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生活の姿勢
人間関係
良いセールスマンとは
恋愛をする
コミュニケーション能力について
ADHDがADHDの子供を育てる
家族という関係
何事も正直でいるのはどうかしら?
人との良い関係を築くヒント
類は友を呼ぶ
電車の中の光景
悲しかったこと
夫婦仲をよりよくするための5つの秘訣
元夫が引っ越してくれて
むかっ!と来たときの対策
「コミュニケーション」って?いったい…
姉との確執〜ADHDをめぐって
社内での良いコミュニケーション
ありがとうの大切さ
途中で喋りたい!!
家族の愛情
マイナス人間、プラス人間 
教師について
傷ついた羽根
人の心が壊れてゆく?
WingBrainのクリスマスオフ
連載 ソーシャルエンジニアリング  2
連載 1 僕は子供の国から来た浦島太郎だったのかな
連載 2 僕は子供の国から来た浦島太郎だったのかな
自分の言葉遣いについて
自分の中にある力を信じること
年下の若い上司に教えられること
わたしの知人の場合
言葉は言霊
ちいさな心
言葉による意志の疎通
理想の上司
思いやりは想像力から
秋休み
人の性質について感じたこと
久々に実家に行ってきました
自分の生き方を曲げない人々
文書による意志の疎通 2
腑に落ちない話
一部の人格障害者との疲れるやりとり
愛される理由?
思ったことを何でも言う子
夢の中 (1)
夢の中 (2)
大使館の人々
友人のホームページ 1
友人のホームページ 2/A>
若いだけがとりえ
幼稚な子供
大きな勘違い
隣人とのこと
痴漢U
ママの一大プロジェクト!
サディスティックな人格<
腸閉塞の父のその後



体験型ワークショップ ウイング(投稿)
惚け防止
振り込め詐欺
人と自分との尺度と思いやり 1
人と自分との尺度と思いやり 2
欠点を受け止める事と変わる事の必要性
注意力と集中力と運動能力
ADHDの葛藤
ADHDと子供と大人と
縁は異なもの味なもの
妻(つれあい)
とびまるの嫉妬
母のボケ
がんばるということ
カブト虫を放す
もの凄い夢
手書きの勧め
息子たちとの食卓<
娘の夢
ADHDの私が子どもを生んで
おかんは「ドラみちゃん」
使えない職員と指導力のない長
皆様初めまして
カメラマンは喋らない
人類絶滅の夢<
今さら何いってんのよ
図書館の利用者
障害認知のできない親
おやぢ虫
罪の意識 1
息子の失敗
罪の意識 2

偏執
子供の頃の思い出
熊に怪我はなかった?
昇進試験
ADHDで困る事

最近の悩み
キレルという事
右脳が活発化すると心が不安定になる
右脳の話、教育の話
惚け防止イラスト
自己破産・夜逃げ・一家心中 悪循環
ADHDな親子
通夜
まな板の上の鯛
こども
ADHDのタイプ診断
よだれ

ショコラがやってきた
息子
違和感を感じる
子供の成長
外国人の面白い話
優先席に座らない障害者と高齢者
スケジュール管理が、上手くできないんです



交差点の救急車
島ひきおに ゴミ袋おばあさん
高齢者の体力

社会常識

ネット右翼と呼ばれる若者達とADHD
男にはしってやる

注文をもらったけれど
大体○○だとおもいます
集中力の変化
うちの猫は幸せか?!
困った問題
思想の偏り
やる気スイッチ
やっつけ仕事
好奇心
脳の可塑性とADHD
ADHD当事者としての心構え 〜努力に対する考え方
身体障害者の精神力と工夫に学ぶ
変人=変革の人
結果的無駄の意義
捜し物
プチ成功体験15・足上げダイエットの効果
テンション
アインシュタインだってアマチュアだった
簡単なことを…
マイノリティという強み
攻めは最大の防御
おもしろマジメ
ADHDのアポです
腰痛
物忘れ
血圧
健康という贅沢
体重管理
精神の老化
精神の老化2
人間ドック
プランター菜園
訓練の成果
物作り
病気とつきあう
いい加減のすすめ
老化と成熟
佐世保事件に思う
常識
出来ないと決めつけない
迷惑な思いやり?
伝統工芸
何とも困った人
楽しみとは何か
うれしいこと
なぜ引っかかるのか
なぜ被害が収まらないのか
出来ないことを嘆かず、出来ることを期待する
社会参加(NEW)















































生活の姿勢



 自分がその立場で、どのような役割を果たしているか、責任を持っているかと自覚しているかいないかで姿勢もずいぶん変わってくる。それはADDであろうが無かろうが同じことだろう。

 わたしは仕事柄色々な加工業者さんに見積もりをお願いすることが多い。わたしの仕事は、数量も規模も小さく、どうせたいした金にはならないのだが、この大不況で少しでも仕事を見つけて可能性を広げて行くためには、日頃の姿勢が大きく影響する。

 色々なことをやるために、まったく新しい業者さんに初めて電話をする場合も多い。50件くらい電話をすることも珍しくない。しかし、たいていは一度で担当者につながらず、他の人に伝えることになるのだがその対応はまったく千差万別で,「初めてお電話をいたしますが、わたし、ホニャニャラ会社のロクスケともうします。お見積もりをお願いしたいのですが、ご担当の方をお願いできないでしょうか?」「今誰もいないんで分からないんです」 このような会社では仮に見積もりを貰ってもトラブルは避けられず、これでおしまい。

 「申し訳ございませんが、担当者が不在ですので、後ほどまたお電話をいただけませんでしょうか」前よりましだが、おそらくありきたりも見積もりで、少し面倒だと対処できない会社。まあ、他に無かったら電話してみる。

 「申し訳ございません、担当者が○○時頃戻る予定ですが、戻り次第お電話を差し上げるよう伝えます。恐れ入りますがお電話番号をいただけませんでしょうか。はい、1234ー5678でございますね。ありがとうございました。わたくし、小泉潤一郎が承りました」このような対応の出来る会社が、小規模の業者さんにはほとんどないが、後々の対応もかなり信頼できそうで、仮に出てきた価格が他より多少高くともお願いするケースが多い。

 担当者あるいは経営者と話しが出来ても、わたしは、基本的に前向きに取り組もうとしているかどうかの姿勢が重視し、価格は最優先とは見ない。価格は何とかなる場合が多いが、工夫する姿勢はどうにもならないからであり、トラブった場合動きがとれなくなるのが目に見えていて、その損失は計り知れない。今の不況では工夫して自分の仕事枠を広げて行く姿勢がない場合は生き残れないだろう。

 一般の生活でも同じことが言える。前向きに生きる工夫、少しでもチャンスを広げる姿勢がなければ最終的に行き詰まる。
by ロクスケ

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人間関係


 ADHDにとって、人間関係を正常に築くのは至難の業であり、それによって大きく傷ついている人たちが大勢いる。むろん、ADHDといってもそのあり方は千差万別だろうが、一般的に言われている特徴を持っているなら、確かに人間関係を築くのは難しい。それは、ADHD以外の人から見た場合を想定してみると容易に分かることだ。

約束を守らない。時間をすっぽかす。簡単なこともできずに結局尻拭いをさせられる。人の話をちゃんと聞いていない。できないなら仕方がないが、とんでもなく難しいことでも興味さえ持てばちゃんとやれるのだから、普段簡単なことができないのはほかの人間のことを馬鹿にしているのではないか。時々全く関係のない突拍子もないことを言う。試しにやらせてみても、途中で投げ出す。無神経で時々神経に障ることを言う。机の上などがぐちゃぐちゃでよくものをなくする。みんなで使っているファイルなどをとんでもないところに置きっぱなしにするので仕事に支障がでる。服装がだらしない。あまりのことに周りの人間が少し厳しく当たると、おどおどして縮こまってしまう。そのくせ、反省していない。

いやはや書いている方でいやになるくらいだが、厳しい目でほかからみると確かにほとんど当たっているはずだ。これでは信用できないし、まともに扱おうという気にはなれない。

これらのマイナス面がすべてADHDだからとは言えず、かなりの部分が長年の間にほかの要因で形作られてきた性格なのだろう。家庭でのしつけ、それまでの経験なども大きく絡んでいるはずだ。かりに、すべてがADHDがらみだとしても、だから仕方がない、認めてくださいとは言えない。自分の性格なのだから、やはり自分が責任を負わなくてはならない。相当厳しい責任を生まれながらに負わされていて、それにやっと最近気づいたばかりの人が大半なのではないだろうか。

カミングアウトをした方が良いか悪いかは議論のあるところだろう。仮にカミングアウトしたからと言って、周りのすべての人が受け入れてくれるわけではないし、かえって半人前のレッテルを貼られてまともな仕事をさせてもらえなくなる可能性もある。実際に、カミングアウトしたとたんにリストラされたケースもあるのだ。いずれにせよ、カミングアウトしたらしたでますます不具合をADHDのせいにはできない。

意地でも言い訳をしない、弱音を吐かない姿勢を貫くしかないのではないだろうか。とはいえ、それで自分をあまりに締め付けて逃げ場をなくしてしまっては、人と接すること自体に恐怖を覚えるようになる。程々の兼ね合いも心得ておくべきだとは思う。

自分の責任ではない理由で人から疎まれる性格になってしまったのは本当に残念だし理不尽だが、それでも性格の責任は本人がとるしかない。責任をとる以上自分がADHDを克服して性格改善を図る以外に方法はないのではないだろうか。

性格と言うのは微妙な話題だが、さけて通れない問題だと思う。

by ロクスケ


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右脳が活発化すると心が不安定になる


 右脳が活発化すると心が不安定になる。これは最近の大脳生理学でも言われています。

 右脳が先に成熟し、左脳はゆっくり成長する。また右脳は老化しやすい。左脳は老化しにくい。右脳は思春期に活発に働く。思春期の子供が、情緒不安定なのは右脳の働きが亢進しているからである。だから今はやりの「右脳トレーニング」は10代のこどもには必要ない。むしろ有害である。10代の子供たちに必要なのは左脳の訓練である。数学や言葉の訓練である。国語や英語、数学をやるべきである。

 「右脳トレーニング」は右脳が衰え始める40代50代の中高年にこそ必要なのだ。ただ、これもやりすぎると神田うのや宇野宗佑みたいになってしまうから要注意。
 
 ボクは普通の健常者よりも、右脳-左脳の切り替えが下手で時間がかかります。ぼく自身は左脳がリードしているときのほうがhappy、joyful気分が安定しています。漢字や英語の勉強をしているときは、本当に楽しくて、時間を忘れてしまいます。

 漢字は紙に鉛筆やボールペン、もっといいのは和紙に筆、精神一到し、懸腕直筆で臨書模写することです。

 絵を描くのも、切れる心を静めてくれます。ボクが、精神不安定になったら、絵を描くのも絵が一番directlyに心の癒しになるからです。

 ボクは、アニメや漫画のような類型的な絵あまり興味がありません。でも、お金になるのはそういった、一般大衆が安心してみられる絵なんです。ですから描きます。技術だけで描いているのです。
 
 ボクの家には、マンガの本があまりありません。単行本20冊くらいかな。谷岡ヤスジと平田弘史がほとんど。

 マンガ好きの友人の家にいったら、天上近くまで、山積みでした。ボクはマンガそれ自体が嫌いなのではなく、マンガの絵が好きではないのです。(嫌いと好きではないは、違います!嫌いはそれを完全に拒絶。好きではないは、それに感動を覚えない)

 マンガの絵が好きではなく、絵に感動しないのでので、読むのに相当の努力を要します。マンガ絵に感動を覚えなくなったのは30代に入ってからです。おそらく、いろんな美術作品を見て学び、マンガやアニメの絵のワンパターンな世界に物足りなさを感じるようになったから、そう自己分析しています。

 巨匠!手塚治虫のマンガですらそうなんです。ですから、自分からマンガを買い求めて読むことは、ほとんどありません。でも、アメコミ風でも少女漫画の絵でも少年漫画でもポケモンでも描けといわれたらなんでも描きます。ボクはデッサン力があるので、技術だけでキャラクターを真似して描けるのです。でも、特に思い入れはありません。

 みんな、描き手がマンガを語るときに、絵柄から入ります。その反対にマンガ批評家は、しかつめらしくストーリィとか演出など、を語ります。でも、マンガはおそらく70%以上の表現を絵に負っている。ボクはそう考えています。せりふなしでも見て充分面白いマンガ。それが本物だと思っています。映画で言うと、チャップリンのパントマイム。表情と動きで、全てが解るし伝わる。創作に関して、理屈ばかり言う人間は、たいしたクリエイターではありません。理論武装しないと、作品が持たないのです。書きたいモノが山ほどあって、次から次へ湧いてくる。手がおっつかないくらい。そうでないと、本物のクリエイターではないでしょうね。

 ボクはマンガやアニメはほとんど読まないし、見ないんです。だから、マニアックな話にはついて行けない。ぼく自身絵は独学で、デザイン学校も美大も行っていない。クロッキー教室に時々顔を出して、モデルさんを描いている程度なんです。ただ、絵が好きで、それを仕事にしたい。ていうか、アスペルガーで対人関係がひどく不器用なのでそれしかできない。その延長でやってきただけ。

 ボクは頼まれたら何でも描く。拘りはない。で、尊敬する絵描きも師匠もいない。

 手塚治虫先生!とか横山大観先生!とかピカソ先生!とか一応口では尊敬奉って三歩下がって師の影を踏まず??!!!なんて言っておりますが、実際、本心はどうでもいい。

 みんなタダの過去の人で、ボクにとっては自分の作品を作るための役立つ素材でしかありません。でも、あからさまに言ったら、大顰蹙(だいひんしゅく)ですなこれは!!

 絵を誰かに教えてもらったこともない。だから、自己流でやって来て、勝手なことを言って、どうしても井の中の蛙大海を知らず、になっていると思います。

うーむ、また何かとりとめのない、よしなしごとを綴ってしまった。
 
 
by mogurin

 右脳トレーニングをしすぎると、神田うのや宇野宗佑みたいになってしまう・・・ウノみには出来ませんが、私も最近駄洒落コラージュにはまってしまい、ハリセン・フォード、鯉の奴隷、貝イヌに手を噛まれる、キュウリ猫を噛む、鯉患い、バッタ屋、ウニ猫の居る風景などの名作を作っては喜んでいます。これも右脳が発達しすぎたせいか、見直しが必要だとは思っています。
 
from ロクスケ


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良いセールスマンとは


 営業関係の人間は自分の好き嫌いとは関係なく大勢の人と会わなければならないので、どんな人と会っても良好な人間関係を築く必要がある。むろん、商売上のつきあいと双方知ってはいるが、個人的にも好意のもてる相手だと商売もうまく行く。

約束を破らない、客先の相談に細かいところまでのれる、利益を確保するなどは当然営業マンたるもの、最低限の条件であり、その上でどうやって相手に気に入ってもらうかが大切だ。これは、営業活動とは、まるで相手をその気にさせて恋人にしてしまうようなところがあり、人間関係を築く基本の技術だと言える。

気になるのは、最近の若い世代が人との接触の仕方がわからないで人間関係を作れないケースが多々あることだ。少子化で兄弟姉妹がいない、隣近所の子供同士で遊ばない、小学校のころから競争をさせられる、ゲームやパソコンに夢中になって人間を相手にした経験が少ない、などが原因と言われている。

たしかに、若い人達と接触していると、中には何を考えているのかわからない、相手のことを意識していないのではないかと思われる人達がたまにいる。若い人達だけではなく、中高年の人達にも多いようだ。やはり、自分で努力して人との関係をなめらかにしておく必要はある。

いろいろな具体的な方法はあるだろうが、ひとつ会話について書いてみたい。といって、たいしたことではない。

誰でも、相手が自分の話を聞いてくれるとうれしいものだ。実に単純なことであり、優秀なセールスマンは相手に7割話させ、自分は聞き役に周り、3割だけ話す。その3割で相手に全て自分の要求をのませ、しかも相手にはそれと気づかせずまるで自分の考えでそうなったように思わせる。

基本としては、自分のことは、最小限だけにとどめ、聞かれない限り話さない。相手のことも、自分からは聞き出さず、相手が自分のことを言い出したら、相づちを打ちながらもっぱら聞く。相手の考えが間違っていても否定しないでとにかく聞く(一般の人間関係とは多少違い、友人親子夫婦などなら、相手の考えが間違っているときは、指摘しなければならないだろうが、とりあえず聞くということ)のが大切。相手が全部話し終えてから、質問の形で相手の考えを自分の方に誘導し、まるで相手が最初からそう思っていたかのようにする。

一例:車を売りたい相手が、金がないから要らない、今の車で十分用は足りる、と言っているとき新しい車だともっとお金が節約できます、あなたのような立派な方が乗るならこれくらいの車でなければなりません、くらいのことも言わなくてはならないが、もちろん臨機応変、十分な下調べなどが必要なのは言うまでもない。

結論:とにかく聞き役に周り、要所要所で相手の意見の方向をすこしづつ変えてやれば、相手に好意を持たれながら自分の言うことを聞かせられる。

営業マンは商売上のテクニックとしてやることではあるが、人間関係をうまく作れる人達にはそのような人達が多いようだ。

by ロクスケ


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恋愛をする
恋愛をするって、ADHDにかかわらず、世間一般にしんどいものと思っていました。

でも、今の彼と付き合いだしたころ、「もしかして、しんどくて大変な恋愛は変な恋愛?精神衛生上良くないのでは?」って当然の事を思うようになって、「何が原因でしんどい?」って原因を考えてみました。「私にとって今までの恋愛でしんどかった理由は、相手に色々要求し過ぎていたんだなぁ。相手の考えも、考えずに要求して、満たされなかったら、私は、ブチ切れる。そりゃ、お互い疲れるわ。」って、あるとき気が付きました。

そう考えるようになって、相手に、お互いの都合が合うときだけ、一緒にいてもらう。それ以外、私は、要求しなくなりました。別に電話も要らないし、自分がしたいときだけにする。向こうも、話したいときにかけてくる。出かけるのは、彼以外の人とも、好きなように出かける。行きたい場所にも、どんどん一人で出かけてるようになって、気が付いたら、今の彼と2年も続いています。

この方法は、今の彼だからこそ、効いているのかも知れないけれど、とりあえずは、恋愛は楽でなかったら、意味がない。楽でなかったら、続かない。相手のことも尊重して考える。与えてもらうだけでなく、その倍自分は与えてあげる。

これが、私なりの恋愛に対する、長く続ける為の、今の所の考えです。

大人の人にとっては、当然の事?そうすると、私も、少しは成長したって事でしょうか?

でも、そうすると、途切れていない原因は他にあるのかしら????

 by ナオニャム

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コミュニケーション能力について


先日オフ会に参加してみた。そこで、出た話。ADHDは、割合とIQが高い人が多い。でも、なんで、うまくこの世を渡れていけないんだろう・・・と。単に、知能が高いだけでは、この世はうまく渡っていけない。そこで、出た答えが、コミュニケーション能力について。人と関わるのが上手な人が成功するのではないか?という答え。確かに、そうかも、しれないな。と思いました。

例えば、どんなに学歴があって、どんなに沢山遺産を相続して大金持ちになっても、周りの人と気持ちよい関係が築けないということは、つまり、極端に言うと、トラブルに見舞われたときにそれを乗り越えるだけの力がないということにもなってしまいます。

そして、私たち、ADHDは特に最初から普通の人とは違って、トラブルに見舞われる可能性が高い立場にある人が多いのではないかと思います。自分の意見や気持ちを伝えられること、相手の意見や気持ちを聞いて理解できること、そして、話し合ってお互いが納得できる結論を導き出せること、これが上手く出来れば、さまざまな問題解決も早くなるのではないでしょうか?そして、自分自身もストレスをためこむこともなく、必要な援助を相手から引き出すこともでき、どんな困難な状況に陥っても、「コミュニケーション能力」さえあれば周りの人に助けてもらいながら自分の道を切り開いていけるのでは?

では、どうやってこの能力を伸ばせばよいのでしょうか?

次回はこの点について書いて見たいと思います。

 by ナオニャム

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ADHDがADHDの子供を育てる


私には、2児のADHDとLDを併せ持った子どもがいます。子どもはもう高校生と中学3年生になりました。でも、ADHDなどを持った子を育てるのはそれはそれはたいへんでした。

まだ、大変な最中に、ある雑誌に手紙をお送りしたところ、「障害児をもつ」といった連載に載ることになりました。私はそれほど深刻でなく、これが私の生き方、というスタンスで書きました。なぜならば、「障害のある子どもをもっているからたいへんなのよ」と書いてもいたしかたのないことだからです。ところが、それは季刊誌で、次の号に載った人は、重度の障害児をお持ちのお母さんでした。

そして、その方の文の最後のほうには、捨て台詞のように「ADHDやLDなんか、障害だと思っていません。」と書いてあったのです。私は、まだADHDやLDが理解されていないばかりでなく、より重度の障害を持った人のほうが、ずっとたいへんで、軽度の障害者は、取るにも足りないと考える障害者の親がいることに正直驚きました。

そうでしょうか。たとえば、杖をついて右へ左へ振りながら、やっと歩いている人に向かって、「あなたは、車椅子でなくていいわね。」と平気で言えるものでしょうか。どちらもそれぞれたいへんなはずです。しかもそれも言うのは、本人でなく親です。私は自分がADHDでありながら、ADHDの子供を育てていることに誇りを持ちます。

その雑誌では児童精神科医がしきりに学習障害はつくられた障害だと力説なさっていました。その医師は「精神科医であることで、結婚式に呼ばれても、決して晴れの舞台にでることなく、ひっそりと祝福する。」と書かれていました。

私は「昔はそうだったかもしれません。でもこれからの時代は、隠さない過去、隠さない現在、隠さない未来が、実現するように社会が努力する時代なんです。」とお手紙をお送りしました。それで、その医師の学習障害の連載がなくなりました。親が、隠していたら子どもも悪いことだと思うのです。そのためには、親も障害というものを理解しなければなりません。そして、障害をきちんと受け止める心の広さが必要です。健常児と比べても仕方がないではありませんか。子どものありのままを受け入れる。これはたいへんなことです。でも、それがはじめの一歩なのです。自分を受け入れてくれた親も受け入れてもらえなくて辛い子ども時代をおくったADHDの方もたくさんいると思います。せめて子どもには、よき理解者となりたいものです。

子どもの生まれるころから保育園まで

 子どもがお腹にいるころ、上の子は激しく動き回り、よく伸びをしておなかがぽこっとこぶのようになったりしました。これは正常の子どもと大して変わらないのですが、確かに多動ではありました。大半の子どもは多動ですから、こんなに小さいときは区別がつきませね。もっとも、次男はおとなしい子どもでした。女の子かなあなんて、期待を持ったくらいです。

 生まれたときに黄疸がひどくて、目隠しをして光線療法をしました。LDやADHDの子どもには黄疸が脳の発達に影響するとよく言われます。次男も黄疸がひどかったのです。それは、私が血液型がA型で子どもがO型だからだったそうです。遺伝のことなど当時は言われなかったので、ADHDなのは、黄疸のせいだとばかり思っていました。

 0歳のころ、保育園へ預けました。そして、保育園へ行く道すがら、バスがとおるので「バース」と長男へ言いますと、「トーチ」と長男は言います。何度行ってもそうなってしまうんです。おかしい・・・・。そのころから疑問がわいていました。長男は特に夜泣きがひどく、3歳ころまで夜中に6〜8回起きました。そして、私が近くにいて抱っこかあやしてやらないと、泣いて泣いて泣きまくるのです。育てにくい子供でした。逆に次男は生後1ヶ月でもう夜中寝てくれて、朝起きても泣かずに一人で遊んでいる子でした。同じADHDでもずいぶんと違いますね。

 長男のほうは聴覚が悪いのではと危惧しました。呼んでも振り向かないことがあったからです。耳鼻科で検査をすると、多少正常より低かったのですが、特に問題にするほどではないとのことでした。彼は後にWISC−RとK−ABCの検査で、聴覚認知が弱いと出ます。視覚認知が強いのです。

 そして、4歳半くらいのときに、耳鼻科の医師に構音障害(今では音韻障害と呼ばれている)を指摘され、言語訓練士のいる病院を紹介されて、カ行とサ行の発音がタ行になってしまうことが判明します。つまり、「おかあさん」が「おたあたん」に、「かめさん」が「ためたん」になってしまうのです。1年のリハビリでほぼ正常な発音ができるようになりました。今思えば、これもADHDやLDを考慮にいれることだったのかもしれません。彼は後に言語性LDと診断されます。もともと言語には弱い部分があったのだと思われます。

 次男はこうしたことは、全くありませんでした。ただ、言語がものすごく多く、大人のしゃべるようなしゃべり方をしたり、歩き初めと同時にものすごく多動ですぐいなくなってしまうということが多々ありました。次男は後に非言語性LDと診断されます。言語能力はずば抜けてよかったのです。それにくらべて、動作性の検査のほうはめちゃくちゃでした。日常生活でも、危険なことを平気でやったり、他の子どもに対しても、あぶないことをして怪我をさせたりしました。

 保育士たちは、怒らざるを得なくて、一日中彼を叱るということになって、あるときから、彼は夜になってねてから、途中で起きて「おかーさん」「おかーさん」と叫んで泣くのです。私が目の前にいてもわからない様子です。これは夜驚症でした。保育士が、叱ることを極力おさえてから、夜泣きはなくなりました。

 保育園では、長男は友達と交わることがなく、みんなが連なって遊んでいるときも、枝を拾って振り回しながら園庭をぐるぐる走り回っているという具合でした。そういう意味で自閉的でした。もうそのころには、うすうすなにかあるぞ、と感じていました。ただ、アイコンタクトはできるし、笑わせると良く反応するので自閉ではないだろうと思っていました。絵を描くのが大嫌いで、人物画は全くかけず、家でもいっしょに絵を描くことをしましたが、にょろにょろとかいて「へびさん」などと言っていました。バウムテストなんてしても、木は描けなかったと思います。

 次男は多動が目立ち、行事ではじっとしていることができずに保育士さんに抱きかかえられて動けないようにされていました。そして、右と左の区別がなかなかできず、両刀使いのようにご飯を食べていました。お箸もなかなかつかえませんでした。微細運動がまったくだめだったのです。ボタンはめもできませんでした。でも口だけは達者なのです。周囲のお母さん方に、「彼は異常よ」と言われる反面、「天才肌」とも思われていました。長男も次男も粗大運動はものすごくよく、跳び箱も他の子どもが飛べない高さまで飛んでいました。ADHDやLDの子では、運動能力がとても低い子が多いのですが、うちの子供たちはその点は違いました。

 私はそのころから、図書館で障害児に関する本を漁り読んでいました。この子たちは「MBD」ではないか、「LD」ではないか「ADHD」ではないか、大体のめぼしがつきはじめていました。

 私といえば、毎日のように遅刻ぎりぎりで職場に飛び込み、熱中することがあると、仕事をそっちのけで熱中していました。また、仕事自体が汎用コンピュータのシステム設計、プログラミング、オペレーティングで、非常に楽しく仕事に飽きることがありませんでした。育児と仕事を両立させるのはたいへんで、家の中は足の踏み場もないくらい、散らかっていました。

 かろうじてできたのは洗濯です。当時は、布オムツを保育園へ持参して、持ち帰って洗うという苦難があったので、こればっかりはほったらかしにはできませんでした。私は片づけが大の苦手です。子供が散らかしても呆然とするだけで、ちっともきれいにすることができませんでした。せいぜい、哺乳瓶の消毒と子どもの食べこぼしを拾うくらいでした。

 子どもが保育園のころ、忘れ物が多くて、これは母である私の責任でした。とろこで、子どもが小学校にあがったら、少しは手をかしてあげるのですが、子ども自体が肝心の宿題やプリントを持ってこないことになって、これは子供の責任の範疇になりますね。でも出さないと怒られるのは親子ともどもでして、よく担任からお電話をいただきました。

 そうこうしているうちに、下の子が小1のとき、同じクラスにウルトラ級のADHD児がいて教室がまとまらず、うちの子は多弁で注意散漫で、担任があるときがまんできなかったとみえて、両側から耳をパンと塞いだら、鼓膜に孔が開いてしまいました。私はそのころ、毎晩10時くらいまでの仕事についており、学童保育から、「御宅のお子さんだけまだ来ていないんです」と連絡がはいるも、どうすることもできず、4時ちかくなって電話が学校からかかってきました。担任の声は震えていました。

 「実は、そんなに強くたたいたつもりでなかったのですが、両手で耳を押さえたら鼓膜に、孔が開いてしまったということなんです。」と言って養護の先生に代わり「明日、○○先生(医者)が紹介状を書いてくださると言うので、大きな病院の助教授のところへ行ってください」と言われました。

 それにしても、学校医へ連れて行くときも親への通報なしで、学童保育でも探し回ってという具合で、連絡の悪さときたらどうしようもありません。

 翌日、大きな病院の助教授を紹介状を取りに行ってから訪ねました。すると顕微鏡下で鼓膜に人口皮膜を入れました。大人ではすごく痛いので全身麻酔でするそうですが、子どもは返って麻酔のほうが怖いので、ほんの一瞬だけなのでみんなで抑えてやりました。私は、子供がこんな痛い目に合うのはやはり、かわいそうでなりませんでした。

 学校では、教頭がお金をもってきたりしましたが、私は校長室へ朝早くに参りまして、お金を返し「教育委員会への報告をしていただきたい。なお訴えたりするつもりはありません。」と申し上げました。

 私の職場に助役がきまして、謝罪していきました。なんで教育委員長でないのか不思議でした。そのうちに、子供のほうはよくなって、また激痛のはしる人口皮膜を取る日がやってきました。やはり一瞬ですが、ぎゃっと叫ぶ子どもがかわいそうでした。学校へ参り「事故報告書を文書でいただきたい。」と願いでると、「では、教育委員会へ報告したもののコピーを差し上げます、」とのことでしたが、事故後の時間がかなりずれたものでした。

 さて、私はここで担任ばかりを責めるわけにもいくまい、普段の息子の様子からして、かなり学級で先生を困らせているに違いない、やはり、どこかで診て貰おうと決意しました。

 教師の友人の紹介で、都立の研修所の身障担当の先生を子どもとともに訪ねました。先生は子どもをよく観察してくださり、私が「LDとかADHDではないかと思っている」旨お伝えすると「そう思います。」とおっしゃって医療機関を紹介してくださいました。

 病院を予約するときに、前々から気になっていた長男もいっしょに診て貰う事にしました。病院では、問診と持参した成育歴から、二人ともLDは間違いないでしょうとのことで、その後の心理検査でも間違いないことがわかりました。多動もあり、ADHDもありました。当時はまだLDとADHDの区別もよくつかない、そんな情けない状況でした。
子どもの保育園から小学校まで

 子供の保育園のときは、私の不注意でいろいろな忘れ物をしました。月曜日、替えのパジャマを忘れるとか、初めのころは、お箸とスプーンとコップをもっていく保育園だったので、これは良く忘れました。先生方も、さぞや、「だらしのないお母さんだなあ」と思っただろうと思います。

 自分のことで精一杯なのに、子供の支度まで完璧にこなすのは不可能でした。すいません、すいませんと謝ってばかりいましたが、主張するところはさせていただきました。たとえば、保育園の夏だけふたを開けて使うプールが、園自体にくっつきすぎていて、夏によく人が落ちるわけです。うちもADHDですから、当然のように子どもが二人とも落ちました。深さが1Mはありますから、大変危険です。これは広報はがきを使って直接自治体に申し出しました。あとで、園長に怒られましたが、翌年に園庭工事が入って、プールの位置もずれました。園長に言っただけでは、こんなに早く、実現しなかったと思います。

 私は、子供の保育園でたくさんの友達をつくることができました。母親のパワーと言うのはすごいものです。とても、いい加減みたいに思われてしまうかもしれませんが、1つ家に大勢の家族が集まって、よくわいわい飲みました。子どもは当然子供同士でいとこのように仲良く遊ぶのです。子どもですからもちろん、ものすごい喧嘩になることもあります。でも、そうやって多くの子どもたちと過ごすことはADHDであったわが子にとっては、限りなく良いことでした。そして、私も多くのお母さん方と親しくして子どもの預けあいやいっしょにキャンプにでかけるなど、本当に楽しい時期でした。

 でも、仲がよかったので、うちの次男について「やっぱり異常だとおもう。」とハッキリと言ってくれる友達もいました。それは、私の肩を押すことになります。

 小学校に入ったとき、長男はなんなく滑り込みましたが、保育園でも書くのがだいきらいで、字もろくろく覚えてない状態で入学したので、担任の先生には本当にお世話になりました。とても辛抱強く教えてくださったので、なんとかひらがな、カタカナと遅れながらも習得しました。ただ、書くのが大嫌いなのは、改善されませんでした。

 次男も就学時検診は何の問題もなく過ぎ去り、能力的には確かに問題はないと思っていたので、心配していたようなことはなかったのですが,小学校1年の5月に、担任(男性)に、殴られて鼓膜が破れました。そのときの、学校の対応の悪さと言ったらありません。でも、ちょうど残業の時期だったので、次男を連れて病院へ行き、治療をうけ、訴えたりしないから、教育委員会に報告することと文書をください、とお願いしました。

 そのころ、ちょうど次男のクラスにはもう一人ADHDの子がいて、二人が騒がしかったので、クラスのお母さん方に「この学校を出て行って欲しい」と言われるという事件がありました。私たちは、夜中まで話し合いました。理解が得られるまで話し合いました。家に帰ったのは夜中の3時を過ぎたくらいです。その後、診断をされてから、私はクラスの保護者に子供の障害を伝え、何かあったら私に連絡をくださいとお願いすることになります。

 次男の耳は水泳に間に合う時期に治りました。ただ、このとき私は、悪いのは先生ばかりではないと思っていました。その旨も学校に伝えておきました。そして、友人のつてで、都立研究所のある心障の先生を紹介していただき、見ていただいたのです。その先生は次男を観察して、「私がLDではないかとおもっているのですが」と切り出すと、「そう思います」とはっきりおっしゃり、医療機関を教えてくださいました。

 医療機関に予約を取るとき、長男も一緒にみてもらうことにしました。

 心理検査、脳波検査、詳しい問診など、いろいろとやって、ドクターは、二人ともLDでADHDだと診断されました。そして、LDのソーシャルスキルグループに入ることになりました。これは、二人とも小学校を卒業するときまで、通いました。また、二人ともリタリンを朝2錠処方されました。

 忘れ物の王様の子どもたち。遅刻の常習の長男。薬がきれると、ぐったりと寝てしまう長男。多弁でひと時もおちつかなかった次男。ひし形がかけなかった次男は特にひどい書字障害でした。いろいろな人に、なれなれしい子どもたち。冷や汗のかきっぱなしでした。

 お風呂が壊れて、銭湯に連れて行きますと、父親と男風呂に入って、石鹸を背中につけて、銭湯の床を這うのです。それで年配の方にだいぶ叱られたそうです。でも、おや?と思うと、そのおじさんと仲良く湯船にはいって話をしていたそうです。

 良いところと悪いところが同居しているちぐはぐな子どもたちでした。

 二人とも書字障害は、よくなりませんでした。絵を描くのも相変わらずだめでした。提出物は出せませんでした。どうしても大事なものは、何回か先生と電話で話して、提出させましたが。

 それから、次男が右と左が区別がなかなかつかなかったので、保育園のときからバイオリンを始めました。これは、音楽療法学会でも発表したのですが、バイオリンは右左がちがう形で演奏する楽器なので、右左の区別を覚えるのに非常に役に立ちました。それと、二人とも、バイオリンを弾けることによって自信が付いたと思いますし、次男は音感や、繊細な感性も育ったと思います。今はギターに転向してしまいましたが。

 勉強はあまりできなかったようです。私は忙しく、勉強をみてやることはできませんでした。一対一の個人塾に通わせていましたが、成績表が絶対評価だったので、はっきりとこどもの学習レベルがわかりませんでした。はっきりわかったのは、中学へ行ってからです。
小学校ときは、子どもたちはとても忘れん坊でした。私が見てやればよかったのかもしれませんが、私もADHDなもので、あまり役にたたなかったかもしれませんね。それと、長男は毎朝ほとんど遅刻でした。次男も引きづられるように遅刻が始まったとき、次男のほうは近所にお友達がいて、そのお母さんがうちの子を迎えに行くよう配慮してくださったのです。長男には、友とよべるような関係の友はいませんでした。少々自閉的だったかなあと思います。

学校の先生は、良くしてくれた先生もいますが、全員LDについて勉強してくれようなどいう方はいらっしゃいませんでした。ADHDがあると、LDは合併しやすく、結果的に学力が落ちていくのを、手をこまめいて見ているという、親としてのふがいなさがありました。それで、ずいぶんと、教育委員会にも通って、LDの理解について求めたものです。でも、教委は動いてくれませんでした。今考えると「コミュニケーション教室」というのが「言葉の教室」にならんで、できたのですが、そこにいけば、書字障害のこともみてくれたのかもしれませんね。ただ、ネーミングから、思いつきませんでした。なぜなら、コミュニケーションはとれていて、言葉の数も多かったのです。知能指数も平均以上ありました。

ただ、ADHD児が二人いた次男のほうは、3年間くらい補助教員をつけてくれました。これも教委へ直訴でした。

しかし、中学になって、一学期長男がもらってきた成績表は惨憺たるものでした。123のオンパレード。しかも、提出物が出せないことから、成績はどんどん下がり、受験のころにはオール1に2が二つ、になるまで下がってしまいました。授業中も、どーせおれはだめなんだ、という感じで、机にうつぷして寝ていると言う毎日でした。しかし、長男は漫画ばかりの生活から、ある日私が借りてきてやったジュニア文庫を読むことで、本の世界に目覚めていました。それはものすごい読書欲でした。20冊、30冊と借りてきても、瞬く間に読んでしまいます。高校生になった今は、自分でブックオフなどで選んで買ってきますが、私も時々こんな「新刊」でたよ、と図書館でかりていくと、あっという間に読んでいます。そのせいか、知識が深く、ものをよく理解しており、受験もひどい内申だったにもかかわらず、全日制の都立の商業に受かってしまいました。

次男のほうは、長男よりもソーシャルスキルがよくなり、授業もまあまあの態度で受け、友達も多く、都立一本しか受けませんでした。成績は2と3。友達の多さには親としては閉口したのですが、遅刻しないように、小学校とは別の子どもさんが迎えに来てくれるようになりました。次男は、長男に比べれば、楽でした。

障害と二次障害の深さに起因するものだと考えています。
 


LD,ADHDの子供たちが大きくなって

長男は、中学のときに先生にかなり自尊心を傷つけられて勉強に興味がなくなってしまいました。授業中は、しっかり机にうつぷして寝るか、ジュニア文庫をずっと読んでいたようです。そのせいで、態度が悪いと評価されてテストの結果に見合わない成績をとってきました。自尊心を傷つけておいて態度が悪いもないものです。ですから、成績はほとんど1。それでも、都立のある商業の全日制に受かってしまいました。能力はあったわけです。しかし、持久力がないのがADHD。落第と相成り、高校の先生にも理解は得られずに、定時制をすすめられて、いやいや定時制に行くことになりました。ところが、定時制は、LDやADHDの巣窟です。たちまち友達ができました。それでも、うちの子の場合特に先生に理解されにくい子供らしくて、担任からよく相談の電話がかかってきます。まあ、読んではくれないと思ったのですが、一応書籍を入門書程度のを選んで届けました。

ただ、高校は卒業だけが目的だと思っています。問題はその後です。よく障害のある子は、高校までということが多いのですが、私はなんとしても、大学か専門学校には入れたいと思っています。本人も、希望の仕事があって、そのためには国家資格がいるのですが、前向きです。本人がエンジンがかかるように、最新の注意を払っていろいろな資料をそれとなく置いておきました。効果はてきめん。

次男は、今年中学を卒業しました。公立の全日制普通科に入れました。翌日からバイトを決めてきています。母子家庭だから、なるべく母にはお金をつかわせたくない、と次男はいつも言います。それにしても、卒業式での次男の号泣には参りました。証書をもらうまでに、後のほうのクラスなのでだいぶ待つのですが、その間にもう感極まってしまったようです。自分が証書をもらうころには、涙がこぼれおちるようで、めがねをはずして、証書授与に望み、涙をふきふき席にもどっていきました。

次男は、地域の学校に入れたことがとても幸いして、友達がたくさんでき、毎日友達と犬がじゃれあうように遊んでいました。よい経験だったと思います。

また、次男はヴァイオリンを習っていたのですが、ギターに転向し、アコースティックも、ベースもはたまたピアノも独学で弾けるようになりました。ヴァイオリンのおかげで耳がよく発達したのだと思いますが、毎日楽器をかきならすか、大声で歌い狂うか、本当に陽気で楽しい子供に育ちました。高校へ行っても、また友達がたくさんできるでしょう。

子供たちには、基本的に個人対個人の塾にいれてよわい教科を見てもらっていました。LDやADHDの子供には、こういった塾が非常に有効だと思います。高校生になっても、その塾には通っています。高校生になっても障害は治らないからです。

私の子育ても、そろそろ終盤に近づきつつあります。母親としては、何をおいても子供を愛すること、守ること、無知うな人々(特に教師)と戦うことが必要でした。そして、障害について勉強することが、そうしたことを助けてくれます。 by MUSICA
 

by musica

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家族という関係


 私には姉が一人いる。子供のころは、姉が両親にとてもかわいがられ、「聡明で反抗しない良い子」の典型みたいな存在だった。しかして、私と言えば「ぐずぐずしていて、成績はまあまあなものの、癇癪もちで反逆児で育てにくい子供」だったようだ。

 私にはそれが、子供心にとても苦痛だった。もう物心付いた時には、その違いというのは明白だったのである。

 親たちはしょっちゅう喧嘩をしていた。不安定な家庭だった。父は癇癪もちだった。それの母のはけ口は私を叱ることだった。家族旅行に行くと必ず、父の怒りが爆発する。そして、おもしろくもない旅行につきあうのだった。それでも、父にはかわいい長女のために、車にいろいろな細工を施していた。

 姉が中学のとき、初めて母に反抗する。「人のことばかり詮索していないでお金がないんだったら働けば。」と投げ捨てるように言い放ったのだ。母は、それからまもなく資格を生かして看護婦として再就職する。それまで、ものすごい教育ママだった。それ以降、私が相手だったこともあるが、仕事一筋になる。教育は消えた・・・。

 私は流されたいかだだ。母は、仕事熱心で、私の成績なんてどうでもよかった。しかし、私は中学の担任に「お前の成績は悪くない。だけど姉貴と比べるとなア」と言われたことで、むかっ腹が立って、がり勉となった。ものすごく勉強した。大嫌いな数学の教師の授業は、教科書を全部一人で先にやってしまい、授業中は問題集を解いていた。当てられても、ノートにかいてあることを、読み上げればよいだけである。いい気味だと思った。私は、確かに反逆児だったかもしれない。

 父は、姉の結婚式で「子供の中で一番かわいかった」と泣きじゃくりながら言ったものだ。2人しかいない姉妹であったが。

 PTSDにかなり近いものがある。

 私がADHDと診断されて、合点がいったが、傷は治らない。私が独学で法学部に学士入学したとき、父が始めて「この子もなかなかやるもんだ」と言った。それが、初めてのほめ言葉だった。25歳にしてである。

 結婚して、子どもが生まれると二人の子どもに平等に愛情を注ぐことをいつもいつも考えるようになった。相性はある。でも愛しているということを、子どもに伝えていくことは大切なことだ。子どもはよく聞くのだ。「ねえ、どっちの子のほうが好き?」そうすると「二人とも同じに好きだよ」とこたえる。友人はそういう時「お前が一番好きだよ」とこたえるそうである。どちらがいいのか、いまだにわからない。

by musica


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何事も正直でいるのはどうかしら?


どうも私は自分の本音などを正直に言いすぎるタイプらしい。ウソと言うものが付けにくい生き物に出来上がっているらしいのだ。自分の正直すぎるのってAD/HDより自閉症スペクトル的な特徴である。AD/HDの人も自分に正直な人が多いと聞く。

要するにウソがつけない。上手いウソがつけないと言うことなのかしら?と思いたくなってしまう。私は大人になってからやっと上手な“ウソのつき方”を覚えたのだ。子供の頃にウソをついたら「針千本飲ます」と言うことを言われて以来、ウソをついたら本当に針を千本飲まされるんだと思い、怖くなってしまった。どんなウソでもつくことはダメなんだと思い込んでしまった。本当に針が千本が出てきたらどうしよう〜と思ってしまったほどだ。実際は出てこなかったが、次は必ず出てくるものだとビクビクしながらだった。

自分は正直にならなきゃと思ったほどだから。だから何事も正直でいなくちゃいけないんだって感じでいた。親から「お前は正直すぎる」とよく言われたものだ。自分の本音などは全て正直に言っている。逆に正直すぎて人間関係にヒビが入ってしまったことが良くある。今も正直すぎて人を怒らすことがあるのだから。この場合は言ってはいけないことなのに、自分の正直すぎさが災いしてとんでもない目に遭ったことがよくある。

要するにウソと正直さが使えるタイミングを間違えていることが大人になってわかった。自分に正直でいることはとてもいいんだけど、場所や人に合わせて使い分けることが難しいと感じてしまう。私と同じように感じている人が他にいるのではないだろうか?

自分に正直にいることは大事。大事だけど、TPOに合わせた使い方を間違えると人間関係にヒビが入ってしまう事を忘れてはいけないのだ。そう言う貴方はどうかしら?

by Rosamonde


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人との良い関係を築くヒント


 今回は、ADHDとはあまり 関係はありませんが、良い人間関係を築く上でのことを考えました。

 初めて人に会ったときに、私たちは、勝手に限られた情報内で相手をどんな人かを推測してしまいがちですね。しかし、この、短絡的な推測は、新しい人との良い関係を始める上で、良い影響を与えることもあれば、良い関係を築けない障害となることもあると言えるのではないのでしょうか?

 例えば、初めて会う人に対して、すぐさま苦手なイメージを持ってしまう事ありますよね?苦手だなと感じると、ますます、相手のことが苦手になっていく・・・そういう事ありませんか?

 初めて会った人に、いきなり失礼な事を言われたり、失礼な態度を取られてしまったら、それは嫌いになって当然ですが、見た目、イメージなどで判断してしまって、相手の性格を勝手に決め付けてしまうのは、ある意味、せっかくのチャンスを逃してしまっているかもしれません。じっくり話してみたら、実は話があった。ということも結構ある話ですよね。

 もし、自分が相手の事を決め付けて見ていると言うことを感じたら、その視点を少し変えてみませんか?何か相手の良い点が見えてくるかもしれません。

 ところで、この反対のことも言えるのではないのでしょうか?初めて会う人に、私たち自身が「苦手だ。」と思われる可能性も十分にありますよね。良い人間関係を構築する上で、ある意味、自分の外見、立ち振る舞いにも気を使うことも忘れてはいけないのではないのでしょうか?相手に不快なイメージを与えているかもしれません。私も、自分の視点の置き換え、イメージなどを大切にして、良い人間関係を築きあげて生きたいと思います。

 by ナオニャム

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類は友を呼ぶ


 学生時代の僕の友人にTという男がいました。かれは4浪して大学にはいった男で僕とは年が離れていましたが、気があってよく喫茶店などで世間話をしたのを覚えています。ぼくもつきあって午前の講義をさぼったりして、結局単位を落としてしまいました。

 Tの調子が悪くなったのは大学三年の時、午前中しばしば僕のアパートにきて「しんどいのう」と一言、ごろっと横になりタバコをふかすありさま。

 ある日、「今、隣のおばさんがわしの噂をしている」と突然言い出し、僕はぎょっとしました。「遠くの声が聞こえる」とまがおで言うのです。「幻聴じゃないか」と答えると、「いや、本当に聞こえるんだ、壁をすりぬけて声が聞こえる」とT「医者にみてもらったほうがいいよ」僕のアドバイスはその後現実になりました。

 Tは分裂病を発症し、精神科に入院しました。のちに回復して退院しますが、父親が亡くなったショックで再発また入院。そして入退院をくりかえしながら現在にいたっています。たまに電話で話すと「調子が悪いんで薬を変えてもらった」とか言うだけで、自分のことはなにも話しません。たぶん話すべき内容がないのだからとおもいます。反対に僕のことは「今、なにしとる?」とか「仕事はどうや?」とか質問してきます。

 学生時代は頭のよかった男で、記憶力なんかは僕は足下にも及ばないと感じていたんですが、彼の時計は20歳でストップしたままのようです。

 調子が上向いてきたときなど「ドイツ語の勉強をしとるんや」「テレビの英会話教室をみとる」「数学の入試問題を解いてる」など相変わらずの向学心を発揮しています。

 実家が資産家で、アパートの家賃収入で暮らしていけるのがせめてもの幸いでしょう。Tは今、年取った母親とふたりで、広い屋敷にすんでいます。

 毎日無為に時間をつぶしています。僕の友人にはなぜかそういうやつが多いのです。

by mogurin

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電車の中の光景


 今日は、所用があって電車ででかけました。いつもは、マイチャリででかけるのですが、電車は、久しぶりです。

 さて、私がのってイスに腰掛けてさてしまるぞ、と言うときに、髪にしろいものがまじった高齢の方が、飛び込んできました。着物をお召しになっていたので、後ろの部分がドアにはさまれてしまいました。幸いにもドアはすぐに開き、彼女はすぐにドアから開放されました。

 安堵する人々の間をくぐって、大声で「危ないじゃないですか。わかっているんですか。あなたみたいなお年寄りが、こんなことしていいと思っているんですか。次の電車を待つんです。危険ですよ。なぜ乗ろうとするんですか・・・うんぬん」と延々5分以上大声で説教をなさる50代とおぼしきご婦人がいました。

 はじめは、心配なさっているのかと思いました。しかし、「年寄りが」「若い子ならともかく」などと、発言するに及んで「この人は明らかにいいすぎで、効いていて不愉快だ」と感じてしまいました。

 もし、飛び込んできたのが、ごつい怖いかんじのおじさんだったら、彼女はきっと何も言わないでしょう。案の定、車内のようすは、明らかに非好意的な雰囲気につつまれました。発言するおばさまのほとんど前にすわっていた女の子は、席を離れていきました。

 そして、そこにいったん腰をおろしたご高齢の方もいごこちが悪かったらしく、一度、次の駅でおり、再度ほかの入り口から載りました。

 私は、降り際にお説教をしたおせっかいなおばさんを見てしまいました。大声で話し、人を見下すものの言い方をして話しています。私たちは、とかく場の雰囲気がつかめないことがあります。私がそのおばさんの近くにすわっていたら、「おばあさんだってもう十分に反省なさっていらっしゃるのではないでしょうか。しつこいお説教は不愉快です」とその方に言ったと思います。そのおばさんこそが、その場の雰囲気をつかめない人であったからです。

 しかも、今はいつ刺されるかわからない時代。相手が弱そうだからと、余計な口出しも考えてしまうできごとでした。

by musica

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悲しかったこと


 私は職場の一部の人たちで構成する仲良し会のような飲み会に入っていました。管理職をかこんで、職場の一部の人で管理職は誰でもいいからという条件で始めたものらしいです。私は誘われました。だから、何度かいっしょに飲んで笑って騒ぎました。ところが、あるとき私が自殺未遂をしていることを、管理職が察知します。

 管理職は、その会のみんなに私のことを話したようです。それから、私は病欠をとりました。

 病欠をあけて、復帰すると、もう私は会からしめだされていました。「もうあの会はやっていないの。ホントよ。ずっとやってないから。」と、ある人はいいました。他の人に飲みに誘うと「大丈夫なの?管理職心配していたわよ。」とのこと。どうも察するに、みんなに私のことを話したあげく、会を追い出し、なおかつ「心配だ」と言いながら、管理職は私を避けていたことになります。会はもちろん存続していたことでしょう。プライバシーの漏洩もこたえました。

 しかしながら、もっと悲しかったのは、自殺未遂をするような人は「友達にできない」ことでした。もちろんいっしょに飲むのもごめんください、ということになります。

 世間の精神病患者に対するこだわりがよくわかりました。

 なんだか、普通の人間になりそこねたようで悲しかったです。

 by musica

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夫婦仲をよりよくするための5つの秘訣


1.寝室の外でもスキンシップを。手をつないだり、腕を組んだりすることによって、親密度が高まります。ある心理学者は人は肌に触れられると、安心感を生み出す、と唱えています。

2.夫婦の「習慣」を作りましょう!週末に二人で夜更かしする、日曜日は二人でご飯を作る、など二人の習慣を作ることによって絆が深まります。

3.幼稚園から学ぶ −挨拶を大切に−「ありがとう」「お願いします」「ごめんなさい」などの挨拶の基本をおろそかにしていませんか?挨拶はお互いを尊重している、という小さいけれど大切な意思表示のひとつでもあります。

4.どんどんお互いを褒めましょう「そのシャツ似合ってるね」「@@のこんなところが好き」など小さなことでも良いのです。好きな人に褒められて嫌な気持ちになる人は少ないはずです。どんどんお互いを褒め合いましょう。

5.思いやりと親切の心を忘れずに・・・・。いつもじゃなくてもいいのですが、相手の喜ぶこと(例えば、掃除、洗濯などの家事とか、たまに駅まで迎えに行くとか)をたまにしてみたり、メモや置手紙をしてみたりしてみてください。相手の喜ぶ顔が嬉しくて、もっとしたくなるかもしれないですよ。

by Bunny_Lab

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元夫が引っ越してくれて
 
 私は夫とは、3年前に別れた。夫は半年間居座ったあげく、家から30秒のアパートに移り住んだ。そして、何日か大酒を浴びるように飲んだ挙句、私の友人にプロポーズしたのだった。
 
 彼女は、私たちの息子と同級生の娘さんのお母さんで、長いこと母子家庭をやっていた。私は婚姻中から、彼女が夫に好意を抱いていることは女の感でわかっていた。だから、彼がアパートを借りるときも、引越しのときも手伝いに来たそうである。
 
 そして、アルバイトと称して、1Kのベッドが大半を占めているようなアパートに足しげく通っていれば、どうなるかは誰が考えても同じであろう。彼女はもちろんOKした。
 
 それから、約2年、通い妻をつづけていた。といっても籍はまだいれていない。すぐに結婚しなかったのは、娘の関係もあったし、お金もなかったとみえる。毎晩、彼女は20分の距離を通ってきた。高校生になったばかりの娘は、夜はずっと一人だった。恋する母は、もう娘のことは眼中になかったのだ。日曜日は朝から通ってきた。道路でばったり会ったことも何度かある。
 
 あまりに近いので、友人たちも彼や彼女に「元妻のところのそばから引っ越すよう」忠告してくれたが、知らん顔だった。
 
 それが、この春やっと引っ越していった。彼と彼女と彼女の娘の奇妙な同棲が始まった。娘は母親似で、高校3年生。くれぐれも、元夫が目移りしないことを祈るばかりである。娘は、同級生で小学校からずっといっしょだった私の息子と兄弟になるのを嫌がっている。だから、母親は結婚をしないで同棲の道を選んだのだ。
 
 私も元夫とは昔半年同棲した。同棲のころはいい人だった。いい人だと思って結婚したら、とたんに、どうしようもない男に変身してしまった。彼はLDだったと思われる。 のしをつけて、くれてやる。早く別れたい。とずっと思っていた。彼らの引越しは気持ちの上で、整理がついて私もすっかり落ち着いた。
 
 沈丁花のかおりがうっすらとにおってくるような気がする。桜の花が目に鮮やかだ。鳥の声が耳にやさしい。空気がとてもおいしい。私にも、春がやってきた。

by musica

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むかっ!と来たときの対策


 私は以前に比べるとだいぶ感情のコントロールが出来るになったのでは?とようやく最近思うようになって来ました。ようやくです。

 だいぶ前、私のコーチ(ライフコーチ)にむかあ!と来る様な言葉を言われてしまった時、「そのまま、こっちもカー!っとなるのではなく、どうして相手はそのような気持ちになったのかを、考えてみること。また、自分はどういう気持ちでいるかを考えてみること。そうすると、今までと違った反応が出来るようになりますよ。」と言われていました。

 そして、最近それがほんの少しだけ出来てきたのでは?と思えるようになりました。分かりやすい例えで言うと、自分の乗っている電車が止まってしまって、大事なお客との約束の時間に合わなくなる。アナウンスが流れない、先方にも、ただ、遅れるとしか言いようが無い。誰でも、イライラしませんか?ただ、このとき、人によって反応はさまざまですよね。このイライラを他人にぶつけてしまうのか、自分の中で消化するのか。気持ちよく自分の不満を相手に話して解決するのか。(ちなみに、この時 一方的に自分だけがすっきりして、不満を言われた相手が不快では解決策の結果は失敗です。)

 自分が、怒っている、不快に思っているそのことに気が付いて原因を理解することによって、その不満を解消するためのより良い行動がだんだんと出来てくるのではないのでしょうか?原因を知って、とっても小さな不満だってことに気が付いて、どーでもよくなってしまったり。

 とか、言う私自身もまだまだ修行が足りないなぁ。今日も、少しフクれた瞬間がありました。最初と言っていることが、チグハグですね。でも、前に比べたらずっと良くなっていますね。

by ナオニャム

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「コミュニケーション」って?いったい…


ある話し合いの際に感じたこと。『君は、他人が話しているときなど。聞かねばならぬときに発言しようとしている。問題ではないのか?』ということを周囲のものからも注意されており、それがなかなか直らずにいるため、やむなく発言を止めていたら、今度は『やる気が見られない』と言われる始末です。話のアウラがつかめずに言いたいことが言えなくなっているため、やむなく正直にADHDのことを話したのですが、『そんなものはお前の精神がたるんどるからだ』といわれ、へこんでいます。

ADHD(私の場合はこれだけではないのですが)などの問題として、相手の感情の機微が読めないというのがあるのですが、今回は、足をすくわれたような格好です。

なお、その後、相手にはADHDは精神の問題ではなく、脳の『器質的問題』であるいうことも話したのですが、『そんな訳のわからない病気をもつ人が本当に仕事できるの?』と話を切られ、そこで話が終わってしまいました。

それからというもの、話し合いの席では、根本的な問題の解決にはならないのですが、当座は黙っていて先に相手の話を聞くようにと、できるだけ心がけたのですが、私にとっては難しいのでしょうか、なかなか成果は上がりません。

いままで、(意識的に)話を聞いたり、したりすることがこんなに大変だとは露ほどにも思いませんでしたもので。

逆にそれだけ注意が出来ていなかったことを思い知った今回の一件でした。

周りは、話を聞いたり、したりするのって当たり前にしているけど、私にとっては、「他愛のない」日常会話が難しいんだなあと、改めて思いました。

by はるか

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姉との確執〜ADHDをめぐって


離婚して、精神的に不安定だった時期に元夫が能天気に私の友達にプロポーズし、OKをもらってからもうかれこれ3年以上たつ。が、まだ結婚していない。うちの息子と同い年の思春期の娘さんがいるからだろう。
 
 しかし、夫に1年にわたって無視され続けて離婚の道を選んだ私としては、当時未練はないが、ショックはショックだった。そして、うつが悪化して自殺企図を図った。何度か目であった。そのとき、ちょうど離婚して沖縄から実家に戻っていた姉が病院にかけつけたのだった。次男が私の姉に懇願した。「うちに来て欲しい」と。長男も次男も私の自殺未遂騒動には、精神的に困っていた。
 
 姉は即断した。そして引っ越してきた。姉のために50万かけて長男の部屋を区切り、一部屋作った。はじめ、姉は黙って散らかし放題のADHDの息子たちの掃除をしていた。姉は毎日掃除していた。姉は勤めているので、当時は私が先に家に帰るので私が夕食を作り、お風呂を沸かして姉が、掃除・洗濯・乾燥機・食器洗い機に食器を入れて家事をしていた。そのうち、私が毎日残業になり、夕食も作れずに家事一切ができなくなると、だんだんと腹が立ってきたらしい。
 
 黙って、乾燥された洗濯物を積み上げて置くようになった。これは、どうやら私にたため!と言うことらしい。外泊がうなぎのぼりに増えた。姉は私と違って、潔癖症だ。うちに帰って、散らかっていると、掃除をしてからでないと、ご飯ものどを通らないと言う。うちは、ADHDの子供たちによっていつも散らかっている。それが、耐えられないと言うのだ。
 
 ある日、姉は「あんたが家事がぜんぜんできないと、全部私に負担が来るの。実家に帰れば、据え膳なのよ。」と言った。彼女は私の子供たちに夕食を作る気もない。うちには、2階と3階にトイレがある。2階は私の分担らしい。「汚いから、片付けて。」と言われたが、片付けてもすぐに子供たちにぐちゃぐちゃにされてしまうので、放っておいたら、姉は怒って「なんでこんなこともできないのよ!」と言った。
 
 姉は私たちがADHDであることを知っている。でも、理解できないのだ。援助が必要であると、45条の診断書にも書かれていたとおり、3人では家は片付かない。私も努力した。帰って子供たちの散らかしたもので捨てるべきものは捨てた。でも、整理整頓と掃除ができないのだ。
 
 暮らし始めて、姉の潔癖さに苦しい思いをすることになった。姉が来てから、確かにリビングはきれいになった。でも、うちに帰るのが嫌になってしまった。姉が外泊する日はほっとして帰る。いっそ、実家に帰ってもらおうと実家にも話をもちかけたが、また未遂をするかもしれないからだめだと親は言う。
 
 家族に理解されないということは、なんともどかしいことだろう。障害のせいにしてはいけないと言っても、できないものは、できないのだ。ちがうだろうか。姉自身にも、実家に帰りたければ帰ってよいと先ほど話をした。考えておく、と言われた。返事はまだない。このごろは、残業で家に帰ると姉はもう寝ている。
 
 ひととき、二人で晩酌して楽しいこともあったが、一度壊れた関係をとり戻すのはむずかしい。姉に会わないように同じ家に暮らすことはできない。夜11時過ぎまで残業して、帰って家事をやれというのか。しかも、もう疲れきってへとへとの状態でADHDの私ができるのだろうか。無洗米、子供もすぐに炊けるようにと買っているが、姉は一言「私だったら絶対買わないわ」。
 
 洗剤がないというのでアタックと言う商品が指定されたので買ってきたら「いくらだった?こんなものは300円以下でないと買わないものよ」。元主婦だった姉には、そういう考えがこびりついているらしい。私は大学卒業後ずっと20数年子供を育てつつ途切れることなく働いてきた。アタックが310円であろうが299円であろうが、必要だったら買える店で買うのである。まさに小姑である。今のところ、打開策はない。
 
by musica

おっしゃるとおり、家族の無理解は他人の無理解よりもよほど応えます。だからこそ、家族には最後の最後までカミングアウトはしない方が良いと私は思っているのですが、同時に、ADHDの当事者が理解する必要があると言う事でしょう。つまり、家族であろうと普通の人にADHDが障害であり、出来ない事は出来ないのだと理解されるものではないということをです。musicaさんの場合、息子さんがお姉さんに懇願した事情も無理はなかったと思いますし、親御さんやお姉さんの反応も、普通の人にしてみれば至極当たり前でしょう。ですから、その点で言い合ってもらちはあきません。が、とにかくカミングアウトしてしまったものはその収集策を講ずる必要があります。とにかく、距離を置くしかないのであり、これは親御さんとも距離を置く覚悟でお姉さんに、実家にかえってもらうより仕方がないでしょう。ADHDを理解してもらおうとは考えても時間の無駄だと思います。

from ロクスケ

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社内での良いコミュニケーション


今回は、私が会社内でのコミュニケーションを良くするための方法を自分で見直す為にも書いてみようと思う。きっと、今まで紹介されてきた、ロクスケさんの本や、他のADHD関連の本に書かれているものと重複している部分はあると思う。でも、復習としても参考にしてもらえたら。と思います。

まず、1つ目。私は、とかくミスが多い。気をつけているのだが、やっぱりミスはしてしまう。でも、あきらめないで、私は人の手を借りる事にしています。日々の中での会話の中で、「私、あせったり、沢山の量があるとミスを沢山してしまう。」ということを、なんとな〜くほのめかしておいておくのだ。それで、その相手にやんわりと忙しい時にどういう風に手伝ってもらえるかどうかを伝えておく。事前に頼んでおく実はいざ助けが必要なときに頼みやすい。

2つ目は、時間にルーズな私にとっては今の会社に移ってから半年近くかかったが、ギリギリではなく早めに会社に着くこと。仕事をはじめるのは契約時間の通りにしているけど、15分位前にはがんばって着くようにしている。あと、仕事の基本だけど、仕事の期限を確認して、自分なりにその期日までに出来るように少し計画を立ててみる。その仕事以外にも依頼などされたら、先の仕事が間に合う自信のあるときは請負い、自信の無い場合は、自信が無いことや、期日はすぐでなくても良いかなどをちゃんと確認しておく。それで、期日までに間に合わせるのだ。これは今の所上手くいっている。仕事の量が丁度良いのかもしれない。

3っつ目は、挨拶をちゃんとすること。身だしなみを整えること。にこやかに挨拶をされて嫌な人はめったにいないと思う。身だしなみがあまりよろしくない人は、他の面もあまりよろしくないのでは?と思われがちだと思う。身に付けているものなんかを誉められると、有頂天になってしまう。書類も判りやすいように整理をしておく。

4っつ目は、自分に害を与えるような人とは、仕事上の最低限の交流しか持たないようにする。他人の感情に影響をされやすいので、なるべくおだやかな人と交流を出来るようにしています。

5つ目は、他人の悪口を話しているような話の輪には入らない。最初はわからなくても、相手の話が愚痴なのか悪口なのか、問題を解決しようとしている為の話なのか、気をつけて聞いてみる。悪口だったら、相手にしないようにします。悪口を聞いていたら疲れてしまうもの。愚痴だったら、相手のストレスの発散にもなるのでなんとなく聞いておく、問題を解決しようとしているのなら、自分の出来る範囲で助けてあげる。

最後に、依頼された仕事内容を忘れない様に、ポストイット、パソコンのアラーム機能をフルに活用する。これは、本当に、ADHDの人のほとんどの方がやっているのではないでしょうか?

