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3.酸ヶ湯⇒青森翌朝早く、また千人風呂に入りました。
どうゆう訳か男はまた私1人、女性はスリッパの数からまたまた10人ほどです。しかし、相変わらず湯気で何も見えず、女性の話し声だけがこだましています。今回は女性の方は気にせず、旅情を味わいながらゆっくり浸かりました。昨日のお酒が汗と共に体から出て行くのが良く判ります。
腰痛にもかなり効果があるのが実感できました。
館内を歩いてみました。
まだ朝早いのですが、掲げられている棟方志功の絵や書を見ながら広い館内を歩いてみました。
家内はまだ寝ていると思います。
こちらは湯治客が泊まる棟のようです。
その後、朝食のあとにもう一度風呂に入り、女性の従業員に手を振られ、11時40分発のマイクロバスで青森駅に出ました。
こんなにゆっくりさせてもらい料金は2人で2万円プラスビール代と家内のウーロン茶だけ。昨日2時にチェックインしたので、22時間もゆっくりさせてもらいました。
本当はレンタカーを借りて、雪中行軍遭難者の碑や記念館を見て回りたかったのですが、この雪なので諦めた次第です。
青森で予定していた「ねぶたの里」も時間に余裕が無いのでここも諦め、連絡船「八甲田丸」記念館に行く事にしました。
駅のコインロッカーに荷物を入れ、ホーム沿いの道路を港の方に歩きながら見ると、ホームから連絡船に乗り換える跨線橋への階段が見えました。階段は板で閉鎖され、跨線橋は途中から解体されてましたが、残っている部分は昔のままの様です。
私もこの階段を10回近く昇り連絡船に乗り換えました。プラットホームが雪ですべるような冬は、ホームに乗客が並び、駅員の誘導で整列乗船させられた記憶もあり、とても懐かしく思い出されます。
八甲田丸は、その跨線橋の延長先にあるかつての岸壁に係留されていました。黄色い船体はかなり錆びていて手入れの悪さが目立ちます。見学者が少ない証拠でしょうか。船の周りには10人ほどの釣り人が寒い中、糸をたらしていました。
後ろの橋は「青森ベイブリッジ」 気温は0度前後でかなり寒いです。
船尾付近には貨車の積み下ろしに使用した可動橋が残されています。
船内の線路と接続し、潮の満ち引きによる上下動を吸収する役割です。線路は3本あり、レールの間は枕木のような木材で埋められています。
歴史的に貴重な設備に思えました。
左は貨車積込用の可動橋。右の写真には釣り人が船と岸壁の間に糸を垂らしています。
船首寄りの一角には「津軽海峡冬景色」の碑があり石川さゆりのレコードが流れています。演歌好きの家内はすぐに行こうとしましたが、まずは船内を見学する事にしました。
錆びた階段を上がると北風で船が揺れるので、ギシギシという音がして足元もわずかですが揺れます。
船の模型などを展示しているコーナーや、現役時代の活躍ぶりを放映しているビデオを見たのちに車両甲板に下りました。
そこには郵便車ほか数両の車両が展示されていました。実際に搭載されたのは貨車中心で48両の搭載能力があったそうです。
線路の両サイドの床には鉄製のフレームが埋められていて、車両とターンバックルで固定します。また線路の奥の突き当りには連結器が船の構造物に固定されていて、搭載貨車を連結し、船の動揺に耐えられるようになっています。
展示されている郵便車(スユニ50)
床の固定用フレームは貧弱に見えましたが、荒天の際はさらに木材を使用したりして転倒防止策を施し、青函連絡船の歴史で車両の転倒事故は無かったそうです。
車両甲板のさらに下にあるエンジンルームに行ってみました。
そこには1,600馬力のディーゼルエンジン8基が並んでいて実に壮観です。通常は6基の運転で航行するそうです。
エンジンは実に壮観
最後に操舵室に上がりました。エレベーターがあるので楽です。
操舵室からは港内が一望でき、遠く津軽半島が望めます。設置している双眼鏡を覗くと函館山らしき島が見えるではありませんか。そん訳は無いと傍にある海図を見てみると、夏泊崎の先端にある大島のようです。110km先の函館山が見える訳がないですよね。家内と大笑いでした。
操舵室からの船首甲板 ウインチ類が錆び付き寂しい気がします。
船内を後にして付近を見て歩きましたが、今日の寒さには北海道住まいの我々も参りました。
昭和20年7月、本州と北海道の分断を狙った米軍の300機以上に及ぶ艦載機や潜水艦の攻撃を受け、青森港、函館港、津軽海峡で12隻の青函連絡船が沈没、損傷し、424人の乗組員が亡くなり青函連絡船は全滅しました。現在も津軽海峡には「津軽丸」をはじめ3隻の連絡船が乗組員と共に沈んでいるそうです。
ここに立っていると当時の悲惨な出来事の一端が判るような気がします。温泉帰りに寄るなんて申し訳け無いような気がしました。御冥福をお祈りします。
夕食の後、19時33分発の寝台特急「日本海」で青森を後にし大阪に向かいました。