雑学など



ADHDに対する一般的な認識
コーヒーカンタータ
現代用語の基礎知識続き
今だから笑える失敗談
NHK朝ドラのヒロインたち
ADHDをマスコミで取り上げるとき
雑学のすすめ
枯れ木に花を咲かせましょう!
信長、秀吉、家康
雨のち晴れ、時々曇り・・・
音の聞こえかた
ロックアーティストとADD/ADHD
ひとりごとって、いけないこと?
似て非なるもの
天才棋士加藤一二三
夢について
幽霊がいるので、ゴミ捨ては駄目
ココだけの話
大人になってADDとの診断され過去は説明がつくのか?
ゲーム脳
障害者職業センターでの職業訓練
親の会に出てみると
あちこちにお出かけしています
ADHDの痴呆老人介護
私の、私の彼は英辞郎
パソコン自作の薦め
私たちはポスペの飼育は難しい?
AD/HDの息子を持つ母親です
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タバコのポイ捨て禁止条例
パイナップルを食べると不妊症になる!?
肩こり
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ほくろ
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夢を100個書いてみる
ついている人とは?
悪あがき
ハルウララ
文書で意志を伝える難しさ
年金問題やイラク問題の裏に隠れていたこと  (1)
年金問題やイラク問題の裏に隠れていたこと  (2)
未だに根強い偏見
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わかれば教えてください
当事者が会を作ってミーティング!
百聞は一見に如かず
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夏を乗り切るために 1
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夏を乗り切るために 3
モグラ考
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発達障害を語る上での障害
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2011年、テレビ放送は全面終了すべし!
パンツを作った
H2Bロケット打ち上げ成功
パソコンのバッテリーパック
読書感想文 〜WingBrain発行の本を読んで
個性という言葉の意味
天才じゃなかった私は如何に生きるべきか
発達障害とサイボーグ技術
便利道具
団扇の話
技術立国・日本の未来 (NEW)







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--> ADHDに対する一般的な認識


 下記は、現代用語の基礎知識(自由国民社版)2001年版によるものであるが、著作権の問題があるので、そのまま転用は出来ない。抜粋のみである。

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 ADHDは、微小脳損傷と思われていたが、現在では症状だけで、注意欠陥/多動性障害という診断名が定着している。ただし、()内は私の補足

 集中力に欠ける多動である暴力的である(寡動性に触れていない)

 中学生ぐらいで多動性はなくなり、ADHDもめだたなくなるが、一部青年期まで続く。一部は行為障害、反社会性障害に向かう人がみられる。(反社会性障害は、APDの場合であり、ADDとは違う。両者が混同されている)

 神戸小学生連続殺傷事件の少年AもADHDであったと考えられる。(これは後に否定されているはずで、彼の場合は行為障害とされている。ADDかどうかは事実として報道されていないのではないか)

 ADHDの子どもの診断はきわめて重要でクラス崩壊とも結びつくもので、ほかの子どもの不登校を引き起こすという意味でも十分な診断と対応が必要である。(寡動性の場合、学級崩壊には結びつかず、また他動性でも他者に暴力を振るうと言うことではない)入院を辞さないというところまでいかないと、ほかの子どもたちが怖くて学校に行けないという状況になある。(つまり、ADDは隔離しなければ、他の生徒が恐怖におびえるということ。意図しているかどうかはともかく、なんらかの悪意さえ感じられる)

 小学校三年生くらいまでにその診断がつけられることになる。薬物療法としてリタリン、あるいはカルバマゼピン、デパゲンなどが投与されるが、薬だけで十分静かになるというのは難しいものであり、やはり治療者との一対一の、ないし少人数での治療が必要である。(静かにさせることが治療の目的であり、本人の才能を伸ばそう等という観点は無いようである)

 原因としていちばん有力なのは大脳辺縁系、つまり側頭葉の障害が考えられているが、十分に証明されてはいない。しかし脳波異常は六〇%と高くみられ、何らかの脳の障害であることはいま現在、一般的な考えとなっている(ADDの原因は100%解明されてはいないが,前頭葉の機能不全という説が有力。側頭葉も関連はあるだろうが、一般論とは言い難い)

 多少遺伝性といわれている。(先天的な障害で、100%遺伝性という説が有力。ただし、後天的な原因が同等の障害を生み出す可能性も言われてはいる)

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 これは、一つの見方にすぎないが、現代用語の基礎知識とあるからには、それなりに専門家の意見を採り入れて書いているのではないだろうか。やはりこのような本にこのような解説が載ると、一般論として普及して行く原因にもなる可能性がある。むろん、他には悪意や揶揄としか思えない解説もあるが、それは一々反論する意味もない。

 ADDの原因は現時点では100%解明されていないだろうが、症例として、上記の説明は明らかに違う。客観的事実として、やはり正しい知識を広める必要はあるかと思う。原因については、関係者全てが模索中であろうが、一番納得できる説を採り入れて、知識の普及を進める一方、新しい発見があれば積極的に採り入れる必要があるだろう。そのためにも多くの情報に触れて我々自身が知識の収集に努める必要があると痛感する。

 


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コーヒーカンタータ

 次は、mogurinさんが、私たちのBBSに書き込んで下さった物です。面白かったので、mogurinさんにお願いして、転載させていただきました

そういえば、バッハの曲にコーヒーカンタータという声楽があります。そのころはやっていたコーヒーという飲み物にはまった娘を、父親がいさめるという内容なんです。そんなにコーヒーばかり飲んでいると嫁のもらい手もいなくなるよお前。コーヒーをやめさせられるくらいなら結婚なんかしませんわ、お父様。といった具合です。300年前のドイツにもADDがいたみたいですね

 今、読んでいる本ですが「放浪の天才数学者エルデシュ」(草思社)これがとんでもない人で、完璧にADHDかADDの徴候を持っているんですが、数学の天才なんです。どこにも所属せず、定住地を持たず、鞄ひとつぶらさげて、世界中を放浪し、一日19時間数学の問題を解き続けた。83歳で死ぬまでに、発表した数学の論文は1500。有史以来どの数学者よりもたくさんの難問を解き、しかもそのどれもが学術的に重要な問題であったといいます。悩める奇才ゲーデルを励まし、アインシュタインを感服させたという男。子供とコーヒーと、数学ひたすら愛し、史上最高の数学者にして宇宙一の奇人……以上本書より。このエルデシュ、母親が死んでから彼自身がなくなるまで25年間、10から20ミリグラムのベンゼドリンやリタリン、強いエスプレッソコーヒー、カフェインの錠剤の助けを借りて、一日に19時間、問題を解き続けたとあります。「数学者はコーヒーを定理に替える機械だ」というのが彼の決まり文句で、友人達がもっとペースを落とすようにと忠告すると「休む時間なら墓の中でいくらもあるさ」と答えるのです

 とこんな過激な人もいたという話です。僕はスローペースでいきますが。

 by mogurin


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今だから笑える失敗談


 まだ、Addと診断される以前の事。ある日、家族でブラリ、商店街にショッピングに行きました。当時、ちょっと肌寒くなり始めた頃、スプリングコートが欲しいなあ・・と思っていました。一軒の店先に丁度良い生地で出来た、私の好きなデザインのコートが出ていました。同じデザインで、薔薇のコサージュが所々に縫い付けてある、可愛いコートでしたが、黒、こげ茶、エンジと三色ありました。デザインは気に入ったものの、一体どの色にしようか、迷い始めました。こうなると、もう大変、頭の中は、三色のコートを着た私が前を行き来し始め、「ウワ〜ン、どの色にしたら良いのかわからな〜い」と散々迷った挙句、店の外で手持ち無沙汰にしている家族にどの色が良いか決めてもらおうと思い、呼びました。「ねぇ、ねぇ、どれが良い?黒?こげ茶?エンジ?」夫は渋々三色のコートを私に合わせながら見比べ「黒じゃないの?」。娘達も「うん、黒が良いんじゃない?」そうか〜、黒か〜。よし、決めたしかし、次の瞬間、私が発した言葉は「すみませ〜ん、こげ茶ください!」・・・・・・・・。皆、ポカンと口を開けたまま、立ちつくし、嬉々と包みを抱えて出てきた私を狐につままれたような顔をして、見ていました。その日一日、家族に総すかんを食らったのは、言うまでもありません。その後、ADDと診断されるまで、何か相談に乗ってもらおうとするたび相手にされず、嫌味たっぷりに言われました。「だって、『こげ茶くださ〜い』だもんな」。

 匿名

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現代用語の基礎知識続き


 ちなみに、2002年版の現代用語の基礎知識、イミダス、知恵蔵のADHDの項目を読んでみましたが、前号書いたようなひどい記述はありませんでした。もしかしたら、抗議でもきてなおしたのかもしれません。

 ですが、相変わらずネガティブなのは同じです。それより、子供の傷害だという点は変わりませんし、適切なケアをすればまともな生活ができる、残された機能を活かして生きてゆけるという調子です。

 ADDは機能が足りないと言うより、別の機能だと考えた方がよいはずで、ただ、その機能が活かされないのは、通常の生活にはあっていないから、また通常の機能と違うので周りと摩擦が大きくなりすぎ、本来のADDとしての機能を発揮できないと考えるべきです。リハビリで、十分にADDとしての機能を活かせるというのが私たちの主張です。そのような視点でADDを見た一般のマスコミ記事にはまだ出会っていません。どなたか、ご存じでしょうか

by ロクスケ

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NHK朝ドラのヒロインたち

 現在出版を前提に協議を進めている株式会社ヴォイスの、出版事業部 編集部 神原隆夫氏がおもしろい話を寄せてくれました。ご本人の許可が得られましたので、ここに紹介させていただきます。

 NHK朝ドラのヒロインたち

 ところで参考になるかどうかは別として最近思うのですが、NHKの朝の連ドラを始めとしてテレビドラマのヒロインってなにか共通項があるような気がしていたのです。

 ■とにかくあわて者で、すぐパニックになりやすい■忘れ物やうっかりミスが多く 周囲から「しっかりしなさい」とよくいわれる■ちょっとしたことで落ち込んだかと思うと すぐハイになるなど感情の起伏が激しい■他人事にすぐ口をはさみ、ことをややこしくする■話が最後まで聞けず、また途中でよく話の腰を折り「そういう話をしているのではない」とたしなめられる■惚れやすくさめやすい■他の人にはない特異な才能、意外な内面の豊かさを持っている そしてそれを認めてくれる人と結ばれるケースが多い■一般的な事務職などよりも専門職をめざすケースが多い

 他にもいろいろありますが、なんかどこかで聞いたような……。

 乱暴な推測ですが、やはりADHDの人って絵になりやすいというかどこか他の人と違う個性と能力を持っていると認識されていたということなのでしょうか。

 また、ヒロイン達が最後は幸せをつかむ構図が人気を博すのはつくる側にも見る側にもそういう人が多いということも表しているような気がします。

 以上、雑談ではございますが、最近の発見です。

 脱線ついでに記憶を辿りますと…

 2002年後半「まんてん」宇宙飛行士2002年前半「さくら」英語講師2001年後半「ほんまもん」料理人2001年前半「ちゅらさん」看護婦2000年後半「オードリー」女優・女将・映画プロデューサー2000年前半「私の青空」管理栄養士1999年後半「あすか」和菓子職人1999年前半「すずらん」孤児院養母1998年後半「やんちゃくれ」新聞記者1998年前半「天うらら」大工1997年後半「甘辛しゃん」造酒屋当主1997年前半「あぐり」美容師1996年後半「ふたりっこ」将棋士1996年前半「ひまわり」弁護士

 というくらいに最近のヒロインを見るだけでも「?」そして「!」の繰り返し……。しかも年を追うごとに前回メールの特徴がどんどん濃くなっていくような。いまのヒロインさくらはアメリカ生まれのアメリカ育ちということもあるんでしょうが、下宿先の父親の浮気騒ぎに対しても状況を確かめる前に介入しようとしていました。

 最初ステレオタイプのアメリカ人像かと思ったのですが味方を変えれば典型的なADDとも。

 民放ドラマでもそうですね。

 火曜日の夜10時8チャンネル、ともさかりえ主演の「春らんまん」も、ヒロインは衝動で給料の半分が吹っ飛ぶマンションに入居。同居人の異性関係に首を突っ込み、ことをややこしくし後先考えずに散財したかと思うと、一円単位の節約に血道を上げる……。

 なぜかドラマの中にはこんなヒロインがいっぱいです。回りの人は大変でしょうけど、こんな人がいると毎日が新鮮で楽しくなることも事実です。ムードメーカーといいますか、いるだけでにぎやかになる人。

 それでふと思ったのですが、もしこの世からADDの人がいなくなったら、世の中は非常につまらなくなってしまうかもしれませんね。もしかしたら、ADDとは重大な使命を持った選ばれた人かもしれない。でないと、10人に1名弱の割合で存在するはずがない!?

 余談の余談ですが、自分のこれまでも振り返りつつ考えてしまいました。ちなみに自分も多分にそういう存在でありました。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーちなみに、私(ロクスケ)がいままで逢った多くの編集者の方々が多かれ少なかれADHD的傾向を持っておられるような印象があります。それが必ずADHDだというのではないのですが、編集という仕事にはADHDひらめきが欠かせないのではないかと思う次第です。

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ADHDをマスコミで取り上げるとき


ADHDのことも最近はかなり知られてきているが、その大部分はマスコミの報道によるものが大きいと思われる。それはそれで、良いことだと思うが、一方画一的なイメージが形作られ、そのイメージが選考してしまう懸念もある。

とにかく、ADHDの人間は部屋を片づけられないから始まり、時間を守れない、金銭感覚がルーズ、約束を守れないと続く。確かにそのような面があるのは事実だから嘘ではないが、ADHDが社会の中で果たせる役目や能力について十分に説明しているとはとても思えない。

以前、某テレビ局から接触があり、取材をさせてほしいとのこと。とにかく逢って話を聞いたのだが、やはり絵になる番組を作らないとオンエアーにはならないとのこと。担当の若いディレクターが拙宅へきて開口一番、ロクスケさんのお宅は、私の部屋より片づいています、とのこと。彼の目には明らかに失望の色があった。さすがに口には出さなかったが、おそらく汚れ放題のゴミが積み重なった部屋を期待していたのではないか。

さらに話し合った結果、昔と比べて確かにいろいろな問題を克服し、それなりに生活を立て直していると言うと、気のせいかがっかりしたような様子が見えた。結局、私が未だに毎日混乱の中で生活している姿でなければ放送に値する内容にならないと感じたのだろう。

それでも、彼自身はADHDについて彼なりに私の説明を理解したようだが、それで実際にゴーサインを出すお偉方は説得できないのではないか。それが原因かどうかは分からないが、話はそれで沙汰やみになった。

その後も同じようなテレビ番組や雑誌記事が発表され、その直後になると大勢の人たちが、自分もADHDだと思う、やっとこのサイトにたどり着いた、という書き込みがSOAAのBBSなどに増える。だが、番組を見て希望を持ったという書き込みではなく、番組で不安になり、ここにきてBBSを見てほっとしたというのが常だが、つまりは番組はやはりADHDの人間たちを勇気づけるなどの意志はなく、単にこのような変わった人たちがいるというスタンスなのだろう。

それでも、この一年くらいで番組や雑誌でのADHDの取り上げ方は、前よりはましになったのではないかと思う。

先日、西新宿で子供のADHDについてのシンポジュームがあり私も時間の都合上ほんの一部しか聞けなかったが、その後内容を教えてくださった方がいて、どのような話だったかを多少理解した。

専門家が集まってのシンポジュームなので、当然一般のマスコミの取り上げかたとは違うし、また子供ADHDなので、大人の場合と違うことも事実だろうが、やはり消極的なアプローチの印象がある。ただ救いはエジソンクラブの代表の方がADHDは違う文化であり、接し方を考える必要があるとおっしゃっていたのはその通りだと思う。

いずれにせよ、政府の取り上げ方もようやくLDの中にADHDがいるらしい、その実体を調べてみるといった段階であり、まして一般にADHDが良かれ悪しかれそのままの姿で知られるのはまだ先のことらしい。

また、件のテレビディレクター氏に、もし私たちを取材するなら、同時に違った目でADHDを見ている人たち、たとえばADHDは怠け者の言い訳だとか、子供だけの病気だとか、ADHDは犯罪予備軍だと言っている専門家の人たちとの討論の場を設けてくれれば、今までとはひと味違った絵になる番組になるのではないか、と持ちかけ、彼も、そうですねぇ・・とは言っていたが、結局それでは絵にならないらしい。やはり、彼らのイメージでは、ADHDは厄介者でなくては番組を作れないのではないかと思う。ちょっと、ひがみが入っているか。

by ロクスケ

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雑学のすすめ


ADHDの人たちの特徴の一つが、熱しやすくさめやすいことで、一度興味を持つとそれに集中しある程度ものにするのに、それが長続きしないためにまた次の対象に興味を向けてしまうことになります。

その結果ADHDの中には非常な雑学に長けている人たちがいます。一般的に言えることなのですが、雑学に長けているとよく、役にも立たないことばかり知っていて、自分の生活はちっとも良くなっていないじゃないか、そんなことを覚える暇があったら一つのことに集中したらどうか、という言葉を浴びせられることになります。

それは一面正しいのですが、そもそも私たちが小学校から中学高校と習ってきたのはほとんどが現実の生活には役立たない雑学だといえます。たとえば、太陽が地球の周りを回っていようと、地球が月の周りを回っていようと生活そのものには関係がないといえるでしょう。そのような知識は、私たちはたくさん持っています。学校で微積分も習いますが、実際の生活で使うのは、精々加減乗除です。日本史も世界史も化学も生物もそれぞれ私たちの生活で実際に役立つことなどほとんどありません。実生活で役立っている学校で習った知識と言えば、読み書きと加減乗除以外に何かあるでしょうか。もちろん、専門知識は別ですが。

つまり、私たちの知識の大半は雑学なのであり、学校以外でもテレビや新聞雑誌などで毎日知識を取り入れていて、その大半は自分の生活に直接役立っているわけではありません。そうなれば、生活をするためには小学校に3、4年行って読み書きと加減乗除だけを習い、あとは自分の専門にしたがって教育を受ければいいでしょう。

で、それは本当でしょうか。私たちは生きてゆくための知識以外要らないのでしょうか。誰が考えても、それでは知的な喜び、好奇心、潤いなどが全くなくなると感じるでしょうし、それら生活に直接関係のない知識が人間に広がりを与えているのだと知っているはずです。

そうであれば、雑学と言われようと、役に立たないことばかり知っていると言われようと、知識は広げた方が断然有利です。それが、柔軟な頭を作り、臨機応変に物事に対処できる能力を生み出しているのですから、非常に大切なことだと信じます。私は、そのつもりで今日も本を読み雑学の習得につとめています。

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枯れ木に花を咲かせましょう!
 次は、しげさんよりご投稿いただいたものです。

 花さかじいさんサブタイトル :枯れ木に花を咲かせましょう!

 花と緑に関する仕事をしています。未診断のADDなのですが、子供の頃から理科、特に生物が好きで、動植物をたくさん飼育していました。子供の頃の趣味は昆虫採集と植物の観察とプラモデルと切手収集と天体観測でした。変っていると言われていましたが、いつかダーウィンのような博士になるのだと叫んでいました。

 人と話すより、植物と触れ合っている方が好きなようです。人はほっておいても生きていけますが、花と緑は水と肥料を与えて世話をしなければ生きていけないという価値観でした。妻子は二の次だったようです。妻子からは花おたくでADDの私とは付き合ってはいられないと総スカンです。さすがに家族で植物園には行かなくなりました。

 花と緑のことなら私におまかせくだされ。これからもよろしくお願いします。

 泣きな〜さ〜い〜笑いな〜さ〜い〜。いつまで〜もいつもで〜も花を咲かそうよ。

 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞メルマガ原稿∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 「花さかじいさんの言いたい放題―WingBrain版」

 七夕には花を(七夕とお盆とADDのお話し)

 [七夕の元祖は中国]

 七夕はご存知の通り、“天に昇った恋人達が天の川の北西と南東に引き裂かれ、7月7日、1年に1度だけ会う事が出来る”というお話しである。紀元前1世紀の春秋戦国時代から始まり、6世紀の南北朝時代まで約700年かかりこのようなお話しとなった。それが、お隣の朝鮮はもとより、ベトナム・タイ・フィリピン・インドネシアそして日本には603年に遣随使によってもたらされたのである。

 ここで中国史のおさらい…こういうクドイところがADDだが、教養が大好きなんですョ。*孔子や老子が活躍した紀元前1世紀の春秋時代から秦の始皇帝の統一、項羽と 劉邦の戦い、漢王国の盛衰、有名な曹繰・劉備・諸葛孔明の三国志(魏・呉・ 蜀)の時代を経て北魏と東晋の南北朝時代そして589年の隋建国となる。

 [日本の七夕と花]

 笹の葉に“お願いを書く”ようになったのは江戸時代からである。これは中国の乞巧奠(きこうでん)[7月7日織女(おりひめ)星に技芸の上達を願う]から由来したものである。そして驚くことに、七夕はお盆の行事で一番最初の儀式でもあったのである。また、七夕の語源は“機織り(はたおり)”(神様が着る衣織り)から来ている。

 ところで、笹を飾った江戸時代以前は何を飾ったのか?七夕供花(たなばたくげ)と言い、花を飾っていたそうである。現代で言うお盆のお花である。やっぱり「七夕は花」である。

 このように歴史とは人から人へと口で伝えていく“伝言ゲーム”に似ているとは思いませんか?時代の流れに色々なものがミックスされ新しい一つのお話しや行事になっていく。又、国や地方で少しづつ変化し、継承されていく。

 [韓国の七夕]

 また、韓国では7月7日の朝の雨は「嘆きの雨」、昼の雨は「喜びの雨」、夜の雨は「別れ涙の雨」と今日でも云われている。今年はワールドカップ4年後優勝の願いを込めているかも・・・

 [再び日本の七夕]

 そして江戸時代の町人達は“たらいの水に映る織女星(おりひめ)と牽牛星(ひこぼし)に恋愛成就のお願いをしていたそうだ。まさしく“星に願いを”である。(アグネスチャンは元気かなぁ)(ディズニーの星に願いをもいい…)

 さて、ADDの皆んは今年の7月7日は何を“お願い”しますか?

 「集中力UP」「衝動性Down」「阪神タイガースの優勝」そして「景気回復」etc…私の友人の天文博士ADDは「新彗星発見」などと、ロマンチックな願いをするようである。

 [言いたい放題]

 最後に科学的なお話しを…私の友人のADDな天文博士から聞いたお話しである。

 天の川の北西[こと座の織女(おりひめ=べガ)]は0等星南東[わし座の牽牛(ひこぼし=アルタイル)]は1等星この二人の(二つの星)距離はなんと16光年(百恵ちゃんもびっくり)

 =(光の秒速30万km*60秒*60分*24時間*365日*16年=1.5*10*14乗km)……………よくわからないほど遠いのです。彼は毎日、天体望遠鏡を覗きます。ケプラーの第3法則とやらが空で言えます。天文学者って、ADDが多いと思いませんか???