以上 私の中で、重要なポイントとして考えられる項目です。他にも、色々ありますが、今回はこのくらいで。。。

 by ナオニャム

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ありがとうの大切さ


 先日会社のお昼休みでの話題です。私は、いつも、同じフロアの女の子たち5、6人と一緒にお昼を過ごしています。そのうちの2人が、彼女たちの部署にいるある男性社員が絶対に「ありがとう。」って言葉を言わないと、大変憤慨しながら話したことです。

 彼女たちの話によれば、確かに彼から業務を依頼され、その業務を行うのは契約上当然なので、考え方によっては確かに「ありがとう。」は必要ないのかもしれないが、それにしても、せっかく業務をこなしてもやりがいも無いし、味気ない。最初の頃は、言われた以上の事もしてあげたけど、最近は言われた最低限の事しかしなくなってしまった。とのこと。

 言われた業務におまけをつけても感謝をされないのでやる気が起きないのだそうだ。「ありがとう。」って、言葉の威力を知らない人は、おまけが貰えなくて損をしているなぁ。。と思ってしまった。

 誰だって、人から感謝されて怒る人はいないと思う。幾ら、契約で決まっているからと言っても、やっぱり、何かしてもらったら「ありがとう。」って言ってもらえた方が、いわれた方は嬉しいのは当然です。そして、さらに次回は何かしてあげようと思うのではないのでしょうか?

 おまけが欲しかったら、感謝しろ!損をしているぞ!〇〇さん!そう思いました。

by ナオニャム

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途中で喋りたい!!


私は昨日、友達と4人で呑んでいました。酔ってきて会話もエキサイトしてくると、いつものように、どうしても相手の会話が最後まで聞けずに、割って入って途中でも喋りたくて、いてもたってもいられない状態がやってきました。

これがADHDの症状だという事は最近知ったのですが、知らない頃は「私はちょっと頭が足りないのでは・・・」(←自分に対する言葉なので思っていたそのままの言葉で書きます)と、真剣に悩んだりしていました。

でも、この頃この対処法を開発いたしました。

会話に割って入りたくて仕方が無い状態がやってくると、私は、相手の話をふんふん聞いているふりをしながら、「また『途中で喋りたい天使』がやって来たな!よーし今日は負けないぞ!」と、心の中で闘いを宣言します。

そして、友達が語る話を、とにかく最後まで、内容は頭に入らなくてもいいから(特に酔ってるときは、内容は適当でも会話ってつながりますでしょ?)とにかく最後まで、割り込まないで聞く努力に全神経を傾けます。

ようやく友達が、「・・・というわけだったのよ」と会話を切ると、私としてはもう、水の中で息をずーっとガマンしていたかのように、ぷはぁ!!っと息継ぎをして、「よっしゃあ!」と、第一ラウンド勝利の喜びに一人浸ります。

そして機関銃のように思っていたことを話し始めるのです。そういう状態で、第二第三ラウンドも、頑張っていきます。そうすると、時には一回も、「最後まで聞いてよ!」と、怒られずに、または、こゆきは人の話が聞けないんだから・・・と、保護者のような目で見られることも無く、上手く会話できて幸せです。

ただ、かなりエネルギーを使うので、自分が元気な時や、精神的に余裕のある時しか、無理ですけどね(笑)。

by こゆき

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家族の愛情

 
   昨日、あまりにも鬱がしんどかったので、私は妹の携帯にSOSの電話をしました。一人でいると気がめいって、そのうち自殺願望なんかも出てくるし、それを紛らわしたくて薬をたくさん飲んだり、お酒をたくさん呑んだり、こういう日はろくな事をしでかさないというのは、もういやと言うほど自分でわかっていたからです。そんなとき、二人っきりの姉妹の妹と過ごすのが、一番リラックスできるのです。
 
   頼むから遊びに来てーと言いましたら、妹は隣の県の実家に帰っていたので、遅いお盆休み中の父と、母と、妹、その子供で一歳半の姪、愛犬ダックスフント、家族総出で昼からきてくれたのです。

 私はずっと両親と上手くいっていなくて、一方的に避けてきました。子供の頃からの両親からのストレスで、ひどい解離性健忘を起こし、両親に逢うことを拒み続けて来ました。ようやくここ数ヶ月で少し、逢えるようになったのです。ADHDの診断が出た頃からです。先日かかりつけの心療内科でADHDとわかった時、私の場合、家族や友達にすべて話しました。というのは、私は以前から解離性健忘症やパニック障害や鬱で、仕事や家事もできないような状態が何年も続いていたので、ADHDの事も、わかった時点でみんなに話しやすい環境にあったからです。すると両親は、「ひらめきすぎる人々」を読んでくれましたし、HPでも色々調べて、理解してくれたのです。そのため私は、今までとても潔癖症な母に、愚図だ、怠け者だ、やる気が無い、かたずけられない、ミスが多い・・・と言われつづけたことに対する心の傷もだいぶ楽になり、ようやく逢えるようにもなったと言うわけです。今考えてみると、ADHDであるという事が子供の頃にはわからなかったため、親も私を理解できず、私も私を理解できず、やりきれない気持ちが心の病気を引き起こしたという事だと思います。それが自分で理解でき、両親も妹も、「なるほどそうだったのか」とわかってくれたので、お互い楽になり、あえるようになりました。
 でもそうするとこんどは、すごい勢いで両親からのアプローチがあるようになって、ちょっと辟易している部分も実は内心あることを告白しておきます。妹に、もうそろそろ両親も年だから、好きにさせてあげたらと説得され、今のような状態ですごしているのですが。まあそんなわけで、昨日も全員で来てくれたわけです。ありがたい話なのです。

 で、話は戻りまして、昨日家族総出でやってきたのは、無類の片付け好きの妹が、私の家、正確に言うと私と、婚約者のY君の住んでいる家を、大々的に片付けようという計画を立てまして、その第一弾として、収納家具を色々持ってきて、ちらかりにくい家にしうようという事になったからでした。私は片付けができないやつだし、Y君は研究者なので、とても忙しくて家の掃除にかまっているヒマも無く、荒れ放題の家だったんです。そんな家にやってくるたびに、妹は、アレをこうしてこうやって・・・と片付けたくてうずうずしていたようです。
 
 昼過ぎにやってきた家族は、妹の旦那も加わって、台所に収納家具を次々に組み立て、私が乱雑に詰め込んでいた乾物類、食器、引き出物、タッパー、等などを、どんどん収納してゆき、次に居間になっている六畳和室の押入れから、地層のように積み重なって押し込まれていた、私にもわからなくなっている色々を全部出して、収納家具を魔法のように詰め込んで、きれいサッパリ収納してしまい、Y君の書斎の、スーツなどを掛ける家具も大型の物に取り替え、ゴミ袋6つ分ぐらいのゴミを捨て、夜にはすっきりした部屋で、みんなでお寿司を頂いていました。
 
 その間私は、姪の遊び相手と、愛犬の世話をして、ただただ茫然と、素晴らしい魔法を見つづけている状態でした。こんなに片付いたのに、妹と母はまだ気がすまないらしく、もっともっと、お姉ちゃんでも散らからないように、細かな引出し収納物を持って、またやってくると言っています。その際、シールを持ってきて、この引出しは「郵便物」とか、「工具類」とか書いて引出しごとに分類して張ってくれるそうです。そうすればパニックにならずに、これはここへ・・・と、ひとつひとつ拾ってでも片付けられると、ADHDのどなたかのHPに書いてあったそうです。確かにそうしておけば、どうやって片付けていいかわからなくてほうけてしまったりしなくて済みます。私はなんて恵まれてるんだろうなぁと、感謝感謝の一日でした。
 
 そのおかげで、鬱はだいぶ解消されました。薬も確かに鬱には効きますが、やはり愛情が第一、そして、散らかった部屋がすっきりしてストレスが減る事が大切なんだと身にしみてわかった一日でした。そしてこのきれいな状態を一日でも長く保つ努力をしようと、心に誓ったのでした。その誓いが何日もつかは、わかりませんが・・・。
 
by こゆき

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マイナス人間、プラス人間


私の会社には 超やる気無し男がいます。彼は、なんでもかんでもマイナス思考主義です。

どんなものを評価するのも、マイナスコメントです。多分、何かに対してのクレームを言うのは彼を置いて他に居ないと思われる位のすごいケチの付け方をします。そんな彼の周りには、もちろん良いことはあまりおきません。良いことが起きても、良いこととして気が付かず、全てマイナスです。人もあんまり寄り付きません。だって、マイナスな事貰いたくないですものね。

さて、その反対に超プラス思考君も居ます。彼はなんでもかんでもプラス思考主義です。どんなものを見ても、どんな事が起きてもプラスに捕らえます。彼の周りでは、良くない事もそりゃ起きます。でも、その良くない事を良いことに変えていきます。彼は毎日を楽しく過ごそう、良い日を送ろう。明日も良い日にしよう。と努力しています。そんな彼の周りには、人が自然に集まってます。

私は、そんな対照的な二人を見て、大雑把に言ってみると、人には多かれ少なかれ良くない事も、良いこ事も起こるけど、本人の捕らえ方によって、その物事は、良くなったり、悪くなったりするのかもな。と。

私もなるべく物事をプラスに考えてやっていこうと思います。

by ナオニャム


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教師について



私が子供の頃、まだADHDというもの自体が認識されていなかったので、多動で、意識の集中できない子として、注意すべき子とされていました。その場合、担任がそういう子に対して積極的にクラスになじませようと考えていたり、心の行きとどく人の場合なら、何とかなじんでいく事も出来ますが、私の四年生の時の教師は最悪でした。とにかく、少し知的障害のある子、多動の子、引きこもる子、そういった「問題ある子」を毛嫌いし、憎憎しげに見下ろすタイプの人間でした。

そういう教師に当たってしまうと、子供は教育委員会に駆け込むなんて方法も知りませんし、カセットテープに暴言を録音して証拠を残す、なんて言うのも、無理です。親が気付いてやるしかないのですが、私の場合は、徹底的に親にばれないように、平気な顔をしていました。それがばれると、私がダメな子だと思われると思っていました。

家では、さも楽しかったかのように嘘の報告をして、今日は○○ちゃんとあれをして、先生に誉められたとか、理想の一日を語っていました。でも、体重がどんどん減って、流石に不登校になり、ばれましたが。

今ではADHDは教師の間では一般的に知られているようです。私の友達が高校の教員をやっていますが、その人はとても良く知っていました。でもだからといってADHDの子がみんな救われているわけではありません。大人になった今では自分の責任で自分の事をなんとか自立させていかねばなりませんが、子供は無理ですから、もっともっと、親と、教師と、それから地域や、いろんな分野の大人が、感受性豊な心を守ってあげて欲しいと思います。

1番子供に長く接しているのは、最近は親より教師かもしれません。その人が、心を配ってあげてほしいと、強く望みます。私のような、その教師による精神的虐待で、PTSDを引き起こすような子供が、一人でも減るように、願います。そいて、どうしたら良いのかを、もっともっと積極的に、考えていきたいです。

by こゆき

所で、こゆきさんがイラストを描いてくれました。
http://addproject.cool.ne.jp/ousama.html
こゆきさんは芝居に夢中ですが、表現力のある人はイラストなどにも才能を発揮するようです。


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傷ついた羽根


子供のころ、父や母は姉をとてもとてもかわいがった。そして、姉にものすごい期待をもっていた。姉はおとなしいいい子だった。片や、私は、やんちゃで父母の喧嘩の仲裁にわって入るような子供だった。そのことで返って、父母からは憎まれた。

母はよく私をひっぱたいた。よく叩かれたと記憶している。でも、小学校の4年生くらいから私の握力のほうが母に勝ってしまって、殴ろうとする母の手を押さえると母はもう動けないでいた。何度かそういうことがあって、母はもう叩かなくなった。だが、よく文句をたらたらと言われた。

私がADHDだったからかもしれない。母にとっては育てにくい子供だったそうだ。私は、母が子供が自分の気に入った髪形、気に入った服をきていないとものすごく怒ることが大嫌いだった。母とは趣味がまるで違ったからだ。私は母の分身ではない。だから、万年反抗期と言われ続けた。

父は姉の結婚式でたった二人しかいない姉妹なのに「子供の中で一番かわいかった」と号泣した。そういうことが、すべて私の心には傷になった。

今子供を育てながら、そういう風にしないように心がけているものの、子供の眼から見てどうなのかよくわからない。母は反面教師であったし、私は彼女のように子育てしないと思って初めて子供を作る決心がついたくらいだから、私なりの子育てはしてきたつもりだった。

それにしても、私は大人になりきれない大人なのかもしれない。子供のころの傷は去りがたく、いまだに私は父母を受け入れることができない。鬱の私に「もっと元気な声を出せ」と怒鳴る父に「鬱の人にそういうこと言うと、死ぬよ」と言ってしまう。

だが、子供に反逆されると自分の子育てが間違っていたのではないかと、私は自信を失ってしまう。父母たちは何を言われても「またか」くらいに受け流してしまう。私には受け流しができない。まともにくらってしまうのだ。子供を育てるなんてしなければよかったのかもしれない。所詮、傷ついた羽は戻らないのだ。

ADHDがあったから育てにくかったのだろう。そして、今、ADHDをもち、ADHDの子供を育ててみると、なんと辛いことであろう。仕事でかかえてくるストレスと子育てのストレスで私は、もう半分はひしゃげている。傷ついた羽はもうほとんど取れそうなくらいに壊れている。

by musica


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人の心が壊れてゆく?


 最近、人の心に何か異常な変化が起きているのではないかと思えるような事件が続発している。別にADHDに関係があるのではないが、人間全体がおかしくなっているのではないかという一つの考察である。
 
 その一つは育児放棄、虐待など。もともと、親が子供を育てるのは動物の本能であり、鳥類や哺乳類ならば親はときに自分を犠牲にしても子供を育て、その姿はじつに涙ぐましい。種類によっては魚類でも昆虫でも子育てをするが、彼らに思考力や心があるわけではないので、子育ては生物自体に備わった本能なのだと思われてきた。その延長で母性愛も父性愛も心を持つ高等動物の本能だと誰も疑っていなかった。
 
 だが、実は母性愛父性愛も学習によって後天的に獲得する物で、本能ではないという事実が浮かび上がってきた。大脳が発達している動物ほど、本能から学習への割合が増えているらしい。たしかに、動物園で群れから引き離されて飼育された動物は子供を育てることが出来ないのが普通だ。
 
 もっとも大脳が発達している人間においては、育児は完全に本能ではなく、学ぶ物らしい。母性愛も父性愛も学習の結果生じてくるのだと考えざるを得ない。つまり正常に群れの中で学習しなかった人間が親になっても、子供を育てるはおろか子供に愛情を感ずることさえ出来ないケースが増え、たとえば子供を段ボール箱に閉じこめて餓死させた両親、二ヶ月の子供のほぼ全身の骨を骨折させた父親、幼児を蹴り殺した少年などなど。読むたびに心が暗くなる記事がおおい。
 
 各地で頻発している子供の連れ去り事件などは明らかに犯人の幼児性が原因になっていて、それが増えている。また、犯罪の質も刹那的なものがおおくなり、まるで子供が昆虫の脚をもいだりつぶしたりする感覚で人を殺し、集団暴行を加える。
 
 色々原因は考えられる。まず子供自体が少なくなり、育児を間近に見る機会が少なくなった。精神的に成熟しないまま大人になってしまう人間が増えたなどが主因と考えられる。特に日本では大人の幼児化が著しいのではないだろうか。むろん、マスコミの取材の仕方にも問題はあるかと思うが、街頭でインタビューをされた20代くらいの人々のいかにも稚拙な発言など信じられない想いだ。おなじような状況でも海外の同年代の人間達はもっとまとまりのあるしっかりとした意見をはっきり言う。その意見が正しい正しくないは別として、とにかく自分の考えを持っている。
 
 少子化で子供が甘やかされた、豊かになりすぎストレスに耐えられなくなった、子供同士で遊ぶことが無くなり人間関係から学ぶことが無くなった、学歴競争社会のため、人間教育がされなくなった、映像メディアなどが発達しすぎ本を読まなくなった、性的関心ばかり刺激されそれ以外のことを考えなくなったなどなど。
 
 何か都合の悪いことがあると色々その理由が挙げられる。また、今急に日本人が未成熟になったのでも育児問題が起きたのでもない。育児放棄や虐待は日本だけの問題ではなく、むしろ海外の方がもっと深刻だともいえる。
 
 ただ、たとえば日本でアイドルといえばかわいいがキーワードであり、欧米ではセクシーがキーワードだという違いなどがある。昔から言われているように、日本人は性的に成長が遅いのだそうだが、これはたとえば同じアジア人である韓国人や中国人と比べても言える。体の成熟ではなく、精神的な成熟についての話であり、これは寿命が長いからという原因も確かにある。
 
 一般的に動物の幼稚化は人間に限らず生活が安定し生存の危険が少なくなると顕著になるのは常識になっている。ペットの犬猫の行動は、野良犬野良猫と比べても明らかに幼獣的だ。日本の生活がそうなってきたのだと考えれば喜ばしいのだろうが、日本人がそのために未成熟になっているのだとしたら考え直さなくてはならないとおもうのだが。

by ロクスケ

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WingBrainのクリスマスオフ


今日(03/12/20)は、我が家でクリスマスオフをやるということで、前日には、夜中の3時までかかってなんとか掃除をしました。今朝も朝9時に起きて、マッサージに行き、その後皮膚科に行って、帰ってからもあれこれと掃除をして、まるで年末の大掃除と言う感じでした。

ところがです。みなさん曰く「散らかっているが、不衛生な感じではない」と言うことで、はあー、私って本当にお掃除が下手なんだなあって思いました。また、「あの、掃除していいですか」と言う方もいて、普段いかに散らかっているか、想像に難くないところです。(ノ_-;)ハア…

ともあれ、私たちは買ってきたものやら、買出しに行ったもので、楽しいひと時を過ごしました。中には、2時間爆睡の人もいて、「すごい・・・」と私は思ってしまいました。まあ昼間から、アルコールですからね、夜は眠くなるのが普通かもしれません。
人数は少ないものの、今はこじんまりしていて、ロクスケさんを中心に私たちの結束は強いと思います。ロクスケさんの、おじさんギャグが連発してたいへん楽しかったです。

私たちは、次回の出版に付いていろいろと議論をしました。「WingBrainとして、みんなで作り上げた本を作りたい」これが、来年の目標です。WingBrainの委員の人が、それぞれ個性的で魅力的な文章を書くことを、ロクスケさんが評価していますし、私も、みんなでAD/HDのための本を書きたいと思っています。

「ひらめきすぎる人々」の出版から、次回はWingBrain総出で、また新しい本を書きたい。これは夢ではありません。来年必ずや実行したいと考えています。

どうか私たちを暖かく見守ってください。私たちもがんばりたいと思います。おとなのAD/HD軍団の新しい本を希望に今年は構想を練ってみたいと思います。そして、来年。日の目を見ることを誓って。

by musica

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連載 ソーシャルエンジニアリング  1


 
 ネットワークの管理者や利用者などから、話術や盗み聞き、盗み見などの「社会的」な手段によって、パスワードなどのセキュリティ上重要な情報を入手すること。パスワードを入力するところを後ろから盗み見たり、オフィスから出る書類のごみをあさってパスワードや手がかりとなる個人情報の記されたメモを探し出したり、ネットワークの利用者や顧客になりすまして電話で管理者にパスワードの変更を依頼して新しいパスワードを聞き出す、などの手法がある。個人確認が不十分だったり、組織内部での機密情報の管理ルールが不完全だと、この手法によって容易に機密が漏洩してしまう。

 一昨日も「オレオレ詐欺」に関するニュースが報じられていたが、そのうえ口を挟むタイミングを与えず、畳み掛けるように話を進め、“自分はいま非常に困っている、助けになるのはあなたがたしかいない”ことを強調する。彼らの手法は人間の心理の隙をついたものだというのがよくわかった。電話を受けた側はまず相手の切迫した事情が入力されてしまっているため驚きのあまり声をきちんと判断できないに違いない状況に置かれる。電話を受けた側にしてみれば、子どもやかわいい孫がトラブルに巻き込まれたことでまず気が動転する。だけどそこであわてちゃあいけない。冷静に考えると状況の不自然さがわかるからだ。
 
 わたしは常々、このオレオレ詐欺にはソーシャルエンジニアリングの手法に通じるものがあって参考になるなぁと思いながらニュースを見ていたのです。
 
 ソーシャルエンジニアリングは、代表的な不正アクセス手法の1つだ。といっても、いわゆるネットワーク/システム的なセキュリティとは別の次元のアプローチである。直訳の「社会工学」というと何が何だかよく分からないが、要は詐欺、だましの技術といっていいだろう。
 
 例えば電話口で「わたしはシステム管理者だ」「経営陣の知り合いだ」などと身分を偽って、機密情報を知っている人間をだまし、システムに関する情報やパスワードを聞き出したり変更させる。ほかにも、企業が出したゴミをあさって重要な情報を見つけ出す、あるいは警備の人間をうまくいなして企業オフィス内に侵入する、といったあたりが代表的な手口だ。つまり技術以外の手段で、セキュリティ上最大の「ウイークポイント」である人をだまし、警戒心を解かせ、何らかの情報を得ることこそソーシャルエンジニアリングの真骨頂である。

 ソーシャルエンジニアリングではしばしば、自分(だます側)が窮地に陥っていることを訴え、相手の同情を利用して情報を引き出したり、侵入のための入り口を作り出すといった手法が使われる。そう、これはまさにオレオレ詐欺が用いた手法そのままだ。自分が困った状況にあることを訴え、前後関係を確認するいとまを与えずに目的を達成するのである。

 中には、最初に電話をかけてきた人間とは別の人間(共犯)が電話を代わり、それとなく、あるいは凄みのある言葉で脅しをかけるケースもあるという。「相手を助ける」とはベクトルの方向が正反対だが、このように脅しをかけ、いうことを聞かないと不利益が生じると思い込ませるのも、ソーシャルエンジニアリングの手段の1つだ。

 ちなみに、オレオレ詐欺の手口の中でもわたしがうまいなぁと感じたのは、電話の際には決して自分から名乗らないことだ。本格的なソーシャルエンジニアリングでは、まずターゲット企業のゴミあさりをしたり、関連企業に近づいて下調べを行い、ある程度人物名や上下関係などを把握してからいざ電話するものだが、オレオレ詐欺では「おれだよ、おれ」と繰り返す。そうしていれば自然と、被害者の側から「○○かい?」などと名前を確認しようとするから、あとは「そう、○○だよ、○○」などと話を合わせればいい。

 オフィスなどでは「どちらさまでしょうか?」といった具合に相手を確認するものだろうが、自宅あての電話、しかもいかにも親しい関係にあるような人間からの電話で、そのように冷静に確認を行う習慣はあまりないだろう。また、もし被害者が、声が違う、話し方が違うと疑念を抱いたとしても、それをうまく丸め込み、口を挟ませない話術というのも1つのポイントなのだろう。どうあっても疑念を抱かれたのであれば、電話を切ってしまえばいい。ほかにもターゲットはたくさんいるのだから。 そうは簡単にいくかよっていう手段を下に書いておく。
 
ー 以下次号 ー

by はるか

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連載 ソーシャルエンジニアリング  2


 もちろん、対抗する手段は存在する。まず、相手が本当に息子(娘)や孫であるかどうか、本人確認を行うことだ。ナンバーディスプレイを確認したうえで、非通知であれば「こちらから折り返し電話をするから」などといって電話番号をいわせるよう仕向けるのも1つの手である。それを渋るようであれば怪しいと見当がつく。「おれ、おれ」といってきたら、うその名前を挙げてみて、積極的に相手を引っ掛けるのも面白いだろう。いくばくかの金でこうしたトラブルを解決しようという姿勢にはうなづけないものがあるのだが、こうした詐欺にだまされないためにはまず、相手がなりすましを行っていないかどうかを確認することが基本だ。

  一連のオレオレ詐欺を対岸の火事のように思っている方も多いかもしれない。だがこれは、企業のセキュリティ、特に人のセキュリティ意識を考えるうえで、非常に参考となるケーススタディだと思う。

 ソーシャルエンジニアリングはさまざまな角度から仕掛けられる。

 やや大きめの企業であれば、別の部署の人間を装って、いかにも「わたしは関係者ですよ」と振舞えば、相手も気を許し、重要な情報を提供してくれるかもしれない。あるいは「システム担当のものですが、システム変更に伴って動作確認を行っています。ついてはIDとパスワードの確認をしたいのですが……」などと理由を付けて、アカウントを聞き出したり、思いどおりのパスワードに変更させることも可能だろう。

 また、例えば取引先を装って、「(上司の)△□さんにお世話になっている凸凹株式会社の××です。△□さんからあなたのことはよく伺っています。実は、先日いただいた見積もりの書類を自宅に置いてきてしまい、非常に困っています。至急必要なので、お手数ですがかくかくしかじかの番号までFAXで送っていただけませんか?」などといわれたら、どうするだろう? 何の疑いもなく、相手の身元を確認することもなく送信してしまうのではないだろうか? でもこれは、言葉遣いこそ違うけれども、紛れもなくオレオレ詐欺をちょっと変形させただけの手法だ。

 こうした事態を防ぐには、ソーシャルエンジニアリングではどういった手法が使われるか、どんな被害が及ぶのかについて理解を深め、何らかの重要な情報を提供する際には確実な身元確認やコールバックといった手法を用いるよう、繰り返し啓もうするしかない。社員1人1人の意識向上が図られ、業務の際には「いま話している相手は本当に当人だろうか」「この情報は確認することなく伝えてしまってもいいものだろうか」と自問自答するようにならない限り、被害を防ぐことはできないだろう。

 ただ、日本企業の場合は、一連のソーシャルエンジニアリングをやりやすくする強力な小道具がある点が心配だ。それは名刺である。その辺で簡単に作れてしまう名刺1枚を信用してくれる企業の何と多いことだろうと、常々心配になってしまう。実際わたしの経験では、一枚、名刺を差し出して、こちらの意図を告げるだけで、さまざまな情報や裏話を聞くことができるし、某企業ではずんずんオフィスの中にまで入り込むことができた。時には、「すみません、あいにく名刺を切らしてしまいまして……」とかもっともらしく、すまなそうに受付に申し出るだけでも、一切疑われることなく社内に入れてしまったりもした。そんなにわたしを信用してくれていいの?

 と逆に聞きたいくらいだったりもする。(だからといって悪用はしていませんが。念のため)

 けれども、オレオレ詐欺の被害件数は東京都内で約400件(被害相談および未遂を含む)、被害総額は約2億2000万円(7月25日現在)にも上っているなどという数字を見ると、自宅でもオフィスでも、もうちょっとだけソーシャルエンジニアリングに対する危機意識を持った方がいいのではないかと思わされるものだ。
 
by はるか

面白い観点です。詐欺とまでは行かなくとも、あなただけが選ばれた、とか締め切りが迫っていて今だけのチャンスなどという広告も似たようなものですね。閉店セールなどとチラシに書いてあって、急いで買いに行ったら、その店は新装開店して開店セールをやったり、あるいは閉店セールを何ヶ月も続けてその間商品を仕入れていたりして。

急がないと間に合わないという心理につけ込んだ商法です。気を付けましょう。

ロクスケより

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連載 1 僕は子供の国から来た浦島太郎だったのかな


僕は今年の6月で40歳になります。でも、外見はともかく、こころ、というか、僕の人格は、子供のある一時期からまったく変わることがなく存在し続けているのです。

もちろん、社会人として、一度は社会に出た身ですから、経験によって、あるいは職場の人間関係の中で身に付けたスキルというものはありますが、なにせ、不注意優勢型ADHDなので頭の中には、いつでも何かを映し出すモニターがあってファンタジーの中にすぐに入り込んでしまいますし、(いろんなイメージがどんどん形を変えて思いもかけないものに変化するんですよ。まるで、メタモルフォーゼするサイケデリックなアニメーションを見ているようです。)思い付いたら、というのは子供の行動パターンそのものです。

また、自閉っ子ゆえのこだわりもしっかりあります。社会人として働いているとき、自分の奥底に沈めていたはずの幼さが、家にいて、自由に時間が使えるようになって、なぜかゆらゆらと、心の表面に漂い出てきたような感じがします。きっと、我慢したり、辛くても耐えるということに疲れ果ててしまったからなのでしょう。

その証拠に、自宅療養を始めて一年半の間にすっかり堪え性が無くなってしまい、感情がストレートに出てきやすくなっています。朝でも夜でも一人で居られるところなら、よく泣いていますし、(1歳になる愛犬ルナはそんな僕を慰めてくれるので、よく話し掛けていますし、とても愛しく頼りになる存在です。)

最近は不安を感じることが多くなって、家でも、デイケアの最中でも、頓服の抗不安剤が欠かせなくなりました。(デイケア中に悲しくて臥せって泣いてた日もあったなぁ。)

さて、心に秘めた幼さは態度に表れやすいようで、朝晩は布団の中でわけもわからず不安になって泣き、こだわりを妨害されたりすれば、不快になって不満を言い、やりたくないことを強要されれば駄々をこねて自分の居場所に逃げ込みます。これ、自閉っ子特有の反応ですが、それをなかなか人は理解しないんですよね。

そう、なにせ、僕を含めて自閉っ子は、自閉星人なんですもん。地球人と違った生態と文化をもった一種族と考えてもらって結構なんです。(ニキ・リンコさんの受け売りですけど、僕はすごく共感しています。)

で、その自閉星人が何を悩んでいるかというと、年齢と人格の不一致、年齢相応、ということなんです。

ネンレイソウオウ・・・。それって、何なの?年齢にあった言動や振る舞いを表す言葉のようですけど、そんな事、いったい誰が決めたことなんでしょうか?

もし、僕にその言葉を当てはめるとしたら、言動はともかく、振る舞いはソウオウとは言えないでしょう。

僕は今39歳。後4ヶ月ほどで40歳になるにもかかわらず、大人の会話ってできません。子供が喜びそうなことばかりが僕に中には詰まっているみたい。

大人と話すときは、一応大人の顔して話してみたりしますが、子供モードが切り替わらないので、あの人はなに小難しい事、話してるんだろうってな顔して、聞いていたりします。

最近思ったんですけど、今の僕の心境と、玉手箱を空けてしまった、浦島太郎が周りの人と接した時の感じって似ているような気がします。だって、若かった浦島太郎は一瞬にしてお爺さんになってしまったけど、僕は、リアルタイムを生きて来たにもかかわらず、外見は若作りというか、センスのおかしな格好をした40おじさんなんですもん。中身はといえば、10代のころ考えていた事と、ほとんど変わらない事を考えているんじゃないのかなぁ・・・。

そうそう、後は過去の思い出にすがって生きているようなところもあります。だって、就職したとき、学生のままでいたいってとても思いましたし、小学生の頃から、過去に戻りたくて、ファンタジー(雑念)の中に自分を遊ばせてたようなこともありましたし。

気が若い、といえば聞こえはいいですけど、実社会の中で生活するには、不安だらけです。うん、あの、TVでやっている始めてのおつかいの子供たちのように、自立するために乗り越えていくことにはびくびくしています。

どうしたら、楽しく、明るく生きていけるんだろう?、お金の心配は要らないのかな?、一人で寂しくなったらどうしよう・・・。考えている事はとってもレベルの低い事ばかりなんですよね。

でも、反面、のん気に構えすぎてるところもあるんですよ。子供は無邪気で無防備です。自閉星人も同じ…。素直すぎるから、損をしてもどうにもできない・・・。

自分と浦島の事を考えてみたとき、そういえば、自分は年齢の事を考えるのが嫌になってるなぁと思いました。

ここ数年、そんな気持ちになるようになって、去年の誕生日には、年齢をカウントするのを止めようと思いました。今年は39+1歳でもいいのですけど、アフリカだったと思いますが、ある部族は年齢を数えて、ある年齢になるとまた0歳からカウントし直すというのを思い出して、うん、それもいいなぁと思っています。

でも、何でカウントするのを止めたかというと、日本人の寿命は80歳ぐらいですよね。ということは、僕は人生の半分をつまらない辛い事ばかりしていたような気になって、残りの40年分まで灰色に見えてしまうからなんです。

時間の事を考えるのも怖いですよね。そこのない暗闇の中を落ちているような感じがして、それも、どこから落ちたかも知らず、どこまで落ちるのかもわからない…。そんな感じがするんです。

以下次号

By むん


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連載 僕は子供の国から来た浦島太郎だったのかな   2


 
そういえば、小学校4年生の時、ふとした事から死について考えたんです。そうしたら、もどうしようもなく怖くなって、それからしばらく、(結構長引いて4、5年ぐらいそんな状態が続きましたネ。)死を考えると体が痺れたような感覚を覚え、まさにその暗闇の中に投げ出されたような恐怖に苛まれ振るえ慄いていました。最近はようやく、人生恐れてばかりでは先に進めないんだ、ということを体得したからか、そういった死の影から抜け出すことができています。でも、きっと、急に死の宣告なんか受けたらパニックになってもっと死期を早めちゃうかもしれませんね。僕は生きる事に執着があるから、自殺なんかは絶対できないでしょう。

そう、だから、今の子供たちがゲームをやってたりすると、簡単に死ね!とかあいつに殺されちゃったとか言ってるでしょ。僕はそういうのを聞くのがとても嫌なんです。

僕は、甥っ子たちと暮らしてるので、よくゲームの話に首を突っ込んでこれがどうなったとか、話しますけど、死んじゃったとか簡単に言うなって教えています。生きること、死ぬ事の意味や重みについて、感じて欲しいから。

それにしても、浦島は浦島でそんなに悪い事ばかりではないかもしれないです。要は気の持ち様ですけど、気が若いと考えれば長所かもしれないし。体は老いても若い気持ちでいられるって事でしょ。

僕は気に病むタイプだから、なかなか前向きに物事を考える事はできないけど、一応、掲げるモットーは、前向きに生きよう!って事だから、辛い事があっても頑張っていくつもりです。

今、年金の審査中で、何とかもらえるように粘っています。ほんとは不支給の通知も着たけど、でも、僕は挫けずに審査請求を戦います。

僕、思うんです。この病気になる事がなければ(あるいは発見されなければ)、こんなにいろいろと自分で動いて手続きしたり、人とあって自分を主張したり、自分を表現しようとはまったく思わなかったんじゃないかと...。

浦島だって、自閉星人だって、ADHDを始めとする発達障害者だって、そうなったのは仕方のない事。ならば、そういう自分でもできる事、表現手段を探していこうと言うのが今の僕のスタンスなんです。たとえば、デイケアに行って陶芸を始めてみて、やっぱり自分は何かを作ったり表現することが実は大好きだったんだって思い始めています。そして、それは手先の不器用さは仕方なくても表現する事はできるんだという事を知ったって感じです。

ネンレイソウオウも人が作り出したあいまいな基準でしかないわけで、幼い部分があっても、それは僕の個性であって、決して障害にはならないと思います。そして、たとえ後ろ指差して、笑う人がいても、それが自分です。自信を持ったって構わないはずです。だから、そんな自分にも今まで世間に合わせるしかなかった自分が解放されて活躍できる日がいつかきっとくるはずだと信じようと思います。

by むん



大人と子供は何処が違うのか・・・年齢が違うのは実はそれほど大きな要素ではないでしょう。

誰でも生まれてから時間が経つにつれて大人になるはずですが、それは人それぞれ。結局社会にどれだけ積極的に関われるかという事だと思います。30になっても責任をとれない、自分の価値観をもてない子供が居ると思えば、15で十分に自分自身を確立し責任をとれる大人も居ます。

他に子供から大人へ変化してゆく過程で、通常心の柔軟性を失い、みずみずしさを失い、感受性を鈍らせて行くのもやむをえないとおもわれています。しかし、これも人それぞれで、年齢を重ねるに従いみずみずしい感受性を身につけてゆく人も居ます。

年齢を重ねればそれに従い経験を積みスキルを身につけてゆくのも当然だと思われていますが、これもまた全く個人差があり、年ばかり取っていつまでも経験を活かせない人もいれば若いうちから一つの経験から多数を学んで成長する人も居ます。

ただ、それは内面の問題であり、普通は外からは分かりませんから、年齢相応という物差しを基準にするのです。中身はどうであれ、実年齢と外から見える振る舞いが比例していればそれでよし、とされているようで、実際の中身は実はあまり問題にされていないようです。

結局はその年齢であれば当然とれるはずの責任をとれ、その年齢であれば当然確立して居るであろう価値観が認められれば、感受性や柔軟性や好奇心やその他の内面など問題にされません。そのような意味で年齢相応が人の判断基準であるのは当然です。

年齢相応の責任がとれない、価値観が確立されていない理由がADHD、AS、あるいはストレス、躾などどんな理由でも人にとってはどうでも良いことです。年齢相応でなければ認められないのであり、その理由がどうであれその不利益に甘んじなければなりません。

思考がまるでスライドショーのように途切れてとびとびなのは私も、そして殆どのADHDの人も同じでしょう。一つのことにこだわり、自分をその時の状況に合わせられないのはASの特徴でしょう。それでも、人にとってはそんな理由はどうでも良いことで、年齢相応ではないから、一人前として認めない、というじつに簡単なルールでこの社会は動いています。

子供のように柔軟でみずみずしい心を持っているのは決してマイナスではありません。責任を取る、価値観を確立するというのはそれとは全く別のことです。

from ロクスケ


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自分の言葉遣いについて


 昨日、表参道の美容師の友人から「カラーリングのモデルを探しているんだけど、誰かカラーしたい人いませんか?」とメールを貰ったので、自分の友人数人にメールを出してみました。で、その友人たちからの返事で「一つのことに対しての答えは同じでもこんなに違う言葉があるんだ。」と感じました。

 「その日は都合が悪いので残念ながらいけません。もし次もあるならよろしくお願いします。」と言う返事。「カラーはヘナ以外は痛むのでしません」と言う返事。どっちが、自分の運をあげているだろうか?前者のほうだと私は思います。前者は今回は出来なかったけど、また次無料でカラーのものがあったら誘ってあげようと私は思いました。後者は、私が誘ったのもどうでも良くて、「ヘナ以外は痛む」と言っていて、私の友人の美容室のことも暗に「悪い」と言っている?と私にとられてしまいました。そして、今後なんだか誘いたくないなと思いました。だって、なんか自分の美容師の友人もけなされた感じがしたんですもの。これは私の極端な感情もあると思います。でも、これによってよく本に書いてもありますが、1つの事に対しては無限に返す言葉があって、その言葉によって人間関係も、自分の運も良くしたり、悪くしたり。言葉遣いには気を付けないといけないな。と実感しました。

 by ナオニャム


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自分の中にある力を信じること


自分の中にある「力」を信じることはとっても大切なことだと思う。私の周りの人たちで、私のADHDのこと今置かれている境遇について、気の毒に思うのか、「困ったことがあったら、何でも言ってね。」と親切心からか言ってくれる人がいます。

でも、はっきり言ってこういう人たちは本当に頼れません。本当に困って、助けを求めても、自分の立場を悪くしてまで助けてくれる人はめったにいません。大体は逃げていくのではないでしょうか?本当に助けてくれる人はほとんどいない。と言ってもおかしくないのではないでしょうか?はっきり言って自分の家族も頼ることは出来ません。自分が一番誰でも可愛いですからね。

ここで、冷たい態度を取られて傷ついてまたその相手を恨んだりして悪循環に陥るよりも、自分の中にある「力」を信じて、またその「力」を少しずつで良いから強くしていくことに努力をする方がずっと自分を助けてあげる鍵になるのではないのでしょうか?

もちろん、本当に心から助けてくれる人は1人はいるとは思います。でも、それは本当に誰かわかりません。最初から、他人からのその親切心は素直に「ありがとう。」と言って受け止めて、あまりその親切心に頼らないで、自分の中の「力」をまず信じてあげたいとおもいます。少しずつで良いので自分の中の「力」を強くする努力が必要だと思います。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ADHDの疑いのある人

最近 仕事上でお付き合いのある人にADHDの疑いがある人がいます。とても仕事の出来る方ですが、思ったことがすぐに顏にも言葉にも出てきて、相手に不快な思いをさせていることに気がついていません。

もしかして、私も自分がADHDと診断される前は相手にこういう不快な思いをさせていたのかな?と反面教師で見ています。

今自分でがんばっていることですが、今後も思ったことを口にすぐに出さず、 一度心に置くように心がけたいと思います。

自分を不利な立場に自分で持っていったら本末転倒です。


by ナオニャム


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年下の若い上司に教えられること


 私は、勤続25年目になる。同じ職場で、よく続けられたものだと思う。ひとえに、3〜5年おきの異動のおかげだと思っている。

 子供たちが小さいころは、その余りあるエネルギーと多動などに悩まされ、本当に仕事はひとつの部分でしかなかった。それが、

 なんとか子供たちの成長に目鼻が着いたところにやっと自分の人生を手に入れたといって良いかもしれない。

 なんといっても、子供たちがそれぞれに成長し、意見を持ち、考え方もしっかりしてきたことが私を心強くさせてくれる。もちろん、今でも子供の相談には乗るし、できる限りの範囲で私の助力が必要とあれば、それは私に課せられた天命と思って対処している。やはり、軽度発達障害のある子供にとっては、援助ということは必要なことなのだと思っている。

 ところで、私は昨今仕事に夢中である。今になってみると、私の同期生は皆一定以上の職につき、昇進をまったく考えずに生きてきた私は今さらながらにその大きな違いに驚いている。

 そうかといって、私がADHD+LDの子供たちの養育に専念しながら、仕事を続けてきたことに後悔はなく、この歳になってもまだまだ血気盛んに仕事に取り組めることが、私にとって何よりのことなのかもしれない。好奇心が旺盛であり、新しい職場でも何かしら改善をしようといつの間にか私は行動している。それを、認めてくれる上司もあれば、気に食わない上司もあった。

 前職場では、同期の男性が上司だったが、最悪だった。何も認めることができない。ひとつあるとすれば、かれが「遅刻は許さない」と発言したことで、30分早く職場に着くことが定着したことくらいだろうか。

 今の職場では、根無し草のような上司が上級庁から派遣されてくる。ある意味で、しがらみがない分、いい面もあり、悪い面もある。

 今年、私の直属の上司となった、若き女性課長はバリバリのやり手である。まだ半月しかお付き合いがないが、もうすでに彼女がやり手であることがわかる。そして、その課長にこの部分は、いついつの法改正により変わっていますとか、この点に問題点がありますとか、率直にお話できるのがたいへんうれしいことである。私にとって、初めての年下の課長!

 私は、直観力で仕事の問題点を見抜くことができるが、彼女は法的根拠を求める。私に欠けている部分をうまく誘導してくれている。

 また、相手方に対する文書もかなり手が入る。しかし、彼女の手が入ると、なんと緻密に計算されていて、やわらかくまとめられることだろう。

 今まで、年下の上司に教えられることというのは、ほとんどなかった。こういう場面は心の中で設定していたのだが、意外にすんなり受け入れられた。「あ、この人ってできるな」と思うと、自然に心が開放される。できる=私を理解できることなのかもしれない。

by MUSICA


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わたしの知人の場合


 わたしの知り合ったアスペルガー症候群の成人男性のお話をさせていただこうと思います。

 彼がアスペルガー症候群だとわかったのは6年前のことだそうです。今は自分のことをたくさんの人達に話したいと言っているそうで、わたし達情緒障害児の保護者の会にお招きして、お話していただきました。そして、その公演の様子を撮ったビデオをお母さまにお見せして「どうでした?」と伺うと「みんなはどう思ったのかしら?」と反対に質問されてしまいました。「自分の息子がたくさんの人の前でいろんな話をして、それを聞いていた人達がどう感じたかが、とても気になる。」という事でした。わたしにはそのお気持ちがとってもよくわかりました。

 彼は外国人です。イギリス人の時もあればアメリカ人の時もあります。生まれてからお父様のお仕事の関係でイギリス、フランス、アメリカで暮らし、そして今は日本に住んでいます。去年、日本人女性とご結婚されました。
 
 その披露宴の招待状には『わたしの結婚披露宴をしますので来てください。わたしの奥さんとお母さんも来ます。』と書いてあったそうです。

 これは外国的な考え方なのか?障害ゆえのことなのか??結婚式なんだから新郎新婦がいて当たり前なのに、「わたしの奥さんも来ます。」は何か違うように思いましたが、当のご本人は「どうしておかしいの?」と理解できなかったそうです。

 彼は「一人一人それぞれ違う。」と言われるとフラストレーションを感じるそうです。問題を抱えているという意味で言っていると思うそうです。家族には「そんなことない。普通だ。」と言われるけれど、結婚した彼女は違っていたそうです。わかってくれていると思えるそうです。

 アスペルガー症候群の人と付き合う時は「こうだろう。」と決め付けて見て欲しくない。「こう思っているの?」「こう望んでいるの?」と聞いて欲しいと話してくれました。

 奥さんに「聞いてないのね。」と言われる事がある。でも、「聞いていないように見える。と言うべきだ!憶測せず質問してくれれば説明できる。そこでコミュニケーションがうまれる。」と言っていました。確かにそうだと思います。障害に関係なく話し合うことは大事な事ですね。

 彼は「こだわりすぎると両親は心配している。でも、人に害を与えていないなら、何かの役に立つかもしれない。特に辞めることはない。」「他人がどう考えているか知ることは大切。自分の経験を話して役に立ててもらえることはうれしい。」と話してくれました。

by みゆき


 ASの人たちの場合こだわりが強く、理解されにくい面が確かにあります。ただ、こう訊いて欲しい、決めつけないで欲しいというのは誰でもそうだろうし、いっぽう相手にしてみればなぜ自分を理解しようとしないのかという不満をASの当事者にぶつけてしまい勝ちです。
 
 社会の一員としては、相手に理解されることだけを望むのではなく、相手を理解することも必要なのであり、それがASのリハビリの目的といえるでしょう。単に理解してあげるべきだというだけでは足りないと、わたしは日頃から思っています。
 
from ロクスケ


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言葉は言霊


 もう、そんなの知っているよ。と私自身に対しても、沢山の人も思うと思いますが、

 「ことば」はそれを言う人によってすごく意味が変わってくる。

 私は最近、「困ったことがあったら何でも言ってね。」と同時期に二人の年上の女性から言われました。私はこの言葉を言われたときに、片方からはすごい嫌悪感というか恐怖に似た感じを受け、この人を心から信用してはいけない。と思うようになり、もう片方から同じ事を言われたときは、そういって貰えたのがとても嬉しく、安心感さえ抱くことが出来ました。同じ言葉でも、どうしてこう違うのかと言えば、答えは簡単ですよね。その言葉を発した人の心の中身が全く違うからですよね。

 最初の私が恐怖感を覚えた人をAさんとします。Aさんと私の間柄は、私はAさんのお店のお客さんでした。つまり私はAさんにお金を落としていく人です。Aさんは私をお客さんとして繋ぎとめて置きたいが為に、その言葉を発したのでしょうか?お客さんとの間に秘密を持つと引き止めておけるからでしょうか?でもそれは私にとっては逆効果でした。人の噂話もよくする店員さんでしたが、更にこんなことを言われてしまって信頼すると、私の噂話も他でもっと色々話されてしまう。と思ってしまいました。その言葉を、そのお店に行くたびに言われるようになり、私は、距離をおくように今はなっています。品物は素敵なのですがその人に会いたくないからです。

 次に私が安堵感を与えてくれた人をBさんとします。彼女は私のいとこのお嫁さんです。彼女の言葉1つ1つが私にとって、とても暖かく感じられます。彼女の言葉の裏にはAさんのように計算高い感じを受けないのです。本当に本心から言っているのが分かります。彼女とはまだ深い話こそはした事がありませんが、彼女の言葉には利害関係を孕んだ裏も無く、心からそう思って言ってくれて安心したました。

 私は人よりも感情の起伏が激しいです。それに、他人の感情も一緒に影響を人一倍受けてしまいます。他の人からの言葉に含んだ感情を無意識に読み取って影響を受けてしまったと後から思う事が沢山あります。

 言葉は本当に「言霊」なんだなぁ。と思った出来事でした。

by ナオニャム


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ちいさな心


 昨日電車に乗ったところ、小学生4年生くらいの男の子と幼稚園の年長さんくらいの女の子の兄弟がいっしょに乗り込んできた。車内はがらがらであったが、初め、女の子が優先席に座ろうとすると、お兄ちゃんが「そこは止めよう。そこはね、特別な席なんだよ。」と言って、私の隣に腰掛けた。
 
 妹が「なんで特別なの?」と聞く。すると兄は「あそこはね、うーんと、おなかに赤ちゃんがいる人とか、怪我をしている人とか、えーっと、あとは歳をとっている人が座る席なんだよ。」と妹に説明している。
 
 ほのぼのとした会話で、聞いている私もつい微笑んでしまった。内心「でもね、そういう人が来たときに代わってあげればいいのよ。だから座っちゃいけないわけじゃないのよ。」と思ったが、まだこの子たちにはそういう説明は難しかろうと思って黙って聞いていた。
 
 今や、大人でさえも優先席で寝たふりをして席を譲ろうとしない時代である。本当は、優先席などなくて、どの席でもそういう座ったほうがいい人には代わってあげるのが当然のことなのだが、大人のほうがモラルが低下している。
 
 あの子供の親はしっかり育てていると感心した。そして、願わくば大人になってもそういう感覚を維持して欲しいものである。

 地下鉄路線図

 私は東京に住んでいるので、よく地下鉄を使う。最近は、A4判の大きい路線図が広告とともに配られている。ところで、この路線図は色盲の人にわかりずらいということで、新しい路線図の考案を募集していた。うちの息子は二人とも色弱である。色盲や色弱は女親の遺伝子にあり、男の子に遺伝するものである。
 
 うちの子供たちはたまたま二人とも色弱だったが、率としては50%くらいの割合らしい。そんなわけで、この路線図がどう変わるのか興味を持っていた。
 
 ある日、地下鉄にいっせいに番号が振られた。それも線によって初めのアルファベットが違い、駅の順番に番号が振られている。これは、何のためかなあと思っていた。
 
 昨日、新しい地下鉄路線図が駅に置いてあった。手に取ると、すべての駅にアルファベットと番号が付いている。なるほど、これならばどの線なのか一目瞭然だ。
 
 路線図のために付番したわけではないのだろうが、結果的に色盲の人にもわかりやすい路線図になった。
 
 ただ、まだ不満は残る。先日、蔵前と言う駅で乗り換えたら、地下で繋がってもいないしひどく2つの駅が遠いのだ。しかも、行きたい方面によって大通りの信号を渡らなくてはならない。乗り換えにどのくらい時間がかかるのかわからないと、とんでもないことになる。方向音痴の私は、例によって逆方面の電車に乗ってしまい、遅刻してしまうのでタクシーで目的地まで向かうことになった。
 
 東京や大手町なども乗換えが遠くて不便なことが多い。AD/HDの人のためにも「遅刻しないための表示」「方向がわかる表示」をつけてもらいたいものだと思った。

by MUSICA

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言葉による意志の疎通


 文書による意志の疎通を何度か取り上げましたが、それより基本的な会話による意志の疎通自体が近年更におかしくなっているような気がしています。
 
 わたし自身の経験ですが、最近ある大手のホームセンターに行き、幾つかの買い物をしてからプリンターのインクも買おうと探してみました。かなり探したのですが見つからなく、いそぐ物でもないからまたにしようとレジに行き支払いをしながら、そこにいた若いスタッフに「OAサプライは何処にありますか」と訊いてみたのです。まず、OAサプラとはなんですか?と訊き返され少し驚きましたが、それでもパソコン用のプリンターのカラーインクが欲しいのだ、と答えました。
 
 その若いスタッフは場所がわかったらしく、早速教えてくれたのですが、まったく意味が通じないのです。日本人ではないのか、と一瞬思いましたが胸のバッジではそうでもなさそうだし、一緒にいた別のスタッフとの雑談も訛りがあるわけではないのですが、とにかくてにおはおかしく、主語と述語が結びついていないのでまともな文章になっていないのです。レジから見てどの通路を入って、いくつ目の角を右か左に曲がれば良い、と言えばそれでわかるはずです。しかし彼女は、「ええと、そこを入って少し行ってこっちへ曲がって・・」とカウンターから体を乗り出し手を使って示すばかり。
 
 私が「あの3番の通路を入るんですか?」(首を横に振るスタッフ)
「2番の通路ですか?」(頷くスタッフ・・・ああ・・ううう・・と言いながら)
「いくつ目の角を曲がるんですか?」「しばらく意味を考えてから、少し入ってからと答えるスタッフ)
「右に曲がるんですか?」(違うとつぶやくスタッフ)
「左に曲がるんですか?」(頷くスタッフ)

 こんな簡単なことを言葉で伝えられないとすれば、彼女に何らかの問題があるのではないかと思いますが、それほどではないとしても同じような経験は色々なところでします。有名なコンビニ言葉、ハンバーガー言葉など普段まともな言葉遣いをしていない若者がマニュアル通りに話すずれた言葉遣いはもうあきらめています。
 
 またこれも最近の経験ですが、ADSLの接続があまりにおかしくなったのでその会社のサポートに電話をしたところ、出てきたスタッフの言葉が全く理解不能で、自分の言語中枢がどうかしたのかと一瞬思ったほどです。しかし、基本的に彼はパソコンのヘルプをクリックするように、私の話の中からキーワードを探してはそれに当てはまる答えを自動的に引き出しているだけなのだとわかりました。第一、敬語の使い方が全くのでたらめで、自分の行為に対し、「このように答えられていらっしゃるので」と言い、私に対するアドバイスとして「まず最初にやってみるのが良いと思います」式の話し方を主語抜きでするため、結局何を言っているのかがわからなくなるのです。
 
 その会社は急速に規模が拡大し、技術的な電話によるサポートは専門社員では足りないため、外部の人間に基本的なマニュアルを教え込んで行っていて、日本語自体の教育まではしていないのでしょう。そのようなケースは最近特に増えています。
 
 昨日も品物を取りに来た宅配便のスタッフが、中身が機械だと知らされると、事もあろうに「壊れても良いか」と言うので耳を疑いました。「良いわけはないだろう、運送業なんだから預かった品物を丁寧に扱って壊さないで届けるのが仕事だろう」と言ったら、「そう言われても壊れる物は仕方がないから、保険をかけたらどうですか」とのこと。
 
 二の句が継げませんでしたが、時間的な余裕が無く「とにかく気を付けて扱ってくれ」とは言っておきましたが、そのような対応を受けたのははじめてであり、その後、無事についたことを電話で確認するまでその品物が無事についたかどうか心配でした。
 
 言葉に無神経な人間は昔から居ましたが最近どうも増えてきたような気がするのはわたし自身の変化なのか、実際にそうなのかわかりません。ただ、多くの人が私と同じようなことを問題にしているようです。
 
 確かに高校生同士の会話などを漏れ聞いてみるとひどい物ですが彼等に言わせれば、ちゃんとした言葉を話すときは話すとのこと。しかし、実際にはコンビニ言葉が精一杯で、それでをまともな言葉を話しているつもりなのでしょう。
 
 言葉に責任を持たず曖昧に答えるのが礼儀のような風潮が出てきたようなのも気になります。一番気になるのは、例えば訪問の約束をする場合など、〜頃行けるとと思います、などと返事をされるなどで、これは責任を取りたくないのだろうと感じるのはやむをえません。今は予定が決められないので確認して、いついつまでに返事をします、または、会うことは出来ませんなどの明確な返事が必要なのであり、〜だと思いますは答えになっていません。意見を訊いているのではなく、事実を聞いているのです。
 
 結局その時間に会うのだから同じ事だろうと思うかも知れませんが、これは大きな違いがあります。
 
 原因として挙げられているのが、兄弟姉妹が居なくなった、子供同士で遊ばなくなった、親子の会話の断絶(それ以前に親の言葉が貧弱化している)、くだらないテレビ番組、ゲームのしすぎ、メールやチャットなどなどたくさんあります。基本的には人間同士のつながりが希薄になっていると言うことでしょう。会話とは、相手があって出来る物です。相手が居なければ、会話の技術を身につけることは出来ません。
 
 言葉は意思の伝達手段であり、集団生活をする生物である人間には欠かせない技術ですし、また言葉は思考の道具でもあります。まともな言葉を話せない人はまともな思考が出来ていません。文脈の通った、つまり筋道の通った考え方が出来ないのです。
 
 自分の会話能力に問題がないか真剣にチェックをしてみる必要があるのではないでしょうか。
 
by ロクスケ

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理想の上司

今日、私の直属の上司の送別会がある。今の部署に来てから、約7年間、彼女の下で働いてきた。今思えば、子供っぽいところもある人だったが、未診断とはいえADD/ADHD傾向の甚だしい私を、上手く使ってくれていたと思う。

 彼女の、私への指導の仕方はこうだ。まず、何よりも仕事が期日に間に合うこと。翻っていえば、期日までに間に合えば、その間どんな進め方をしても良いということだった。これは、一つのことに集中できない、Aという仕事をやっているうちにBの仕事での案が出てきたり、全く別件で趣味のネタを思いついたりして、その場で手をつけてしまう私にとっては、本当にありがたいやり方だった。
 
 これが、きちんと計画立てて、一つのことをやっている間はこつこつとそのやり方を遵守しなければならない…なんて四角四面の上司の下では、著しいストレスになったことだろう。実際、私用についてもほとんど叱られることはなかった。その代わり、仕事はちゃんとやってね。というのが彼女のいつもの言葉だった。
 
 また、期日が近づいてくれば、段階をおって、あれは出来た?これは大丈夫?と、確認してくれた。おそらくは、私の仕事の能力にある程度信頼をおいてくれていたので、こうした方法をとってくれていたのだろう。
 
 要するに、クオリティの面では信頼しているから、期日までにきちんと仕上げて欲しい、と言うことだ。それさえ守ればいいというシンプルで解りやすい指示。それにはずいぶんと助けられた。
 
 彼女は、時々私の机の散らかり具合に閉口している様子で、実際、そろそろ片づけなあかんよ、とやんわり注意されることがあった。しかし、それも、優先順位の高いものではなく、今のその仕事が終わったら、手が空いたら、時間が出来たらゆっくり片づけなさい。ということだった。
 
 時には、片づけ方を教えてくれることもあった。あっちこっち向いている書類やものを真っ直ぐに揃えるだけでいい。机の横の辺と平行に並んでいれば、ある程度は片づいて見える。また、ファイリングは2種類「未処理」と「処理済み」のファイルをつくって、その中に入れてさらに、買える前に机の中に入れて置くといい。それは「整理整頓」されていなくて良いから、片づいてみえるようにしなさいということである。
 
 私は、出来るだけそれを守るようにした。そうすると、帰る際には机の上が空になるので、片づいているように確かに見えたものだ。私と目の前のノートパソコンを取り囲むようにうず高くなっていく書類や資料の山が限界直前になると、いらないものはそろそろ捨てたら?と助言とも苦言ともつかない風に、注意をしてくれていた。
 
 彼女の中では、私を含むADD/ADHD傾向のある脳みそでは想像もつかないような、敢然とした優先順位があるのだろう。だからこそ、何が一番大切で、何を守らなければならないか、と言うことだけを指示することが出来たのだと思う。
 
 杓子定規のただ几帳面なだけの人ではなかったことが幸いだったのかも知れない。ちょっとした失敗や態勢に影響のない些細なことで落ち込むことの内容、かなり配慮してくれていたのだと思う(彼女自身がおおらかだったかも知れないけれど)こんな上司には滅多と会えないだろう。
 
 彼女に教えてもらった「片づけ方」を実践しながら、さて、どう上手くやっていくか。ひとまずは「美観」と「使い勝手」と「ADD/ADHD者の工夫」のせめぎ合いに、なんとか折り合いをつけるところからだ。
 
    by 小町

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思いやりは想像力から


 よく言われることですが、最近の戦争はゲーム感覚で行われるので無差別大量殺戮になりやすいとのことです。大昔、刀や槍で戦っていたときは相手が目の前で苦しみながら死ぬのを見るので、それが殺戮に自制がかかったのに、今では下で爆弾が破裂することで数十人単位が死ぬのにそれを見ないから、平気なのだという訳です。

 大量殺戮自体は、兵器の能力が上がったからですが個人の感覚の上で、確かに戦争がゲームのように感じられることになったのは事実のようです。なぜこんな事をいまさら言うのかは、それが想像力の欠乏によることと関係があるからです。

 未成年が集団で一人をなぶり殺しにし、やっているときはチョー気持ちが良かったと裁判で言うのは、被害者の苦痛を自分には全く関係のないことととらえ、それを想像する能力がないからです。つまり人間としてはなはだ未熟なわけで、例えば幼い子供が無心にカブトムシの足をもぎ取るようなものでしょう。幼い子供にはきちんと教えないと、動物をいじめることをおもしろがるようなことがあります。あとで物心が付いて、大概はその記憶があれば後悔するのですが、いまその段階に至らないままの10代の幼児が増えているような気がします。

 たとえば子供を炎天下の車の中に閉じこめたままパチンコをやり、子供を熱中症で死なせてしまう親が後を絶ちません。つまり、炎天下の車の中に乳幼児を置き去りにすればどうなるかを想像出来ないわけで、これは過失ではなく、未必の故意による殺人罪を適用しても良いケースだと考えます。

 このようなケースは犯罪だと私は思いますが、いずれにせよ犯罪者の多くには想像力が著しく欠如している場合が多いと言われています。

 つい先日、猛暑の中、都心で40度近い日でしたから、実際歩道の照り返しやビル、車の排熱の中では50℃を超えていたと思われます。その中で、いかれた女、30代くらい?がイヌを連れて歩いているのを見ました。本人はタンクトップでサングラスをかけそれなりに涼しい格好をしていましたが、彼女が引っ張っているイヌは小型で毛むくじゃらの種類であり、むろん裸足です。おそらく卵でも焼けそうな歩道の上で、イヌの体は照り返しもひどい路面から15センチくらいの高さにあり、足の裏は水ぶくれでも出来ているのではないでしょうか。毛むくじゃらで必死にあえいでいましたが、飼い主は散歩をさせているつもりなのかも知れません。

 そんな状態がイヌにとってはまさに拷問だと思いますが、飼い主にはそんな想像が出来ないようです。心理状態としては犯罪者と変わらないのではないでしょうか。

 これは特にADHDなどに関係があることではないですが、いま自分はADHDではないか、ASではないかと言う人たちの話の中には自分のことだけに目を向け、相手の立場を想像する能力に欠けているのではないかと思われるケースが見受けられるのです。というより、そのような人が増え、そのような人たちの何人かがASやADHDと診断されてしまう事があるのではないでしょうか。

 今年の7月5日の朝日新聞の記事では女子大生を殺した通り魔男が自閉症だった、小学生を続けざまに殴って逃げた男が自閉症だった、だから責任能力がないと弁護団が主張したとのことだし、また19日のどう新聞の記事では日本小児神経学会がテレビやゲームのしすぎで自閉症になることはないと発表したとのこと。ということは、実際にテレビやゲームのしすぎで自閉症になると信じている人が大勢居ると言うことでしょう。

 とにかく、想像力の欠如した人間が増え、それが自閉症の増えた原因だなどというとんでもない認識につながっているような気がしてなりません。

by ロクスケ





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秋休み

小学校6年生の息子の宿題で「どうして秋休みはないのかを調べる」というものがありました。そう言われてもぉ〜
「どうして?」と聞かれて「どうしてだと思う?」と聞き返すと
「わかったら聞かないよ。」と言われ困りました。

春休み・・・年度変わりで、書類上の手続きがあるだろう。
      先生の新年度準備のため? 
夏休み・・・暑くて勉強どころじゃないから?
冬休み・・・年末年始で、大人がいろいろやることがあって忙しいから?
秋休み・・・中途半端だから休まない?

