどうしてあの窮地を脱せたのかがまるで解らない。解らないなら解らないでもいい場合は前述のように色々とあるが、物語としての支柱を欠いたままなので、単に最後で不良建築があっさりと崩れてしまった、という程度の印象しか齎さないのである。
但し、前述の通り雰囲気作りは巧く、中心となる少女たちの不安定な心情や教師たちの薄気味悪い感情描写、またヒロイン自身の身に起きる変化の特異性などはかなりの牽引力を備える。モチーフひとつひとつは完成され映像的にも美しいが、脚本をきっちり整理整頓していない、筋を通すことを疎かにしたために失敗してしまった感がある。キャラクターや背景をきっちり見つめ直した上で脚本を練り直しておけばもっと良くなったように思え、残念でならない。
映像作りやモチーフの選択には『MAY―メイ―』で感じさせた才能の閃きを留めているものの、総体では物足りない仕上がりであった。(2007/01/01)