 7月7日、ひこぼしとおりひめは天の川の真ん中で一年ぶりに会う。なんとお互い8光年を瞬間移動するのである。彼らはものすごいスピードのクルーザーを持っているのに違いない………

 ↓[Web絵本たなばた]とてもメルヘンチックで美しいです。是非ご覧下さい。http://www.apollostar.com/ohkawa/tanabata/start.html(花さかじいさんと作者は関係はありません)作者談:7月といえば七夕。最近は七夕のお話を知らない子供も多いとか。そこで七夕のやさしいお話を、3次元CGで作ってみました。本作品は某プラネタリウムの幼児向け作品の一部です。部屋を暗くするときれいかも。
花さかじいさんの言いたい放題

 「ふるさとに花を飾ろう」

 8月、お盆といえば帰省。都市から生まれ故郷へ帰る……故郷では懐かしい顔が待っている。

 列車を降り立った時、青春の香りが鼻をつく……嗚呼、花の応援団。昔のあの人に会えるかも……

 しかし、僕には残念ながら世間でいう「ウサギ追いしかの山」の故郷はない。故郷は不快指数日本一の暑い暑い都市・・・大阪である。

 そして、あるのは飲み屋の借金である。飲み屋と言えばこの時期、ほとんど休業中である。

 しかし、僕は実家のお母ちゃんに会いに行く。お母ちゃんもたぶんADDである。帰省といえばお土産である。いつも、考えたあげく、涼しそうな"花"を持っていく。

 すると、お母ちゃんは「何や、この花、去年の方がよかったやんか」毎年、どんな花を持って帰っても、同じせりふ。人の気持ちがわからない・・・そして、結果は、お墓参りの仏花に・・・

 皆さんも、故郷に帰るときには"花"をお勧めする。何も言わなくてもおしゃべりな花が全てを語ってくれる。欲を言えば出来るだけ都会風にアレンジした花が良い。決して、仏花にならないような洋風にセンスよく・・・何故か故郷に飾ると異なる顔を花が見せてくれるから不思議である。妙にマッチするのである。宅急便という手もある。

 〜〜〜さあ、故郷に花を飾ろう!〜〜〜

 そう言えばこの間ボトル入れたばっかりなのに残り3pしかなかった。誰だ飲んだの!


by しげ

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信長、秀吉、家康


 本の出版をお願いしている(株)ヴォイスの神原さんから下記のような投稿をいただきました。

 

出版の仕事をするようになり、ADHDにかぎりなくのめり込んでいる私ですが、最近思いついたことがございまして……。

織田がつき羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川

近世日本を完成させたこの3人はいずれも不世出の英雄であることは間違いなく何かと比較されることが多いようです。中でも織田信長は類まれなる創造力と行動力に長けた人間であることは多くの人が認めているところ。そして私の推測では彼もまたADHDだったと思うのです。

鉄砲の活用や楽市楽座をはじめ、軍事・行政・経済すべてに渡る新しい形と仕組みをつぎつぎ生み出したのもADHDならではないかと。まさに「注意分散多動性能力」に特化した人間です。

それに加え最近豊臣秀吉、徳川家康もADHDではないかと思うようになったのです。彼らのエピソードを再検証すると「注意分散多動性能力」の可能性大。これがあればこそ天王山も関ヶ原もあったと思うのです。いずれも天下分け目の大戦で膨大な情報にあたらねばならなかった。それができたのはADHDであればこそ、普通の脳ではどこかで固まってしまったのでは?

さらにこの3人の違いをサポーターという視点で見るといっそうADHDがはっきりとしてきます。

サポーターを追いつめ最後は敵にしてしまったのが信長。明智光秀はよきサポーターだったはずです。諸説はありますが、光秀を追いつめたのも事実ですし光秀以外にも彼の「多動」に振り回された武将は数知れず。

人生の途中でよきサポーターを失い晩年を迷走したのが秀吉。特に弟の大和大納言秀長が存命中の秀吉は順風満帆。やることなすことすべてうまくいっていたのが秀長に先立たれてから狂いはじめ結局は豊臣家の命運を縮めてしまった。

もっともサポーターに恵まれまたサポーターを大事にしたのが家康。人生のさまざまな局面での決断の陰に必ずサポーターが介在。本多正信、井伊直政、南光坊天海、今地院崇伝、ウィリアム・アダムス……。周囲の支えを得ながら多動性をコントロールする術を学んだのではないかと。

この3人、信長・秀吉はもちろんですがあの家康でさえ若いころは相当な多動性があったとか。時代が時代だったらからこそそのような人物にスポットがあたったともいえますね。

以上、今回の企画からはちょっと(かなり)脱線ですが思いついたことを……。

 ロクスケから一言

信長はADHDである観点で、同じADHDの秀吉の才能を見抜いていたのかもしれません。ある意味で、信長は秀吉というADHDの最良のスパンサーでしたね。

秀吉は、良きサポーターであったはずのねねを遠ざけ、もしかしたらADHDの淀君に入れ込んでしまったのが敗因?

家康は、自分のADHD性を(ADHDという概念はむろん知らないまでも)十分意識して選りすぐりのサポーターを組織していたのではないでしょうか。ADHDの破綻の怖さを、信長秀吉に見ていたでしょうからね。今地院崇伝を利用した手腕など、並大抵ではないですよ。

 秀吉と信長がadhdだったかもしれないことに対する希望と不安

秀吉と信長がadhdだったかもしれない。。。。。14号の原稿を興味深く読ませていただきました。確かに、信長は青年時代は「うつけ者」とよばれた「多動性優位型」の行動そのものであったかのように思います。秀吉にしても、若いうちから農家を出て行くなど、衝動的なところが多分にあったのでしょう。そうした彼らが新しいアイディア(例えば、二発目を打つまで時間がかかる火縄銃を、三人一組で順番に打つというアイディアを信長が考えたことによって、火縄銃の連発発射を可能にしたこと。)を生み出しながら立身出世して行く物語は、私達adhdの人達にとって痛快で勇気づけられるストーリーです。ですが、悲しいかな、2人の偉大なadhdの人物が作った歴史はいいものばかりでなく、adhdの人が独裁的な権力を握った時の悪い面も如実に表れているように思います。信長が比叡山を焼き討ちにし、多くの人を焼き殺したこと、秀吉が明らかに敗色濃厚な朝鮮出兵に踏み切り、大量の死者を出したこと。感情的なゆえに出した「正義の」決断がとんでもない悲劇を招く。それを、心に銘じたいものです。

ブッシュ大統領のように、石油会社や軍需産業からの献金ほしさに行う「計算高い」大量殺戮も、信長のような「感情的な」大量殺戮も、いずれも大量殺戮には代わりありません。そして、「感情的に」なりやすい私達は、なにがあっても、信長の二の轍を踏むわけには行きません。

 by 江頭2:50を盛り上げる会の会長補佐

 これは14号に掲載された信長秀吉家康はADHDか、という記事にたいしていただいた投稿です。

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雨のち晴れ、時々曇り・・・


 1.むんは情緒不安定

 最近、むんは情緒不安定なんです。今年の5月ぐらいからかな。今までなら、イヤなことも、我慢してため込むことが多かったのにね。突然切れて、怒ってみたり、何気ないことで、悲しくなって泣いてみたりしてるんだ。

 でも、それって悪い事ばかりじゃないって思ってる。今まで、ため込みすぎたよ。我慢して、自分の中に丸飲みして、そして自分が忘れちゃうのを待っていた。それを僕はやめたんだ。もっと自分に正直に生きなくっちゃって思ったから。わがままだと思われることも多いけど。

 それってさ、今まで抑圧され続けていた本来の僕が目覚めたときだとは思わない?。抑圧された僕の精神はコントロールもまだ十分に出来ていないようなんだ。だから、時として激しく、感情が変化する。自分でも変な感じを受けることもあるけど、以前と比べて気持ちが楽になったように思う。小さいときの感情に似て、懐かしさすら感じてしまうんだ。

 最近、泣くことに快感を覚えてしまったよ。。実は今朝も、起き抜けに泣いていた。最初は頭がいろんな事でいっぱいになってぼーっとしてたから、泣いたらすっきりするかなと思って泣き真似をしていたんだけど、それがつぼにはまって大泣きしてしまったんです。泣いて解決する訳じゃないけど、これから、どう生きたらいいのかから始まり、自分を理解してほしい、愛されたい、僕は寂しいから誰かそばにいてほしいなんてことも・・・。子供の頃のように押し殺さずに泣いていたよ。仕舞にゃ、駄々っ子のように体をばたばたさせる始末。診断されなかったけど、多動性の傾向もあるのかな?

 恥ずかしながら、おふくろに泣いてるところを見られちゃった。38歳のおっさんなんだけど。やっぱりそれって、変かなぁ・・・。でも、泣いたらすっきりして、汚い部屋の掃除に取りかかれました。(おふくろが見かねて手伝ってくれましたけど・・・。)σ(^^)

 By むん(むーんらいず)

 ロクスケより

 情緒不安定が長く続くのはあまり良くありませんし、その点も医師に相談した方がいいと思います。情緒不安定では、一般社会ではなかなか受け入れられませんしね。それに、自分自身の感情に引きずられてしまいがちですし。




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音の聞こえかた


ロクスケさんのアンケートの中で聴覚が過敏であるかどうか、音感が良いかという質問があったことを思い出した。

ピアノを弾いていてずっと気になっていることがある。昼間と夜とでは音の聞こえ方が微妙に違うこと。どう違うかと言うと、夜の方がピッチが高く聞こえてしまう。つまり昼間に比べると音程が高く聞こえてしまう。なぜだか良く分からない。これは皆同じなのだろうか。

私の幼い頃にさかのぼると、バキュームカー、ゴミ収集車、掃除機の音が大嫌いで、学校でも家でもよくパニックを起こしたり泣きわめいたりとそれはもう大騒ぎだった。やはり親や周りの人には理解しがたいものがあったようで、「そのぐらいのことで」と一笑に付されたものだった。理由は良く分からないがとにかく生理的には受け付けなかった。今はさすがにそういうことはない。ADHD関係の本を読み進むうちに初めて聴覚過敏という言葉を知ってから、自分の小さい頃はそれだったんじゃないかと思った。それとも聴覚過敏の有無に関わらず、小さい子供には多少その傾向があるのだろうか?

もう一つ、作曲や編曲することにすごく抵抗を感じてしまう。なんだか分からないが、とにかく自分で作った音を奏でるのがキモチワルイのである。それ以前にもともとそういう能力が備わっていないというのもあるが。その一方で羽田健太郎(有名なポピュラーピアニスト)のようにアドリブ演奏が出来ることがうらやましく感じてしまう。よく駅で電車が発車するときに流れる音楽もほぼ正確に聞き取れるのだが、それをピアノで再現しろと言われてもキモチワルクてできない。他の人はどうなんだろう?世の中には絶対音感を持っている人がいるが、これも一種の聴覚過敏なのだろうか?

絶対音感があるために却って楽器演奏や作曲活動に支障が出るという話を聞いたことがある。ということは、音が聞こえすぎて音楽することがキモチワルクなってしまうということなのだろうか?ちなみに私は440ヘルツ以下のピッチ(低い音程)が大嫌いである。普通よりも少し高めの音が心地よく感じる。楽器の調律に携わるひとに言わせると440ヘルツは高すぎもせず低すぎもしないちょうどいい音程だそうだ。

 by エミュー

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ロックアーティストとADD/ADHD


私は、自他共に認めるロックファンです。ロックという言葉自体、かなり広義の意味を持っていて、ジャンルと言うには幅が広すぎますけどね。

リズムに乗る、グルーブに身をゆだねる、ライブで踊る・・・非常に気持ちの良い時間だし、ライブに行くために仕事をしていると言っても過言ではなく、出張だってライブにあわせて取ったりするくらい(会社中の人間がそのことを知っていたりする。誰ももう怒らないけど)。どうも、ロックというと嫌いな人にはただうるさいだけの音楽、と受け取られがちですが、実際、その歌声に涙することもあるし、曲、歌詞、アレンジ、その演奏に鳥肌が立つほど感動することもあるのです。そんなことを説明しつつ、なにがADD/ADHDと関係があるのか?あるんです。というか、私的には大ありです(苦笑)。何故なら、私の好き(に限らずかもしれない)なロックバンドには、必ずと言っていいほど、ADD/ADHD傾向のあるメンバーがいるからなんです。

TというバンドのボーカルTくんは、自他共に認める遅刻魔です。時間の概念が通常の社会生活を送る人たちとは明らかに違います(苦笑)。遅刻をしすぎてバイトをクビになった、という話がエピソードとして残ってますし、とにかく、部屋の中が散らかっている、というのも、話のネタになっています。以前、TVで各メンバーの部屋の中が映る企画があったのですが、彼だけ、部屋の中ではなく、昼間の公園にて撮影が行われていました。おそらく・・・というか、絶対、人に見せられるような散らかりようではなかったはずです。ただ、彼の歌声にはやはり、全身に鳥肌が立つほどの、知らずに涙ぐんでしまうほどの威力があります。そして、そのステージアクトはうっとりするほどステキです(ファンの欲目です。すみません/汗)。ただし、それ以外の時はスイッチが切れたように眠っているらしく、この辺もADD/ADHD傾向があるんじゃないかと、私に思わせる要因です。みんなにちやほやされるのは多分好きそうなのですが、不要な接触が好きではなく、握手会の時に、ファンと握手するたびにタオルで手を拭いていたこともあります。一人でいる時間が好きだとか、一つのことをやり出すと止まらなくなってしまう(過集中?)ところ、常に落ち着きなく体のどこかを動かしているところなど、かなり同族のにおいがします(笑)。曲を作る、歌詞を書く、歌を歌う・・・(ついでにとても美形です/関係ないか)そういう才能がなかったら、多分、普通の会社員としては苦労しただろうと、彼のエピソードを読むたびに思うのです。

と、一人のボーカリストをピックアップしてみましたが、他にもたくさんいて・・・元来、子供のような人や、センシティブな人も多い職種なのかもしれません。そして、ステージの上というのは、普段の生活で自己評価の低い場合は特に、カッコつければつけるほど褒められる場所であり、自分が完全に支配できる場所であるという意味で、非常にADD/ADHD傾向のある人間には、向いた場所なのかもしれません。

ちなみに、私も学生時代、バンドでボーカルやってました。緊張はするけれど、非常に気持ちよかったのを覚えてます(^^)。

by 小町

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ひとりごとって、いけないこと?


僕はよくひとりごとを言います。思っていることを口に出して・・・。何か作業をしているときは特にそうです。その時々の心の中で一番気になっていることを口に出しているようです。不満なことがあるとき、アイディアが浮かんだとき、手順を考えて作業をしなくっちゃいけないときなど。気分がいいときには、駄洒落や、鼻歌なども口をついて出ます。これって、きっと僕の多動性から来るものなんじゃないかなと思います。でもね、このひとりごと、意識せずに出てるわけではないんですよ。意識はしてるんです。話の内容や、言葉の言い回しなんかも・・・。時々、話が最初と後ではつじつまが合わなくなることはあっても、テーマは変わることはないはずです。

僕はよく物を忘れます。確認し損ねて失敗することもしょっちゅうです。でも、ひとりごとが出るようなときは、余り物忘れがないように思います。ストレスが発散されているからでしょうか。苛ついてひとりごとを発しているときはそうでもありませんが、気分のいいときは調子がいいようです。

まわりの人たちの反応ですが、ひとりごとを言うと、変に思われるよとか言いますし、母からは独語(どくご)するのはやめなさいって言われます。ですが、自分としては、意識しなくてはいけない問題について考え、整理するのに役立っているように思うんですが、どうなんでしょうか?勿論、人混みの中でぶつぶつと言っていれば、気がおかしいとか、気持ち悪いとか思われることがあるかもしれませんから、黙っていますけど・・・。

個人で作業をしているときはひとりごとを言っているときが多いように思います。自分では、ひとりごとを言う、言わないのコントロールは出来ていると思います。ならば、情報整理のためのひとりごとぐらい、多少はかまわないように思うのですが・・・。それってどうなんでしょうか。この件に詳しい方がおられましたらお話をお聞かせいただきたいです。

by むん

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似て非なるもの

世の中には一見似てはいるが全く違うものがたくさん存在する。

 日本昔話の          コブ取り爺さん
 コレステロールが気になる   小肥り爺さん
 北海道日高の浜で       昆布採り爺さん
 偉い人の前で揉み手をする   媚びとる爺さん
 スターバックスで       コーヒー摂る異人さん
 釣り堀で           鯉捕るイージーさ
 中央高速で          甲府通る時差
 うれし恥ずかし        恋してるお嬢さん
 巨額のお布施があって     興奮してる寺院
 インドの大道芸        コブラ踊り持参

・・誰か止めてくれないかな・・

まあ、とにかく、何故こんなことを書いたかというと、最近ADHD関連のサイト、たとえばSOAAのサイトのBBSなどが気になるからだ。特にテレビや雑誌などでADHDが取り上げられた直後などに増えるのがだ、記事が気になって検索エンジンをたどってここに来ましたという新しい書き込みをする人達などだが、

 片づけられない仕事を覚えられない職場で浮いているとにかくまともに日常が送れない注意力が散漫飽きっぽい

だから自分はADHDだからではないか、いやADHDだ、と決めつけている人達が少なからずいる。時には、自分のことではなく、上司や部下、配偶者や友人がそうではないかと疑ったり決めつけたりしている人達もいる。または、自分がADHDだと思っていたのに診断を受けたら違うと言われたが、自分は何者なのかわからなくなったというケースもある。まるで、ADHDだけが自分のよりどころだったかのようだ。

しかし、上記のような状態はADHDであっても必ず現れるわけではないし、またADHD以外の原因でも現れる。単純に考えても、性格がだらしない、しつけが悪かった、鬱病、痴呆、何かのトラウマ、失恋や失業などによる無気力などいろいろあるだろう。時や場合によって同じ人間でもやる気になっているときと何でも面倒くさいときがある。似て非なるものがたくさんあるという所以はここにある。また、普通の人にも多少このような傾向はある。それに、どこまで普通でどこから異常などというボーダーラインは引けるものではない。

ADHDであるかどうかは、専門医がきちんと診断した上でしか言えないことだが、その専門医が非常に少なく、仮に診てもらったとしても専門家ではない医師の場合、誤診が多いと考えられる。だから、ADHDと診断されてもそうではないかもしれないし、正常だと言われてもADHDかもしれない。さらに、専門医に診てもらおうとすると現状では2,3年から4年以上も先の予約をしなければならない。

確かに、ADHDだと診断されて安心するという気持ちはわかる。だが、それで納得するのは良いとして、だから仕方がないというわけには行かない。やはり自分の様々な障害をなんとか改善しなければならないことには変わりがない。

ADHDだと断定されればそれに即したカウンセリングなり投薬なりが功を奏するだろうが、それが当てに出来ない現状では、とにかく自分で工夫して生活を改善して行かなくてはならない。結局、生活改善が大切なのであって、診断名は二の次と考えて良い。まして、ADHDだと自分で決めつけてしまい、それなら先天性で治らないのだから生活の改善も出来ないとあきらめてしまったりしたら百害有って一利なしだ。たしかに、自分の諸症状を分析してみてADHDだとすれば納得できる面はかなりあるかもしれない。ADHDが生まれつきのものであり、これ自身は治らないというのも正しい。だが、ADHDが困るのではなく、ADHDという原因で生ずる様々な障害が問題なのだ。この障害が克服できるなら、ADHD自体は別に困ることではない。

各種の関連した本やサイトなどを時間をかけて見れば、これらの障害は、原因が何であれ十分に改善できることがわかるはずだ。ADHDであるかどうかなどはたいした問題ではない。

似て非なるものに惑わされず、とにかく何が問題で何を解決しなければならないのか、そのためにどうしなければならないのかが肝心だと思うのだが。

 by ロクスケ

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天才棋士加藤一二三


 加藤一二三という天才棋士がいる。彼が、神武以来の天才だと言われたのは、18歳でA級8段になったからだ(未だこの記録を破られていない)。そして六十歳すぎた今なお現役として頑張っていることは、まさに脅威的な体力と気力だといえる。彼よりも若い中原誠(永世名人)や米永邦雄(元名人)が衰えてしまったのとは、全く対照的である。

この加藤一二三と言う男は、奇人変人として知られている。しかし、彼の奇人変人ぶりをよく考えてみると、どうやらADHDに他ならない。それですべて説明がつきそうなのである。

長考癖は、「過集中」である。

加藤一二三は、長考癖で知られていた。プロ棋士は誰でも長考するが、加藤の場合は異様に長いのである。プロ棋士から見て「ここでそんなに考えなくても良いのに」という序盤において、非合理的な長考してしまうのである。加藤が今ひとつ実力を発揮できなかったのは、この長考癖に原因があるとされている。しかし、加藤はそれを改めようとしなかった。(ただし、後期中年以降の加藤は、時間の使い方がやや合理的になってたようである。加藤が名人位を一度でも奪取しえたのは、そのおかげかもしれない)。

この長考癖は、実はADHDの過集中ではないか。通常の人間と、時間の感覚が違っているから、序盤で長考しすぎてしまうのである。

一分将棋の神様は、「ひらめきすぎる人」の強みだった

序盤で時間を使いすぎるために、終盤ではいつも加藤は一分将棋になった。一分将棋とは、持ち時間を使い果たした棋士が、一手一分以内で差なければならなくなった状況を指している。(通常の持ち時間は、六時間とかである)。ところが、加藤はこの一分将棋が強かった。持ち時間なくなったのに、加藤は適切な手を指すことが出来るのだ。(とはいっても、一分将棋が望ましいことではない。時間を計画的に使えないと言うことのだから)。

貧乏揺すり、空咳、相手の棋士の後ろから盤面見る

空咳。対局が佳境にはいってくると、コンコン空咳を連発するのだ。相手棋士からしたら、こんな五月蠅くて(うるさくて)目障りな奴はいないだろう。ましてや、自分の背後のほうに廻ってきて、盤を見るなんて、なんと無礼な奴だろうか。そう思われても仕方ない。だから、加藤は他の棋士からたいそう嫌われたそうだ。(しかし、加藤ファンも、結構多い。私も憎めない棋士だと思っている)。

しかし、彼がADHDだとするならば、容易に説明がつくことだ。多動でるために、体のどこかを始終動かしていなければ、落ち着いて考えられないのだ。

これだけでは、加藤一二三がADHDであるという確証としては、まだまだ弱いかもしれない。皆さんはどう思われるだろうか。私的には、納得してしまっているのであるが。

 by サンデー


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夢について


今週、「ひらめきすぎる人々」を購入、毎日少しずつ読ませていただいています。まだ、半分しか読めていないのですが、とても前向きで、興味深く、楽しませていただいております。