運動会や学芸会文化祭など秋は学校行事がたくさんあって学校としては、休ませている余裕はない!ってところかな?(私立の学校などでは秋休みがあるところもあり、1週間程度お休みのようですが。)考えてみれば大人には春休みすらありません。

結局わたしの説明は「学校は3学期で学期の区切りごとにちゃんとお休みがあるから秋休みがあると4学期制になっちゃうのよ。」
「4学期じゃだめなの?」の質問に
「お姉ちゃんの中間と期末の試験が増えちゃう!」と答えると
「休みはうれしいけど、テストが増えるのはヤダ!!!!!」の姉の言葉になんとなく納得してノートにまとめる息子でした。
良かったのでしょうか??2学期制の学校もあるのに。(^。^;

今は地方自治体ごとに、学校の夏休みの一部を10月前後に振り替えたり、開始・終了日をずらしたりする提案がされているようですね。長期休みを分散して、家族旅行の増加、観光シーズンの渋滞緩和などを図るためとか。

仙台市は本年度から市立学校で10月の体育の日の3連休に2日間の休みを加えた秋休みをつくるなど、一部で実践が始まっているそうです。国土交通省などはサラリーマンの有給休暇の完全取得も含めた休日の長期分散化によって、観光振興などで約12兆円の経済効果があると試算。政府は骨太の方針第2弾で「関係府省は学校の秋休みなど休暇の長期連続化や時期の多様化を推奨する」と決め、 文部科学省は各都道府県教育委員会に対して検討を求める通知をしているそうです。

秋休みって必要なのでしょうか?


by みゆき


どうも学校は休みが多すぎると思いますよ。それでなくとも授業時間が減って、学力低下が懸念されているというのに。

昔はエアコンも無かったので真夏に勉強などしていられないという意味で夏休みが長く、冬は寒いから冬休みが長く、学期の変わり目だから春休みがあるという事だったのでしょう。ただ、今は何処の学校もエアコン完備で家にいるより学校にいる方が快適なんじゃないでしょうか。(いや、エアコン完備は一部の私立だけだとみゆきさんに訂正されましたが)
授業時間が減った分、春夏冬休みは短くしても良いし、秋は行楽の季節だから家族旅行かなどのために2,3日くらいあっても良いかなとは思いますがね。どうも休みが多すぎます。

教師もその間何もしないで休む教師と、その間毎日学校に出て補修や教材づくりや家庭訪問などで却って忙しい人も居ます。これも教師の自覚次第でしょうしね。そんな差が出るのも長い休みのせいじゃないかなと思ってます。

by ロクスケ


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★目次★


■ 人の性質について感じたこと
朝、駅で、急いでいるサラリーマンが、チンピラにいちゃもんつけられている場面に出くわしました。肩がぶつかったので謝れとチンピラが言ってました。アホ丸出しだ。この兄ちゃんと思いながら私は電車へ急ぎました。

そんな事と先日の同級生殺人事件や、池田小学校の事件、とかの事についてのテレビなどのコメントを聞いていると、たまに、生活環境が悪かったとか、育て方が悪かったとかって言っているけど、一概にそれだけじゃないのでは。。。?と最近感じます。

一番の原因ってもって生まれた性質なんじゃないのかなぁ?と私は感じます。どんなに、裕福で、親もとてもいい人なのに、とっても怖い人に育っちゃっていたり、貧しくて親もどうしようもなくてなのに、立派に育つ場合もある。もちろん、生活環境、育てられ方も影響はあるけども、もって生まれた性質は見逃しちゃいけないと私は考えています。

だって、ADHDも持って生まれてきていて、それが原因で普通にはそぐわないことが沢山ある。これは生活環境、親のせいなんかじゃない。生活環境、親などは二次的な影響で根本的なものは性質なんじゃないのかな?と私は感じます。

だから、自分の性質をよくつかみ、知っておくと色々なものが見えてくるかもしれないと思う。


by ナオニャム

たしかに性格は環境や躾だけで決まるものではないですね。遺伝子の違いで、危険を好む性格、穏和な性格、辛抱強い性格、飽きっぽい性格などが決まることがわかっています。また、同じ兄弟で同じ環境で育ちながら父親に似るか、母親に似るか、あるいは祖父母に似るかなどがあり、まるっきり違う性格になることも珍しくありません。

むろん、家庭環境が大きく影響していることは間違いありませんが、親にもどうしようもない性格の出来方があるでしょう。どんな性格でもそれを長所としてのばせれば良いのですが。

まず最初に、ナオニャムさんが言うように自分がどんな人間なのかをじっくりと観察することも非常に重要だと思います。

from ロクスケ




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久々に実家に行ってきました  BBSより筆者の承諾を得て転載

 私が来ると言うので、嫁にいった妹も戻っておりました。まぁ久々でしたので、それなりに楽しかったです。それでも、やはりトラブルメーカーの私の事、ひと波乱ありましたよ(ーー;)

 何をするかしないかは忘れてしまいましたが、何かを、するのしないのと言う話になって、私が妹に「そんなのあんたやんなよ」と言ったところ、カチンと来たらしく、「お姉ちゃんは頭と口は使っても、身体は動かさない!動くのはいつも私」などと言い出しまして、「動けるなら、私の事だからすぐ動くわいっ!今現在、この中で、一番早く動けるのはあんただけでしょう。効率良く終わらせるには、私が動かない方が良いのよ」と返すと・・・。

 「お姉ちゃんは、昔からそう!私ばかり使いっぱしりさせて・・・」

 本当は、母に動いてほしったのだが、(なぜなら、母にたのめば、私とはツーカーで二人三脚の様に二人で上手くふるまえるから)今回の問題は、母に基礎知識が無く、それを教えるのに時間が無かったのでした。(なにしろ次の日の夕方には、戻らなくてはならないし)

 さあ、こうなるとお決まりの姉妹喧嘩。私の旦那のごとく、融通のきかない堅物なくせに、思い込みの間違った知識を脳味噌に刷り込んで、私に対抗しようとする。とんでもない攻撃に出る妹!!!

 売り言葉に買い言葉で、私はかねてから使ってみたい衝動にかられていた台詞を、ここぞとばかり言ってみました。

 「あぁ〜。そうですとも!あたしゃADHDっすから。怠けモンなんですよ。あたしの使い方も分からんくせに、私に使われてるとはなさけない。そんなに使われたく無いのなら、もっと新聞とか読んで知識を入れなよ。」そして、私が想像していた台詞が、妹の口から出たのです。

 「そうやって。自分の都合が悪い事になると、そのADなんとかってののせいにして、逃げるんだから!」
 母もそうとう腹がたったらしく。
「お前は、もともとそんな台詞を言う子じゃなかったのに!診断されたからって、いい気になっているんじゃないの?お前は以前のお前と随分変わった!」
(あのーっ変わって無いです。素直に本音を言える様になっただけです。従順なフリをしなくても生きて行ける様になっただけっすよ〜)

 私は、もう心の中で大笑い。人を試すもので無いのは分かっていたのですが、臨床実験は流石に他人では出来ませんから、母と妹には悪かったですけれど、モニターになって貰いました。(本当、ごめん)

 ・・・結局。二人とも、何一つ勉強していてくれて無かったのです。あれ程、トラウマ治療の話、心療内科の話をしたのに、全く、気にしていなかったのです。私の戯言にしか聞いていなかったと言う訳なのでした。私自身が、ADHDを理由にして(と言うか利用して)上手く妹たちをこき使うと思っている様子でした。
 
 ちなみにこの戯言とは・・・。次の様な事です。

 占い好きの私が、「あのねー。この間占いしてもらったら、私ってば、養子の相らしいよ〜。んでもって、先生って呼ばれる仕事が向いてるらしいよ〜」とか。

 「最近の戦隊もの番組は良く出来てるよ!もう変身グッズも買って、子供と変身ごっこしているよ」とか。

 このレベルの話と、一緒にされてしまいました。
それよりも、妹には、弟にされたDVの話をとうとうとされ、どんなに妹が苦しんだかを聞かされました。
(あえで反論すれば、私が上京する時、弟に対して、して良い事と悪い事を教えたのに、もちまえの正義を振りかざし、言われた通りにしなかったからなんですがね〜。弟は私そっくりなんで〜)
 
 主人にも、そう言う気持ちがあるらしく、自分達は私にサポートしてほしい、でも私は何でも出来るからサポートしてあげないよ。と言う意見が三人の意見の様です。

 やっぱり、今まで通り、自力でリハビリしていかねばならないのだな〜と実感した日なのでした。

 ところで、私がカミングアウトをした理由ですが、診断がついた当初は、自分が何者かが分かって、つい嬉しくて、カミングアウトしたのですが、母も妹も、私の知識に頼りきってしがみついていましたから、その頼りにしていた人物が障害者だった。と言う事を今も受け入れたく無いようです。

 私の見る限り、一家の大黒柱が急死して、うろたえている家族。みたいな感じに見えます。

 私の家族の場合、私が色々出来てしまうと言う事は、水鳥の足の様に水面下で必死で動かした結果であると言うのが理解出来ない様です。確かに、私は普段からダラダラしているし、猛勉強した事も無いので、学歴が高いのは、ごく当たり前で自然な事だと考えているみたいです。(そんなに生まれ付いて頭良かったら、もっと良い学校出たと思うけれどなぁ・・・?)

 兎に角、母も妹も主人も、自分が考えているよりも早く、対処方法を考え付いて実行してしまう人(私)を、どうやってフォローするのか?と言うのが理解出来ないのかな?と思います。

 以前にも書き込んだかも知れませんが、私の好きな科目は数学。でも、掛け算九九を暗唱する事は、今も昔も出来ません。

 私を理解してくれる人は、それを見込んで、自分の出来ない事を私にしてもらうかわりに、私の出来ない事をしてくれます。

 理解してくれない人は、私が彼らを誰にでも出来る単純作業をさせて、こき使うと思うらしく、ひどい反発をします。

 家族が後者であったのは、その時はとてもショックでしたが、私が今まで通り、水鳥の足をやっていれば嬉しそうにしているので、まぁそれでも良いかぁ〜と思っております。

 今回の私のした学習は・・・。
『相手から、「あのね。最近、ADHDって言うのを知ったのだけれど、あなたもしかしたらADHDと違う?」などとか、持ち出されない限り、更に持ち出されたとしても、よくよく話を聞き出して、相手があまり勉強していないと判断した場合は・・・絶対、カミングアウトしない事』
(これじゃ99%出来ないなぁ〜)

 それにしても、つくづく、理解の無い家族、協力してくれない家族って恐ろしいものだと思いました。


by 怜緒


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自分の生き方を曲げない人々


 先達、病院の大部屋でけたたましい声が続いた。何事かと思うと、泣きながらナースステーションに駆け込む女性がいた。
 どうも、隣のおばあさんにさんざん、嫌味を言われたらしい。「貴女が薬を夜中にもらいに行くので、夜眠れませんでした」とか、「貴女のいびきのせいで、昨晩は一睡もできませんでした」とか、ともかくぼこぼこに言われたそうだ。彼女は「私だって、あんたのいびきで一睡もできなかったことが、何度もあるのよ、何言ってるの!!」ととうとうぶち切れて叫び、その人はくるりと反対側を向いて「あらそう。私がすべてわるうござんした。」と言ったらしい。もともとその人を気に入っていなかったおば様も「言葉が過ぎるんじゃないの!彼女がかわいそうじゃないの。ここは集団生活なんですからね。何でもあなたの言うとおりのわけには行かないんですよ。わかっていますか?」と怒鳴ったそうだ。
 私も、その方に「近頃の人は(私はもう近頃の人ではないのだが)ろくに挨拶もしない」と聞こえみよがしに言われ、それ以来頭を深々とたれて、『おはようございます』『おやすみなさい』などと、かなり気を使って挨拶している。結構くたびれるものだ。
 
 実は、ナースたちも困っているという話を聞く。結局、若い子は一度退院し、すぐに別の大部屋に入った。

 最近入ってきた人は、どうも強迫神経症なのか、それプラスなにか病気があるらしく、ナースには存分に悪態をつくが、患者には「よ、よろしくおねがいします。まだ入ったばかりなので。あ、あのー、僕が何か変なことをしたらすぐ言ってください。止めますから。あの、握手していただいていいでしょうか?あ、じゃあ、僕部屋に帰って勉強してきます。」といいつつ、5分もかからずに帰ってくる。
 
 この言葉を入院以来えんえんと発している。多くの患者がナースと主治医に「困っている。迷惑している。あのナースへの切れ方を見ると、患者に逆転したときに怖い」などと訴えている。患者には嫌われたくないらしいが、余計やぶへびになる。この間の休日には、私の主治医が宿直だったのだが、ナース・患者ともども疲れてしまって、とうとう昼間に睡眠剤を飲ませたらしく、平和なひと時があったのだが、夕方には目が覚めて、翌朝、毎日の恒例のナースステーションでのナースとのやりあいで、多くの人が起こされた。そのあと、謝って歩く。衝動性が高いのだろう。AD/HDをともなう、IQ境界例のアスペルガーかなと思ったりする。人の気持ちがわからないらしい。

 こういう人たちは、自分の生き方を変えようとしない。反省とか、向上心とかといった言葉と無縁なのでは?と思ってしまう。でも、病気だから仕方がない。そうなんだろうか?

 前に入院した大部屋で、8人部屋に入ったとき、この部屋の多くの人のレベルに合わない患者さんが1人いた。統合失調症で、朝から晩までしゃべっている。もちろん夜中もだ。だから、他の患者はなるべく土日は家に帰るのだという。
 
 私は驚愕した。皆に、どうしてナースやドクターに訴えないの?と聞いたら、「何度も何度も訴えたのよ。でもだめなの。」とのこと。私は主任ナースを、廊下でつかまえた。「あの人は何とかならないのですか?」「彼女も患者さんですから」「それはそうですが、他の7人の人々も患者さんだと言うことを理解していますか?一人の患者さんのために他の7人が『良くならない』と言っている現状を認識していますか?」と迫った。
 
 主任は、プウッと行ってしまったが、その後何分かして、ナースと先生で話し合ったのだろう。いきなり、その患者さんの周りを囲っていたカーテンをすべて取り外し(ベッドの上にもカーテンが乗っていた)、引っ張っていってどこかに連れて行った。部屋では、「貴女ってすごーい!!」と感激されたが、その患者さんは結局個室料金が払えないのだろう、ナース室のまん前の廊下に置かれた。これでは、見世物じゃないか。私への面当てか、それとも本当にここしかないのか、私にはわからない。軽い程度の患者が入る開放病棟なのだ。もともとこの病院にいることが無理な重症患者なのだ。

 やはり、病院は難しい。あんまり休まらないことも今日帰ってきてわかった。昨日の晩は、薬も飲み忘れて自分のベッドでぐっすり夜中の3時まで寝てしまったのだ。

 以上です。無理を言って、閉鎖病棟を拒否する人は多いのだろう。でも、結果的に開放病棟の人はそういう人がいることで、疲れてしまうんです。

by MUSICA



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文書による意志の疎通 2



 このテーマについては、59号でも取り上げ、そのことに関して文書での意志の疎通が我WingBrain委員会でも話題になっており、少し前のことですが、佐世保で起きた小学生の11才少女が12才少女を殺害したという痛ましい事件の発端がチャットであったという事もあり、多少前回と重なる部分があるとは思いますが、補足として書いてみた次第です。

 文書での意志の疎通というのは、元来私たちが考えているほど簡単なことではありません。まずその認識を強く持っておくことが必要だと常々思っています。

 人間の意志の疎通は、本来表情やジェスチュアが基本だと考えられます。哺乳類も大分進化した段階になれば、表情、仕草、鳴き声で意志の疎通を図れるようになり、人類も最初はそうだったはずです。

 その後言葉が発生し、言葉による意志の疎通を図るようになりましたが、考えてみるとこの面と向かった会話でさえ意志の疎通がうまく行かないことがあります。音声による言語で意志を伝えあうのは、人類と一部の鳴禽類といわれるさえずる鳥、それと一部の動物など、結構居ますが、なにより人類ほど複雑な言語体系をもっている存在はありません。それだけ複雑な言語体系を支えるのは音声だけでは足りず、やはり音色、表情、ゼスチャーが補助手段としてあることが前提です。
 
 つまり、文字は言語体系を支えるようには出来ていないのです。

 まして、長い数十万年もの人間の歴史から見れば書き言葉で意志を伝える方法が出来たのはほんの一瞬前のことであり、本来文書は意味の伝達手段でしかないと理解すべきだと思います。意志、あるいは感情の伝達は文章では本来不可能なのであり、文章を読んで読者が持つ感情は、あくまで読者側の要素によるのです。

 私たちが会話で相手を理解するのは、相手の表情、仕草、声の調子などの要素を意識せずにかなり多くとりいれているからです。家で滅多に口を利かない親父が親父らしいと言われてますが(確かにぺらぺらしゃべるまくる駄洒落親父はうるさい)それは、それまでの親父に対する知識、親父の表情や仕草で納得しているからです。
 
 むろん内容によりますが、普通のおしゃべりではかなりお互いの言葉をいい加減に聞いていて、互いの表情、雰囲気を確認し合っているケースが多いのだそうです。たしか、バーナードショーの逸話だったと記憶してますが(作り話かも知れませんけれど)あるパーティーでホストを勤めたとき、彼は来客一人一人とにこやかに握手を交わしながら、「今日、妻の母を撃ち殺して来ました」と言ってみたそうです。しかし、それに気づいた客はほとんど無く、「それは結構ですな」などの返事が返ってきたとのことです。但し、一人だけ「それは自業自得でしたね」とにこやかに返事をした客が居たとも書いていました。

 私たちは感情や意志の疎通を表情や仕草だけで外国人、赤ん坊、時には犬や猫ともかなり正確に交わせます。しかし、それらを全く使わずに言葉だけでやろうとしてもそれは不可能です。文書は問題外です。

 今回の佐世保の事件は、チャットで悪口を言われたからと言うことらしいですが、勿論私たちは大人であり、普通ののチャットやメール、BBSなどの言葉を理由もなく悪意に取る事はないでしょう。ただ、潜在的な感情のへこみや傷つきはあるかも知れません。それと、現実にメールやチャットでトラブルに発生するケースは大人同士でもかなりあるとのことですから、やはり普及している割にメールの交換で意志の疎通を図る方法に多くの人が馴れていないのでしょう。あまりに急速にこの方法が広まったからだと思えます。

 ある人が、私の記事を読んで、指摘=叱責と感じ、上から言われると受けとる人は疲れてしまい、仲違いをすることになるのではないか、と言っていましたが、そのようにしか受け取れない人は、結局自分で自分の道を閉ざしていると思えるのです。そのような人に対しては、メールを送る方も嫌気がさしてくるでしょうし、いちいち言い訳をしながら要求をしたり反論をしなければならないのであれば、自然に疎遠になることもあり得ます。

 ただ、どんな人でも常に平常心であるわけではなく、他のことで不機嫌なときに書いた文章の中にもしかしたら毒が入っているかも知れません。それを自覚したときはメールを書かない、メルマガ記事を書かないで済めばいいのですが場合によってはそのようなわけには行きません。

 伝えるべき時は、自分の感情はどうあれ、メールも書かなければならないのであり、今凹んでいるから、疲れているからメールは書けないといえないはずです。仕事上でメールのやりとりをすることは今は普通にあるからです。

 そのような場合、もしかしたら知らない間に不適切な表現があるかも知れませんが、その感情は決してメールの相手に向けられた物ではありません。

 何かメールの内容に問題があると思えばそれを素直に訊ねた方がよほど発展的だと思います。それと、基本的に文章で感情は伝えようと思わない方が良いと言うことです。言い換えれば、嬉しいときは’嬉しい’、ありがたいと思ったら’ありがとう’と書けばいいし、いやな奴だと思ったら’お前のこんなところがいやだ’と書けばよいわけで(じっさいそんなメールが来たらどうしよう)、それ以外はとにかく相手は悪意を持っているのではないという前提で読むしかないでしょう。
 
 今、若者の言葉が乱れ、まともな言葉遣いが出来なくなっているとの問題(一部の人たちのことでしょうが、確かに言葉に対する感性がほとんど無い人たちが居ます)や文字離れの問題が、人間同士の意志の疎通を非常に困難にしてきていると言われています。人々が昔より孤立し、意志の疎通、むしろ感情の疎通がうまく行かなくなっているので、今回のような事件が大人同士でも起こりやすくなっているらしいのです。
 

by ロクスケ


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腑に落ちない話


 今日は、喫茶店でどうもわけのわからないことを言われました。
 
 松山市の郊外、国道11号線沿いにしゃれた造りの喫茶店「K」があます。一見すると木造りの山小屋ふう、広い駐車場を持ち、茶色い屋根に白い壁、エントランスには花壇が配してあり、きれいな花が道ゆく人をさそいます。店内にはいると高い天井と、天窓からの自然光が開放感をかもし出し、いつも軽快な音楽が流れています。客席は多くのブースに分かれており、木のテーブルにはシェードランプが置いてあります。
 
 他のグループの視線を感じずに個室感覚でお茶が飲め、落ち着ける雰囲気があります。しかも実家からゆっくり歩いて15分、散歩がてらにいくのにちょうどいい距離、つまり僕にとって、なかなかすてきな喫茶店なんです。そういうわけで、先々週と先週、今日と3回足を運びました。
 
 自宅の二階に閉じこもって仕事をしていると、気が滅入ることがあるので、気分転換です。図書館で借りてきた本とノートパソコンを持って、2時間から3時間ほど使いました。朝から2時のあいだはモーニングタイムで、ドリンクと軽食セット料金が安くなります。また6時から8時の間はイーブニングタイムで同様の割引があります。僕はダイエットをしていることもあり、何も食べる気はないので、3回ともそのサービス時間帯をはずして行きました。
 
 そうはいうものの、ブレンドが一杯税込み460円。今日はダージリンティーを注文して530円。けっこういい値段です。店内にはほとんど客がおらず、話し声も聞こえません。今日は4時から6時までいました。ノートパソコンで文章を打っていたんですが、バッテリーがなくなり、その続きは、スケッチブックを開いて、鉛筆で思いついたことなど書き込んでいましたた。
 
 で、レシートを持ってレジに行き、お勘定ということになったんですが、ここからが本題です(前置きが長くてすみません)ひげを生やし、長髪で40代くらい、痩せた体型の店長が、いらいらした口調で「あんた、ここでコレやるのやめてくれんか?」そう言って両手を広げ手のひらを下にして、痙攣発作がおきたてんかん患者のように、指をひょこひょこ動かしたのです。
 
「あの、パソコンってえの、うちは事務所じゃないんやからね。あんたがあれやって
ると本当に雰囲気悪いんや」僕は一瞬あぜんとしたんです。いままで喫茶店でそんなこといわれたことが一度も、なかったからです。「ガキじゃないんやからね、言わんでもわかってると思ってたんやが、はっきりいわんとあんたはわからんようなので言うんや」わかるわけない。店内にパソコン持込禁止の張り紙でもしていれば別だが、僕はそう思った。何もうるさい音をたてているわけではないのに、何が問題なのだろう。しかしこの男には何を言ってもむだなような気がした。要は嫌われているのだ。「はあ、じゃあ、読書はどうなんですか。本を読むのは」

 僕がそう切りかえしたのは、この店長の考えている常識とやらが知りたかったからだが「本や雑誌ならそこになんぼでもおいてあるやろう、あれなら全部よんでもかまわへん」そういって店長が指差したところには、週刊誌やスポーツ新聞、マンガ単行本が山と積んである棚があった。
 
 僕はバッグからフロムの『資本主義社会における人間』にしおりが挟んである、8ポイント上下二段組み全557ページの活字がぎっしり詰まった、中央公論社の世界の名著第76巻を取り出し、「僕の読みたいのはあんなしょうもないくそ雑誌じゃなくて、心理学や、哲学、芸術に関するこういった本なんです。といってもあんたの腐った頭では理解不能でしょうがね」と、のどから出掛かったその言葉をぐっと押し込みこらえ、「はあ」と気の抜けた返事をした。
 
 「とにかくパソコンやったり書き物したりやめてくれんか。そんなんやりたかったら、この辺には店がなんぼでもある」そう言って店長は右手を大きくぐるっとまわし、かなたにある別の店を指示しました。僕は千円札を渡し、おつりをもらうと右手に握り締めたまま「わかった」と小学生のガキのような返事を発して、茫然自失状態で店を出ました。
 
 以上がいきさつです。
 
 田舎の喫茶店では、一人で長時間ねばる客は、得体の知れない存在として感じられるのだろうか。この店長の常識では、パソコン持込禁止、本持込禁止、常に二人もしくはそれ以上で来店して世間話を談笑し、店内常備の週刊誌、スポーツ新聞などを読んで時間をつぶし、きりのいいころで勘定を済ませて出て行く、それが客だ。
 
 ひとりでふらっとやってきて、わけのわからない本を読んだり、パソコンをテーブルの上に広げてキーをたたいたり、他の客と違うことをしながらも、そのことをまるで気にも留めず、没個性的な作業に没頭するやからは客ではない。店の雰囲気をぶち壊しにする、なにか理解不能の魑魅魍魎のたぐいだ、ほってはおけぬ、許しておけぬ、警察に通報しなくては。そういうことになるのだろう。
 
 皆さんはどう思われます?僕はけちがついたあの店には、もう二度と行きませんが。

by mogurin

 私も喫茶店でそんな訳のわからん文句をつけられたことはありませんね。私も昔喫茶店でノートパソコンをぱたぱたやっていたことはありますが、そんな馬鹿なことを言われたことはないですよ。

 喫茶店とは、単にソフトドリンクを飲みに行く場所なのではなく、時間と空間を買う場所です。他者の迷惑にならない限り、粘るのは別にかまわないと思うんですが。むろん、門前市を為して客が押し掛けているような喫茶店で何時間も粘るのは遠慮した方が良いでしょうけれど、空いている時間に空いている席で時間をつぶすのはかまわないと思うんですが。

 思うにその髭親父は

1)自分がパソコン使えないのでパソコンをやる人間を生意気な奴だと反感を持っていた
2)パソコンアレルギーで医者からパソコンの3メートル以内に近づくなと言われている
3)mogurinさんに似た男に、昔彼女を寝取られた。その男はパソコンを教えると言って彼女に近づいた。
4)女房が朝から晩までパソコンに夢中でかまってくれない。
5)髭親父は、全日本喫茶店内パソコン使用禁止連合会長だ。
6)むかしパソコン販売店で働いていて、客の質問に何一つ答えられず、店長にいつも怒鳴られていた。
7)道路を通行中、ビルの屋上からパソコンが落ちてきてもう少しで死ぬところだった。
8)喫茶店組合の寄り合いでパソコン会計をやっていないただ一軒の店だと知られ、みんなに馬鹿にされている。
9)なにがなんでもパソコンが嫌い。

のいずれかが理由として考えられます。

まあ、行かないに越したことはありませんね。

from ロクスケ


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一部の人格障害者との疲れるやりとり



私はまだ、入院してます。おととい、私とカラオケに行くことになったMさんは、私がお金などをとりに行っている間に、Sさんに「あの人とあんまり付き合わないほうがいいわよ。」「第一私と一緒なら全部おごりじゃない。」「あー。でももう約束しちゃったから。」と言うことがあったそうで、タクシーの中でMさんにそう言われました。で、二人で塩タンを食べながら「なんで、彼女と行くとただなの?」と聞いたら、「彼女はもともと閉鎖恐怖症があるらしくて、(これもうそ)訓練のためにカラオケボックスに言っているのだって。だから、どうせ自分のために行くし、私は障害者年金だけで子どもも育てているからとのことで、おごってくれるのよ。」ふーん。障害者年金だけで暮らしている割に、ビトンのバッグ、最新の携帯かあ?

 世の中よくわからんね。そして、私たちの行ったカラオケ屋に、何分後かしてSが来たんだよ。なんでー!?人に豆腐頼んでおいて。もちろん一緒にはならなかったけど。

 で、まあその日はSさんに頼まれた、カラオケと反対方向の99円ショップに行って、彼女に頼まれた豆腐3丁とSさんは豆腐一丁、私は買いたかったものがなかったので、つまらないものを買って帰りました。帰る途中,Mさんは吐きそうになり、抱えながらやっとの思いで帰りました。

 そうしたらSさんはもう帰っていました。「あら、悪かったわね」だって。「悪いわよ、あなた、自分のものくらい自分で買いに行けば!?」と内心思いました。

 翌日、Sさんに直接「あの、聞きたいことがあるのだけれど。」と言って「昨日Mさんが(上述)言っていたのだけれど、それってどういう意味かしら?」と聞いたら横を向きながら「あら、私そんなこと言ってないわ。Mさんが確かに言ったというのなら、後で確かめておきますから。」とぶっきらぼうに言いました。

 今日、私が洗濯を終わった後、出そうと洗濯室に行ったら、助手さんが「MUSICAさん、Sさんが間違えて水入れちゃったのよ。脱水するの待つしかないわね。時間食っちゃって、悪いねえ、MUSICAさん。Sさん、なんで洗濯機の中が空かどうか確認しないで入れたのよ。」と言ったら、「だって、名前書いていないんだもん。」とかぐうたら言った挙句、「あのこの洗濯代の150円は誰が払うんでしょう?」助手さんも私も呆れて、「当然間違えて操作した人でしょうね」と言って去ったのですが、そうしたら助手さんが呼びに来て「Sさんが絞っているの、ちょっと来て!!」と言うので行ったら、私の洗濯物を一枚一枚手で絞っているのです。はー。やっぱ人格障害は手ごわいわ。

 「あのね、どうしても150円払いたくないの?」と聞くと「そう」。でも私手絞りなんて嫌だわ。あなたが間違えたんだから、ちゃんと責任とってよ。」と言ったんだが、絞る手を止めない。とうとう、ナースステーションに駆け込んで、手短に事情を話すと、主任さんが飛んできてくれて、「Sさん、なにしているの。自分が悪いんでしょ。あんた金がないからなんて言って、150円が惜しいなんていってカラオケ行っているでしょう。だめよ。非常識です。」と、30分以上に渡ってお説教してくれたのですが、どうもわかってないようで。

 で、私の洗濯は、なんと「雑巾洗い」のバケツに入れられていたので、主任さんがSさんから150円を取り上げ、もう一つの奥の洗濯機で再度洗いました。その後も看護婦さんはかなりお説教していたけれど、自分は悪くない、と思っているようです。

 私の精神状態は最悪です・・・。精神病院で治療するのは、無理かもしれない。

 by MUSICA

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愛される理由?


あなたは、動物や子供にじーっと顔を見られたことがないだろうか。あるいは見知らぬ土地や電車の中で、突然知らない人に話しかけられたり、親切にされたりしたことはないだろうか。

 実は、私には結構ある…というか、日常的にこういう事が起こるのだ。例えば、私の自宅のご近所は犬を飼っているお宅が多いのか、通勤の行き帰りに犬を散歩されている方が割に多い。可愛いねーと想いながら目を向けると、あのつぶらな目がじーっと見返すのだ。すれ違ったあと、振り向きながら歩くワンコさえいる。
 
 犬に限らず、散歩中の飼い猫も野良猫でさえ、こちらが見ていることに気付いたら、私の顔を凝視する。警戒のためではないことはその雰囲気からわかるので、しばらく見つめ合ってしまうこともしばしばだ。これは、赤ちゃんや小さな子供にもいえることで、電車の中、街中、ふとした拍子に目があった子供たちは、じっと私の目を見返して、時には手を伸ばしたり笑いかけたりしてくれる。
 
 こちらが笑顔になったり手を振ったりすると喜んでくれるし、もちろん悪い気はせず、とても嬉しい気持ちになるのは間違いないのだけれど。どういったわけか、友人たちの間でも、こういったことは私だけのようだ。自慢ではないが、比較的コワモテと評される私の外観からすると、警戒したりひるんだりしても良いようなものだが、そういったことはほとんどない。

 さらに、とても気さくに話しかけれられたりするのは一体どういう訳なのか。例えば数人で遊びに出かけていて、シャッター押してください、といわれるのは何故か決まって私だし、新幹線の中で突然隣の人に話しかけられるのも私である。

 動物や子供に好かれるのは、きっと同じ生き物だと思われているからだとか精神年齢が低いのがばれるのだとか口の悪い友人たちは冗談を言うが、全く不思議で仕方がない。嫌われるよりはずっといいしもちろん嬉しいのだが。よく、動物も子供も自分に向けられる愛情に敏感だと言うが、一概にそれが理由とも言い切れないから、いよいよ不思議である。

 何故か私の面識のあるADD/ADHDの方には、私のように小さな子供や動物に愛されるタイプの方が意外に多い。これは、ADD/ADHDの方のある種の特殊能力ではあるまいか、と最近半ば冗談で疑っている次第である。

 by 小町

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思ったことを何でも言う子


 先日来年社会人になる子と話をする機会がありました。
 
 その子はとにかくハイテンションで自分の心の中で思ったことを何でも口に出す子でした。それが、自分のエゴのことばかりや人を批判するものだったり・・・。周りの人たちは閉口してしまう子です。

 学生の時は好かれもしないだろうけど、親の保護のもとにいる上に、まだ子供だからとなんとか社会生活が出来るだろうけど、社会人になったら大変だろうなぁ。と思いました。
彼が何かの発達障害を抱えているのかは知りません。ただ、年齢的には心に思ったことを口に出すのがギリギリ許されるかもしれない年齢です。年を重ねるごとにだんだん変わっていくのでしょうか?いつか彼も気が付く日がくるのでしょうか?

 そんなことを思い、また自分自身がADHDと知る前、通院を始める前はどうだっただろうか?今でも思ったことが結構口にすぐ出てしまうときがあります。でも、一度心の中でワンクッション置いていることを意識できることもあります。でも、知らなかったとき、私自身、彼と同じように他人に不快な思いさせていたかもしれません。心がマイナスの時はマイナスな言葉しか出てきません。これは他人に不快にさせます。傷つけます。

 今後、自分が思ったことを何でも発してしまい今以上に留めることが出来なければ、心の状態を良い状態に保ち、人が聞いて嬉しくなるような言葉を発して生きたいと思いました。

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 今年を振り返って来年の目標を立てる

 私には一回りとちょっと上のライフコーチがいます。年末になると、今年の目標の達成度と来年の目標を立てることをします。とはいえ、気の変わりやすいADHD、目標はいつでも更新されます。
 
 1年を振り返ってみると割合と進歩している気になって来ます。このとき、鬱になるような題材は頭の中から忘却するのを忘れずに。そして、来年チャレンジしたいことや達成したいことそしていつまでにするか。これを考えてゆくのは案外楽しいものです。

 自己啓発系の本には結構こういうことが書いてあります。別に、最初は計画を立てなくて良いんです。したいことを書いていって、一番夢に近いことに注目して、その夢の一歩手前の状態になるにはどうするかを考えていき段段現実に近づけていくと、結構可能かも?と思えてきます。手順がわかるからですね。

 私の来年の目標はまだ出来ていませんが、今年の目標はいくつか達成できていました。その達成できたことに注目すると自分が成長したんだなぁと実感できて、心も軽くなります。お勧めの心の療法です。

by ナオニャム



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夢の中 (1)



(この原稿はMUSICAさんが入院をしている最中の昨年9月に手書きでわざわざ寄せてくれたものですが、わたしのパソコン入力が遅れたために今になってしまいました。MUSICAさんごめんなさい。しかし記事自体は今も非常に考えさせられるものです)

 私は時々夢の中で仕事をしている。そしていつもうまく行かない苦しい夢だ。
 
 この間の日本LD学会の時もそうだった。アンケート集計をEXELで入力してゆく。だが、パソコンは持ち込めたものの、病院の中でリタリンを飲めないままする細かい仕事は私を疲れさせた。第一に、母集団が集まりきっていないのが余計に心を重くした。
 
 それでなくともまだ身体が弱っている。入院する前にせめて準備が終わっていたら良かったのだろうが、その時は本業が忙しすぎた。同時進行はムリ、結局純部不足である。
 
 夢に毎日アンケートのことが出てきて、眠りまでもが浅かった。集計結果のグラフ化もいりいろ考えたが、母集団の数が50%も違うので、これは殆ど統計としては使えない。
 
 際だったところはこれはと思うところを何カ所がグラフにしたが、あとは多くの人が書いてくれた事を中心にレポートを作った。当日の朝、指定討論者のM先生から電話が入った。
 
 「打ち合わせなしでは指定討論者は引き受けかねる。私も体の具合が悪いので昨日も早く帰ってきたくらいだから、今日の役割はお断りする旨、さっき本部に連絡しました。きちんと打ち合わせが出来ていたら具合が悪くても行ったのだけどね」
 
 そうだなぁ。先生の言うとおりだ。準備不足、先延ばし癖、自分の体調管理、全てに問題が有った。ADHDの所以というよりも、やはり自分の計画性の無さに泣いた。
 
 他の先生にも代理を頼んだのだが「M先生が出来ないことを自分は引き受けられないわ!」と断られた。泣きながらA先生にも頼んだのだが、却って二人の先生に「準備不足は確かだし、アンケートも完成していないのだから、今年は諦めたら?」とか「勇気ある撤退も必要よ!」とどの先生も、今回のシンポを諦めるように勧めた。
 
 でも、今年行ったアンケートは、きっと2年先では使い物にならないだろうと思っていた。考え方や脳の科学的診断は日進月歩である。
 
 少なくとも、おとなにとってADHDという物が有るにもかかわらず、多くの精神科医は「実態が無い」とか「確率していない」など、相手が素人だと思って知らんふりするのが情けないと思うからだ。
 
 主に一番精神医学が進んでいると言われるアメリカのDSM-V(1980年)には「成人の残遺型ADD」という文章が載っていることをパワーポイントで説明したい。1994年には、DSM-Wで多動性のあるなしに拘わらずADHDとなり、DSM-W-TR(2000年)では成人の有病率は3〜7%としている。
 
 少しでも興味のある関係者にそのことを知らせたいし、精神科の敷居が低くなった今、そういうことにもっと医療関係者に取り組んで欲しいと思っているのだ。

ー 続く ー

by MUSICA



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夢の中 (2)


 
 今年の学会は東京の吉祥寺の成践大学で行われ足の便も良く、話題提供者も男女一人ずつGET出来た。一日悶々と悩んで、学会長のU先生に指定討論者が居ないんですぅ〜と泣き言を言った。すると、「先生はいっぱい居るのに、だめなの?じゃあ、僕がやるか」「うぁ!うれしい」「ちょっと待てよ、これはあんたの企画したシンポじゃないの。あんたなら一人で出来るよ。大丈夫、やってごらん」と肩を押されてやっと決意した。
 
 アンケートに協力してくれた人に応えるために、このシンポに来ようと思っている人が居るかも知れないのだから。
 
 そうだ。おとなのADHDが認められていない今だからこそ、こういう催しは必要だ。ADHD者がどのくらい悩んでいるか、苦しんでいるか、クラスメートにバカにされいじめられ、親に理解されず嫌みを言われ、教師にまで体罰を受けておちこんだまま這い上がれていない人の多いことを、教師や親や医療に関わる人に実情を聴いて欲しい。
 
 アンケート中、ADHD者で一番多かった回答は「自分は変わっていると子供の頃から思っていた、(または言われた)」というものだった。特別支援法や障害者支援法は、どこまで「本人」の意向を反映してくれるのか、私はおしきせられる人形になって欲しくはない。
 
 話題提供者も本当にADHDらしく、子供の頃に成績表を持ってきて、小一で落ち着きがない、小二でしゃべりすぎと、六年生まで読み上げてくれた。とても参考になった。
 
 ADHDを知らない教師は、「そうとしか思えない」のだ。落ち着きが無く、だらしなく、忘れ物をし、遅刻をし、物をよく無くし、そして頭は普通だから。
 
 もう一人は若き女子大生。十二才の時に告知され、何が何だかわからないリタリンを呑んでたら何でも出来るようになった。でもドクターは「私の努力」じゃなくて、「薬のおかげ」と
 いう。そんなのじゃ嫌だ!と思って、リタリンは止めてしまった。今も呑むつもりはない、と言い切る。ADHDも自分では納得出来なかった。十七才になって、インターネットで多くの「仲間」が居ることでやっと納得したのだとのこと。
 
 そして「通院」についてどう思いますか?と二人に質問したところ、「自分だけ特別のところに行くのは嫌。皆それぞれ何かしら出来ないことや凄く出来るところが有るのだから、全員が散らばって伸ばせる能力を伸ばしてゆけると良い」と男性。女性は、「放課後にでもやって欲しい」と答えた。
 
 小一〜二年生んらともかく、最近の子供は成長が早い。三〜四年生くらいでりっぱなプライドを持っているのだ。
 
 会場からも色々質問を受けた。百人以上来てくれたと思う。二人とも開いた心でちゃんと立派に話してくれた。ADHDーおとなのADHDを広めて行こうと思った。今回、多くの人の協力に感謝している。
 
 M先生にも詫びを入れて、許して戴いた。再来年も東京でLD学会が開かれる。また今度は準備万端整えて何かをやろうと思っている。再来年の夢だ。
 
by MUSICA



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大使館の人々

 

 典型的なADHDの道を歩んできた私は2〜3年ごとに転職を繰り返し、人材派遣フリーとなり、結婚後は自営業を営んでおります。
 今回は、南西アジアにある某国の大使館に勤めていた頃のことをお話します。

 大使館なので勤務時間は9時から4時半。下級の外国人職員はイスラム教なので、勤務中に一箇所に集まって、お祈りをやってました。メッカに向かって、礼拝します。電話がかかってきたときなどは 「ただいま、お祈りの時間ですので、席をはずしております。」と正直に言いますと、電話の相手はクスリ。とまあ、のんびりした雰囲気でよかったのですが、現地職員(日本人)も外国人職員もくせの強い人が多くて(私も含む)。
 
 その方々のお話をしたいと思います。

 私は外交部で会計補佐をやっておりました。大使館には外交部、通商部、観光部がありまして、それぞれのボスに―外交部は大使―秘書がついておりました。大使秘書は美人だが頭が空っぽみな人で英語はしゃべりますが、書けません。観光部の秘書は次々に代わりましたが、皆さん高学歴でした。まあ、アメリカの大学や大学院を卒業して就職活動の間、勤務しているみたいな方もいました。ある男性の秘書は数か月働いて、AP通信だったかロイター通信だったかに就職しました。

 プリンストン大学を出た方もいらっしゃいました。この大使館の前も大使館で働いていたそうです。事情があって移ってこられたのですが、奈良のお金持ちのお嬢さんでした。「実家から宅配便が届くから早く帰らなくちゃ。」と結構、頻繁に言ってました。もしかしたら、毎日、お母様が送ってきていたのかも。あるときはペルシャ絨毯だったり、またあるときはカレー(お母様のお手製)だったり、平民の私には理解できないものを送ってきてました。

 その次にやってきた秘書は自宅の照明器具がシャンデリアでした。ある時など、お父さんが日産プレジデントをもらったのだがいらないからと言って、私にくれたといって乗ってました。
 
 次回はメッセンジャーボーイについて書きます。

by キャサリン


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友人のホームページ 1



 友人が「漫画家アシスタント物語」というホームページを開設した。gooホームページのトップからキーワードで検索すれば、すぐに出てくる。
 
 彼は某有名漫画家のアシスタントをしている、しかもかなり長い。どのくらい長いかというと、本文中にも彼が書いているが26年である。完全に漫画制作プロダクションの社員として働いている。
 
 そのアシスタント生活26年の思い出を、写真やイラスト、文書でおもいのたけを綴ったものである。けっこう面白いので、興味のあるかたは覗いてみてほしい。本人のことは、僕もよく知っている。漫画家志望でずっときて、そのままプロダクションに居座ってしまった。自分はどうして漫画家になれなかったのだろう、そういった思いを書いている。いってみればぼやきである。
 
 映画は僕の10倍くらい、本は僕の5倍くらい、ゲームにいたっては僕の20倍くらいやっているだろう。なにしろ40代で、ゲームのやりすぎが原因のてんかんをおこして救急車のお世話になったくらいの男だ。好奇心旺盛で凝り性、睡眠時間は僕の半分、知性も教養も僕の数倍はあり、経済観念もしっかりしていて、漫画に対する情熱は人一倍、そんな男がなぜ漫画家になれなかったのか?
 
 ここでひとつ定義をしたい。漫画家、小説家、画家、などいわゆるクリエイターとよばれる仕事は実は職業ではない。それはサラリーマンや弁護士や医者、役人、公務員といった肩書きのある職種とくらべてみるとよくわかる。虚業、実業といった分け方をすればあきらかに前者のほうである。○○会社の製品管理部門の鈴木ともうします。といえば名刺を渡された人は、ともかく納得してしまう。○○会社という六本木にある高層ビルと鈴木さんがイメージの中で同一視されてしまうからだ。
 
 しかし漫画家です、と言えば、そのひとがいつもテレビに出ている顔の売れたタレントでもない限り、そうですか、どんな作品をおかきですか?とくるだろう。会社というバックがないので、肩書きだけでは何の実在感も感じさせないのだ。クリエイターは作品を作らないと、しかも作り続けていないとクリエイターとはいえないのだ。
 
 よく自転車操業という言葉があるが、これがじつによく当てはまる。自転車はこいでいるあいだはスイスイ動くが、こぎやめるととたんに失速して倒れてしまう。つまり作品を作り続けることがクリエイターとしての必要条件なのだ。そして作った作品が世間に認められることが十分条件であるといえる。だから「なぜ漫画家になれなかったのか?」は「なぜ漫画を描き続けること(クリエイターとしての必要条件をみたす)ことができなかったのか?」といいかえることができる。

 ひとつは彼の勤務するプロダクションの、待遇の良さに原因があるのだろう。「うちは、世間の冷たい雨風をしのげる避難所、いつもぽかぽかと居心地の良い温室のようなところだ」と本人も言っていた。彼の同僚などは「いやあ、今週は忙しかったよ、週に四日も働いちゃったよ、いつもは三日なのに…」「世間は週休三日で驚いているけど、うちはずっと前から週労三日だからね」といった具合であった。昼頃に出勤して、食事をとり、あとは銘々の分担のページをもくもくと仕上げるだけ、テレビをみたり、ラジオをきいたり、ジュースを飲んだりしても自由。徹夜はなし。その日のうちに出来るぶんだけやって、あとは翌日回し。食事はすべて支給される。


ー続くー



by mogurin


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友人のホームページ 2

 
 これで月給手取り30万も40万ももらって、年金保険もきちっと会社が払って、年二回の長期休暇にボーナスもあって毎年昇給もあって、慣れた背景描きの仕事をするだけだからストレスはなくて…とこれではやめたくなくなるのも道理というもの。
 
 彼の同僚など余った金の使い道にこまり、パチンコや風俗にはまったり、ブリキのおもちゃやフィギュア、写真集、古本漫画の収集道に走ってしまい、床から天井までコレクションで埋め尽くされるようになった。別の先輩などマンションを買って外車を乗り回していると聞く。この温室効果によってハングリー精神が摩滅してしまったと見るのが妥当なところではないか。

 つぎに、クリエイティビティーにおける感動の問題。クリエイターは自分の感情、感覚を偽ってはならない。よくものに接してうけた感動を表現しなさいと作文の時間に先生にいわれました。が、しかし、このことはすべての創作の基本ではないかと思う。
 
 感動ってなにも涙をながすことだけではなくて、自分の気持ちにひっかかること、疑問点、怒り、いらだち、悲しみなんでも同類だと思うけど、なにか問題が解決できないことがあるから絵なり文章なりで表現するわけです。すべて問題が解決済みで、隅々までクリアにわかっていることは表現する意味がない。
 
 わかっていることをさもわかっていないように表現するのはハリウッド映画的一種のごまかしで、見る人がみたら見透かされる。よくリメイクの映画作品が駄作なのはこのことが原因です。
 
 この自己を偽るのは第一の罪として、そのあと、いくら表現技法に凝っても砂上に楼閣を築くような悲惨な結果になる。素人の作品がときに驚くほど説得力があるのは、かれらが無知で、新鮮で、感動が本物であるから。
 
 こんなに下手なのになぜこんなに売れているのだろう、という疑問は、作者の内面を見せてもらえば納得いくと思う。彼らは本気でそれを作っているはずです。その情熱がみるものに伝わる。へたに知識があると、創作の足を引っ張る。批評家の自分がしゃしゃりでてきて、作っているそばからああでもないこうでもないと、ぶつぶつ言い出す。すると創作家の自分は萎縮していやになってしまう。
 
 創作においてはだれかが何か魔法の方程式をもっていることなんてないんです。編集者は雑誌の売り上げを上げることしか考えていない。読者は電車の中でおもしろい憂さ晴らしをすることしか考えていない。作家がある時偶然いい作品が描けても、次に同じことをしたら駄作になる。つまりそのつど新しいことをしなくてはいけない。感動を発動させるために。
 
 といったいろいろな原因が考えられるけど、まず彼は「漫画家アシスタント物語」なるホームページを開設し維持するエネルギーと根気があるのなら、その力を自分の漫画作品の制作に注ぐべきではないかと思う。本人には耳の痛いことかもしれないけど。

 by mogurin



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若いだけがとりえ


 20代の頃、スナックでバイトしたことがあった。一人だと不安なので年上の友人と2人で応募、面接した。私の目的は専ら、好奇心と金儲けだった。友人は労働組合のようなところで働いていて薄給だったので、もっと、せっぱ詰まっていたはずだった。ところが、ボーイフレンドに反対されたことを理由にドタキャンし、私一人がバイトするはめに。私は、怒り、まともにその怒りを友人にぶつけてしまい、アパートで食事を作ってくれるほど親しかった友人と分れることになってしまった―友人の方が私を許せないくらいに怒ってしまったというわけだ。この類の失敗は、若い頃にはよくやった。

 まっ、というわけで、荻窪駅付近のスナックで働き始めた。裏通りの場末だ。が、4畳半か6畳くらいしかない小さな店にママのほかに数人女性が働いた。ほっそりして、きれいな3・40代の女性がナンバーワンだ。客あしらいといい美貌といい場末っぽくない。もう一人やはりきれいでプロっぽい人がいた。他に、新人らしく地味な衣装で、田舎くさい女性がいた。ニューフェースでカラオケがうまいし、若いということもあって、結構人気があった。歌の点でも、私は太刀打ちできない。

 最初は、若いだけのとりえの私でもフロアに出された。ところが身なりが立派な、いかにも会社役員風な男性二人を接客した時だ。そのうちの一人が、 「やあ、新人か。鼻がでかいね。」と、いきなり言い放った。もちろん、私は言い返した。以来、カウンターの中から出してもらえなくなった。よく、首にされなかったものだ。

 その後は、氷を割ったり、グラスを洗ったりして過ごしていた。 ある日、カウンターにふらりと一人の男がやってきて、ビールと餃子を注文した。金とは縁がなさそうな男だ。女性たちは見向きもしない。後で聞くと、ビール1本でねばるから、もう来てほしくないとのことだった。 その男、私を見てこう言った。 「えっ、こんなかわいい子(私のこと)いつからいたの。」「かわいいな。」と、繰り返した。 その男はその後何度かやって来ては、ビールと餃子を注文してねばった。
 
by キャサリン








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幼稚な子供


 長男が、19歳になって父方の祖母のうちに行った。祖母に頼まれたということだが、いっしょに祖母のベッドにはいったそうだ。それを聞いて、私はとても驚いた。常識的に19歳という年齢で、果たして祖母と寝るだろうか。幼稚としか考えられない。いい男が、おばあちゃんのおっぱいを吸うわけではないのだろうが、そんなことをする神経がわからない。

 このことを、長男はおかしいと思わない。私は呆れてしまった。長男は「どーれ、そんなにおかしいことなら電話して聞いてみよう」と私の実家に電話した。すると電話にでた私の父は「それはちょっとおかしいよ。」と答えたようだ。19といえば、父は戦争の訓練に明け暮れていたころだ。私の知り合いも19にはもう自活していた。そういうものだ。

 私の育て方が悪かったのだろうか。しきりに反省してしまう。だが、どうも子供が幼稚化しているようにしか思えないのだ。少なくとも、19には私はもうりっぱに自立していたし、もっとも大学の学費は親に払ってもらっていたが、毎月当時3万円親の家に入れていた。

 それまで居丈高にしゃべっていた長男も、私の父に言われてさすがにトーンダウンした。普段の生活でも長男が擦り寄ってくることがあり、少々心配していたのだが、祖母とこういうことがあると全く持って嫌になる。

 他のうちではどうだろうか。少なくとも次男はそういうことはない。これが、ADHDがらみの後遺症でなければよいのだが・・・。これが、長男に彼女ができない理由のような気がする。

by MUSICA







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大きな勘違い



 ペインクリニックで私が教授で院長と信じていた先生は、なんと科長でした。名前も当然違っていました。ああ、なんという勘違いでしょう。でも、腕は確かにすばらしくいいのです。その先生に治療していただくと、他の先生にはないほど良く効きます。それで、教授だと思い込んでいたようでした。
でも、ずっと前ですが確か教授の診察日にその先生に診ていただいたことがあったと思うんです。代診だったのでしょうね。

 そういえば、医員<部長<科長<教授という構造になっているようで、考えてみると、ある診察方法でこの役職のある3人の方に同じことをしていただいたのですが、なし<左だけあり<両方あり、と三人の見解は違いました。もちろん、日によって私の体の状態が違うということもあるのでしょうが、やはり教授はベテランと言ったところでしょうか。

 科長や教授を知らないころは、部長先生がこの上なくすばらしく思えていました。もちろん、部長先生も相当腕がいいのです。初めて部長先生に処置をしていただいたときの感激はいまだに忘れられません。最近、部長先生に処置をしていただく機会がなぜかないので、残念に思っています。なぜなら、とてもお話がしやすいので、疑問に感じたことも聞けるし、なんとなく親しみを感じてしまうのです。前に街で会ったときに「よお!」と声を掛けられて、一瞬だれだかわからなかったこともあります。これは、役職のせいばかりでなくてその医師の性格もあると思うのですが、こういう先生が偉くなっても変わらずにいてくれるといいなあと思いました。

 また、最近は知らない先生におめにかかります。前は若くても名前がわかっている先生がいらっしゃったのですが、初めて会う先生に処置していただくときは、やはりどきどきしてしまいます。

 よく、「医者は患者を選べない」と言われますが、時として「患者も医師を選べない」ことがままあります。
 
 ある病院では、完全担当医制度を敷いていて、患者との相性が悪かろうが決して担当医を変えてはくれないそうです。入院患者などは、さらに看護師や看護体制も選べないということにもなります。居心地を悪くして、看護や医師の方で追い出したい患者が自主的に出て行くようにすることもあると聞いています。こういう病院には行きたくないですね。

今、通っている病院はどこも安定した関係をもって医師と接することができるので、安心していられます。私などは、3病院、4科に定期的に通っているので。よかった、よいお医者様と出会うことができて。


by MUSICA





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隣人とのこと

 昨日、左隣の隣家から苦情が来た。応対したのは長男である。長男の友達がしょっちゅう車で遊びに来るので、邪魔だと言うことなのだ。うちの車庫はまえに2台入れていたので、今貸している一台のほかにもう一台はいるはずだから、そうしてくれとのことである。

 長男がどう答えたかはわからない。でも謝ったのは確かだろう。私も奥さんをみて一応頭を下げておいた。しかし、私も実は隣の家にはじくじたる物がある。

 第一に、人のうちの車庫に2台入れろと言うのはどういう了見かと思うことだ。今は半分は物置になっていてとても2台は入らない。まして、前に入れていたのは、軽自動車のちっちゃいジムニーである。普通車は2台入らないのだ。それが「主人も入るはずだと申しておりました。」などと、勝手に想像されても困る。

 また、そのうちはよく自動車やバイクを洗車するのだが、いつも石鹸の泡をうちの玄関前に垂れ流しのままなのだ。こういうことが平気でできて、文句だけは言うというのが気に入らない。うちのハナミズキの木も、気に入らないらしく、自分のところのわずか50センチ四方の植木を植木職人に刈り取りを頼んだ際に、わざわざうちに「お宅もいっしょに頼みませんか?」と切ってくれと言わんばかりに持ちかけてきた。

 私はいちいち面倒だと思って黙っていたが、この際だから、こうしたことはこの私道を4家でもっているので、取り決めたらどうかと思っている。ついでに、4家でもつゴミの集積場所に、全然関係のない道路を挟んだうちがゴミを捨てているのでそれも警告しようと言ってみようかと思っている。

 さて、右隣のうちはもっとひどい。うちを建てたころに、向うの家は不法建物で、ベランダが飛び出しているため、うちが丸見えらしく、うちをしょっちゅう覗いていたようだ。それも、ただ覗いていただけでない。隣の奥様が言うに「お宅のお坊ちゃまの部屋を主人がベランダでタバコを吸いながら見ていましたら、ベッドによこになって漫画を見ていらしたのよ。うちなんか漫画はすべて取り上げですのよ。借りてきたものでもすべて取り上げて捨ててしまいますわ。」と言ったものだ。覗いていたと堂々と言うだけでなくしつけが悪いと言いたいらしい。どちらの方がしつけが悪いか、読者にはわかるであろう。私は何食わぬ顔で「うちはお宅のお嬢様とちがって、しつけが行きどどきませんで。」と言ってやったら、「あら。宅の娘達も本当にしつけがなっていませんのよ。3階までスリッパもはかずに上がってしまいますの。」とお答えになった。私は内心『ばかじゃん』と思った。

 たかだか20坪の家にすんでいて、3回までスリッパであがらないことが「しつけが行き届かない」とは思わない。そのまた隣家の奥さんも「いつもヒステリックに娘さんに怒っていてお子さんがかわいそうで・・・。」と言っていた。まったく、下手をすればドメスティックヴァイオレンスである。それ以来、うちのブラインドは閉めっぱなしである。

 しかも、塀を建てたときに、うちが建つまで待って、半々にしようと言う。で、うちは不法建物はいやだったので、隣家のいう高さの塀では建築確認検査(建築後)が通らないので、いやだと言ったら、じゃあ、その高さまでとりあえず作って、後の部分はうちで払ってくれと来たもんだ。でも、これをすると、土地の登記料だかなんだかが戻ってくるので、うちは32万戻ってきた。塀の追加部分のたかだか3万くらいくそくらえである。不法建物の隣家にはこのお金は戻らない。

 その家のご主人は、その地域では名だたるワル施術師である。一見ぼんやりしていて優しそうに見えるが、結構な人らしい。その施術所のちかくのマッサージ屋に行ったら、「あそこはひどいですよ。あそこでひどい目に合ったと言う人がうちに来ますよ。なんだかすごくえばっていて、この辺をとりしきっているようですが!」と言っていた。なるほど!マルボウ系ですかあ!!いつか取り締まってあげましょう。

 と言うわけで、一軒屋に住むのも楽ではない。隣人によって生活の質というものがかなり左右されるものだ。はーと思わずため息が出る。

by MUSICA




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痴漢U


 電車の中での痴漢被害の経験はないかったが、路上での痴漢被害の経験には、結構、華々しいものがある。

 最初はまだ、10代か20歳前後のころ、東急東横線の自由が丘近くの駅ホームのベンチにボーっと腰掛けていたら、高校生の暗そうな男子が私の隣にぴったりくっついて横に腰掛けてきた。まもなく、彼の手は、私の太ももをこっそり、なで始めた。

 次は20代の頃、赤坂のTajiの前辺りを歩いていたら、すれ違い様に白人の男に胸をぎゅっとつかまられた。悔しかったが、すれ違った上に大柄な白人男だ。どんどん遠ざかって行ってしまって、なすすべがなかった。

 当時はDカップ(今でもやはりDカップに変わりはないが、・・・。友人にいわせると、「しぼんだらAカップだよ。」)で、コラーゲンもたっぷりあったので、胸が大きくて、いつもブラウスははちきれんばかりだった。(自慢ではない。本当にイヤだった。当時はデブのせいと思いこんでいた。それに走る時にゆれるのにも閉口していた。)

 三度目は、銀座だ。この話しは結構、悲壮だ。30代前半だったと思うが、妹と2人で歩いていたら、2人連れの労務者風の男の内の1人がいきなり、私の尻をなでた。

 私「なにするんだよ。このヤロー。」といいながら労務者の男の顔に自分の顔を思いきり、近づけた。(このころはかなり、けんかなれしてきていたが、足はガクガクしていた。)

 労務者「アマのくせになまいきな。」なんて、訳わかんなこと言う。

 私「てめー、人のケツ触っておいて、盗っ人たけだけしいんだよ。出るとこへ出てもらおうか。」

 男は酔っている風だったし、妹が後ろで私を引っ張りながら「やめて。」と、訴えるので許してやることにした。

by キャサリン



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ママの一大プロジェクト!



