告知 2007年1月25日(木)

午後1時の予約だったので、会社は午後半休をいただき、昼食を社内で済ませてから徒歩で病院へ(会社から徒歩15分)。
名前を呼ばれて診察室に入り、荷物を置いて椅子に座るか座らないかの時に先生が、「検査の結果が良性ではなかったのですよ」とおっしゃいました。「えっ…」と言った私に「細胞診の結果、悪性とでています。 ということはつまり、乳がんということです。乳腺の末端のほうでした。 良性ならこれで『はい、おしまい!』というところだったのですが、そういう訳にいかなくなってしまいました」と。そして図を描いて浸潤癌であることを説明され、「これを後でゆっくり読んでください」と乳がん治療についての(PCで作成されたと思われる)プリント(2ページ半)を下さいました。乳がんの場合は、乳管内にとどまる癌を非浸潤癌といい、こちらは廻りの組織に浸潤して血管やリンパ管に入る能力がないため遠隔転移を起こしません。したがって、たとえ乳房を片方失ったとしてもがん保険の支払い対象にならない場合が多いようです。私の場合は浸潤癌とのこと。「しこりについては20mm以下と小さいのでリンパに転移していなければ、局所の切除だけで手術の翌日には退院できます。 それより、乳がんはどんなに小さくても既に血流やリンパに乗って全身にばらまかれている危険が高いので、そちらをどう防ぐかということのほうが問題です」と。 そうです、乳がんは採ってしまえばおしまいという病気ではないのです。後から調べると進行が緩やかながんということもあり、他の部位のがんが5年間無病で「根治」と見做すのに、乳がんは10年でようやく「根治」。しかも文献を読むと15年で転移、20年で転移もあるのです。今回私は、自分自身で発見した胸のしこりを主訴に受診しているわけですから、がんという宣告を受けることも考えの中に全くないわけではありませんでした。でも「がん」という告知の上に、更に追い討ちをかけるようにその先の怖さも告げられるなんて…。大きなショックではありませんでしたが、一瞬、思考が止まってしまいました。
「がんが乳房のどのくらいの範囲に広がっているかを調べるためにMRIを撮っていただきます。MRIはこの病院にはないので、今から予約を入れます」と先生に言われ、ようやく我に返った私です。MRIは1月30日(火)午後6時からの予約となり、その日の診察は終わりました。帰り際に先生が、「びっくりしたでしょう?」と一言。「そうですね。小さな胸なのでまさか乳がんになるとは思いませんでした」と答えた私。まだ早い時間だったので、「これから入院・手術と言うスケジュールになったら美容院に行っている時間もないかも」と思い、美容院に寄り帰宅しました。
その日は暖かな日和でしたが、外に出たとき、「世の中の(景)色が変わってみえる」とはこういうことなんだ…という体験をしました。外を歩いている自分以外の人たちが眩しく明るく輝いているように見えました。
心は不思議と穏やかでしたが、「面倒なことになってしまったなぁ」というのがその時の正直な気持ちでした。

浸潤癌について
浸潤性乳癌は比較的早期の段階で全身的な転移(顕微鏡レベルの癌細胞が、全身に蒔かれた状態)が起こっており、いかに手術を拡大してもこれらを抑制することはできません。したがって手術療法、放射線治療などの局所療法のみでは、不十分であることが理解されると思います。こうした早期の段階での全身的な転移をいかに抑えることができるかが予後の改善につながると考えられています。しかし、すべての浸潤性乳癌が全身的な転移を起こしているわけではなく、起こす危険性が高い要素として
1 35歳未満
2 腫瘍の大きさが2cm以上
3 腋窩リンパ節に転移がある
4 エストロゲンレセプターを持っていない(女性ホルモンの影響を受けない)
などが一般的に言われています。これらのいずれかにあてはまる場合は、ハイリスク群(高危険群)といいます。これにあてはまる人たちは、術後補助化学療法(抗癌剤治療)をやればやらなかった人たちより再発率をある程度抑えられるということがわかっています。遠隔転移(再発)したら一般的には治癒しないと言われています。よっていかに遠隔転移を起こさないようにするかが治療のポイントになってくるわけです。しかし、すべての人が術後補助化学療法の恩恵をうけるわけではありませんが、やってみなければわからない面もあります。(頂いたプリントより)

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