私は昨年の夏にADDと診断され、直後に海外へ行きました。日本の生活にどうしても息苦しさを感じ、いてもたってもいられなくなったというのが、大きな理由だと思います。ただ、それはもう何年も前から考えていたことだったので、仕事を辞める目処がついたら、あとは一気に準備は進み、あっという間に日本を脱出しておりました。

海外生活は2度目だったのですが、不思議と海外にいると、とても生き生きと暮らすことができます。何故なのかはよく分からないのですが、とにかくADDの症状がやわらぎ、別人のように生活ができるんです。

診断を受けてすぐに海外へ行ったこともあり、ADHDについてまだまだ勉強不足です。最近帰国して、SOAAの会員にもなり、いろんな本を読み始めました。いったい、自分という人間の本当の姿とは、どういうものなのかがとても興味深いのです。ADDという自分の状況に、ネガな考え方と、ポジな考え方の入り混じった感情が、毎日入り乱れています。

その中でも、ロクスケさんのこの本は、私にずいぶんとポジな未来を予感させてくれる、貴重な内容です。ちょっと驚いたのは、フツウの方々はモノクロの夢をみている、というお話です。フルカラーの夢をみるのは、当たり前のことだと、ず〜っと思っていました。現実と区別ができないくらい、リアルな感覚というのも、みんながそうだとばかり考えていたのですが、本当に違うのですか?少なくとも私の周りの人々は、ほとんどみんな「カラーの夢を見る」と言っていたし、それが当たり前だと思っていました。

私はよく、シリーズものの夢を見ます。シリーズはいろいろとありますが、特に多いのは体がふわふわと浮いたり、飛んだりするもの、歯が全部抜けるもの、誰かが私を殺しにくるもの、死んだ家族がでてくるもの・・・どれも、現実と錯覚せずにいられないほど、かなりリアルな感覚を伴っています。夢の中で「これは夢だ」と理解しているにも関わらず、そのあまりにリアルな感覚によって、どっちなのか混乱してしまうんです。何年か前の夢については、それが現実だったのか、夢だったのか今となってはもうわからない・・・というものもよくあります。それはただ単に、私の記憶力の問題かもしれないのですが・・・

夢については、とても興味があって、若い頃は夢占いにも凝ったことがありました。たまに、気になる夢をみたときは、夢日記もつけています。それも、もちろん長続きはしないんですが・・・でも興味は今もずっと持っています。

夢さえも、もしかするとADDと関係があるのかもしれないと思うと、ますますADDについての興味が高まります。私は子供の頃からず〜っと自分が変だということには気付いていました。そして、いろんなことに深く傷ついてきました。でも、「例えばどんなことに傷ついた?」と聞かれると、具体的に思い出すことはできないんです・・・かなり傷ついてきたことは、事実なのに、それがどういう状況だったかは思い出せない・・・子供のころのことはよく覚えているのに、大人になってからのことは、ボワ〜ンとはっきりしていません。それは、ADDとは関係ないと思いますけど。

全く関係ないですが、冬になると特に動きが鈍くなります。体は冬眠に入ります。まだ仕事をしていない今、ずいぶんといろんなことに対してのやる気が減退しています。寒さには本当に弱い・・・北海道人は寒がりなんです。ただでさえだらだらしているのに、これからは地獄の半年。

と、暇だからって、こんな独り言を長々と書いてしまってすみません。まったく脈略の無いメールになってしまっていますが、あまりにもロクスケさんの本に共感し、黙っていられなかったんです。だからといって、BBSにコメントする勇気もなく、とりあえずは「すばらしい本をありがとうございます」と言わせて欲しかったということで、お許しください。

私も何かの役に立てたらいいな、とは思うのですが、自分に何ができるかもわかりません。でも、ADDについて何かデータ収集したい場合にはいつでも協力させていただきます!忙しいのに、長いメールを押し付けてしまってすみません。メールさえもうまくまとめられません。

きりが無いのでここで強制終了させます。

お体にお気をつけて、ますますのご活躍を期待しております。

 byさすらい

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幽霊がいるので、ゴミ捨ては駄目


インドネシア共和国東ジャワ州スラバヤのクランガンで、このほど、「ここには幽霊がいるので、ゴミを捨てないでください」と書かれた看板が登場した。住民によると、同地域は、ゴミのポイ捨てに悩まされており、あの手この手でやめさせようとしたが、効果は全くなし。このため、この看板を作成したところ、ポイ捨てはめっきり減ったそうです。

(出典:じゃかるた新聞/ジャワ・ポス)

by Bunny_Lab

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ココだけの話


 親心として母が本を読んでくれた。が、私の母が「ひらめきすぎる人々」が自宅に来た時、すぐに読んでくれた。

 が、私のコラムの部分だけしか読んでくれなかった。まずは2ページ分のコラム読み始め、私のコラム分を読み終えてから最初ページを読み始めたのだ。家に着く前からこのプロジェクトのことを知っており、私がメンバーとして参加していることも知っているのだ。

 彼女はAD/HDに関してはかなりの理解者になっている。私の書いた文章が載っていると彼女に言うと『娘が書いた噂の本』として楽しみにしていたらしかった。 

 最初から20ページくらい読み続けている母に私が言った。「お母さん、実は私の書いた文章はコラムだけなんです」と。そしたら「たったこれだけなのか?」と言って読むのを中断した。「“たった”2ページしか載ってないんですよ」と言うと読むのを完全にやめてしまったのだ。

 言わなきゃ良かったのかなと思ってしまった。本音を言うと最初から最後まで読んで欲しかった。あ〜あ、損をしてしまった感じ。こんなはずになってしまうとはね。母の本音としてはもっと載ってあるのではないかと思ったではないだろうか? 

 私が彼女に期待はずれのことをしてしまったという苦い感覚に陥ってしまった。 

 もっともっと母にAD/HDを理解してもらえると思い込んでいた私。そのショック状態から抜け出すのはちと時間がかかった。親に全部理解してもらえると言う思い込みは少し間違っていたなと思った。でも、私が人と違うことは知っているので、診断名が付いても最初は戸惑っても後には理解してくれたのだから。

 「ひらめきすぎる人々」を全部読みこなすには今の母の目の状態からは不可能に近いのだ。疲れた目を娘が書いた文章を読もうとする姿勢は母心なのかもしれない。そう思うと彼女には負担がかけられないんだけどね。彼女も彼女で私の辛さを彼女なりに解っているので口に出せないものがあるんだ。それでも最後まで本を読もうとしたその姿勢は素晴らしいと思った。親心ってそういうものなんだと思いつつ私の本音は最後まで読んで欲しかった。 

 

 by Rosamonde

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大人になってADDとの診断され過去は説明がつくのか?


 (アメリカのADDitude誌の一部を要約したもの) 人生の建て直しはできるのか?シャノンの2人の子供にADDという診断が下った。

彼女はメリーランド州ベテスダ市にある有名な研究センターに勤めていたが、家に居て育児に専念するために仕事をやめることにした。子供たちには家庭教師、カウンセラー、そして心理検査を受けることが必要だった。子供たちが母親からのフルタイムのサポートが必要としていることをシャノン自身が感じたのだ。

セラピストであるキャサリーン・ナドゥーはシャノンの決断に賛成した。ところが、それから6か月後、シャノンは自分はADDであるに違いないと確信し、ナドゥー女史のクリニックの門を叩くことに。「シャノンのようなケースよくあることです」と、メリーランド州ベテスダの臨床心理士で、「大人の注意力欠陥障害総合ガイド」の著者でもあるナデュー女史は言う。ADDは家族に遺伝し、子供が診断された直後に、家族にもそのような障害があるという証拠になるサインを発見されることはよくある。ナドゥー女史はシャノンの心理分析を始め、子供の診断をきっかけに家族にもADDとの診断が下るというありがちなパターンを発見した。子供の頃、シャノンは先生の受けを良くするために良い生徒として振舞った。やがて大学を卒業し、結婚し、裕福でまとまりのある生活を送っていた。家政婦さんが付いていたのと、ストレスの少ない仕事をしていたおかげで彼女の不注意タイプのADD症状はほとんど問題にならなかった。

そんな彼女が専業主婦になると決めたとたん、今までの枠組みがありまとまりのある生活は崩れ去ってしまった。

「主婦業はADD者にとって地獄である」とナドゥー女史は説明する。「家事をしている時でも外からの邪魔はしょっちゅう入るし、外部からのサポートもほとんどなく、整理整頓をしてくれる人もいない」とつづける。

結局、彼女はシャノンに薬を処方し、パートタイムの仕事に戻るよう提案した。シャノンは生活を取り戻し、彼女の話はハッピーエンドに終わった。

しかしADDを抱えている人全員が、自分に合った楽な生活様式を選択できるとは限らない。ADDであることに気付かず未診断のままでいると惨めな妥協と終わりなきフラストレーションにさいなまれることなってしまう。ADDを抱えている大人たちは症状を押して、人より余分に時間をかけて苦手な整理能力を克服したり、持っている高い知能で学習障害をカバーしているといったケースは多い。

普通、ストレスの少ない状況下では物事はスムーズに進むものだ。適切な治療を受ければシャノンのようにまとまった生活を再び送れるようになるだけでなく、他にも利点はある。「AttentionDeficitHyperactivityDisorderinAdults(大人のADHD)」の著者であるポール・ウェンダー氏は「たいていのADD者は他の人よりも上手くいっているように見えても、自分の実力を発揮できていない。きちんとした治療を受ければ、より能力を発揮することができ、自分の実力を信じることができる。」と説明する。

変化についていくのが辛い小学生のときまでは周りからのサポートはあったものの、中学生になったとたんに誰もサポートしなくなる。教科が変わるたびに先生の顔ぶれも違うので、自分で整理したり注意力を維持する能力が必然的に要求される。

 しかしADDを抱えている子供たちにはそれが出来ない。ナドゥー女史の患者の一人であるブラッドリー氏のケースについてこう述べている。彼は成功した外科医であるが40歳にしてADDの治療を受け始めたという。

 彼は子供の頃から家族からのバックアップがあり、知能も高かったという。そのお陰で大学へ入るまではADDの症状は出なかった。ところが、大学生になって初めて、自分は他の学生の二倍勉強しなければ授業についていけないということに気付いた。

 また、他のことで気が散ることのないようホテルの部屋にこもって試験勉強に専念したものだった。そのかいがあり、ブラッドリー氏は無事卒業できた。単位が取れなくて卒業できずにいる学生の中にはADDを抱えている者が高い割合で存在していると考えられている。人より遅くまで残業することはなくなったブラッドリー氏は、「研修医の仕事を終えればストレスから解放される」と考えていた。しかし、ストレスは解消されるどころか、彼の生活にも悪影響を及ぼしてしまった。毎朝早く病院に出勤しては毎晩遅くに帰宅した。もちろん週末の休みも返上して働いていた。

 他の同僚たちはそんな彼のことを「仕事熱心な人だ」と思っていた。しかしブラッドリー氏はただ周りのペースについてくのにそうしているだけだったのだ。

 ある朝、車の屋根にカヤックをくくりつけたまま街まで車で出かけたことがあった。彼には人生を楽しむ余裕は無く「こんなのは本当の自分ではない!」と感じていた。ある研究報告によると、成人の約6%がAD/HDを持っており、そのうちの2/3が未診断であると見積もっている。

 というのは、大人のADDは比較的新しい概念で、そのような障害で苦しんでいる者は大学でも会社でもサポートしてくれる人がほとんどいないから。「ADDを抱えている人も医学部を卒業できないことはないけれど、その代わり大きな犠牲も払うことになる」とナドゥー女史は言う。

 それは、授業についていくには人の二倍勉強しなければならないから。たいていの「仕事中毒」の人はADDを抱えているにもかかわらず、仕事が出来なくてはという強い責任感を持っている。それ故、ストレスは積もりに積もり、外部からのプレッシャーでつぶれてしまうものもいる。

 そのときになってはじめて誰かに助けを求めるようになる。突然襲ってくるうつ病と違って、ADDの症状は性格の問題であると誤解されがちだ。「大人のADDは一生続くということに彼らは気付いていない。」とポール・ウェンダー氏は述べる。多くの大人たちは症状が深刻になると、体調の問題として片付けてしまう。だから、自分がADDであることが分かったとたんに「何か新しいものを発見した」ような気分になる。

 一生ADDと向き合っていても、今までなぜ苦しんでいたかが分かれば困難を克服できる。そして急にジグソーパズルが完成できたかのような気分になる。劇的な変化が訪れ、生活の質も思っていた以上に向上する時があれば、ゆっくりと変化していくときもある。

 ADDと診断されたことで外科医のブラッドリー氏の人生が激変したわけではない。しかし、彼は適切な治療を受けることにより、今まで以上に人生を楽しめるようになった。彼はまだ、週末を湖でカヤックをしながら過ごすことはできないが、仕事中は以前ほどフラストレーションにさいなまれることはなくなった。突っ走るあまり早く燃え尽きてしまうことはもはやない。
by エミュー

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ゲーム脳


最近、ADHDが増えてきた、という話がある。しかし、ADHD自体は遺伝性のものであり、最近になって増えると言うことはあり得ない。ただし、ADHDに対する知識が普及してきた関係上発見されることが多くなったと言うことはあるだろう。アルツハイマーにしても発見された当時は非常に希な症状と言われていたのが、現在では痴呆の半数がアルツハイマーだとされている。

発見が増えたのと別に、社会的な環境が変化したこともADHD増加論の一つの理由と考えられる。昔より子供が自由に育てられ、悪く言えばわがままな子供、ルールを守れない子供が増えてきて、一件ADHD的な振る舞いをするようになったと言えないだろうか。授業中に私語を交わせば、昔ならチョークや黒板消しが飛んできてそれでもやまなければ廊下にバケツを持って立たされる。そのように子供はしつけられていたので、掃除が出来ない、計画が立てられないなどの欠陥は無理矢理矯正させられていたのではないだろうか。それが必ずしも良いとは思わないが、とにかく、ADHD的傾向が認められることはなかったと言うことだ。

さらに、先日ちょっと気になるテレビ番組を観た。最近ゲーム脳が問題になっているというのだ。つまり、一日30分以上テレビゲームをやり続けると、反射ばかりが早くなり、前頭葉が使われなくなるので、機能が低下するという。実際には一日数時間以上テレビゲームをする子供が多く、彼らの脳波を調べてみると前頭葉が働いていることを示すベータはが出ていないと言うのだ。現に、小学校から21才まで15年間毎日テレビゲーム漬けだったある青年は、前頭葉が働かなくなりいわゆるキレ易い、計画が立てられない、計画通りに動けない、身の回りのことが出来ない、衝動的に行動する、やる気が起きないなどの症状が進み、現在リハビリ中とのこと。まるで、ADHDのようだが、ゲーム脳の場合はリハビリで脳の状態自体が改善されるとか。

とにかく、現代はまるで社会全体がADHD的様相を持つような条件が整ってきているのであろう。だからなおさら、ADHDではないかと心配する人達の中に、そうではなくただ似たような症状が現れている人もかなりいるのではないかと思われる。

 by ロクスケ

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障害者職業センターでの職業訓練


昨日で障害者職業センターでの職業訓練は2週間目を終りました。ここに来てかなりいろいろな事を勉強し、また技能も身についてきました.。

今回の訓練の参加者は5名で、ほとんどが発達障害・精神疾患を持つ人たちです。

ここでの指導は、小人数で進められ、カリキュラムがありますが、個人のレベルや出所後の就職希望などに合わせて進められています。 指導に当たるのは、パソコンインストラクターの先生と、センターのスタッフ、それと職業アドバイザーの3人で行なわれています。

僕がセンターに行く事になった経緯は、昨年12月にインターネット検索で公共機関の障害者の就職サポートがないか検索していた事に始まります。そこでまず、障害者総合職業センターという機関が海浜幕張にある事を知り、そこへ行ってみる事にしました.。 その結果、そこへは各県にある障害者職業センターからの紹介状がないと利用できない事を知り、また、千葉障害者職業センターが千葉職安の4階にある事を教えてもらいました。 
 
 その後すぐ、センターに行って見る事にし、その日のうちに行く事にしました。本来は電話でアポイントをとってからでないと相談出来ないそうなのですが、受付に行ってみると、そのまますぐにカウンセリングをしてもらえました.。
 
 自分の現在の状態、家庭の様子、今後の仕事についての希望などを聞いてもらい、その場で職業訓練が1月にある事を教えてもらいました.そして希望に添えないかもとの条件付きで予約を受け付けてもらいました。 
 
 その1週間後、センターから連絡があり、1月8日に面談を行ないますとの通知を受けました。 1月8日、10時より面談を受けました。内容は、すでに最初のカウンセリングで大体の事は話していましたから、補足程度の質問で終り、その後職業適性検査を行ないました。 筆記試験は、○の中に点を打つ、選択肢の中から問題と同じ図形を探し出す、一定時間での計算問題、文章題、同義語、類義語、反対語を選ぶ問題、当てはまる言葉を選択する問題などをしました。また、作業能力検査というものもありました。 
 
 一定時間に、決まった位置に棒を順番に立てたり、立てた棒を逆さに立てなおす作業をするもの、手先作業検査といって、棒に挿してあるワッシャーを一枚づつ、並べて立っているピンを抜いてそこに挿し、ピンと同じ配列の穴に立てる検査ををするものを行ないました。

結果は1週間後の1月15日に電話で連絡がありました。そして、1月20日より職業訓練が始まりました。初日は、開講式があり、センター所長のあいさつや自己紹介を行なった後、オリエンテーションをしました.。正式な講義というか指導は午後から始まりました。

そして、2週間目を終ったところです。

受講して見た感想は、今までも自宅でWordやExcelを使っていましたが、自己流であったのが、効率的な作業法や、自分の知らなかった機能の使い方などを勉強できた事、ADHDゆえのまとまりのなさ、あちこちと作業の集中している部分が飛んでしまう事や、能率の悪さなどについて再確認出来たことは良かったと思いました。

普段使っている分、習熟度はほかの人よりは高かったのですが、今後、自宅で仕事をするつもりですし、資格に対応できるように指導してもらっています。ある程度、カリキュラムにそって講義は進むのですが、習熟度がみな違いますし、目的も違うので、ほぼ個人指導に近い形での講義になっています。

以上が、僕の障害者職業センター体験記です。

 by むん

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親の会に出てみると


最近、よくAD/HD関連の親の会に参加することがある。何故私が親の会に参加しようかと思ったのは、大人である私がAD/HDの子供を持つ親に役に立てることがあるのではないかと思ったのが参加のきっかけである。

私の知り合いのAD/HDと診断された人から言われたことがある。それは『親の会に参加したら、必ず“自分の体験談”を要求される』ことである。その人も某親の会に参加している人であるのだ。初めて参加してみて、私も自分の成育歴など自分の体験談を全部話した。要求される前に先に私から進んで自分のことを話した。

彼女たち(親の会に参加しているのは母親がほとんど)が直面している問題を聞いていたら、私が出来ることは何かと考えてしまう。考えざる得ない状態になってしまうのだ。私が参加している親の会は小学生以下の子供がメインなので、小学校での問題が多い。最近は幼稚園から高校生まで幅広くなったけど、メインは小学生なのだ。

つくづく私が思うには我々大人が出来ることが沢山あるのではないかと思うと言うこと。自分の体験を言うだけでも大分違うはずだと私は思う。まだ大人も自分たちのことで精一杯かもしれないが、時間があれば親の会に一度参加してみてはどうだろうか? 何か新しい発見があるのではないかと。

最後に親の会の人が私の参加していることについて、「これも(私が参加して自分の体験を言うことなど)一種のボランティアですよ。私たちは立派なボランティアをしているんですよ」と言っていたと言うこと。私は“立派”にボランティアをしているんだと堂々胸をはれるんだって感じ。これって、実際、参加しないとわからないことなんだけどね。

 by Rosamonde

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あちこちにお出かけしています


 最近はあちこちの軽度発達障害関連、特にAD/HD関連の会やオフに参加している。最近と言うか一昨年から参加している。頻繁に参加しだしたのは去年からである。バイトを辞めてからは時間があるので皆勤賞に近いくらいの参加率であるのだ。私の住んでいる地域ならほとんどといっていいくらいの参加である。

 親の会から大人のオフまでAD/HDなら幅広く参加していると、勉強になることが沢山ある。私が自閉症スペクトルと診断されているので(AD/HDも診断されている)、実際私と似た感覚や世界を持った人に会うのは本当の自分らしさを発揮出来る数少ないスペースなのだから。親の会の場合は今の状態と今後のことを話し合うのがメインなので、思いっきりズレた自分をさらけ出す場ではないので、少し抑えている状態になる。が、そこでも本当の自分らしさも出せるし、私の話が少しでも役に立てればと言う思いがあるので安心出来る場所の一つでもあるのだ。

 あちこちでかけすぎると私の体は国内時差ぼけ状態を何故か引き起こしてしまう。軽いから重いものまで。が、私とよく似た感覚や世界を持った人に会うのは嬉しいことには変わりがない。お金に替えられない貴重なものを得たような感じになるのだ。だからオフなど出かけるのは好きなのであるし、止められない感じである。オフにハマッたと言う感じなのかしら?と思ってしまう。

 訪問者の皆様に私に書いてもらいたい話があればWingBrainのBBSなどに書いてくれれば、書く予定である。アラビアンナイトのシェヘラザードみたいになれれば嬉しいが。楽しみに待っているよ。

by Rosamonde

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ADHDの痴呆老人介護


昨年6月に痴呆の義母を引き取り、早8ヶ月が過ぎました。少しづつ、顛末やら、経過をご報告させていただこうと思います。多分に愚痴のようになってしまうかと思いますが現在、闘いの真っ最中故、そこのところ、お許しくださいませ。まずは、今日に至った顛末からお話させてください。

糖尿病を患って20年近くの義母が最初の脳梗塞を起こしたのは4年前でした。幸い、胆嚢炎での手術の為、入院中の病院内で倒れた故、左視野狭窄(両眼の左側視野が狭まる)という障害のみで、2ヶ月の入院加療で無事退院致しました。さて、肺がんで義父を亡くしてから、関西の都市に一人暮らしだった義母でしたが、退院後すぐに帰宅させる訳にもいかず、我が家でしばらく引き取り、面倒を見る事になりました。しかし、まだ当時ADHDの診断の下っていなかった私には、これが地獄の日々の始まりでした。