 これはわたしがママと慕う師匠の陰謀です。ママはたいそうな知能犯です。パパは退職して2年、趣味も無く仕事人間の付けが廻ってきたのか、酒量がだんだん増えていたようです。

 知り合いの元看護婦さんに聞いて、テストテープで調べたら、何と糖尿病らしい!腎機能は大丈夫そうと判明。でも病院嫌いで、息子さんの忠告まで無視して酒を飲んでいました。息子さんが努力が実らない事で、壊れかけていたようです。このままでは、大事なものが無くなっていくと、大決心をして、ママは家出を決行しました。ついでに裁判所へ、家族円満調停を申し込みました。

 昨年の9月に専門病院を見つけ、ママ1人でケースワーカーのカウンセリングを受けていました。依存症らしいから、とりあえず断酒会に通うほうが良いと言われ、ママ1人で、毎週水曜日に通っています。そこの皆とお友達になり、依存症の事を勉強しました。家族を巻き込みながら、人格が壊れて行き、数々の病気になり、慢性・進行性・死の病気と知りました。

 そこに来ている皆はパパの何倍もひどい状態だったようです。それで黙って見ているのも良くないし、だけどコントロールして従わせるのも病状を悪化させるのだと知りました。

 パパは変えられないけど、ママが変われば変わらざるおえないと、変わる状況を作りました。それが家出、犬2匹を連れて。(ひとりで出ろよぉ。)家出をする為に棲家を探し、荷物を少しつづ運び出し、お友達から冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、IH、電話等借りました。会社から数分の場所でお昼の弁当を持って家に帰りました。従兄弟の家の近くて、ママ妹も昼間来てくれてました。おばあちゃまのデーサービスの送迎ボランティアまで見つけて、とても楽チンな家出生活♪

 友好断酒会のメンバーが、パパに介入の労を取ってくれると話しがあり情報探りにパパ姉の所へ行って、探り電話を入れてもらったら、何か思うところがあったのか?出かけて来ました。帰りがけに駐車場でバッタリ!パパは会えたとニコニコしてました。仕方なくパパ姉宅に戻り、病院へ行くように迫りました。

 パパは、裁判所からの呼び出しを離婚訴訟と勘違いし、更に来月なのに今月と大勘違いをし...多分慌てていたのでしょうね。すんなりと病院行きをOKしました。日曜日だったけど、病院へ太いパイプを持っている介入者の援助で、院長先生が用意されました。これで、パパの運命は決まりました。

 院長先生に依存症と言い渡され、おまけに肝臓も糖尿もありそうだから検査と言われさ〜!家族を取るか酒を取るか決断するように、迫られました。パパは家族が大事と言ってくれ、入院承諾書にサインしてそのまま入院と相成りました。

 昨日面会時間にママが訪れると、生き生きとして、退屈だと言いながらも楽しいと、のたまっていたそうです。3ヶ月内臓を直して、教育入院して生まれ変わって帰ってくるのを待っているようです。

 家族を取ると言ったってくれた、パパに愛を感じましたでっかい男の蚤の心臓を可愛そうに思いながら一大プロジェクトを企てたママも愛あればこそですね。そしてその愛を理解して片棒を担いでくれたたくさんの方々にも愛を感じました。

みゆき

 結果として良かったですね。定年後、生き甲斐を失って酒浸りになり依存症になる人も結構居るみたいです。在職中は忙しいので仕事が全てと思いこんでしまうのでしょうが、忙しいなりに趣味を持ち、定年後退職金などを元手に趣味を活かした仕事を始めて第二の人生をはつらつと生きている人も大勢居ます。
 
 みゆきさんもトンボ玉という趣味を最近は実益に結びつけていますし、心がけ次第で誰にでも出来ることではないでしょうか。
 
 わたしも定年退職ではありませんが、結局趣味を活かして今仕事をしています。とても余裕などありませんが、綱渡り的人生を楽しんで(!)居ます。若い頃は体の70%が酒で出来ていると思うほど呑んでいましたが、最近はせいぜい週に二回、ビールロング缶一本か1.5倍サイズのカップ酒を呑むくらいです。先日は頂き物の秋田の銘酒をついやり過ごしてしまいましたが。若い頃は自分もアルコール依存症ではないかと半ば諦めていましたが、そうではなかったようです。
 
 実は、わたしのよく知っている人間が依存症で、しかも治す気がなくどんどん堕ちていくのが判るだけに気が気ではありません。もっとも最近は滅多に会うこともありませんが、本人に治す気がなければまず治りません。わたしよりずうっと若いのですが、あのままではやり直しはきかなくなると思っています。
 
 アルコール依存症は家族にとっても辛いし、本人にとっても辛い人生を強いられます。絶対にならないように、かりになってしまったら絶対の意志を持って治す決心が必要です。生き甲斐が見つかればちゃんと治りますしね。
 
from ロクスケ




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サディスティックな人格

 
 ここ1年以上にわたり、私を苦しめている上司は、実にサディスティックである。人が苦しんでいるのを横目で見て楽しんでいる気配さえある。そして、口癖は「絶対に負けないわ!」である。
 
 初めは、頭のいい賢い上司が来たと思った。そのうち、なんだかただこき使われていると思った。そして、体の具合が悪いというと「そんなことないでしょ、まだやれるわよ。」と言い、倒れてからは「私は休んだ方がいいと言ったのに。」と言う。そして、「具合が悪いときに診断書を出したのに無視したから私は倒れたんです」と言うと「あら、自分で最後までやりたいと言ったじゃない。だから、私は休めばと言ったのに、病気になってしまって。私のせいじゃないわ。あとでガタガタ言われるのは真っ平よ。」とのたまう。でも、医者が「期限を決めて欲しい」と言っても「期限と言われてもねえ・・いつ終わるとも知れないから、期限なんて切れないわ!」とはっきり言った人が「休んだ方がいい」などと生易しい言葉を掛けてくれるはずもない。あとで言った言わないの話しに良くなるものだが、こういう嘘はいい加減にしてくれと言いたくなる。
 
 医者のところへ行っていろいろ聞いてきては、私には全く性に合わない仕事をやらせようと強要する。自分の都合の良いところしか医者の言うことも聞いてこない。医者は「あの人は何を聞いていらしたのか。」と驚く。
 
 他の課長級が同伴して医者のところへ行っても、とどのつまりは自分の好き勝手な采配である。いっしょにいった人たちも頭を抱えてしまう。まして、当事者の私はとたんに具合の悪さ100%である。
 
 得てして、成金の自営業者のお頭にはこういったタイプが多いものだが、大企業でコレでは困る。こういう人は平気で人の成功を横取りするから、出世することが多い。
 
 医者は、「これは、仕事云々ではありませんね。もう人格と人格のぶつかり合い、と言ってもいいでしょう。それにしても、あなたは体も弱いし、相手は地位も高いし不利な条件が揃いすぎている。」とため息をつく。そして、なんとか私に有利な診断書を書いてもらおうと思うが「また、返って逆手に取られて悪用されそうで嫌なんですよ。余計貴女を不利に追い込んでしまうのではと思うと、ヘタに診断書も書けないと思ってしまうんです。それは、自分の良心が咎めるからなんですが。」と医者はしり込みする。ため息しかでない。私が今どういう状態かということと、どうしたらいいのかを書いてくれればそれでいいのに?良心的な医者は、サディスティックな性格に太刀打ちできない。「いつも、貴女の役に立てずに申し訳ないと思っています。」いや、そんなことないだよ。あなたと言う医者がいなかったら、私はもっと苦しかったかもしれない。「なにがあっても、私は貴女の味方です。貴女を決して見捨てない。貴女の主治医ですから。」と言ってくれたではないか。それで十分なのだ。患者冥利に尽きる。
 
 それにしても、自分の体の正直なことよ。持病がすべて毎度の薬を飲んでいても悪化している。このストレス渦の中にいれば、あと半年で異動という事態もありうるが、3ヶ月くらいで死んでしまう悪性腫瘍にでもなりそうである。
 
 今日は、15時すぎに鶏肉を少々食した。それ以外何も食べていない。吐き気、嘔吐、極度の下痢、無気力、体の中のすべてのバランスが崩れているのを感じる。家でふて寝をしていても、何のストレス解消にもならないのだ。
 
 こういうサディスティックな上司に遭遇された方はいらっしゃるだろうか。幸い、それでも生きていけるのは、最大の良心で包んでくれる医者や支持者がいるからである。しかして、このまま働けるかと言うと、それはまた別次元の問題となってしまう。自分の体は騙せないだ。
 
 順風漫歩だった英会話の授業も受けられなくなってしまった。注意が散りすぎてどうしてもできないのだ。
 
 医者は「あとは、強い薬を出して職場でずっと寝ているかの状態にするか・・・。」と言葉を濁した。この際だから眠り姫にでもしてもらうかと、一つ薬を増やしては見たけれども、やはり職場に行くと覚醒度が高くなってしまう私には、何の効果もなかった。
 
 だいたい、私はこういう会話が大嫌いだ。
 「○○さん、なんか仕事ない?」「今日はないな。」「あ、そーう・・・。(今日は一日が長いな)」人に恵んでもらう仕事なんてアルバイトさんだってできる。それでも時々こういうことに遭遇する。「ねえ、これってこれこれこういうための処理だからコレだと問題あるんじゃない?」「うん。そうだけど、ずっと手が足りないからやってない。そのまんまだよ。だってしょうがないじゃん。」おいおい、ちょっとまってくれ。「いいから、締まって見なかったことにしてくれ。」「あ、そう・・・。」臭いものには蓋をとは、よく言ったものだ。最近ますます私にはアルバイト様の仕事も来なくなった。
 
 仕事にはもう行けないのかもしれない。
 
 
by MUSICA







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腸閉塞の父のその後

 父の手術がうまく行ったと思いきや、再手術、そして、なお治らないことで検査漬け、結果的に小腸に1〜2ミリ程度のアナがあることがわかりました。始まっていた食事は4日で中止。また再度の禁水食生活となりました。で、父はもう呆けそうです。昨日は大変危険な状態だと思いました。家族でもどうしようかと話し合っていたところです。

 今朝、父から電話があり、あと一ヶ月は食べられないとドクターに言われたとの事。気を重くして病院へ行くと、ちょうどドクターに会えたので詳しくお話を聞きました。食べさせられないのはわかっています、でもすこし水を飲むことはできないでしょうかと懇願すると、医者は初め、「10t飲むと次は20t飲みたくなるものなんですよー。」と渋っていたのですが、呆けそうな父のためにも何か我慢するためのにんじんが必要ですと再度押すと「そうですね。まあ胃液も流れているわけですから、じゃあ、コップいっぱいの水、お茶。甘いのもいいですよ、でも100tですかね。それ以上は絶対にないということなら。」と許可してくださり、直接父にもそう話してくれました。
 
 父は、「え!本当ですか!?やー。うれしいなあ!!」と目を輝かせていました。そして、今日は一日元気でした。正気に戻りました。ただ、身体はもうがりがりです。清拭してあげると、喜ぶのですが目が痛いです。まるで、アフリカの飢きん生活をしているようです。

 それに、「一ヶ月は絶食」とキチンと話をされたことにより、気力を失い、新聞もテレビも見なくなっていた父が、「期限ができて落ち着いた。いつまで続くのかわからない時はとても不安だった。」と言っていました。食事が食べられなくなってから、2ヶ月半くらいになります。やあ、大正生まれの人は我慢強い。私も絶食すればいいのにと母に言われるんですが、私には無理です。脱肥満は、断食道場でなくて、カロリー制限で行こうと思います。

 by MUSICA





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体験型ワークショップ ウイング(投稿)

 ジャーナリストの月崎時央と申します。

 私は通常精神医療の取材をしているのですが、日刊スポーツという新聞で発達障害について書いた時に、ロクスケさんに取材をさせていただきました。それ以来メルマガを読ませていただいていますが、今日は初めての投稿です。

 私は小学生と中学生二人の娘の母親です。二人は発達障害はなく普通学級に通っています。とはいえ片付けが苦手という性質は親の私からしっかりと受け継いでいるようですが…。

 私は中学校のPTAで広報新聞をつくるのをお手伝いしているのですが、最近学校で「障害のある子どものことをもっと知ってもらうためのミニ講演会」というのがあり、取材を兼ねていってきましたのでちょっとその様子をリポートします。

 ★キャラバン隊 空 の活動

 この催しのお知らせは全校に来たのですが、参加者は残念ながら障害児学級の保護者やPTA関係者が中心でした。でもとても面白い会でした。

 市川市にある障害を持つ子たちの親の会では昨年から

 「キャラバン隊空」というグループを結成して、学校など各地に講演を出前しているそうです。

 その日は7、8人のグループでした。

 まず障害を持つ子の物の見え方を体験してくださいと、

 大型のペットボトルの回りにサランラップを巻いたものが客席に回されました。そこから除く世界は視野が狭く

 ぼんやりしていました。お面をかぶったお母さんが会場のどこかで声をあげますが、声の主がどこにいるのか見極めるのに時間がかかることが実感できました。

 次は「軍手をつけて、ボタンをはめてみよう」「折り紙を折ってみよう」というコーナーで、軍手がまず配られ、次に、折り紙、ワイシャツ、バンダナが配られました。

 それぞれが軍手をつけたままその作業を体験すると、うわあできな?いという悲鳴があちこちで上がりました。

 そこにスタッフが「まだなの」「早くしなさい」「できないならかしなさい」と強い口調で声をかけていくと、イライラは最高潮に達します。

 みんな大人ですし、ゲームですから笑いながらやっていますが、できない事をあせらされることのキツサや、あせっている時に、ますますそれを増幅する口調などについて、身を持って体験することができたようです。

 一般の人に広める事が課題

 こういった被日常的体験をして、常識や気持ちに、ちょっとした揺らぎが起きた時に、私達の心は少し柔らかくなっているのかもしれません。

 次にダウン症のお子さんを持つお母さんと、1歳児の時にポリオの予防接種をきっかけに、てんかん発作がスタートしたというお母さんの子育て体験を聞きました。

 私も子を持つ母ですのでどんな子育て体験も心にしみますが、その前に子どもたちの「生づらさ」を体験を通して実感していただけに、このお話は特にぐっときました。

 ワークショップと体験談の間には、子どもに接する時にははっきり、短く具体的にというノウハウもしっかり伝わってきました。

 また、子どもに限らず、また障害のあるなしに関わらず、励ます事、ほめる事、信じる事、待つ事…。が人と人とのコミュニケーションの基本なんだなあと再確認した貴重なひと時でした。

 よく工夫された素敵なワークショップだったので、こんな動きが全国にもっと広まっていくといいなあと思いました。

 また、こういった話こそ、一般の人々や健常者の子どもに聞いて欲しいし、体験して欲しいのですが、そのチャンネルをつくるのが難しく、どうしても内輪の人々だけになってしまいがちですね。その壁を乗り越えるのが課題だなあと感じています。
 
 
by 月崎時央


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惚け防止


 惚け防止としては音読、百枡計算などいろいろいわれており、最近テレビのコマーシャルでは脳を鍛える道具まであるようだ。確かに長生きをする人が増えたが、長生きをするからには健康で、精神的にも若いままで居たい。
 
 私は自分で考えてみて、何が私の脳力UPにつながるかを探した。結局好きなことをするのが良いと考えつき、文章を書くことにした。毎日文章を書くのは例えば日記だと思えばよい。かつて私は30年間ほど日記を付けていたが、あまり意味がないような気がして止めてしまった。
 
 今また書き始めたのは小説であり、100パーセント想像の産物だ。毎日、ブログに小説を一編ずつ書いて乗せている。と言うことは結構頭を使うことになる。始めた頃は直ぐにネタが切れて自分の限界かと思っていたが、いまは瞬間的にかける。やはり頭が鍛えられているのだと思う。実際に私が短編小説を書いたところでお金になるわけではないが、最近はぼちぼちそのブログに来る人も増え、中にはコメントを残してくれる人も居て、やはり始めてよかったと思っている。最初はかなり時間がかかったが、最近はちょっっとした細切れ時間で出来るし、普段持っているメモパッドにネタを書いていると退屈もしない。
 
 私は偶々文章を書くのが好きでやっているが、例えば絵を描くのが好きな人は毎日イラストを描いてみるとか、工作の好きな人は毎日作ってみるとか、定期的に頭を使わざるを得ない作業を自分に課すというのは惚け防止になるのではないだろうか。
 
by ロクスケ


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振り込め詐欺


 わたしは銀行のロビーで働いていますが今日はオレオレ詐欺の被害が出ました。あまり長くATM機の前にいるので「大丈夫ですか?」と声をかけると「大丈夫です!」とにらまれました。
 
 少しして別のスタッフが「振り込め詐欺やオレオレ詐欺が頻発していますが..」と行くと「息子に送るだけですから大丈夫です!!」それ以上は踏み込めません。

そして閉店間際警察から電話が入り..「あっ!あの人だぁ!」と話しているとご本人登場!57歳女性が700万円振り込んでしまったのでした。「大学生の息子さんが先輩の保証人になって逃げられた」ということで慌てて振り込んでしまったんだそうです。

 お年寄りという年でもないのに..

 ウチにはそんな大金はございませんが、皆さんお気をつけくださいね。
 
by みゆき

 まさかこの人がと思うような人が振り込め詐欺にひかかっています。一般に大がかりな詐欺よりも本当に単純な詐欺にひとはころころ引っかかるみたいですね。

 お話の57歳のおばちゃんも、おそらく社会経験の無い人何じゃないでしょうか。社会経験があると、勘が働くというか、それほど引っかからないみたいですけれど、それでも会社で使い込みが何年も分からなかったりもありますから、一概には言えません。

 あたしの知っている社長は、おれは人を疑うのは嫌いなんだ、といつも言っていて、詐欺とは言わないけれどうまい話を持ちかけられてはその気になり大盤振る舞いをし、結局お流れになって今は本人が無一文になっているようです。
 
 たとえば、知りあいの工場の親父に、今金がないと工場を手放さなくてはならないと言われ、俺に任せろとばかりに胸を叩き、まあ、数十万ですが貸したら後で聞いた話では、その工場はとっくに人手に渡っていて、その買い手から借りて細々と仕事をしていたとか。それも設備が古すぎ、技術もないので仕事がなくなり、その工場主は連日スナックで飲み歩き、その社長が貸した金はその飲み代に消えていたと言うお話があります。

 その工場主も知っていますが、自分で工夫して仕事を取ろうという気のない人で金を貸しても返ってきませんぜ、とあたしは言ったんですが、返すと言って居るんだから俺は疑わないと言ってました。いま、自分が破産しかねませんが、勿論貸した金は返ってきません。
 
 それでも、その社長にはこれがうまく行ったら金になる、あの人が金を都合してくれる、といろいろ聞かされています。

 まあ、そう言う人が世の中にはいると言うことです。

from ロクスケ




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人と自分との尺度と思いやり 1


 ADHDの人は脳が必要な事以外も吸収してしまうので(例・電話をしていても後ろの話が聞こえたり、視界も広かったりという風に)上手く処理が追いつかなくなり、注意力欠陥や、衝動的な行動を起こすって言われてる訳ですが(だけど逆に凄い面でもあったりもします、全てが全てでは無いとは思いますが)あたしの身の上にはやはりイージーミスのような忘れ物やら、先の事が考えれないという事やら、普通の人が何度もしないような間違いというか、ドジというか、性質というか、簡単な事な筈なのに、どういう理由なのか出来ない事が顕著に起こる訳です。(全てがADHDからだとは言い切れないですが)
普通そこまでミスすると自分でも気をつける筈だろうし、わざとしても何の得にもならない事な訳ですし。(苦笑)


 今回は自分と相手の立場で考えてみる試みを行ってみたりしました。

 相手を見ていると自分との差に良く気が付く筈な訳ですが、中々気が付く事が難しいという事です。

 やはり、あたしも物の見方や尺度は自分本位で考えてしまう訳で、相手も自分と同じ能力があると思い込み(逆に当たり前に相手が出来る事が出来ない訳ですが)あたしはよく、相手が何か他の事をしていても、話をちゃんと聞いていると勝手に解釈してしまう訳です。(自分がそうであるから)けれど、あたしの話した事は相手が作業中だったりすると、相手は聞いてないのでしょう。相手に伝わってない事が多く、「聞いてない」と言われて、あたしは驚く事が良くあります。

 逆に相手はあたしが他の事をしている時に話しかけても、話を聞いてないだろうと思うのでしょう。(相手がそうであるから)友達から「聞いてないでしょ?」という一言が来るわけです。

 相手の尺度からすれば、言葉が足りないと言われたりもします。

ー 続く ー

by はいじ


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人と自分との尺度と思いやり 2


 あたしは話をしている段階で、脳が自分で答えをその時に出してしまうと、1人で納得してしまって(相手はついて来ていると思い込むのです)あたしは次の事を話し始めるわけです。そして話は飛んで飛んで飛んで、変な方向に脱線して話を混乱させて行くというのが、あたしの定石らしいですが(むしろ定石の無い将棋で勝ってしまうような奇跡っぽい)問題は、相手も解っただろうという風に考える事なんだなぁと。

 あたしは当たり前の事が出来ないと言い続けて来たわけだけれど、逆にあたしの当たり前の事が周りの人が出来るかと言うと出来ない事が多いだろうし、その話を信頼してもらうのにも一苦労な訳です。(世の中多数決のような部分もあるので)けれど、身近な人達は、そういう事が繰り返されるうちに段々と理解してくれてきて「相手が聞いてなさそうな事でも聞いている事もあるんだなぁ、そういう人も居るんだな。」と、いう具合にぼんやりとしたものであるとは思うのですが自分が出来なくても相手に出来る事もあるという事を、多数決の多の方の人達は、劣等感を持たずにそういう事を思えるのだろうなぁと。

 少し損な部分は、あたしはやはり否定されてきて劣等感をもっていて、そうするとどうしても、自分でも何で出来ないんだろう?と考えてしまうのも自然で、自分は「脳の性質のおかげで、注意力欠陥や衝動性が出てるんだろうな。」という事に悩みに悩んだ末に、やっと結びついたとしても、相手の方はそこまで深く考えるだろうか?という問題点です。

 あたしも当たり前に出来ている方だったとしたら、簡単に気が付いてあげれる事ではないんだろうなぁと。逆の立場で考えてみると、見過ごしてしまうのも理解できるわけで。相手は自分は多数決の多の方なわけであって、今回の場合「当たり前という言葉の意味=多くの人が出来ている事」という事にすると自分が出来る行動は当たり前の事過ぎて、(日常的行動だから)多数決の多の方の人達が、少数の方の人達が出来る事、出来ない事に気が付けたとしても、その中で少数の方の人達が感じている劣等感には、中々気が付けるチャンスが少ないのかもしれないなと。

 あたしも、他の事で他人の痛みに気が付いてあげれない事も多々あるだろうけれど、相手を理解したいと思う気持ちがあれば、何はともあれ理解しきれないにしろ助けになる事は多いんじゃないかなと思う今日この頃です。

by はいじ



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欠点を受け止める事と変わる事の必要性

 あくまでもあたしの場合ですが、ADHDには時間の概念がないというか、時々凄い集中力で何かをしていたりその間に約束した事も脳内にはちゃんとあるのに、目の前の事の方へ向きがちです。

 自分の考え方や概念が他人と同じだと思う事はADHDの人じゃなくても良くある事だと思うのですが、やはりADHDの人は他の人より少し生き辛いだろうなと思うわけです。

 勿論、ADHDでなくても皆それぞれの価値観を持った人間ですから、自分の価値観を基本として相手を見てしまう事はありますし、相手の価値観を見れなくなる事もやはり多いと思います。

 社会への適応性が悪いのも集団生活が苦手だと言われるのもそこにあるのかなと改めて最近自分の性質というか、反省すべき点を考えさせられました。性質というものは簡単に直せる事じゃないというのも痛いほど感じるけれど、直したいという気持ちは大事だなと。

 多くの人は、ADHDの注意力不足や過集中や衝動性を性格だと思ってしまってADHDの人は誤解されやすく、人に注意されたりすると「どうしてこうなってしまうんだろう?何で普通の考え方に気が付かないんだろう?」と本当に悩んでしまう事が多々あると思います。そして、反省して変わりたいなら少しずつでいいから、気を付ければいつかは直ると思います。

 だけど本当に大事な事は自分が自分である事だろうなと。(意地になるわけではなく)勿論、他人にある程度合わせる事も大事だけども。認められたいから自分を無理やり抑えて相手に合わせるのは簡単だけれど、あとで自分にも相手にも逆効果になってしまって余計辛いだろうしADHDの人の本当の難関は当たり前のことの中にあるというのが難題なのかもしれませんが、誰も理解してくれないと思わずに、前向きに皆が考えていってくれれば嬉しいです。理解してくれる人もきっと居ると思うんです。

 無理をしたくなければ無理し過ぎなくてもいいと思うのです。短所であり長所であるような本当に紙一重の部分なのかなぁと、あたしは時々思います。

 常に多数決なわけではないし、けれど自分なりのルールで自分も他人も大事にしていきたいなと。そうやって色んな人の中であたし達は生きていかなければいけなくて。けれど、やれるはずです。やっちゃいましょう。
 
by はいじ



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注意力と集中力と運動能力


 社会で生活していくうえで、生活に支障を来たすほどの弊害があるので、障害という。だから、個人的には「障害」を「障がい」と改め表記したところで、何の意味もないことのような気がいたします。

 先日のメルマガ内で、ロクスケ氏が(車の運転に関して)集中力についてのご報告があったので、まずは、集中力ついてちょっと、掘り下げてみようかと思います。

 ご存じのとおり、集中力の欠如というのがADHDのトレードマークの一つになっております。ですが、何の作業に対しても集中力が乏しいということではなくて、これについての世間の認識はやぶさかであるとは、信じがたいものがあります。

 わたくしとしては、「興味のないことに関してのみ」集中力がない。と、認識しておるわけで、逆に、興味のあることに関しては、過集中になることも多分にあるわけで、それによって、よい結果が出ることもあるのだという意識を持っております。時には、ヤケドを負っているのに気づかず、そのことに集中していたり、といったことも例としてはあるわけです。

 わたくしは、幼い頃から「字を書くこと」に対しては、過集中傾向を持っています。書道も習っておりましたので、字を書くという作業は特技の一つとも呼べるのかもしれません。

 他の人にしてみれば、時として(気分によっては)どうしてそんなに「ヘタくそ」な字ですか?という字も書いてしまいますが、どうしたら、そんなに「のろま」に字が書けるのでしょう?というくらい、字を書くことだけは、じっくり落ち着いて、長時間でも取り組むことができます。

 したがって、ADHD仕様とは単純に集中する能力が乏しいだけと理解してしまうのは、とても危険であることがわかります。

 そして、注意力の欠如に関して。「うっかり」ミスというのは、一度までというのが一般的かとは、思います。ですが、「うっかり」ミスが、二度も三度も四度もということが多分にある。というのもADHD仕様の特性としてあることは、否めないのですが、

 いい加減に学習した方が身のためだと思うことのひとつは、「ナベを焦がす」ので、気をつけるべし。ナベを火にかけておいて、その間にパソコンに向かっても大丈夫よね。と考えるのが、身の程知らずのそもそもの間違いなのはとてもよく理解できているのですが、

 いざ、ナベを火にかけて、パソコンに向かってしまうと、いつも同じ事を繰り返し、ナベは白い煙を上げて、再起不能に陥ります。その後(あまり)「反省はしない」というのもわたくしの特徴かもしれません。

 ですから、いまでは、「火(ナベ)を見ていて!」と娘(中学生)に協力を仰ぐことにいたしました。娘が家にいる時だけ、火を使うことにいたしました。

 ケガというのもしょっちゅうで、どうしたら、そんなケガをしますか?という、申しあげるのも恥ずかしいほどの、ケガをいたします。未だに、階段からは落下いたします。

 これは、反射神経が乏しいからでしょうか。

 運動音痴であると、ADHD仕様の特徴のごとく認識されていることもあるわけですが、実際、わたくしは、運動音痴ではありません。ただ、反射神経は鈍いかもしれませんが、(これは、運動音痴と呼ぶのでしょうか?)息子は、運動神経も反射神経も劣ってはおりません。スキップだって、できます。ただし、チームワークを必要とするスポーツに関しては、参加が困難です。

 そして、「方向音痴」についても、まったく困ったもので、「ここは、どこ?」方向感覚を失うことも多分で、この年齢になっても、迷子になってしまうことも多いのですが、迷子になっても、道を尋ねることをしないですし(できないのです)結果、頭のなかは、パニックに陥ります。

 しかし、目あたらしい場所というのは、とても魅力を感じますので、「知らない場所」=「迷子になる」という法則は学習できそうにもありません。

 したがって、方向音痴は、一生治らないでしょう。という結論に達しました。

by びび



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ADHDの葛藤
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 ADHDの人達はしばしば、社会に適応することが困難です。言い訳ではなくそう思うわけで、先天的なものであればあるほど、大変なのです。


 あたしも、今まで何度も働こうと努力しました。でも、どうしても、言いようのない壁にぶつかり悔し涙を流し続けてたんですが、最近はもう、誰に否定されても劣等感を持たないようにと、心がけるようにしてるんですがやっぱり人間ですし、そんな簡単に割り切れません。

 特に自分がやりたくても出来ない事であればある程、その悔しさはつのり社会で認められない能力であればある程、不甲斐なさも色んな気持ちもつのっていってしまい、くじけてしまいそうになる事がしばしばです。

 だけど、自分に出来ること、ほんの少しの事でいいからやろうと頑張る気持ちが大切なんだと思う日々です。完全に治るとかでは無いとしても、少し気をつけたり気をつけなくても自分の能力を伸ばしたりしていけば素晴らしい事だと思います。

 生きていく自信を失ってしまっている人、沢山居ると思うんですがあたしは、生きて欲しいです。傲慢かもしれないですが。

 頑張っている事や悩んでいることや理解されない事を抱えつつ頑張っている人達をあたしは尊敬します。

 社会も大切で、でも、生きる事や価値を見出す事が一番大事だと思うんです。皆さん、生まれてきてくれてあたしの文章を読んでくれて本当にありがとうございます。あたしは、そこで救われています。だから生き続けて、頑張り続けて欲しいです(頑張り過ぎない程度に。)

 色んな繋がりに感謝しつつ、今日も負けじと生きていきたいですね。

by はいじ


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ADHDと子供と大人と

 最近やっとADHDという言葉が浸透してきて有難い限りですが、周囲のイメージはやはり子供達へと行きがちです。

 勿論、大人のADHD、ADDに属するあたし達はそれを嬉しく思うわけですが、子供の障害だという認知度の高さと、大人のADHDへの理解の少なさに時々悩まされます。人にADHDの話を振ってみた時に、まずやはり子供の話題になりますし。

 子供の場合はADHDの多動の子が目立ちますし、それは判り易くもあるし、病気という認識も高くなるのだろうなと。

 あたし達の場合、多動であろうとも、勿論大人であるわけで理性もちゃんと育つ訳ですし、多動性を子供の場合と比べると全然違ってくるので、大人とADHDを結びつける事がまだまだ難しいのだろうなぁと。

 決して子供だけの病気な訳でもなく、大人のADHDの人達も存在するわけです。勿論、幼少時代からの連続性だというのは前提ですが。

 最近「片づけられない女たち」等が有名になってからは、片付けが出来なければADHDなのだとか、安易に自分を当てはめてそれになろうとする人達が増えてきているのが本当に残念です。

 当てはめようとする事は間違ってるわけではないけれど、ちゃんとした自分に厳しい目を持って考えてみて欲しいと思います。色んな病気はありますし、性格もあります。

 言い訳には決して使えないとあたしは思ってますし、ADHDであろうと人間ですから。

 思考回路等の差なだけじゃないのかなとか。世が世ならADHDは病気じゃなかったのかもしれない、と思う訳です。決して自ら進んで病になろうとしてしまわぬ様に1歩立ち止まって考えてみて下さい。

 親の方々も、ちゃんと子供を見てあげる目が大事だと思います。本当にこの子はどうしようもない力で出来ないのか?他の子とこの子が違う所はどこなんだろう?本当は病気なんかじゃない方がいい訳ですし、誤診も良くないと思うので、一番近くに居る人が理解してあげられる筈なので、じっくりちゃんと見て考えてあげて下さい。

 大人にしろ子供にしろ、人を理解しようとして傍から見るという行動は大変な作業だと思います、完璧に理解出来る事はないかもしれなくても、続けて行く事には意義がありますし、めげずに頑張って行って欲しいと切実に思うあたしです。

by はいじ



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縁は異なもの味なもの


 必要な情報と異な情報

 「縁は異なもの味なもの」とは、たとえば、人と人との関わり。すなわち、一生涯に出会う人間如何で、人生も味なものにもなり得るであろうし、異なものにもなる。

 人と人との関わりは、人間として生まれたからには、避けて通れない道であろう。

 息子は、この4月より、中学校に進学した。公立中学校ですから本来は、学区内の中学校に行くのが道義的であろうし、義務なのだろう。そうしたかったのは山々であったが、「特別支援の必要な子ども」という位置づけである息子は、学区外の中学校の養護学級に進学をした。したがって、「通級」に彼の席は設けられなかった。

 しかし、「養護学級」とは、以前(おおむかし)の「特殊学級」という固定観念で判断をしたなら、恥をかくのは、いまの頭の固い大人であろう。

 なぜなら、以前とは教育システムは大幅に違いますし、少人数のクラス編成は、現代の教育において何よりの理想の姿であろうし、彼にとっては、ほぼ理想に近い学習環境であるし、対人関係も大変でないだろうし、気が散る要素も少ないからだ。

 彼の通う中学校の「養護学級」は、6組〜8組と3クラスあり、それぞれの生徒のパーソナリティにほぼ、適応している。(適しているのか否かは、わからないが)そして、息子は8組に在籍し、出席ナンバーは、1番。もうお分かりかと思われるが、18HRは、彼たった一人である。そして、彼の担任のS先生は過去に「養護学校」に勤務し、それなりに障害児への対応の経験を持っている。加えて、冷静で温厚な人柄であると推測するし、何よりも、息子の特徴をキャッチするのが早い。息子のブラックジョークも、かるく笑い飛ばしてしまうだろう。ただ、能力的にも常識的にも、人間規格範囲内の先生ですから、いらんことを深く考えすぎる傾向にある。したがって、わたしは先生に申しあげた。「せんせ、彼の特異な言動に対して、間違っていたら、是正してあげてくださいな。」「でも、あんまり深く考えない方が身のためですよ」と(笑)

 そのS先生曰く、「息子に、怖いものはなし」(はい、現在のところ、当たっております)「わたし的に、という理論を持っている」(はい、大当たり)だから、自分に必要のない情報は、インプットしない。というよりも取り入れる前に、シャットアウトしてしまう。・・・なるほどね。

 S先生との出会いが、息子にとって「味なもの」になるよう祈るだけである。
 
 
by びび






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妻(つれあい)


 私の妻はADHDである。生育環境がよほどよかったらしく、セルフエスティームがやたら高い。どこに行っても、自信満々だ。そのくせやたらに気の小さいところもあるのだが・・・。

 わが家には妻のほかにADHDの息子(小6)、社会性のあるADHDの娘(小3)がいる。

 妻は娘を女王様のように育てようとしている。娘本人は、「お母さんが女王様なら、私は王女様ね。」と言っている。
 
 娘の歯磨きの仕上げー普通なら、とうに自分ひとりで磨いてもいいものだが、歯科医に上手に磨けていないと言われたので、仕方なしにやっているーは、私の仕事だ。

 娘は夕方まで、外で泥んこになって、傷だらけになって、遊んできて、帰宅すると、TVを見る。さらにその後、勉強をするので、自分で歯を磨く、エネルギーが残っていないらしい。私にいきなり、「仕上げ」と言って、歯ブラシを差し出す。私は甘やかしてはいけないと思い、「仕上げは、自分で磨いてからだよ。」と、厳しくすることにしている。にもかかわらず、夕食後、だらしなく、うたた寝をしていた妻が、娘に泣きつかれて、磨いてやると娘に言ったらしい。

 自分の歯も満足に磨けないの妻が娘の仕上げー歯磨きーをしている。時々、ウトウトする妻。磨かれている娘も気持ちよさそうにスヤスヤし出す。

 子どもの就寝時間が来るたびに、こんなことが毎夜、こんな光景が繰りひろげられる。

by キャサリン





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とびまるの嫉妬

 ボクの母親は77歳になりますが、最近は、多少足腰が弱ってき て、関節痛を訴えることがあります。でもそれ以外は至って健康で、ここ一年ほどは、数独という数字のパズ ルにはまっています。縦と横のマス目に数字を入れて埋めていくんですが、一つの列に同じ数 字は入れられないという、なかなかやっかいなパズルです。
 
 書店でパズルの本を買ってきては問題を解き、解き終わったら解答と照 らし合わせて満足し、棚の上におく。そうしてまた新しい問題集を買ってきては問題を解き、積み上げる。そのようにして次から次へとパズルを解いています。最近では解くス ピードがどんどん速くなり一日か二日で本一冊をやっつけてしまうそう です。それでふつうの数独では飽きたらず、今度は「超難問シリーズ」 とかいうやつを買ってきたとか言っていました。
 
 思えば去年、ボクが実家に帰っていたとき、ボク自身も「大人の算数」 という計算ドリルにはまっていて、仕事の合間によくパソコンを立ち上 げて27+64=…とか76+57=…とかカチャカチャ計算していま した。すると母親がやってきてのぞき込み「またゲームして遊んでい る」と言うので「ゲームじゃないよ。計算ドリルだよ。絵を描いて右脳 を酷使したんで、これで左脳を活性化させてバランスをとっているん だ」と答えました。そうしたら「あ、間違えた。91でしょ。それ は133じゃない…計算下手ねー」と、ボクが入力するより先に正 解を言うので、頭にきて母親のいるとことではドリルをするのを止める ことにしました。
 
 母親と数字とのつきあいはずいぶん古く、高校を卒業して田舎の電電公 社(今のNTT)に入社。電話交換手という仕事をやっていました。そのころは電話をかけるとま ず交換手が電話口に出ます。「誰々さんにつないでください」と頼む と、電話線のコードをその誰々さんの電話番号のジャックに差し替える そうです。そうして話し終わると通信が切れるので、電話線を元の ジャックに戻し、その間何分何秒話したか、メモしておくそうです。
 
 母親は、その当時の地元の電話所有者の電話番号をすべて記憶し ていたそうです。でも昔のことだからその数は200件か300 件か、たかが知れていると思います。(ボクには絶対できませんが)そ うして仕事が終わると今度は、電話料金の計算を交換手全員で手分けし ておこなったそうです。AさんがBさんに何分何秒通話した から何十何円。CさんがDさんに何分何秒通話したから何十 何円。EさんがFさんに何分何秒通話して、これは長距離通 話だから、レートが変わって百何十何円…とかこんなぐあいにやったそ うです。
 
 そろばんを使う交換手もいましたが、母親は全部筆算と暗算で やったそうです。全員で答え合わせをして帳尻があえば、やっとその日 の仕事は終わり。そういった悠長な時代だったそうです。今ではとても 考えられませんね。
 
 あ、そうそう、タイトルの「とびまるの嫉妬」の意味を書きます。うち のウサギのとびまるは、母親になついているので、時々頭を撫でてもら いに、こたつに潜り込みます。その日は折り悪く、母親が数独に熱中し ていました。とびまるが来たのも気がつかなかったそうです。ふと気が つくと、そばに置いてあった消しゴムがない。どこにいったのだろうと 探してみたら、とびまるに囓られてボロボロになって転がっていたそう です。相手をしてくれなかったから怒ったのだろうと、母親は言ってい ました。

by mogurin





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母のボケ
 
 先日、兄の見舞いのため実家に娘(小3社会性のあるADHD)を連れて帰省した。

 父が兄に付き添っているので、母と娘を連れて、病院へ向かった。家で母としばらく、会話したのだが、母がボケているなんて、全く感じなかった。ところが、病院に近づくに連れ、母の行動が妙になってくる。

 病院の建物に入ると、兄の病室のある階までは、スタスタ歩いて、エレベータに乗って難なく着いた。だが、外から見ても明らかに病室ではない、談話室を兄の病室だと主張する。談話室の中には男女3名がテーブルを囲んでいる。それでも母は探索を止めない。私が、「ここは病室じゃないよ。」と言っても、孫娘が入り口の名札―火元責任者とその氏名が書かれているー(娘もよく判っていない)を指差しても、給湯室などのカーテンの仕切りを開けて、覗いてはしきりに首を傾げる。

 「ナースステーションのすぐそばだったはずなのに。」と言うので、ナースステーションの廊下を挟んで、隣にある病室を見ると、兄の名札が掛かっている。「ここだよ。おかあさん。」と声をかけようとすると、母はその部屋をすっとばして、隣の部屋へ入ろうとして、覗きこんでいる。やっとのことで、兄の部屋へ引っ張って行った。

 私が来たことを喜んだ父は、兄に私の来たことを報告している。兄は意識はあるが、脈絡のないことをしゃべっている。骨の上にわずかに残った肉と皮をかぶっている身体。二度、危篤の知らせがあったが、いつ死んでもおかしくないくらい衰弱している。私が水差しで水を呑ませて、しばらくすると、兄は「疲れたから、寝るよ。」と、まともなことを言って、壁の方を向き、私たちに背を向けた。こんな容態では疲れるのは当たり前だと、私は思ったのだが、母は私に耳打ちする。「おとうさんが甘やかすから、あんなにわがままになってしまって。」と。

 これまで、ボケの傾向なんて微塵もなかった母だが、兄の三度目の危篤・兄の衰弱した様子から逃避しようとして、ボケてしまったのだろう。母にとっては目を逸らしたくなるような現実にちがいない。

 by キャサリン






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がんばるということ


がんばらなくて、いいですよ(笑)

わたしが、息子に対してよく、発する言葉です。それがよいのか否かは、正直わかりません。だって、がんばったって、できないことって誰にでもありますよね?

わたしの場合、「がんばらなくていい」は、ある種の開き直りであると、解釈いただけたらうれしく思います。

この場合の、「がんばる」の意としては、「困難にめげずに、ガマンしてやり抜く」(ガマンするというのは、ネックです)「持てる最大限の努力をする」と捉えてください。(努力もネックです)

ADHDの方に限ったことではないのかもわかりませんが、特にADHDの方、みなさん、がんばり過ぎです。

逆に、わたしのこれまでは、がんばると周囲の期待に応えられなかったプレッシャーをフィードバックさせ、ろくな事態を招かないことが多かったという事実も存在します。「がんばれ!」とは実に、抽象的且つ、あいまい、簡単&便利な言葉であると思っています。また、社交辞令であるような気がしてなりません。(あまのじゃくでしょか?)便利すぎて、責任がなくて、個人的には、スキな言葉ではないのです。

ただ、自分が自分に向けて奮い立たせるためには、よいものであると、思っています。

また、わたしは、幼少から責任感が強いという評価をいただき、世の皆さんを裏切ってはいけない。という思いが、かなりの重圧になっています。わたしは、なぜか?人に「がんばれ!」とよく、言われます。(・・・そんなに「お疲れさん」に映っているのでしょうか?)

また、「やればできるじゃん」とも言われます。やったからできたわけじゃない、がんばったからできたわけじゃないのに、って思いますが(笑)成るように、なっただけ。そういう風に思います。

でも、いつも「がんばれ!」と言われて思うことは、「何に、がんばるの?」「何を、がんばるの?」と逆にお尋ねしたくなるということです。そいうことって、ありませんか?

だから、わたしは、「がんばれ」とは、言わないし、言えません。「がんばれ」の誤使用に、違和感を覚えます。


by びび


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カブト虫を放す


 秋めいてきた昨夕、息子(ADHD、小6)は飼っていたカブト虫を逃がすことにしたようだ。

 家のすぐ裏は小さな雑木林になっている。息子は、そちら側の窓の外にあるフェンスの上にカブト虫を置いた。カブト虫はすぐには飛んでいかなかった。

 「フェンスにしがみついている。」と、しばらく観察していた息子が報告。息子はお腹が空いているのかもと、先ほどまでカブト虫がかぶりついていたゼリーをフェンスの上に置いてみたりしている。カブト虫はゼリーを食べたりして、やはりフェンスの上にいる。

 結局、息子が床につく前に見た時にもカブト虫は相変わらず、フェンスの上にいた。

 今朝になって、見た時にはカブト虫もゼリーもなくなっていた。

 息子は、自分の飼っている命が亡くなるのを見るのに絶えられなくなったのだろう。ー先日、私のハムスターが亡くなった時にも号泣していた。

 息子が年中だったか、年長だった頃に私のおじがくれた幼虫のカブト虫、ビジョノバズー(息子がつけた名前)を蛹の時に死なせて以来、数十匹ものカブト虫やクワガタを買ったり、もらったりして飼っていたが、当然、死なれる。その度に息子は泣く。号泣する。

 泣く息子を見るのが辛くて、私は死体をこっそり庭に埋めたことも度々あった。おかげで、我が家のぬれ縁の下は、カブト虫とクワガタなどの死体の山だ。

 もう一匹買っているクワガタは今日逃がすそうだ。カブト虫と同じ日に逃がすと、カブト虫にやられるのを恐れたからだ。

by キャサリン






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もの凄い夢


 ある晩のこと、表が騒がしいので、眠い目をこすりながら窓のほうを見ると、車のヘッドライトが窓ガラスに反射して一条の光が天井をなめるように横切っていきました。砂利が飛び散る音がして車が止まり、ドアがばたんと閉まる音がしまし た。ボクは何事だろうと、飛び起きて窓の方へ駆け寄りました。小学5年生ぐらいの頃だったと思います。ガラッと窓が開いて、外には酒臭い息を吐きながら父親が立っていまし た。左手に何か白いものをぶら下げています。よく見るとしきりにもがいて います。
 
 「moguよ、今日はいいものをもらってきた。このネズミをとびに食わせる といいんだ」 ”とび”というのはボクが飼っているウサギです。「とびにもたまには栄養のあるものをやらんといかん」そう言ってとびのカゴにネズミを放り込みました。とびはウサギのくせ に、ボクの握りこぶしほどもあるそのネズミを前足で押さえつけ、頭からむしゃむしゃ食べてしまいました。しっぽの先がと びの口の中にちゅるっと吸い込まれるところまで見届けました。ボクはショックのあまり、呆然と突っ立っていました。「ウサギって……ネズミを食べるんだ……」と思った瞬間、目が覚めました。ああよかった、夢だった。

 でも次の話は本当です。とびが3歳くらいの頃だったと思います。食欲旺盛で、えさ箱に山盛り入れたラビットフードも、数時間でからっぽになり、カゴの底は ころころしたうんちが大量に散らばっている、といった毎日でした。ぼくはウサギが何を好むのか、実験してみようと思いいろいろと与えてみました。キャベツ、にんじん、ほうれんそう、レタス、ピーマン、ジャガイモ、パン、ごはん、クッキー、チョコレー ト…人間の食べるものはだいたい口にすることがわかりました。また、葱やタマネギ、スルメなどは、見向きもしないこともわかりまし た。

 ある夏の終わり、ボクは公園でアブラゼミをつかまえました。ちっという声をたてて、数メートル飛び地面にぽとりと落ちます。腹をみせて羽をばたつかせています。弱った雄のアブラゼミでした。繁殖期がおわり、あとは寿命の尽きるのを待つだけといった感じでした。ボクはそいつを、とびのカゴにいれたのでした。するととびは、すぐにそれに食らいつきばりばりむしゃむしゃと食べて しまったのでした。ボクはショックのあまり、呆然と突っ立っていました。「ウサギって……セミを食べるんだ……」

 by mogurin
 
 草食動物も動物タンパクは食べます。だから、牛などにも生魚を食べさせると良い牛乳が出ると言いますし、飼料の中にも魚粉や骨粉などが入っています。逆に肉食動物も草を食べます。猫が外で葉っぱを食べるのはよく見られています。
 
 で、ハトなどが死んだセミを食べるのを見たことがありますよ。ローマ人がセミを好んで食べたのは良く知られていてセミ料理のレシピが残っているとか。あたしも子供の頃年上の子にセミを食べさせられました。まさか食べるとは思っていなかったのでしょうが、あたしが全く迷わずセミを口に入れてかみ砕いたので、食べさせた方がびっくりしたようです。
 
 生セミですが、味は覚えていません。小さい頃から婆さんにイナゴを食べさせられていたので抵抗がなかったのかも知れません。今の気節、美味そうなセミがあちこちに落ちています。
 
from ロクスケ





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手書きの勧め

 今日テレビで観ていたら、文字を手書きしないと日本語が駄目になる言っていました。私は最近は手書き文字を殆ど書きません。もっぱらパソコンです。なるほど、自覚症状があります。最近それも気になり、手書きで書く様にしてますが、ただ、文書の保存、編集、配布などを考えると手書きではまことに不便なのでありパソコンを使わないわけには行かないのです。

 で、専ら文字の練習という形で手書き文字を書くことにしています。改めて、漢字を忘れていることを痛感しますね。そして、文字が汚い。これは元々なんですが、ボールペンやサインペンで書くと本当に汚い文字になり、自分でも嫌になります。

 今、脳の体操の一つとして文字の書き写しが流行っているそうですが、文字を綺麗に書く場合は、やはり万年筆が良いですね。ボールペンは便利ですが、ようするにメモだけです。鉛筆も良い鉛筆はやはり書き味も良く、見直しました。

 先日、万年筆型毛筆ペンを取り出し、固まっていたインクを洗い流し、新しいカートリッジを買ってきて使ってみました。毛筆自体が既にすり減っていて、高い金を出して買った万年筆型筆ペンは無駄だと分かりました。100円ショップの筆ペンで十分ですが、そうなると大昔使っていた筆、硯、墨を引っ張り出し、使うなど考えてみようと思ってます。手間が大変なんですが。

 皆さん、硯箱を持っていますか?私は持っていますよ。昔から上手な文字を書きたいとなんども悪あがきをした印です。

 文字の練習自体、惚け防止に役立つそうですしね。精神的な安定にも役立つかも知れない。

 そう言えば昔、自分の名刺を全て万年筆による手書きで作っている人が居ました。一度に100枚位書くんだそうですが、とにかく額に入れて飾っておきたい位味のある上手な文字であり、米粒位の電話番号などもきちんと読める楷書で書いてまして、印象に残りますね。文字と言えば、昔米国に行ってなにかの文書を書いた時、見ていた役人がもの凄く字が上手いと褒めてくれました。考えてみればアルファベットを綺麗に書く練習を昔散々やりましたから、そのおかげでしょう。今は、やはり手書きをしないので、たまに書くとアメリカミミズが這ったような字ですが。パソコン以前は殆どタイプライターを使ってましたから。アメリカ人も文書はタイプライターを使ってましたから(私が出会ったアメリカ人のタイピストは、それが飛んでもなく速く、私の5倍位のスピードだったような気がします。私だって、日本じゃそれほどタイピングは遅くはないんですが。
 
 言われてみれば、アメリカ人の文字は本当に汚く酷い悪筆が普通ですが、文字を綺麗に書くという意識が文化の中にないのでしょうか。日本では悪筆はやはり恥という意識がありますしね。欧米でもペン習字というかカリグラフィと言うアートはありますが、上手く書くと言うよりデザインの一環としての様です。それが一番発達しているのは、偶像を認めないイスラム圏でしょうけれどね。

 私はかつて田舎の父親に毎日一枚ずつ葉書を書き、総数で2000枚を越しました。そのころに父が亡くなったので終わってしまいましたが、父がその葉書を日付順に整理をしてくれていたので、いまそれはわたしの手元にあります。万年筆で非常に細かい文字で葉書の裏は勿論、表の住所の下にもびっしりと書き、400字詰めで5枚程度の文章でした。ただ、文字が汚く、父はいつも読みにくいと言っていましたが、綺麗に丁寧に書くと文章が止まってしまうからです。その点、やはりパソコンの方が有利です。

 今でもシステム手帳に葉書を数枚入れてあり、暇が出来たら葉書を書くなどをしてましたが、最近殆どやっていません。その習慣は再開しても良いかと思います。前は電車の中や喫茶店、公園のベンチなどで書いて、多い時は一日10枚ほどを色々な人に出していましたからね。

 書くという習慣がなかったら私は今以上に惚けていたでしょうね。話がずれましたが、結局文章を書くことで、自分の考えをまとめることが出来るし、おそらく惚け防止になるだろうと思う次第です。


by ロクスケ


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息子たちとの食卓

 昨日家に帰ると、ほどなく次男(19)が帰ってきた。私の顔を見るなり「なんか食べるもの作れる?」と言う。いつもは作ってあっても、友達に会いに行ってしまうのに「今日は一日何にも食べていないんだよ。腹へって死にそう。」とのこと。ちょうどご飯を3合炊いていたところだったので、シャケを焼いて、肉野菜炒めを作った。急いでいたので、この2品でがまんしてもらった。すると、私の料理にはいつも期待していない次男が「お、この野菜炒めはうまいなあ。うん、おいしいよ。」と言う。私は「よっぽどおなかがすいていたんじゃないの?」と答えてしまった。次男は、シャケをぺろりと食べてしまい、おかわり!私のシャケを半分あげることにした。ところが、本当におなかがすいていたと見えて、再度おかわり!「自分でよそりなさい」と言うと不満顔。
 
 ついには長男のシャケにも手をつけてしまった。「おいおい、長男の分は残して置けよ。あとで怒るぜ。」と言うが、ちまちまつついている。おなかがいっぱいになるまで食べて、私ともいろいろとおしゃべりをして、最後に私が自分用に買ってきたビタミン入りのスポーツドリンクもぐいと飲んで、部屋に引き上げていった。その際、冬は落ち込むのでリタリンが欲しいと次男が言うので、「医者のところへお行き。」と私は答えた。

 それから数分後に長男(21)が水泳から帰ってきた。長男は帰るなり、スポーツドリンクをぐいと飲む。「全くお前たちは、どうして2Lのペットボトル飲料をコップに注がないで飲むんだろうねえ!」と私もいらいら!!「すまんすまん。」と言いながら、長男はごはんをよそって「飯たりねー」と言う。長男は「この肉野菜炒めうまいなあ。」と言った。あれ、今日の肉野菜は人気が高い。長男は結局2杯しかご飯が残っていなかったので、「しょうがないなあ、カップラーメンでもたべるか。」と言うので、「ご飯炊くよ。」と私は言って即ご飯を炊きはじめた。長男が少しシャケを残したので「残すなら次男に上げたのに。」と少々不満げに言うとその場で全部たいらげた。
 
 その間に長男と会話をする。いきなり「おかあさあ、俺、友達と大学行こうかなと思うんだ。」と言い出すので驚いた。高校卒業後もうこれ以上勉強したくないと大学行きを嫌がった長男が「友達に諭された。」そうで、受験しようと思ったそうだ。

 大学へ行かないと言われた2年前に、彼の学資保険満期金は、生活費へと消えてしまった。大学へ受かったら、教育資金を借りるしかない。うちは母子家庭なので、私の稼ぎしか収入がない。でも、大学へ行きたいのなら、なんとかして行かしてやりたい。彼が、高校卒業後大学へ行かないことに決めたとき、「強制的に大学へいかせることはできない」と思った。また「大学はいつでもいける。」とも思った。実際、私は一度大学卒業後、夜間大学に入りなおしている。勉強しようと思ったときが花なのだ。

 私は大きくなった子どもの人生を肯定してきた。いつも彼らの支援者として見守ってきた。彼らはADHDをもち、飽きっぽくて長続きしないが、一度社会に出てからだいぶ落ち着いてきた。次男は言う。「俺たちはさあ、他のうちの子供が母親を好きなよりも、ずっとずっとおかあちゃん好きだからさ。俺たちのこと否定しないで見てくれているのはよくわかっているから、ありがとね。」この言葉に答えられる母親でありたいと思う。久々の息子たちとの楽しい食事になった。


by MUSICA




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娘の夢  

 行き付けの小さなベーカリーへ今日、行った息子(小6、ADHD)がチョコレートケーキ―いつもは売っていないーがあったという話をしていた時、娘(小3、ADHDの傾向、社会性のあるADHDと私は呼んでいる)が、「サンタさんにそのケーキ上げようかな」と、唐突に娘が言った。どうやら、クッキーの代わりにケーキを上げようと言うのだ。ふつう、プレゼントを持ってきてくれたサンタさんをねぎらって、クッキーをツリーのそばに置いておくのだが・・・。

 翌朝、「サンタさんの夢、見ちゃった。」と、娘が話し始めた。娘によるとサンタさんに「シルバニアの三階建ての家」をもらった。すると、気がついたらシルバニアの人形サイズになっていて、今もらったばかりの「三階建ての家」の中にいた。(サンタさんを見ちゃったのがいけなかったのかなぁ。)と考えていたら、目が覚めた。

 すると、枕もとにあの「三階建ての家」が置いてあった。と思ったら、また、目が覚めた。とのこと。

 いつもながら、シンプルな頭の中だ。 クリスマスプレゼントは「シルバニアの三階建ての家」か。 
 
 
by キャサリン






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ADHDの私が子どもを生んで

 私は子どもの頃から変わり者でした。いつも両親の愛情不足があったと感じています。親には万年反抗期と言われ、いつも姉と比較されこき下ろされました。それと言うのも親が私のことを決して認めてくれなかったからです。姉は「確かにお前は両親の不満のはけ口にされていた。かわいそうだった。」と言います。

 でも、両親は体面を気にする人で、私が音楽大学へ行くための資金は用意してくれました。そして、お金では不自由がなかったように思います。

 私は、大学生のときの個人教授とうまくいかず(音楽大学ではゼミでなくて、個人の先生の授業が4年間あります)、自分の音楽的才能のなさにもきっぱりと割り切り、両親の出してくれたお金を無駄にしないためにとりあえず卒業をしました。でも、その間他の大学の経済学部などに通い、あるいは大学主催のコミュニティーカレッジなどに夜通っては勉強し、ある有名大学の教授から大学院を受けないかと言われたほどです。でも母に音楽大学の大学院なら良いが、経済学部では一銭も出せないと言われてしまい、仕方なく就職をします。その後夜学の法学部に編入して卒業しました。同級生には飛んでるMUSICAちゃんと言われていました。

 今も働いている職場が就職先です。その後結婚し、子どもを二人儲けました。夫と言う人は変わった人で、夫の幼馴染に「あいつが結婚できるとは夢にも思わなかった」と言われました。確かに変わっていました。妙な趣味に埋没し、こだわりが強く、一見温厚ですが実は非常に頑固でセルフィッシュな人でした。子どもが授かったときも知らん顔でした。なにしろ、生まれそうだと言うと、出張を作っていなくなってしまった人です。生まれてから「帰ってくるよう」連絡をすると「こんなことのために帰らなくてはならなかった。」と文句を言われました。それからは、本当に私一人の育児の生活でした。3度離婚を申し立てましたがいずれも断られ、最後は夫が1年間口を利かないと言う理由(何か気に入らないと私にだけは一定の期間口を聞かないという手段で夫婦としてかなりの不具合が多々ありました)で地域の人が動いてくれてやっと7年前に離婚する運びになりました。今考えるとアスペルガー症候群に間違いないと思います。

 長男は今でもそうですが、睡眠のリズムがつかない子どもでした。赤ちゃんのときも5歳くらいまで夜7〜8回起きました。夜尿もひどかったのです。次男が2年後に生まれてから生後1ヶ月ですやすや眠るのを見て、これが普通だ!と思いました。ところが、次男は保育園で歩き出した頃から、すぐにいなくなってしまう問題児でした。じっと落ち着いていられないのです。それは保育園にいる間中続き、保育園の問題児としてきつく処罰の対象になっていきました。とうとう次男は夜驚症と言って、夜中に泣き喚き私を呼び続ける状態になってしまいました。保育園と話し合い、あまりきつく叱らないようにしてもらったら、ぴたっと夜驚症は治りました。子どもにも相当負担になっていたのでしょう。

 長男は、友達を必要とせず、いつも一人で遊んでいる子どもでした。保育園では手のかからない良い子で通っていました。でも、私はあまりに不自然なコミュニケーションをする長男の様子がおかしいと思っていました。学校に上がってからも、学童保育では風船を一つ与えておけばずっと一人で遊んでいたのです。

 私は、かれこれ18年位前ですが図書館へ行っていろいろな本を読み漁って子どもたちの様子から「MBD」という障害だと思いました。当時は微細脳機能障害というような和名がつけられていたのです。でも、どこで検査してもらえるのかわからず、そのまま時間は過ぎていきました。その後子どもたちが就学してからADHDまたはLDではないか、と確信していきました。

 ある日、小学校1年生の次男が学校から帰らないと児童保育から連絡があります。その後担任から電話があり、「殴ったわけではないがおしゃべりが過ぎるので、両手で耳をパンと押さえたところ、鼓膜に穴が空いてしまった」と言うのです。私は、教師をしている友人に助けを求めました。そして、都立教育研究所というところの身障担当の指導主事を紹介してもらいます。そこで、次男を観察してもらい、やはり「LDでしょう」ということで病院を紹介されます。

 私は長男にも問題があると確信し、児童の精神病院へ連れて行き二人とも検査します。結果は二人ともLD。診断名はADHDです。
私は、それまでも自分が否定されて育ったので、子どもたちをなるべく受け入れて肯定して育てようと決心していました。夫からも守ろうとしました。子どもたちは時々かんしゃくを起こす父親を恐れていました。地域の人、学校の人、子どもにかかわるあらゆる人に、子どもたちの障害を理解していただくための努力をしました。そして、障害についての勉強もたくさんしました。
でも、「この学校から出て行って欲しい」という保護者に出会ったこともあり、更なるひどさは、「どの学校が良いかわからないが転校したらどうか」という教師までいました。

 それでも忍耐強く子どもたちと関わってきました。子どもたちは現在は成人ですが、自分の障害を認識して自分の行動をコントロールしながら生きています。大学へ行く気持ちはないけれど、心の優しい大人になりました。今、二人はバイトしています。

 そして、たまに3人でご飯を食べると「かあちゃん、病気とかしてないか。大丈夫か。」と言ってくれます。「かあちゃんは、よそんちの母ちゃんと違って、俺たちを信じてくれているから好きだよ。ほんとにここまで育ててくれてありがとう。」とも。

 私は、この子どもたちが成長していく過程で自分もADHDだと自覚しましたので、昨年診断を仰ぎ、やはり不注意優先型のADHDと診断されました。また、長男はその医師にADHDではなくアスペルガー症候群と診断されました。

 私の家の中は本当にごみためのようです。整理整頓が全くできません。家事全体が苦手です。おまけに鬱も併発しています。そして、仕事では四苦八苦しています。いろいろな不条理も味わいました。

 でも、私は子どもを生んで良かったと思っています。子どもは私の宝であり、人類の宝だと思います。ADHDと診断されて子どもを生むことにためらっている人はこれから増えると思います。でも、自分がされて嫌だったことがわかるのですから、子どもを上手に育てられるのではないかと思います。生める人は生んでください。どんな子どもが生まれてくるのかは、天の授かり物ですからわかりませんが、ADHDの私にもなんとか子育てはできました。あなたのところにきた赤ちゃんは、あなたに親になって欲しいと思ってきたのです。これは私からのメッセージです。

by MUSICA






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おかんは「ドラみちゃん」

 昨日、久々に家族3人が揃った。次男の懇願で、あるハンバーガー屋のハンバーガーを買ってきた。普段はそんなファーストフードとは縁がないのだが、次男の分と私のを買って来たら、長男が家にいることがわかり、やはり平等にと思って、再度ハンバーガー屋に長男の分を買いに行った。

  三人で話していると、次男が長男に「あのさあ、お前の友達って超礼儀悪くない!?」と言い出した。そうそう、いつも家に入ってくるときに挨拶する子どもが少ない。子どもと言ってももう20歳を超えているのだからたまったものではない。時々、長男がいなくて友達だけいて、物音がするが挨拶もされないので「泥棒かなあ・・・・・汗;)」と思うことさえある。次男が「お前の友達さあ、礼儀悪いやつって文句言っていいか?俺はともかく、お母ちゃんに失礼だよ。俺は自分の友達に挨拶するよう言っているんだぜ。」と言う。そうそう、次男の友達はたとえトイレ貸して!というときでさえ、ちゃんと「お邪魔します。」と言う。

 長男は「文句言ってくれ。蹴ってもいいぜ。ばしばし叱ってやれ。」と言う。自分で指導するつもりはないらしい。

 次男は「よし、わかった。お母ちゃんも言うんだよ。」と私に言う。わかった・・・。

 と次男は偉ぶりながらも、長男のほうのあったかいハンバーガーをこっそり食べていたりする(笑)。

 3人の食事が終わって、それぞれまた別々に家を出た。そして、私が帰ってくると、3階から男性が降りてきて「あのー。お邪魔してます。○○クンの友人で。」と言うが、長男の名前だか次男の名前だかはっきりしない。「え!どっちの子?上の子?わかったわ。」

 さっき話したばかりのことだ。こういうことは本当に嫌だ。

  長男が帰ってきて、「お前の友達らしい人が来ているよ。」と言うと「知ってる。」と言う。メールぐらい寄こせばいいのに、全く。

 さて、朝になりごみを出しに玄関に行くと知らない靴が二足ある。ははーん、さては二人来たな。と思って、2階に上がっていくと、昨日会った男性がたった一枚のボアシーツに包まって寒そうに寝ている。あらー、シュラフがいつも2階に置いてあるのに、こんな寒いところで!と思って、正方形に広げたシュラフを掛けて暖房をつけてあげた。彼は気がついたようで「すみません。」と言う。

  昼過ぎの3時頃になって、子どもたちが外食から帰ってきた。友人二人とがん首並べている。初めて長男が「何君と何君です。」と紹介した。「初めまして。」と言うと向こうは二人とも笑って「いや、初めてじゃないですよ。何度も会っています。」と言う。「あら、ごめんなさいね。覚えていなくて。」知らない間に私に会っているというのだ。怖い怖い。

 長男は笑いながら「おかんの顔は、すでに俺たちの仲間の間では知られておるんだよ。第一『ドラみちゃん』というあだ名までついておるんだわ。」と言う。

 「むうー。何ゆえドラみちゃんなんだ?」と言うと、長男はますます高らかに笑って「太っているから!」と念を押した。とほほ。「さっき、体重測ったら2キロ減っていたぞ。」と対抗するが、長男は「うちの体重計は当てにならんワイ。」と返事。

 はあ、年をとっていくと、子どもにとっては親は何なんだかねと改めて思ってしまった。まあ、カワイイ系のキャラクターの愛称がついただけましかもしれない。



 by MUSICA






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使えない職員と指導力のない長

 私の職場には、全然仕事のできない男が一人いる。

 その男は私よりも位が高い。一番位が高い長に、その人について非常に困っているという話をしていた。仕事は抜け出すわ、自分のするべき仕事はしないわ、人の批判をするわ、はては、私がエプロンをするときに「やってあげるよ。」などと近づいて実際にボタンに手を掛けた、とんでもセクハラ野郎である。

 そういうことを、私や他の職員は長に訴えてきた。ところが、長はわかっていつつも、自分でその男を指導できない。「言っても無駄だ。」と片付けてしまう。

 先日、私が休みの日に火災報知機がなる騒ぎがあった。そのとき、その男は抜け出していてどこにいるかわからない状態だった。挙句の果て、他の職員も何をして良いかわからず、委託業者のチーフが職員よりもキチンとした対応をしたのだった。とにかく、現場にいる人を避難誘導させたのだ。

 翌日、そのことを聞いて長は怒りまくった。確かにその男は位が高いので責任は重い。かつ職員も間抜けである。

 しかし、職員はじゃあ、長はそのだめ職員を指導してくれていたのか!と思ったのだった。長は何に対して怒っているのかわからない始末だった。そして、いきなり、防火点検責任区分という表を配った。だが、全員揃うのは月1回の職場である。絵に描いたもちだ。

 その後、全員の会議の日があった。そのときに防災について、当日いた職員の反省点を聞いた。あるものはそのだめ男を捜しに走ったし、あるものは電話の応対をしていた。あるものは、報知器の音がうるさいと音量を下げたと言う。あるものは、どうしていいかわからず、委託業者が避難誘導を始めたのでそれに追随して避難誘導をしたという。

 長は「今後どうしたらよいと思いますか。」と言った。なんじゃらほい!貴方は長でしょ。「自分はこうしたいがみんなは違う意見があるか。」と言うならまだしも、職員に「聞く」までもない問題ではないか!

