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「朝霧の巫女」舞台探訪〜三次市編-其ノ壱-〜
「−君は今、その左目で幽世の淵を覗き、私と語っているのだ」(第壱巻 P14) ・ ・ これは、ただの巫女萌え者が、広島県三次(みよし)市へ行き、「朝霧の巫女」のファンとなるまでの記録である。 話の始まりは、仲間うちの掲示板での、QLAND氏の一言だった。
そんなわけで、なしくずし的に『巫女みこツアー』と呼ばれることになった今回のツアーだが、その行く先で意外な出会いが待っていようとは、その時の我々には知る由も無かったのだった。 水垢離の滝探し〜双三郡君田村櫃田〜
今回の参加者は、主催のQLAND氏の他、SUGI氏と私という顔ぶれ。
京都駅で合流した我々三人は、QLAND氏の車に乗り込んで、中国自動車道にて岡山のZガンダムを横目に見ながら、「朝霧の巫女」の舞台である三次市を目指す。(日本っていい国だなぁ(笑)) 日が傾いた頃になって、ようやく三次市に到着。 三次ICを降りて、倉子さんの乗るマツダ・ロードスターが開発されたマツダの三次テストコースを右手に見ながら進めば、そこはもう、巫女の街(?)三次市内である。
和やかな雰囲気の中、やって来たのは、三次市から山の中に入って行った、双三郡君田村櫃田。三次市で合流する三本の川のうち、「朝霧の巫女」の神社のモデルの前を流れる西城川の支流の一つ、神野瀬川にある神野瀬発電所の付近である。
「これは違うんじゃ?…」という疑念をあらわにする我々をよそに、ズンズンと車幅1台分の県道を川の上流に向かって車を進めて行くQLAND氏。 「これは絶対に違う」と思った頃になって、道路脇に「〜滝」の看板が現れる。 「おお、コレだ!」 車から降りて険しい山道の散策道を登る三人。普段運動してないのに、なんでみんなこんな時だけ元気なんだろ? 「こっ、コレはっ、」 ・ ・ ・
「・・・全然違う」 やり直しである。3kmほど下って神野瀬発電所まで戻り、今度は右の林道を上って行く。 2kmほど上ったところで道が険しくなり、「これも違うんじゃ? Uターン出来なかったらどうしよう?」と不安になった頃になって、道の左側にUターン出来る待避所があったので、とりあえずそこに車を止めて徒歩で探索してみることに。 すると、20mほど歩いたところに、「〜滝」の看板が!
‥『巫女みこ』はええっちゅうに。
・・・えっ? こんな所を降りるの? しかし、巫女萌え者は、このぐらいではくじけない。崖っぷちを通るような散策道を進んで行く。 そして着いたのは、… ・ ・ ・
水の流れの形から、ここが第弐巻P94〜P95の『水垢離の滝』に違いないと力説するQLAND氏。 そんなQLAND氏をよそに、何やらゴソゴソと取り出すSUGI氏。 SUGI「巫女つながりということで…」
…うむ、君の巫女萌え魂、しかと見せてもらったぞ>SUGI氏 結局、ここが『水垢離の滝』かどうか確証は持てなかったが、滝を流れ落ちるきれいな水にしばし暑さを忘れることが出来たので、これはこれで良い遠征だった。 祟り岩〜比熊山展望台〜
翌朝、午前5時半にホテルを出発。オタクはこういう時にはイヤになるほど行動的である。 第弐巻 P191にも書かれている、高谷山の「霧の海展望台」へ。 あたりは、まさに一面の霧の海。 実は、ここがこまさんが市内を見下ろした高台ではないかと思ったのだが、ハズシました。 QLAND「もう一つ、展望台に登るのだ」 そしてやって来たのが、神社のモデルとなった太歳神社の裏山、比熊山のふもと。 尾関山公園の駐車場に車を止めて、鳳源寺(第弐巻 P191に「『物怪録』十九日目に罠師を呼ぶ」と書かれている)横の登山道をえっちらおっちらと上る。 狭いふみわけ道のような山道だが、それなりに手入れはされていて、クモの巣にさえ気をつけていれば問題なく登って行ける道である。(ただし、ズボンは汚れるのでそれなりの支度がお勧め) ・ ・ …登る。 ・ ・ ・ ………まだ登る。 ・ ・ ・ ……………ひたすら登る。 ・ ・ ・ いい加減、足が棒になった頃になって、ようやく目的地を示す立て看板が。