ある日こんな事がありました。耳も不自由な義母と病院に行く日の事。「お母さん、今日は1時半に家を出ますから」朝、そう言いました。しかし、義母は1時頃、さっさと表に出て駐車場にいたのです。当時、鬱病の診断を受けていた私は、何とか家事をこなしている状態だった為、表の様子など気付くはずもなく、そのままでした。いきなり、裏のドアが開き「いつまで待ってればええの」と義母の怒った顔が・・・。「え?私、1時半て言いましたが・・・。」ADHDの為なのか、自分の言った事に自信が無く、混乱していました。しかし、たまたま、その日、学校が休みだった娘が聞いていてくれ、「おばあちゃん、お母さん1時半て言ったよ」と言ってくれました。「うそ〜、1時って言ったじゃない」「いいえ、言っていません・・・。」押し問答の末、「いいわ!二人でそう言うならそうしとくわ!」義母は不服そうにまた家の中に入っていきました。私は、自分が間違えたのか、確かに言ったのか、ひどく混乱してしまい、娘に「お母さん本当にそう言ったよね」と確かめる始末でした。そしてその夜、主人が帰宅した時、その話になり、なんと義母は、私に向かってこう言ったのです。「恐ろしい女や」。人生後にも先にも人からそんな言葉を浴びせられられた事の無かった私は、それ以来、義母に話をしたり、伝えたり、接する事が怖くなってしまいました。

そして、決定的な事が起こりました。家事をこなすのがやっとの鬱病の私には、到底面倒な糖尿病食を作ることが出来ず、病院から言われたカロリーの食事を、紹介してもらった給食センターに依頼し、届けてもらっていたのですが、義母には、それがいたく不服だったらしく、「こんなの人間の食べる物じゃない!!」と言い出し、それまでも何度も説明し、話をしてきた主人が切れ、私を含めた話合いになりました。そしてその際、向かいに座った私に信じられない矢のような言葉が飛んだのです。「私を憎んでる目で見ないで!!恐ろしい目や!」本当にそんな目をしてしまったのかもしれませんが、ビックリしてしまった私は、痙攣が始まり、体中、ブルブル振るえ出し、固まってしまったのです。何とか、押さえ体は元に戻ったのですが、ほどなくして部屋に帰って行った義母が、トイレに立った姿を見た途端、また体中に痙攣が起こりました。口から「お義母さんが怖い、お義母さんが怖い」と念仏のような言葉と共に。急遽、同じ団地内の実家に連れて行かれ、その晩は実家に泊まりました。その時の母の温かさ、父の「抱きしめてやれ」と言ってくれた言葉。40過ぎた私は、子供のように泣きました。でも、「私の家は、あそこなのだ。娘達のお弁当を作らなきゃ。朝の食事の用意をしなくちゃ。皆が寝てる前に戻ろう」落ち着いて冷静になった私は眠れない夜を過ごし、明け方一人帰りました。しかしその後も、何度主人が言い聞かせても食事制限ができず、家族も皆疲れ果てとうとう退院後二ヶ月経った頃主人が「もう我慢できん、悪いが帰ってくれ」と印籠を渡し義母は自分の家に帰って行きました。これが4年前の事です。

地獄のようなこの2ヶ月で、私の鬱病は、確実に悪化してしまいました。そして3年後、今回の介護という事になっていくのです。
今回は、痴呆に至るまでの姑と、その後の私の状態をお話します。
 
 家に帰って行った姑とは、その後、年に数回、お正月、お盆など、ごく普通の帰省という形で再会しました。しかし、相変わらずの食欲で、周りが止めても、「かまへん」「このくらい、何とも無い」と聞き入れず、「糖尿病に良いから」とサプリメントを薦めても、「そんなん、いらんわ」と拒否。こんな食生活を続けていたら、また、倒れるなあ・・・と内心思いましたが、そこは、嫁姑の仲、主人がきちんと言っているのだから・・と私は、またあの衝突が怖くて何も言う気にはなれませんでした。私の方も、毎日の生活の中、娘の大学受験やら、私自身の鬱病との闘いなどで、姑の事まで気を回していられない状況でした。
 
 4年前、一度目の脳梗塞の後、姑が帰って行ってからの私は、悪化した鬱病治療の為、通院し続けました。そして2年程前、好転しない鬱病に、治療に対する疑問が生まれました。長期間の抗鬱剤の副作用によって、58キロだった体重は85キロまでになり、女性なら解っていただけると思いますが、着ていた洋服が全部着られなくなり、私は自分の醜い体型を人に見られたくなく、家に閉じこもり、人に会う事が、苦痛になり、買い物にも出られなくなり、食事は店屋物が続き、子どものお弁当も作れず、毎日悶々とソファに寝転がる状態になってしまっていました。一体自分はどうなってしまったのだろう・・という不安の中、出口の無い迷路をさ迷うような恐怖にさいなまれ、鬱は、ますますひどくなっていきました。
 
 正にそんな時、テレビでADHD障害を知りました。濁った視界が、パーッと開き、光の筋が遠くに見えるような感覚でした。すぐに通院していた精神科に自己申告しました。県でも有数の大きな精神科だったこの病院には、アダルトでは有りませんが、児童ADHDの専門医がいらっしゃいました。それまでの私のカウンセリング資料などから、その日のうちにADHDと診断がおりました。「そのお歳までお一人でよく頑張っていらっしゃいましたね」先生の言葉に、温かいものが零れました。「だらしない」「落ち着きが無い」「どうして時間が守れないの!」子どもの頃から親に言われ続け、大人になってからは、自分を責め続け、ズタズタに傷ついた心に、先生の言葉は、温かく染み込んでいきました。
 
 私は、永年の呪縛から開放され、悶々とした生活から抜け出し、自身の呪縛からも救われたのです。しかし、反対に今度は「鬱は、完治する」と頑張ってきた自分に、「障害は死ぬまで付き合わなければならない」という覚悟が必要でした。自分は障害者だと容認し受け入れるまで、それからさらに半年掛かりました。次第に落ち着いた日々を取り戻した私は、薬を変えた事により体型もだんだん元に戻り、目の前に迫った娘の大学受験を娘が心置きなく迎えられるよう心掛け、投薬によって、それまで出来なかった炊事、洗濯も、序々にこなせるようになり、ぎくしゃくしていた家族の関係にも、また、温かいものが流れるようになって行ったのです。
 
 そして、娘の大学の入学式も終え、友人達と「ご苦労さん会」をしよう、どこか温泉に行こうと、楽しい話題でウキウキしていた5月初め、姑から突然電話かありました。「ちょっと入院してくるわ、また、教育入院やから、お見舞いはいらんよ」。糖尿病にも関わらず、食事制限がちゃんと出来ず、血糖値が異常に高くなった為の、教育入院でした。私達も、またいつもの事であるし、本人もそう言っているしと、そのままにしました。しかし、2日経った連休最終日、姑が永年お世話になっている近所の病院の院長先生から電話が入りました。「どうも、様子がおかしいので早急にお目に掛かりたい」気持ちが、じわじわと、不安に陥っていきました。
 
 その晩、近くに家庭を持つ義弟が面会に行きました。そして・・・・。「他人のベッドに寝てしまう」等おかしな行動が見られるとの先生のお話。決定的だったのは、義弟が見ている前で食事を摂ったのにも関わらず、食器を返却した直後、「夕飯遅いなあ」・・・・・。電話をもらった私達は「早急に日赤に移すから」の義弟の言葉にただ「頼むね」としか言えませんでした。義妹が看護婦として勤務する日赤なら、とりあえず安心でした。週末、帰省する約束をして電話を切りました。
 
 「どうしよう」これが、正直な私の最初の思いでした。混乱していました。「どうしよう、どうしよう・・・。」繰り返す私を落ち着かせるように・・・いいえ、多分、私以上に不安に陥った自分を落ち着かせるように「まず、お袋の様子を見てからだ」の主人の言葉で、何とか平静を取り戻せました。そして土曜日、主人の車は、私達の不安と、前の見えない恐怖を乗せ、阪神高速を西へと向かいました。

 車の中は、息苦しい空気に満ちていました。これから一体何が起きるのか、誰も、何も口には出来ませんでした。病院に着き、エレベーターを待つ間、逃げ出したい衝動に駆られました。

 教育入院に至った理由が、解りました。3ヶ月程前より、血糖値が異常に高くなり始めたのは、痴呆症状により、のべつ幕なしに食べたい物を食べた結果だったのです。後に家の片付けに行った際、近所の方から、尋常ではない数々の話が出てきました。そして、何と、日赤に転院後、脳梗塞を起こしていた事も、判明。梗塞が前回と同じ、物を見て判断する視神経を司る箇所だったため、違う物に見えてしまった事も、痴呆に拍車をかけたようでした。

 実際に姑を前にし、話をすればするほど絶望的なものを感じいよいよ大変な事になったと思いました。病院側の説明では、まだ脳の腫れが引いていない為、痴呆がどの程度進行しているのか、判断しかねるとの理由で、摂り合えず、しばらく入院し、脳の腫れを診ていくとの事。今のままでは、退院は、当分の間、出来そうもないと言う言葉に、ああ、少し、考える余裕が出来たと言うのが、私の正直な思いでした。先の対策を練る為に、私達は一旦帰宅しました。

 幸い、最初に入院した病院が、姑の状態をよくご理解くださっていた事が、私達の救いになりました。担当医が既に公的機関に介護認定の申請をしてくださっており、即効で、介護申請中のサービスを受けられる事になったのです。しかし、この介護認定が、後々、私達の気持ちを大きく揺さぶる事となるのです。

 介護認定は、市派遣の面接員が、家族と本人に聞き取り調査を行い、1〜2ヶ月の間に審査され、認定が降りるシステムです。派遣員は、医療系の方と、福祉系の方といらっしゃいますが、私のような障害の場合、充分理解して頂くには、やはり、医療に携わってらした、医療系の面談員が好ましいです。1回目の申請は入院中の病院から関西の都市に出され、最初に入院していた病院のしっかりとした「痴呆」のお墨付きでした。

 帰宅した私達は、一体何から始めて良いのか途方に暮れました。まずは市の福祉課に出掛け、「老人福祉課」と書かれたカウンターに向かいました。担当の「伊藤さん」は、まだ20代前半の若い女性。個室に通され、それはそれは親身になって話を聞いてくださいました。そして何より、彼女がADHDを認識してくれていたのが、救いでした。退院時に各施設に提出する診断書を、用意する事。介護認定診断員に示す私の診断書を用意する事。それから、早急に特養(特別養護老人施設)と老腱(老人保健施設)に入所申し込みをする事など、私達がしなければならない事柄を、羅列してくださいました。ADHDの私にとって、今にも混乱し、爆発しそうになる気持ちも、伊藤さんの見事な対処で、一つに何とかまとめる事が出来ました。こうして、私達は、私の障害と共に、新たな「痴呆老人介護」いう難題に立ち向かう準備を始めたのです。

 by いっこ 


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私の、私の彼は英辞郎


英辞郎って何かしら?

タイトルの通り、私の彼にしてるから実際に生きている人間のことかしら?と思ってしまう人がいると思う。単なる実際にいる人間ののろけ話じゃないの?と声を大にして言いたくなるような話ではない。

英辞郎とは100万語収録の英和・和英辞書のことである。私が私の彼と言うくらいだからよほどお気に入りだと言うのである。ところで英辞郎って何?とまだ“お分かり”にならない読者に説明をしよう。

上に書いたが、100万語収録の和英・英和辞書である。詳しく書くと英辞郎のCD−ROMを収録した本が1800円で去年の今頃、発売されたのだ。100万語収録は本当に凄いのである。英語のプロ(翻訳家など)が本当に使える辞書が欲しい!と言う切実な長いから生まれ、インターネットで大評判を集めた辞書なのである。私も知らなかったのだが、インターネットでオンラインとして英辞郎の存在があったということを。1800円で100万語収録の英和・和英辞書なら私たちは即買いたくなるアイテムだと私は思うのだ。

紙の辞書を調べるのはある意味邪魔くさい作業を伴うのし、調べたい単語以外にも好奇心本領発揮と言わんばかり関係のないほかの単語まで調べてしまい、一体どれを探していたのか忘れてしまうと言う状態に陥りがちになってしまう。そこで私は電子辞書を買ったのだ。買ってみたら余計な単語まで調べる必要がないことが分かり、私の彼、『英辞郎』と出会うまでは電子辞書で充分だと思っていた。充分だと思っていても私のニーズに充分合うものでないのだが。

去年の今頃、英辞郎に出会ったのだが、本当に100万語収録の英和・和英辞書と言うキャットコピーで即買ってしまったのだ。本当の凄さ、素晴らしさを実感したのはパソコンにCD−ROMを入れ、インストゥールして使い始めた時である。

100万語収録だから当然AD/HDは収録されているのかなと思って『AD/HD』を打ってみたが、出てこなかった。和英で『注意欠陥多動性障害』と『注意欠陥障害』を打ってみたら、見事にそれぞれADHDとADDが出たのである。(ちなみに学習障害とアスペルガー症候群を出してみたら、見事に登録されていたのだ。学習障害はたとえの文例まで出ていたのだ。)普通の英和・和英辞書ではADHDやADDは載っていない。英辞郎なら載っていたのだ。が、欠点はある。「単語の活用など文法的な説明」は弱いのが欠点。市販の辞書と併用しながら英辞郎と付き合うのが一番なのだ。

私たちAD/HD族にとっては英辞郎はとても便利なアイテムであることは間違いないのである。調べたい単語やフレーズはかなりの確率で載っているし、余計な単語やフレーズなどを調べる必要はないし、自分だけの単語帳も出来るのだから。

最近、弟分の『学辞郎』が発売された。早速彼の弟分も買った。弟分も至れり尽くせりであることは間違いないのだ。皆さんも実際『英辞郎』や『学辞郎』を買って、使ってみれば私の彼の凄さや素晴らしさを実感できるだろう。これで『英辞郎』や『学辞郎』を元に海外の情報も取り寄せるにも楽になるし、自分からも海外のMLなどに書くことも楽に出来る。私は立派に活用している。が、いまだに海外の情報などを紹介したことがない。私の英語力は相当落ちてしまったと言えるだろう。お恥ずかしい話である。これからは彼らの力を借りて何とか出来るようにしたいものだ。

“彼ら”の宣伝になってしまった。それくらい私たちにとって素晴らしく必須アイテムになるのは間違いないとだけ言っておきたい。少なくとも私は“彼ら”にハマッた人間であるから。ハマッた人間が言うのだから自分の目で確かめて欲しいのだ。確かめたら私の言っている意味も分かるだろう。分かると思うのだ。

by Rosamonde

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パソコン自作の薦め


私は仕事の関係上、秋葉原に頻繁にゆく。少なくとも月2回はゆくだろう。また、私の秋葉通いは40年にはなるだろう。むろん、秋葉は電機の町で大型家電販売店が何軒も並んでいるし、また興味のない人には全くどうやって使うのかわからない電気関係の部品、工具、各種材料などを扱っている店が数え切れないほどあり、私のような趣味を持った人間にとっては何度ゆこうが、何時間過ごそうが決して飽きることのない町だ。
 
 その秋葉の変転だが、私が通い始めた40年ほど前は真空管全盛時代で、真空管のアンプ、それから真空管を使ったアマチュア無線の無線機、それらの材料、工具、などが主だった。しばらくしてトランジスタ全盛になり、あっという間にICに入れ替わっていった。今でもアマチュア無線関連の専門店はあるし、アンプの店もある。アンプは、数としてはICアンプが主だが、一部真空管を使ったアンプもちょっとしたブームで、何万円もする真空管(真空管だけの値段!昔は千円代で買えた)をつかったマニア向けの真空管アンプが人気だ。
 
 それはさておき、今秋葉で一番多く扱われているのはパソコン関係だろう。完成品もむろん数限りなくあり、これをごらんになっているあなたもお持ちだろうし、パソコンの普及率はこの不況のさなかにもかかわらず鰻登りだ。そして、秋葉では完成品と同様部品もまた多くの扱い店がある。30年ほど前、最初に私がパソコンを手にしたときはそれこそCPUや各種IC、トランジスタや抵抗、コンデンサなどを買ってきて自分で半田付けし組み立て造った。
 
 ソフトウェアなどももちろん売っていないからマシン語という一番基本的なプログラミング言語で造り、試行錯誤の結果、基盤上の表示用ランプが瞬いたときは大感激だった。
 
 当時のコンピューターにはキーボードやモニター、FDDもHDDもついていなくて、いくつかのスィッチをぱちぱち入れたり切ったりしながら入力すると、8個のLEDがついたり消えたりするのができることのすべてだった。これでも、ちゃんとパソコンの働きを確認できた。
 
 さて、私がメーカー製のパソコンを一番最初に買ったとき、モニター付きで記憶では数十万円くらいだったと思う。ベーシックで様々なことをやったが、ワープロや表計算、お絵かきなどができるようになるという感覚はなかった。いまは、10万円代で各種のソフトがインストールされたパソコンが買える。
 
 30年ほど前とは様変わりで、何も苦労して自分でパソコンを組み立てる必要はないといえる。が、実は自作をする人は大勢居るし、その理由もちゃんとある。
 
 いつもの癖で前置きが長くなったが、たまには無関係な話もよいとして我慢いただきたい。私は仕事上パソコンで図面を描くCADというソフトを多用するのと、3DCGもよく描く。とすると、既製のパソコンではどうしても力不足で、やはりCPUスピードも速くしたいし、ラムも大きくしたい。ハードディスクも大きくなくてはならん、ということになる。
 
 私が好きなだけお金を使えるならそのようなパソコンを特注すればよいが、かなり高い。で、必要な機能だけを強化したパソコンを造る必要が生ずる。ありがたいことに、CPUなどのバルク製品などは純正品の半分以下の値段だろうし、ラムもやはり半分以下の値段で買える。ハードディスクもバルクだと非常にやすい。
 
 つまり、秋葉をぶらついて一番安い製品をそろえることができるし、ケースなどは前からのものを使えばよい。機能アップのために今までの電源では小さいので大きなものを1万円くらいで買わなければならないか、あるいはつぎはぎ電源を自分で造ろうかと思っていたら、展示品が一個だけ三千円以下で買えた。
 
 で、結局六万円以下で一応満足できる性能のパソコンが手に入った。自作といっても、昔と違い、ドライバ一本あれば慣れない人でも二時間くらいで作れるし、パソコンショップで聞けば親切に教えてくれるし、ネットでも教えてもらえる。また自作のための参考書もたくさんでているから、電気のこともパソコンのこともほとんど知らない状態で、パソコンは組み立てられる。やってみてはいかがであろうか。
 
 確かに問題はある。組み立て方を間違った、使った部品の相性が悪かったなどで動かないことがある。というより、最初からうまくはゆかないのがふつうだと思ってよい。あまり期待はできないが、パソコンショップに電話をかけまくり、メーカーにメールを送り続ければ何とかなるし、そして一度ものにしてしまえば自信がついて、多少どうなっても解決できる。
 
  by ロクスケ

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私たちはポスペの飼育は難しい?


ポスペって何かしら?

ポストペットの略である。ペットが切手代わりになってメールを運んでくれるのだ。

AD/HD族にとってポスペの飼育はとても難しいらしいのだ。私は難しいと感じたことがないのだが。AD/HD族にとっては自分の飼っているペットの世話の維持が難しく、ペットの方から家出してしまうのだとか。実際、あるAD/HD女性がポストペットを使っていたが、世話が邪魔くさく億劫になっていたら、自分の飼っていたペットの方から置き手紙を残して家出をしてしまった。再び、新しくペットを飼っても世話の難しさからまた家出をしてしまい、ポストペットを使うのを止めてしまったと私に話してくれた。他のAD/HD女性たちも彼女と同じく、ポストペットを使っていたが、すぐに置き手紙を残して家出をしてしまったのだとか。

AD/HD関連のオフ会に参加していた男性から「私がポスペにハマる訳が分かる」と言われてしまった。私はAD/HDだけではなく自閉症スペクトルもある。上手く行っている女性はアスペルガー症候群と診断されている女性である。単にAD/HDだけならあるAD/HD女性のようになってしまうのだが、私の飼っているペットは家出をしていないのだ。バーチャルでありながら世話をするのが好きなのである。親バカになってしまうのだ。ペットの為にお見合い相手を探すほどで、ペットもご主人様ソックリなのだ!