 私は、わけもなく腹が立った。

 「私は、予め訓練と聞かされていない以上、火災報知機がなったら、すぐにその場にいるお客様を避難させます。そもそも、火災報知機が何のために設置されているのでしょうか。いつも誤報だから、今回も大丈夫なんてことは考えない。とにかく避難が一番最初にやるべきことです。そのあと、うちのビルには5つの事務所が入っているので、管理しているところに情報を得るためにだれか一人は走ったほうが良いでしょう。私たちの職場では時に70〜100人くらい人がごった返していることもあり、今回は人が少なかったとはいえ、大人数が火災で亡くなるなどということがあってはならない。また、子どももくるので、子どもの部屋はその場に常時いる職員がすぐにまとめて、先に避難させるべきです。また、大人のほうも特に常時だれかしらの職員がいるはずで、その当番に当たったものが中心になって避難誘導するべきです。事務室にいるものは、手分けして、トイレなどに逃げ遅れがいないか、把握する必要があります。いつも長がいるとは限らない。職員の誰もが自覚を持って避難誘導すべきです。仮に、誤報であったならば、文句を言われても、よいではありませんか。「命あってのモノダネですから。誤報を前提にするのは絶対におかしな話です。」

 と一気にまくし立てました。

 みんなも納得した。

 そして、訓練をしたが、細かいことを指示したのはほとんど私で、長も私より位の高いだめ男もろくに意見もでない。また、全体放送マイクを使ったのだが、うまく音がでないことがあって、その理由は私が突き止めた。なぜなのか長は不思議がった。私は注意して聞いたら、それは、マイク使用前に音がピンポンポンポーンとなるのだが、音が下がって鳴るときはマイクが入らないということだ。上がってなるときに初めてマイクが使用できる。

 だめ男などは、本当に論外で、「避難する際に持ち出さなくてはいけないものってありますか?何か貴重品とか、コピー機のお金とか。展示してあるものを持っていく人はいないかな。」と言う。うんざりだ。みんなもあきれて「ありません。命のほうが大事ですから。」と言い返した。

 こういう職場は、本当に最低だ。

 私がいないときに本当に火災発生したら、全員焼け死ぬかもしれない。

 by MUSICA



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皆様初めまして
とくにみりんさんは、WingBrain委員会の新メンバーです。皆さん、宜しく。プロフィルはhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~wingbrain/member.htmlに有ります。

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皆様初めまして

 ロクスケさんにご紹介頂きました「とくにみりん」です。ADDを自覚してから、まだ僅かしか経っていない新人です(笑)。今後とも宜しくお願い申し上げます。

 さて私は、高校卒業から二十年に渡り、働き続けて参りました。が、昨年より必要?以上にポカを連発するようになり最近では自己嫌悪で鬱も併発(再発)、そんな折、図書館で何気に手にとった「片付けられない女たち」を読みショックを受けました。自分の個性と、"症状"を分けて考える事が出来るなんて、想像だにしていませんでした。

 自己診断/成人向けチェックでは、「金銭管理が出来ない」を除き、全てが当てはまります。(注※「支払い」の管理が出来るだけで、衝動的な浪費は抑えられません)

 ・・・で
これからますます過密になる今の職場ではもう、人並みの仕事は続けられない事、薬による事態の改善も望んでいない(以前SSRIでひどい目に遭った)事から思い切って退職する事にした次第です。正直、こんな幕引きは不本意です。何より周囲の理解を得られないまま「(仕事が)出来そうなのに実は出来ない、とくにみりんさん」で終わってしまうのは本当に悔しいのですが。。。

 でも、自分にしか出来ない事がある、本来の自分/ADDの特性を見つけて活かせばきっと活路は見出せる、そう信じて一歩を踏み出しました。

 繰り返しますが、皆様どうぞご鞭撻の程お願い申し上げます。

 (初めてでしたので、少々長くなりました事、どうかご容赦下さい。ご精読、有難うございました。)

by とくにみりん


ADHD自体が悪くなったり良くなったりはしませんが、人間としての精神的な状態の変化がありますから、たとえば鬱状態が出たりするとポカミスを連発したりパニックになったりしますね。わたしもそうです。わたしは長い付き合いなので、そう言うものだと割り切ってます。

それに、自分の特色を活かせば道も開けます。マイペースで焦らず行きましょ。わたしもそうしてますよ。

from ロクスケ






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カメラマンは喋らない

 ここのところ、フジテレビの「発達障害に関するドキュメント番組」で取材を何度か、受けています。収録は今月から三月にかけて、何度か 行います。放送は四月、毎週日曜日、時間帯はP.M.2:00〜2:55のドキュメンタリー番組です。

番組   フジテレビ「ザ・ノンフィクション」
     (毎週日曜日 午後2時〜2時55分)
放送予定  4月頃で調整中

 その様子は次回、書きますが、今回なるほどど思ったことがあったの で、文章にしました。

 まず、2/15木曜日、僕はテレビ局の記者と、カメラマンの二人と 駅前の喫茶店で打ち合わせをしました。このとき、むかいあって二人と座ったんですが、一方的に喋り、質問攻 めにしてくるのは記者のほうでした。カメラマンはただにこにこして、じっと座って二人の話を聞いているだ けでした。このときは、スケジュールその他の、事前打ち合わせということで、カメラを抱えて撮影ということはありませんでした。記者は、話す人。カメラマンは、撮る人。と役割分担が明確に分かれているようです。

 この時は、僕の生い立ちから、現在に至るまで。病気の発症と、治療。失敗談。それから哲学、思想信条にいたるまで3時間くらいかけて、詳しく聞かれました。

 記者が、トイレに行って二人きりになったので、僕の方からカメラマンに言葉を投げてみたんですが、「ええ」とか「はあ」とか心もとない返事が返ってくるだけで、『この人、もしかしてアスペルガー障害かも』と、一瞬疑ったくらいです。とにかく、一言も喋らないんです。その後、僕の部屋の視察をしました。

 「案外、片付いていますね。いや、全然きれいです。大丈夫ですよ。この間取材したアスペの人の部屋はもっとむちゃくちゃでしたから」記者は、そう言いました。でも、実際、毛布や下着やゴミが散乱し、足の踏み場もない有様だったんですがね。どこから撮影しようか、とアングルを決める相談を二人でやっていまし た。
 
 ぼくは、風呂場のオリからミミを出して、抱きげ、記者に見せたら『ウワっ!びっくりした』と、本当に驚いた様子。「ちょっと、爪が伸びていますね」「ええ、そろそろ切らなくちゃならないと思っています」「部屋の中でウサギと戯れる大橋さん…これは、いいですね。ぜひ撮り ましょう」とすぐに、撮影に組み込むことを決定しました。

 その二日後、2/17(土)ライブハウスで僕がスケッチをしているところから、第一回目の撮影が始まりました。カメラマンが、テープを交換している時、僕は彼に聞きました。「カメラマンの人って無口なんですね」「ええ、言葉を出すと、その声が、はいってしまうでしょう。ですから 喋らないんです。でも、たまには撮影しながら僕自身が、撮っているものの解説を入れる 時もあります」なるほど、と僕はおもいました。喋らないのは、撮影中、音を出してはいけないからなのか。
 
 やっとわかりました。やはりプロですねーー。
 
by mogurin






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人類絶滅の夢


 昨晩、手作りうどんを一杯、薩摩揚げとカイワレ入りのやつを作って 食べました。でも、まだ足らなかったので、焼きそばの麺に、キャベツと冷凍牡蛎を 入れました。さきほどの食べ残しのうどんスープをくわえてぐつぐつ煮ること数分、 それに『コンソメスープの素』を少量加え、お湯を足して、妙ちきりんなラー メンを作って食べました。
 腹が一杯になったら、当然、まぶたが重くなります。ちょっと休むつ もりで、床のゴミをかき分けてスペースを広げ、人型を作ってその間に潜り込み、寒かったので毛布を一枚かぶりました。

 東京レディース・シンガーズの「賛美歌21」を聴きながら、い い気持ちでうとうとしていたら、本当に寝てしまいました。美しい賛美歌は、パソコンで全 曲リピートの設定にしていたので、天井の蛍光灯の明かりと同様、寝ている僕の耳の 鼓膜をずっと刺激していました。

 すると、変な「人類絶滅の夢」を見ました。あまりにも夢がリアルだったので、本当に涙を流してしまいました…。

 …僕が高熱を出して苦しんでいるので、母親が看病してくれているので す。
 「おまえの目が見えなくなったかもしれない」そう言って騒いでいるのです。ぼくは必死で眼を開けようとしました。
 「目やにがものすごく出てきた」
 と言われました。母親がガーゼでそれを拭き取ってくれたら、ちゃんと 見えるようです。ぼくはホッとして、外に出ました。
 「まだ、外は暗いよ」
 と言われましたが、外の新鮮な空気が吸いたくなったのです。なぜか空が鮮やかなピンク色で黒 雲が渦巻きをつくっていて、不気味な雰囲気でした。
 
 外は学校の校庭で、サッカーのゴールポストが置いてあったのでそこ に行きました。5〜6歳の少女が校庭で遊んでいました。目元がかわいい女の子だ なと思いました。こんな子が大人になったらどんな美人になるのかな、とおもっていた ら、見る間に成長してイイ女に変身するではありませんか。
 
 ぼくはひそかに彼女のヌード写真を撮ってプリントし、家のポストに 入っていた年賀状の間に挟みました。母親に見つかったらやばいと思ったので、ふところ に隠しました。そうしたら女の子が海のほうで、事件がおきたと言うのです。
 
 二人で行ってみると、高いがっけぷちに人だかりが出来ていて、わい わい騒いでいます。波が荒れて、漁船やパトロール船が無数にあり、波に揺られて、ゴツゴ ツぶつかり合っていました。台風でも来そうな騒然とした雰囲気でした。
 
 すると、自衛隊の戦闘機が二機、雲間から飛んできました。同時に、空から白い綿のような物が、一斉に降ってきました。それは、見たこともない物でした。雪ではない、綿でもない。
 
 「これは、大気を固めてしまう、悪魔の汚染物質だ」
 
 誰かがそう言うのが聞こえました。
 戦闘機は、左右の排気口から噴出したガスが固まり、赤や黄色のサイ ケな色調の巨大なキノコとなってくっついたまま、操縦不能になり、墜落したのを確認で きました。
 ボンと爆発音があり、振り向くと民家の窓から黒煙が上がっていまし た。
 
 「発電所が操業を停止し、電気が使えなくなった。無線もダメだ…」
 と 誰かが言いました。
 「もう、お仕舞いだ」 
 ぞろぞろと、街に引き返す人並みに、飲まれて僕は帰りました。旋盤工の仕事をしていたおじさんが、
 「もうこの道具も使えないから、捨ててこないといけないな」
 と肩を落として言うのを聞きました。
 「あ、クソ。イヌの頭がおかしくなった。こいつ、狂犬病だ!噛みつき やがった!」
 「おい、殺してきてくれ」そう言っておじさんは、僕にずっしりと重いスパナを手渡しました。目 の前に5歳くらいの柴犬がいました。
 「え、殺すんですか?」
 僕は聞き返しましたが、逆らえない雰囲気でした。天からは荘厳な賛美歌の歌が聞こえ、
 『皆で人類共通の運命を享受しよう、恐れることはない、子羊たちよ…』
 と公言していました。イヌは僕の手にもガブッと噛みつきました。
 「これはやばい、狂犬病になるまえに、たたき殺さないと…」
 そう確信して僕は、いやがるイヌを窪地のところに引きずっていき、スパナで頭をゴンと叩きました。イヌは
 「きゅーん」と声をあげて首を下げ、口から泡を吹いて動かなく なりました。
 「殺生なことを…」
 僕のそばでお婆さんが言いました。よくみると八十七で亡くなった僕の お婆さんでした。僕は悲しくなって涙が出ました。そして、目が覚めました。

 ああ、夢でよかった…。

 by mogurin






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今さら何いってんのよ


 昨日、毎週続けてきた読み聞かせに学校に行った。このところ毎日のように卒業式の練習している6年生たちだ(ばかばかしい。形ばかりにこだわる学校に腹が立つ)。読み聞かせが出来るか、出来ないかはわからないが、担任から中止の連絡もないし、「謝恩会」の会費の集金と先生へのメッセージも回収しなければなかったので、ともかく出かけた。

 案の定、息子たちは同じ3階にある音楽室で歌の練習をしていた。廊下で待っていると、担任(中年の女性)がやってきました。「ああ、ちょうどよかった。ご相談したいことがあったので、お電話したんですが・・・。」

 そうです、今日は水曜日、前の週の土曜日に副委員長からメールがあり、担任から連絡とりたい旨、知らされていた。だが、この2年間、衝動的な電話や呼び出しを繰り返す担任に辟易していた私は、しかとした。たとえば、家庭科など専科の授業のある前日など、忘れ物がないようにと、連絡網を流させる。女の子同士が派手にもめたた後、「うちの子どもいじめにあっているのでは。」(逆ですよ〜)と心配した母親から電話があったから、今日の夕方、関係のある母親たちを召集するから私も来いと、呼び出される。

 「すいません。出かけて帰りが遅くなってしまって・・・。」

 話しというのは「謝恩会」と名目はよくなかったのでは、「お別れ会」にすべきだったのではという。

 子どもたちが教室に戻ってくると、「子どもたちには、自習させますので、別室でお話ししましょ。」とおっしゃる。実は私たち読み聞かせに来てるんですが・・・。黙っていると、読み聞かせの合い方がタイミングよく来てくれました。「そうでしたね。読み聞かせでしたね。始めてください。」(当然です。)

 その後、子どもたちに自習を申し付け、担任は話し始めた。K君の問題解決が進展しないことに腹を立てている保護者から電話があったようなのだ。

 K君がうちの息子を含む男女6〜7人をターゲットに様々な暴力行為やいやがらせをしている。しかも、陰湿で、巧妙なのだ。大人の前や正義感のある子どもの前ではしない。いわゆる、いじめだ。

それで、わたしは、担任やその子の親は当てにならないと、思ったのでその子の耳元でささやいた。 「子どもたちひとりでも傷つくようなことがあれば、警察に通報するからね。」

 で、担任は「謝恩会」はマズイだろうと、思ったらしい。それで、読み聞かせの後、お知らせの訂正をした。「謝恩会」と書いたけど、みんなや保護者が6年間頑張ったことへのお楽しみ会だからね。おうちの人にもそう言ってね。」

 話しはKの行動がより巧妙化、陰湿化している。これまでは、「K君も反省しているようです。」とか、「行動が改善している。」とか、言っていた担任にしては進歩だ。「いじめですね。」というわたしの言葉にも同意した。最後にもっとわたしに相談すれば、よかったと、担任はくくった。

 わたしは校舎を出ると、ワーワー泣きながら、読み聞かせのパートナーに背中をさすられながら、家に帰った。

 つい、先週もわたしが、Kを脅迫したことについて、Kの母親からクレームがあったと、私を呼び出した。そして、一方的に暴力をふるうKとふるわれる子どもたち「どっちもどっちだ」と4人の子どもたちの口から私に言わせたのだ。「でぶとか、ぶた」とか言うから、殴られても仕方ないと言うのだ。どの子も何もないのにそんな悪口雑言を言う子たちではないのだ。担任は、私の反撃を封じるために4人の子どもを教室に返さなかった。この日は全く反撃できず、退散した。そんなことがあったばかりなのに、もっと私に相談すればよかったもないものだ。

 息子はKとは別の中学へ行くが、他の子どもたちは同じ中学校へ行くのだ。私の最後の仕事が始まった。


by キャサリン









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図書館の利用者



 最近、新聞などでも本や雑誌の切抜きをしたり、書き込みをするなど利用者のマナーの悪さが指摘されている。私の図書館でもそうだ。また、水濡れ、汚損などが結構頻繁にある。しかし、自分でやったとは絶対にいわない利用者が多い。もちろん、「私が濡らしてしまったので、弁償します」と現物を持ってきてくれる方もいる。でも、ほとんどの人に「借りたときからこうでした。」と言われると、まだ新しい本でも証拠もないので、強くは言えない。それを逆手にとっているのだ。
 
  先日は「ペットが噛んでしまった」として本を持ってきた人に「弁償してください」と言ったら、「すでに汚れた本だったから、全額払う気になれない。三分の一の価格だったら払ってもいい。」と言う利用者が現れて、職員は皆あきれ返っている。だから、私はアマゾンなどのユーズド品でそのくらいの値段で買えるものもあるということを上司に知らせてあげて、上司もその人に伝えてあるが、一向に返す予定はないらしい。
 
  そういう人には、一応こういう手段があるよと言うことを話してから、返してくれなければ、一ヶ月過ぎると貸出停止となる。私の図書館では返却予定日から一ヶ月を過ぎると、貸出停止になる。クレームが入った場合は、こちらで説得して一応話しをしてから一ヶ月経過後に貸出停止になる。 それを知っている人は、一ヶ月直前に滑り込みで返してくる。
 
  普段は返却期限を過ぎて1週間経過後、次の人が待っている資料については督促している。また、2週間をすぎると1冊でも遅れている人には督促する。3週間経過後にはこのまま返さないと貸出停止になるよと通知する。
 
  この督促の作業は毎日あって、かなりの量だ。本当にマナーははどうなっているのだろうか。貸出は2週間なので、基本的に2週間で読めるだけの本を借りていって欲しい。 あとは、予約だ。予約だけは、ばんばんしてくるが、予約の資料が揃って連絡しても、期日までに取りに来ない人があまりにも多い。毎日、あちこちの図書館から資料を集めてうちの館からも他館に貸出するが、予約期限までに来なくて、あえなく取り消しになることがあまりにも多いのだ。
 
  下手をすると、他の自治体などから借りた本まで、読まれないまま返すこともある。勘弁してくれと毎日思う。 前に図書館の資料を床に叩きつけて「なんで、試聴がセルフでないんだ。自分で聴きたいんだよ。」と怒鳴った人がいて、私は思わず「図書館の資料を投げないでください。」と冷静に返したことがある。
 
  図書館側では、自分で操作して試聴できるように対応した。その方は、もう何ヶ月も住所変更をしてくれないまま、資料返却も延滞している。住所を確認できる証拠資料がないと、利用者カードは作れないのに、一度作ってしまったら、住所変更しないまま、何ヶ月も過ぎて良いと言うのはおかしい。だから、何度も住所変更を促しているが、「次来た時に変更する。」の一点張り。
 
  今回はまだ姿を現していない。 また、いろいろなクレーマーがいるが、そういう人ほど、資料の返却が遅れるなどマナーが悪いことが多い。 世の中いろいろな人がいると、つくづく思う。新しい資料を一番に借りたくて、全館に電話してリクエストの数を聞いて回る人がいるかと思えば、予約点数超過(予約する場合の点数制限がある)の連絡をすると、「他のカードにしていいですか。」と言う人もいる。
 
  図書館カードといえども人のカードで借りることは許されない。夫婦であっても、基本的にそうだし、親子であってもそうだ。それは読書権というものがあるからだ。自分が借りている資料が何であるか、誰にも知られたくない人あるいは、誰にも知らせないということが権利としてあり、図書館側はそれを義務としている。
 
  返却が遅れていますと連絡しても「は?そうですか。」と言う人もいる。「ごめんなさい」「すみません」と言う人は少なくなってきた。また、子供の借りている本について「ご本人様にしかお知らせできません」と言うと「それっておかしいじゃない、私が親なんですよ。」とぐずぐず文句を言う人も多い。だいたい、小学校に上がったくらいから昔はどの資料か教えなかったのだが、最近うるさい親があまりに多いので10歳程度から教えないようにしている。
 
  子供によっては親に知られたくないこともあるのだ。でも、過干渉の親はそれを良しとしない。 図書館も世相を反映している。善良な市民はどこへ行ってしまったのだろうか・・・。本当にきちんと図書館を使ってくれている人に出会うと心から嬉しいと思う。そういう人がいるから、がんばれるのだが。
 
by MUSICA




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障害認知のできない親

 昨日、ふと実家へぶらりと帰ってきた。手ぶらだったので、いつも私に必要な薬や器具などをもっていないので、当日帰るよと言ったのだが、以前に忘れた薬があり、また泊まっていけコールに負けて泊まっていくことにした。

 翌日、母と姉と三人で映画を観にいった。「東京タワー、オカンとボクとときどきオトン」リリー・フランキー原作の映画だ。うちの息子たちも私のことを「オカン」と呼んだり「おかあちゃん」と呼んだりするし、母子家庭でけっこう母親思いなのでなんだかジーンとくる映画だった。

 その後、発達障害の友達がテレビに出ると言うので、また実家に舞い戻りテレビを父母と姉と観た。うちの父親は「こういう人は国がなんとかしなくちゃしょうがないんじゃないの。」と言う。「うちの子供たちだってそうなんだよ。親がこういう子供たちをまず認められなくては追い詰めてしまうだけなんだ。国が何とかというのは本来ずっと後の問題だと思うな。」と言う私に、私にも障害があることは聞いて知っている父は、いらいらした様子である。

 やはり、父にはわかることができない。父などは「だって、自分でがんばるしかないじゃないか。」と切れそうである。母は、私に「ともかく、上司にはさからわずにうまくやっていきなさい。」と言うばかり。まあ、あきらめてはいるけれども、昨日の歓待ぶりとは打って変わっている。さて、そろそろ帰る時間だなと私は思った。もうこれ以上話しても進展はない。


 うちの息子たちは私が認められずに来た分、うんとおおらかに育てた。まずは、子供を信頼すること。愛しているだけではだめ。あなたを信頼して、後押ししているよ、いつでも困ったら私が守るからねというスタンスを基本的に貫いてきた。もちろん、反抗期とか、アスペのこだわりに「もーいいから出て行って」と叫んだこともある。あるが、子供は出て行かない。私が本気でそうは思っていないことはわかっている。

 今、今年二人とも成人を超える時期になっても、まだ定職にもついていない。でも、子供たちにはそれなりの計画があるようだ。3人で酒を飲みにいこうぜ、と息子が言う。子供たちとたまにいっしょにご飯を食べるのも楽しい。この子達は、なんとかやっていける見通しがある。そういう風に私は育てた。そのままの子供のありようを認めること。責めないこと。

 あなたにできますか?並大抵の精神力ではできないことです。でも、子供たちのためには絶対に必要なことです
 
 
by MUSICA


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おやぢ虫

 今日は、変な夢を見た。部屋の隅、テレビの上のあたりに、見たこともない蜘蛛がアミを張って いるのだ。大きさは腹が直径二センチのボール、胴体と頭が、一センチくらい。これも球体。大小二つの球体がくっついて、そこから細長い足が8 本出ている。水色と黄色のまだら模様。これは、毒蜘蛛だ、と察知して、すぐに殺虫剤をかけて退治した。

 すると台所のほうからぶーん、ぶーんと羽音が聞こえ、真っ黒い虫が飛んできた。針を持っている。

 ハチだ!

 その虫は壁に止まると、じっと動かなくなった。退治するのは今だ!そう思って近づいてみると、色がどんどん変わっていくではないか。真っ黒い体幹は、見る間に白く変色していき、羽は透き通り、 大きな頭を持った、珍しい形に変態した。
 
http://www7a.biglobe.ne.jp/~wingbrain/oyadimushi.html

 おやぢムシだ!これは、おやぢムシに違いない!

 僕は確信した。

 自由撲滅社のヒマダス2007年度版1257ページにこのおやぢムシの記述が載っていたのを思い出した。

 「おやぢムシ」東南アジアから極東にかけて広く分布。おやぢムシ属、おやぢムシ目、おやぢムシ科、おやぢムシ体長三センチ、雑食性長い触角を持ち、腹部に毒針を有する。刺されると、三日以内に高熱を出して死亡する。口からおやぢ汁を出し、その悪臭は三ヶ月は消えない。ビールの飲み残し、あたりめ、柿の種などが好物。第一種特定危険動物であり、その扱いには第一種危険物取り扱い従事者がこれを行う。見つけた場合は保健所に通報を要する。

 そのような恐ろしい虫なのだ。だが、僕は危険もかえりみず、殺虫剤の直接噴射で退治することにした。噴射口を近づけ、おもいっきり、吹きかけた。ぷしゅーーおやぢムシは、全身滝のような殺虫剤に洗われながらも、壁にしがみつき、ねばるねばる。おやぢムシの足から殺虫剤がだらだら流れ落ちた。やがて痙攣を始め、さすがのおやぢムシもポトリと床に落ちた。「死んだか」ぼくはつまみ上げてみた。なんとそれは、木片に変わっていた。「くそ、変わり身の術か…」裏返すと真っ赤な色が塗ってあり「はずれ」と黒い字で書いてあった

 あ、今日のいいこと。「トビオはADHD」amazonのランキングが4/14に3,037位→4/23に547位やはりテレビの影響か。

 さあ。くだらないことばかり考えず、正気を取りもどして、仕事をしよう。

by mogurin


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罪の意識 1

 二十代後半から三十代末まで、十数年間、罪の意識にさいなまれていた。

 自分は、少年を殺し、池に沈めたのだ。その死体が、発見され、警察に追われている。そんな、夢を、頻繁に見るようになった。そのうち、起きているときも、夢が、現実と区別つかなくなってきた。やはり、殺したのか。いや、まさかそんなバカな。しかし、確かに、水中に沈んでいった、少年を見た。

 あの感覚はなんだ。変に、リアルな触感があった。やはり、殺人者なのか。人にばれると、やばい。絶対秘密に。このことは、口をつぐんでいよう。町を歩いていても、警官を見ると、呼び止められるのではないか。そういった、恐怖心にかられ、怖くなった。警官を、見ると、足がすくんだ。

 **************************************

 最近、ようやくその原因がわかってきた。

 25歳から三年間、自分は、大阪、東住吉区に住んでいた。安い、木造のボロアパートで、家賃は一万ちょっと。深夜、掃除のアルバイトをしていた。天王寺の駅にある、アベノ地下街という商店街の掃除をしていたのだ。夜、九時から翌朝三時まで。だが実質的には一時に終わるので、実働四時間。終わった後は、休憩室という部屋があり、そこで始発電車が出る朝の5時まで、寝ていればいいのだ。

 休憩室という名の、仮眠室兼、事務室だが、道具置き場でもある。入り口は、分厚い、ステンレスの扉で、地下通路の横にある。通行人は、それが部屋の扉だと言われないと、気づかないだろう。鍵穴と、半円形のリングが付いてあるだけの、無愛想な扉だ。

 開けて中に入ると、左右が、道具置き場になっている。ポリシャーや、ワックス、モップ、箒、バケツなどの清掃道具が、所狭しと置いてある。まっすぐ行って、三段降りると事務机があり,通路は、そこから左に曲がっている。二つの部屋があり、その中央部に通路がある。天井の低い地下室だ。潜水艦の内部をおもわせる。天井にはパイプが何本も這い、わけのわからない機械装置が設置してある。常時、蛍光灯が点いていて、白い金網で保護されている。

 ひとつ目の部屋は機械室、二つ目の行き止まりが、休憩室だ。休憩室にはいって左手に、畳が敷いてあり、三畳の床の上に、寝ころぶことが出来る。押入をあけると毛布が5〜6枚あり、枕も用意されてある。

 ここで、朝まで寝ればいいのだが、空調の音がうるさく、また、いつも蛍光灯がついていて、なかなか寝ることができない。しかも5センチもあるゴキブリがよく出てくる。また、押入の中に、必ず、男性同性愛誌が積んであり、自分はそんな趣味がないので、気色悪いと思いながら、まんじりともできなかった。結局、カバンに入れた、文庫本などを読みながら、始発電車の時間まで、起きていることが、しばしばだった。

 最初は、いやだったが、仕事を覚えると単純作業なので、楽だった。結局、その仕事を週三回、三年間続けた。夜勤なので、時給がいい。この収入は、結構助かった。夜九時にスタートして、まだ、人通りのある、商店街の通路を、箒で掃く。ゴミはちりとりで集め、ゴミ箱にいれる。大きな物は、金挟みでつまみ取る。

ー 続く ー


by mogurin








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息子の失敗
 先週の金曜日、息子(私立中学1年AD/HD)の担任から私の仕事中に電話があり、夫が対応した。

 私は週の4日、月・火・木・金の3時半から7時ごろまで、小・中学生、十名前後に算数・国語・数学・英語をみている。

 その日は中学生の英語のレッスンがあったので7時ごろ仕事を終え、メガネを取ったのだが、目の回りに何かヘバリついているように感じて、動物みたいに目の回りを何度もこすった。見た目は、全く変化ないのだが・・・。どうも目の周りがこわばっていたようだ。

 どうもAD/HDの勘が働いたか、息子のテレパシーが私に伝わったか・・・。ダイニングに下りてくると、雰囲気がおかしい。息子は次の週の火・水と初めての中間テストなのに何もしていない。うなだれているでもない。ただ、息子も娘もだまったままだ。

 夫が担任から連絡があったこと。勝手な思いこみで、息子が2人の女の子をなぐったこと(先週の違う日に)、一人は口の中が切れるほどのケガを負ったにも関わらず、親にも教師にも言わなかったこと、息子の立場が悪くなることを心配してくれて、言えなかったとのこと。頭をげんこつで殴られたもう一人の子は、怖くて翌日、欠席したとのこと。 

 担任が、担任から先に先方に電話を入れて説明しておくので、時間を置いてから2人のお宅にお詫びの電話を入れるように要請されたとのこと。
 
 私は目の回りだけだったこわばりが、顔中に広がって、顔が青ざめていくのが、感じられる。時間が経つにしたがってパニックは悪化していく。顔から全身がこわばり、心臓は飛び出さんばかりににドキドキしている。

 過去に自分自身の失言で青ざめることは、しょっちゅうあったが、この感覚に慣れるということはない。自分の失敗以上にパニックは重く長く、続いた。結局、夕食は喉を通らず、動悸は眠りにつくまで続いた。

 夫が2人のお宅に電話して、詫びた。2軒ともお母様が出られて、快く対応してくださった。1軒のお宅など、来週から中間なのに大変ですねと、ねぎらってさえ、くださった。そこで、緊張の糸が切れた私は大声で泣いた。

by キャサリン









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罪の意識 2
 次にやるのは、トイレの掃除だ。ホースで水をまき、水圧で、ゴミを排水溝に寄せ集める。このとき、ホースの使い方を、教えてもらった。親指と、人差し指で、ホースの先端をつぶすのは、素人のやり方。これだと、長時間、指に力を入れておくと、とても疲れる。

 プロは、ホースの先を、軽く握り、親指で先端を2/3ほど塞ぐのだ。そうすると、水圧が、高まり、強力な水ジェットを作ることができる。それでも冬など、水の冷たさで、指がちぎれそうに痛くなる。

 トイレは、臭いので、嫌いだった。ホームレスが、新聞紙やら、週刊誌やらを持ち込んで、排便をした後、それで拭き、便器を汚しているのだ。大便器は、ホームレスがトイレットペーパーを勝手に持ち出すので、いつも紙切れの状態なのだ。

 しかも、掃除を始めてトイレ掃除をする時分に、ちょうど腹が空いてくる。売店で買ったおにぎりを囓りながら、水をまいたこともある。売店に、かわいい女の子の店員が立っている時など、ビニール手袋で、臭くなった手で、お金を渡すのが、とても恥ずかしかった。売店で買ったおにぎりは、糞の臭いと混ざりあって、少しも旨くなかった。とにかく早く空腹を満たすために、ごはんつぶを飲み込んだ。そのために、仕事を、中断するわけにはいかない。先輩に見つかると、えらくどやされるのだ。

 水をまいた後、水切り棒で、床の水をかき集め、排水口近くにたまった、汚物を拾って捨てる。その後、トイレットペーパーを新品と入れ替える。それで、トイレ掃除は終わりとなる。11時半ごろ、地下街のシャッターが閉まる。

 その時、警備員が数人で、ホームレスを、外に追い出す。真冬の、北風が吹いているときでも容赦なく外に追い出すのだ。そして、だれもいなくなった、ただっぴろい空間を、掃除夫が、二人で掃除するのだ。台車に、円筒形のバケツ缶を二つ、それに四角いモップ絞り、それぞれ水を2/3ほど入れて運ぶ。満タンにすると、移動の時、水がこぼれるので、量を、加減する必要がある。バケツには、必ずモップを一本差し込んでいる。

 最初に、階段の下に行き、地上に登る階段の下のところから掃除をはじめる。階段は、自分が水まきをすることもあるし、先輩がその作業をやる時もある。掃除の方法は、トイレと一緒だ。その場所が、地下街の、端にあたる。

 モップで、床を拭き、見た目、綺麗にしなくてはいけない。時々、ガムなどがへばりついている。これはやっかいだ。金挟みなどで、つまみ取ったり、こそげ落としたりする。あとで、汚れが残っていたら、先輩に叱られるのだ。時たま、喫茶店内部の掃除を依頼されることがある。喫茶店の鍵を渡され、シャッターをガラガラッと上げる。

 このときは、少し、特典がある。厨房の、ドリンクサーバーのレバーを押せば、好きなだけジュースが飲めるのだ。とにかく、だれひとりいない地下街。コーラでも、クリームソーダでも、オレンジジュースでも、飲み放題だった。喫茶店の床を掃いていると、時折、硬貨が落ちている。10円玉、50円玉、100円玉がほとんどだが、一回だけ、500円玉を拾ったこともある。そのときは、宝くじに当たったくらいうれしかった。

 掃除夫が掃除しているあいだ、警備員のおじさんたちが、地下街の見回りをやっている。毎回同じ人と顔をあわせるので、親しくなったりした。警備員は、決められた場所で、鍵を差し込み、見回り記録を残しておくのだという。退屈な仕事だ。

 ある晩、事件があった。ドブネズミが出たというのだ。排水路の上は、格子状の鉄板の蓋が敷いてある。その蓋を、端から叩いてネズミを追い立てた。警備員と掃除係の先輩が、一緒になって、ネズミ駆除にかかわった。どどどどっどっ、と音が近づいてきた。

 「そっちに行ったぞ!」「わかった!」警備員のおじさんが、排水路の交差する所に立ち、水たまりの蓋を開けた。たてよこ70センチくらい、深さ50センチくらいの、四角い空間だ。四方に排水口の漆黒の穴ある。突然、その穴のひとつから、真っ黒い生き物が飛び出してきた。警備員のおじさんは、間一髪、モップでそれをしとめた。

 キィー、キィー、キィー!キィー、キィー、キィー!ネズミは悲鳴を上げた。警備員のおじさんは、容赦なく、モップでこづき回した。「やった!」おじさんは、軍手をはめると、ネズミをつかみあげた。体長30センチもあろうかと思われる、巨大なドブネズミだった。尻尾もいれたら45センチはあったかもしれない。

 「こいつ、まだ、生きているから、始末しろ!」そう言うとおじさんは、自分の台車の上、水の入ったバケツにネズミを放り込んだ。ネズミは、水の中でまだもがいていた。自分は、台車を、休憩室の前まで押していき、バケツを持って中にはいった。ネズミを始末しなくてはいけない。バケツを床に下ろすと、中を覗いてみた。

 カリカリ、カリカリ、カリカリ、ネズミが、ブリキのバケツの内側を引っ掻いている。カリカリ、カリカリ、カリカリ、ネズミが浮かび上がってきた。自分は、モップを逆さにして、下に押し込んだ。カリカリ、カリカリ、カリカリ、ネズミは、苦しがっていた。水の中で手足をばたつかせていた。もう一度、浮かび上がってきたので、また、頭をこづくと、くちから白い泡を吐いた。そして、バケツの底に沈んでいった。

 『やっと…死んだか…』

 ネズミは水中で、完全に動きを止めた。自分は死骸を取りだした。

 まだ、なま暖かい。体は、力が抜け、ぐにゃぐにゃしていた。新聞紙に包んで、コンビニの白いビニール袋にいれた。そして生ゴミ用のポリバケツに入れて蓋をした。とてもいやな経験だった。こいつも、地下街に出てこなければ、人間に見つからなければ、こんな目にあわずに済んだものを…そう思った。

 *******************************************

 その後、このネズミのカリカリ、カリカリ、カリカリ、という音バケツの内側を引っ掻く音が、何かにつけ思い出され、忘れることができなくなった。自分の閉鎖的状況、心理的閉塞感が、この音と重なり合い、十数年間ずっと、この音に悩まされたのだ。

by mogurin







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 娘は3歳児検診受診に保健センターへ行ったとき、絵本を両手で支え持ち、あたかも読んでいるかのように絵本を眺めていた。
 
 それを見ていた受付の方が、
 
 「ほんとに読んでるみたいね。」と、面白がっていた。ーまっ、その後の検診で、息子と同様に保健士さんに相談するように言われた。ー

 また、字を書くことに早い内からあこがれていた。まだ、字がかけないのに螺旋みたいなものを書いて、字を書く真似をよくしていた。

 言葉の発達は息子と違って、よかった。が、妙な間違いをよくした。小さな時から洋服に注文をつけていた。
 
 「ナガソだして。」とか、「ハンソだして」とか言っていた。ナガソは長袖、ハンソは半そでのこと。「で」を助詞だと思ったのだろう。そのほかに同様な間違いは「クチベ」。つまり、口紅のこと。

 現在、小4、社会性のあるADHDの娘は、今もおかしな間違いをする。先日は、「防火扉」のことを「ホウカトビラ」と言った。


by キャサリン






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偏執

 めちゃくちゃ、こだわりの強い私だが、食べ物に関することは記憶がよい、と夫にいつも誉められる?!ーけなされてる?!―

 子どもの頃から胃腸が虚弱だった割に初めて食欲がなくなったのは、2人目の娘を産んでからだ。それまでは下痢しても、ショックを受けても、食欲が無くなることはなかった。

 子どもの頃、東某社のキャラメルコーンにはまり、毎日食べた。その後、あまり食べ過ぎたおかげで嫌いになり、それ以来、食べることはもちろん、購入することもない。同様にマク某社のビスケットも1箱とはいかないないが、毎日、食べた。ある日、食べすぎて、吐いた。以来、食べていない。そのほかにイギリスに住んでいた頃は、味付け(バーベキュー味など)ピーナッツを毎日、1袋食べ、帰国した時は、ブヨンブヨンに太っていた。頭にまで贅肉が付いていた。

 また、方向音痴の私だが、食べ物やの記憶は、1度で頭に入る。どこに何の食べ物屋があったかなど、1度で覚えてしまう。未だに、ロンドンのSOHOにある中華料理店(毎日、「カシューナッツと鶏肉の炒め」を食べた)、中華食材店、焼きたてパンを売っていた店などの場所が頭に入っている。ピカデリーサーカスのパイの専門店の場所も覚えている。まだ、やってるかな?

 帰国してしばらくは、自分で料理することに凝った。毎日、酢豚を作ったこともある。これは、私が酢豚を好きなこともあるが、思ったような味が出せないと、出せるまで作るから、こうなる。家族を持った今、こういうばかげたことは出来ない。

 だが、未だに止められないのは、トーストにシナモンシュガー(砂糖はもちろん、無漂白の物)を振って食べること、ピーナッツバターにバナナのスライスをのせて食べることなど、始まると、1か月は続く。シナモンシュガーは半年くらい続いた。今はピーナッツバターにバナナのスライス。パンは、出来れば、ブドウパン、ないときは食パンに甘んじる。
 
 
by キャサリン







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子供の頃の思い出

 ふと思い出したんですが、ン十年前は私も無邪気な子供だったわけで、今から思えばとんでもないことをしていました。まあ、5,6才の頃のことでですから当たり前と言えば当たり前なんですが、いまでもそういった行動様式が私の中に残っているんじゃないか、なんて思いましてね。

その一

 お袋によく手紙の投函を頼まれました。ポストに入れておいで、と言われて家を出るんですが、当時のポストは赤くて丸い円筒型のもので手が届かないんですね。それに遠いし。大人の脚だとなんて事はなくても、子供に結構遠いし、それにいろいろ道草を食って歩くのでかなり時間がかかる、あるいはどこかで手紙をなくす。そんなとき、黙っているんですが親は当然私が手紙をポストに入れたと思っているんです。
 
 その手紙、どうなったんでしょう。さぁ、知りません。
 
 またある日、よその家に赤く塗った郵便箱があるのを見つけました。〒マークも付いてますしね、高さも手頃だし何しろ近い。で、そこを見つけてからお袋の手紙はいつもそこに入れておくことにしました。
 
 その手紙、どうなったんでしょう。さあ、知りません。

 後から知ったんですが、お袋が同じ市内に住んでいる実の姉に、いろいろ家のことやばあさんとのことで愚痴を書いていたみたいですね。
 
 その手紙を見つけた人、そのまま本当のポストに入れてくれたかどうか、中身を読んで井戸端会議に持ち出したかどうか、さぁ知りません。

その二

 小一の頃でしたか、同級生に八百屋の子供がいました。当時の八百屋にはレジなど無く、紐で笊が吊してあって、そこに金を入れてあったんです。店の親父も客も全員暗算で計算してましたからレジなんか要らなかったんでしょうね。
 
 その八百屋のせがれ、親の目を盗んでその笊から金を持ち出し、駄菓子屋でいろいろな物を買っては私らにくれるんです。時には十円、二十円もくれる。当時小一の子供にとって十円二十円は大金ですよ。せいぜい5円もらって駄菓子屋で五十銭の飴を買うべきかどうか迷っていましたから。だから、夢のような大金をくれるその八百屋のせがれをすっかり尊敬して、いつもくっついて歩いていました。そんな、買収された子分はおそらく4,5人居たと思います。

 すぐにそのせがれは親父に見つかり、私らのことは学校に通報されたんですが、先生から事実の確認があっただけで、おとがめなしでした。お袋は学校に呼ばれたようですが、後から、お金をもらっちゃいけないと言われただけでした。叱られはしませんでしたが、子分の中には親父にこっぴどくぶん殴られたのもいて、自分のことは棚に上げ同情したものです。

その三

 当時駄菓子屋にふんだんにお金を持ってゆける子供なんか居なかったんですが、ある日私は姉がたくさんのお金を持っているのを発見しました。小学校に入る前のことだったと思います。「姉ちゃん、これくれ」と言ったら、当時7才くらいだった姉は気前よくそれをくれたので、意気揚々と駄菓子や(私らは一銭店屋と言ってました)へ飛んで行き店のばあちゃんに、そのお札を突き出し、「あれとこれとそれと頂戴」と言ったら、そのばあちゃんが「これは使えないお金なんだよ。今度はちゃんと使えるお金をお母ちゃんにもらってきてね」とか何とか言って飴を2,3個くれました。お袋に話したら、私が姉からもらって一銭店屋で使おうとしたのはおもちゃのお札でした。


その四

 正月のお年玉で、八才上の兄はお札を一枚、姉も一枚、私は五枚くらいもらって大喜びをしていました。後で知ったのは、兄貴がもらったのはたぶん五十円札、姉がもらったのは十円札、そした私がもらったのはそう、1円札でした。しかし、考えてみれば金の価値の分からない子供をこういう形でだますのは良くないですね。親としては単に幼い子供を喜ばせるためにやったんでしょうけれど、あとあとまでだまされたという気持ちが残りましたよ。

子供時代のことを思い出すのは年を取った証拠だと言いますがね、でも最近思い出しますねぇ。

まるで別世界でしたが、むろん社会の変化と私の変化が重なるからです。子供時代に戻るなら、社会も又当時に戻るのが条件ですね。今の社会で私だけが子供に戻るのはまっぴらです。そして現実には子供時代に戻りたいとは今まで一度も願ったことはないですね。

by ロクスケ









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熊に怪我はなかった?

 今し方、何気なくバックグラウンドで流していたニュースで、日光に来ていた観光客が熊に襲われた、というニュースをやってました。夫婦で来ていて、いきなり道路脇から出てきた熊におそわれ、熊はそのまま逃げたそうです。

 熊に怪我はなかった、と言っていたので耳をそばだてました。熊に怪我があったかどうかより、おそわれた人が無事だったのかどうかの方が大切なのに、なんでこのアナウンサーねぇちゃん、とんでもないことを言うねん、と聞き耳を立てたんですがね、妻には怪我はなかった、と言ってたんですね。妻と熊、両方恐ろしいけれど同じではない。思いこみとは恐ろしい物です。

 昔、中学生くらいの頃か、家の近くに、「おとこの教室」という看板があり、なんて直接的な表現かと思っていたんですが、それはもちろん、「おことの教室」でした。ちゃんとそれがわかっていながら、それを見るたびに「おとこの教室」に見えるんですねぇ。そこに通ううら若き乙女達を見かけるたびに妄想をたくましくしたものです。

 近くの小間物屋が「みみず」というのも気になっていました。これは「みすず」なんですが、一度「みみず」と読んでしまうと、なんどその看板を見ても「みみず」に読めてしまう。こんな経験有りませんか?

 新宿で腹を減らして歩いていたとき、何を食おうかときょろきょろしていたら、遠くに「カツとハンバーグ」と書いた大きな看板を見つけ、たまには良いかと行ってみたら、「クツとハンドバッグ」でした。その間違いに気がついていなければ、おそらくその時クツかハンドバッグを食っていたのではないかと、ぞっとします。そんな経験、有りませんか?

 暑いと思考力、判断力が低下します。熊の怪我を気遣うアナウンサーを非難するような間違いを犯しがちなので気をつけなければと思っています。
 
by ロクスケ



 今し方、何気なくバックグラウンドで流していたニュースで、日光に来ていた観光客が熊に襲われた、というニュースをやってました。夫婦で来ていて、いきなり道路脇から出てきた熊におそわれ、熊はそのまま逃げたそうです。

 熊に怪我はなかった、と言っていたので耳をそばだてました。熊に怪我があったかどうかより、おそわれた人が無事だったのかどうかの方が大切なのに、なんでこのアナウンサーねぇちゃん、とんでもないことを言うねん、と聞き耳を立てたんですがね、妻には怪我はなかった、と言ってたんですね。妻と熊、両方恐ろしいけれど同じではない。思いこみとは恐ろしい物です。

 昔、中学生くらいの頃か、家の近くに、「おとこの教室」という看板があり、なんて直接的な表現かと思っていたんですが、それはもちろん、「おことの教室」でした。ちゃんとそれがわかっていながら、それを見るたびに「おとこの教室」に見えるんですねぇ。そこに通ううら若き乙女達を見かけるたびに妄想をたくましくしたものです。

 近くの小間物屋が「みみず」というのも気になっていました。これは「みすず」なんですが、一度「みみず」と読んでしまうと、なんどその看板を見ても「みみず」に読めてしまう。こんな経験有りませんか?

 新宿で腹を減らして歩いていたとき、何を食おうかときょろきょろしていたら、遠くに「カツとハンバーグ」と書いた大きな看板を見つけ、たまには良いかと行ってみたら、「クツとハンドバッグ」でした。その間違いに気がついていなければ、おそらくその時クツかハンドバッグを食っていたのではないかと、ぞっとします。そんな経験、有りませんか?

 暑いと思考力、判断力が低下します。熊の怪我を気遣うアナウンサーを非難するような間違いを犯しがちなので気をつけなければと思っています。
 
by ロクスケ



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昇進試験

 今日は暑い日だった。何もしないでも汗がぽたぽたと落ちた。そんな中、職場のほかの係で倒れる人が続出した。幼児療育の係では、もはやお手上げ状態である。係長がげっそりとやってきた。うちの係長は今日は職場の防火管理者の研修でいない。他の係長が直接私たちにお願いすることは、基本的にないのだが、療育の係長が「だれか、だれか、明日からしばらくサポートに入っていただきたい。今日は別の係の人が一人来てくれたんです。こちらでもお願いしたいです。」とのこと。このところ、こういう降ってくる仕事が多い。いきなり、とんでもない仕事が降ってくる。みんなで顔を見合わせる。そして、今年異動してきた私が「じゃあ、私やりますわ」と言う次第。

 ところが、今日は私のやりたくてたまらない分野である。「はい!私がヘルプに行かせていただきます!!」と大いに元気に名乗り出た。そうすると、「いやあー、毎日じゃあ、みんなでローテーションしないと無理でしょ。」と「私は手一杯なの!!」といつも叫ぶ女性職員が言う。「なんで?あなた、手一杯なんでしょ?」と私は内心思いつつ、「幼児は基本的にぱたぱたと人が代わらないほうがいいのよ」と私は言う。すると「どうせ、給食を運んだりそんなことしかできないわよ。」と言って、あと2年で退職する男性職員にも行ってもらいたいようなことまで言う。そうじゃないって。私の仕事はやりくりに目鼻がついているのだ。手一杯な人とはわけが違う。

 昼になって、その男性職員といろいろと話しをしていた。私は分けわからないまま、印を押したり、書類を作ったりするのが嫌いだ。なぜ、こうする必要があるのか、どこにそれが書かれているのか知らないと不満が残る。あることで、その職員に教えてもらっていた。はじめは「いろいろと決まっているんだよ。どこかに表があったんだけどねえ。」と言って乗り気でなかったのだが、私に押されて探してくれた。結局見つからなかったのだが後は自分で探そうと思っている。

 その時ふと、男性職員に言われた。「MUSICAさん、仕事がんばっているね。」・・・・「え!」と思った。そしてふわっと嬉しくなった。4月に異動してきて早3ヶ月経とうとしている。上司に褒められたことは何度もある。でも、同僚にがんばっていると認められることのほうが、はるかにうれしい。「いいえ。私は、ただ『もう二度と聞かないというなら教えてあげる』という女性職員の言動がいやなだけですよ。彼女に聞きたくないだけです。」と言った。彼も「うん」と言った。

 ああ、人間だなあ。お互いに血が通っている。感じていることは同じだ。彼は物静かな努力家だ。あと2年で退職を目前にして、こうして同じことをしている・・・。仕事というのはつながって初めてできるものである。一人でしかできないというものはないと思う。例えば、作品を作っても展示することができて共感してくれる人がいて、買ってくれる人がいて・・・。そうやって、世の中とつながれない人はあまりにも寂しい。

 この間行われた上司との面談時に「係長試験受けなさい。あなたにはそのほうが合っているわ。」と言われた。受かるかな。まあ、子どもも大きくなったし、少し背伸びしてみよう。本当は一人で囲って仕事するほうが楽なんだけどね。


by MUSICA









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ADHDで困る事

 普段から、ADHD(ADD)を持っている人達は、たくさん困る事にぶつかると思います。あくまであたしの場合ですが、やろうと思っている事が、どうしても出来なかったり、その出来なさの理解が説明つかない!という始末です。
 
 ADHDの考察にしたって、今まで沢山ノートにまとめてきてはいるのですが、いかんせん『実行力に欠ける』というよりは『同じ作業、同じ文章を見たりする事が大嫌いだー!!』という方が勝っているのだと思うのです。なので、一度聞いた事を言われる事や、ノートを写す事など、本当に苦手です。(苦笑)
 
 つまり、とめどなく溢れ出る言葉をノートに書きとめる事は出来ても、その一度書いた文章をパソコンにまとめようとすると、まとめるまでの作業、工程(パソコンにおける他の作業)までも考えてしまいおっくうになってしまうのです。それが生活でも表面化してしまうので、『理由が分からないのに出来ない事』に多々ぶつかり続けるわけです。
 
 あたしの生活上の困る事と言えば、時間の感覚が悪い、計画が立てられない、細かい事に中々気がつけない事。すっごくささやかな事が多いです。(笑)まともに(まともって定義はあくまでADHDのあたしから見た、普通の人が出来る事です。)人に理解されにくかったり、『だらしない。本人の責任だ』と言われる事は毎度です。
 
 困っているのに理解してもらえない。(それは、まともな人達は当たり前に出来るから)という部分が1番つらい所だと思うのです。人は否定されたくはないものです。けれど、自分とちゃんと向き合えるように、その事が例え『だらしないからだ』と言われても笑っていられるようにありたいと願う日々です。
 
by はいじ


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 私の兄(息子の伯父)が亡くなって、ニ度目のお盆を迎える。私と息子は兄・伯父の魂が帰ってくることを願って藁の牛と馬を玄関に置いた。

 昨年、兄が入院したと連絡があった時、私はすぐに見舞いに行かなかった。というのはその数年前にも危篤の知らせがあり、私は喪服をつかんで、娘だけを連れて駆けつけたことがあったからだ。その時の兄の顔は黄土色で、脈は優に百を超えていた。兄の枕元で私は心の中で別れを告げた。 (仕方ないね。自分の不摂生の結果だもの。)冷たいようだが、私と兄は仲のいい兄妹とはいえなかった。また、妹(息子の叔母)から間接的に兄が私のことを「勝手な奴」と言っていたのを聞いていて、その意味がさっぱり分からなかった。

 子どもの頃、兄に腹を立てた私は兄の頭部に生卵を投げつけた。怒った兄は私の腹をしたたか蹴った。痛くて苦しかったが、母は年長者だったか、強い者だったか、忘れたがとにかく私が悪いというのだ。良くも悪くも兄は長男として育てられた。暗黙の期待を兄は背負わされてきたのだろう。そのことに気づいたのは最初の危篤の後だった。その後のなくなる前の数年、兄と私の関係は急速に改善された。

 昨年だったか、一昨年だったか父から継いだ兄の時計・眼鏡店へ行き、兄に眼鏡を作ってもらった。兄は暇を見つけて、もう一つ作ってくれると言ってくれたが、その約束は果たされないまま亡くなった。

 横浜の叔母から行った方がいいと言われ、亡くなる直前に病院に見舞いに行った。兄は本当に衰弱していた。極限まで痩せた体のどこにそんな力があるのか起き上がってくる。が、意識は混濁しているようだった。生きているのが辛そうだった。早く楽にしてあげたいと思った。

 しかし、棺に入れられ、死に化粧を施された兄は今にも起きあがってきそうだった。身近な人が亡くなるってことが、初めて分かった。

 兄が亡くなったと聞いた時も通夜の時も通夜の夜も不思議に涙が出てこなかった。むしろ通夜は親族だけで兄の話をしたりしてみんな笑い転げていた。こんなことを言うと不謹慎だと言われそうだが、父方の親戚も母方の親戚もこんな風なのだ。

 ただ、兄の病状が悪化して以来、母の様子がおかしくなっていた。見舞いに行っても病室へ入ろうとしない。めったに泣かない母は悲しみを心の深いところへ追いやっているようだった。結局、母は泣かないまま葬儀にも出ようとしなかった。私が母が泣いたのを見たのは私の伯母、母の姉が亡くなった時だけだった。

 身近な人の死は受け入れがたいのだ。私が兄の死を認めたのは、結局焼かれた兄が小さな骨になってかま窯から出てきた時だった。涙が後から後から出てきて、ワーッワーッ泣きじゃくった。横で息子も同じようにワーッワーッ泣きじゃくっていた。タイミングがずれて火葬場で泣きじゃくる親子は、親戚にも奇異に見えたようで、後で叔母になぜ泣いたのか訊かれた。悲しいからに決まっている。

by キャサリン


















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最近の悩み

 最近、私の友達の子どものことで悩み。人の子どものことなので、私が悩んでも仕方がないのだが、幼いころからアスペルガー症候群かなあと思っていたのが、最近確信に近くなっている。

 A君。(プライバシーのため、脚色してある)子どもの頃から、近所の年上の子に付いて歩いてに容赦なくいじめられていた。そして泣いて帰りの繰り返しだった。同級生とは、頭は良いが人をおちょくる子どもと大喧嘩し、身体が震えるほどのパニックと思われる爆発をよく起こしていた。おちょくりに対する激怒はものすごい。
 
 しゃべりかたの、なんとなく感じる不自然さ。抑揚があまりないというか、独特のしゃべり口。鉄道の虫。うちの子ども(アスペルガー)が遊びに行くと、いっしょに同じ部屋で、いつも別々に漫画を読んでいた。二人で何かして遊んでいるというのは見たことがない。なんか奇妙だなあと二人を見て思っていたものだ。でも、うちの子は今でも元旦には友達だからと、彼の家に挨拶に行く。不在でも「あけましておめでとう」と家に向かって叫んで来る。

 彼は時々父親に時々殴られていた。こだわりがある。中学はクラブ入らず帰宅部。高校も同様。専門中退。大人になるに付け暗い感じになる。孤独な感じ。その後アルバイト等何回かするが、短期間でやめ、一時期引きこもり状態。自信がなくなっているようだと母親は感じていた。現在は、親戚のところで家庭電器修理のアルバイトをしており、「正確」なので重宝がられているとのこと。私の友人はとても悩んでいたが、今A君が外へ出るようになって「もういい」と思っている。

 どうだろう。彼にとって、有能感というのは育つ環境でなかった。ソーシャルスキル、こだわり、ややコミュニケーションの問題ほか、なんらかの発達障害を感じさせるものではないだろうか。

 「もういい」のだろうか・・・。彼にとって、今後のことを考えると、彼にとっての対応というのは彼の特性をよく理解してからでないと難しいように思う。アルバイトを一生していけるわけではないだろう。私は、大人から子どもまでの療育をめざし、就労支援プログラムの一環として(療育対象の障害児者だけでなく)一般の若者もコンピュータソフトの開発に関わるボランティアを募集している近所の大学院を紹介するメールを送った。ボランティアとしての参加でも良いと書いた。でも返事は来ない。友人はアスペルガー症候群の特性やその障害自体を受け入れられない。気持ちは良くわかるのだが、本当に「もういい」のだろうかと。
 
 他の友人に「なぜもっと早い時期に言って上げなかったの?」と言われたが、「それは、私は診断できないから」であり、今でこそ多くの学会等での場を踏み、勉強し、資格を取り、いろいろな人と関係連携し、支援できる状態になったからなのである。

 私は切々と悩んでいる。

by musica









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キレルという事

 キレルという言葉は比較的最近使われるようになったのだろうが、感情をコントロール出来なくなる状態であり、いわばヒステリーとかパニックという事だろう。それならば昔からあったし、特別そうなりやすい人間がやはり昔から言われていた。
 
 しかし、最近少し違うのは、そういうキレル人間が時として乖離性障害、人格障害、情緒障害などなどと結びつけられる傾向があることだ。むろん、昔は障害とは目に見える物であり、目に見えない状態を障害と認識していなかった。だから、改めて、常人の感覚では理解を超える感情の爆発をさせる人間が何らかの障害を持っているのではないか、と考えるのはある意味正しいのだろう。しかし、そこから、この種の障害を持っている人間は全てキレて何か問題を起こすと短絡的に考える傾向がないだろうか。
 
 最近話題になった凶悪事件として四国の坂出市での女性と孫二人が殺された件が報道され、女性の義弟が犯人として捕まった。犯人と被害者の間に金銭トラブルがあったとされ、正確な事情は解らない発表されている範囲に限れば被害者の方にも問題があったろう。また、犯人は日頃はおとなしい人間だったとも言われている。
 
 ところが、色々伝えられてきた内容に依れば、犯人は日頃から家庭内暴力が激しく、キレルと何をするか解らない人間とも見られていたとのことだ。普段はおとなしい人間と思われていたのだから、キレルにしても状況を見ていたと考えられる。つまり、キレても自分を押さえる人間が周りにいない場合のみにキレていたということなのだろう。それなら、むろん、打算であり、卑怯者だったということだ。
 
 このケースでは人格障害などと言われているわけではないが、少年犯罪などでは普段は目立たないおとなしい生徒だと思われていたのに、などという報道がよく聞かれ、そして人格障害に結びつけられているケースがある。
 
 坂出の事件を最初に持ち出したのは、結局は状況に応じて普段はおとなしいと見られながらいきなりキレル少年が障害だったと報道されるのはどう考えてもおかしいと考えるからだ。本当に障害で感情をコントロール出来ないのであれば、普段はおとなしい少年だったと見られるのは不自然ではないのだろうか。
 
by ロクスケ


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右脳の話、教育の話


 今回は右脳の話が出てきたが、これも定説となっているわけではなく、まったく右脳左脳には機能的に区別がない、との節も根強くある。ただし、人間はほとんどの人が右利きであり、右半身をコントロールしているのは大脳の左半球であることは紛れもない事実であり、そのために、後天的に右脳左脳の機能に差が出来て来るというのはあるらしい。
 
 だいたい、大半の人の言語中枢は大脳の左半球にあり、言語はあくまで論理的に操る物であることから、左半球が理論を司ると考えられる理由とも言われている。この言語についても、日本人の場合、欧米人やほかのアジア人と大きく違う機能を持っていて、自然の音を左半球で聞き分けているという。たとえばスズムシやコオロギの鳴く音を楽しむのは日本人だけであり、そのために虫を飼育する文化は日本独特の物だとはよく言われる。日本人は普通にスズムシ、マツムシ、コオロギ、キリギリスの声を聞き分け、普通の人がそれらの虫の名前を知っているけれど、欧米ではひとくくりにクリケットとしか言わず、またその音を楽しむなどしないという。
 
 欧米人にとってはクリケットの鳴く音は雑音であり、種類を聞き分けるなどむろんないし、専門家でもない限り、スズムシ、マツムシを区別出来ることはないと言う。
 
 これは日本人のみが虫の音や風の音、水のせせらぎを意味のある音として言語中枢で処理しているというのだ。これはある程度解明されているので、その意味で日本人は欧米人とは違うというのも本当らしい。
 
 子供の内は左脳を訓練する必要があるというのは、詰め込み教育が必要不可欠と言うことと関係があるかも知れない。現在、ゆとり教育が反省されているが、詰め込み教育を未だに目の敵にしている人は多い。曰く、子供の人権を無視している、本人の創造力、理解力、応用力を伸ばす教育をし、個性を尊重するのが教育の本来の目的である、ということだ。
 
 一見正しい主張だが、創造力、理解力、応用力などは、膨大な記憶の上に初めて成り立つのであり、そのためには詰め込み教育が前提となる、というのが詰め込み必要論者の主張だ。私はこの意見に同意する。子供の脳は理屈抜きに、善悪の基準や常識とは無関係に接した情報を全て無条件に脳にため込む。だから、子供の記憶力は大人が足元にも及ばないほど優れている。
 
 ある時期までこうして子供は可能な限りの情報を頭に詰め込み、それを使って応用力、創造力、理解力を開花させてゆくのだから、子供の内に詰め込み教育を施されないと、大人になってもそれ以上の脳の機能を作り上げることが出来ないわけだ。
 
 ただし、詰め込み教育は子供本人の意志に反して行う場合が多いし、また子供は善悪や常識は関係無しに記憶してしまうので、この時期に偏った思想、宗教、価値観を詰め込んでしまうと、子供は一生それに支配されることになる。一部の国や宗教国家で行われる刷り込み教育の恐ろしさはここにあるので、詰め込む大人の資質がそのまま子供の資質となってしまう。
 
 詰め込み教育は必要不可欠ではあるが、また危険が非常に大きい、だから教育システムは慎重に作り上げなければならない。
 
 一部、子供達に競争意識を持たせるのは良くない、落ちこぼれを作り出すのは良くないとして、運動会でも一等二等を決めず、全員が手をつないで一緒にゴールするなどの話を聞くが、これでは努力と結果が無関係になり、努力をする意味が無くなる。
 
 結果は、努力と資質と運により決まるのであり、これを教えるのは大切な教育だろう。ただし、一分野での勝ち負けが人間の価値を決めるのではないこと、自分の得意分野を見つけるためにも一分野で負けたことで希望を失うことはない、などの側面をきちんと教える必要があると私は考える。
 
by ロクスケ
















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惚け防止イラスト

 ボクは12/08、50歳の誕生日を節目に、ミクシイの活動をお休みすることにしました。といっても、日記を書くことを休むというだけで、ミクシイを退会したわけではありません。あまりにもミクシイ依存症で、自分で自分の首を絞める。これは以前からそうでした!!
そのために、一次撤退したのです。

 おかげで、時間が出来て、ひまでひまで、頭かすみ、ひねもすのたりのたりかな。(正岡死期)の状態。いや嘘。ミクシイ中毒のおかげでテレビを見る習慣がなくなったので、そのぶん、読書や仕事に集中できます。

 そうそう、手を動かすのがぼけ防止になる。それを言おうと思ったのです。こういうふうに、メールを書いたりする。これは単にキーボードを打っているだけですがなにもしないでテレビを見ているよりも頭を働かせています。手を動かすのがなぜ、ぼけ防止になるか。

 学術的に解説しますと、ペンフィールドのホムンクルスという有名な、脳内の運動野、感覚分布を人体に置き換えたコビトの絵があります。この絵を見ると、顔と手の占める比率が非常に大きい。

 顔と手は主に何に使うか、対人コミュニケーションに必要不可欠な人体の部分である。表情豊かで、身振り手ぶりが活?であるほど、脳の働きが優秀である。(これは本当です!役者でも、名人は表情と動きが豊か、せりふなしのパントマイムでも、観客を感動させることが出来る!くどいけど、チャップリンを見よ!!!)それで他人に意志を伝える、そのために、脳内で顔の筋肉表情筋と、手根筋、屈筋伸筋と連動する部分が大きくなったものと思われる。

 「英雄色を好む」と言われるこれを学術的に解説すると。英雄と言われる偉人、傑出した人物は年を取っても脳の働きが活?である。従って、表情筋および手の動きが衰えない。従ってエッチの時、巧みに手を使って相手を昇天させることが出来る。従って英雄と寝たい女性は引きも切らず、周りに押し寄せる。これすなわち英雄色を好むの原理である。
 
by mogurin
















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自己破産・夜逃げ・一家心中


 バブルがはじけた後も腕のいい夫には仕事の依頼が順調にあった。ところが、仕事を発注する担当者が変わったり、このところの不景気やら、養成学校の乱立やらのせいで仕事が徐々に減ってきていた。が、12月は特に少なかった。

 家計が大変なことには気づいていたが、やりくりは夫がやってくれているので、全く脳天気な私だった。数年前に、30万強する中学受験する小学生用の学習教材や、やはり、3〜40万する浄水器を購入してしまった。浄水機の方は完済したが、学習教材の月賦は未だに続いている。その上、息子も私立中学校に入れてしまった。

 2日ほど風邪で寝込んでいた私は、3日目の夜目眠れなかった。最近、近所の子どもと娘(小4)にお願いされて、引き取った捨て猫(♀とても人懐っこい)が、サカリでギャーギャー鳴いている。避妊手術が済んでないので、外に出せない。この猫、ショコラは下半身を舐めまくって、脚は赤裸だ。ショコラの鳴き声を聞くと、獣医さんのところへ連れて行く頃には下半身の赤裸になってしまっているショコラ、そして、獣医さんにこう言われる。「どうして、こうなるまで、ほっておいたの。」でも、お金がなくって・・・。なんて、とても言えなくて、おろおろする私がいる情景が頭に浮かんで、眠れない。

 夫にどうするつもりか、尋ねたところ、「なるようにしかならない。倒産したら、一から出なおしだ。」と平然と言ってのけた。

 眠っている夫を見て、不眠症になっていたことにホッと安堵した。が、頬がげっそりと痩せている。不精ひげも生えっぱなしだ。すぐ横で眠っている夫だが、ずーっと離れてしまっているように感じる。新婚当時のよそよそしさとは違う。夫を慰めることもできず、夫に甘えることもできず。私の魂はさまよう。

 ショコラの下半身赤裸のイメージや、自己破産し、今済んでいる家を売りに出して、アパートに引っ越すか、それとも夫の実家まで行ってしまうのか、ぐるぐると様々な恐ろしいことが頭に浮かんで眠れない。しかも、病院から貰っているリボトリールやデパスがないので、眠れない。精神の薬も潰瘍性大腸炎の薬もなくなりつつある。徐々に減って、2種類のみを服用。そのためか、私が自殺して、保険金が入ったほうがいいのではないかと考えたこともあった。でも、純真無垢の子どもだちのことを考えると、死ぬわけにはいかない。彼等には私が必要なのだ。だが、この身体が、健康だったらと、思う。健康でさえあれば、働ける。

