2007年最後の診察 2007年11月13日(火)

先週11月6日が今年最後の診察日となるはずでしたが、10月より始まった新たなお仕事が忙しい最中だったため、休暇をとらずに仕事の合間に外出で病院へ行くことに。ところが先生より「胸のエコーを撮ってください」と言われ(そういえば半年検診時に胸の検査は何もしていなかった)時間がなかったためエコーは今日に延期していただくことに…。
朝から綺麗な青空の広がる本日は休暇をいただき、総武線の女性専用車両に乗り込み病院へと向かいました。外科外来受付に診察券を出し先ずは2階の生理機能検査室へ。15分ほど待ち検査室へ入ると、検査技師の方から「オペ後はじめてのエコーですか?」と聞かれたので「はい」と答えると、重ねて「機械を胸に押し当てて動かしますが、術後の傷はまだ痛いとか攣れるとかありますか?」と訊ねてくださいました。 私は幸いにも、センチネルリンパ節の傷も胸の傷もそれほど痛くはないので「大丈夫です」と答え、検査がはじまりました。目を閉じて検査を受けていると、途中で技師さんの手が同じところを何度も行ったりきたり、そしてちょっと止まっている…。ドキドキする瞬間ですね。そーっと目をあけてみると、何やら音がして機械の下の方から写真がプリントされている様子。「そうか、写真を撮っていたのね」と、ちょっと安心して、また目を閉じ、15分ほどで手術した左胸と健側右胸のエコーは終了。
その後、外科外来で40分ほど待ち、担当医から検査結果を聞きました。「特に問題はありませんでしたよ」。先生からのこの言葉は本当にありがたく耳に響きます。次回は来年なので、「今年1年お世話になりました」と言って診察室を後にしました。
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“まさか…”
多くの方が「まさか、自分ががんになるなんて…」と思っていますよね。 私もそうでした。 小学校に上がるまでは弱い子だったようですが、その後は大きな病気もなく、高校1年のとき怪我(網膜はく離)での入院体験はあるものの、学校や会社での健診時にも、特別異常がみつかることもなく暮らしてきました。それが今年の1月25日、「細胞診の結果、悪性とでています」と先生に言われた時には、一瞬「まさか…」と思いました。
でも、何故だか心はそれほどざわつかず、未だにがんだということで涙を流したこともないまま今日に至っています。唯一つはっきりと自覚させられたことは、生物としては極当たり前のことですが「命には限りがあるんだな」ということです。いつかは最期のときが来ると思ってはいても、普段は全く考えもせず暮らしていますよね。「これからは、自分の最期のときを思って生活しなさい」という天からの声なのかな〜…と。
“不幸中の幸い…”
病気になったことは不幸だったけど、病気が発覚したタイミングはまさに不幸中の幸い。 というのも3年前までは自営業だったので仕事を休めば収入は断たれる。それが契約社員といえども、有給休暇で入院したり通院したり。おまけに所属する健保組合が月3万円以上の医療費は負担してくれる(国民健康保険だったら8万円以上)。加えて今の病院(&担当医)と出会えたのも、この職場に昨年入社してきた方からの病院情報があったから。そして更に、「保険金を受け取ることなんてないだろうなぁ」と思い、解約しようかと思ったけど、ちょっと不安で解約できなかった三大疾病保険。「絶対、掛け捨てになるんだろうな〜」と思っていたけれど、世の中に“絶対”ということはないんだなぁ…と改めて思いました。因みに病気前には「もしもがんで保険金をもらったら…」と考えた時、仕事を辞め、旅行にでも行くかな〜と考えていましたが、実際には、仕事は辞めず(というより仕事をしていたほうが精神的によいかな)旅行に行く気力も起きないまま、将来の再発に備え貯金をしている私がいました。
思い返してみると、なんだか目の前の日程をこなしていくだけで精一杯の10ヶ月でした。でも、幸いなことに、恐怖や心配で眠れない夜を過ごしたということもなく(薬の副作用も手伝ってか)眠くて眠くてあっという間に眠りに落ちている毎日です。担当医にも「先は長いですからね〜」と言われているので、のんびりと病気と付き合っていくつもりです。

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