別に驚くことでもないのだが。

AD/HD族がポスペの飼育に失敗してしまうのは上に書いたのが、ペットの世話の難しさと邪魔くささが関係してしまうのではないかと思う。自閉症スペクトル族のポスペの飼育は上手く行っている例は多いのだが、AD/HD族のポスペの飼育に上手く行かないのは細かい世話などのメンテナンスの複雑さが関係しているのかもしれない。

ところでAD/HD族のポスペの飼育がうまく行っていますと言う人がいたら名乗りを上げて欲しい。上手い飼育のコツを教えて欲しいからである。実際、AD/HD族のポスペの飼育をしている人がいるのだろうか?

by Rosamonde

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AD/HDの息子を持つ母親です


私たちにいただいたメールを、ご了承の元に掲載させていただきました

 AD/HDの息子を持つ母親です。「ひらめきすぎる人々」を読ませていただきました。

自分を反省すると同時に、自分を見つめることができました。つい叱ってしまうわたし。わかっていてもつい..ついって..AD/HDかな?って思いました。子供のことで精一杯で十分のことなんて考える余裕がありませんでした。だからと言って、対人関係に問題があるわけではないので特にカウンセリングを考えているわけではありませんが自覚することで、子供への接し方が変わるかな?と思いました。元来、わたしはうぬぼれ屋なのでしょうか。けっこう自分が好きです。f(^^;息子にもそうなってほしいと思っています。

息子は小さい頃から、なんというか、他の子とどこかが違っていました。すぐ迷子になるし、迷子だと自覚せず「まわりがいなくなった。」と思い込んで一生懸命探そうとするから、よけいに見つけられない。人なつっこくて、「知らない人に声をかけられてもついていってはいけない。」と言ってあったのに、知らないおじさんと手を繋いで歩いている。どうして?と聞いてみるとお友達と約束している公園にひとりで行くのが怖くて自分から「一緒に行って。」と声をかけたのだとか。自分からって。(^^;でも、そんな息子が憎めないというか、かわいくてしかたありませんでした。(今も)親戚の人たちからも可愛がられています。

でも、小学校生活は甘いものではなく..いろ〜んなことがありました。息子は情緒障害児学級に通っています。板橋区に住んでいますが、区内小学校に3校、中学は1校しかありません。通常学級に籍を置き、週に1度通っていますが、息子の通っている学級は先生が3人。だいたいひとりの生徒にひとりの先生の体制なので単純に考えても週5日で3人=15人しか通えません。先生がうまくやりくりしても、手のかかる子もいるため20人も通えないんです。通えない子、週に1度ではどうにもならない子は必然的に5組に行くか、通常学級でがんばるしかありません。幸い?息子も激しく荒れていたことがあるためスクールヘルパーが週に3時間ついていますがスクールヘルパーも数が足りず、ついてもらえない子がほとんどだと思います。

去年、理解して欲しくてNHKの「にんげんゆうゆう」に出演しました。でも、結局「何で5組に行かないの?」というような事を言われたりして難しさを痛感しました。普通に見えるからと「親が無関心だから。。」とか「過保護。」陰口を言われ障害だというと5組に行けば..みたいな理解の無さ。そういう心の貧しい社会において、息子はどう生きていくのか、とても不安でした。本を読ませていただいて、AD/HDとうまく付き合っていけるようにサポートしていこうと思いましたし、息子自身が切り開いていってくれるかな?と思えるようになりました。少し気持ちが楽になりました。また、多くのお母さん達に呼んでほしいと思いました。AD/HDに関す売る本はよくありますが、どう付き合うか。という内容がほとんどで将来を見ることができないように思います。子供がAD/HDとどう付き合うのか、また将来を感じることができてよかったです。

情緒障害児学級に通っている子の保護者や先生にも本を読んでもらおうと思います。また、HPで紹介させていただいております。文章がまとまらず、長々とごめんなさい。

でわ。
 鈴 木美 由 紀
URL:http://members.jcom.home.ne.jp/hanyimiyuki
MAIL:hanyimiyuki@jcom.home.ne.jp

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生きる期間


先日、仲良くしていただいていた私よりずっと年上の友人が突然亡くなりました。あまりにも突然のことだったので涙も出ないくらいの衝撃を受けました。

この事が起きてから、前から自分の中で感じていた生きることへの定義が前よりもずっと明確になりました。その定義とは、「本当の人生の長さは、他人もその本人も予想することが出来ない。だけど、みんな100%死ぬという経験をする。」この定義は、もちろん、あくまでも自分の定義なので、他の人には押し付けることは出来ません。ただ、私にとってそう強く感じたことです。

人生の長さは判らない。人によって長くもあれば、短くもある。そう思うと、1日、1日を大切にして生きたい。と、感じます。私自身、鬱になったり、対人恐怖に陥ったり、今 それを克服しようとしたり、普通の人と同じに楽しんだり、色々な経験をしていっています。つらいことも、色々あります。でも、それも1つづつ、大切な経験で、良くも、悪くも出来るのも自分次第。与えられた期間の中でより楽しく過ごして、過去の自分よりもさらに楽しんでいる未来の自分にしていってあげたいと思い始めました。 
 
 by ナオニャム

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タバコのポイ捨て禁止条例


東京の千代田区は、クリーンアップのイメージを定着させるためタバコのポイ捨て禁止の条例を制定しました。いろいろな新聞で取り上げられているので、都内の方は知っているかもしれません。千代田区の職員は、土日も返上してタバコ等のポイ捨て禁止にご協力を、と口頭でおねがいしたり、ティッシュを配ったりしています。やはり、行政側が、条例を作ったぞ、といったまま知らん顔でなくて、ちゃんとその姿勢をみせて始めて千代田区の条例が生かされるのだと思います。そのせいか、御茶ノ水などでは、タバコの吸殻が路上に落ちていることがないのです。確かにきれいになりました。

ところが、ところがです。この間、水道橋駅に行ったときのことです。水道橋は、神田川を挟んで千代田区と文京区にわかれているのです。千代田区は、きれい。でも、文京区の区域になると、千代田区でポイ捨てできなかったタバコの吸殻が、路上いっぱいに捨ててあります。文京区ではタバコの吸殻を踏みながら歩くといった始末です。ためいきがでました。

文京区ももちろんですが、本当は全国でタバコのポイ捨て禁止法ができないと、きれいな日本は実現しないようですね。新聞記事で取り上げられた、先進条例ではありましたが、こういう現実まで新聞は追ってくれないと、なんだかおかしなことになってしまうなあと思いました。そういえば、ある私鉄で終日タバコ禁止にしたとニュースでやっていましたが、JRでは「当面そういう考えはない」と答えていました。JRはタバコを吸う職員が多いのかしらね。 by musica

シンガポールなどは非常に厳しい法律があり、たばこのポイ捨て(最近は路上全面禁煙ではなかったかと記憶してますが)はむろん、タン吐き、ゴミ捨て、立ちションなどとんでもない罰金を取られ、場合によっては逮捕されてしまうと聞いています。そのおかげで確かにシンガポールは綺麗なのだそうですが、本来自分たちの街を綺麗にするのは自分たちがそうした方が良いから自発的にするべきで、法律で決める事ではないのでしょうね。

でも、今はそんな事を言っていたら町中ゴミだらけになりますし、事実電車の中でさえ飲み食いしてゴミをその場に捨てる人は珍しくありません。たばこやガムの紙を剥いてその場に全く無意識に捨てる連中には事欠きません。基本的にしつけがなっていないのでしょう。だから、本人はそんな事は全く意識していないのだと思われます。私は道路にゴミを落としてはいけないと繰り返ししつけられ、今でもゴミは無意識にポケットに入れています。また、ゴミ箱を見つければそこに捨てる様にしています。ところが、そのゴミ箱自体が駅にも道路にも少なくなりましたが。千代田区の取り組みはやむを得ないと思いますが、それ以前に親が子供にきちんとしつける事が基本だと思います。

from ロクスケ

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パイナップルを食べると不妊症になる!?


わたしはインドネシアに住んでいるのですが、先日、ソロという都市に行った方から、お土産に「トルコ風ラム・ロースト」という大変美味しい羊のお肉を頂きました。夫と二人で早速夕食に食べていると、くれた方からお電話があり、「羊はとっても”熱い”からパイナップルを後で必ず食べるように!」と言われ、食べるのを中断して、パイナップルを買いに行きました。

インドネシアでは、「陰陽」のように、食べ物を「熱い」、「冷たい」とよく表現しています。例えば、ドリアン、竜眼、羊などは熱い食べ物の代表で、高血圧の人には良くない、と言われています。逆に冷たい食べ物はきゅうり、スイカなどで身体を冷やす食べ物です。

話が横にそれてしまいましたが、パイナップルの話に戻ります。

羊とパイナップルを夕食に頂いて、その日は良かったのですが、次の日に余ったパイナップルを朝、夫と食べていると、知り合いのおじさんに「パイナップルはあまり食べないほうがいい。女の人がパイナップルを食べ過ぎると不妊症になる。」と言われました。(うちには、うさぎがいるのですが、うさぎも女の子ですが、パイナップルが大好きです)わたしは、南国のフルーツが大好きで、パイナップルは特に好きなのです。今までの人生で100個は食べたと思います。不妊症になる、といわれたものの、今朝もまた、パイナップルを食べてしまいました。(笑)

そういえば、昔、スリランカの植物園に行ったとき、ガイドのお兄さんが「スリランカでは、昔、女の人がしたくない妊娠をしたとき、青いパイナップルを食べて、わざと流産をしたのです。」と教えてくれたのを思い出しました。

迷信かもしれませんが、パイナップルと妊娠は南国では深く結びついているようです。by Bunny_Lab

 日本でも、秋ナスは嫁に食わすな、という言葉があり、解釈としてこんなうまい物は嫁に食わせるのはもったいない、という嫁いびり説、または秋ナスは身体が冷えるので不妊症になるという嫁に対する思いやりという説があります。

 嫁いびりはともかく、秋ナスが不妊になるという説もどうなんでしょうかね。確かに漢方などでは体を温める食べ物と冷やす食べ物があり、それは身体の実質虚質に合わせて食べ分けるなどと言いますから、場合によってはそうなるかも知れません。インドネシアにも中国系の人は沢山居ますから、そのような考え方が普及して居るんでしょう。

 パイナップルが日本で食べられるようになったのはおそらくこの数十年でしょうが、それ以前の日本は子沢山でした。最近少子化が問題になっているのは、もしやパイナップルのせいでは・・・冗談ですよ。

from ロクスケ

上記記事について 漢方の考え方

それに中国の酢豚もそうですね!さすが陰陽五行論の国だ。(インドネシアも華僑系が多いですもんね)私自身、東洋医学をかじったものだけにこれは納得がいきますね。

私のノートにメモ書きがありました。これが当てはまるね。陰陽論は、あらゆる物の性質を2極に分けて考える。遠心、拡散、寒冷、カリウムの多いものが陰性。求心、収縮、暖熱、ナトリウムの多いものが陽性。

そういえば沖縄の名護のパイナップルパークに説明があったような。

パイナップルはブラジルが原産地のの常緑多年草の一種で、15世紀末の大航海時代に世界各地の熱帯地方に伝わったといわれています。日本へは、1800年代半ばにオランダ船が長崎に初めてもたらしたものともいわれています。現在では沖縄が日本での主たる産地です。よく熟れた果実は、芳香があり、果汁を多く含み、さわやかな酸味と甘味があります。生食のほか、ジャムなどにも加工されますが、主には缶詰とジュースに加工されます。また、熱帯地方では、葉から繊維をとって布地などに利用されることもあります。お土産でもらった記憶があります。

ただし、パイナップルの未熟果には、多量の酸やシュウ酸石灰が含まれるため、これを食べすぎると消化不良や肌荒れの原因となりますので、注意が必要です。

パイナップルには、肉を柔らかくし消化を助けるタンパク質分解酵素のブロメリンが入ってます。そしてクエン酸も含んでいるため、胃液の分泌がよくなり、消化を良くし、胃腸の健康を保つのに効果があります。ブロメリンには、腸内の腐敗物を分解する作用があり、下痢や消化不良などの消化器系の症状に効果的です。また、この酵素は、血栓の予防にも効果があるといわれています。さらにパイナップルに含まれるビタミンB1、B2には、糖質の分解を促進し、疲労回復や食欲を増進させる効果があります。パイナップルに含まれるブロメリンは熱に弱く、60度以上の熱を加えると効果が失われてしまいます。缶詰よりも生のパイナップルを食べる方がよいでしょう。酢豚のばあいはどうなのかなあ?あれは加熱してるものね。

パイナップル料理としては、豚肉との相性が抜群というかそのくらいしか思いつかない (^^ゞ。酢豚やポークソテーも肉質が柔らかくなり美味しさが増します。でもあまり加熱しすぎないように注意しましょう。豚肉の熱で壊れないビタミンとの相性もいいもんね。(でも、一部を除いて豚肉は十分加熱しなければなりません ー ロクスケ)

ビタミン類もクエン酸も食物繊維も含まれていて、しかもおいしいときている!パイナップルは健康維持に最適だし。沖縄が長寿な理由はパイナップルと豚肉を多用する文化だからでしょうか。意外とこれ本当かも。(あと、昆布などの海藻類、骨ごと食べる魚介類を多食する、緑黄野菜をたくさんとる、老人も労働をする、、塩分消費が少ない、気候(寒いのは高齢者には良くない)老人を大切にする気風が長寿の理由と言われてます ー ロクスケ)

効能でもざっと観ただけで、高血圧 便秘・整腸 肉体疲労 精神安定 かぜ 老化防止 骨の強化とあります。

 by はるか

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肩こり


 私は、中学のときからひどい肩こりに悩まされている。中学の時には、受験時に特にひどかった。勉強のしすぎ(?)かもしれない。自分としては、一生懸命やっているのだが、今ひとつ、引っ掛け問題に上手にはめられる口だった。今考えると、これこそがADHD特有の「早合点」だったのかもしれないし、「不注意」だったのかもしれない。中一の時、入って早々の実力試験で担任に「お前の成績は悪くない。でも姉貴に比べるとなあ。」といわれた事がかなりむかついて、いつも学年で一番、ほとんどオール5の姉に負けたくない一心で勉強したものだった。おかげで、良く勉強したものだ。肩こりはそのための体の復讐だ。

 今になってみると、悪い結果ではなかったのだが、ADHDとわかっていたら、こんなに苦労してまで姉と競う必要はなかったかもしれない。多分姉の2倍は苦労したと思う。

 その後、進学校に入学してから私は音楽のほうに進むことを高校の担任に宣言した。そうしたら担任が「じゃあなんでこの高校に来たんだ。音大に行きたいなら、学科だけなら今受けても受かるぞ。これからみんな東大めざしてがんばろうという周囲と君は全然違う方向を向くんだぞ。」と言われた。まあ、みんなが東大へ行けるわけは当然なく、一部の限られた人だけが東大へ行くのだけども、1年次はみんな中学でいい成績を収めてきているから、東大へ行けるものだと勘違いしている。私は担任に言った。「東大だけが大学じゃないし、私はこの高校に入る資格を得て入学したのだから、この高校で勉強すればいいと思う。別に、わざわざレベルを下げて他の高校に行く意味は感じない。」と応酬した。そうしたら、担任も妙に納得してしまった。「そうか。言われてみればそうだな。じゃあ、お前は授業中に精一杯勉強して、うちに帰ったらピアノを練習すればいい。俺の宿題もやってこないでいいぞ。授業で習得できるものが、財産になるからな。」と言ってくれた。

 と言うわけで、高校では全然勉強しなかったので、びりから5番目とかになったこともある。自分でもさすがにがっくりしたが仕方がない。

 高校の3年間は本当にピアノ三昧だった。受験前は一日10時間くらいは弾いていたと思う。これも、ひどい肩こりを呼ぶものだった。私は肩こりと、手の使いすぎによる腱鞘炎に悩まされながら、高校生活を送っていた。しかも、気が散りやすく、長く練習が続かないので、ピアノの先生にはいつも「もうちょっと練習していらっしゃい。」と言われ続けた。ついでに、大きな音を出して弾く練習が必要だったため、当時は耳に雑音が響いてこれがとてもつらくて、耳栓をしながら練習したものだ。手の力を鍛えるためだったのだが、もう久しくピアノに触れていない今でも、握力は41〜3はある。

 高校3年の時に大学が決まって、3学期はみんな手を抜いていたので、今まで悔しかった分一生懸命勉強してラストだけはいい結果を出した。だから、どうだと言うわけはないのだ。ただの自己満足だ。

 大学では、ピアノの師と音楽の感性が合わず、なんのために音楽大学をめざしたのかわからなくなり、他大学の聴講に行ったり、社会人講座を受講したりしていた。飽きっぽい私は、音楽から心がはなれてしまった。毎週あるピアノの授業(当然個人レッスン)では、先生とのお話タイムだった。毎学期あるピアノの試験では、マイナーな曲を選んでメジャーで競う友人たちと競合しなかった。ちなみに、私の卒業演奏(普通の大学の卒業論文にあたる)は、りヤードフという作曲家の「スペインの民謡による変奏曲」だ。作曲家も知られていないが、大学の教授たちも皆初めて聴く曲だったと思う。優れて美しいロシア的なよい曲である。何年か前に、全音でリヤードフの作品集が日本語版ででたときは、驚いてしまった。本当は、シェーンベルグの作品11を弾きたかったのだが、師に断られた。当時はそれは無調の前衛音楽だったからだ。今はもう現代音楽とは言わない。歳月の経つのは早いものだ。それは、卒業間際の門下生の有志の演奏会で披露した。聴きに来てくれた私の知り合いは「あのー、あれって曲なんですか?」と言っていた。(爆)。楽譜をみても、どうやって弾いていいのかわからないような曲だったが、それなりにおもしろかった。だから大学で全くピアノを弾かなかったわけではない。でも、ここでも高校の時のように、上には上がいるもんだ、と思ったものだ。己の力の限界を知る。

 私は、夜間に他の大学で経済学などを学んでいたので、一日をぎりぎりで過ごしていた。当然、肩こりには悩まされた。ピアノも弾き、勉強もし、酒も飲んだ。

 そして、就職時には、音大生には就職と言うと音楽の教職しかなかった時代だが、私は行政職試験を受けた。合格名簿に載ったと教務部に報告すると、大学の事務室が騒然となるくらいに驚かれた。この大学ではじめてのケースと言われてしまった。

 就職すると、当時はまだコピーもない時代で(私の歳がばれてしまうが)、私は、自治体の司令塔の課に配属になって下っ端をやった。当時はまだ、女は茶汲みの時代である。50人の会議の時も誰も手伝ってくれる人はなく、一人で50人のお茶を日に3回もどうやっていれるのかというくだらない仕事にかまけていた。あるいは、議会があればひたすら清書、青焼きコピーである。普段は経理で、ADHDの私には大変不向きだった。でも経理簿が穴あき式で、書き換えが可能だったので、よく監査の前に残業して書き直したものだ。肩はぱんぱん、コンタクトはアレルギーになってしまって、メガネを使うことになってしまった。

 私はその仕事は3年でギブアップした。異動願いを出して、情報処理いわゆる汎用コンピュータの課に異動した。そのときも一悶着あったのである。部長が「音大出の女に情報処理が務まるか」ときたもんだ。

 私は、その日迷わずある大学の二部の法学部編入の願書をもらいに行った。そして合格。情報処理の課長もその熱意に一票ということで、受け入れてくれた。

 それから、端末と向き合う生活が始まる。それは、肩こりの悪化を招くことでもあった。1日ほぼ8時間端末に向かっている。情報処理には7年いた。性に合っていたが、異動基準年限をとっくに過ぎていたので、他の課に異動する。それからもう5箇所も異動している。どの課でも、たいてい電算の担当になる。ワープロの時代にはワープロを、パソコンが入ってきたころには、自宅に買って、職場では何でも屋になった。3〜5年ごとに異動があるので、頭が嫌でも回転しないと使い物にならない。最近は、さすがに新しいことを覚えるのが辛い歳になってきた。

 いずれにしても、肩こりには極めて悪い。家でもパソコン、職場でもパソコンである。何年か前から、鍼灸、マッサージ、整骨などいろいろと試している。

 今日は、鍼+マッサージに行ってきた。これも、あちらこちら回って自分にあうところを探して歩いた。今通っているところは、ストレッチのようなことも取り入れているので、たいへん気持ちがいい。でも、肩こりがすっきりと治るということはない。

 西洋医学では、整形外科などでは肩こりは相手にしてくれないが、昨今ペインクリニックが対応してくれることを知った。ペインクリニックに週1回通っている。喉の星状神経節ブロックというのをやっている。喉に麻酔の注射を打つのだ。話だけきくと目が回ってしまいそうだが、案外痛くないものである。肩の痛みに比べれば、全然たいしたことはない。収縮した神経節を一時的に麻痺させて、その近くの血管の血流を増やして諸症状をとるらしい。また、ピンポイントに肩や首筋、背中などに注射してもらうと、しばらくは麻痺して楽である。肩こりのひどい人はお試しあれ。大きな病院の麻酔科にはペインクリニックがあることが多い。ちかごろは、ペインクリニックという看板で開業している医院もある。レーザー治療もやってくれる。
 
by musica

それにしても、musicaさんはがんばり屋なんですねぇ。

欧米では肩こりという現象がないそうですね。日本人とそれほど体の構造が違うとは思えないんですが、肩こりに当たる言葉が無くて、せいぜいスティッフネックというらしいです。首の筋肉が堅くなると言うことなんでしょうか。

私たちは肩が凝る、首筋が凝るなどと使い分けるのに、どうして彼の地では肩こりという概念がないのか、前々から気になっていました。まあ、たいしたことではないんですが。

それはそうと、わたし自身は肩こりをあまり経験しませんが、兄弟は全員ひどい肩こりに悩まされています。母もそうだったと思いますが、父が肩こりを訴えた記憶はありません。何なんでしょう。確かに肩の凝っている人の肩をもんでみると堅いですし、凝っているのは間違いないんですが。

日頃から腕回し運動を折に触れてやっていると、肩こりは軽減するようです。

from ロクスケ


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自分を元気付ける為にしていること



私が自分を元気付けるためにしていることがある。

まず、自分が落ち込んでいること、悩んでいることをリストアップしてみる、その次に最近あった嬉しかったことをリストアップしてみる。その次は、自分がこれからしたいことをリストアップしてみる。そうすると、大抵のときは、落ち込んでしまっている原因よりも、嬉しかったこと、やりたいことの方が多く思い浮かんでくる。そうすると、元気が出てくる。

自分の持っている悲しみは深いけど、それと同じくらい深い楽しみが自分にあることを、少なくとも私は、確信できるのだ。自分の為に、今まであんまり持てなかった笑顔をもっと持たせてあげようとやる気が沸いてくる。

ナオニャム

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ほくろ


私には、顔に17〜8個の大小入り乱れたほくろがある。それがトレードマークのようなようなものだった。

ところで、最近離婚のことをまだ引きずっている自分を感じ始めた。もう離婚して3年もたつのにである。元夫と仲良く自然の中で遊んでいる夢をみたのだった。寝起きが非常に悪かった。元夫は私の元友人とくっついて、離婚別居後1ヶ月で結婚宣言したが、いまだに通い妻として、地域の人々の冷たい視線から逃れて二人は別々に暮らしている。彼女は子供が同じクラスで同じ学童保育に通っていたので知り合った仲である。子供たちは、同じクラスで小学校1年を始め、同じクラスで中学校を巣立った。

初め、私の家から30秒の距離に住んでいた。そこに彼女が通ってくるので、当然会ってしまう。捨てておきながら、やっぱりなんだか言っても、嫌なモンである。元夫は、私の子供同然だった。もういい加減親離れしろよと言う感じで別れた。だから、その後もお友達づきあいはできると思っていたのだが、彼女があまりに私を憎んだためにそれはかなわぬこととなった。私は元夫が父親になれないのが嫌だった。そして、ともに働く同士とし
て家事分担をしないことが嫌だった。それから、気に入らないとすねた子供のように、いつまでも口を利かない(最長1年)のが嫌だった。18年一緒に暮らした。でも、重みがない。元夫は私が彼の言うとおりに動く女であって欲しがった。

でも、私は私。自分の人生を生きたい。当然のことである。そして、片付けられない私に家事も育児も家計も負わせて、自由も取られた18年間を私は捨てた。

ごく最近、生まれ変わりたいと強く思う事件があった。本当に死のうと思ったのだが、意識は戻った。私は生まれ変わる代わりに、自分の顔のほくろを全部とろうと思った。つるんつるんの自分になろうと思った。あかんぼうの時はほくろなどなかったのだ。いつの間にか、私はほくろができやすい体質らしい、顔にたくさん、体にもほくろができている。
今日、4つ目を取った。少しずつだが、私は生まれ変わっている。そして、新しい自分の人生を歩き始めている。


もう、死のうとは思うまい。私は前とは変わるのだから。

by musica


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ラストサムライ


映画「ラストサムライ」がヒットしておりますが、主演のトム・クルーズは自らLDであることを告白し、また、ADHDでもあるといわれています。

もちろん本人はそんなことを意識していないと思いますが、サムライ的な生き方は、どこかADHDのいい部分を活かす生き方のひとつと見える気がし、トム・クルーズが映画のテーマに幕末のサムライを選んだことに妙に納得したりもしています。

偶然にもトム・ハートマンの「ADD/ADHDという才能」でも日本はきわめてファーマーの国であり、ハンターと呼べる人々となるとそれはサムライではないだろうか、という旨のことを書いていました。