 夫の母に電話して泣きついた。夫に内緒で電話したが、後で夫に言ったら、 「心配かけるだけじゃん。あの人のことだから、きっと金を借りまくって送金してくるよ。」というので、取り消しの電話をした。けれど、やはり送金してくれた。

 その後、次々と仕事の依頼があり、夫は今も仕事をしている。ヤレヤレ。


by キャサリン








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悪循環


 よく、暴力を受けて育った子供は、やがて暴力をふるう親になると、言いますがADDに関して、最近母の言葉が今の母としての自分と重なり息子に対して心苦しく思う日が少なからずあります。

 「注意力がない」「人の話を聞いてない」「忘れ物が多い」「やったらやりっぱなし」「だらしがない」「時間感覚がない」etc etc ...私はこれを、罵るような口調で言われ続けて育った訳です。

 親となった今、気が付けば息子に同じ言葉を、感情に任せて言ってしまう自分がいます。

 ADDは遺伝すると言われますし、今でさえこの発達障害は世間的には認知度の低いもの。自分の事を分かっている私が、息子の弱点を優しく諭し、より良い方向を示してあげられるかも知れないのに

 自分自身がまだ、自分の手綱をしっかりと取ることが出来ないが為にパニックを起こして息子に八つ当たりしてるんじゃないかなぁ、と、後になって分析・反省をすることは出来るんですが。。。


 男性の皆さん子供の頃を思い起こして、「あの時、こう言ってくれてれば」「あの時、こう言ってくれたから」的な心に響く言葉があれば、是非 教えて下さい。

 この悪循環を断ち切る為に。


by とくにみりん



 犯罪者の多くが不幸な生い立ちをし、子供の頃虐待をされた経験を持っていることが多いのは統計上の事実ですね。

虐待とは、体に対する暴力だけではなく言葉によるものもありますし、親はそのつもりではなくともASなどでは文字通りに受け取ってしまいますから親が思っている以上の虐待になります。

 まあ、わたしもさんざん親に言われましたよ。親は本当にわたしのことを心配していったのでしょうが、現実には親との確執を生じてしまいましたね。親は、何故わたしが距離を置きたがるのか理解出来なかったようです。むろん、自分がしたことを理解していませんでしたから。

 甘やかすことは間違いですが、子供の事を理解しないで下手な事を言うと、想像以上に子供を傷つけることはありますよ。

 あのときああいわれたからの心に響く言葉・・・ですか?わたしは無いですね。と言うより、親を受け入れる気持ちが無くなっていましたから、どんな言葉も心に響かなかったのでしょう。まともに聞けば心安らぐ言葉はあったはずですよ、何しろ親子なんだから。子供が心を閉ざしてしまえば、親の言葉も心も届かなくなりますね。

 わたしは今になってみれば、親がわたしを理解出来なかったからだと、理解していますがそれはわたし自身が人生の大半をわたし自身を理解しないまま過ごしてきたのですからしょうがないと思っています。

 そう思えば親との確執も無いですが、あいにく親はもういませんからね。

 パニックを起こして子供に当たってしまったら、きちんと謝ることですね。絶対に正当化したりごまかさないことがせめてもじゃないでしょうか。わたしの親は、明らかに感情的な言葉をわたしにぶつけたことに気づきながら絶対に謝りませんでした。そのかわり、ご機嫌取りをしていましたが、それは許せませんでしたよ。

 もしご参考になれば。

from ロクスケ



















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ADHDな親子


 自分でも信じられないことに私は私立中学生の母をしている。

 朝6時にラジオのタイマーに起こされ、息子(中1)を起こす。それから息子の弁当を作る。7時に息子を車で最寄駅まで送る。出かける前に階下から二階で寝ている娘(小4)に声をかけてー怒鳴ってー起こす。

 駅から戻ると、娘が言う。「お兄ちゃん、定期が切れちゃったんだって。」

 私の家族でPHSを持っているのは、私と息子だけ。しかも、私は息子を駅へ送ると
きーはっきり言ってしょっちゅうーには、たいていPHSを家に忘れる。

 あわてて息子に電話すると、やはり所持金ゼロ。まっ、どっちみち、私は(大きな声では言えないが、)手ぶらで車に乗って出かけたので、家に帰って、財布を持って駅に向かわなければ、ならなかった。

 と、ADHDな息子と私は、こんな風な毎日を過ごしている。

by キャサリン


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通夜


 一昨年前に兄が亡くなった。通夜は線香を絶やさないよう家族と親戚、10人ほどが会場(通夜と葬儀)に残った。私は子どもが小さい(当時、娘小3・兄小6)ので途中で失礼した。

 私の郷里(静岡県某市)では、通夜は祭壇に線香を絶やさないよう交代で番をするそうだ。家族がなくなったのは初めての経験だったので、「へェーッ」と驚くことが多かった。例えば、子どもが死んだ場合、親は火葬場へは行かないなど。

 父は弟(私の会ったことのない叔父)の死から始まって、何人もの臨終に立ち会ってきたせいか、あるいは、兄が2度目の危篤で、病死したせいか、兄の思い出話をおもしろおかしく語った。初めて通夜を過ごした私にはこんなものかなと、不思議に感じた。会場に笑いが絶えなかった。

 家族で思い出話をすると、めちゃめちゃ記憶のない私だが、やはり父が話した内容は全く初めて聞いたことだった。(実は記憶の何処かにあるのだが、取り出せないのだろう。)

 その中で私の記憶に残った話はこうだった。兄が中学生だった頃、車庫兼倉庫(当時から兄が亡くなるまで家は時計・眼鏡店だった)に借りていた建物が家から歩いて5〜6分のところにあった。
 「車、車庫に入れてこようか。」と言って、兄は毎晩のように車を運転していたそうだ。やる方もやる方だが、やらせる父親も父親だ。後に兄は、18歳でバイクの免許を取ったり、カートレースに参加するためにB級ライセンスを取ったりと、運転が好きなのは知っていたが・・・。

 ある日、兄の運転する車が後続車に追突された。100%後続車の過失だったが、なにしろ運転していたのが、中学生だったので、追突した方も強気だったらしい。怒った父は過失はそっちにある、過失を認めないなら出るところに出ようと迫った。とたん、相手は態度を軟化し、謝罪してきたそうだ。

 また、運転していたのが兄の担任の英語教師の親戚だったのも意外だった。この英語教師は私のことを随分ひいきしていた。また、英語の定期テストの結果を毎回、廊下の壁に貼り出していた。その筆頭にいるのは常に私だった。そのせいか毎年、ペンマンシップのコンテストに私を選んでいたが、1度も佳作にさえなったことはなかった。

 一方、兄の成績は音楽以外、特に英語の成績はふるわなかった。が、兄は多胡輝の「頭の体操」は全問正解だった。また、エロ本は英語の物(親に気づかれないよう)を読んでいたし、大人になってからは英語の雑誌を購読したり、眼科の医学書なども読んでいた。船にも興味をもって1級航海士の資格(英語の試験もある)も取っていた。たぶん、学科に興味がなかったのだろう。

 こういうことを総合していくと、うちの両親も兄もADHDだったのかなと思う。

by キャサリン







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まな板の上の鯛


 我輩は鯛である。先ごろずっと食欲がなく、餌もろくに獲らずにおった。そして、仲間といっしょに群れることなく、孤独にふらふらと海をさまよっていた。

 とある日、あっという間に釣り上げられ、漁師に「鮮度が悪いのお。」などと言われてしまった。
『なにくそ、くさっても鯛だ、てやんでぇ。』と暴れようと思ったが、体が動かない。
そのうちに、漁船のなかの水槽に入れられてしまった。

 しばらくすると、まな板が出てきた。我輩は手ですくい上げられ乗せられた。
『ああ、もうこれで我輩の人生は終わりか。』りっぱな鯛だったと言われようと思い、おとなしくさばかれるのを待っていた。
しかし、料理人がなかなか現れない。我輩もしばしば酸欠で気絶寸前であった。

 ここで、料理人登場。
白衣を着た料理人は帽子とマスクをしていた。そして、いきなり黒い棒を我輩の口のなかにぐいぐいぐいと押し込んでいった。『おい!こんな鮮度のわるい我輩を活き作りにするんかい!?』 
 
 料理人「むう、これはひどい。かなり広範囲に胃袋と十二指腸に炎症がある。幸い潰瘍にはなっていないが、ピロリ菌の検査とこの赤い発疹の深さを測る検査をしましょう。」
我輩『やはり、病気であったか。どうりで・・・。』

 料理人は、我輩に胃潰瘍用の強い薬をぽんと出すと、「10日後に検査の結果がでるので、また来なさい。」と言って、我輩を海に放った。

 ちなみに、我輩は口からしか入らないが、人間は鼻から入る経鼻的胃カメラが楽である。今回は、10日後に「胃がん」と言われる率は少なそうであった。また、昨年は大腸鏡検査で「線種」という扁平ポリープが見つかり、これは1が安全、5ががんだとすると、我輩の場合は4であった。即その場で摘出したのであるが、毎年胃カメラ、大腸鏡は欠かせないことになってしまった。

 しかし、数十分で検査が終わってしまう良い時代になったもの。ありが鯛。ありが鯛。
 
by musica


日頃の健康チェックは大切ですね。近所の店のご主人が脳梗塞で倒れ、あっと言う間になくなってしまいました。昨日の事です。つい先日も配達で車を運転しているのを見かけたし、すぐ目と鼻の先の店で時々行っていたんですが。こういう場合、自覚症状がないし、日頃の検査では分からないんじゃないでしょうか。かつて勤めていた会社の社長は、消化器が弱いことを自覚していて頻繁に医者に行き、ドックにもかかっていたのに、ある日心筋梗塞で亡くなってしまいました。心臓の方は問題ないと言われていたそうです。ただ、連日ストレスが重なってましたし、大変な喫煙量だったので、それは気にしていたのですが。

どんなに用心していても死ぬときは死ぬと言うことか、とそのときに思うようになりましたね。私の義兄も、ある朝、一人台所で倒れてそのまま亡くなっていましたし。5,6分の間のことでした。姉が見つけたときは心停止していて、救急車が来たとき死亡が確認されていたようです。むろん診断は医師がしましたがね。

from ロクスケ




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こども

 次男のところへ、0歳児の保育園時代から一緒だった友人がやって来た。久々だ。「やあ!おばちゃん、ひさしぶりっす!かーちゃんも時々腰痛いみたいっすけど、元気っすよ!」と元気ぷりぷり坊やだ。長男とも久々にけらけらと笑って話してから、次男の部屋に入った。数分たつや、ものすごい怒声である。「・・・どーもあやしいと思っていたんだよ・・・・謝ったら・・・・お前なあ!・・・そんでどうしたんだよ・・・」「別れた・・・・」爆笑!?「・・・お前のなあ・・・だからあ・・・・・・なんだよ!・・・大学の・・・何やって・・・」怒鳴り合い?間に起こる大きな笑い!

 ふむふむ。どうも。うちの次男の女性問題らしい。最近やはり保育園時代からの超親友が来なくなったので理由を聞いたら「うん、俺あいつの好きな人、取っちゃったんだ。あいつだけじゃない。Aの彼女も、Bも・・・・。俺って悪いね。」と言った。「ふーん。でも今超友人って彼女いるじゃん?」「うーん、そうなんだけどさ、今の俺の彼女ってみんなの憧れなんだよ。本当は好きだったんだよ・・。」とか良くわけのわからないことを言っていた。

 どうもそんな単純な話ではなさそうだ。まあ、根こそぎあちこちの女に手を付けまくっているってか!?はっ。ふと転がっている本に書いてある。「育てたように 子は育つ   あいだみつを」むう。

 まあ、放っておく。20才も過ぎた。人生何をやってもこれからの肥やしだ。「お前悪いぞお!!」と怒鳴りにくる友いればなお良し。

 長男も下に下りてトイレ。出てきた長男に「何だこれ?」と聞くと「全くパワフルなやつだ。」と苦笑い。一時間以上はたった。

 ほれ、友人と二人で降りてきたぞ。「お、じゃあまた・・・彼女とな・・・」「おお、じゃあな・・・」仲良く話している。

 いいねえ、こういうのって青春じゃん。私はちと放任しているので、つい他人事のように思ってしまうが、私にもこういう時代ってあったかも・・・。
 
by musica







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ADHDのタイプ診断

寒いです、最近。何故か一週間以上もの間、風邪をひいているのでネットの前に居る事が多いです。従って、書き込む時間も増えるわけです。

閑話休題。

いきなり、主となるはずの部分を飛ばすのが、あたしの悪い癖です。すぐ、端折ります。

最近、引越し作業中なのです。とはいっても、去年から始めていたのですが・・・。いや。おととしかな・・・。とにかく、そういうわけで、引っ越し作業中だけど、風邪をひいてしまい、やる事が無いといった状況です。たまにオークションとか見てます。笑。

そして、また、戻りますが、自分のADHDのタイプを診断してみました。ADHDとADDとの分類の違いというのが、微妙でわからないのですが、ハイパーアクティビティを除くって事なのでしょうかねぇ?(自分が、サイト運営しようとしている癖に、アバウトなあたし・・・。)

それで、他の方のサイトの方お借りしまして、やってみましたです。あたしは、火の輪型のADDでした。

ダニエル・G・エイメンさん著の、わかってるのに出来ない脳は、二冊とも愛読しております。皆様にも是非、いい感じの本なので、一度読んでみる事をお勧めしたいと思います。

エイメン・クリニック式ADD分類チェックリスト:自己診断@senmasa.com
診断結果

「火の輪」型ADD
不注意:11
多動性:6
過集中:11
側頭葉:7
辺縁系:4
火の輪:9

「火の輪」型ADD(注意欠陥障害)は、ADDの基本症状に加え、気分が頻繁に・周期的に変わったり、攻撃的であったり、視覚や触覚の刺激に極端に敏感であったりという症状を併せ持っています。

という、分類に値するようです。当たっている様な、悲しいような、複雑なような。これも、まぁ、適当にパパパッてやっちゃったので、参考までに。という事ですかね!(自己防衛中。)

まずは、自分を知る事からやって行こうと思ってます。今年のあたしのモットーは、

★虎穴にいらずんば虎子を獲ず★

これで決まりですから!

by はいじ。





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よだれ

 よだれの多い子は虫歯にならないと、いうが。うちの娘は虫歯だらけ。その上、歯科から矯正も薦められている。

 しかも、修学前に兄の運動会で、運動会に関係無く運動具から落ちて、歯を数本折った。口から血が流れるほどだから、一本くらいは折れただろうと思ったが、次から次へと折れた歯が出たのにはショックだった。

 その娘が0歳のころ、同じく0歳の男の子のお母さん宅におじゃましてお互い2人目の子どもで、ー2人目ともなると、ひとり目よりずっとぞんざいに扱うことになる、よくいえばのびのびと育てるーそのようにしておりました。

 そのうち、友人の息子が泣き出したので、ふと見ると、坊やの頭といおうか、頭髪がぐっしょり濡れている。直後に娘がなめたのだと、気づいた。なにしろ、ハイハイをしている連中はまさに野生、本能のままに生きている。

 0歳児はいろんな物をなめたり、触ったりして、確かめることによって、脳が発達するというが、ほんとにありとあらゆる物(者も)をなめるのだなと、感心した。

 このように人の頭部、つまり毛髪をなめるなんてーまさに猫や犬ーその後、このようなプリミティブな行為は初めてにして最後だった。

 小4の現在も娘はまだ、人間になりきれていない。これを私が書いていいる間に「ただいま〜。」と言ったかなと思うまもなく、「いってきま〜す。」と出かけてしまった。
 
 娘は中学受験すると言うのだが、一向にまじめに勉強しようとはしない。1日中、遊び回り、トイレで居眠りをする。昨日、急に姿が見えなくなったので、どこへ行ったかと思うと、トイレでつい眠ってしまったそうだ。いつになったら、人間になるか、教育ママは不安だ。

by キャサリン




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 兄が亡くなって、1年以上が過ぎた。先日、母が脳梗塞で倒れた。先日、お見舞いに行ったら、失語症でほとんどしゃべれない状態だった。

 着いた日に息子(中2)と娘(小5)がこんなに大きくなったと、見せたら、涙ぐんでいるようだった。しゃべろうともしなかった。

 翌日、帰る前にもう一度、お見舞いに行った。前日とは打って変わって、表情が明るかった。しゃべろうとしていたし、確かにしゃべっていた。少し安心したが、最愛の息子をなくしたショックは相当大きかったようだ。


by キャサリン


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ショコラがやってきた

 「ダンボールに入って捨てられていた」と、子どもたちがいうが、どう見ても10か月前後の猫だし、ものすごい運動能力の持ち主なのだ。

 ともかく、どこの家も受け入れてくれないということで子どもたちが揃ってやって来て、「飼ってくれ」というので、引き受けた。

 こいつが、すぐに盛りで家中をトイレにする。洗面所やバスタブにウンチをする。和室の壁にカケションをする。さかりなのだ。

 その後、さかりも落ちつき家中にばら撒くこともなくなったが、・・・。超猫的動きで家中をかけ回る。まるで、ワイヤーアクション。我が家には本が多くて至るところに本棚があり、本がある。夫の部屋の特性本棚に飛び乗ったらしく、本が全部ドアの前に落ちてきて、扉が開けられない。

 外に出してもらえないで、ストレスがたまっているようだ。出してあげたいのは山々だが、いかんせん避妊手術をしてないので、出せない。そのせいか、身体を舐め過ぎのせいで下半身がはげている、ところどころ舐め過ぎて、かさぶたが出来ている。何度か逃亡を企てたが、その度にとっつかまっている。敏捷なのによくつかまるのだ。

 一度は2階のベランダから車庫の屋根に飛び降りて、逃走した。あの高さからは飛び降りないだろうと、たかをくくっていた。ショコラはともかく超猫的能力と恐怖心を持たないやつなのだ。
 
by キャサリン

 その運動能力はそんじょショコラには無いものですな。
 
 ところで、最近私がはまっているサイトに、はっちゃん日記があります。ごらんになっている人も多いでしょう。「はっちゃん日記」で検索すると直ぐ出てきますが、夫婦でユニットを作っている写真家の八二一”はにはじめ”さんが飼っている6歳の雄猫、はっちゃんの写真と動画、そしてコメントが毎日更新されています。
 
 私も頭にキの字が付くほどの猫好きですが、昔から動物は動物好きの人間と動物嫌いの人間を見分けると言います。諸説あり、微妙な人間の態度や表情から見分けている、あるいは動物好きの人間は動物を見るとある種の匂いを発し、それを動物がかぎ分けると言うせつまであります。いわばフェロモンですが、むろん真偽は分かりませんし、人間がフェロモンを発していること自体昔から論争の的です。
 
 ただ、動物好きの人間が動物によって癒されるのは疑いもない事実であり、これはフェロモンなどではないのも疑いもない事実です。だからこそ、はっちゃん日記のヒット数が伸びるのでしょう。好きとなると、写真でもイラストでも癒されますから。
 
from ロクスケ 蛇足




















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息子

 私立中学校へ入学した息子が2年に進級した。この1年で身長が10センチほど伸びた。私とほぼ同じ身長。高かった声も変声期で裏返っている。

 1年の1学期は問題も起こしたが、成績はよく通知表が全課目3以上だと貰える「努力賞」だったか、ともかく成績優秀ということで賞状を貰ってきた。2学期には成績別英語クラスでCクラスからAクラスにBを飛び越えて上がった。

 ところが2学期から成績が下がった。数学だけは常に通知表は5、テストは満点か、減点のみ。それ以外はひどい。提出物を出さないので、得意な理科の成績も振るわない。

 3学期は提出物は全部出したとのことだったが、・・・。やはり、ふるわない。3学期は1年間の成績が反映されるとのこと。

 高校は引き続き私立に入れておく余裕はないし、中学よりも高校の偏差値は低い。都立の偏差値の高いところに入れたい。本人もそう望んでいるようだが、ともかく集中力がない。遅い。もう、私はさじを投げた。
 
by キャサリン
















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違和感を感じる

 ボクはミクシィをやっているんですがその日記でフランク・フラゼッタというイラストレーターのことをけちょんけちょんに書きました。この人は30年くらい前にはやった、ファンタジー系のイラスト レーターでその影響を受けた人が世界中にたくさんいます。もちろん日本にも。でも、フラゼッタは、アメコミから出てきた人なので、絵の描き方が、全部アメコミ調なんです。ぱっと見は、迫力があるんですが、何を描いても全部一緒。こけおどしの世界です。で、ボクは、フラゼッタの絵のインチキ臭さを暴いて見せた。それには共感する人も多くいましたが、基本的に「それがどうしたの〜〜?インチキでいいじゃん!」まあそんな反応でした。

 そのあたりから、どうも自分の物の見方と、他人のそれがちがうようだとはっきり解ってきました。人の絵をみても、違和感を感じるんです。爪でガラスを引っ掻く音。あのきぃぃぃという、神経を逆なでする高音。そんな音がいつも微かに難じられます。

 だから、オタク系のコピー文化(それが文化と言えるのであれば)にはほとんど興味がないのです。過去のいろんな作品も、資料的価値しか抱くことは出来ません。これは、自分の作品についても言えます。どうせ自分が死ぬときは、何も持っていくことは出来ない。だから、現在の経験。今やっていることが、重要な気がします。

 もともとボクは転校生だったので、過去にあんまり執着してこなかった みたいです。コレクターという人種がいることは知っています。でも彼らの心のなかは想像できません。第一何百冊もマンガ本や、DVDを集めても・・・それを楽しむ時間が自分に残されているだろうか・・・。今部屋の整理をしているんですが、テレビ録画したDVDがそれこそ 300枚以上あるんです。いつかみよう。そう思って録画した、ドキュメンタリーや映画。でも、見ないだろうなあ〜〜〜。見てる時間はないだろうなあ。全部捨てた方がすっきりするなあ。そう思い始めました。

 「違和感を感じる」というのは何も絵とかだけに限らず、全部。ひとと話をしていても、ミクシイで、コメントを書き込んでいても。どうも、自分は違うみたい。どこにいても居心地の悪さ。そんなものを感じます。みんなどこかに収まって、人生を楽しんでいる。そんなふうに思えて来ます。羨ましいというか・・・。じつは、幸福感というものが、よく分からないんです。

 安定した精神状態。なんだろう。。。睡眠薬を飲んで寝るときかな。。。別に病気が悪化したとか、そういうのではありません。ここ数十年ずっと同じです。だれかと一緒にいても、なにかやっても。本当のところちっとも楽しくない。誰かに向けて何か書いたり、話をしたり、そんなとき感情過多になります。オーバーに書きすぎるのです。

 ボクは複雑なモノが理解できない脳をもっているようです。0か100か?その中間がない。単純なんです。複雑なモノは、単純なモノに置き換えないと、理解できません。日記で過激なことを書いている人が案外と常識人で、安定した思考ルートを持っているいわゆる健常者のひとがほとんど。そう言った人は仕事もそつなくこなせるでしょう。

 安定を求めるのがダメだと言っているのではなく、世間の人の大半が安定と幸福を求め、どこかに心のよりどころがあり。その場所や行為に慰めを見いだし。要は、「幸福感」幸福感を体験できているのじゃないか、と・・・。

 幸福感がわからない、ボクが言っているわけです。
 
by mogurin


完全主義者は満足しませんから、幸福感も達成感も乏しいでしょうね。

あたしは結構いい加減で、その場がしのげれば完全でなくとも良いと考える方です。だから、その意味で幸福感も達成感も乏しいです。

幸福の定義は色々言われてますが、自己満足という事で一応一致しているでしょうね。とすると、幸福感とはあくまで主観的な物であり、他者との比較は無理でしょう。追放された王の不幸、という言葉がありますがね、今まで権力の頂上にあり、栄耀栄華を極めていた王がその座を追われるたときの不幸は最大の者だと言うんですが、普段からつましい生活をしている人間には縁のない不幸です。

まあ、足るを知る、と言うことが仏教でもよく言われるし、それをテーマにしたのが、森鴎外の高瀬舟です。ある意味、小さな幸福を如何に大きく感ずることが出来るか、が人間の損得に関わるのだろうと思いますな。

ところで、芸術などでは、たしかにこれで十分と言うことはあり得ず、誰でもがより高みを目指すもの。とすれば、芸術家には永久に幸福など訪れないと思いますよ。才能と引き替えたんですから。

from ロクスケ













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子供の成長

 「子どもとともに親も成長する」とよく、言いますが、私にはまだまだ、成長する余地がある。成長しなければと、思う一方、だから、子どもの気持ちに寄り添っていける。なんて楽観的に考えている。だから、成長しない。と、私の中の子ども性と大人性が戦っている。

 息子に電話で怒鳴られ、つい「ごめんね。」と言ってしまった。人間は不思議なもので、相手に高圧的にでられると、つい謝ったりしてしまう。しかし、中2の息子に初めて「(遅刻したのは)お前のせいだ、バカヤロー!」―ほんとは何て言われたのか覚えてないが、とにかく、口汚く―ののしられた。私にとって非常なショックだった。

 一昨日、息子は劇場鑑賞会で新国立劇場に出かけた。この息子の通う私立中学校は現地集合が好きだ。社会性を身につけさせようというのだろう。しかし、私と息子は方向音痴だし、時間や距離の見積もりができない。その上、息子は遅刻・早退が大嫌い。午後からの開演だったので、ちょうど微妙な時間に集合しなければならない。

 空腹になって、機嫌が悪くなってはいけないと、昼抜きで出かけようとする息子に無理やり昼食を食べさせたのが、いけなかった。

 息子は集合時間に15分ほど遅刻。同じ学園の高校生の集合時間に到着した。「はずかしいから、帰る。」と怒鳴り、息子は私をののしり、電話を切ってしまったというわけだ。なんとか夫にとりなしてもらって、なんとか集合場所へ行かせた。

 夫の言うように夕方にはケロリとした顔で息子は帰って来た。そして、私に詫びた。私は
「いいよ。」と言ったのだが、私の頭は許しても心と身体は言うことをきかない。笑えない。お腹が痛くなる。下痢になる。

 昨日は子どもと私だけ、夫は映画の試写会に出かけていて留守だった。息子を迎えに行こうとすると腹痛が起きた。で、私は正直にありのままを息子に言った。中2には重すぎる荷だったろうか。
 

by キャサリン

しかし、私たちの子供の頃は親に対する言葉遣いなどかなり厳しかったし、下手な口の利き方をするとようをするとぶん殴られましたね。今は生徒を友達つきあいをする教師が良い教師と思われる節があり、教師の尊厳が地に落ちています。誰でも自分より偉い、力があると思う人からしか学べないものであり、親や教師の尊厳は、子供のためにも必要なんですが、それが失われて久しいです。大人であればむろん誰からでも学べるでしょうけれど、子供は大人じゃないんです。

 子供のためにも不幸なことですよ。
 
from ロクスケ






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外国人の面白い話


 先日、通っている英会話学校の先生が楽しい話をしてくれた。彼は”TAKEIYA"の「ミソチキンカツ ガ ダイスキ!」と言う。そして、ある日、授業の昼休みにその店に入った。

味噌チキンかつを指差しながら「ミソチキンカツ クダサイ。」と言った。20分待った。
やっと出てきた「味噌チキンかつ」にナイフを入れると「アレ?コレ、チキンジャナイ!!」

「ヘイ!コレ、チキンジャナイ!ツクリナオシテクダサーイ」「?はい。」

15分ほど待つ。出来た!さくさくっとナイフを入れて、フォークで刺して中を見る。
「オーノー!!テンチョウ、コレ、チキンジャナイ!!チキン!!トリニク!!ジャナイ!!!オカネ、カエシテ!!!!(怒)」店長「なんで?」「ナンデジャナーイ!!チキン=トリニクジャナイデショ!!!!(怒)」


 私「それって、チキンだったんじゃないの?」「チガーウ!!ホカノミセデ、チャント チキン タベタ。ワタシ、ポーク、ビーフ タベラレナーイ!!シヌトコロダッタヨ!!!」爆笑〜

 「ナンデ?」がしばらく流行ったのでした。

by musica


この話では誰が間違い、誰が何を問題にしているのかよく解りません。結局この先生は豚肉を食べたかったんでしょうか。結論として、その店が間違っていたと言うことですね。で、店長はチキンだと言いながらあくまで豚肉を食わせようとしたと言うことですね。

仮説 1  出されたのは鶏肉だったが、メタボの鶏であり、あたかも豚肉の様に見えた

仮説 2  我々全てが間違っていて、我々が鶏肉だと信じていたものは、実は豚肉だった

仮説 3  その日彼が食おうとしていた鶏肉は虫の居所が悪く、食われるのが嫌になって豚肉の振りをした

仮説 4  実は店長の彼女が彼の生徒であり、彼がちょっかいを出したため、店長が嫌がらせをした

仮説 5  店長がBSE問題を鶏肉の問題と誤解していて、勝手に豚肉に取り替えた

仮説 6  彼が単純に鶏肉と豚肉を間違えた

仮説 7  今後鶏肉のことを豚肉、豚肉のことを鶏肉というように政府から通達があった




仮説 100 私が未だに真実を理解していない

色々仮説を考えて、一睡も出来ませんでした。

from ロクスケ













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優先席に座らない障害者と高齢者

 毎朝バスに乗って出勤する。バスは学生で超満員。でも、学校の規則かなにかで「赤い優先席」には座ってはならないことになっているらしい。大きなかばんを担ぐか、床において、優先席の前に陣取っている。

しかし、足の悪い人や、杖をついた高齢の方なども敢えて優先席に座ろうとしない人が多い。

 朝は、学生が陣取っていて座りにくいが、私はあいていれば座ることにしている。なぜなら、一人でも座ってくれていた方が、バスの通路は広くなるからだ。

そして、もちろん必要な人が来れば替わる。


 夕方や夜もそうだ。しかし、本当に足の悪い人や、高齢の方が優先席に座らない。これは本当に困ってしまう。おかげで、健康そうに見える人はみんな立っていなくてはならない。
 
 「あなたたちのための席なのよ。頼むから座ってよ。そっちの普通の席に私を座らせて!」と言いたくなる。

 なぜこういうことになるのだろう。不思議でならない。自分はまだ若いとか、障害者ではないとか思っているのかしら?ご意見あらば、是非聞きたい。

by musica


















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スケジュール管理が、上手くできないんです
 
 ミクシィの中毒になって、仕事に支障を来すようになりました。実は去年からそうなんですが、それほど、ミクシィのようなインターラ クティヴな双方向のメディアは、ボクの性格にぴったり合ったということ。かもしれません。

 なにより、相手が見えない。声を出し、顔を見て相手の様子を観察しな がら、会話を進めなくてもよい。黒子であり、匿名であり。誰でもない架空の人mogurinになって、バーチャルな世界で、好きなことを書くことができる。インターネット中毒という症状が、実際に社会問題になっているみたいです。

 で、ボクは毎日ひっきりなしにログインしていたのをヤメテ、三日に一回にしました。そのうち四日に一回、五日に一回と、もっとに制限していこうと思います。お気に入りから、ミクシイのホームページを削除しました。アプリケーションから、ミクシィステーションをアンインストールしました。これで、簡単にログインできなくなりました。

 まあ、今回の主題はそのこと(ネット中毒のこと)ではありません。

*****************

 ボクはADHD&アスペルガーで、カミングアウトしているので、そういった発達障害関係の、知り合いが増えました。ほとんどミクシイを通じてです。で、コミュニティにも参加しています。大抵みんな、愚痴や不平不満、つまり就労問題、教育問題、人間関係の不和について書いています。

 まあ、ボクも自分の失敗談なら、事欠かないので、いくらか書き込みました。でも、愚痴や、不平不満を書きつらねたところで、何の解決にもならないんですよね。具体的に生活の上で、どういった工夫をして、効果が会ったとか、そんな事を書かないと、あんまり意味がないと思います。また、二次障害の鬱、不安感。そういったものは、どうにもしようがない。自然に回復するのを待つしかないのです。

 また、こういったことを言う人もいます。ADHDや、アスペルガーは、その特徴を上手くいかせば、天才的な業績を残せる。確かに、歴史上の偉人、天才を調べてみたら、発達障害を抱えていたような人が多いです。でも、逆は必ずしも真ならず。だと思います。

 このことはよく、誤解されるんですが、発達障害を持っているから天才だ。ではなくて、発達障害を抱えていたにもかかわらず、天才的な業績を残 した人がいた。それが証拠に、発達障害を抱えている、何にも出来ない人が大半です。

 アスペのコミュに、アスペルガーは、IQが高くgiftedの人が多い。などどいいかげんな事を書いている、人がいました。良く読むと、自分のIQ自慢をしているんです。その人は、まだ20代で仕事は何にもしていません。IQが高い=天才。ではないんです!

 ボクの天才の定義を書き込んでやりました。<天才とは、ある、特定分野において、創造的な仕事を通じて、同時代と、後世の人類に大きな影響を与えた人。その人が出現する以前と、その人以降では、その分野の地図がガラッと変わってしまった。それほど影響力が大きかった。そういった人間のことを指す。だから、そんなに天才がぼこぼこ誕生するわけがない。何万人に一人といった希少価値です。>

 で、彼が自分のテスト結果IQ=135を貼り付けるにいたって、馬鹿馬鹿しくなり、ボクも対抗して外国のIQテストサイトで受けた結果IQ=135を貼り付けました。(大人げないですが)こういったテストは、パズルみたいなもので、決められた時間に、どれだけ簡単な問題が解けるか。

 練習次第で、点数は向上します。人間の能力(とくに現実の問題解決能力、創造力)とは無関係。何の意味もありません。で、それ以降、当の本人は、ショックのあまり沈黙しています。いい気味だ・・・。

 いろんなコミュのオフ会で、アスペやADHDの人を見ましたが、やはり仕事の上で問題を抱えている人が多かったです。で、職を転々としている。障害者手帳を取得して、現在求職中・・・。どうしたら、障害者年金を貰えるようになるだろうか?

 今は親と一緒に暮らしているが、仕事がどうしても続かない。老後が不安だ・・・。そんな話題が多いです。みんなストレスに、非常に弱いのです。病院に通い、薬を飲みながら、なんとか生活している。だから、仕事をする能力は、どう考えても健常者以下だと思います。

 そのなかで、少数の幸運なひとが、自分の能力を生かせる場所を見つけ、こつこつと仕事を続けることができる。また、アスペやADHDの人は、極端な思考に走る傾向があります。それが、過集中となり、もし、自分の元々の才能と合致すれば、あるいは、業績を残せるかも知れません。

ボクは、自分で言うのもなんですが、絵を描く才能は、人並み以上にあると思います。でもそれを仕事にしてしまった。ここに問題が生じます。スケジュール管理が、上手くできないんです。それで、何度クライアントを怒らせたか!!締め切りがちゃんと守れないんです。

 先日も、そのせいで、仕事がキャンセルになりました!!何とかならんものでしょうか???今、そのことで一番困っています。

by mogurin

発達障害を抱えているから天才などと言うことはないですね。でも才能があるかも知れないから、発達障害を抱えていてもあきらめる必要はない、とは思いますよ。たしかにひらめきが才能を助長している面はあると思いますから。

だから、スケジュール管理が出来ないなども本当は子供の頃から訓練をしなくてはならなかったんでしょうね。子供の頃放置されていればあとは自分でやらなくてはならない。障害のあるなしにかかわらず、これは自分の責任ですから逃げるわけには行かないでしょうね。

かくいう私もスケジュールは立てますが実行出来ません。生活でも尻に火がついています。茹でカエル状態です。水の中のカエルは、その水が熱せられて次第にお湯になっていてもその場所から動く気にならず、結局最期は茹でられて仕舞うという話ですがね、あたしも尻に火がついていて何とかしなくてはと思いながらまだ大丈夫だろうとそのままにしています。そして結局茹でられてしまうというわけです。

まあ、各種のコミュニティなど、愚痴だけの場所になりがちです。しかし、そこで、自分なりの利用価値を見つけるかみつけないかも本人の責任であり、他からとやかくも言えません。

IQの高さが天才の条件ではないこと、さらに幸福の条件ではないことは分かり切ったことですが、ただ、感受性の高さ、理解力の高さは確かに大きな恵みです。それらがIQとは必ずしも重なりませんが、自分なりに自分の知能を出来るだけ活かす工夫は大切じゃないでしょうか。まあ、ご多分に漏れず、わたしもかつてのテストでは、数字としてのIQだけは結構高いんですが、それで得をしたことは一つもありませんね。

from ロクスケ



















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交差点の救急車

 先日、夜に交差点で信号が青に変わるのを待っていた。すると、ピーポーピーポーと救急車の音ガ聞こえ、赤い点滅が見えてきた。「あ、近いな。」と思い、交差点の信号を見ながら様子を見ていた。

 ちょうど、青になるとき、救急車がものすごいスピードで入ってきた。当然ながら、自動車は青でも止まっている。まあ、止まらないまでも、かなり徐行している。

 ところが、唖然としたことに、救急車が来たその横断歩道に「人」が構わず歩いて渡っていったのだ。それも一人でなく、何人も!!!

 「えっ!?」と私は目を丸くしてしまった。
「なんで?」

 自動車の運転手は確かに免許を取るときに交通ルールを学ぶが、いくらなんでも、そのくらい常識なんじゃないだろうか?歩く人の中には、免許を持っている人もいたかもしれない。

私は、電動自転車で交差点にて待機していたが、あまりのことに日本人の非常識を疑った。皆さんだったらどうなさるか?

by musica












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島ひきおに

 息子が小2の時(現在中2)、音読に力を入れている担任に当った。それで、保護者たちに子どもたちの群読の暗唱の発表会をしてくれた。

 題材は「島ひきおに」という童話、一人で暗唱したり、複数で暗唱したりして、語られる「島ひきおに」の話しに私は涙が止まらなかった。主人公の島ひきおにに息子を重ね合わせ、不憫でたまらなかったのだ。

 あらすじはこうだ。文字通り島を引っ張って、海の中を歩くおに、いろんな村に島をつけては、人間に遊ぼうと誘いかけるのだが、誰もが怖がって逃げてしまう。ところが、ある日鬼を受け入れてくれる村があった。おには喜んで子どもを自分の島に招待した。おにと子どもが眠っている間に子どもは犬の骨とすりかえられてしまう。

 翌朝、おには子どもがいなくなって、骨があるのを見て驚く。すると、おにを陥れようとする男がやはり、子どもを食べたと、おにを責める。そして、人食いおにとは遊べないと、おにに人と遊ぶことを諦めさせようとする。

 当時、息子は同世代の子どもたちと遊びたがるが、相手はいやがる。息子は直ぐにカッとするし、手や足が出てしまうのだ。遊ぶのを拒否するのは容認できるが、家にやってきて、ビデオを見たり、ソーダを飲んだり、トイレを使うなど、息子を利用するのは許せなかった。友だち(クラスメートたち)が出て行く時に息子もついて行こうとすると、「来るな。」と私に聞こえないように低い声で、息子に言っていたことがあった。

 そういうことがあって、「島ひきおに」が息子みたいに思えてきて、泣けてしまったのだ。

 すると、当時、私は学級委員(息子の在学中はずっと役員やボラを進んでひき受けていた)をしていた。そういうことにとても理解のあるお母さんがいて、「委員ってたいへんでしょ。いろいろ言われると思うけど、気にしないで。」とか、「何時もご苦労様です。」と声をかけてくれていた。

 すると、そのお母さんが、私が泣いているのを見て、「××君が立派にやったので、感動したのね。」とやはり、声をかけてくれたが、まったく見当違いだった。


by キャサリン





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ゴミ袋おばあさん

 ついこの間、何年ぶりかにゴミ袋おばあさんを見た。彼女はゴミ袋で洋服を作る。そして、昔は黒のゴミ袋で良かったのだけれども、最近はスケルトンなので、一応見えてしまうので、とても具合が悪い。

 聞いた話によると、彼女はりっぱなお屋敷に住んでいると言う。大金持ちなのだが、あるとき不倫をして、それが許されず、気が狂ってしまったという根も葉もないうわさが流れている。

 20年以上前から彼女をしばしば道路で見かけた。いつもお買い物用のキャリーを持ち歩いている。足腰はしっかりしている。でも、昔は歩道をちゃんと歩いていた。最近は大通りの中ほどまで出て行ってしまって、見ているほうはハラハラしてしまう。自動車は、プップーと警告音を鳴らして避けて通っていくが、跳ねられても仕方がないような状況である。至極他人事と思っていた。

 が、最近あることに気がついた。それは、彼女を見かけるのがいつも同じ十字路ということだ。その通りには大きなお屋敷がたくさんあって、それこそどこが玄関なのかわからないほど広い家がたくさんある。そして、私の息子と同じ小学校だった某元首相の末裔が住んでいる。

 そう。その家の嫁が言うに、姑は痴呆だということだった。そして、嫁さんは痴呆の姑の面倒は見ないという条件で結婚した。金持ちの家柄だ。姑の面倒はいわゆるメイドさんが見ている。そのオカネは息子が払っている。姑の部屋と嫁さんの家は繋がっているが、鍵がかけられていて決して会うことはない。もしかして、その姑かもね・・・。

 その家の至極近くにも、仕事でお邪魔したことがあるが、80歳位のおばあさんがほとんど意識がない状態で寝ていた。面倒を見ているのはやはり寝泊りしているメイドさんである。そのおばあさんの娘も週に一度位しかその家に来ない。庭には遊歩道があり、池があるほどの風流な日本庭園だった。

 お金持ちでも、なんだか老後は楽しくないようだ。ただただ、死を待たれている存在ー、あまりにも寂しすぎる。それでも、自宅で死にたい=YESなんだろうか?

 私には、良くわからない。
 
by musica



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高齢者の体力

 先に、私の場合30代から比べて60代の今、体力が格段に上がっている、と書きましたがね、少しそれを考えるようになりました。

 私の場合、30代の頃極端に体力がなかったので今体力が極端に増強されたと思っていますが、考えてみれば本来高齢になっても体力は落ちない物なのではないか、年をとれば体力が無くなると思いこんでいるだけではないのか、とも考えているわけです。

 もちろん、生理的な衰えを無視しているわけではなく、現実問題として人生で一番体力があるのはおそらく20代後半くらいなのでしょうし、そこから徐々に体力が衰えてゆくのは当然であり、それを間違いだと言っているわけではないのですがね。ただ、体力ではないけれど、先日脳学者の茂木健一郎さんが、経験を積み膨大な知識を持っている老人が想像力を失うなど全くの間違いで、ただ意欲を失うだけだ、と言うのを聞いたんですわ。

 確かに記憶力は子供の頃より落ちるけれど、それは脳の正常な発達段階の故であり、記憶力の盛んな子供の時期に膨大な基礎知識を脳に蓄え、その後それを利用して複雑な思考をするように脳は出来ている、つまり、脳の性能とは、蓄えた知識を組み合わせ複雑な思考をすることにあるので、それをメタメモリーあるいは結晶記憶といいます。

 私事で恐れ入りますが、当然私の周囲には私と同年輩のおっさん、おばさんが多いんですが、年をとって記憶力が衰えたから脳の力も衰えたと当たり前に思いこんでいるようですよ。新しいことを学ぶ意欲がないんです。だから、インターネット一つにしても必要がないと、やろうとしないんです。今の私にとってインターネットがなければ生活はほぼ成り立たないと思うけれど、考えてみれば幼い頃から好奇心が旺盛で、その好奇心が未だにあまり衰えていないのではないかと思っています。幼い頃は誰でも好奇心が旺盛ですが、いつの間にかそれを失うようです。

 私の場合、好奇心があまり衰えず、それと読書量がかなり多いことも挙げられると思います。数えたことはありませんが、年に100冊は最低読んでいるでしょう。持ち歩いている鞄には2冊くらいの本はいつでも入っているし、多いときは読みかけの本が5冊くらいあったりします。ふつうは一冊を一度に読みますが時に複数の本を気の向くままにあちこち読んだりしていますし。ピーク時、これは記録をとりましたからはっきりしてますが、月に100冊読みました。まあ、無理してそれを目指したから読んだのであり、4ヶ月くらいで挫折しましたがね。しかし、本を読む習慣はそれを身につけさせてくれた母親に感謝してもあまりありますね。

 だから、今でも必要であればいろいろ調べますし、それは苦になりませんね。パソコンを組み立て、OSをインストールし、トラブルをつぶし、アプリをインストールするなど全く当たり前にやりますが、それが出来ない人が大勢いるのも事実です。少し調べれば出来るのに、難しい、とあきらめてしまうか、最初からやろうとしないんです。

 それと、これも幼い頃から文章を書く習慣があったのも非常に役立っています。文章を書くのが苦手という人が大勢居ますが、わたしは全く苦になりません。読書をし、文章を書く、これは自分の思考をまとめて形にするためには非常に役立っていると思っています。

 さて、自慢たらしく書いて申し訳ないんですが、むろん、私は自分なりに脳は結構活発に動いていると思っているだけで、むろん、私など足元にも及ばないほどの脳力の持ち主が非常に大勢居ることを前提としての話です。瞬間的な記憶はきわめてお粗末ですが、それは昔からでして、意識して記憶する項目については、昔から殆ど衰えていないと思っています。

 学習能力は、メタメモリーと、意欲でしょうね。

 で、話は元に戻りますが体力もそうなのであろうと思った次第です。私は意識せずにただ食生活を体が求めるままにして、気がついたら自分でも驚くほど体力、免疫力が向上していました。これを意識的に向上に努めたらもっと効果があるだろうということです。

 三浦雄一郎が75歳でエベレスト登頂に成功したのは、10年前、標高1032mの手稲山に登ってみて、半分まで来て死にそうになりあきらめたことから、体を鍛えてエベレストに登ろうと考えたからだそうです。それにしても1032mの途中ギブアップしたから鍛えてエベレストに登ろうと考えたのがすごい。しかし、10年かけて本当にそれを実現したわけです。そのために、毎日ウェイトをつけて何キロも歩き、筋トレを続け、食生活を改善した結果です。

 私は今メタボで、体重が多く、考えてみれば筋トレなどは全くやっていません。心してチャリンコで徘徊するくらいの物ですが、これを意識して筋トレしたらどうなるか、と最近考えて居るんですわ。

 でもね、ADHD者は集中力が無く時間管理が苦手なために、計画的に体力を作ることが苦手だと言われています。たしかに私も、食生活が改善と良いながら、腹が減っても食欲がなければ1日以上何も食べませんし、食べるときはドカ食いするし、面倒くさいと毎日同じ物をたべます。今のところ焼いた野菜におかかと醤油を垂らしたものをもっぱら毎日食べてます。寝られなければ寝ないし、寝たくなれば寝ます。これではとても計画的に体力向上はおこがましく、今のところ野菜の多食あたりが効果を発しているにすぎないのではないかと思う次第です。

 三浦雄一郎氏の例もそうだし、堀江健一氏もそうだし、縄跳びで世界記録をいつつもっている鈴木克己氏は69歳で毎日10キロを40分ほどで毎日走り、懸垂をし、とにかくもう70とはとうてい思えない筋トレを続けています。しかもそれが出来るんですねぇ。

 むかし私は大病をして1年ほど入院していて、退院してから100メートルがまともに歩けなかったんですが、それが24歳の時です。とにかく毎日歩くことから始めましたよ。数十メートル歩いては休むことを繰り返しながらとにかく歩き、そのうちに小走りを混ぜるようになり、階段を上るようになり、27歳の頃は毎日5キロ走るようになりました。まさに、今以上の体力の黄金時代でしたね。でも、そのころはまだ大変なヘビースモーカーだったんです。

 30代になり、たちまち体力が衰え、ひどい状態になったのは書いたとおり。しかし、100メートル歩けない状態から毎日5キロ走れるようになった体験を持っていますから、おそらく今も同じことをすれば効果があるのではないかと思う次第です。今は、数時間歩いても平気だし、階段を駆け上がっても息が切れないし、かなりへばりますが数キロなら走れます。続ければ27歳当時の体力には追いつくんじゃないでしょうか。食生活は当時より健全だし、たばこは吸わないし、酒も殆ど飲みませんしね。

 エベレストに登ろうとは考えてませんが、これから20年生きるとしても、死ぬまで自分の足で歩き回り、自分の頭で考えることが出来るならそれが一番望ましいと思うわけで、これを目標としても良いんじゃないでしょうか。とりあえず5年でどうなるか。

 でもねぇ・・・筋トレやダンベル体操、ジョギング、腹筋、腕立て伏せ、ヒンズースクワッドなどいろいろ試してみてはすぐ挫折してます。だから、大言壮語はやめておきます。あくまで希望です。

by ロクスケ












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 さて、数日前に実家に行ってきた。脳梗塞で倒れた母に会うためだ。

 脳梗塞を起こした直後、入院中の母を見舞ったところ、ほとんど笑わないし、しゃべらないし(失語症のため)、退院後の要介護判定も高いとのことなので、寝たきりになってはいないか、心配していた。思いのほか元気で、しゃべったり、笑ったりしていたので、やや安心しました。

 しかし、体の肉はすっかり、削げ落ちてしまって、悲しかった。体を洗ってあげると、「洗い方がうまい。」と、ほめてくれた。父は洗ってあげると言っているのだが、3日間拒否され続けているとのこと。

 父は兄に続いて、母の看病をしているが、兄にも母にもなぜか疎まれている。気の毒だ。

 父は自分たちに何かあったら、妹(両親と同居)と私で対処して欲しいとのこと。妹に何かあったら、私に知らせるよう指示していた。

 最近になって、つくづく思う。「人は年取るのだ。」と、そして「死ぬのだ。」と。しかし、両親が死ぬことに耐えられるだろうか。母は早晩なくなると思う。あれほど痩せてしまっては・・・。

 by キャサリン









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社会常識

 先日、某大学の学生だという人からメールが来た。先生からWBのサイトの紹介を受け、本を読み、私の個人のサイトもみて感動したそうです。ま、それはともかく、話し合いの場所を設けるので来て欲しいとのこと。

 私はロクスケという形でやっていることに関しては他人様の前に出るつもりはないし、いきなり会いたいと言われても答えることは出来ない。とりあえず、メールなり、BBSなりゲストブックなりに書き込んでみて意見の交換をしてから次のステップを考えましょう、と返事をしたらそれっきりなしのつぶて。こちらから催促することでもないので放ってあるが、本人もADHDではないかと悩んでいたとか。もちろん、返事を読んでいない等は言い訳になりない。問い合わせをしたならメールチェックは常識のはずだ。

 それと、私のところにも日頃から膨大なスパムメールが来るので、タイトルや発信者で不審な物は読まずに捨てる。だから、単にお願いの件だとか、名前をタイトルにしてくるだけではまず読まない。この辺りの常識も初めての相手にはわきまえておく必要があるだろう。

 しかし、一方的に依頼をし、それに対し会うことは今はしないが意見の交換なら受ける、と返事をもらっても無しのつぶてなのはADHDとは無関係に単なる常識がないとういことだろう。社会ルールを知らない、仕付けの出来ていない人間なのであって、ADHDとは無関係だ。もしかして、ADHDかもしれないけれど、今回の不作法は社会常識を欠いているだけの話。

 ADHDの疑いがあると言う人にこういう人が多くる。まず、自分の社会常識がどうなのかを先に疑ってみるべきだろう。人間関係がうまく行かないのはそのためもあると思える。

 BBSでもゲストブックでも、いろいろ教えてもらいながら、その結果を受け入れたのかまた受け入れないのか、読んだのか読まないのかそれっきりという人も結構いる。別にADHD関連に限らないが。その辺りの常識を欠いていて、ADHDかもしれないから人間関係を築けないというのは問題外だろう。

by ロクスケ







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 結婚して、しばらく経ってから気付いたことだが、夫は朝、顔を洗ったり、歯を磨いたりしない。そういう習慣がないのだ。しかし、感心なことに夕食後の歯磨きは欠かさない。(私の歯ブラシまで用意してくれることも・・・。これは別の原稿で。)彼が顔を洗うのは、シャワーを浴びる時と入浴する時だけ。

 それから、やたらに大きなマグカップやら、ドイツ製のビアマグをたくさん持っている。昨日、一昨日、あるいはいつから使っているのか判然としないようなカップでも平気で使う。しかし、夫はウツではない。筋金入りの不精なのだ。困ったことは、このカップ使い方が私にも伝染ってしまったことだ。一日中同じカップやコップを軽くゆすいだだけで、使うことに抵抗がなくなってしまったことだ。

 父の実家の方(静岡の山岳地方)では、老人は箱膳を使って食事し、茶碗などを食後のお茶でゆすいで、軽く拭いて、箱膳にしまい、食事になるとまた、取り出して使う習慣があった。清潔感とは年とともに失われていくものなのか。

 しかし、さらに驚いたことに結婚して十数年経って、夫がはじめてこうつぶやいた。(私が聞いていなかっただけかも・・・。)「昔はもっと自由だったな。部屋のそこ、ここにコーヒーカップを置いて、気が向いたと気に飲んでいたな。」と。

 はじめて知ったこの事実に私は改めて、夫も我慢していたことを知った。バカでかいマグカップを勝手に箸立てにしてしまった私をひそかに恨んでいるのかもしれない。

by キャサリン


 箱膳は昔は普通だったようで、商家でも奉公人は板の間で箱膳を使って食事をし、茶碗や箸をお茶で濯いで布巾で拭いて、その布巾も一緒に箱膳をしまっていたようですよ。私の子供の頃は北海道ではそんな習慣はありませんでしたが、ただ、祖母の衛生観念が母と随分違い、母は祖母の洗った食器を後から洗い直すなどしていたみたいです。
 
 思い出すのは、祖母が台所の床を雑巾で拭いていて、あたしがぼうっとそれを見ていたら、「ロクスケ、こっち来い」とひっつみよせ、床を拭いていた雑巾を裏返して私の顔を拭いたことがあります。たぶん私は五歳くらいでしたか。汚い顔をしていたんでしょうね。
 
 それからしばらくして私が外から帰ってきて、雑巾で顔を拭いたらそれを見ていた母が驚いて、大急ぎで私の顔を洗い直しタオルで拭いてました。なんで私がそんなことをしたのか、母はおそらく察したのでしょう。くどいほど、雑巾で顔を拭いてはいけないと、私に言ってました。
 
 まあ、衛生観念は時代とともに変わります。日本人は江戸時代から庶民は毎日風呂に入っていたし、洗濯もこまめにやってましたが、海外では風呂に入る習慣のない国が普通だったし、今でも毎日入浴するなど普通の習慣とは言い難いですね。
 
 今の日本は非常に清潔で、そのために感染症などの病気は殆ど姿を消しましたが、ただ、免疫力が落ちて、海外で食中毒を真っ先に起こすのは日本人だと言われてます。欧米からの観光客が次に食中毒になり、現地の人間はまったくぴんぴんしているとか。清潔は良いんですが、日本では一部行き過ぎのような気もします。

by ロクスケ





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ネット右翼と呼ばれる若者達とADHD

 猪突猛進型A君。その愛国心はピカイチで、時事問題、歴史問題に対する知識も半端ではなく、まさに学者も顔負けの論客ですが、言うことが過激で、回りはいつも引いてしまいます。しかし本人はまったく自覚はなく、聞いている人が嫌悪感を覚えるようなことでも「世間話」程度の認識しかありません。彼には「空気を読む」という感覚はなく、「不適切と思うのであればそのつど指摘し、話し合えばよい」と言います。また人の話に割ってはいることもしばしばで、相手の状況はまったく無視といいますか、認識すらしていないようです。ずば抜けた才能と非常識が混在する彼に周囲はいつも振り回されています。いつか何かあるかと思っていましたところ、その気まぐれな言動と行動が街頭活動の責任者の怒りを買い、出入り禁止となってしまいました。

 本人はADHDの診断を受けていませんが、たぶんにその傾向はあったと思います。


 by 米田隆司
 
 










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男にはしってやる

 私の夫は時々、私に対して厳しい―大抵は優しいが。先日も私に厳しいこと を言ったので、私は「ほかの男にはしってやる!」といったところ、娘(小5)が言った。
「もう、はしってんじゃん。」
(娘は私が呉 京(ウー・ジン:中国人、最近日本で公開された映画にSPL 〈殺・破・狼〉、Invisible Target〈インビジブル・ターゲット〉などがあ る。ジェット・リーと似た経歴―カンフー大会で軒並み優勝、北京体育大学卒 業など)に夢中なのを指摘しているのだ。

by キャサリン


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 ここ数日、息子〈中2)が登校拒否。息子は電車通学で、弁当持参。毎朝、 6時起きで弁当を作る私だが、息子が「明日も休む」と言うので、今日はぶったるんで、寝坊してしまった。

 娘はブーブー言いながらも、昨日買ったひもなしのタンクトップに胸の大き く開いたアンサンブル、レース付きの7分だけのスパッツに裾とポケットに白 いフェイクファーのついたショーとパンツをいそいそとはいている。おしゃれ なのだ。しかし、ひもなしのタンクトップを保持するだけの胸がない。しか も、胸より腹の方が出ている。娘は、身長145センチ、決してデブではない。 が、どういうわけか、幼児体形なのだ。そのため、母(私め)は苦心して、タ ンクトップにサスペンダーを付けてやった。

 娘は無事帰宅するだろうか。心配だ。

by キャサリン


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注文をもらったけれど

 以前から見積もっていた品物の稟議が通ったから注文するという電話を朝もらいあわてて書類を作って出したのだが、何より年内に納めろとのこと。

 年内って、連絡をもらった時点で、あと実質一月ちょっとしかない。それも私が非常に頭も体も動かない時期、どうしたら、良いのだろうと、今から心配になる。唯でさえ2ヶ月の納期なのに年内に入れろとは、要するに12月の20日くらいまでに入れなくてはならないので、のらくらしている時間がない。

 でものらくらするのが私の常。

本当に真剣に働かなくちゃならないんです。ところが、そのあと仕様変更で機械が大きくなり、入るお金は増えるんですが、納期がどうしても年内だとのこと。実際は112月24日のクリスマスプレゼントして客先に届け、設置し、調整し、26日迄試運転だそうだ。前金は今月17日まで入ってこない。私は、前金を受け取らない限り絶対に着手しないので、注文になってうれしいけれど、一瞬も休めない。心に火が着けば良いのだが。

 一生懸命やったって間に合うかどうか分からないのに。駄目なら最初から断ってくれって脅された。是非やらせていただきます、がんばりますって電話口で答えてしまった。お金欲しいし・・・

 今から悪い想像が頭の中を占めている。

by ロクスケ









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大体○○だとおもいます

今日が初めての経験じゃないですけれど、企業の社員にも出来不出来がたくさんあり、それが客に対する印象を決めてしまうんですから、社員教育は十分に気をつけなければならんですな。

1)昨日ある会社に品物を取りに行き、担当者のxxさんはいらっしゃいますか、とカウンターで訊いたんですよ。メールで名前を知っているだけで、顔は知らないんでね。そうしたら何人かが顔を向けたんですが、それだけ。
重ねて「xxさんはいらっしゃらないんですか」と訊いたら、顔を向けた内の一人が立ってカウンターまで来たんですが、こいつ馬鹿だなぁ、とつくづく思いましたね。名指しできた客がいたらすぐ自分がそうだと名乗り、出てくるのが普通だと思うんですがねぇ。

2)今日、あるメーカーにある部品の取り付け穴寸法を訊いたら「大体xxミリだとおもいます」との返事。これは回答にはならないのであり、単に自分の感想を言っただけ。こんな返事は全く意味がないんですよ。大体、も思います、も全く意味がない。知らなければ調べて折り返し返事をする、とか分かる人間に電話をまわすとか、要するに確実な返事をしなければならないと言う意識がないんですな。

3)そもそも電話をしてこちらが「わたしはロクスケともうします」と名乗ったら、大体返ってくる返事が、「お世話になります」。これは下請けに対する挨拶であり、客に対する挨拶は、「毎度ありがとうございます」であることは常識。したがって、相手が客なのか下請けなのか、一見なのかはっきり分からないときは、とりあえず「毎度ありがとうございます」と言っておくのが普通。

4)見知らぬ相手にまるで友だち感覚のため口を利く奴は、まあ何を訊いても埒は開かないと最初に判断します。そう言う会社からものを買っても、あとで問題が起きた時まったくあてにならないことは経験上良く知っているので、多少の値段の違いであれば最初にしっかりと対応の出来る社員がいる会社のものを買いますよ。

何事も商売は最初の一本の電話から始まるのであり、その時の応対で会社を判断されることを会社としては十分に認識しておくべきですね。最初に社員教育の出来ていない会社だと判断されれば、チャンスを逃がすことになります。


by ロクスケ











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集中力の変化

 集中しなくてはいけないとき、その対象に注意を向けるよりもそれ以外のことに気をとられてしまう。そういった現象が周期的にやってきます。

 もちろんADHDの典型ともいえるこういった状態は日常的に体験しているんですが、それが極端に酷くなるのです。

 なんだか対象物の周りをぐるぐるとハエが飛び回っているような感覚です。もちろん自分はハエであり、注意欠陥な状態です。

 対象物に着地して仕事を始めればいいのに、そのエネルギーを、回転運動,飛翔のほうに使っているのです。

 エネルギーは存在するのに有効活用できていない。結果として、成果を上げられず、何もしていないのと同じ状態になる。焦りがつのり、自己嫌悪が酷くなる。

 仕事が中心にあり、その遂行が上手く行われているときは、エネルギーの分散も無関係なものに向けられることはありません。同じように周辺のタスクを行っていても、それらは何かしら結びついています。

 仕事のための下調べであったり、トレーニングであったり、情報収集であったり、すべて有機的なつながり、構造を持っています。注意散漫ではなく、注意集中であるといえます。

 おそらく無意識につながりを発見しているのではないかと思います。だから焦りはなく、安定した精神状態になれます。

 この違いがどういったきっかけで生ずるか?それは自分でコントロール出来るものなのか?どうやったらコントロール出来るか?案外と簡単なことかもしれません。今模索中です。

 
by mogurin











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うちの猫は幸せか?!

