誰もいないはずの渓
これは、まだ自分がFFを始めたばかりの頃の話である。この年もシーズンを終え禁漁を迎えて1ヶ月程した頃に、ふと『禁漁期に魚達はどうしているのかな?』と思い、あるポイントに観察に行って見る事にした。そこは竿を出した事はまだ無かったが、シーズン中は必ず入渓者がいるポイントだった。林道脇に車を停め、更に5分程歩くと良さそうなプールが現れた。木々に覆われ昼間でも薄暗く感じるポイントだ。崖の上からプールを覗くといくつものライズリングが確認出来る。もっと近くで観察しようと崖を降りて見る事にした。そこには5、6匹のヤマメが水面近くで、周りを気にする事もなく何かを捕食している。ストレスを感じていない魚はこんなにも、素直に餌を食べるのかと感心したのを今でも憶えている。時の経つのも忘れ、しばらくその光景に見惚れていた。
30分程してだろうか、背後に何やら気配を感じて振り向いた。しかし、そこには森が有るだけだった。『気のせいか?』と再びヤマメ達に目をやる。するとまた、背後から何かに見られている様な嫌な感じに襲われた。しかし渓全体を見回しても、ここにいるのは自分1人だけだった。それもその筈、今は禁漁期なのだから。いるとすれば、獣類くらいだろう。そんな事を考えているうちに、この薄暗い渓にいるのが自分1人という現実に恐怖を憶え始めた。その恐怖に押し潰されそうになり、急いで崖を駆け上がった。そして、そこで背筋が凍りそうになる物が目に飛び込んできた。そこには、ガラスのビンに1輪の花と、その横には位牌が置かれていたのである。しかもその場所は視線を感じた場所だったのである。すぐにも逃げ出したい気持ちだったが、位牌に手を合わせ、そして転がる様に一目散で車に戻った。その後そのポイントに足を運んだ事は無い。おしまい。

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