トム・クルーズがあの本を読んで、サムライに興味を持ったなんてことがあれば、どかんと売れたのになどと、不謹慎な皮算用をしつつ日本のハンターたち、サムライに思いをはせる今日このごろです。

ただ個人的には幕末のサムライより戦国のサムライにあこがれを感じます。幕末の日本に来た英米人は日本のサムライに末恐ろしさを感じたそうですが戦国の日本に来たポルトガル・スペイン・オランダ人はいま自分たちの行く手に立つ強大な力を日本のサムライに感じたそうです。中でも超ハンターはやはり信長でしょう。豊臣、徳川、明治政府と政権がいくつも入れ替わったため彼の攻撃性、破壊性がずいぶんと誇張されているような気がします。

本来の彼は、改革者であり、創造者であったと思います。政教分離、兵農分離、城下町、市場経済、技術革新など信長の時代にルーツを持ち、豊臣、徳川の時代を経て明治、戦後の日本に受け継がれているものも少なくないと思います。

時代背景もあり、確かに暴君にならざるを得なかった部分もありますがしかし、取り立て残虐な主君ではなかったとは思います。

by 神原編集長(ヴォイス社)



信長のADHD性についてはいつぞや家康に至るまで色々なタイプのADHDの例であるとの説を披瀝していただきました。

信長に限ったことではありませんが、為政者については後の権力者によって、あるいは権力者におもねる人間によってかなりその像がゆがめられるのが常だと思っています。たとえば徳川家康などとんでもない狸親父として長年伝えられていましたがあれは明治政府の画策によるものらしいですしね。

信長は三国志魏の曹操にたとえられますが、たしかに同じようなタイプと思われます。信長が同時代の中国に曹操の立場に生まれたらどうなっていたかと想像するに、結構良い線行ったかと思いますが、どうでしょうか。というより、日本で三国志というと吉川英治の書いたものが基調になっているようです。吉川英治が信長を頭に置いて曹操を描いたと考えられそうな気がしますが。

いずれにせよ、曹操孟徳も大ADHDであったような気がするという訳です。日本では劉備玄徳や諸葛亮孔明が主人公になっていますが、本来は曹操こそ主人公であり、玄徳は孫権仲謀よりも小者のような気がします。むしろ、関羽の方が中国では人気がありますしね。しかし、三国志の中で一番私が魅力を感じるのは曹操です。三国の三人の中で彼だけがADHD的じゃないでしょうか。

from ロクスケ


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男性版 身奇麗に見せる方法



 1.シャツは「アイロン不要(Non-iron)」タイプと記憶形状シャツにする。

 これで、アイロンの手間がはぶけますし、しわもよりにくいので、長時間ぱりっとしたシャツの状態が保てます。そして、カラーや袖口が汚れやすいので、夏は特に毎日洗濯するのが望ましい。(全自動洗濯機にほうりこんで、ハンガーにつるして干せばらくちんです。)洗濯が面倒くさいひとは、1度着たらカラーと袖口をチェックして汚れているなら、即、クリーニングへ。

 2.ネクタイとシャツを一緒に買う。

 着こなしのセンスに自信がない人はシャツを買った時にネクタイを買うと良いです。センスの良いプロの店員さんに選んでもらえば、おしゃれに見えるものや似合う素敵なものを教えてくれます。また、ネクタイを買うときにシャツを持っていくのも一案です。そのときにネクタイをシャツ1枚につき2本とか、1本のネクタイにつきシャツ2枚とかにすれば、マンネリしがちな格好にバラエティーを加えることもできます。

 3.ズボンもシャツと同様にアイロン不要、記憶形状の素材のものにします。

 ズボンを汚しやすいひとは、「汚れ防止加工」のものや、アイロン不要で自宅の洗濯機で洗えるタイプも出ているので、チェックしてみましょう。ズボンもできれば、汚れが目立つ前にクリーニングに出すのが望ましい。

 4.髪の毛の手入れはまめにしましょう。

 髪の毛はできれば、なるべく2〜3週間に1度は切りに行くようにすると清潔感が保てます。そのとき、自分の生活習慣に合わせて、「2〜3週間きらなくてもかっこいい髪型にしてください」とか、「セットしなくてもいい髪型」とか「ドライヤーで乾かさなくてもまとめやすい髪型」などはっきりと要望を述べることが大切です。そうすることによって、髪の毛の手入れの時間を大幅に減らすことができます。髪の毛を染めている人は髪の毛の根元がプリン状になる前にヘアサロンへ行きましょう。

 5.口臭と体臭をなくしましょう

 口臭は毎日の歯磨きと歯医者で歯石取りなどのケアをすることで防ぐことができます。半年に1度は歯科検診と一緒に歯のそうじをしてもらいましょう。

 体臭は色々な原因がありますが、身体を洗うときに熱めのお湯と石鹸を使うことによって、大分減少させることができます。汗をかきやすいひとはまめにシャワーをして下着をかえるようにすると良いでしょう。

 「男性版 身奇麗にみせる方法」、参考になったでしょうか?みなさんも色々秘訣がありましたら、ぜひ、教えてください。

by Bunny_Lab

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夢を100個書いてみる



最近私がやってみているワクワクすることのうちの一つに、「自分の夢を100個書いてみる」作業をしています。

この100個って結構大変な作業です。一気に出来るかも?と最初は思って、どんどん書き上げていっても20個くらいでだんだんペースが落ちてきました。結構大変です。でも、この作業は「自分の夢を書く」という作業を通して、自分の潜在意識にも働きかけるという作業を無意識のうちに行っているのだそうです。なので、心にとってもよい作業との事です。

書き加えていく夢は、「車を買う。」「世界中を旅をする。」「自分の本を出す。」といった大きなものから、「赤い靴をかう。」「春の新作ワンピースを買う」といったすぐにかなえられそうな物、とにかく自分の心が欲しているもの全てを書き上げるのです。そして、思い立ったら加えていく。そして、なんとなく定期的にその100個の夢リストを眺めて読む。この作業が大切なのだそうです。「自分の潜在意識に語りかける」作業が大事なんですね。

私は、先週から始めてやっと50個くらいの夢を書きました。もう、叶ったものは、次に出てきた叶えたいものスペースになります。なかなか楽しい作業です。

by ナオニャム


これはなかなか良い方法ですね。思いは実体化する、とは願えば叶うなどということが昔から言われています。これは事実で、とにかく棚ぼたという事はなかなか無いものです。夢を具体化し、それ日常的に意識する事は大切で、これもお勧めですね。形は違いますが、私もやっています。

from ロクスケ

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ついている人とは?



面白い記事を見つけました。その内容は、大学の一流教授達が、“ツキ”について調査しているそう です。極めてついている人、そして極めてついていない人、400人を選び、彼らの人生について、仔 細に研究しているそうです。以下は彼らの結論です。

“運のよい人生”を送っている人は、思考方法に特徴があり、四つの基本原則に従っているのだそうです。

1) 機会を最大限有効活用する。
2) 直感に従って行動する。
3) 幸運に恵まれることを“期待”する。
4) 悪運に見舞われても、それを幸運に替えることが可能だと信じている。

なるほどな。と思いました。自分の可能性を信じていく。そういうことですね。がんばりたいと思います。

by ナオニャム

一つ一つ、昔から言われてますね。

1)幸運は後禿と言われてましてね、幸運が来たらすぐ前髪をつかんで自分に引き寄せなければ、行き過ぎてから髪を捕まえようとしても後禿なのでつかめない、という意味です。

2)うだうだ考えるより、とにかくやってみて失敗しても次に活かせるという意味です。考えるばかりで実行しない方が、あとで公開することが多いと言うんですが、まあ、程度によりますね。衝動にも通じます。

3)プラス思考ですね。息詰まったときなど、とにかくうまく行く、絶対うまく行くと自分に言い聞かせると、本当にうまく行くということ。理屈抜きでそう思いこむことが大切だとはよく言われてます。

4)後悔はしないこと。反省をして次に活かすと言うことですね。

400人を選んで調査したそうですが、何千年も前から言われている法則です。事実だったというわけですね。

私も実行していますが、ただ自分をまだ信じ切れない面があって、うまく行かないときがあります。けっきょく、自分を信ずると言うことにつきるんじゃないでしょうか。

from ロクスケ


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悪あがき


大学院の科目履修生になってから、心理学に関するいろいろな本を一度にたくさん読
む機会ができた。

その中で、興味を引く事柄があった。人間の寿命が延びて、昔は40にして惑わず、と言われた物だが、今は中年期において、アイデンティティが再び危機を迎え、アイデンティティが再構築されるという考え方が定着してきた。

確かに、中年期というのは、家庭があれば子供が自立し、世間的にも責任のある役回りが増し、今までの自分の生き方はこれでよかったのだろうかと、立ち止まり、考えることがある時期なのかもしれないと思う。また、日本にあってこのような不況を向かえて、リストラにあう中年期の人は多いだろう。

かくゆう私も、大学院の科目を履修したりとなんとなくあがいているような気もするのだ。中年期の離婚も増えている。一説によれば、中年期になると、子供が自立し、その代わりに夫が子供の代わりに妻に依存するということだ。そんなのは、たまらないと妻は思うだろう。

私も今、自分の人生を見直しているのだ。もう子供の時代は訪れないが、まだ、成長していくことができる。少なくとも、昔のように年寄りは子供のいうことを聞いていればいいというふるい考え方はなくなってきた。人間は、いくつになっても成長することができる。

ボケだけは心配だ。だから、早く痴呆の効果的な治療ができると良いと思う。私の父は今年80になる。かくしゃくとして、元気に陶芸の先生をやっている。母は、トランプの会に入っている。宿題がでて、いつも実家に帰ると、母は宿題に追われている。

長く生きることを考えると、今できること、ということを強く考えるようになる。やりたいことは、リストアップして、今一番重要な課題を選択することにしている。

20代とはやはり違う。自分の生き方は、慎重に選択して決めていきたいものだ。

by musica


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ハルウララ


2004年3月22日、高知競馬場の競走馬ハルウララが106連敗となった。これだけ負け続けてなお人気があるのは、あるいは日本特有の現象かも知れない。この日はかの天才騎手武豊が鞍上の人となったが、やはり勝てなかった。それでもハルウララの券を買った人が多数居たというから、もし勝ったら大穴になったろう。

だが、実際の所、武豊が乗ったからと言ってハルウララが勝つと思って馬券を買った人はあまり居ないのではないか。テレビで見ていたら、一瞬耳を疑ったが、60万買った人が居た。むろん、本人の自由だが、奇特な人がいるものだ。

日本には判官贔屓という言葉がある。弱い方を応援する心理だ。相撲でもあまりに無敵に強いと却って人気が落ちるらしい。適当に弱い力士がたまに強い相手に勝ったりすると、もう大騒ぎで座布団が飛び交う。負けた方は良い面の皮だが、お客には逆らえず、すごすごと土俵を下りるしかない。

判官贔屓はどうも日本だけらしい。外国では強い方がより多くの声援を受け、そして予想通り勝つともう完全なヒーローになる。負け犬は用はない、というのが他の国では普通のようだ。

アメリカ人に訊いたことがあるのだが、判官贔屓の意味は理解したものの、なぜ弱いものを応援するのかが分からないと言われた。もちろん、彼等にも弱者をいたわる気持ちは十分持っている。だが、こと勝負事では、弱者にはかなり冷淡で、勝者だけをたたえる。弱者の健闘は、励ましの意味でよくやったと言うが、基本的に判官贔屓で日本人が弱いものに勝てばいいと望むのとは違うようだ。

わたしは日本に生まれ、日本文化の中で育った。そして、それがどれだけ幸運なことなのかが分かってきた。判官贔屓があり、ハルウララが人気を博すやさしさがどれだけ日本人の心を豊かにしているか計り知れない。世界の殺伐たる現状を思うに付け、日本は本当に別天地なのだと思う。日本の中にいれば勿論様々な問題がある。だが、その問題だらけの日本並みに世界がなってくれたら(文化をまねしろと言うのではない)世界から戦争はなくなるのだろうと思った次第だ。

ただ、その日本で、判官贔屓が廃れてきたような気がするのが一つ心配だ。

by ロクスケ


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文書で意志を伝える難しさ


 私たちWingBrain委員会はネット上の組織であり、メンバー同士が顔を合わせることは滅多にありませんし、海外にいるメンバーとは一度もあったことがありません。つまり連絡はもっぱらメールのやりとりで行います。
 
 しかし、普段から顔を合わせたこともない人同士がメールで意志の疎通を図るのは結構難しいものです。距離の取り方を誤ると、とんでもない誤解を生じたり感情的な食い違いが生じます。
 
 よく私はいちいち細かいことを言う、口うるさい、厳しいと反感を買うのですが、やはりWingBrain委員会は組織です。組織である以上そこにはルールがあり、そのルールを守ることで連絡をなめらかにしているわけです。また、メンバーとして遵守すべき規約もあります。
 
 しかし、そのようなルールがあるからと言って、誰もがすぐそれを守れるわけではないでしょう。各人それぞれが他の人たちとメール交換をやっているし、そこでは意識しないルールをWingBrain委員会では守らなければならないので、ついつい忘れることもあります。
 
 わたしも細かいことを言ってうるさがられたくはないし、好きでいちいち言うのではありませんが、しかし黙っていると全員が納得ずくで決めたルールがないがしろになり、結果としてメールが受け取れない、メールの確認がとれないなどの実害が生じているのです。
 
 わたしも一応WingBrain委員会では発起人ですし、ルールを忘れている人にはそのたびに注意をします。したがって、おおむねルールが守られ、先に書いたような実害が減っていることはメンバーの何人かも言っているので、うるさいとは思ったけれど言ってもらう必要はあると思う、と最近言われるようになりました。
 
 まあ、私の注意の仕方もあるかとは思いますが、子供のような毎回の注意はするなと言うことでしょう。ここは大人の集団ですが、現実に注意をしないで放っておくとたちまち連絡がうまくとれなくなるので、いいわいいわと放っておく訳にもいかないのです。
 
 一般論ですが、このような注意をするからと言って別に叱っているのでもないし責めているのでもありません。注意を喚起しているだけのことで、それはメンバーもわかっているようです。
 
 大体がミスは人間である以上避けられません。わたしもミスを繰り返します。だから、ミスを指摘してもらえば気が付いて改めることが出来るのに、メンバーは大体はそういう注意は私にはしてくれません。注意をすることが失礼だとか、ぎくしゃくするからと気を遣っているのでしょう。
 
 注意をするとき私は大体はその人個人宛の私信で行います。大声でみんなの前で言うことでもないと思うからですが、最近その考えは間違っていたかと思います。みんな私信で私の注意を受けるので、自分だけ厳しく言われると思っているらしいとわかったからです。
 
 べつに誰かに特別厳しくしている、というより誰に対しても厳しくしているつもりはありませんが、ミスが繰り返されれば全員に迷惑がかかるからミスを繰り返す人には注意も繰り返します。
 
 基本的には、このような場ではメールでどのようなことが書いてあっても相手が自分にたいして悪意を持っているわけではない、という前提をしっかり認識しておけばあとは注意を受けてもそのまま受け止められるのではないでしょうか。そのほうが、自分にも得です。ミスを指摘されたからと言ってべつに謝る必要もありません。基本的に私は不必要に謝ることは要らないと思っています。要りもしない謝罪をされると負担に感ずるからです。
 
 ミスを指摘されたら改めればいいし、またミスではないのに相手が勘違いで指摘してきたら自分で反論すればいいのであり、謝る必要も反発する必要も言い逃れをする必要もありません。
 
 いま、メンバーの例で書きましたが、何処の誰とメール交換をしてもあり得ることです。もちろん団体としてのルールがあるわけではありませんから一切注意などしませんし、要するにメンバー以外のことであればルール違反(ネチケットなど)があっても気にしません。いやならその相手とメール交換をやめれば良いだけのことですから。
 
 今のWingBrain委員会のメンバーは互いに非常に大切な存在ですし、だからこそメール交換を重用視しています。それでも文書による意志の疎通の難しさを時々痛感しています。
 
 メール以外に定期的にチャットを行い、出られる人が出るようにしていますが、そこでも意志の疎通のうまい人苦手な人がいます。その人の癖が理解出来てはじめてより正確な意志の疎通が出来るので、やはりメールの交換には対面して行う意志の疎通以上の神経を使う必要があると思っている次第です。
 
 
by ロクスケ


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年金問題やイラク問題の裏に隠れていたこと  (1)


 今国会でも、様々な法案が可決されようとしています。そのすべてを、国民全員が知ることもなく、数の論理で決定されていく法案の数々。これは、そんな法案を巡る一つの出来事。

 アタシが、その法案が提出されていると知ったのは、5月に入ってからのこと。「著作権法の一部を改正する法律」その時、すでに参議院を通ったあとで、これを知らせてくれたのは、とある音楽ファンのサイト。

 要約して説明すると、邦楽アーティストのアジア輸出盤が逆輸入された際(これを還流盤と呼びます)かなりの安価で販売されている現状を鑑み、還流盤の流通を阻止したいという意向から始まったとされるこの法案が実は、よくよく法案の解釈を読んでみれば、やりようによっては、すべての輸入CDが規制される可能性がある法案だったのです。これにより大きく弊害をうけるのは、実は消費者・リスナーであり、一番儲かるのはメジャー流通をしている大手レコード会社、と言うことになります。ちょっと、掻い摘んで報告するには、問題点が複雑で入り組んでるので、関連サイト(ヤフーなどで検索すればすぐに出てきます)を見ていただきたいのですが。

 じつは、アタシ自身は、そんなに輸入盤を買うことはないです。わりと国内でライセンスとって発売されたものを買います。(理由の一つは歌詞。どうしても意味を知りたいので)でも、この法案が通ってしまうと、国内盤が発売されないものすら、手に入らなくなる可能性が高くなります。なぜなら、発売はないだろうと思って輸入していたCDが、国内盤が発売されることになると、CD・レコードショップは輸入したCDを破棄しなければならず、CDショップのリスクがかなり高くなるため、輸入に踏み切らないお店も増えると予想されるからです。それは、良いもの…アタシにすばらしい悦びを与えてくれた、邦楽アーティスト達が影響を受けたり、愛情をかけたりしてきた海の向こうのアーティスト達の音を、耳にする機会を奪うものであり、現存する海外アーティスト達の音を、耳にする機会を著しく奪うものです。いわゆる洋楽と言われるポップスやロックばかりではありません。民族音楽も、クラシックもジャズも、何もかもすべてが対象です。音楽は自由だ、なんて、言い古された言葉でしょう。でも、多くの選択肢の中から、自分の嗜好で選んでいく音楽を、よく訳解ってない人間が可決する法案によって、何らかの規制を受けることは許せません。アタシは、洋楽だけではなく、アジアからの還流盤でさえ、規制すべきじゃないんじゃないかと思っています。
 
 これって、海賊版のことじゃないんです。アジア向けに正式に発売された日本のCDが、向こうの物価にあわせて安く売られてて、それが逆輸入されるとかなりの安価なわけで。それがCDを売っているレコード会社としては、今後大きな打撃になる…と予想されるという調査結果があるそう。ただ、これも、割合いい加減なものというか、信頼が今ひとつ置けないものである、という認識です。アタシも、この法案を知ってから、色んなサイトで勉強した口で、ホントにえらそうなことは言えません。でも、安いものと高いものを並べられて、その高いものに高いだけの付加価値があれば、高い方を買う人はいるし、全く同じものが並んでいたら、安いのを買うこともある。その辺は企業努力だし、より良いものを提供していくしかないと思います。価格競争できないから、輸入盤を規制してくれって言いだしたのかしら??

 大半は、こうした理由で反対されているようです。が。アタシ自身は、もう一つ気になることがあります。

ー以下次号ー

by 小町


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年金問題やイラク問題の裏に隠れていたこと  (2)


 輸入に関して、それを判断するのはお役所です(あるいは税関、あるいは裁判所)。と言うことは、海外からやってくる音楽を国が規制できるってことです。日本以外に存在する、すべての 文化を。思想を。情報を。もちろん、大昔のように自由にコントロールすることは難しくなってきてると思うし、100%はムリだろうとは思うけど。それでも、何らかの意図を持って、コントロールすることは不可能じゃない。今だって、情報をコントロールすることに何割かは成功しているのだし。今はCDだけど。これが本なら?映画なら?今のところ、本は言葉の壁があるので(それが障壁になるため)規制とかかけないらしいけども。そんなんわかんないよね。思想で輸入されるものを判別することも可能になってくる。そんなことになったら、あたしの愛する、ロックやパンクなんてお行儀の悪い音楽は、それだけで入れてもらえなくなるかも知れない。はっきり言って、ごめんです。そんなんだめでしょう。アタシはアタシの選んだものをアタシが好きなときに好きなだけ、聞いたり見たり読んだりしたいもの。そういうわけで、この法案には断固として反対しています。

 しかし、結果としては、今国会で、可決成立してしまいました。多くの人が署名運動や各政治家に直接ファックスやメールを送ったり、音楽関係者達が、正式に反対を表明したり。法案の中で有意義な部分もあるのかも知れない。でも、不穏なところがたくさんあって、それなら、もう一度ちゃんと論議できる人たちで話し合うべきじゃないのか、そんな風に多くの人が声を上げました。ずいぶん戦ってくれた議員さんもいたと聞いています。でもそれは、結局数の論理で押しきられてしまいました。音楽を愛する人たちを置き去りにしたまま。

 ただ、これで音楽ファンは諦めたわけではないのです。このことで、多くの若い音楽ファンが政治に興味を持ち、どうすればより良く…良い意味で意識せずに音楽を聴く状態でいられるのか、頭を使い始めています。

 ADD/ADHDとは関係のない話題だったのですが、とにかく、多くの人に知っていただきたいことでした。

 …だいたい、こんな大事なことがしらん間に通っちゃってニュースにもならないなんてのがおかしいと想いませんか。きっと、他にもこんなコトいっぱいあるんだ。気がついたら、規制だらけになってて、身動き取れなくなっているのかもしれない。

by 小町


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未だに根強い偏見


 先日のasahi.comや週刊新潮(雅子様関連)の記事などを題材にしました。

 先日、雅子様が鬱病だから愛子様が自閉症の危機!というような記事が出て愛子様が自閉症で雅子様が鬱になってしまったと言うなら、まだ理解もできるけど..と社会的な認知?知識でしょうか?ないことにがっかりしましたが親がテレビやビデオ、ゲームに子守りをさせるから子供が軽度発達障害になるというような記事もありました。
 
 まるで軽度発達障害を持つ人は愛情を受けられずに育った。と言っているようで腹が立ちました。心ない言葉で、どれだけの涙が流れたことか。無神経!と言うか、失礼!!と憤慨しました。
 
 また『自閉症は脳障害が原因とされている。今は200人に1人で、40年前の25倍という異常な増え方だ。増えた分の多くは実は治る可能性が高い「言葉遅れ」で、やはり急増中の「注意欠陥・多動障害」(ADHD)や「学習障害」(LD)の児童の大半は、その軽いものと考えている。』には、なアホな!とあきれました。
 
 急増したわけではなくて概念が広がったからか、医者たちに認識が広まったからか、様々な議論があるのに乱暴な言い方です。研究者の発表にはそれなりの訳はあるとは思います。でも学会の定説でないものをあったりまえのことのように書かれると、それは待って!と言いたくなります。全部の意見(強いて言えば少数派)じゃないって事をはっきりして欲しいです。

 また、都内には「自閉症でも10人にひとりは治す」と言っているクリニックがあるようです。ビタミン剤を処方したり、できるだけ外部と接触しないように家の中にいるように言われるそうです。そして少し続けても変化がないと「治る見込みがないから」と辞めさせられるそうです。なんだか変ですよね・・・?
 