“平太郎”は、三次市発祥の伝奇「稲生物怪録」に登場する主人公である。 ここを訪れる者は、江戸時代に書かれた怪異譚「稲生物怪録」と、「朝霧の巫女-平成稲生物怪録-」、そして「現代」という3つの世界の交差を目にする。 三次市は、幽世(かくりょ)と現世(うつせ)が出会う街なのである。 ゼーゼーと息を切らしながら、やっとたどり着いたのが、比熊山展望台。
QLAND「ここが、忠尋と柚子が来た場所なのだな」 なるほど、たしかに忠尋が「山登り」というだけのことはありますわ。 SUGI「ところで、この後ろにある岩は何なんでしょう?」
神籠石(通称:たたり岩)。 触れただけで即死し、指差しただけでも吐血するという伝説のある岩。 主人公の平太郎がこの岩の前で肝だめしをしたために、日々妖怪に襲撃されるようになるというのが、「稲生物怪録」の物語の発端である。 「稲生物怪録」も「朝霧の巫女」も、この岩から生まれた、と言えるのである。 「朝霧の巫女」の第壱巻冒頭(P10,11)で、主人公の忠尋が「祟り岩」に乗った乱裁と出会うシーンから物語が始まるのは、必然なのだ。
・・・翌日、たたりを受けた私は、風邪をひいて体調を崩しました。 稲生神社〜太歳神社周辺〜
そして、ついにやって来ました、「朝霧の巫女」の稲生神社のモデルになった、太歳神社。
太歳神社。平太郎と権八が参拝した神社(第弐巻P191)。 祭神は、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)と、その妻である木花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)、そして大山祗神(おおやまづみのかみ)。 故意か偶然か、この天津彦彦火瓊瓊杵尊は、「朝霧の巫女」の登場人物に微妙な縁がある。 天津彦彦火瓊瓊杵尊は天照大御神の孫にあたり、三種の神器(八尺(やさか)の勾玉・八咫(やた)の鏡・草薙の剣(第参巻 P192に登場))を持って降臨した。 この際に道案内を務めたのが、天狗のような顔の猿田毘古(さるたびこの)神であり、この神は「妖の寄る家」(P77)によると、乱裁の一族の祖神とされている。 また、この時に猿田彦神の名を尋ねたのが天宇受売命(あまのうずめのみこと)であり、のちにそのことをきっかけとして猿田彦神から一字をもらって猿女君(さるめのきみ)と呼ばれるようになった。この猿女氏が稗田氏の始祖である。(「朝霧の巫女」第壱巻でも触れられている) つまり天津彦彦火瓊瓊杵尊を中心として、柚子たちと乱裁は、遠い神話時代につながる縁があることになる。(柳田国男氏の説によると、古事記を編纂した稗田阿礼も猿女氏であり、また女性だという) 蛇足だが、名前は似ていても天津彦彦火瓊瓊杵尊と「朝霧の巫女」第参巻に登場する天津彦根命は、直接の関係は無く、言ってみれば甥と叔父の関係(?)である。(天津彦根命は須佐之男命との誓約によって生まれた直接の子供のため)
コミックに出て来たような、水飲み場、手洗い場は境内には無い。
…現実より作品の方を優先するのがオタクです。 神社を出て、近所の「珠が立っているお店」として有名(?)な某お店へ。
一同「・・・これは無理があるんじゃ?…」 そして、神社近くのR375が直角に折れ曲がっている交差点へ。
「アワーズ」'03年9月号の朝の登校シーンでは、二人はこの交差点を太歳神社の方向から歩いて来るが、第壱巻 P13では、柚子は駅に向かうのに全然方向違いの土手を自転車で走っている。 「朝霧の巫女」の作品世界と、現実世界では、三次市の地理的に完全には重なっていないようである。 「朝霧の巫女」舞台探訪〜其ノ弐〜へ続く
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