半年検診後の雑感 2007年8月28日(火)

8月28日、乳がん術後半年検診の結果を聴きに乳腺外科へ行ってきました。診察前に、腹部エコーをすることになっていたので朝一9時の予約でした。エコーは私が一番乗りですぐに呼ばれ、9時10分には終了。外来待合も9時過ぎの早い時間帯だとまだそれほど混雑していません。大学病院やがん専門病院だと数時間の待ち時間は当たり前のようですが、この病院はこじんまりとしていて、それでいて最新の治療を受けられたので「ついていたなぁ…」と病院を教えてくれた友人に感謝。更に担当医も私の手術からひと月ほどで(2007年4月から)所属病院が変わり、この病院では予約診察だけとなり(乳腺外科の先生はほかにいないので)あと二月ほど病院に行くのが遅れたら他の病院を選ばなければならなかったのです。そう考えると病気になったのは残念なことですが、その後の色々なことはラッキーだったなぁ…とつくづく思います。
そんなわけでそれほどの待ち時間もなく9時半には診察室に呼ばれました。結果は、レントゲン(肺)、血液検査(腫瘍マーカー)、尿中NTX検査(骨粗鬆症の管理)、そして、腹部エコー(肝胆膵腎脾の5臓器)全て異常なし。術後半年検査は無事クリアー。よかった! 本日の診察時間はなんと5分程で、お支払いは前回(採血/採尿/レントゲン/診察)¥4,200+今回(腹部エコー)¥1,800でした。
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傷の治り具合:私の場合
センチネルリンパ節切除部の腋窩の傷  がん切除部の傷
術後1月:腋窩の傷→術後6月:腋窩の傷 line 術後1月:中術部位の傷→術後6月:中術部位の傷
手術後半年を過ぎ、手術痕もかなりきれいになってきました。左側の写真はセンチネルリンパ節切除部の腋窩の傷で、左は3月23日(術後約1月)、右は8月24日(術後半年)。そして右側が、がん切除部の傷。左は3月23日(術後約1月:術後16日めに傷口が開いて縫い直しとなり、更に2週間後の抜糸翌日)、右は8月24日(術後半年)。
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唐突ですが、私は身長158cm、体重45kg。どちらかというと痩せっぽち。胸はといえば小さな胸。赤ちゃんの頃、母乳以外は牛乳も粉ミルクも“イヤイヤ”と飲まず、大きくなっても引き続き乳製品は苦手で、食べるのはヨーグルトと乳脂肪分の少ない(安い)アイスクリームくらい。肉類もあまり好きなほうではなく特に大きな肉の塊(ステーキ)はちょっと苦手。喫煙歴なし、アルコールも毎日飲むわけではない。そんな私なのに「なんで私が乳がんなの〜?」と思うのです。そこで、今一度、乳がん発症の危険因子を調べてみました。
乳がん発症の危険因子
今飲んでいるお薬“アリミデックス”の製造販売元のアストラゼネカ社のページによると、
 ・ホルモン要因  ・家族歴
 ・癌遺伝子     ・良性の乳房疾患
 ・食事の要因    ・環境要因
とあります。ホルモン要因では「エストロゲン(あるいはプロゲスチン)という女性ホルモンに累積的に暴露されることと関係があるとみられている」とあり、「最も重要なリスクの一つに閉経遅延(55歳以降)があり、他には早発月経、未経産、高齢での初産などがリスクファクターと特定されている」とも。家族歴については、「乳癌患者が親類に複数いる(通常4人以上)、乳癌および卵巣癌、若年性乳癌および両側性乳癌の病歴が挙げられます」とあります。癌遺伝子については、「ヒト上皮成長因子受容体-2 (HER-2/neuまたはc-erbB-2)の増幅は、原発性乳癌の最大30%で生じ、HER-2タンパクの過剰発現を伴います」と。そして、食事については、「動物性の脂肪や蛋白質の摂取量が増加する一方で、複合炭水化物と繊維の摂取量が減少することにより、リスクが高まる」と。また、「アルコール摂取と乳癌リスクに関連性があることが裏付けられている」とも書かれています。
結論として「種々のリスクファクターに関連して乳癌リスクが増加する度合いについては理解が不十分であり、そうしたリスクファクター間の相互作用に関する知見は少ないのが現状です」と結んでいます。私の場合も特に「これ!」といった要因はみつからない…。
私の場合の「何か」のきっかけ
人間は、毎日何千億個かの細胞が死にそしてまた同じくらいの新しい細胞が生まているといいます。毎日大量に細胞分裂が行われているので、時には何かのきっかけで遺伝子変異が起こり、がん細胞が発生してしまうこともあり、発生したがん細胞は細胞分裂を繰り返し、1個が2個…2個が4個…16個…と増えていきます。1cmのがん細胞の数は約1億個。この大きさになるまで10〜20年かかると言われています。ここからは倍々で増えるので急激に大きくなります。では、私の場合の「何かのきっかけ」ってなんなのかな〜。
10年前を振り返ると、ちょうど自宅でしていた文字入力の仕事が一番忙しい時ではありました(年収が一番多かった)。特に夏場の3月ほどは毎年決まった仕事が入り忙しく、食事時間は食べている時間くらい、食後の休みももちろん無し。おまけに食事内容も、買ってきたものやパンを食べながらなんてこともありました。睡眠時間も少なく(深夜まで仕事をしていると布団に入ってもすぐに眠れない)、時間的にも精神的にも余裕の無い毎日で「こんな生活はそう何年も続けられないなぁ…」と思っていました。でも、こういう生活をしている人は他にもたくさんいらっしゃいますよねぇ。
粘液癌という特殊がんで、更に、発生部位も一番少ない内側下部。宿主の私の性格が皆様に見抜かれてしまいそうなほど、かなり変わり者のがん細胞であるわけですが、私が乳がんになる必然性はどこにあったのか? これから先、私がすべきことは何なのか? かなりの難問です。とにかく私の今までの生活に対する「天からのメッセージ」と享けとめ治療後(中?)は、以前の生活に戻るのではなく、何かしらの―心の持ちようを含めた―生活の改善をしなくてはならないのでは…という思いが強い今の私です。でも、長年身についてしまった生活習慣やものの考えかたを変えるのは、結構大変なことなんですよね。

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