 見込みのない人を切り捨てるから10人に1人なんでしょうか?と言うより治るの意味が理解できません。治せるものなら治していただきたい!せめて治ったという人に会わせていただきたいものです。不安をかきたて、悲しみをあおるのはもうやめて欲しいです。藁をもすがる人の心をもてあそんでいるように思えます。頭では治らないとわかっていてももしかしたら...に賭けてしまう気持ちはよくわかります。弱みに付け込んでお金儲けしようとするのが本当に許せませんね。

by みゆき

 未だにADHDや自閉症、LDなどに根強い偏見があるのはみゆきさんが嘆くとおりで、テレビなどでもきちんと生活をしないとADHDになるなどとの一般人の発言が取り上げられていました。テレビ局は、そんなことはないと知っているのかも知れませんが、まったくコメント無しにそのような発言を取り上げると、それが見る人に印象づけられてしまいます。テレビ局としては、それはその人の発言ですから・・と責任を取らないのでしょうが、やはり不特定多数の人が観る番組を作る立場としては、簡単でも良いから、実際はそのようなことはありませんというテロップの一つも流すべきではないのでしょうか。実際、一般人の誤解をそのような形で訂正しているケースもあるようですし。
 
 軽度発達障害が増えてきたという意見は、みゆきさんの言うとおり医師の技術が向上して発見する率が高くなったという面もあるでしょう。ただし、医師にも誤診がかなりあり、紛らわしい症状を軽度発達障害に入れてしまっているケースも多々あります。
 
 ゲームのしすぎやテレビや携帯の普及などが人間関係を希薄にし、人間関係を築けなくなった子供が増えているのは確かなようです。しかし、彼等がすべて軽度発達障害であるはずはないのに、それらを自閉症や注意欠陥多動性障害と診断してしまう医師がかなり居るのが問題になっていると聞いています。結局、昔に比べて増えたというのは医師の技術の向上とそれに追いつかない未熟な医師の増加が双方関係しているようです。また、マスコミなどが、正しく理解していないので誤解が広まっていて、何でもかんでも軽度発達障害にしてしまう風潮もそれを助長しているでしょう。
 
 また、自閉症自体は治りません。ただ、教育により社会に適応出来るようにするわけで、そのようにして十分社会に適応し活躍している自閉症の当事者は沢山居ます。治すという言葉が誤解を生むのでしょう。矯正すると言うべきです。それにしても、ここに書かれているクリニックは基本的に無責任な金儲け主義という感じがするのは否めません。
 
from ロクスケ


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新しい形の学校

 湘南にあるライナス学園が、NPOが母体の学校「特区」に指定され学校法人を作って2005年春に別々に小中高を開校する計画がありフリースクールを営む「ライナスの会」と「東京シュタイナーシューレ」がLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)児を対象にした初めての学校を作る準備を進めています。
 
 小中高一貫になるため、小学校に入ると高校卒業までいられるなんてちょっと魅力的ですよね。でも、学校開設については、問題があり当初予定されていた場所では開設できなくなったようです。理由は地域住民の反対にあったためのだそうです。こうやって社会から排除されていくのだろうか?と思うと悲しいです。
 
 普通の?学校なら反対運動なんて起きないのではないでしょうか?なんだかやりきれません。これはこの学校が..というより社会全体の軽度発達障害に対する認識のなさを集約しているように思います。ひと昔もふた昔も前の世間の偏見がちっとも変わっていないのでしょうね。グループホーム設立などでも反対があるようです。事前に何も説明せず建て、できてから所長さんが家の前で花に水遣りなどしながら近所の人たちと自然と親しくなっていったという例もあるようです。障害という言葉にナーバスになったり邪魔者扱いされない世の中になっていくといいと思います。
 
 by みゆき
 
  未だに軽度発達障害を精神障害と同一視し偏見を持っている人は一般に大勢居ます。又精神障害にしても、もちろん偏見の対象にして良いはずはありません。
  
 老人ホーム建設に反対したり、知的障害者の施設建設に反対する人たちなども同じですが、それらが全く自分たちには関係がないと思っているのでしょう。軽度発達障害や知的障害などが異常なのではなく、そういう偏見を持っている人たちの方がよほど私には異常に思えます。
 
 from ロクスケ


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カイロプラクティック

 

 
 10数年前、カイロに行きまくっていた時期があった。なぜかというと、半年ほどロンドンに滞在して、帰国したら、ブヨンブヨンに太ってしまっていたからだ。ロンドン滞在中に食べきりサイズの小袋入り味付きピーナッツを毎日、一袋食べていたせいだ。

帰国後、あまりの不健康な太り方にトレジムに通い始めた。が、それだけでは不充分と感じ、カイロにも通うようになった。

 最初に行ったカイロは、柔道場に併設されていた。隣にある別棟の柔道場からは子どもたちの活気のある声が聞こえてくるが、カイロの施術室は大抵、私一人。人がいた気配を感じることはあったが、他の客とまともに顔を合わせることはなかった。
 
 カイロプラクティシャンはどうも柔道の師範のようでごつい男だ。手ぬぐいのようなものを私の首に掛けて、グイッと引っ張る。 「パキッ。」(首の骨が鳴る音) この「パキッ」が来るまでは、怖い。が、その後はすっきりする。
 
 施術室のある建物は先ほども話したように人気がなく、カ無口なイロプラクティシャンというだけでも充分不気味だったのに、その上、なぜか、カイロが終わった後、サウナに入ってから帰ることになっていた。もちろん、サウナの内側からは鍵はない。それなのになぜ週2日という頻度でそこに通っていたかといえば、頭(後頭部)にまで贅肉がついてブヨブヨしていることを指摘され、
 
 「このままにしておくと、すぐに死ぬよ」と脅されたからだ。 海外滞在から帰ってくると、ものすごく大胆な時期(いつも以上に)がしばらく続くので、そのせいだったかも知れない。サウナに入らずに帰るという選択肢もあったと思うが・・・。ここへは、数か月は通っが、止めた。 次に行ったのは、やはりトレジム近くのショッピングアーケードにあるカイロ。ここは、前ほど不気味ではないが、やはり変なことが起こった。客はいつも数人はいたが、しばらく行かないでいると、中年男性のカイロプラクティシャンから電話がかかってくるようになった。メロンを用意して待っているからいらっしゃいと、言う。ロンドンの話を聞かせてくれとも、言う。こういうことが重なって、また行かなくなった。
 
 最後に行ったのはトレジムで知り合ったトレジム会員のカイロプラクティシャン。この方とはトレジムでよく会っていたし、河口湖マラソンにもいっしょに参加した。やはりこのトレジムのトレーナーで、後にカイロと針灸の資格を取った私の友人も、この人の手伝いをしていたこともあるくらいだ。つまり、この方は信用できる人だった。スポーツで痛めた筋肉の治療などもしていた。特にいい点は誇張したり、脅したりしないことだ。
 
 よくカイロを施す前に足の長さがアンバランスであることを指摘し、施した後に長さが同じになったことを誇張するカイロプラクティシャンがいるが、これはいけない。信用の置けるカイロプラクティシャンは、カイロの効果は一時的であり、基本的に生活習慣を変えないと、体は変わらないことをいうはずだ。数回、パキッとやられたくらいでは、アンバランスな骨の位置が変わったりはしないのだ。
by キャサリン


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わかれば教えてください   投稿です

 もしよろしければ教えてください。ADDと思われるカノンともうします。すごく ケアレスミスが多いです。特に数字読み違えや言葉の読み違えが一日数回はかならずあります。

 きちんと呼んでいるつもりなのですが、なぜか間違えて読みます。こういった症状の方、改善点を教えてください。

 あと、私は小さい頃熱性痙攣(ネツセイケイレン)を起こし、癲癇(テンカン)を起こしました。難治性側頭葉癲癇と診断され、右側海馬を除去しました。そういういみで、みなさんよりかなり障害があるとおもいます。海馬は記憶を作る場所としてよくきかれますが、その影響はでているものだと考えてよいでしょうか?

 わかれば教えてください。
 
by CANON


という問い合わせですので、どなたか回答を寄せられる方がいらっしゃいましたら私たちまでメールでお願いいたします。CANONさんには、私たちから転送いたします。




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当事者が会を作ってミーティング!


 どうしても子供に障害があるとなると、前面に親が出てきてしまって代弁してしまうことが多いですが、「いつまででもそんな事をしていては良くない本人達が話せる場を作る必要があると思う。」と言うことで、ミーティングを開催することになりました。
 
 でも、当事者だけではやはり不安があるからと協力者を捜している中で「応援しているからがんばってね。」という言葉を「協力してくれる」と勘違いした事から、話がこじれはじめました。「応援しているからがんばってね。」と言った方と同じ会の方からまったく関係のない団体の代表に1通のメールが届きました。その団体でミーティングを開催しようとしている方が講演を行う予定だったからです。

 要約すると「お宅で講演会をすると吹聴している」とか「勝手に自分の所の団体名を出していて何を言っても勝手に自分の都合のいいようにしか解釈しない人なのでそちらでミーティングの件を言わないようによく言ってくれ。」的なものでした。ミーティングを開催しようとた方はお会いしましたがそう人ではありませんでした。むしろ注意を素直にいけいれることのできる人でした。

 とにかくこちらに言われても困るので(だいたいどうやってメルアド調べたの?)本人ときちんと話し合うかお近くの方にご相談されてはいかがですか?と言うことになりました。頼られるような大きな団体なら、せっかくのミーティングを潰そうとするなんてなんかおかしな話。と思いました。

 別の方へのメールには長崎の事件やハイジャックの話を出したそうです。要は「当事者を集めて話し合いなんぞさせたら何をしでかすかわかりゃしねぇ〜」ってことなんでしょうか?けっきょくみんなで集まって話し合いをされたようですが強行に訂正文を送れと押し切られたようです。集まった時に訂正する程度でもよさそうなものですが..

 (わたしが何でも軽く考えすぎなのでしょうか?)どうしてそんなに頑な態度なのか。なんだか納得いきませんでした。潰そうとしないで、援助するような気持にならないのでしょうか?他所のHPの掲示板を見るとこの手のという表現もへんですが、感情のぶつかり合い的な相手を敵視してガンガン叩くというのを見ます。同じ問題を持つもの同士、なぜ仲良くしようとしないのか..と思ってしまいます。

 ミーティングを開催しようとした方は文章を理路整然?にまとめっているというのか表現、語彙とも豊富だなので、文章を読んだだけでは温和な感じがわからないのでしょうが、何の関係もない人に対し「何を言っても勝手に自分の都合のいいようにしか解釈しない人」と言ってのけるなんて..いやいや驚きました。その方の方が勝手な解釈しかしない人なんじゃないかと感じました。

 わたしは当事者がどんどんいろんな話し合いをしたり行政などに訴えていくことはとても大事なことだと思います。集まったからといって、大きな事件を起こすなんて..考えすぎなんじゃないかと思いました。

みゆき



 お話からするとクレームを付けてきた人が当事者と考えられます。かつて当会で最初にだした本の書評につき一方的な思いこみの激しいものを御自分のサイトに載せられたことがあります。むろん、書評ですから別に褒め称えるだけではなく、辛口の批判でも結構ですが、その人の書評が本の内容とは無関係な誹謗が入っていたり、本には書いていない捏造をされていて、さすがに厳重に抗議しました。結局、その人のサイトからは書評は消えましたが、やはり思いこみで本とは無関係な誹謗も捏造も、その人の頭の中では全て整合性があるのでしょう。
 
 その人も当事者でした。当事者と言ってもさまざまです。当事者が集まれば収拾がつかなくなるとその人が思いこんでいるとすれば、御自分がそうだからでしょう。WingBrain委員会も当事者の集まりですが、極々初期の頃、そのような人が居て引っかき回されたことがあります。しかし、今は和気藹々とやっています。
 
 それに今回ミーティングを開いた人も私がよく知っている人で、性格的にも全く攻撃性など無く、穏やかで緻密に物事を進める能力のある人です。むろん当事者ですが、同じ当事者でも色々な人が居ると言うことです。
 
from ロクスケ


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百聞は一見に如かず

英語でもSeeing is believingと言いますがね、とにかく目で見ることが一番信用出来るということわざです。しかし、これがくせ者。目で見たものが場合によっては本当にあてにならないと言う事実を忘れてはならないと思います。わかりやすい例で言いますと、例えば今クローズアップマジックというのがブームになっていて、観ている目の前でカードが消えたりボールが出たり消えたりなど、とてもあり得ない現象を見せてくれるマジシャン達がテレビに出ています。

例えば口からカードをゾロゾロ出してみせるマジシャンがいますが、とうぜん口の中にあんなカードが入っているわけはないので、手の中に隠していてあたかも口から出ているように見せているわけです。

私たちはマジックと言うことを知っていますから、いわばあれが嘘であることを知っていて、その上でだまされることを楽しんでいるわけですが、もしあれが日常生活でもっとさりげない形で行われたら、嘘であることを見抜くのは難しいのではないでしょうか。
まさか、日常で口からカードをゾロゾロ出す状況はありませんが、ショップのスタッフの口車に乗って大枚はたいて買ってきた品物がすぐに飽きてほったらかしになるなどは良くあることです。つまり、買ったときはすばらしい品物に見えたのですがショップのスタッフの呪縛が解けてみると本当の価値が見えたと言うことです。

衝動買いでは良くあることですが、むろん、見て買う決心をし、その意味では一番信用出来る方法であるはずなのに、それに頼りすぎたために自分がだまされたという事です。

百聞は一見に如かずは間違いです。一見した上で、様々な要素をつけたり消したりして考え、自分で判断して初めて見ることが一番信用出来ると言えるはずです。


by ロクスケ



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ADHD猫U

 昨日、実家のADHDと思われるチロという猫が家を脱走した。実家には猫が三匹いるのだが、サッシをあけて洗濯物を干していて一匹が脱走して、それを母が追いかけてサッシを開けたままにしたために、さらに二匹目が脱走したという具合。母は、介護疲れもあって「なんだっ!こっちは忙しいのに!!どうしてこういうことになるんだ!!」というのだが、自分がまいた種であることを忘れている。

 3時間くらいして、初めに脱走した方がニャオニャオ鳴く。おなかがすいたらしい。えさで釣るがつかまらない。チロはえさを食べた後での脱走なので、えさでは釣れない。その後、チロは家の屋根でごろごろと遊びまわってから、ふと寒いことに気がついたらしい。ベランダの椅子の上で丸くなっている。母が、「チロがベランダにいるからあなた、家に入れて頂戴。」というので、ベランダに行って「チロ、おいで。」と言うと、にゃーと鳴く。抱き上げると無条件降伏である。チロは私と同じADHDであるがためか、私のことを慕ってくれている。今日も帰ってきたら、チロが私に「遊んで遊んで」とまとわりついてくるので、少しだけ遊んであげて風呂に入った。すると、風呂上りの私の足に、「もっと遊んでよー。」と愛の噛み付きをする。これが最も困った愛情表現である。

 さて、チロは捕獲されて足を母に石鹸で洗われることになった。抵抗してもダメである。その上、爪も切られてしまった。

 先に脱走した猫は夜遅くなって、ベランダから入れて入れてコール。無事生還。ところがかなり汚れていたものだから、母にとうとう足だけでなく、お風呂に入れられてしまった。風呂場からウニャー、ウニャーゴと鳴く猫に、残りの二匹はどんな地獄に合っているのだろうかと思うのか、興味津々で風呂場の前でうろうろしている。

 チロは、相変わらずチロチロとあちこち駆け回って元気である。私がちょっとでも目を向けると「遊んでくれるぅ?」と言わんばかりに、顔をかしげるのだ。来世は猫になりたいと思う私だった。ADHDも猫なら愛嬌ですむのだから。

 by MUSICA

 猫については、前にも書いたようにあたし等の子供の頃は猫など出入り自由で、時には2,3日帰ってこない事などざらでしたが、別に気にしませんでしたね。あたし等も方々遊び回って、とんでもない遠くで家出中の猫に会い、猫も嬉しそうに寄って来てスリスリしますが、それでも帰ってこず、そのあと1日後くらいに泥だらけになって帰ってきてたりします。家も年がら年中開けっ放しで猫は好きに出たり入ったりしていたし、まあ、そんなもんしたね。あたしらはそんな汚い猫を布団の中に入れて湯たんぽ代わりにしてましたが、猫も心得て全身を舐めて綺麗にしてました。猫は本来きれい好きですから。おみやげに、ネズミやスズメや蝉を私に持ってきてくれましたしね。

 from ロクスケ
 
 
 


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ペット

 犬や猫を飼うと癒し効果で心身ともリラックス出来るとはよく言われているし、医学的にも実証されています。だから、認知症の人に犬や猫を触らせると症状に改善が見られるそうです。
 
 私たちのメンバーでも、また多くのADHDの当事者達も猫を飼っている人が結構居ますし、そして猫に癒されているようです。私も環境が許せば猫を飼いたいと思っていますが、今の所無理なようです。子供の頃、家にはいつも猫が何匹か居て猫と一緒に育ったようなものですが、確かに今の私の性格に何らかの影響があるかとは思います。
 
 猫は飼えませんが、時たまネットで猫の写真などで気に入ったものがあるとダウンロードしており、またデジカメで偶々であった猫の写真を撮ったりしていますが、それがいつの間にかたまって、先頃まとめてみたら200枚ほどありました。殆どがネットからのパクリ写真なので、これを私のサイトなどに載せるわけには行きませんが、時々スライドショーなどにしていますし、スクリーンセーバーに利用しています。
 
 本屋などでもついつい猫関連の雑誌など眺めてにやにやしているので、人が寄りつかないのも仕方がないんですが。まあ、それはともかく、確かに猫(犬でもそうでしょうが)を見ていると本当に飽きません。昔は猫が本当に身近にいて、子供の頃は猫と人間の区別が余り付いていなかったんじゃないかと思うくらいですね。
 
 いま、私はブログをやっていて、毎日一本づつ小説を書いては載せています。長い作品でも400字詰めで8枚から10枚くらいの作品であり、精々1時間もあれば書けるサイズですが、これがなんと、今の所一日も欠けることなく130本以上を書き続けています。そして、気が付くと猫ネタが結構多いですね。この何日か続けて猫ネタです。私の小説では、猫と人間の区別が余り無く、猫に人間が叱られたり面倒を見てもらったり、人間が猫にだまされてガラクタ茶碗を骨董の名品だと売り込まれ買ってしまう話等です。ちょっと一本サイトに載せてみましょうか。読んでみてください。むろん、皆さんからの投稿も歓迎ですよ。
 
http://www7a.biglobe.ne.jp/~wingbrain/nekochawan.html
 
 むろん、現実の猫は口も利かないし人間と対等意識を持っているわけではありませんが、猫を見ているといかにもそんな事がありそうなイメージが湧いて来ますし、おそらく子供の頃猫と人間の区別を意識の上で余り付けていなかった事が今の一連の猫シリーズを書いている理由かと思います。
 
 皆さんの中には勿論猫が嫌いだという人も居るんでしょうが、そうでなくて、そして猫を飼える環境にあったら、是非猫を飼う事をお勧めします。猫と話をするだけでも楽しいですよ。
 
by ロクスケ


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夏を乗り切るために 1


 食べ物が人間の健康を決めるのは昔から言われてますね。

 和食が塩分過多を除けば理想的な健康食と言われていますが、その理由として、獣肉を食べない、動物性脂肪を摂らない、植物性を多食する、海藻、魚を多食する、大豆製品、発酵食品を多く食べる、低カロリーである、小食である、繊維質を多く摂るなど様々な事が理由としてあげられています。乳製品を摂らないのも大切な要素だと言われています。唐辛子などのスパイスをとりすぎないのも大切でしょう。

 それと、言われているほど日本食が塩分過多ではないとも言われていて、一方たしかにスペインやイタリア料理など本場もんはしょっぱいのが多いですね。日本で食べるとそんなでもないけれど。

 特に低カロリー、小食は長寿健康の最大条件だと言われてます。たしかに、海外では、異常に退職をする人をよく見ました。わたしの体験:

 1)フランクフルトの空港で飛行機待ちをしていたとき、通路を挿んで向かいに座った親父が、鞄からワインの瓶と自分の顔よりでかいパンに色々具を挿んだものでおそらくラグビーボールくらいあったんですが、それを、ワインをラッパ飲みしながら全部食べてしまった。ワインもかなりでかい瓶で傾け方を見る限り全量入っていたと思いますよ。

 2)やはりドイツで、何処だったかわすれた。何処にでもある中華レストランに行ったら、隣のテーブルに中国人が陣取っていたんですがね(ウェイターと顔見知りで中国語で話していたから)やがて彼の頼んだ皿が運ばれてきたのを見て驚いた。大きな皿が10皿くらいあるんですが、その一つ一つはむろん日本で見聞きする倍くらいありそうでしてね、その10皿ほどを、やはりお茶をグビグビ飲みながら方端から平らげて、結局全部腹の中に納めたんです。むろん一人で。

わたしはその時もう一人と居たんですが、3皿くらい注文して、二人で食べきれなかったその同じ時間に隣のテーブルでその特に太ってもいない中国人は全部食べてしまいました。

 3)イタリア、ミラノだったと思いますが、お客に接待されて夜の八時頃レストランに行ったら、近くのテーブルに7,8人集まって食事をしてるんです。それがまた次から次へとひっきりなしに皿が運ばれてきて、まったく調子の衰えることもなく食べ続けてるんですなぁ。でかい皿ですよ。結局そこには朝の2時頃まで居たんですが、連中その間呑みかつ食べ続けてましたね。わたしの1年分くらいを確かに食べてましたよ。
 
 私も若い頃は今の倍は食べていたと思うしそれでも痩せていましたから、体格と摂食量は直接関係はないですね。テレビの大食いチャンピオンも痩せている人が結構いるし、この何年かアメリカでホットドックの大食い競争のチャンピオンは続けて日本人です。ライバル達の半分位の体格なので、どこにはいるのかアメリカ人達が驚いています。