 うちでは、のらちゃんだった猫がどんどん増えて,ただいま4匹。最初にやってきたのは、10ヶ月くらいのメス、「ショコラ」。ダンボールに入れられて近くに捨てられていたとのことで,うちの娘を含む小学生が5〜6人やってきて、飼ってくれと、言うので、引き受けた。よく聞いてみると、なんと2キロくらい離れている隣町から友だちつながりで、ここまで連れてこられたようだ。おまけに首に髪ゴムがつけられていた。この猫は非常に神経質で、次にやってきた野良の両親に捨てられたオス猫のキキをうざがって、下半身がなめすぎで禿げている。体の一部はまるで、南米の裸犬。

 このショコラは顔が大きく、一見雄猫。2日に1度しか家に帰らず、最近は、帰るたびにダニをつけてくる。最初のダニはでかくてダニだと思わなかった。直径8ミリ位あった。その後は普通サイズの直径2〜3ミリだが、やはりつけてくる。

 次にきたのは生後3〜4ヶ月生命力ないため、親に見捨てられたキキ。娘たちが読んだら、喜んで付いてきたそうだ。まったく、野良らしい警戒心もなく、よく遊びショコラを追いかけて、ショコラに嫌われていた。こいつは食べ物に執着しない。ただし、娘、息子はこの野良猫らしからぬ、いや猫らしくないキキが大人気だ。執着しない割にはよく食べるせいか、最も太っている。抱っこされても、嫌がることなくゴロゴロいっている。近づくだけで、ゴロゴロいう。娘によると、これはうちの家族に限ることだそうで、近所の人たちや娘の友だちに抱っこされてもゴロゴロ言わないそうだ。

 遊び相手が必要なキキのためにやってきたのが生後2ヶ月の子猫2匹クーちゃん、フーちゃん。この2匹もかなりユニーク。続きはまた、来週。
 
by キャサリン


猫が幸せを実感しているかどうかは分かりませんが、緊張のない生活をしている状態を人間が幸せなのだろうと想像しているだけのことですよ。
現実に緊張のない生活が保障されれば、猫は一日中寝ているし、新しい知識の習得もしないし、人間の幸福とは概念が全く違いますしね。それに、猫はおそらく行く末の不安や、死の恐怖などは無いでしょうから、それだけ幸福とも言えるけれど、逆にそれだからこそ不幸だとも言えるし。

だから、猫の幸不幸は人間の想像の産物であり、猫はニャンとも思ってないんじゃないですか。ただ、猫は飼い主に懐くし、良い飼い主の側にいると気持ちがいいみたいです。


from ロクスケ









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困った問題


 摂食障害とは主として若い女性特有の障害と考えられているが、まさにわたし自身にその問題があると自覚するに至った。最近私は以前に比べてあまり食べなくなったとは思っていたが、年が年だしそれに別に極端に痩せているわけではないし、体力は衰えていないし、病気にもならないから、食生活に問題はないだろうと考えていた。
 
 今年の春頃何度か出張で仕事をすることがあり、その間規則正しくはあったがまともな食事をしなかったためか、帰ってきてからやたらに体重が減ったことに気が付いた。ちょっと心配になり、体重を戻すために出来るだけ食べたが途端に胃腸の具合が悪くなったりして結局は自分が食べたいだけ食べられない状態が続いた。
 
 わたしが出張などでまともに食べられないのは、外食が全く苦手だからだ。自分ではまともなものを食べているつもりだが、極端な薄味であり、肉類はほとんど食べず、油濃い物も食べない。そして、外食のものは大半が野菜が無く、肉、それも油で調理した者が多く、味付けが濃く油濃く、なにより砂糖やミリン等という大嫌いな調味料が使ってあるのでとても食べられない。食べられるのは、寿司類、あとは蕎麦の一部くらいのものだ。
 
 したがって、私は今では自分で作って食べているが、ほとんど味付けをしない。自分ではしているつもりだが、私の作ったものを食べた人は味がないという。私には信じられないのだが、納豆、豆腐それぞれの味があり、野菜も火を通しただけで野菜の味があるではないかと自分の舌を満足させてきた。ただし、刺身だけは確実に醤油を使うし、煮物にも無論使う。ただ、私の作る醤油の煮物は、他の人で言えば醤油の吸い物に毛の生えたくらいの味らしい。みそ汁も同様。あ、漬け物は育ちが田舎なので大好きだが、あいにく北国の漬け物は減塩で発酵させたものがあり、私はその漬け物が好きなので、漬け物と言ってもほとんどの塩分が液体に出てしまうので、発酵した塩分のない漬け物と言うことになる。醤油などは無論かけない。
 
 その結果、きわめて減塩、野菜中心、動物タンパク質は魚一辺倒、肉系の油脂は皆無という食生活を続けた結果、今のところ血圧も血糖値も正常であり、風邪もひかなければ怪我をしてもすぐに治り、自転車で陸橋の急坂を駆け上っても駅の階段を一段飛びに駆け上がっても息一つ切れない状態を保っている。
 
 したがって、自分の食生活に全く不安を持っていなかったのだが、最近ちょっとした狂いから胃腸の具合が悪くなり、それをきっかけにまた極端に食事が減った。前は一日一食乃至二食だったけれど、気が付いたら二日で一食などと言うことになっており、体重が又極端に減っている。しかし、体力自体は衰えた気はせず、今日も陸橋を自転車で駆け上がり、却って体が軽いだけ楽に上れた。しかし、体重が激減するのは困る。
 
 特異な味覚と嗜好になってしまったために外で人と食事が出来ない。これはオフ会でも奇妙に思われたことがあると思われるが、時間節約のために同じ物しか作らないとか、簡単な物しか作らない等の理由から、味を追求する、つまり味を楽しむ感覚が無くなっているのではないか、それどころかそれが食欲に影響しているのではないかと考えている。
 
 今日回転寿司に行って、20時間以上ぶりの食事だから結構食べられると思っていたのに、情けないことに4皿で満腹してしまい、帰りにスーパーで刺身を買ってくる始末。刺身は、あとからパン二枚と共に三分の一程食べ、残りが明日の出番を冷蔵庫の中で待っている。
 
 健康状態を考えると全く心配ないような気もするし、常識で考えると何とかしなくちゃならないと思うし。今年の11月初旬におそらく10日くらいまた出張して仕事をするが、今から頭が痛い。
 
ロクスケ












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思想の偏り

このメルマガや私たちのサイトは、特定の思想や宗教などに偏った発言は扱わず、また営業活動になるような記事も載せないようにしているが、それらには全く関係のない活動をしているのだから当然だと考えている。

 しかし、当然ながら各人それぞれ人とは違う考え方をするだろうし、百人居れば、百通りの考え方があって当然、またそれぞれの宗教を持っていたり、特定の政党を支持したりしているはず。私も当然、そうだ。宗教としては特定の信仰を持っているものではないが、ただ心情的には傾倒している宗教はある。したがって、定期的に寺や教会、神社、モスクに行くわけではないし、それに応じた生活を特にしているわけでもないけれど、幼い頃から身近にある宗教は自然に考え方や行動に影響を及ぼしている。

 それは普段は気にしたことはないが、仕事などで外国人に接したりすると、彼らが日常的に宗教的な価値観を行動に反映させていることを発見したりするが、それは私が意識しないながら自分が影響を受けている宗教に則った考え方、行動をしているのだと自覚するわけだ。

 政治的信条も同じ事で、今回の政権交代についても私なりに様々な思いがあるが、それについてここで述べる気はない。ただ、私の個人的なブログでは、端から見ればかなり極端な発言をしているのは事実だし、それは私の個人ブログなのだから全く構わないと思っている。過激な発言故に、敬遠されている面は確かにあるだろう。また私は本来実に理屈っぽいので、普段はそれをなるべくひけらかさないようにしているが(うまくいっていないと思う)、その反動か、自分のブログではとにかく好きなだけ吠え、独断と偏見に満ちた記事を書き殴っているが、ただ一つ守っているのは、個人攻撃や人種差別は絶対にしないと言うことだ。

 その上で、特定の政党や特定の国家をさんざん攻撃している。もちろん、それだけの理由があるからであり、また自分なりに根拠を示しているつもりだ。だから、反論があれば当然それに対する再反論も資料を示し、根拠を挙げて出来る。だが、実際に反論をくわえてきた人は居ない。あまりに理屈っぽくて読むのが嫌になるのではないか。

 結局、私の個人ブログは私のストレス発散以外の役には立っていないようだ。

 以前も書いたが、インフォメーションが正しいかどうかは自分で判断しなければならず、そのためにインテリジェンスが必要なのだが、私の吠えブログも十分インテリジェントとして成り立っているかどうかは、あくまで読む人の事情による。

  by ロクスケ








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やる気スイッチ

やろうと思うときと、やらない時の差がとてつもなく激しいです。

私は、毎日毎日毎日同じ事を続ける事が非常に難しいので、日々の色々な事が物凄く山積みされております。特に片付けなんかは山積みにされがちです。

ご褒美制などにして、旨くやっていってる部分も勿論ちゃんとあります。

やる気のスイッチを押せるようにならないとなぁ。と思ってはいるのですが、これがなかなか難しいのです。自分でコントロールできるようになるのが最終目標な訳ですが。

だけども、やる気を出さなくて良い時に、勝手にやる気スイッチが脳内で押されていることがあって、そうなると大変です。もう、どこまでもやる気モードです。半端ない集中力を出してます。是非、諦めて見守ってあげて下さい。

別に今やらなくていい事だったり、どうしても気になる事を突発的な発作のようにダーッと物事を推し進めてしまいます。

気が付いたら夢中になってこんな時間までこんな事やってた。ショーック!!!なんて事は、私なんかはしょっちゅうあります。

それがその人個人にとってためになることであればいいのだけれど、私の場合などは、どうでもいい事にも結構時間を割いてます。(苦笑)

簡単に止まってくれればいいのだけれど、本人の気が済むか、他のことに気を取られて、(新しいやる気スイッチ?)そっちをやり出すかしないと中々止まりません。

そういう部分を考えると、あぁー合理的じゃない脳だなぁ。と思ってしまうわけですが。

けど、ナイスタイミングにやる気スイッチが入ってくれると、それはそれで効果を発揮しまくってくれるわけですから、助かるものでもあります。

やる気スイッチのご利用は計画的に。です。

by はいじ














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やっつけ仕事

このところ天気が良くそれでも何か疲れ気味

日曜日から主張なのだが、今回は自分で荷物を運ぶことをせずに、今日トラック便で発送予定。今、運送屋を待っているところだ。日曜日の高速はどうせ大渋滞だし、今回の出張先では車を使うこともないので、荷物は別に運送し、自分は楽して体一つで行くつもり。

それにしても、この一週間、連日体を酷使して仕事をしていたのだ疲れがたまっているし、それにブログの更新もメールも手つかずになったが、それもいつもの先延ばし癖のなせる業だ。もともと、納期はおよそ40日有った。これは外注に出している品の納期から出した日数であり、私だけの仕事ならおそらく10日で可能かも知れないし、ゆっくりやっても3週間くらいだろう。

ただ、先延ばし癖というか怠け癖がでて、高をくくって仕事をしなかったために、最後の1週間にとにかく昼夜兼行でやる羽目になり、しかもトラック便だと余裕を見て出さなければならないのでますます追いつめられる事になる。

追いつめられると、唯でさえ多いポカミスが重なり、やらなくても良い仕事が増えることになる。何はともあれ、昨日ですっかり済み、あとは現場で組立、据え付け、調整をすればよいだけになっている。これが一週間。これも休日無しで一日10時間ほどずつやらなければならないから、結構体に応えるだろう。幸い、今の気候だと暑すぎず寒すぎず、その分は楽だが、外食が苦手なので食生活がかなり乱れる。

それに若いつもりで、重労働は結構応えるし、無理な体勢で力仕事を続けていたので、腰と膝を少し痛めたようだ。

それもこれもあれもどれも、全て先延ばし癖のしわ寄せが最後に集中したためであり、自業自得なのだが、もうすこし楽な仕事を見つけなければ続かなくなるかも知れないなぁとふと思った次第だ。

by ロクスケ














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好奇心

 昔で言えば私はすでにかなりの高齢なのだろうが、自分ではまったくそうは 思っていない。確かに今の人間は昔の人間に比べて体力的にも精神的にもかなり 若くなっているが、私の場合も体力的な不安は、年相応よりも少ないかと思って いる。精神的にも、密かにかなり若いままではないか(幼稚なだけだという陰の 声も聞こえるが)と自負している。

 なにより、好奇心は全くと言っていいほど衰えていない。これは昔からあれこ れ手を出し長続きしないながらもやってみなければ気が済まない所があったのだ が、今もそれが全く衰えている気がしない。もちろん、年齢や経験の理由で昔と 同じ物が興味の対象になっているわけではないが、次から次へとやってみたいのだ。

 私の場合、物作りが好きなので、自然にその分野で色々やってみることにな る。少し前に、自分用のチノパンを手縫いしたり、今回は以前からやってみたい と思っていたローラースケートを自作した。私は北国育ちであり、子供の頃から スキーやスケートになじんでいたので、田舎を離れてからもときどきスケートリ ンクに行って楽しんでいた。しかし、この20年ほどは、リンクが無くなってき たせいもありいつの間にかスキースケートから離れていたが、近年ローラーが一 列に付いたインラインスケートがはやってきたのを見て、またやってみたいと思 うようになっていた。

 買おうかと思ったが、そこまで打ち込むつもりもないし余計な物は買いたくな い。それで、自分で作ることにしたのだ。道具も材料も多少の技術もあるのだか ら、簡単な物なら作るに限ると考えるのは私の常だ。ただし、本式のローラーは それ自体でかなり高価であり、続けるかどうか分からないのにそんな物を買う気 にはなれない。

 そこで、キャスターを使うことにした。家具の下に付いている、あの移動用の 小さな車だ。ホームセンターで、適当な大きさのキャスターを8個買い左右に4 個ずつで代金1600円也。作業場から鉄板の切れ端を拾ってきて、スニーカー のそこに合わせて切り取り、キャスターを付けて、それをヒモで靴に縛り付けて 使う方式だ。結構形はうまく出来たので、早速履いて滑ってみたところ、全くだ め。キャスターが回らないので、つんのめってしまう。所詮キャスターはキャス ターであり、ベアリング入りの本物のローラーの替わりにはならないと知った。

 これで、私は気が済んだので、もうローラースケートをやろうという気にはな らない。また、以前からやはり作業場から持ってきた5ミリ厚の鉄板を25セン チ角に切り、それを各種の鉄板焼きに使っていたが、縁がないので油や材料がこ ぼれる。

 そこで、鉄棒を切り取り縁を作ってリベット止めにし、ついでに柄もつけてか なり使いやすい鉄板が出来た。何しろ厚さが5ミリあるので、何を作ってもかな りうまく行く。そして、そこで興味が尽きたので、ほったらかしにしてある。

 チノパンを縫ったときも、鞄を作ったときも、電気コンロを作ったときも最後 までやらず、適当なところで手を打ってしまうので完全な物は出来ない。興味は あるが長続きせず、極めることが出来ない訳だ。

 しかし、年齢の割に好奇心は相変わらず旺盛で、必要なだけパソコンも使える し、自分の要求に合わせてパソコンを自作している。あれもしたい、これもした いで、私のtodolistはいつも100件以上の案件で埋まっているが、結局その中 の99%はやらない。

 このすぐに飛びつくが長続きせず完成させないと言う兆候は私の仕事にもあ り、これが私の成功を難しくしているのだが、それでも退屈しない。

 年を取って、定年退職して、何もすることが無く退屈だという人がかなり居る が、私には理解出来ない。やることがなければ散歩にでも行き、その道すがら植 物昆虫の観察をしたり、写生をしたり、写真を撮ったりしていれば結構楽しいの ではないか。退屈だと家でごろごろしているくらいならたまに自分で料理でも 作ってみればよい。

 好奇心があれば人生が退屈なことなどあり得ず、無為無策で年を取る等と言う こともなくなるだろう。

 気まぐれな好奇心ではあるが、私には旺盛な好奇心があり、だからこそ自分が 昔ならとうに高齢者と言われる年齢になることなど、全く気にならない。


by ロクスケ











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脳の可塑性とADHD

最近は脳トレが世間でもブームになっている。

この背景には、最近脳科学で注目されている脳の可塑性というものがあるのではないかと思う。つまり、大の大人でも、中高年でも、しかるべきトレーニングをすれば、脳は衰えるどころか、活性化するというものである。

この脳の可塑性は、発達期にある子どもよりは低いものの、成長後の成人でも脳の可塑性は誰でも死ぬまで維持されるそうである。

健常者のみならず、(身体・精神の両面を問わず)障害者にも当てはまる。しかるべきリハビリによって、脳の可塑性すなわち自己修復能力を高め、障害を克服する、あるいはその程度を改善するということが、少しずつではあるが、脳科学の進歩とともに実現できるようにもなってきている。


半ば主観的な考えだが、ADHDを含む発達障害を考える場合、この脳の可塑性というものに大きな将来の可能性があると小生は思っている。

なぜなら、上述のように、健常者のみならず、障害者であっても、特に年齢の上限も無く可塑性は維持されるという科学的知見が存在するからである。加えて、可塑性の程度にも限界というものは特に言われていないこともある。

これは言い換えれば、たとえADHD含む発達障害の当事者であっても、適切なリハビリ、トレーニングなどにより、原理的には際限なく(!)ADHDの症状が改善される可能性があることを意味する。

実際、小生が昨年試したコグメド社の「ワーキングメモリトレーニング」(以下WMT)というものも、適切な脳のワーキングメモリの訓練により、ADHDの程度を改善できたとする科学的発見に基づくものである。この種のトレーニングがもっともっとメジャーになり、発展してゆけば、リタリン制限などで肩身の狭い日本の(特に成人の)ADHD界において大きな福音になると期待される。


ちなみに、このWMTの類によれば、ADHDのみならず、健常者障害者を問わず、IQ(知能指数)の改善も可能との報告もある。脳科学が発達する以前は、IQは生涯不変の値であるという説が根強く存在したが、今や、上述の脳の可塑性に連動してか、しかるべき脳トレにより、成人でもIQは(際限なく?)向上するとの見解が支持されているようだ。

このような知見に基づくならば、ADHDの改善に留まらず、自分の性格的、能力的側面を望ましい方向、程度に変えることも、実は一定のセオリー、科学的知見に則ってしかるべき適切な方法でトレーニングすれば、誰でも十分可能なのではないだろうか。

むしろ、脳は、言い換えれば人の性格的、能力的側面は変わらないと決め付ける方が誤りだということにならないだろうか。上述の脳の可塑性に関する科学的知見に基づいて、最近強く確信している。もちろん、今現在の科学で見れば、あくまで脳神経科学の見地から原理的に見ての可能性の段階ではあるが。

「人の性格は変わらない」「発達障害は一生直らない」そういった言葉が各所で散見される。しかし、これらも皆、先のIQ不変の説と同様、脳科学の見地からみて誤りであると小生は主観的ながら思っている。


逆に、「変わらない」ということの厳密な証明は存在するのだろうか。例えば、IQ不変の説は、今から50〜100年ほど前の、成長とともにIQが大きく変わった人がいないという統計学的な調査結果に基づくようだが、それは「自然に」大きく変わった人がいないというだけで、洗練された特殊な脳トレによって変化することを否定するものでも何でもない。にもかかわらず、そのような根拠が忘れ去られ、不変という説だけが独り歩きしているのが実態ではないか。

確かに、性格的、能力的側面は、あるいはADHDの症状は改善しにくいのかもしれない。ただそれは、ダイエットと同様、脳に、体に「急激な」変化を起こさないための各種のメカニズムが存在しているからではなかろうかと小生は思う。裏返せば、急激でない変化ならば無理なく少しずつ変化することは十分可能である、という意味になる。

だとすれば、今必要とされているのは、一人一人に合った自分を変えるための適切な方法論、そしてそれを支える各種科学的データではないか。今後、小生はこの方法論の構築とデータの整備に、微力ながら貢献してゆきたいと強く思っており、遠からずその活動を始める所存である。


以上、いつもながら長々と述べてきたが、要するに、健常者であれ障害者であれ、人間は、脳は「本質的に」変わるものなのである。それは最新の科学にも裏付けられつつある。

言葉が過ぎるかもしれないが、今現在の自分の性格的、能力的特性をもって悲観するのは、上述の科学的知見を踏まえると、実は無意味なことではないか。裏返せば、ADHD当事者は皆、あるいは世の中の全ての人が、今後の自分の能力的、性格的成長に関して希望を大いに持つべきだと小生は思う。

by なさ




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ADHD当事者としての心構え 〜努力に対する考え方

今日は、こういうタイトルで書きたいと思います。WBの過去のメルマガで、ある いは書籍などでこのようなお話は既に出ているかもしれません。不勉強で確認し ていませんが、重複する点がありましたら、その点は予めご了承ください。

最近、小生は2ch(2ちゃんねる)のADHD関係の掲示板に投稿をポツポツする ようになった。そこで特に思ったことを今回の記事にしたいと思う。


あるとき、2chのある掲示板で、ADHD当事者は回りに支援を求めるだけで、努 力することはできない、支援者に感謝するくらいしかない、といった旨の書き込 みがあった。それを見て思わずムカッときてしまった。2chというところは、 そんな開き直った、ナメた主張が通じるところなのか、と憤りを感じた。

またあるときは、同じ掲示板上で、ADHDに対して無理解な上に当事者への誹謗中 傷ともとれる書き込みを匿名で毎日のようにしている人がいた。これまた読んで いて猛烈にムカッときた。

それ以前から、ポツポツ書き込みをしてはいたが、これら(特に後者)への怒り の気持ちから、2週間ほど前、ついプチっと切れて、その無理解な誹謗中傷をし ている人を猛烈に吊るし上げ、怒りをぶつける書き込みをしてしまった。

怒りにまかせて書き込んだところ、その日以降、その人はぱったり書き込まなく なってしまった。心無い人を追っ払うという意味では、手前味噌ながら効果はあ ったとそのときは我ながら思ったが、その前後の小生の書き込みの内容もあって か、他の書き込みをする人たち(にちゃんネラー、あるいは単にネラー)には印 象があまり良くなかった。

特に、「ADHDに無理解な誹謗中傷する人も許せないが、自助努力を否定する当事 者も許せない」旨の発言をしたとき、反発は非常に大きかった。

つい最近もこんな批判を頂戴した。「アラシにはアラシで返していいのか?」、 「単に自己主張したいだけ」、「上から目線でムカつく」といった批判の噴出の 方が多く、残念ながら好意的な反応は今に至るまで殆ど頂戴していない。

確かに小生の書き方や態度は良くないのだろう。そこは大きな反省点ではある。 ただ、自己主張して自己満足感を得たいのではなく(いや、少しはそういう面も あるのかもしれないが)、純粋に許せないものがあるからなのである。


確かに、(WBの中でも昨年春先に話題になったが、)ADHD当事者は努力的行為が 苦手ではあると思う。努力してもなかなか結果が出ず、滅入って、萎えてしまう、 最悪の場合、うつ的症状を二次障害として起こしてしまう人も少なくないとは思 う(小生も数年前そうであった)。

ただ、だからといって、(精神的に滅入った状態でないならば、という条件付き だが、)自助努力自体を開き直って否定するのはいかがなものかと思うのである。 確かに、健常者と比べて努力的行為が苦手ということを受け入れる必要はある。

しかしそれは、当事者の自助努力そのものを否定することでは決してない。あく まで心がけとして自助努力は大切だと思っていてほしいのである。いや百歩譲っ て、心の中で思っていても、せめて口に出すのは止めてほしい。

2chへの心無い書き込みは論外だが、それでなくとも、努力大好き日本人の社 会においては、ADHDというのは最も理解されない疾患の一つではないかと思う。 「ADHDは怠け者の言い訳」という誤解、偏見は未だ少なからず存在すると思う。

そのような中で、当事者が努力すること自体を否定して開き直った発言を繰り返 せば、誤解、偏見をなおさら助長してしまうのでは、と危惧している。ADHD否定 論者には格好の標的にされるであろう。

逆に、ハンディキャップは歴然とあれど、当事者なりの出来る限りの工夫、努力 をして、何とか苦労して日々過ごしているという面を世間に素直にアピールでき れば、ゆっくりとでも理解は進むのではないか、少なくとも上記の誤解、偏見は 生じにくいのではないかと強く思っている。


2chでそんな書き込みをしている折、つい先日2月19日だが、NHK教育テ レビでADHD当事者を採り上げた番組があった。あーささんという若い女性の当事 者の方の取組みを採り上げたものである。この方のサイトとは、小生も昨年から 自分のサイトの相互リンクをさせていただいている。

以前から、この方の姿勢、取組みに小生は非常に好感を持っていた。なぜなら、 非常に前向きで、「精神論でなく、方法論で対処すべし」という信念を貫いて色 々と実践されているからである。小生がこの世界に入ってきて、WingBrainと並 んでお世辞抜きで感銘を受けた人の一人である。

この番組を通じて、改めて良い刺激になった。この経験を励みに、小生もさらに 頑張ろうと思う。


最後に、前半に2chの話を書いたが、小生が自分の記事でこのように書くと、 一方的に2chを悪者にしていることになってしまう。

小生にも足りない、悪い点が多々あったと思うし、一方的に書くのもフェアでは ないと思うので、是非、機会があったら、2chのADHD関係の掲示板(「総合ス レ」)をご覧いただき、是非中立的な視点で見ていただければと思う。ちなみに、 小生、自分のポリシーから、(それ自体2chの流れに反するかもしれないが、) ハンドルネーム、メールアドレスも原則公開して投稿しているので、すぐ目に付 くと思う。

決して自分が100%正しいという思いは無いし、人様からの批判、ご意見は (誹謗中傷、からかい等を除いて)素直に受け入れたいと思うので、是非忌憚の 無いご意見、ご感想をいただければと思います。宜しくお願いします。


今回は以上です。

by なさ



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身体障害者の精神力と工夫に学ぶ

 先日、テレビでものまねタレントで有名なコロッケ氏のことが採り上げられていた。実は、この人は、幼少期に患った中耳炎が原因で、少年期の頃から殆ど片耳が聞こえておらず、現在でも骨伝動で音や声を聞いているのだそうである。

 それにもかかわらず、ものまねに関してのあれだけの能力を持ち、今なお活躍しているという点には感銘を受ける。そのテレビ番組の中で本人曰く、「片耳が聞こえないことで、幼少期〜少年期の頃に学校内での交友関係の面で、イジメやコミュニケーションがうまくとれないことなどの面で大変な苦労をした。当時姉がテレビタレントのものまねを友人たちの前でしてもてはやされていることに影響され、モノマネが上手になれば友達に注目してもらえるとの思いから、必死にモノマネを練習した。片耳が聞こえないことから、想像力が鍛えられた。」とのことであった。

 テレビ番組であるから、話に多少の脚色は加えられているだろうが、それでも、話の骨組みは決して嘘ではないだろう。話を概略的、一般論的に言えば、「身体障害が原因で人間関係に苦労したが、その身体障害を逆手にとって特定の技能を徹底的に鍛え上げ、成功を収めた。」ということになろうか。

 また、つい最近もNHKで、働き盛りの若い女性が、あるときから耳が聞こえなくなり、好きでやっていた子供向けのイベント司会の仕事(歌のお姉さん)を辞めざるを得なくなったという話が採り上げられていた。現在はOLとして働いているそうだが、職場でのコミュニケーションに苦労はしており、それでも段々と相手のしぐさや口の動き?などから何を言いたいのか分かるようになってきたのだという。

 このような苦労話、体験談は、精神障害の一つでもある、ADHDやアスペルガーといった発達障害の当事者にとっても実に参考になる話ではなかろうか。無論、全ての身体障害者がハンディを少しでも克服できている、成功を収めている、とは言えないかもしれないが、それでもこのような成功、克服の体験談が実在するのは、実に心強いことではないか。

 身体障害であれ、精神障害であれ、自らのハンディであることに変わりは無い。そのハンディを背負って、「もうダメだ」と諦める、開き直るか、それとも諦めずに希望を持って克服、成功に繋げられるかは、やはり本人の精神力と工夫、あるいは周囲の理解と支援が不可欠ということではないか。

 以前の記事とも重複するが、無理、困難と本人が思っている、世間で言われていることも、実は努力と工夫を重ねれば、突破口が見出せることは少なくない。数学の定理の如く、厳密に不可能と証明されない限り、可能性はあるのである。

 今思い出したが、だいぶ前、やはりテレビで腹話術でヒットしたいっこく堂という人が採り上げられていた。それまで、腹話術の世界では、特定の文字の発音は出すことが困難とされていたのだそうだが、この人はその定説を覆し、全ての発音が出来るようになったのだという。これもまさに上の無理と言われていることを見事に克服した成功例であろう。

 小生自身も、一昨年頃まで、精神状態が悪かったこともあって、もうダメ、できないとヤケを起こしていた時期があった。しかし、その後、家族や主治医、カウンセラー、何より他の当事者の方々からの理解と支援、情報などを得ることによって、まだまだ道半ばながら、少しずつ自身の能力的、性格的欠点を克服できてきていると感じている。

 上の成功体験談を励みに、より一層精進してゆきたいと思う。

 by なさ

 







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変人=変革の人

皆さんもよくご存じの、以前総理大臣だった人が、当時、変人と揶揄された際、 「変人とは変革の人」という意味だろう、それだけ政治改革への期待があるのだ ろうといった旨の発言で切り返したことがありました。多くの方がご記憶にある と思います。

ふと思ったのですが、ADHDはじめ発達障害の多くの当事者は、社会で、学校で、 会社で、「あいつ、変わっている〜」と変人扱いされることがしばしばあるので はないでしょうか。(いや、小生も含めて、変人どころか、それを通り越して、 激しいイジメに悩まれた方も多いかもしれません。)そのような周囲の目で精神 的に滅入ってしまうことが多いと思いますが、その元総理大臣のように、変人扱 いの目を上手く切り返せるくらいの気概と機転があればなぁと、ふと思いました。

この世界ではよく言われることですが、ADHDの人は、今の特に日本の社会には馴 染まない面も多いかもしれませんが、突飛もないアイデアが色々と浮かんだり、 好きなことに過集中的に取り組むことで、新しいものを世の中に生み出せる潜在 能力は普通の人よりやっぱり高いと思うんです。それらが花咲き、世の中の役に 立つ、仕事の業績になるのなら、ADHDでない普通の世間の人には真似できに くい、優れた長所になります。

これからの時代は特に、突飛な発想や、半端無いこだわりと突き詰めで生み出さ れるものが求められていると思っています。なぜなら、突飛でない発想、そこそ この突き詰めから生まれるものは、既に世の中の普通の人たちによって、既に殆 ど出つくしているように思うからです。その意味で、ADHDの人は、特にこれ からの時代において新しいものを創り出すという点で、潜在能力が高いと確信し ています。ADHDだけでなく、アスペルガーなども同様かもしれません。

とはいえ、小生も含め、現状の日本社会の仕事という枠組みの中では、時間管理 ができないなどの弱点や世の中の無理解がハードルになって、なかなかその潜在 能力を発揮できないのが、残念なところです。特に日本の場合、いわゆる減点方 式の評価というか、人より抜きんでている面があるよりも、人並みにできないこ とがあるとたちまち評価が下がります。最近は少しは変わってきているのでしょ うが、まだまだそんな風土があるように思います。

したがって、そういったハードルはやはり、専門家の適切な指導などの下で、当 事者の自助努力を通じてカバー、克服してゆくしかないと思っています。当事者 の方々としても、やはり普通の人が普通にできることは人並みにできるようにな りたいと、ごく自然に思われるのではないでしょうか。

あるいは、うまく持って行けば、ですが、ADHDなどの発達障害、およびその当事 者の方々の存在がきっかけになって、そもそも努力の意義とは何なのか?、当事 者特性を踏まえた人事評価のあり方とは?、など、世の中の仕組み、価値観のあ り方の見直しの議論につながるのではないかなぁ、とも思っています。

そういう意味では、ADHD、発達障害の当事者は、「変革の人」(という意味での 変人)なんだと思います。いわゆるADHD優越論っていう考え方そのものかも しれませんが、本気でその実現につなげたいと思っています。それに向けて、精 力的に引き続き取り組んでゆきます。とはいえ、あまりがむしゃらに突っ走って 息切れしたり、なかなか上手く行かなくてリバウンドでへこんだりするのも何で すので、程々にやってゆこうと思います。

by なさ








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結果的無駄の意義

今回は、世の中には、そして当事者にも、無駄は必要であるというお話です。た だ、無駄といっても、本当に完全な無駄ではなく、あくまで「結果的な」無駄と いうことです。

どういうことかと言うと、何かの事が起こる前には、それが無駄かどうか分から ないが、その事が起きた後は、大抵の確率で無駄になるもの、ということです。 こう回りくどく言うと分かりづらいですが、要は「保険」ということです(初め からこう言えば良いのかもしれませんが)。


保険という観点からすれば、大抵の方々が生命保険や自動車保険、火災保険等に 入っていると思いますし、特に抵抗感無く、日常生活の上で必要なものという理 解でおられると思います。

ただ、そういった保険会社のサービスである保険だけでなく、日常生活の上で半 ば無意識的に行っている保険的なものは、色々と探せばあると思います。例えば、
 ・家の電球が切れたときに備え、余分にもう何個か買いだめしておく
 ・明日スーパーの特売日だが、その前に牛乳が切れそうなので、家族から不
  満が出ないよう、特売日前の通常価格の物を買っておく
といったことでしょうか。

これらのみならず、世の中全体で結果的な無駄、即ち保険的なものは、実は非常 に多くのウェイトを占めています。例えば、

 ・建設現場や電車・バスの運転士の指差確認
 →「○○よし!」という安全確認も、(非常に横暴な言い方ですが、)表面的
 に確率的に見れば、大抵はあくまで結果的には無駄な確認です。が、万が一の
 リスクを考えると、意義のある、いや安全確保の上で必要不可欠な行為です。

 ・何かの企業や公共機関の相談窓口の要員
 →あまり客が来ない窓口であるとして、その日一日、あるいは特定の時間帯に
  相談客が来なければ、担当者が待機しているのは結果的に無駄になります。

といったことです。同様な観点から、他にも挙げればキリが無いくらいではない でしょうか。より一般化して言えば、世の中の秩序維持、安定化、安全確保のた めには、結果的無駄すなわち保険は必要不可欠なものであり、世の中のあらゆる 物事の中で、その割合は意外と高いと言えると思います。

(もちろん、無駄の程度にも限度は当然あり、あまりに無駄の程度が激しければ、 合理化や方法論の見直しの対象になることは言うまでも無いと思います。)


この話を、ADHDはじめ発達障害当事者の環境に置き換えてみたいと思います。

例えば、自分が非常に忘れっぽい、おっちょこちょいであるなど、不注意ミスが 激しいとします。この場合、対策として、忘れ物チェックリストを作って一つ一 つ確認する、声に出して指差して確認するといった行為が、たとえ意識の飛びや すいADHD当事者であっても非常に有効な行為であると考えます。(もちろん、他 にも有効な対策は色々とあるとは思いますが。)

とはいえ、面倒くさい、恥ずかしい、私生活でそこまでしなくても…といった抵 抗感が非常に大きいのが殆どの方々にとっての本音かと思います。しかし、上の 話のように、建設現場等のみならず、世の中全体で結果的無駄の割合は高く、自 動車保険などに抵抗感無く入っていること等を考えれば、どうでしょうか。

その延長線上で見れば、たとえ私生活やデスクワークの仕事などでも、日常生活 の中で意識的に指差確認などの結果的無駄を積極的に採り入れれば、よりミスや 損の確率がぐっと減り、非常に有効である、ということを受け入れるのはそれほ ど無理の無いことではないでしょうか。

そのことの理解、意義が世の中全体に広がったならば、世間全体で、そういった 確認行為をすることがもはや義務、一般常識、マナーであるという風土を形成す ることができると思います。そうなれば、恥ずかしい、私生活でそこまでしなく てもという面での抵抗感は殆ど無くなる(むしろ、しない方が恥ずかしいくらい) と思います。

面倒くささという点が最後まで残りますが、恥ずかしさ程ではないにせよ、やは り世論形成がある程度後押しするとは思いますし、後は抵抗感無く、無理無く習 慣化できるよう、癖を上手につけていくこと(例えば、動機づけの工夫など。そ ういった方法論は今まさに考えているところではありますが)で対処できると考 えています。

最後に、世の中全体がそのように日常のあらゆる物事で、一つ一つ馬鹿馬鹿しく も確認行為をするようになれば、実はADHDはじめ発達障害当事者にも利点がある と思います。それは、確認行為をそのように大げさ化することで、ミスの発生確 率の面で、健常者と当事者との差異を縮める、もしくは無くすことができる可能 性が高いということです。このことが、当事者のハンディを埋め、より当事者に 優しい社会を作ることにも繋がると考えます。


以上、話は長くなってしまいましたが、この機会に、今一度そういった結果的無 駄の意義や身の回りに意外と溢れていることを再確認してみてはいかがでしょう か。

by なさ









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捜し物

私は昨日一日捜し物に費やしてしまい、今日も探して、もし無ければ途方に暮れ るしかないと思ってる。まあ、捜し物をするのはいつものことだが、私の場合、 いましがた手に持って使っていた物が見つからなくなって数十分探し回ることが 往々にしてある。

使い終わったとたんに、それが意識から消えてしまうためだろう。あたかも、こ の世からまったく消滅したかのような無くなり方だが、さんざん探し回り、結局 目の前にあったなどと言うことが頻繁にある。

むろん、探し回る最中何度も見ているはずなのだがそれが意識に昇らないわけで、 非常に特徴的な現象だと思っている。要するに、目で見ていてもそれを脳が認識 しないからでだろう。

よく、額に乗せている眼鏡を探すなどを聞くけれど、実際にそのようなことをし たと言う人に会ったことがない。しかし、私は手に持った眼鏡を探したことがあ り、そのときは流石に考え込んだ。

手に持った眼鏡を探すとはどういう事なのか。考えられる原因は、

1)自分が何を探しているか忘れてしまって、とにかく探すことだけが意識に 残っている。

2)眼鏡という物体を完全に忘れている

3)意識が飛んでいる

4)何か他のことを考えている

5)何かの病気

等々が考えられるが、子供の頃から同じようなことを繰り返しているので、近年 発症した病気というわけではない。結局、正確な原因は分からないが、捜し物で なくとも、何かをしていて瞬間的に自分が考えていたことを完全に忘れる照合に 悩まされているので、生来の脳の機能が関係しているらしいことから、3)が一 番整合性があると思っている。

ただし、仮に原因が分かってもその対策はほとんど無いと言っていい。みなさん、 このような経験をされないのだろうか。また、その対策をどうしているか、是非 お聴きしたい。なにしろ、瞬間的に意識が飛ぶ(意識を失うのではなく、思考が 完全に断絶する)のだから、メモなどもあまり役に立たない。

by ロクスケ









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プチ成功体験15・足上げダイエットの効果 後の記事がだいぶ長いので、本記事はコンパクトに行きます。

以前始めたヨガが最近さぼり気味になっていますが、最近また一念発起して、新 たなダイエットを始めました。名付けて「足上げダイエット」。自宅の中で歩く ときに、空手の型、技のような前蹴りをしながら歩くというものです。まず、歩 く際に、足の膝を胸に付くくらいになるべく高く上げ、そこから正面に向いて蹴 ります。蹴ったら、再び膝を一度胸に付け、そのままゆっくりと足を降ろします。

唐突にやり始め、既に1ヶ月ほど続いているので、長期的に続けられそうです。 自分の上の空の特性を逆手に取り、無意識的に四六時中やれる方法を身につけた のが成功のコツと考えています。妻子も初めはあっけにとられていましたが、今 では応援して、一緒にやったりしてくれます。

ここ最近寒くなりましたが、これをやっていると、体が熱くなってきます。運動 だけでなく、冬場は暖房的な効果もあり、一石二鳥です。朝から晩まで自宅の中 で続けていると、だいぶカロリーも消費しているらしく、この1ヶ月で体重が3〜 4kgも減り、11月29日現在で76.2kgになりました。一時期は80kgを超えており、 メタボ一直線でしたが、社会人一年目の時のように60kg台前半まで戻したいと思 います。経過は追ってご報告します。

by なさ


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テンション

今日、たまたまテレビを見ていたら徹子の部屋にサカナクンが出ていた。話題はあの幻のサカナ、クニマスの発見についてのことだったが、何より印象に残っていたのは彼のハイテンションだった。黒柳さんの話などろくに聞かずに、飾ってあった花について唐突にしゃべり出したり、例のハイトーンボイスでのべつ幕なしにしゃべり続け、あの黒柳さんがたじたじとなっているのを見て、あのテンションが彼の本質なのか、たんなるテレビ用のキャラなのか考えたものだ。

たとえ作り物のキャラだとしても、私にはとうていまねができない。私自身決してイメージ的に暗いとか陰気、湿っぽいという方ではないと思っているが、人様からもそのように指摘されたことはない。だが、空騒ぎをする方でもないし、ましてあのサカナ君のテンションにはとうていつきあいきれないだろうし、彼のような人間がそばにいたらとにかく、離れたいと思うだろう。

ただ、最近はどうも自分でもテンションが下がり、いろいろなことに積極性が無くなっているのを自覚しているので、少しはサカナクン、せめて黒柳徹子さんのテンションの一部でもほしいものだ。サカナクンほどではなくても、黒柳さんもかなりのハイテンションの持ち主で、結局テンションが高くなければあのような仕事を何十年も続けられないのだろう。

ハコフグのかぶり物をかぶればテンションがあがるかどうかは分からないが、自分でも何とかテンションを上げる工夫をしなければなるまいと考えている。なにしろ、例年今の季節は春鬱が訪れ、しかも年々その度合いと機関が深化長期化しているような気がする。

加齢のせいだろうが、世の中、年輩になってますます張り切って動き回る人たちも大勢居る。体力的な問題もあるだろうが、それなら私には問題がない。とすれば、やはり気力、テンションの問題だろう。これは目に見えないのでやっかいだ。

by ロクスケ


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アインシュタインだってアマチュアだった

 今回のワンフレーズも、小生の勝手な造語的なフレーズです。

相対性理論を考案した物理学者のアインシュタインは世界的に余りにも有名ですが、この人の経歴を見ると、相対性理論を初めて論文にした頃は、特許庁の職員であり、プロの物理学者ではなかったそうです。言い換えれば、一介のアマチュアの立場で、凄い理論、論文を発表してしまった、ということです。しかも、当初はプロの物理学者たちも、凄過ぎてこの理論を理解できなかったとか。

勿論そういった事例はかなりのレアケースでしょうが、以前のフレーズにも触れたように、苦手を逆手に取って、あるいは好きなことを突きつめてその道の専門家になるという手は有効であり、自分が苦手だから、専門家、プロではないからといって、尻込みしない方が良いという点は今回の、そして以前の「素人は勉強すれば玄人」というフレーズにも共通するところかなと我ながら考えています。

しつこいですが、重ねがさね、ADHD当事者の方々には、ご自分の好きなことを、或いは苦手なことを逆手にとって仕事にして、活躍してほしいと切に願っています。既存のプロ、先人の方々に遠慮することも、引け目を感じることも無いと思います。

自分もそうありたいとも思い、極めて少しずつではありますが、今現在も精進している毎日です。

by なさ


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簡単なことを…

今回のワンフレーズは、(そもそもワンではないのですが、)長いので、タイトルとしては途中で切りました。全体を書くと、

・簡単なことを簡単に言うのは簡単。
・簡単なことを難しく言うのも簡単。
・難しいことを難しく言うのも簡単。
・難しいことを簡単に言うのは難しい。

ということです。要は、一番言いたいのは一番最後の文で、その前は半ば枕詞のようなものです(「亀の甲より年の功」などと同様)。半ば言葉遊びとして、4行にしてみた、というだけのことです。

小生も普段から、文章を書けば無駄に長く、話せば話が長くなる傾向にあります。以前、「言語大量、意味不明」などと言われたこともあり、その点は気を付けているつもりではありますが、なかなか簡潔にパッと伝えることができません。特に、込み入ったこと、高度な数学の理論のようなものを、その分野の素人の方に分かりやすく、的確にパッと説明するのには苦労します。

前職でもそういった場面がしばしばありました。うかつなことを言えば、突っ込まれますし、誤解して伝わってもマズい。文書やPower Pointスライドの資料などを作成するにも、細かい点はそぎ落とし、要点だけを伝えろ、と何度も上司から言われました。前職のうちに少しはマシになったかなとは思うのですが、今も(元)上司の赤ペン入れ無しに通る自信はちょっとまだ無いかもしれません。。

優先順位を付けるのが苦手なことの一つですが、それとも関係あるのかもしれません。文書やスライドも、細部のフォーマットにこだわり過ぎるといった点が時間と労力を無駄に消費しているとも思います。個人的には、短く簡潔に書く、伝えるよりは、長々文章や話をする方が簡単ですし、気が楽ですね。皆さんはいかがでしょうか。

最近、最低限度気を付けていることの一つとして、結論から先に言うようにする、というのがあります。長い説明が必要でも、とにかく結論を冒頭に書く、先に伝えるようにしています。こうすれば、長々文章でも、必要、興味の無い人には読み飛ばしてもらえるからです。

とはいえ、他にも気を付けるべきことは多々あるでしょうし、的確に伝えるという能力自体、暗黙知などと同様、奥の深い問題だと思うので、今後深く考察してゆきたいと思います。

by なさ


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マイノリティという強み

今日のフレーズは、小生の好きな、物事を逆手に取るという考え方から来るものです。発達障害という概念。最近でこそ、先人の方々のおかげで、世の中でだいぶ知られるようになってきたと思います。しかし、自分自身の職場での体験などを踏まえれば、まだまだ少数派、マイノリティな存在かと思います。

職場の中での孤立など、発達障害とはまだまだマイナスな意味でのマイノリティかもしれません。しかし、物事の持って行き方によっては、マイノリティというハンディを、プラスな意味に変えたり、あるいはマジョリティ(多数派)に変えることもできる、と小生は考えます。

例えば、一般の職場では孤立しがちでも、許されるならば職場、職を変えて、発達障害に理解のある、発達障害者の集う職場に移る。あるいは、自助・支援団体に参加したり、ネット上でその方面のサイトやコミュニティに参加する。そういった自分の環境を変えていくことにより、マイナスな意味でのマイノリティは、マジョリティになっていきます。

その上で、発達障害的な特性にも、過集中や特定の物事へのこだわりなど、プラスな面があるわけで、短所的特性を上手く克服、カバーして、そういった長所を伸ばす工夫をすることで、発達障害という特性は、プラスな意味でのマイノリティ、言い換えれば希少価値になります。

あるいは、発達障害に起因して味わった不条理な、苦い体験などを基にして、もの忘れ防止ツールだとか、対人関係や仕事の仕方のコツなどを考案したり、まとめてゆけば、それは健常者の方々にも役立つものにもなりうると思います。

まさにそれらは、小生自身が今取組んでいることでもあります。是非、自分自身のみならず、発達障害の当事者の方々が皆、マイノリティを強みに変えられるよう、心から願うとともに、精力的にそう持って行くために活動してゆきたいと思います。

by なさ


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攻めは最大の防御

今回のワンフレーズも、ことわざからの引用です。最近、特に実感、意識していることです。



日本のみならず、世界中どの国も、至上主義、競争社会で成り立っています。至上主義とは、とにかく上を目指そうという考え方です。

学校でも会社でも、より良い成績を目指そう、より利益、業績を出そうという方針の下で動いています。同級生、同期生はライバルであり、競争する環境の中で、皆が負けるものかと勉強や仕事をして、少しでもレベルの高い結果を出す。

そういう競争社会、至上主義にも、悪い点はあり、そういう方針に異論を唱える、嫌う方も居るかと思います。でも、良くも悪くも、それで現状の社会が成り立っているわけで、それに代わる社会の仕組みを一から考えるのも至難の業です。



話を少し変えると、発達障害の当事者は、発達障害の特性から、そういった競争社会、至上主義のやり方には合わない、とも言われます。確かに、それは一理あるとは思います。厳しい競争に晒され、二次障害のうつが酷くなる人が多いことを考えれば。

ただ、現実問題、成人の当事者が、そういった競争社会、至上主義から完全に解放された環境で仕事をし、生計を立てることは、かなり困難ではないかと思います。自営業や農業などが向いているとも言われますが、それらの職業とて、必ず成功するわけでもなく、最低限度の競争はあります。また、今現在何らかの仕事に就いているなら、その環境で懸命に頑張るしか食べて行く手段が無いという人も多いと思います。不況ゆえ、転職もままならないですし。

よって、発達障害の当事者も、二次障害のうつを酷くしないという絶対条件の下で、ですが、やはり競争社会、至上主義に、ある程度は身を投じざるを得ないのかなと思います。



それなら、発想を変えて、発達障害の人のペース、特性を十分踏まえ、できる範囲、適切な範囲でですが、ガンガン攻める姿勢で日々の仕事などをこなしてみるというのも一手かなと思います。具体的には、ちょっと工夫、努力すれば上手く行きそうなことを見つけて、それをやって成功体験を得る。そうすれば、自信が付き、もっと他のことも…という好循環が生まれます。

今のご時世、変に現状維持というか、守りの姿勢、消極的な言動でいると、就労環境など、どんどん選択肢は無くなって行くように思います。下手をすれば、空回りしてかえって精神状態を悪くするという懸念は勿論あります。でも、逆に上手くいけば、精神状態も良くなり、今以上に幸せを手にできるかもしれません。

その意味で、発達障害の世界においても、攻めは最大の防御、と感じる次第です。

by なさ











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おもしろマジメ

新年一発目のフレーズ。小生が幼い頃、とある民放テレビ局のキャッチコピーで使われていたものです。前号で宣言した今年の目標「達成」に続き、サブテーマとして採り上げます。


SNSなどで、この世界の多くの方々と交流を持つようになりました。当たり前ですが、同じ悩みを抱えるなど、共通点が多くとも、趣味嗜好や考え方も様々です。

WBメルマガとともに、他でも情報発信してはきましたが、ただ真面目に記事を長々と書いているだけでは、なかなか多くの人に興味を持って着目してもらうことができません。


そこで、最近は、他の仲間の方々に習い、他愛もない日々の出来事や、テレビの話題なども触れるようにしています。その一方で、今まで通りの論述的なことも書き続けています。ただし、書き方も、だいぶくだけた形で、ですが。

こうすることで、ネット上の仲間の方々とも交流、親睦が深められる一方、それをきっかけに他の本来の論述も気にとめてもらうことができているように、最近は感じています。


真面目な話題もしつつ、他愛もない、くだらない話題も織り交ぜる。考えてみれば、仕事で職場の上司同僚などとコミュニケーションをとる際にも、そうするわけですよね。つまり、社会的な対人関係のスキルを磨く上で、緩急付けたやりとりは必要不可欠。

そのスキルを少しでもネット上で磨くべく、今年は、真面目な話題を半分、他愛もない下らない話題も半分というスタンスを採りたいと思っています。今回のフレーズは、その意味です。


くだけすぎず、固すぎず、適度な柔らかさのコミュニケーションを保てるよう、今年は試行錯誤してみたいと思います。

by なさ











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ADHDのアポです

一応、薬剤師でアルコール依存症者でもあります。ぼくが、ADHDではないかなと思ったのは、星野仁彦先生の 依存症の真相という本を読んだからですね。

で ADHDのチェックリストをしたのですよ。100点満点で 100点でした。ぼくは、ACですし自己愛性人格障害もあります。

今までもACと自己愛性人格障害だから、アルコール依存症者になってしまったのだと思っていましたけど アルコールはあまり好きではない ぼくがなんでかなぁとは疑問を感じていました。

よく考えてみたら、アルコールを精神安定剤の代わりに服用していたことに気がつきました。ぼくは61才ですけど、54才まで心の落ち着きを感じたことはありませんでした。注意散漫で、いつも落ち着かなくて、変なことばかりいう子供でしたから、小学生の1年生から6年生まで担任教師からはこの子はどんな大人になるのか心配ですと言われ続けました。

ぼくは、仮死状態で生まれたらしいのですよ。だから脳の気質的な障害は生まれたときにはあったのではありませんかね? とにかく、生意気な子供でした。親が街の有力者でしたから、なにをしてもいいと思っていましたし、なんでもお金で解決する、嫌な子供でしたね。有力者だった両親は夫婦仲が悪く、ぼくは右手は父親に左手は母親に引っ張られ、ぼくはどうしたらいいのかわかりませんでした。

したがって、18才からアルコールに溺れて依存症者になりました。AAにつながりました。12ステップで、心は落ち着きました。アルコールも止まりましたけど、空気が読めないことは一向に変わりません。思いつきで言動もします。このことは、12ステップでは解決しないように思っています。

by アポ










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腰痛

ここしばらくちょっと力仕事が続き、また体格に合わない座卓にPCをおいて生活をした結果、一昨日あたりからかなり腰痛が出てきた。これは持病で、何度も再発しているが、運動などで収まっていた。昨日あたりは座っているのもつらいほど痛かったが、このところの寒さも影響しているのだろう。確かに風呂に入ってじっくり暖めると非常に楽になる。風呂から出たくないが、そうも言っていられないので、懐炉を当てながら生活をしている。

年を取ると誰もが体にガタがくるし、古傷も痛み出す。それは覚悟しなければならないが、いかにそれを押さえるかが大切になる。若い頃は多少無理をしても一日寝れば回復していたが、実はそれは回復ではなく症状が見えなくなっているだけで、少しずつそれらの無理が蓄積しており、老化とともに症状として出てくるわけだ。

プロの運動選手などには古傷を抱えて高齢になってから苦しんでいる人が多い。私の兄は若い頃はスキーが得意で、教官の資格を持っているが、それがしばらく前から膝に出てきて、今では数百メートルも歩けないし、十分にブレーキやアクセルが踏めないので、少し調子が悪いときは車の運転も出来ないとのこと。長距離運転は到底無理だと言っている。

私は若い頃はスキーこそやらなかったが、自分かなり力がある方で、重い物を気軽に持ち運びしていた。今でも30キロくらいの物なら別に苦にならないしそれ以上の物も持てるが、油断をしてそんなことを最近集中してやったために腰に来たわけだ。

それこそ、昔なら何ともなかった作業だが、今ではよほど注意してやらないと兄のように取り返しのつかないことになる。

結局力仕事をしても正しいアフターケアをしないとそうなると言うことで、消極的になればなおさら悪化することもあるので、例えば重い物を持ち上げる時は立ち位置を確保し、十分に腰を落として持ち上げるなどの注意をしなくてはならないし、普段からある程度の筋トレをしておかなくてはならない。それこそ普段の手入れと使用法を正しくしないと壊れるのは機械も人間の体も同じで、私の年でも今から普段から手入れと使用法を十分に考えなければならないと、痛い腰をさすりながら痛感している。

by ロクスケ











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物忘れ

最近、ある人と会う約束をした。相手は70をいくつか過ぎており、仕事からは引退して社会活動に力を入れている人だ。ところが、会う日の直前になって、確認の電話を入れたら、病院を予約していたので会えなくなったとのこと。聞いてみると、病院は約一月前に予約をしていたのに、それを忘れて私と約束したとのことだ。

では次の機会にしようと言うことで私との約束はキャンセルしたが、おそらこの人は社会活動でも人に迷惑をかけているのではないかと想像した。年を取って物覚えが悪くなったのが原因であり仕方がないと笑っていたからだ。

社会で活動している人なら、これは許されることではない。それは他の人の時間を無駄にさせ、それなりの損害を与えているからであり、次からはその人との約束はうかつには出来ないと見なされるからだが、実際にはこのような人が多くいた。

人間である以上物忘れは仕方がないだろうが、だからこそ社会に参加している人は、自分の時間をきちんと管理し、人の時間を無駄にさせない義務がある。それが出来ない人は、実際には社会参加をする能力がない資格がないと言うことだ。ボランティア活動もそれは社会参加であり、その人の働きを期待し信頼している人からすれば、その人との約束が信用できないことは大きな問題を来す。要するにその人の気まぐれでしか活動しないと言うことであり、基本的にはその人の存在は当てに出来ないと言うことだ。社会活動、ボランティア活動を趣味と考えている人が多くいる。会社勤めや自営で社会参加をしていた時はきちんと自分の時間を管理して人に迷惑をかけない様にしていた人でも、社会奉仕活動は自分が出来る時にやればよい、だから趣味と同じと考えている人がいるが、それは間違いだろう。無報酬で参加していることでもそれを当てにしている人がいることを考えれば趣味とは全く違うのであって、人に迷惑をかけないとの自覚は、会社勤めや自営業をしている時と同じはずだ。

私も人の子、物忘れをすることはある。それもかなり頻繁に物忘れをすることを自覚しているので、メモを常に持ち歩き、メモを付け、頻繁にメモを確認することを習慣にしている。特に、人との約束は絶対に忘れないように何度も確認する事にしている。

冒頭の人とは仕事がらみで関わったことはないので現役時代はどうだったか分からないし、私と会う約束も別に社会活動とは関係がない。だから、本人も私との約束が実行できなくなったことについてそれほど深刻に考えていないから、笑ってすませ、次の機会にしようと言うことになったのだろうが、私はこの人とは次の機会はないと思っている。

私よりかなり高齢で、物忘れがひどくなったと自分でも言っているが、それならなおさら時間管理に力を入れ、人と約束する場合は先約がないかしっかりと確認するべきだ。年を取ったから社会参加が出来なくなるのではなく、自分を管理できなくなったらあらゆる人との関わりはまともには出来なくなる、つまり社会参加は出来なくなる。たとえ友人でも、約束が当てに出来なくなれば信頼を失う。親しい友人や家族肉親なら、仕方がないと許すかも知れないが、それでも気まぐれが過ぎれば家族間でも喧嘩の元になる。

年を取れば物忘れが激しくなる。それは生理的な変化であり、避けられないのだろうが、それを自覚したらそれを管理する必要があるだろう。尤も、私の実感だが、物忘れは訓練で改善できる。さらに、意図的に管理すればそれは補うことが出来る。管理もしないのであれば、例え無報酬のボランティア活動でも社会参加をする資格を失うことを自覚すべきではないのか。

by ロクスケ











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血圧先々週だが、いきなり血圧が170-180になり、それが下がらない。とたんにめまいがする(感じ)、頭痛がする(感じ)になって、あわてて病院に飛んでいった。

病院で測ってみると、若干高めだが、薬も要らないし治療も要らない。ただ、酒を減らして塩を減らすように言われた。わたしはもともと酒を殆ど飲まないし、きわめて薄味であり、酒はあまり減らせないし塩も減らす余地はほとんど無い。

結局、血圧計が壊れているようだから新しく買い換えるように言われた。あとは、運動制限もないので、有酸素運動は続けるようにとのこと。私は毎日1時間は早足で歩くので、少し増やすつもりでいるが、忙しくてなかなかその時間は取れない。考えてみれば家の中で結構体を動かしている。

いずれにせよ、以前通販で買った血圧計を止め近所の大手の薬局で選んで少し高いのを買った。朝晩測って記録しているが、若干高めに出ることはあっても、170-180になることはない。やはり血圧計がおかしかったようだ。

ついでだが、血圧は最高ばかりではなく最低も大切で、基準は90以下が正常とされている。私の場合は大体70-80台で、これがあまりに低いとこ れも問題とされる。最高最低の血圧の差を脈圧というが、これが適切にあると血管に弾力性があると言うことで健康だが、あまりにこの脈圧が大きい、 例えば100もある時は、末端血管の硬化が考えられ、検査が必要になる。

さらに、通常左腕で測るが、同時に右腕でも測っておく方がよい。左右であまりに差が大きい場合は、大動脈狭窄の可能性がある。

むかし、血圧は最高だけが問題にされ、年齢+90以下であればいいと言われていた。私はずうっとその基準以下で安心していたが、そう単純ではなく、年齢にかかわらず、上が125、下が90以下が健康であり、それ以上であれば注意がいるとのこと。また家庭で測る血圧は病院で測る数値よりも低く出る傾向があり、場合によってはそれも留意しなければならない。年齢が高くなると血圧も上がるのが当たり前なのではなく、それは老化なので、可能な限り低く抑える努力は必要だとのことだ。

具体的には、喫煙、飲酒をやめること、減塩につとめ、野菜食を中心にすること、定期的に有酸素運動を続けること、適正体重を保つことなどが効果があるので、このような生活は全ての病気に対しても有効であり、これを基準の生活にすべきだろうと思う。私は大体子の生活を守っているが、あとはストレスの減少も必要だとされている。しかし、ストレスは生活に付き物であり、ストレスを無くするのは無理だが、耐ストレス能力を高めることが必要だろう。

by ロクスケ











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健康という贅沢

前回血圧が高くなって検査を受けたことを書いた。血液検査、尿検査、心臓に負荷をかけての心電図や24時間の心電図モニタリングなど を行い、結論として異常はないと言うことだった。

呼吸器、消化器、腎機能、肝機能は正常であり、具体的にはコレステロール、尿タンパク、血糖値などすべて正常値、多少不整脈があるが 体質的に良くあるケースで健康上問題はない、血圧も正式に測ってみると、ほぼ理想値であり、家で若干高めに出ているのも誤差の範囲で 問題にはならないとのこと。

むろん、そのような検査結果が出たからと行って絶対に健康を損ねないと言うことではないし、また実際医師から問題がないと言われてい ながら突然死した人を何人か知っている。したがって、私も努力をしなくても全くの健康だとは思っていないし、さらなる努力が必要だと 改めて思った次第だ。

ただ、自覚できる範囲で、体調はきわめて良好であり、階段を駆け上がっても数時間早足で歩いても走っても、疲労がたまったり息が上が ることもない。考え方だろうが、これはきわめて贅沢なことだと私は思っている。好きなことを好きな時に好きなように出来るなどこれ以 上の贅沢はないと思うが、それは良い物を着ておいしいものを食べて珍しい物を観に行く贅沢とは別物だ。だが、それらの贅沢も、体力があっ てこそのことだろう。寒くても暑くても特に負担にならず、風邪もひかず腹もこわさない。ちょっとしたけがなら10分で血が止まり、一 日で傷がふさがる。絵に描いたような快便が定期的にある。これはそうなってみて気がつく贅沢だと思う。今回の結果が出て、当面は病院 からも薬からも解放された。むろん、定期的な健康チェックは欠かせないだろうし、私が絶対に癌にならない、脳梗塞や心筋梗塞にならな いとの保証はないが、今はその不安はないと言う安心感は何者にも代え難い。

今回も医師に、せいぜい2,30キロ位だが、自転車ツーリングをして不整脈に影響はないか、と訊いたら、それが出来る人を病気だなど と誰も言わない、と笑われた。私の年でこれが出来ることが贅沢なのだ。

私はこの贅沢を手に入れるためにそれなりの努力をした。べつにたいした努力ではない。たばこを吸わず、大酒を飲まず、薄味に徹し(こ れは私が家族の中でも特別薄味好みだった言う事情があるが)、肉食せず、緑黄色野菜、発酵食品を好み、甘い物を余り採らず、緑茶を多 飲し、有酸素運動を積極的にするなどを続けてきたおかげだと思っている。

習慣にしてしまえば、どうと言うことはないし負担にもならない。無論金も時間もかからない。一年やれば目に見えた効果がある。是非こ の最上の贅沢を手に入れることをおすすめする。

by ロクスケ











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体重管理

日本が世界でも平均寿命がトップであり、健康寿命も長いことは良く知られているが、その理由は様々有るだろう。国民皆保険制度が有るため、重病になる前に医療を受けられるとか、救急体制がしっかりしているとか、医療レベルが非常に高い、つまり医療制度が充実している、食品管理が非常に優れていて汚染が少ない、空気も水も汚れていない、国民の健康意識が高い、アルコール依存症が少ない、麻薬などの蔓延がない、エイズ感染率が低い、犯罪が少ないなどがすぐに挙げられる。

具体的に私たち一人一人の健康管理意識だが、それが如実に目に見えるのは肥満率ではないだろうか。日本で平均とされる体格はBMIが22であり、25を過ぎると肥満に分類される。アメリカなどは、30を越えなければ肥満と分類されないが、その基準で見ても、日本は世界でも最も肥満率の低い国だと言うことが明らかになっている。

実際、大都会で雑踏の中を歩いても混雑した電車に乗っても、目を惹くような肥満の人は滅多に見かけない。しかし、アメリカなどでは、実際向こうから来る人が誰も彼も太っているように思える。200キロは超しているだろうと思える人がごく普通に見られるし、太りすぎて自力で歩けない人が電動スクーターで移動しているのもよく見かける。

太りすぎが確かに健康に悪影響を与えているのは事実で、現代では肥満は治療の対象になる病気ととらえられている。

さて、私のBMIはこのところ27程度であり、夏になると25くらいになることがある。これは日本の分類では軽度の肥満なのだが、私はこの数値から落とさないように努めている。まず、日本の基準は低すぎるとも言われているが、実際の統計から、軽度、あくまで軽度であって過ぎていてはならないが、の肥満の人間は病気に対する免疫力も高く、長生きをするとの統計が明らかになっている。ただし、肥満がむろん、糖尿、高血圧、脂肪肝などのリスク要因であることは間違いがないので、それらが正常である限りにおいての軽度の肥満の話だ。

また私自身、夏など油断をするとBMIが25程度まで落ち、いくら努力してもそれが戻らない時があるが、そう言う時ははっきりと体力が落ちるのを感じる。疲れやすく体が自由に動かないのだ。

しかし、26,7程度にすると疲労せず、体が軽く動く。また前回も書いたが最近の健康チェックでは、今のところなんの問題もないとのことだから、チョイデブは健康という法則に当てはまっているのだろう。

体重があっても筋肉が多ければ問題はないし、実際寒さに対して自分でも信じられないほど耐性がある、すなわち寒がりではない事からも私の新陳代謝率はかなり高い方だと思うが、それは筋肉量が多いからだろう。もともと、骨太で骨量も多い。つまり、体の比重が高いのだと解釈すれば、私にとって一番良い体格は今のBMI27なのだろう。無理をして痩せることが体力を付けるわけではないと、最近は思うようになった。

むろん、BMI基準は目安であり、体のつくりは個人差が大きいのだから、脂肪が多ければBMIが仮に22でも、実際は肥満に属するようなことがあり得る。

目安は目安として、結局は自分の体の状態で一番自分に適したBMIを決めればよいのではないか。そう思えば、体重を日本基準に近づけるのではなく、自分が一番快適に過ごせるレベルに保つのが体重管理なのだと理解できる。

日本人、とくに女性はとにかく痩せてもいないのに体重を気にしすぎる。特に若い成長期、体重をあまりに減らすと、生涯健康を損なうことになるし、お産の時などは子供にも悪影響がある。痩せたいという女性の本当に痩せる必要がある人はほんの一握りだと言われているし、結局は自分の体で確認した適正体重を目標とするべきだと思うのだが。

by ロクスケ










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精神の老化

私はすでに60代となり普通に言えば初老なのだが、自分では全くその意識がない。何度も書いているが、体力的には30代の頃よりも上だと思っている。尤も、私の30代は、不摂生の限りを尽くし、最低の体力だったのだから一般論ではないにしても、数時間早足で歩いても、自転車で坂道を駆け上がっても全く平気だし、数十キロの物を持ち上げることも大丈夫だ。風邪もひかない、体調で悪いところを自覚しないし、つい先日受けた検査では、全く悪いところがないと言われた。

ただし、いくら自分で若いつもりでいても交友関係は自ずから同年輩が多い。その同年輩の人間達を見ていて感じるのは、精神の老化というのは体の老化同様避けられないのだろうと言うことだ。たとえば、ネットを最初から、やる気にはならないと言う人間が多い。一昔前のネットならパソコン操作も確かに複雑だったかも知れないが、今では使うだけならテレビやラジオを触るくらいの感覚で出来るのではないだろうか。

最近ある人に相談されて、音楽プレーヤーを選んであげた。むろん、ピンからキリまであるが大量にあるCDを直接録音したいというので、その機能を持つ製品を選んだのだが、どうやっても扱い方が分からないと言う。むろん、単なる音楽プレーヤーというより、簡単な小型パソコンの機能を持っているが、彼が使うのは単にCDから録音し、音楽を聴くだけの機能であって、ネットから音楽をダウンロードするなどもしない。彼の目的のためだけなら憶えなければならないのは実に簡単な操作のみなのだが、分からないと言って、とうとう放り出してしまった。

私にはそれが理解できなかった。その種の端末は私にとっても初めてだが、全く操作に問題はなく、まさかこんな簡単なことを理解できないと放り出してしまう彼の行動が理解の他だったのだ。彼は私より年長だが、携帯電話のネットやメールは最初から使わないと言う。が、すくなくとも電話をかけ、受けることが出来るのだ。それなら、音楽プレーヤーのごく一部の機能を使うことが出来ないはずはないと思うのだが、難しいから自分には出来ないと思いこんでいるのではないだろうか。一旦こうなると、いくら説明しても頭に入らず、聞く耳を持たない。自分の性には合わないと言うだけだ。当たり前に人生の経験を積み重ね、人並み以上の知識を持ち、知恵を働かせて生きてきた先輩のこの姿こそ、精神の老化なのかと思った次第だ。

言うまでもないが、普段の生活でいわゆる痴呆化のような物はない。普通に生活をしているのだが。

もう一人の先輩は、私より10年ほど年長だが、自分が自我を保てるのは後数年だと決めているとのこと。新しいことを憶える意味が余り無いし、知る必要もない、とはっきり言うのだ。これも私には理解しがたい。むろん、彼もべつに痴呆があるわけではない。当たり前の高齢者なのだが。

今のところ私は健康だが、むろん十年はおろか数年先にどうなっているかは分からない。若い頃と違うのは当然だろうが、それでも十年先はどうなっているか分からないから新しいことを憶える必要はないとか、自分とは性が合わないと放り出す気にはならない。仮に3年後に死ぬとしても、新しいことに興味を持ち、知ろうとするから精神の老化が遅らせられるのではないのか。

今の若者の興味の対象に私は殆ど興味はない。AKBもポップスもテレビのバラエティにも興味はない。テレビはもう観ないが、興味が持てないからだ。これも老化の故か、と自問してみるが、仕事を続ける意欲はあるし、新しい製品を作るための知識の習得もしているし、それとはべつに語学に磨きをかける努力などもしている。

体の老化を遅らせるためには人々は努力しているだろうが、精神の老化を遅らせる努力をしないと、上記のどうせ出来ない、どうせやっても無駄という事になるのではないか。それこそ、衰えるのは自然の成り行きと思いこんでしまうことこそ、老化の最も警戒すべき兆候だと思うのだが。

近年あれだけ高齢者が詐欺の被害に遭っているとの報道があり、用心するように呼びかけられているのに、毎日のように高齢者達が一千万単位の金をだまし取られている。高齢者の判断力が鈍っているからとの一言で済むとは思えない。客観的に物事を判断できないからだというなら、それもまた学びを放棄したための老化なのではないか。

by ロクスケ










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精神の老化2

前回に続いて、精神の老化について考えてみたい。学ぶことを放棄することで精神の老化が促進されると書いたが、人間は子どもの頃からいろいろなことを学びながら成長する。それは学んで得た知識を生活のために使うことが主目的だが、一定の年齢になったらそれまでに蓄えた知識だけで十分であり、老い先短い貴重な時間を使う当てのない知識習得のために使うことはないし、なにより面倒だというのが学ぶことを放棄する理由らしい。

しかし、体の老化を防ぐために運動をするように、頭の老化を防ぐために頭の体操をすることは良く知られているし、多分これについてはいくつになっても大切だと理解する人は多いのではないかと思う。

が精神の老化を防ぐためには頭の体操は余り関係がない。むろん、体の健康同様、頭の健康が保たれているなら精神の健康も保ちやすいだろうが、体が健康で頭が健康ならそれで十分だと考える人が多いような気がする。しかし、頭の健康と精神の健康ははっきりと 立て分ける必要があると私は思う。

精神が老化するとは、簡単に言えば頑固になると言うことだろう。思いこみから離れられない、自分の主張以外を認めない、あるいは聞くことすら拒否する人間は確かに高齢者に多い。

もっとも若い人間でも全く頭が固くて頑固な人間はいる。そのような場合、よほど強烈な思想教育や宗教の原理主義に染まった環境で育っているなどの理由がある。一つの価値観から離れることが出来ないのだ。

年齢を重ねれば本来なら多くの情報を貯め込んでいるから様々な状況に照らし合わせて柔軟な判断が出来そうな物だが、そうできる高齢者は極めて少ない。むしろ、永年に渡って作り上げた自分なりの価値観から離れることが出来なくなっている。

前回の連載記事で、ネットにあふれている情報から正しい物を自分の基準で見つけるには自分の基準を持つべきだと書いたが、これはとりもなおさず他の人はその人なりの基準を持っていると言うことであり、その事実を認めない限り、自分の基準だけを客観的な絶対基準としてしまうことになる。すなわち、他の人の行動や考え方も自分の基準で正否を決めてしまうのだ。これが頑固と言うことだろう。

人間として生きる以上絶対に譲れない線は当然あるだろうが、生活の全てがそれに縛られるわけはない。多くは他の人の基準と妥協しながら生きてゆくのが当然なのだが、頑固な人にはそれが出来ない。そして、本来多くの情報を持って広範な基準を容認しうる高齢者が頑固になるのは、精神が老化しているからだと思えるのだ。

生活の多くは他者との妥協を必要とするのだから、時には他の人の話に耳を傾け、なぜそう思うのかを聞き、自分とは違う過程でその考えに至ったことを理解することで、今まで自分が気づかなかった視点での新しい価値基準を見つけるかも知れない。それは自分の価値基準の幅を広げることで自分の生活の幅を広げることにもなるのではないか。

一本芯を通すのは絶対に必要だが、それさえ守っていれば妥協はべつにどうと言うことはないし生活の幅を広げることが出来るなら、積極的に異なる価値観に触れ、知る(受け入れる必要は必ずしも無い)ことで味気なくなりがちな人生を豊かに出来るのではないか。それでこそ、長い人生で蓄えてきた広範な知識がほんとうに役立つと思うのだが。

by ロクスケ











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人間ドック


日ごろ偉そうに書いているように、私は今のところ健康不安はない。気温が上がってくると血圧は下がり気味で、毎日朝晩測っている数値でも、今では高い方で105-135位、下で70-85位だからまったく問題はない。先日、久しぶりに自転車で40Kmほど走ってきたが、その日はちょっと脚がガクガクしたものの、その後の筋肉痛も全くなく、疲れもなく通常通りに動いている。甥っ子の男子高校生が同じ距離をスポーツ車で走ってへばったのを聞くと、ママチャリでまったく問題なく走った自分の体力に今更ながら感心している。というより、そのへなちょこ男子高校生が情けないのだが。

半年ほど前に検査した折り、簡単な血液検査、尿検査などをして健康にはまったく問題がないと言われているのだが、それなら確信をもっと高めようと近々、簡易人間ドックを受けるべく予約をした。地域の医療機関で、高齢者対象に無料診断などをしてくれるが、もう少し広範囲に渡ってチェックをしてみたいと思っている。考えてみれば、会社勤めを止めてから定期的に健康診断を受けた事がなかったのだが、周囲の同年輩の人々が次々に倒れたり無くなったりしているのを見ると、いくら元気だと言っても用心はしなくてはならない。

一つ気になるのは体重だ。BMI指数では、27ほどになる。前々から私の本来の体重は日本の基準BMI22で60Kg前後から言えばチョイデブな のだが今までの経験から、これくらいがちょうど体力的に充実しており、これ以下にすると疲労しやすくなるなど問題が出てくるし、血圧が下がるわけでもない。

本当にこの体重でよいのか、もう少し絞ってそれに慣れた体力づくりをした方がよいのかも今回の人間ドッグで目安を付けてみたいと思っている。簡単な検査ながら、認知症や癌検診も含まれるらしい。下手に体力健康に自信を持っていると、ちょっとした病変を見逃したり手遅れになる。実際、私の友人で、日ごろ盤石の健康を誇っていた男があっさりと癌で亡くなってる。後から思い返せば兆候はあったのだが、それを無視していたのだ。本人もそれを非常に悔しがっていたが、残念ながらどうにもならなかった。

私が前回のチェックで何処も悪くないと言われたからといって、完全無欠の健康や体力を保証されたわけではないし、実際別の知人は詳細な人間ドックを受け、十二指腸潰瘍を見つけてもらって安心していたのに、その一週間後に心筋梗塞で、病院に運ばれる救急車の中で亡くなった。

医者の保証はそれなりに安心だが、だから危険が絶対無くなっているのではないことも理解しておかなくてはならず、最終的には、自分の責任だと銘記しておくべきだろう。

by ロクスケ











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プランター菜園

急に思いついて自家製野菜を作ってみることにした。とはいえ、広大な土地があるわけでも無し、時間もない。そこで、日当たりの良い窓辺にプランターを置き促成で出来る野菜を作ってみることにしたのだ。生でも食べられるようにするためには農薬を使わない。人体に有害な農薬と言えば殺虫剤だが、虫が付かない室内なら殺虫剤を使う必要はないし、真冬でも暖房があってガラス越しの日差しなら何かを作ることが出来る。

選んだのは二十日大根と促成小松菜で、どちらも一月くらいで収穫が出来る。室内なら年に12回出来る勘定でかなり割がよいとほくそ笑んだ。

室内で日当たりがよいと言っても日が当たっているのはせいぜい5,6時間で、それで足りるかどうかは分からないし、それに水やり、施肥などの手間もかかるが、どうせプランター5,6個なのでたいした手間でもないだろう。

異状気象が続いていて野菜も高いし、昔ほどではないとしてもやはり農薬が心配なので、生で安心して食べられる野菜が出来れば精神的にも良い。

ついでだが、子猫の額ほどの庭にも余った種を蒔いてみた。先月、トマト、ナス、キュウリの苗を植えて見たが、水やり追肥はしているものの、草取り虫取り、剪定などはほったらかしで昨日やっと支柱を立てて支えにした。本当は無駄な脇芽を取らなくてはならないのだが、遅く植えた分だけ成長が遅いのでそのままにしたらやたらに広がってしまった。

それでもナスやトマトには花が着いていて、順調にいけば結構実がなるはずだ。

子どもの頃姉と二人で、当時は有り余るほど有った庭で家庭菜園をやり、トマト、キュウリ、トウモロコシ、インゲン豆などを作ったが、それこそ水やりくらいしかしなかった。それでも結構自給出来たので、今回も手が空いた時だけやれる範囲での野菜作りを始めて見たわけだ。

結果がどうなるか分からないし、これだけ手抜きをしていればヘボ野菜しか出来ないだろうがまあ労力に見合ったものが出来れば良しとする。完璧を目指さないのがこつだと心得ている。

by ロクスケ











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訓練の成果

先日ある人とたまたまそろばん名人の話をした。その人は、知人にそろばんのかなりの高段者が居て、ありとあらゆる計算をまったく時間をかけずに全て暗算でこなしてしまうのだそうだ。直接の知り合いではないが、私もそろばん名人の技を見聞きし、びっくりしたことは何度もあるし、実際テレビなどでも紹介されているから、日本人ならそう言う人たちが居ることもそう珍しいこととは思わない。

名人はそろばんを手にしなくても頭の中で珠が動いて答えが出るのだと言うが、さらに名人になるとそろばん珠が頭に浮かぶこともなくなり、数字を聞けば自動的に答えが出るのだそうだ。

そうなるともうさすがに驚くしかないが、最近はコンピューターを利用したフラッシュ暗算をこなす人も出てきている。昔もあったが、紙芝居方式でスピードに限度があったものを今は瞬時で複数桁の数字がいくつも切り替わり、それを見ているだけで答えが出る。私などは、その一瞬の切り替わりで数字を記憶することさえ出来ないのだから、それで暗算をするなど到底想像も出来ない。

生まれつきの能力や才能ではなく、子供の時からそのような訓練をすると誰でもがそうなるというのだから、人間の脳はそのように出来ているのだろう。

しかし、将棋や囲碁の名人が、まったく一瞬で駒や石の配置を記憶し、そして何手も先の盤面をいくつも想定し、駒や石を動かすのは素人にはまったくまねの出来ない技だ。本当の将棋や囲碁名人は子供の頃からそのような訓練をしているから盤面を見なくても頭の中だけで駒や石を動かす。名人同士なら、盤も駒も石も要らずに勝負が出来るが、これを大人になってから訓練で可能にしようとしても恐らく無理だろう。

これらの能力は子供の頃からの訓練だが、実は普通の人間がこれ以上の事を普通にやっている。考えてみれば驚嘆すべき能力なのだが、それは言葉をしゃべる事だ。誰もが会話をするために何千何万もの単語を記憶しており、状況に応じて瞬時にその記憶から必要な単語を引っ張り出して組み立て文章を組み立てている。

人間なら当たり前にやっていることだが、もしその訓練をしなければ、言葉を使いこなすことが出来ないのは、何かの事情で赤ん坊の時に人間社会から切り離された子供達が決して言葉を話せるようにならない事例がたくさんあることからも分かる。

一方、外国語は私たちには学習が難しいが、それでも努力をすれば大人になってからでも十分に実用的なレベルの能力を身につけられる。それは母国語で言語習得の能力を身につけているからで、まったく言語を身につけなかった人間は、いかなる言語もものには出来ないのだ。

私たちが大人になってからも外国語を学べるのは、子供の頃から日本語を話す能力を持っているからだ。同様、暗算だとか将棋囲碁などの能力も、大人になってからもある程度身には付くが、日本語をつかいこなしているようなレベルにはならない。せいぜい、大人になってから始める外語語のレベルになるだけだ。

それでも、実用レベルの成果はいくつになっても上げられる。そろばんでも将棋でも囲碁でも大人になってからの訓練で結構使い物になると考えればそれで良しとすべきだと思う。

私は大人になってから職業にしたのだが物作りを数十年やっている。すると、自分では自覚していなかったが人に指摘されてそうかなと思う能力があったようだ。例えばドリルの錐の太さなどは見ただけで10分の1ミリ単位の違いが分かるし、測定では見つからない部品のゆがみやずれが手で触っただけで分かる。同業者なら誰でも当たり前に出来ることだが、一般の人を驚かせるには十分らしい。もちろん、私以上の能力を持っている職人さんもそこら辺に無数にいて、べつに当たり前のことだと思っているから、彼らに比べれば私は素人にちょっと毛の生えた程度なのだが。

それでも、訓練で人間は思いがけないほど能力を身につけることが出来、それも何歳になっても可能だといえる。年をとったから、どうせ自分には出来ないからと訓練をあきらめるのは間違っていると私は思う。そう思って文字の練習を時々やるだけで、自分なりに結構改善されたとか、実用性のないフランス語の勉強で、それなりに成果を上げたなど、いついくつになっても訓練をすればそれは実になる。また、訓練により身体的能力も確実に上がる。身体がより自由に、軽々と動くのだから、それで確かに人生が豊かになるのだし、身体の訓練でも頭の訓練でも何か目標を持って訓練を始めてみるのも結構良いことではないのか。

by ロクスケ











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物作り

私は物作りを生業としている、と以前書いたことがあるが、物作り職人と聞いて思い浮かべるような物作り職人ではない。私は金属加工、木工、プラスチック、などなどありとあらゆる材料を加工し、また電子回路を設計し組み立てるなど、およそ物作りなら何でもやるがどれ一つとして、技術はそれ専門の職人の足元にも及ばない。

つまり、いろいろな物を計画し組み立てるのが私の仕事であって、そのために使えるくらいの製品を作り出す事が出来るだけだ。それが出来るのは、精度の高い材料、部品が豊富に買えてそれらを組み立てるだけで大抵用が足りるのと、いよいよ精度が必要で自分の手に負えない物は専門工場に製作を依頼することが可能だからだ。

ネットで見れば、ため息の出るほどの高度な作品を作り上げるアマチュア達が大勢居るが、彼らは私が持っていない高性能の工作機械や、そればかりを作り続けている経験、さらに時間や採算を度外視した手間をかけている。

私は商売上、採算を度外視するわけには行かず、また時間を無視するわけにも行かないから、当初からその範囲で出来る物しか自分では作らないし、それ以上は外注する。

物作りの理想として誰もが思い浮かべるのは、およそ140年前に万年時計を作った田中久重だろう。からくり儀右衛門の名で知られるが、彼の生涯の傑作万年時計は、つい先年まで故障をしたまま誰にも直せないものだった。改めて全国から優れた技術者達が集合し、万年時計を解体してその構造を確認し、復元することが出来たが、その精緻さには現代の技術者達が舌を巻いた。むろん、今の技術で、構造の解析ができれば復元も出来るだろうが、100年以上も前、今のアマチュアの持っているほどの工作機械はおろか、現代ホームセンターなどで自由に買える位の手道具さえ無かった時代、一人であれほどの機械を作り上げた。複雑な歯車機構なども一つ一つ手作業でこつこつと作ったのであり、現代ではそのような技術を持つ職人は存在しないと、復元に当たった技術者達が述懐していた。

多少とも物作りをしている私からすれば、ため息の出る正に神にも等しい田中久重だが、生来の才能の違いだろう。

田中久重を理想としながらも、私は私で今年の初め決心をし旋盤を作ることにした。むろん、今も旋盤を持っている。それも2台持っているが、剛性、つまり強さが足りず、少々大型の部品を加工すると精度が著しく落ちるので、ひときわ高い能力の旋盤を前から欲しいと思っていた。が、私も商売、コストパフォーマンスを無視は出来ない。私の作る物は、大量生産ではないので、しっかりとした剛性を持つ旋盤であれば、あとは作品を修正することで精度はある程度出せる。しかし、その目的に敵った旋盤は馬鹿高い。そしてばかでかい。そこで、旋盤を作ることにした。

幸い精度の良い鋼材は豊富に買えるし、ネジやベアリングのような部品も自由に買え、必要な工具も買うのに不自由はない。私の要求を満たす既製の旋盤は2,3百万。中古品でも100万近くするが、採算を度外視したアマチュアなどとは違い、使用頻度の少ない旋盤にそれほどの金はかけられない。試算してみると自分で作れば数万円で済むことが分かった。予備費を入れても10万だろう。前にも、自分で作った工作機械を便利に使っている。

早速設計し、材料を発注し、加工組み立てに入った。かなり進んでいるが、尚1,2ヶ月はかかるだろう。その後、最終修正を施して希望の性能が出るかどうかだが、最終修正が出来るような構造プロセスで設計しているので、時間をかければなんとかなるかもしれない。一旦完成したら、電子化して使い勝手を良くすることも視野に入れているが、それは旋盤として機能することを確認してからの話だ。

旋盤づくりだけをしているのではないから、予定がどうなるかは分からないが、予定よりもむしろ早く進んでいる。なによりやはり物作りは楽しい。なにしろ、予想では完成時の重量が90kgにもなり、加工する部品も重い物は10キロを超す。それを扱えるだけの体力があるのもうれしい。

今では便利な物が豊富に安く買える時代で、自分で作る方がよほど高くつく場合が多いが、作ると言うこと自体の楽しさは、一度知ってみれば金には換えがたい。今回私は必要に迫られて作っているのだが、思いがけなくその楽しさを満喫している。もし時間があるなら、技術は後から付いてくる。その楽しみを追い求めるのも、人生を豊かにする一つの方法だ。

by ロクスケ











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病気とつきあう

幸い、私は今のところ自覚出来る体の不調はなく、実際簡易人間ドックでは、さしたる異常もないとのことで、元気に生活をしているが、親しい人が長年病気で苦しんでいる。特にこの2年ほど、原因不明の全身性の疼痛に悩まされ、行ける医療機関には行って検査をしても原因が分からないとのこと。

結局心因性ではないかと、各種の鎮痛剤を処方されていたがすっかり内臓を痛め、また薬が効かなくなって、下手に薬を止めたら猛烈な禁断症状が出たとのこと。つくづく見ていても気の毒であり、どうしてだろうと思うが、手の貸しようが無く、励ますしか出来ない。

年齢は私とほぼ同じで、若い頃から仕事に没頭し、端から見ていてもかなりストレスにさらされていたと思う。健康に対する意識は正直言って無かったと思うが、後年はそれも自覚してかなり食生活などに気を遣っているようだ。が、華麗とともに体調は悪くなるばかりであり、原因不明の病気で全く病院通いから離れることが出来ない。

一方、私も昔は仕事に没頭し、不摂生の限りを尽くし、暴飲暴食、ヘビースモーキング、運動不足と絵に描いたような不健康な生活を続けていたが、当然ながら一度風邪をひいたら数ヶ月治らないし、体中のあちこちが痛くてろくに歩けないような状態だった。が、一念発起し、食生活を改め、節酒禁煙し、体を動かすようにつとめたところ、およそ10年ほどですっかり健康になった。昔は脂肪肝で高脂血、検査をすれば医者が眉をひそめる状態だったのが、今ではこの状態を保ってくださいと言われるほどになった。

昔は無茶をし、後年生活を改めたのに、私は健康になり知人は悪化した。この分かれ目はなんなのだろうと考えざるを得ない。もともと、私は決して頑丈な体質ではなく、子供の頃からむしろ病弱だった。が、とにかく田舎育ちであり、海もや間も川も身近にあったのでとにかく毎日自然の中で遊び回っていた。知人は子供の頃からあまり外では遊ばず、むしろ引きこもって本を読む方が好きだったし、特に病弱と言うほどでもなかったという。

結局思いつくのは精神的な違いなのではないかということだ。私は自分ではそれほど無神経だとは思っていないが、人からは図太いと言われる事は再三あった。図太いというより、自分をそのようにしつけることにそれほど苦労をしない傾向がある。例として私はかつて一日強いタバコを60本吸っていたが、ある日禁煙を決意し、その日のうちに完全にタバコを止めた。その後、一切喫っていない。何度も禁煙に失敗する人が居て、薬の力を借りたり、医師の指導の元にあっても禁煙出来ない人が多い。

かつて一晩でウィスキー一本、日本酒一升をあけるような大酒のみで、それも毎日飲んでいたが、ある時から殆ど飲まなくなった。今は週に一本程度の缶ビールやワンカップくらいは飲むが全く飲まなくても全然苦にならない。仕事で日本や世界の各地を歩き、様々な美食を口にしたが今は薄味の野菜中心でちっとも苦にならない。それも別に美食をあきらめたと言う気などなく、今の食生活を楽しんでいる。

それらの生活の変化は、私の場合全く精神的な苦痛を伴っていない。ある日突然そう決めて、それ以後そのようにしていると言うだけだ。それによるストレスが全くないのだ。

知人の場合、それが非常なストレスになったという。今は医者に止められて食べたいものも食べられないそうだが、私は口にしないと決めた物はそのときから一切口にしないが、我慢をしている意識は無いし、全くストレスなど無い。自分ではそれが当たり前と思っているが、私をよく知る人たちは、そこまで執着しないなど何を生き甲斐にしているのかわからんとまで言われる。

が、よく言えば切り替えが早い、悪く言えばいい加減な生き方が私の健康を保っているのかとも思える。

by ロクスケ











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いい加減のすすめ

私は飽きっぽいところがあり、都合良く解釈すれば切り替えが早い、執着しないところがある。たとえば昔は相当なヘビースモーカーだったのが、ある日禁煙し、それから一本も吸っていないし衰退と思ったこともない。かなり大酒のみだったが、ある日禁酒し、それからしばらくは本当に一滴も飲まない日が5,6年続き、それから完全にやめなくても良いか、コントロール出来るしと思い、多少飲むようになった。全く飲まないとつきあいにも不便だからだ。

周に一回ほど、ワンカップ一本あるいはビールショート缶一本程度だ。正月やつきあいには多少増える程度で、むろん全く飲まない日が数ヶ月続いても全く苦にならない。

この性格は仕事にも活かすようにしている。私が造る製品は、かなり手抜きをしているのだが、自分用に使うものは必要な部分だけに力を注ぎ、不必要な部分はそうとういい加減に造る。売り物についても同じで、たとえば機械や制御盤など本格的に造るには細部まできちんと磨き上げ、焼き付け塗装などをして仕上げるのが普通のやり方だが、私は見栄えにかける金を安全性や耐久性にかける。その方が使い勝手がよく、どうせ工場で使っているものはすぐに傷だらけになるのだ。だから、手などを切らないようにバリや引っかかりを取った後、錆止め塗装と上塗り塗装をするだけで済ませてしまう。

当然ながら事前には顧客のそのように説明し納得をしてもらってからそうするのだが、中には見かけも大切だと言う人もいる。そういう場合は外注に出して仕上げをきちんとしてもらうが、とうぜん馬鹿高くなる。見栄えを整えるのは非常に金がかかるのだ。

機械仕上げも、実はかなりいい加減に造っても性能や耐久性には無関係な場合がかなり多い。バフ研磨など全く要らない場所はなんの処理もしないし、穴の位置などもいい加減で全く性能には関係のない場所はそれなりにいい加減にあける。

日本は物作りの国であり、職人が神業とも言える技術でため息の出るような精密な仕事をする。だから、非常に完成度の高い製品が出来る。それはそれで非常に良いことだと思うが、どうしても高くなる。私は芸術品ではなく、実用品を造る。

私が必要に迫られて工作機械を造る場合も、自分が必要な精度と剛性を達成出来れば良しとして造っていて、実際に精密仕上げを要する場合は専門業者に頼んでいる。その方が絶対にやすくなるし、当然ながら私が無理して仕上げるよりも高度な結果が得られるからだ。

いい加減のすすめとはこういう事を言っているのであり、すべてをいい加減にすべしと言うのでは当然ない。不必要な部分にエネルギーを注いでいれば必要なレベルにも達することが出来ないと思うからだ。

私生活でも、たとえば私はかつて極めて手書き文字が汚く、最近では手書きがめっきり減ってなおさら文字が汚くなっていた。それはさすがにまずいので、少々文字の練習をしたところ、かなり改善された。が、もちろん前よりは良くなったと言うだけで、人様に自慢出来るレベルになったわけではないが、別に書道家になるつもりもなく、十分実用レベルに達していると思っている。これも完成を追い求める気持ちなどさらさら無いから、外のことに力を注げるわけだ。

英語のTOEIC試験を来春受けること為に受験を申し込んでいる。完全な英語力だと990点だが、まあ私は600〜800点取れれば御の字だと思っている。990点を目指して勉強をするつもりはさらさら無い。フランス語やドイツ語、スペイン語などもそんなつもりでやらないととうてい長続きしないし、楽しくない。幸い、ネットで生の外国語が豊富に聴ける時代であり、大体自分が以前よりレベルが上がっていると思えばそれでよいと思っている。

完成を目指さないいい加減さを身につけることは、ストレス軽減にもより早い目標達成のためにも大切なのではないかと思っている。考えてみれば、私には、これだけは絶対に人に負けないと言うものがないが、無いから残念だとの気持ちも全くない。それで十分に健康な生活が維持出来、思うように体を動かせるのなら言うことがない、と言うのが私の生き方だ。姉などは、いい年をしてそんないい加減な生き方はやめなさいと言うが、どこ吹く風で聞き流している。

by ロクスケ











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老化と成熟

人間は動物の中では例外的に長寿であり、健康を維持していれば日本人の場合女性は80歳以上、男性でも75歳以上普通に生きていられるし、これは平均なので実際は80過ぎでも90になってもかくしゃくとしている人は身近にも大勢居る。

例外はあるが、哺乳類でもせいぜい2,30歳が寿命であり、一般的に天寿を全うするにしても生殖能力を失った時点で寿命が尽きるのが普通なのだが、人間に限って言えば生殖能力を失ってからもそれ以前以上の時間を生きることが出来る。極めて特殊な生物であると言われる特徴の一つだ。

とはいえ、年を取れば体力は急速に失われ20代の頃の十分の一以下の体力になるだろう。目も見えにくくなり耳も聞こえなくなる。筋力は衰え、柔軟性も力も失われ、病気になりやすく治りにくく、そして各種の慢性病を抱えるようになる。考えてみれば憂鬱であり、昔のように美食にふけり美酒に酔うことも出来ず、敢えてそうすれば間違いなく体をこわす。

物覚えも悪くなり、頭も固くなる。とあれこれ考えると生きていること自体が辛くなる・・と言う人も実際にいる。かくいう私も今では立派な高齢者であり、上記のような衰えを日々感じているが、以前から書いているように若い頃に不摂生をしていたので、それに比べれば基本的体力は向上しているとは思っている。

それでも様々な体の不具合は増えてきているし、たしかに記憶力なども落ちていると思うが、ただ、私の場合、出来なくなったことは非常にたくさんあるとしても、出来るようになったこともかなりあると思っている。

また若い頃のように大量に食べたり飲んだりすることは体が要求しないから、大食大飲が出来ないからと言ってそれが不便だ残念だとは全く思わない。

単に自分の思いこみかも知れないが、知識を蓄えておりそれを分析する習慣を積み重ねてきている分、理解力や判断力はむしろ今の方がよほど向上していると自覚している。また、記憶力が衰えても、記銘力は上がっているような気がする。記憶力とは過去の経験を覚えている力、記銘力とは新しい経験を覚える力ということだが、実際は新しい経験の意味を理解し覚える力と言うことだ。赤ん坊は見聞きした物を全く取捨選択せず全てを覚えるが、これが記憶力であり、必要な物だけを何故必要かを理解しながら覚える能力は、理解力があって可能なのだ。

もっともその理解力は膨大な知識、赤ん坊の頃から蓄えてきた知識(結晶記憶と言うが)を整理し活用することで生まれる能力であり、一旦その理解力が身に付けば記憶力は不要になり記銘力だけが活発になると言うわけだ。

その意味で、年齢を重ねる事は老化もあるが、むしろ成熟の部分が大きいと言える。優れた芸術を理解し堪能するにも深い理解力を必要とするから、高齢者の方が美術、音楽、文学など全ての芸術を完成させてゆく能力が高くなるのは普通にみられる。同じ物を見たり聞いたりしてもそれを理解し堪能する能力が年輩になるに連れて高まることを理解すれば、年とともに失う物より、よほど得る物の方が多いというわけだ。

実際、世代別にいつの時代が一番幸福かと訊くと、殆ど例外無しに現在と答える人が多いとのことだ。むろん、八十代の人も二十代の人も同じ答えをするのが、二十代と八十代を両方経験している八十代の人が、やはり現在が一番幸福だと答えるのは興味深い。

そして、私は物心ついてからから今に至るまでの年齢を全て経験しているが、結論として現在が一番充実していると思う。若い頃に理解出来なかったこと、思いつかなかったこと、見えなかったことが確実に今は理解出来、思いつき見える。それに、これも自覚していないだけかも知れないが、語学学習でもネットでも特に嘆かわしいほど記憶力が衰えているような気もしないのだが。むろん、絶対量としての記憶量はかなり落ちているが実際はそれで生活に不便がそれほどあるようにも自覚はしていない。

若い頃は良かった、今体も不自由になって楽しみが無くなったと本気で考えている高齢者が居るとすれば、それほど不幸なことはあるまいと思うのだが。

by ロクスケ











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佐世保事件に思う

本当に痛ましい、戦慄すべき事件が起きた。この原稿を書いている時点では詳細は未だ分からないが、この事件が何より衝撃的なのは、どうやら加害者は人を殺すことが目的であり、別に被害者とトラブルがあったとか、感情的になって突発的に殺したという事ではないらしいことが明らかになってきたことだ。

普通の人間には想像も付かないことだが、人を殺すとは並大抵のことではなく、仮に憎悪や突発的な感情の爆発によって人を殺してしまったとしても、それは加害者自身の精神にも大きな破壊力を持っていると言われる。結局は事の是非以前に、人間、いや生物の本能として同種の命を絶つことは本能が禁じていると言えるのではないか。

問題なのは、今回の事件が、普通の人間には理解出来ない、人を殺してみたかったという動機が、結局は加害者の発達障害によるものではないかとの結論が出始めていることだ。実際、彼女は発達障害なのかも知れない。つまり、AS、LD、ADHDなどと同様の生まれつきの機能障害と言うことだ。昔はサイコパスと言われ、今ではソシオパスと言われているようだが、日本語では反社会人格障害と言われているもののようだ。確かにこのような障害はあり、多くは成人するに従い自ら矯正して社会に適応するケースが多い。弁護士や実業家など活動的な職業に就いている人にこの機能障害を克服した人が多いと聞いたこともある。また、本人が自分の異常性に気づき、精神科の医師に助けを求めるケースもかなりあるそうだ。

子供の場合はまだ人格ができあがっていないので行為障害と分類され、周囲の働きによる矯正が必要とされている。

今回の事件が本当に彼女が行為障害という問題を抱えていたかどうかは分からないが、実際にこのような問題を抱えた人間が事件を起こすケースは有るし、その動機が常軌を逸していてまた凄惨な事件に生るケースが多いため極めて人々の印象に焼き付きやすい。

が、上記のように大半は自ら矯正し、また自覚しないまま全く社会に順応して一部の仕事では成功を収めるケースもある。かつて、何か問題を起こすと発達障害との関連がよく言われたが、実際に犯罪を起こす人間にはそのようなケースは多くはないし、むしろ生育環境が非常に重大な影響を与えている。

それは、例えば統合失調症の患者が事件を起こすと、やはりというような報道が見受けられるが、率として統合失調症患者が事件を起こす率は一般人の率よりもかなり低い。ただ、起こされた事件が極めて異常なだけに注目をひくのだ。

このような報道が、発達障害自体に知識のない社会で要らざる潜入観念を拡散してゆく畏れはないか、それが気にかかる。

by ロクスケ











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常識

最近、ある人と珍しくちょっとした諍いを起こした。とはいえ、互いに長年付き合っており気心も知れ、それによるわがままが双方出ただけで、すぐに互いに謝罪しあい元に収まっている。ちょっとした常識の違いでぶつかったのだが、常識だと思っていることが他の人にとっては常識ではないことなど間々あることであり、意外なことではない。私も彼も高齢者の部類に入り、大体は普通の人生を歩んできているしそれほど突飛な生き方もしているわけではないので互いの常識がそんなに異なるとは思っていなかったことが諍いの原因だったようだ。

冷静に考えれば、常識とは自分が常識と思っているだけで、誰もが同じ常識を持っていると考えるのは常識ではないのだろう。そして、それぞれの常識は、それぞれの人の生育環境でまず作られ、社会に出て本当に形作られ、そのあとはそれ以外の常識を受け付けなくなる傾向があると思える。

わかりやすいのが国毎の常識だろう。言語のような物だ。幼い頃から自然に身に付いた言語は母国語としてその人の思考や生活全般の基礎となる。日本の場合、中学校辺りから英語を英語を学ぶとしてもそれを使いこなせる人は専門にそれを使う人以外は居ないと言っていい。ただ、基礎の英語を学んだお陰で英単語のかなりは分かるとしても言語として使っていないために本来の意味とは全く違う単語として覚えている。ルームクーラー、ナイター、ハンドルなどなど。アルバイトはドイツ語だが、日本では労働というより副業の意味でしか使われず、アベックはかつて恋人同士を日本では意味していたが、本来のフランス語では〜と一緒にという副詞だ。つまり、日本で使われている外国語は多くが本来の意味で使われてはいない。

常識というのは、常識のつもりでいて自分が勝手にそう思いこんでいる物が非常に多いのだろうと思うようになった。

日本人に、ルームクーラーと言うな、エアコンといえ、ナイターと言うな、ナイトゲームといえというのは意味がないだろう。なにしろ、これらの言葉は外国風の日本語なのだ。

さて、脱線したが、一度身に付いてしまった自分の常識を変えることはなかなか難しい。他の人の常識が間違っていると考えがちなのだが、それぞれの人の数だけそれぞれの常識があるのだと考えると気が楽になる。と言うことは常識などと言う物はないのだと割り切るのも一つの方法かも知れない。そうすれば、諍いなどもかなり減るのではないかと、思った次第だ。

by ロクスケ











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出来ないと決めつけない

言うまでもないことだが、誰でも得意不得意があり、同じ事をしてもかかる時間や完成度は人によって大きく異なる。まして、専門家と素人では比較すら無意味なほど違うのであり、だからこそまた専門家としての価値があるのだし、それで収入を得るのも全く当然だろう。

しかし、だからといって生活の全てを専門家に任せることなど出来ない。多くの家庭では食事はその家で作るのが当たり前だから、食材をスーパーや小売店で買い、ホームセンターや専門店で買った調理器具を使い料理を作る。これも長年続けてきた人と、今までやったことがないのに見よう見まねでやる人とでは同じ材料を使っても到底同じ料理とは思えないほど違ってくる。また、多くの人にとって、いわゆるお袋の味は幼い頃からそれで育ったのだから他の何処へ行っても味わうことの出来ない味となる。味覚は極めて個人的な感覚であり、それによる好みは千差万別なのだから当然だ。

さて、いつも通り話が回りくどくなったが、日々の必要なことだから専門家に任せず自分でやる作業は、慣れてくると専門家はだしの腕前になるのが普通で、料理などその一例だと言いたいわけだ。掃除や洗濯、家庭菜園などなど考えてみればそのような例はいくつもある。専門家に頼むことも無論出来るし、できあがりは非常にすばらしいが、専門家にしてみればそれでお金をもらうのだから品質には最良の物を提供し責任を持たなければならない。一方、自分でやる仕事は(もちろん専門家として収入を得る手段の仕事のことではない)例え結果がまずくともまあ自分で納得ないし我慢が出来るならそれでよいし、結果に責任も取る必要はない。何しろ自分でやったのだから文句も言えず、焦げ臭いご飯やしょっぱすぎる煮物を噛みしめることになる。

さて、普段やらないこのような仕事として最近私が始めた作業を例にしてみたいと思う。実は家の外壁塗装がかなり傷んできていて、指でこすると粉がつく状態になっている。これはチョーキングという現象で、塗装がその役目を果たしていない状況なのであり、早急に塗り直しをしなくてはならない。しかし、一般的にこのような家の外壁全面の塗り直しを業者に頼むと、数十万円かかる。そこで、自分でやることにした。

ネットで自分で塗る方法を学び、それにしたがって塗料を選び、ネットで購入した。結局他の機材、刷毛やローラー、足場用木材などひっくるめて10万を切ったし、多く塗料が余ったり結局使わない機材もあり、おそらく実質5万で出来たと思う。塗料はかなり良質の物を使ったし、十分に手間をかけ、高圧水洗浄機(ネットで2万強)で汚れを洗い流し、下塗りを一回、上塗りを2回施して、遠目には実にきれいにできあがった。遠目とは、近寄ってみると塗りむらなどが目立つからだが、そこは目をつぶるとして、これで数年は安心出来る。数年後に又自分で出来るほど身体が動くかどうかは分からない。が、自分でやる気になっている。

仏間に使っている部屋のおそらく床下の木材が腐ったかして折れ、仏壇が大きく傾いてしまったので、これも11月中にでも自分で直すつもりだ。最初から業者に依頼するつもりはないが、多分数十万くらいかかるだろうから、土台を作り床下の木材を交換し、床を張り替える。多分10万以下で出来るはずだ。古い家なので方々にガタが来ているが、殆ど自分で修理している。

私の場合、物作りはやるが家の修理や外壁塗装などは全くの素人であり、本来なら専門家に頼むのだろうが、出来るなら自分でやってみることにしている。専門家には遠く及ばなくても、自分では十分に納得出来る結果が得られていると思う。普通の体力があれば、50代の女性でも同じ事が出来るだろうし、家族が協力してやればもっと効率的に出来るだろう。

業者には悪いが何でも自分で出来ないかどうかを最初に検討してみて、一応は自分でやってみることをおすすめする。ただし、十分な知識がなければ電気工事や水道工事は失敗が事故につながるので、業者に頼むべきだろう。屋内工事は自己責任で自分でやっても良いので、私の場合は自分でやるが。

by ロクスケ











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迷惑な思いやり?

自分では若いつもりでいるが世間一般の見方からすれば私はすでに高齢者の部類だ。とうぜん、付き合う相手も高齢者が多いが、実に様々な年齢変化があり驚くほどだ。例えば20歳の頃は、個性や性格の違いはあるが、多かれ少なかれ同年代の人間達は20歳の年相応だった。が、今、同じ年代だと分かっていながら、大げさに言えば数十歳の開きがあるような感じがする。本当に老け込んでしまっている人もいれば、外見は確かに高齢者なのにまるで青年のような人もいる。同じくらいの年月を生きてきたはずなのにこの違いは何だろうといつも不思議に思うのだ。

若々しい人の共通認識は、年を取れば自分でも老けた考え方をするのだと思っていたが、20代30代の頃とあまり気持ちは変わらないと言うことだ。

無論、生理的な変化は当然あり、体力的にも20歳の頃に出来たことが今は出来ない、昔は全力疾走が出来たのに今は気持ちだけ有っても脚が動かない等の違いはある。が、それは通常の人間の生活ではあまり大きな違いではないのだ。

私個人で言えば、前にも書いたことだが、40代の頃などよりはよほど体力がある。象徴的な思い出として、出張で地方都市に行ったとき、朝散歩をしていて有名な神社に行ってみた。そこには数十段かの石段があって、それほど勾配はきつくはない。そこで上ってみたのだが、途中で身体が言うことをきかなくなった。息が上がり、どうしても上れない。せいぜい2,30段上ったくらいだったのに。

30代の頃だったと思うが、友人と富士登山に行き少し歩いて空気の薄いせいもあるだろうが、とうてい上れるものではないとあきらめた、と同時にあまりの体力の無さに愕然とした。

今、同年代の中ではかなり体力があると思うし、私の30代、40代の頃よりもあると思っている。風邪をひかない、疲れない等の面もあるが、それを実感したのは昨年京都に行ったとき、有名な京都駅の大階段を上ってみた時だ。ちなみにあの階段は170段あまり、高低差35mで、11階のビルの高さに相当する。

一度も休むことなく一気に上まで上れた。時間は多分十数分だったかと思うが、測ったわけではないのではっきりしない。息は上がったがすぐに回復したし、別に疲れが残ったわけでもない。日頃の生活でも体力が無くて疲れるという自覚は無い。かなりの重労働も特に問題なくこなすし、先日も仏間の床の張り替えや、その前の家の外壁塗り替えなど、出来ないかも知れないなどとは全く思わず、そして実際問題なく出来た。

多分この体力の故もあるだろうが私自身年を取っているという自覚がないのだ。端からどう見えようと、私自身は若いつもりでいる。そして今の高齢者にはこのような人は結構多い。体力的に若い頃出来たことが出来なくなったとしても、経験で若い頃出来なかったのに今は楽に出来ることがたくさんある。特にメンタル面ではそうだ。まあ、自分でそう信じ込んでいるだけかもしれないが。

むろん、自然の摂理として永久に生きるわけではないしいずれ老化するのだろうが、自分が老け込んで当然だと思っている高齢者ばかりではないのだ。

さて、本題だが、高齢者を見ると一般の人たちは例外なく高齢者とは自分でも年を取って判断力も体力も衰えを感じ、若い者としてはそれなりに接しなければならないと思いこんでいるらしい。特に医療関係の人に多いのだが、まるで子供に話しかけるような話し方をする事が結構多い。またお元気ですね、などと励ましているつもりなのだろうが、自分で元気だと思っている高齢者には内心腹立たしいものだ。元気かそうでないかは歩き方や話し方、姿勢などで分かるだろう。それも無視して一様に老人保護をされるのではむっとするが、とは言え別に悪意があるわけではないのだろうから、いちいち指摘はしない。

また、実際老け込んで人の助けを必要とする高齢者は多いし、いたわられてうれしいと思うのも当然だろうが、私のようなへそ曲がりも結構多い。大体は姿勢や動き全体、表情、話し方などでその本人が自分を老け込んでいるかまだまだ若々しいと思っているかも判断して欲しいと思う。繰り返すが、年を取ってみても中身は20,30代とあまり変わっていないと思っている高齢者も結構居るのだ。

by ロクスケ











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伝統工芸

私は元々は電子製品の設計製作が中心だが、やっていることは木材、金属、プラスチックから布、紙、皮など等色々な物の加工をする。そのようなことをもう数十年やっているので、素人と言うべきではないのだろうが、なにしろ何でもやるので、結局なんの加工にもそこそこ以上の技術はない。広く浅く出来るのが特徴であって、本当に技術の必要な加工は専門家に頼んでいる。それで出来る仕事なのだから構わないのだが、その専門技術を持った人たち、いわゆる職人達の仕事を観ていると、本当に人間業かと思えるような技術を持っているのが普通だ。

もちろんその人達は、木材なら木材、鉄なら鉄、それも加工の方法も極めて専門的な分野で数十年の経験を積んできているわけだ。

たとえば、私も必要に迫られて木工用、あるいは鉄鋼用の刃物などを作るが、その仕事が終わればもう用はない、つまり使い捨てくらいの物しか造らない。しかし、専門家に頼むと、それこそ孫子の代まで使えるような刃物を作ってくれるのはうれしいのだが、とにかく高い。高いのだが、その仕事、その加工は殆ど一度きりなので、実は頼む方は困る。なにしろ一回使えればよいだけの物なのだが、専門の職人さんはそのような物は造ってくれない。

ということなので、私が持っている道具や工具は極めてちゃちな物ばかりで、凝り性のアマチュアの方がよほどいい物を持っている。鉋を例にしても、そこら辺のホームセンターで2,3千円で買えるような物であり、何とかの名人が作った数万、数十万円もするような鉋ではない。なにしろ、私の腕では、そんな鉋の手入れは出来ない。無論使いこなすことも出来ない。刃の研ぎ一つとっても私はそこそこ切れればよいというだけだ。そんな芸術品のような鉋で数十年の経験を持つ職人さんが、極上の木材を削ると、それこそ顔が映りそうなほどなめらかに削れるし、その鉋屑は向こう側が透けて見えるほど薄い。

だが、日常で使う物は芸術品ではないし、現代では機械加工が殆どで、その機械加工でも十分役立つ製品が作れる。値段は、何十年も仕事をしてきた職人がより抜きの材料を使って、名人上手の作った道具で時間をかけて作り上げた製品の場合によっては100分の1もしないだろう。しかし、実用性、使い勝手、寿命はおそらく殆ど同じか少し劣る程度なのではないのか。となると、名人の作った芸術品のような製品は、まさしく芸術品なのであってそのために作られ、売られていると考えた方がよいのではないのか。

私は芸術家ではないし、芸術品としての木工製品を作るつもりはない。

伝統工芸ではあくまで伝統の技術、伝統の道具、伝統の材料を使って作る。タンスなどもそのようにして作られた製品は実に美しい。が、そのタンスが作られ始めた頃、すなわち100年、200年前には電動工具はなかったし、合成接着剤はなかったし、積層板もプラスチックもなかったから、当時はそれしかなかった天然材を、手作業で作るしかなかったのであり、現在狂いの少ない積層板、丈夫な接着剤や塗料、何百分の一かの技術で使える様々な電動工具や特殊鋼の刃物、機械類がある。私はそれらが使えなかった時代の技術で造った物が今の物より優れているとは思わない。ただし、自己満足のため、芸術品としての伝統工芸は価値があると思っている。それ以外の意味はないと思っているのだが、むろん、幾分かは私の技術の貧弱さの言い訳だろう。

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何とも困った人

知り合って2,3年の人で、私より年輩のある方。割合頻繁に会う機会があり、つい先日も食事を一緒にした。実は、最近少々この人と会うのがおっくうになっている。が、最初に非常にお世話になり、親身に世話をしていただいたこともあって、何かにつけて会うことが多い。

もともと、非常に面倒見の良い人で親身になっていろいろやってくれるので心から感謝しているのは今でも変わらないのだが、最近特に気になるのは非常に物忘れが多くなり、それに比例して被害妄想が増えてきたような気がする。もしかしたら、認知し・・・とも思うのだが、その人の家族とはべつに親しくもないし、周囲の人たちで共通の親しい知人もいない。

出会ったときもかなり物忘れの多い人だとは思っていたが、最近は何度も念を押したことを忘れ、約束したことがなされない、逆に私が念を押して行ったことが頼みもしないのによけいなことをするみたいな言い方をされ驚いたことがある。私もむろん物忘れはするので、しばらく前から話して約束をしたことはメモに取り、それを渡すようなこともするが、そのメモ自体を見忘れたとか見ていないと言うのでは対処の方法がない。

自分でも最近の物忘れは自覚しているのだろうが、そうなったらなおさらメモを取るとか第三者に立ち会わせるなどのやり方があるだろう。しかしその人がメモを取っているのを見たことがない。忘れたら仕方がないとのスタンスのようだ。

聞いてみると、ずいぶんそのようなトラブルを経験しているらしいとは、たまたまその人のことを知っているある第三者からだ。何かの契約をして、その契約内容を、本人曰く確認しないまま相手を信用して判を押し、トラブルになったのが、結局は本人が確認をしていることが証明されまるまるひっかぶったと言うことだが、伝聞なので事実かどうかの裏付けはとれていない。

が、さもありなんと思う。物忘れで不都合があるのは事実なのだが、それを自分で改善しようとしない。忘れたのだから仕方がないというのでは、結局満足な社会人としての責任を求められることが無理なのだ。

そして、被害妄想がひどいと思い出したのは、何か不都合があると誰かの責任だという事が増えたからなのだ。これは最近になっていやに気になりだした。むろん何かの不都合は誰かの責任かもしれないが、その時点で最優先すべきは、とにかくその状況を解決することだ。必要があれば、誰かに責任を質すこともいるがそれはその責任の所在が証明できる場合に限る。誰かの責任だけれど証明できないから仕方がないと言うくらいなら、責任追及など意味がないし、第一それが誰かの悪意に基づいた物ではなくよかれと思ったことが失敗した、うっかりしただけだったなど、悪意とは無関係の場合が多い。それならなおさら、責任追及は無意味ではないのか。むろん、教育ならそうは言っていられない。子供のしつけや新入社員に責任を自覚させるのは必要だが、一般の社会人同士でそのようなことはあまり意味がない。

その人と話をしながら、物忘れは人間である以上仕方がないとして、それに対する改善方法、つまりメモを取り整理するなど、何度も記銘するなどの対策をとらないとしたらそれこそ無責任だろうと思った。

そのうえで、何かの不具合をいの一番で人のせいにしていたら、そんな改善策もとれないだろうし、ますます社会参加が出来なくなってくると思うのだが。

by ロクスケ











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楽しみとは何か

人それぞれ好きなこと、やりたいこと、夢中になることがそれぞれ違うのは当然なのだが、私の場合も自分では当たり前と思っていながら客観的にはかなり偏っているのだろうと思うことが多々ある。むろん、だから人に会わせようなどとはつゆほども思わないが。

たとえば私は何か旨い物を追い求めるという意識がほとんど無い。幼い頃から味覚が家族の中でも一人だけ変わっていて、とにかく味付けの濃い物が苦手だった。普通、人は幼い頃に食べたものが基本の味覚になり、そのころの味覚が生涯その人の一番安心する味付けになるのだという。

だとすれば、私だけが幼い頃から家族で一人だけ極端な薄味好みだったのは親も不思議に思っていたようだ。なにしろ、北国の一般的に濃い味付けが普通の地域であり、当然ながら家族、即ち祖父母、両親、兄姉共に濃い味付けが当たり前だったが、私だけはみそ汁を薄め、漬け物は一人分水で塩抜きをし、納豆でもお浸しでも醤油をかけず、煮物はしょっぱいとほとんど口を付けなかった。仕方なく母親は私一人分のおかずだけ味付けをほとんどしないで作っていたが、どうしてそうなったのかは誰にも分からなかった。

社会人になり、おつきあいで外食をするときは普通に食べるが、外食はほとんど味付けが濃すぎ今でもすきではない。だから自分で作るようになり、相変わらず味付けはほとんどしないので、私が作ったものを食べるほとんどの人が味がないという。おかげさまで塩分の採り過ぎなどは全く無関係で血圧もすこぶる正常だ。

つまり美食は私にとってはべつに何の意味もないが、むろんまずい物を食べるのが好きなわけではなく、私なりに工夫し旨い物を作って食べるのは言うまでもない。つまり私なりに味覚を満たす物という意味だが。

着る物もとにかく無頓着であり、基本的に夏も冬も同じ物を着ている。真冬でもシャツ一枚で平気だし特に寒くもない。おかげさまでこの2,30年風らしい物を退いた記憶がない。もちろん、会社勤めをしていたときは一人前に背広を着ていたが、今は作業服しか着ない。新しい内は外に着て歩き、汚れてきたら作業用にする。

テレビは一切観ない。見ていて面白いと思うことがないし、むしろばかばかしくて腹が立つ。わざわざ時間をかけて腹を立てるのはばからしいので今はテレビを処分して久しい。全く音がしないのは気が散るのでラジオをかけっぱなしにしているが、結構聞き流している内容が記憶に残っていることがある。

前は飲んだが今は酒を全く飲まない。たばこも一切吸わない。競輪競馬宝くじ一切興味はないしパチンコ麻雀、碁将棋などなど一切やらない。

他にもいろいろあるが、人が楽しみにしていることの多くが私には興味がない。まあ、これで楽しいのか、と人は見ているようだが、結構楽しい。なにしろ、明日何をしようかと考えるだけで楽しい。これはこれでずいぶん得をしていると思っている。

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うれしいこと

先日、病院で血液検査や尿検査を受け、医師に全く何一つ問題がないと言われた。何しに病院に来たとでも言わんばかり、ではなかったが医師としても意外だったようだ。以前もちょっと不調で病院に行き結構検査をして、そのときは検査結果に2,3項目のごくわずかの不具合があったが、この程度なら生活改善をすれば問題がないと言われたし、この状況では病気などとは言えず、当然治療の対象ではないと言われた。

その時から確実に年を取っているのに、更に健康状態が良くなったと言われれば悪い気はしない。実際、全く風邪も引かないし、体を動かすにも全く不具合はない。精神面でも自覚する限りべつに問題はなさそうだし、脳活動も自分では特に昔に比べて能力が落ちたとの自覚もない。まあ自分でそう思っているだけかもしれないが、記憶力がこの何十年かで衰えたとの自覚がないのは事実だ。むろん、子供時代の記憶力とは比べるべくもないが。


私の財力は非常に心許ないが、なぜかあまり悲観的にはなっていない。おそらく周囲の高齢者達が、金はあってもその金を使う体力がないと嘆いている人が多すぎるからではないのか。確かに、中には週に何日も病院通いをしている人がいるし、買い物一つままならず、家から出ないでテレビばかり観ている人がいる。そんな生活では嫌でも体力も知力も好奇心も感受性も摩耗してゆくばかりだろう。

無論、何に価値を置くかは人それぞれであり、自分の判断が一番優れていると言うつもりはないが、私にとって、健康を維持し、体力を維持し、好奇心を絶やさないことが一番大切なことだと思っている。美食を追う趣味もないし、着飾る趣味もない。骨董品を集める趣味もないが、それはそれが大切だと思う人に任せるとして、私自身は自分の足で行きたいところに行け、必要なら家の改装でも庭作りでも自分でやれて、好きな本を好きなだけ読める、作りたい物を作る生活を優先しているわけだ。そのためには健康体力が何より重要だと考え、数十年前から心身共に生き生きと生活するための努力をしてきた。今、その選択が私にとっては何より正しかったと確信している。まあ、もう少し金儲けに努力をしておけばと考えることもあるが、今べつに困ってもいないのでそれは深刻な問題ではない。

老後に何を大切にするかは人それぞれだ。が、私の場合、病気もなく、医師に来る必要はないと言われる状態が最も大切だと思っている。それによって得られる物が計り知れないほどだからだ。

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なぜ引っかかるのか

先日日本年金機構のシステムがウィルスに侵入され、個人情報が125万人分以上外部に流出したそうだ。その報道が流れたとたん、全国で年金番号を調べ直すから教えろとか、振込先と番号を教えろなどの電話が数百件主として高齢者にかかってきたとのこと。そして、実際に70代の女性がその電話にだまされ、300万をだまし取られたという。

それでなくとも振り込め詐欺の被害がいっこうに無くならないし、さらにネット詐欺や投資話の詐欺など、ひっきりなしに報道される。なぜ、こうも簡単に詐欺に引っかかるのか、私には分からない。

心理学の専門家に言わせれば、詐欺師は、被害者に考える余裕を与えず、感情的にコントロールすることに長けているいるのだそうだ。たとえば、子供が事件に巻き込まれ、どうしても緊急に金が要ると泣きながら訴えると、助けなければならないとの思いが先に立って、相手が本当に子供かどうかなどと疑う意識をもてないと言う。

あるいは老後の生活のために厳しい生活の中から貯金をしたのが、儲け話を持ちかけられそれを増やせるならと、うまい話にだまされてしまう。一度思いこんでしまうと、人が忠告したくらいでは気がつかない。

金融機関の窓口などでも不審な行動をする高齢者に、それはもしかしてだまされているのではないか、息子さんに確認してはどうかと勧めても、よけいなお世話だと逆恨みされることが多々あり、最終的にだまされてから老後の金がなくなり、家族から責められて自殺をしてしまったなどと言う悲惨な話もある。

どんなに警告を受けていても詐欺被害の手口を聞いていても、それを全く意識に止めていない人が大勢いる。またそれは人ごとで自分は大丈夫だと思っている人もいる。

詐欺は、そのように思っている被害者をだますのだ。一流会社の経営者などが、十分に社会経験を積んでいるはずなのに詐欺にだまされる話はよくある。地方自治体が詐欺師にだまされ、金をごっそり盗られ話もある。

むろん、だます奴が一番悪いのは当然だが、だまされた方がそのために生きて行けなくなるような話を聞くにつれ、これだけ繰り返ししつこいほどの警告があふれているのにだまされるのは、酷な話だがやはり自分の責任なのだろうと思うことがある。

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なぜ被害が収まらないのか

かつて俺俺詐欺と言われ、今では振り込め詐欺とされている詐欺が後を絶たない。中には70代の女性で、一億五千万円もだまされた人がいる。振り込みが警戒されるので、今では現金を宅配便で送るように指示されたり、代理の者と称する人間に手渡したり、中には、飛行機などで地方から東京に呼び出されて現金の手渡しをしたりしている。

これだけ政府や警察が詐欺の実例や手口を細かく広報しているのに、なぜ被害に遭うのか、そして一般人は見たことも触ったこともない一億五千万円も騙し盗られるのか普通の人には理解が出来ないのではないか。被害者は大半が高齢者なので、判断力が衰えているから、と一言で片づくようなものではないし、中には20代でだまされるケースもある。

前にも書いたが、理由として、一流の詐欺師は、被害者に考える余裕を与えない、まずパニックに陥れる、何重もの罠をかけるなどが挙げられるが、一言で言えば、詐欺師はプロだが、被害者はアマチュアだと言うことにつきるのだろう。まして、日本は世界でも希有なほど信頼で成り立っている国だ。たとえば、外国人が日本に来て驚くのは、道を聞いたりすると日本人は親切に教え、言葉が通じない場合はわざわざ連れて行ってくれたりするというが、むろん外国でもそのような例はある。が、基本的に見ず知らずの人間にはうかつに近づかないのが基本であり、道を尋ねる振りをして仲間がスリを働いたり人の居ないところに連れ込んで強盗に変身するなどがある。日本では各家に表札が出ているのが普通だが、海外ではほとんど無い習慣で、知っている人間は最初から表札など無くても訪ねてくるから、表札を便りに来る人間は見ず知らずの者であってどんな悪意を持っているか分からない。また単にベルを鳴らしただけで全く無警戒にドアを開ける日本人の警戒心の無さは理解出来ないとも言う。

実際、地方などでは普段玄関に鍵をかけないなど当たり前だし、寝るときや留守にするときでさえ施錠しないケースがたくさんあって、中国からの窃盗団が主として地方で被害を拡大させているのもそんな理由があるからだそうだ。

日本では、疑う理由がなければ信ずるというのが普通で、海外では信ずる理由がなければ疑うのが普通なのだと聞いたことがある。おそらくそれは本当なのだろうと理解できる。実際、海外では一度信頼を得れば非常に親切なのだが、その信頼を得るまではかなり時間がかかると言うことは、少ないながらも自分で実感している。

日本にも、人を見たら泥棒と思えなどということわざがあるが、実際それが実践されているケースはないのではないか、だからこそ、それほど警戒心の乏しい日本人をいさめるために、そんなことわざがあるのだろう。最初から他人は信用するなと教育されている国々には、そんなことわざなど無いだろう。

だからこそ、前述の振り込め詐欺など、きわめて日本的、日本でしか考えられない詐欺なのだそうだ。海外でも詐欺はあるが、大半が投資詐欺であり、潜在意識レベルから人を信用する日本はそれをついてくる詐欺が大繁盛というわけだ。人を初めて遇ったときから信用するのは決して良いとは思わない。むろん、最初から猜疑心しか持たないのでは人間関係も作れないだろうが、無条件で信頼できる根拠がないのに信頼するのは単に愚かだと言うことだ。信頼した結果だまされ詐欺に遇うのは、結局自分の愚かさが招くのだと認識すべきではないのか。むろん、だます奴が一番悪いのは言うまでもない。

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出来ないことを嘆かず、出来ることを期待する

何度も書いていることだと思うが、人間誰でも年を取る。私も例外であるはずがなく、当然ながら私の友人達も同年輩が多い関係上、周りは年輩者だらけになる。また、年と共に興味の対象が変わってくるのは当然であり、私が若い頃夢中になった事を今の若い世代は知らないしそして今の若い世代が夢中になっていることは私たちには興味がない。

こんなことから若い人間達が出来るからと言ってうらやましいと思うことなどほとんど無いが、たまに同年輩の人間達が言うのは、若いと思っていても知らない間に頭は固くなる、物覚えは悪くなる、体は動かなくなる、つくづく年を取るのはつらいと言うことだ。

私はそのように感じたことがないので、ただふんふんと聞いているだけだが、無論私も若い頃より身体能力が落ちたのは知っている。が、そもそも若い頃から身体能力がそれほど高かったわけでもないし、今の能力で別に不便は感じていないからだが、それこそ人それぞれであり、中には100メートル 歩くのも面倒くさいとか、新しいことは覚えられないから本も読まないとか、一日中テレビの前にいるなどと言うのを聞くとなんともったいないと思う。

それも人それぞれなのだから私がとやかく言う事ではないにしろ、私には無駄に出来る時間がないと思っている。テレビの前で時間を無駄にするなど到底出来ず、そんな時間があれば外を歩き回る方がよい。気が向けば5キロ10キロくらいは歩くし、別に疲れもせず、むしろ悪天候などで歩かない日があると、身体がすっきりしない。

家にいればほとんどパソコンに向かっているか工作室で何か作っているか、あとは掃除洗濯炊事などをしているのと、まとまった時間があれば何かを書いているか本を読んでいる。あと、外国語を相変わらず勉強している。上達しているかいないか定かではないが、飽きることもないのだから無駄ではないだろう。今の私の年で、数カ国語が話せても、それも不完全なレベルで話せても別に仕事の役に立つわけではないが、私の性に合っているのだろう。それに、語学学習は頭のトレーニングになると聞いてからますます続ける意欲は盛んになっている。少なくともテレビの前にいるよりは楽しいし、少しでも進歩していることが自覚できれば励みになる。

何かをやることで将来いろいろなことが出来るようになるというのは、主として若い内のことであり、年輩になってからはあくまで自分の世界が広がるための行為だと思っている。同じ時間を過ごしながら、ぼんやりと何も見ず何も聞かず、何も感じずに生きているのなど無駄の極みだと思うからだ。だから、同年の年輩者達が、やることがない、何をやってもそれが役に立つわけではない、と言うのを聞くと体力を維持し自分で色々出来て考えて感動しながら生きないなら、もう人生の意味がないだろうと内心思う。思うがむろん口には出さない。口に出して納得するくらいなら最初からそんな生き方は しないだろうからだ。

長年生きてきた間に蓄積した経験は膨大な物でありその間に学んだ物はやはり膨大なのであって、それを土台に自分自身の人生を楽しまなければこれほどもったいないことはない思う。とうぜんだが、これは若い世代でも同じ事だろう。

by ロクスケ











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社会参加

私自身は、人と交わるよりも一人で好きなことをしている方がよほど落ち着くが、会社勤めをしていた頃は嫌でも人との関係に気を遣い、それなりに人付き合いはそれほど下手ではなかったと思う。まあ、思っているだけだが。

しかし、私の周りの同年輩の人々は、ほぼ例外なく会社を辞めて一番応えたのが人付き合いが無くなったことで、何をしていても一人だと張り合いがないから、飲み屋に毎晩出かけて鑿仲間と会ったり、地域のサークルなどに出るようになったりする、と言っている。一人でいると、自分が全く社会から当てにされていないような気がするというのだ。

なるほどそうだねぇ、と相づちは打つが、それも人それぞれだと思う。自分では人嫌いのつもりはないし、外で近所の人にあったりすれば挨拶もするし世間話もする。買い物に行って店の人ともけっこう話したりしているし、スーパーのレジの人達ともレジ打ちの間世間話をしたりすることもある。私にとって人とのつきあいはそれくらいで十分であり、あとは物作りや読書、語学、ネット、散歩などなどやりたいことが無数にあって十分生活は充実していると思っている。

が、そんな私でも年貢の納め時はあるもので、ついに町内会の班長を仰せつかった。とはいえ、判の世帯数は20世帯くらい。殆どが会社つとめであったことのない人も大勢いる。誰が何処で何をしているか関心を持ったこともないが、班長になれば回覧板を回したり町会会費を集めたり、ゴミ出しの世話をしたりで忙しいとは言わないが今までの班長さんにもずいぶん世話をかけているのだと改めて知った。

まあ、一年間やらなければならないが、近頃は若い世帯などでは町会に入らない人も多いし、マンションなどではいつ誰が来て誰がいなくなったかも分からない。大体に於いてマンションやアパートなどの人達は町会には入らないようだし、強制的に入れる権利もないと町会会長が嘆いていた。

実際、入る人がいなく、町会自体が消滅してしまったところもあるという。

昔は町会というのは個人にとっても大切なコミュニティだったと聞くが時代は変わったものだと痛感するこのごろだ。

by ロクスケ











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