 しかし、聞いた話ですが、外国で日本人だとわかるとレストランでは半分サイズの皿を出すんだそうで、普通のサイズにすると日本人は殆ど残すというんです。本当かどうかわからないけれど、たしかに巨大サイズの皿に出会うことはかなりありました。でも、日本人の小食ぶりはかなり有名だとは言われましたね。

 低所得者の寿命が短い一つに、喫煙率が高い、飲酒量が多い、肥満が多いことが挙げられています。新鮮野菜や果物の件もあるでしょうけれど、主因ではありません。それと、低所得者層は健康管理をせず、高所得者、高学歴者ほど、運動や食事に気をつけ、体重管理をし、医師にも必要に応じてかかります。そして、低所得、低学歴層では犯罪や事故による死亡率も高いですしね。

 統計は正しいでしょうけれど、食物ばかりが原因ではなく、あらゆる要素を加味して考えなければいけないでしょう。

ー 続く ー

by ロクスケ







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知っていると便利なサイト


 インターネットの利点でとにかく第一に挙げなければならないのは最新の情報がいつでも手に入ることであり私が今更言うようなことでもない。だが、それでも私が常に利用している便利なサイトをご紹介するので、是非使ってみて頂きたい。もちろん他にも無数の有意義なサイトがあるのでそれらをまとめてお気に入りに入れておくと、ネットは本当に生活の一部になる。
 
オールアバウト日本
http://allabout.co.jp/
このサイトは、その道の専門家達が分野別に事細かにわかりやすく説明をしてくれるので、料理とか旅行、趣味、グルメなど少し突っ込んで調べてみたい時には本当に便利。

ウィキベディア
http://ja.wikipedia.org/
御存知百科事典で、歴史、化学、民族、文学、芸能その他なんでも最新データを提供してくれる。


マピオン
http://www.mapion.co.jp/
日本地図のどこでも住所、郵便番号、ランドマークなどから細かい地図を見ることが出来るので、私のような方向音痴の場合初めて行く場所などは予め調べておくことが必須となっている。

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/
これは著作権の切れた優れた本を、ボランティアが入力してくれているサイトであり、本が入手できない名著でも自由に読むことが出来る。非常にありがたいサイト。

インターネットタウンページ
http://itp.ne.jp/servlet/jp.ne.itp.sear.SCMSVTop
電話帳。地域、業種、企業名などで日本中の電話番号が検索できる。

電車など所要時間
http://transit.yahoo.co.jp/
どこかに行く時、電車の最短距離、最短時間、料金が分かると、正確な予定が立てられるので、初めての相手を訪ねる時などは欠かせないサイト。

マピオンで場所を調べ、タウンページで連絡先を確認し、このサイトで行き方を確認しておけば、全く不安無しに初めてのところに行ける。

もちろん各種検索エンジン自体が欠かせないアイテムだし、ラテ欄、各新聞社サイト、知恵袋、辞書、翻訳機などは定番と言っていい。

また積極的に自分から発信する手段として、ホームページ(HP)やブログを開いている人も大勢居るだろう。もしまだの人が居たら是非活用してみて頂きたい。最近はブログもHPも無料で開ける。自分のサイト(HPやブログ)を見た人からメールをもらったりするとこれが又嬉しい。YAHOOなどのBBS(掲示板)やチャットで初めての人と色々な意見交換をするのも楽しい。

その為には、基本的なネット用語やキーボード入力法などを身につけた方が良いし、BBSやチャットに参加するにはネチケットも絶対に必要だ。

殆どのことは皆さん御存知だろうしやってもおられると思うけれど、もしまだの方がいらっしゃったら試してみて頂きたい。


by ロクスケ









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夏を乗り切るために 2


日本食が理想的な例として、たとえば朝トースト、目玉焼き、ミルク、生野菜サラダを食べるのが健康的だと言われていますが、間違いです。

パンやバター自体にかなりの塩分が含まれ、目玉焼きは大人にとってはせいぜい一週間に一回くらい以上は食べるべきではないし、カリカリベーコンなどは動物脂肪と塩分の固まりです。生野菜は食べるべきではないと一部の医師は言います。生の植物を食べるように人間の消化器官は出来ていなく、熱を加えたものを食べるべきだと言うわけです。生野菜は量的には殆ど意味がないほどしか食べられなく、それで野菜を食べている気になっているから野菜不足になるし、消化吸収が上手く出来ないのでなおさら野菜不足になります。

ミルクのタンパク質は粒子が大きく人間用に出来ているわけではないので、幼い子供にはアレルギー体質の原因になります。大人でもミルクを飲むと下痢をする人が日本人にはかなり多いですが、ミルクが人間の飲み物ではないということですな。


和食でご飯、納豆、味噌汁、野菜の漬け物、それからめざしなどは上記の殆どを解決するし、ご飯自体には塩分は含まれず、納豆や味噌などのダイス食に含まれるサポニンが塩分を緩和し、カルシュームや繊維質が摂れると言うんですな。


今、日本には100歳以上の人が2万人を越しましたが、これらの人々は長年和食をとり続けてきた人たちでね、いま子供の肥満率が上がり、小学生が生活習慣病を患い、昔とは比べものにならないほどアレルギー体質が増え、年代別ではその平均余命をむろん考慮した上で、低年齢では死亡率が高い傾向があるんです。つまり、日本の平均寿命はある時期をピークに下がり始めると言うんですな。食生活の変化のためですよ。もっとも昔なら当然死んでいたはずの虚弱体質の子供が死ななくなった、子供のストレスが増えた等で、平均死亡率が上がった面もあり、これも食生活が全部の理由じゃないんですけれど、食生活が問題視されているのは事実です。みなさんも、問題だと思うでしょ?

沖縄は長寿の日本でももっとも長寿の人が多いんですが、実は男性の寿命は極端に下がり始めています。米軍の基地が多いので、アメリカ食が氾濫し、肉食が増えたのが最大原因と言われてます。

ー 続く ー


by ロクスケ


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夏を乗り切るために 3


 アメリカに行って食事をしてみるとわかるけれど、あんなものを食ってたら確かに長生き出来ませんよ。脂肪だらけのギタギタのてんこ盛りです。

 大昔、初めてアメリカに行ったとき、レートが高くて食事に金をかけられず、近くのステーキハウスに行ってたんです。低所得者専用でしょうね。で、2ドル(今から30年以上前、270円/$くらい)のステーキが、おそらく1ポンド、つまり450gで、他に巨大なローストポテト、厚さ4センチくらいのトースト、おそらく両手いっぱいくらいの炒めたタマネギに、大きなしゃもじで溶かしバーターをかけてくれるんですが、あたしゃとても食いきれず、せいぜい半分でしたね。でも他の連中はバケツみたいなコップでコーラやビールを飲みながら全部食っちゃうんです。しかし、当時はアメリカの豊かさを実感はしましたね。

 何度か行きましたが、そのたびにアメリカの豊かさを実感しなくなったのは、その間の日本の豊かさの向上の故でしょうか。20年くらい後に行った頃には、¥110/$くらいでしょうか、特にアメリカが安いとは感じなかったし、ちゃんとした飯を食おうと思ったら5,60ドルはしますしね、日本とあまり変わらないかなと思いましたが、安い処は確かに安かったかなぁ。でも、マックは日本と同じくらいの感じだと思うし、日本の方が断然旨いし。ただ、日本レストランが馬鹿高く、中華レストランは結構安くて、何処にでもある感じです。まああたしもそんなにあちこち行った訳じゃないけれど、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパの主要都市、台湾(当たり前か)に中華レストランがあり、オランダのとんでもない片田舎にある唯一のレストランが中華レストランだったのには驚きました。

 ロスアンゼルスではスペアリブがお買い得で、30年くらい前25セントくらいで長さ30センチくらいのスペアリブが食えたんです。ビールを飲みながら、これはずいぶん食べましたね。おっそろしく堅くて、今より歯が丈夫だったから食えたんですが。

カフェテリアで飯を食っても、朝から巨大ステーキを食っているのが結構居ましたよ。だから、アメリカ人は、見ただけでもおそらく半分くらいは肥満ですね。スーパーでチキンの缶詰はあるかと聞いたら、チキンが丸ごとT羽入っている缶詰を教えてくれましたがめちゃくちゃに安い。あれでは、低所得者が買うでしょうね。

 日本でBMI指数が22以上だと肥満だとされてますが、アメリカは30以上が肥満とされ、30%が肥満にあたると言うことですけれどね、日本の基準で言えば50%は完全に肥満ですよ。アメリカですれ違う誰も彼もが肥満でびっくりした記憶があります。日本で見る太った人という印象ではなく、巨大なんですよ。あれを見慣れてから日本に帰ってきたら、本当に日本人というのは体が小さく痩せて居るんだと思いましたねぇ。

 幸いあたしゃ和食一辺倒で肉は殆ど食べませんし、生野菜も滅多に食べません。ミルクは滅多に飲みませんね。ながいきするかどうかはともかく、なまいきだとはよく言われたなぁ。

 みなさ〜ん、正しい和食を食べましょうねぇ。

by ロクスケ



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モグラ考

 ボクは20代の頃、木造二階建てのぼろ屋敷に住んでいました。

 あるとき昼寝をしていたら、ぶんぶんと音がします。よく見ると、アシナガバチが数匹、集まって、部屋の天井に巣を作り始めているではありませんか。

 ボクはあわてて、スプレーのりの缶を手にしました。ハチをめがけてしゅっと一吹き、ハチは白い固まりになって落ちてきま した。

 そのころは、イラストの仕事もパソコンではなく、すべて手作業アナログでやっていました。ですので版下の道具もひととおりそろえていました。スプレーのりも、その粘着力によって3種類に分けられます。ボクがその時使ったのは、一番強力なやつです。強力なだけにノズルが詰まりやすく、シンナーやクリーナーなど溶剤で 洗浄しないといけません。

 もちろんこのときは、天井にものりが付着し、ゴミがついて、後で汚く 変色しましたが、まったく気になりませんでした。ハチに頭を刺されることに比べたら、問題にならないからです。

 先月の話、久しぶりに代々木公園を散歩していたら、妙なものを発見し ました。樹木の間に盛り土をしてあるのです。

 高さ5センチ直径20センチほどの円錐形に土が盛ってある のです。

 よく見ると、そういった盛り土は樹木の間にちらほら見つけることがで きました。いったい、誰が、何のためにやったんだろう。

 ボクは、ない知恵を絞っていろいろ推理しましたが、まったく意味がわ かりません。スニーカーで土を踏んでみました。柔らかい細かい土でした。ただ盛ってあるのだろうか。上を見てみましたが、幹の間に青空が見えるだけです。天から土が降ってくるはずはありません。じゃあ、地面の底からわき出てきたのか?そう思いました。もしかして…モグラ?ぼくはそばに落ちていた枯れ枝を一本、つかむと、盛り土の中央部に垂 直に差し込みました。枯れ枝は、何の抵抗もなく、ずぶずぶとはいっていきました。土をどけると、深さ15センチほどの穴が掘ってあることが確認で きました。これで、謎が解け、ほっとしました。

 今度は、スーパー4次元モグラというやつを思いつきました。コンクリートの道路、ビルの外壁、窓ガラス、車のボンネット、プール の水面など至る所に盛り土をしていくモグラです。まさに神出鬼没、絶対捕まえることはできません。連中は、いったいどこから来て、どこに行くのか。何を食べて暮らして いるのか?そういったことを考えはじめると、また頭の中が、謎でいっぱいになり ました。

by mogurin




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鮮やかな夢

 目の前の埠頭に銃を持った男がこちらを見ている。その埠頭に繋がれた小さなボートに十数人がぎっしり、オイルサーディンみたいにつめ込まれている。その中の中央に私がいる。私たちは、万が一、男が発砲しても弾に当らないように大勢を低くして、身構えている。次の瞬間、やはり短銃を持った女性がその男の頭に弾を撃ちこんだ。と同時に、女性も男に撃たれた。相撃ちだった。血しぶきが私たちにかかった。

 その瞬間、私は声を上げて泣き出した。撃たれるかもしれない恐怖にさらされた後、目の前で二人もの人間が目の前で死んだという恐怖。夢と現実の間を間だ、漂っている私。 「だいじょうぶだよ。」と、隣に寝ていた夫が背中をさすってくれる。

 夢だった。

 こんなふうに、私は夢と現実の区別がつけられない。矛盾しているとわかっていても、夢から覚めた時に支離滅裂なことを口走っていることもある。

 ましてや、記憶となると、夢だったのか、現実だったのか、さらに区別しにくい。現実生活も、よく言えば、かなり波乱万丈、悪く言えばめちゃくちゃだからね。

 私がまだ小学校へ上がるか、上がらないくらいの時、母の実家へよく泊まりに行っていた。山の頂上だか、中腹(いまだにどっちか判らない。家の前は四方を山で囲まれている)にある家で4〜5軒しかない集落の中の1軒が母の実家だ。

 当時、祖父がまだ元気だった頃、広い茶畑や茶工場を持っていた。実家よりもっと山の上の方に大きな茶畑があって、茶摘の時期には嫁に行った娘、つまり母やその姉や妹たちが帰省して、茶摘を手伝っていた。私たち孫ももちろん集まる。

 その時に茶畑の先にある峠の茶屋で、祖父に菓子を買ってもらった記憶がある。が、夢か現実か区別がつかめなかった。

 生きているうちに確かめようと母の一番下の弟、私の若いおじ(かなり、ADHD)に訊いてみると、「そんなことあったかもね。峠の茶屋はあったよ。」と、おじ。

 このおじ、定年退職しているのだが、まだ子どものようだ。兄の最初の危篤の時、駅までおじの車に乗っているとき、私の娘(当時、年長)が切れた。この話は後でメルマガに書きます。

by キャサリン




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物をなくさない方法

 油断して、風邪を引いてしましました。咳がが止まらない、微熱、倦怠感、関節痛、のどの痛みなど典型的な風邪の症状です。以前にも行ったことがある内科で診察をうけたところ、38.2度の熱があることがわかりました。インフルエンザの可能性があるかもしれないと、その医者は言っていま したが、それだと三日間くらい高熱が続くそうです。

 僕は風邪だと思いますと告げたところ、「咳もだいぶ収まってきているようだし、とりあえず、風邪薬、去痰剤、抗炎症剤、解熱薬、咳止め薬を処方しましょう」といい、四日分の薬を出してくれました。

 その際、「あなたはほかにもいろいろ薬を飲んでいるみたいだから、抗鬱薬などと一時間ずらして服用して下さい」といわれました。

 さっそくその日から風邪薬を飲み始め、やや回復に向かっています。

 しかし、医者に僕は代々木公園を散歩するのが日課となっていますと告 げたところ、「熱が38度以上あるときは、散歩なんかしないで、自宅で布団をかぶって寝ていなさい」と諭されました。ごもっともな意見です。おかげでここ三日ほど散歩していません。

 ところで昨晩は、エアコンのリモコンがなかなか見あたらず、暖房をいれることができませんでした。寒いので掛け布団を押入から出そうとしましたが、扉が堅くてなかなか開きません。渾身の力をこめてやっと半分だけ開き ました。そこから、掛け布団を引っ張り出すことができました。

 リモコンは今朝やっとコピー機のそばで発見しました。それで一計を案じ、芋づる方式で繋ぐことにしました。

 以前から、テレビのリモコン、DVD-HDレコーダー1のリモ コン、DVD-HDレコーダー2のリモコン、の三つは、荷物を梱包するときに使う丈夫なナイロンのひもとガムテープで芋づる 式に繋ぎ、一つ見つければ後のものも、自動的に見つかるようにしてあります。

 この偉大なる工夫にエアコンのリモコンもくっつけたのです。全部で四つになりました。見た目は不細工ですが、使い勝手は最高です。

 みなさんもやってみてはどうでしょうか。

 小さなものは紛失しても、大きなものはなくさない、これは真理です。

 by mogurin
 
 リモコンは私も頻繁になくします。それを防ぐにはテレビのリモコンはテレビに貼り付け、エアコンのリモコンはエアコンに貼り付け、デッキのリモコンはデッキに貼り付け、コンポのリモコンはコンポに貼り付けることで紛失を防げるという素晴らしい考案をしましたが、リモコンの意味が無くなるので実行しませんでした。
 
 テレビのリモコンでエアコンを動かそうとしてみたり、テレビのチャンネルを変えるのにとっさに携帯電話を取り上げたこともあります。携帯にリモコン機能を組み込めば便利じゃないでしょうか。女房用のリモコンが発売されればきっと売れると思います。
 
by ロクスケ







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ジンクス

 私は普段、信心深くないし、とてもラフに生きている。ところが、昔からクロネコが前を通り過ぎるときだけはとても辛い思いをしてしまう。猫は基本的に大好きで、黒猫もかわいいと思うのだが、前を通り過ぎられるときだけ「不幸」な気分になってしまう。でも、実際にその日に不幸になったことなどないのだ。自分でも、このジンクスから逃れようと思うのだが、いつも黒猫が歩いているとついつい、横切られないように猫を急いで追い越していくのが癖になっている。

 また、あみだで引いた大吉もいつまでもお財布に入っている。もう何年も入っていたりする。とっくにご利益はないのだろうが・・・。(事実ない)

 ただ、水晶の金ルチル(金針)入りブレスレットを身に着けると、金運を呼ぶと言う良いいわれがあるがこれは今のところ当たっている。これをはずしていると、物が全然うれないのだが、身に着けるとその日に何か物が売れるのだ。水晶には秘められた力があるというが、信ずるものは救われる。ちなみに、黄水晶(シトリン)はお金が出て行かないといわれている。最近、二つの水晶を腕にはめているので、すっかり節約生活である。今はもっぱら水晶教の信者である(爆)。当たるも八卦、当たらぬも八卦。


by MUSICA







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散歩の勧め

 近頃、代々木公園を散歩するのが日課になっている。そのためにわざわざ万歩計とiPOD-nano、耳当てと手袋を買った。公園内の歩道を一周すると、約3000歩。これを毎日2周か ら、調子のいいときは3周するのだ。少々寒くても、早足で歩いていると体が温まってくる。血流が良くなり、コレステロールが低下し、免疫力が向上し、鬱な気分 も吹っ飛んでスッキリ爽やか、といいことずくめなのである。以前は少し歩くと、すぐ足が痛くなった。家に戻ると、疲れて万年布団にごろんと横になっていたのだが、近頃は疲労が残らない。そのまま図書館や喫茶店に行って、読書ができる。眠くならないのである。

 頭の回転もよくなり、記憶力が向上するので、散歩中iPOD-nanoにダウンロードした英語教材を聞いている。しかも3倍速くらいの速聴データに変換しているので、聞き取り はなかなか難しい。最初は、キュルキュルキュルキュルと、ノイズにしか聞き取れなかった。でも最近では結構わかってきた。暗号解読の作業に似ている。

 記憶力の向上はウソではない。amazonのネット通販で本やDVDなどを買い物をするとき、以前はクレジットカードを使っていた。でもクレジットカードだと手数料を取られるので、馬鹿馬鹿しくなり、コンビニの端末から現金で支払うようになった。そのときメールで支払い番号という11桁のランダムな数字が送ら れてくる。最初の2文字は00なので残りの9桁を覚えて、コンビニの 端末機械から入力すればよいのだ。プリントアウトした用紙を持っていき、一回通読してわざと紙を伏せる。数秒おいてタッチパネルの数字を押していく。最近は間違えることはない。あとテレビ番組の録画も、パソコンの番組表でGコードを覚え、数十秒後にDVDレコーダーのリモコンで入力。(番組表を使えば 楽ちんだけどわざと使わない)そんなゲームまがいのことまでやっている。

 wholesome〈運動・食べ物などが〉健康(増進)によい. ⇒HEALTHYという意味の英単語がある。「歩得る散歩」は健康によい……なんて覚え方はどうだろう?

 枯葉の竜巻を見ました。あちらこちらで渦を巻いています。寄せては返す、大波小波。しかもぜんぶ枯葉です。スニーカーの上をザザザザッと通り過ぎていきます。

 こんな経験ができるのも、大きな公園だからだろう。皆さん、仕事はほったらかしていても、散歩には出かけましょう。人間は、歩く動物です。歩かなくなるとダメになりますよ。
 
 ところで、追加。今日も変な人たちが居ました。太鼓を叩いている3人組の男と踊っている女の子。頭に直径10センチほどの水晶玉を乗せて立ち、じっと虚空を見つめてたばこを吹かしている若者。横3メートル、縦1.5メートルほどの布を貼り、絵を描いている男女のカップル。寝袋にくるまって気持ちよさそうに寝ているおじさんたち。

 烏の前で、ギャア、ギャアと鳴き声のまねをしている、白人女性。杖をついてなめくじのようにゆっくり歩いている小柄な老人。公園の地下に「浸透桝」が作られていて、貯水槽になっている表示があったこと。地面の皮が大きくめくれて異様な光景を発見したこと。

 
by mogurin





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電車の中の衝撃

ひとつめ

 今日、帰宅のため電車に乗った。もう通常の帰宅時間より遅めだったので、電車は、人がまばらに立っている程度の混み具合だった。
すると、ドアが閉まってからすぐに異臭がした。
それは!!
誰かの『すかしっぺ』だった。く、くさい!!私の右横に立っている女性は鼻を曲げている。左横の女性も顔を横にしている。私は思わず一歩下がってしまった。近くには何人か男性がいる。座っている人だってわからない。だが、誰がしたかはわからない。何しろ音がしなかったのだから。

 唯一私が知りえる真実は「私は犯人ではない」ということだけだ。
しばらく沈黙が訪れた。みんな臭い空気を吸っている。何秒かすると、だんだんと異臭が和らいでいき、そして、次の駅につく頃には平常になった。みんな知らん顔して電車を降りていく。

 こういうときにコギャルかなんかがいて「ちょー、くっさー。だ〜れ〜!!!???」とか騒いでくれるとうれしいのだが、そういうときにはコギャルはいないものだ。残念。

ふたつめ

 電車はすいていた。私はまったりと席に座った。すると、前方の席にコギャルが座った。すると、案の定、バッグから化粧品を取り出して、化粧を始めた。まあまあ、私なんかは化粧しないのでなんとも言えないが、どうせするなら、家でしてくりゃいいものをと思ってしまう。コギャルは、あちこち鏡を見ながら整えていく。だが、マスカラをするときに驚くべき発見をした。まつげに色をつけるので、目に入れないように注意がまつげにのみ向いてしまう。そのときの口の曲がり具合ときたらまるで「おえーっ!」という顔になっている。両目とも何度も何度もやるので、そのたびに「おえーっ!」「おえーっ!」となる。悪いが、私は笑いをこらえてしまった。本人は気がついていない様子だ。
 
 思わず携帯で写真を撮ってしまいたい衝動に駆られた。こういうギャルは携帯にとって誰が一番ひどいかコンテストをやると良い。こういう顔を彼氏にぜひ見せてあげたいものだ。

by MUSICA

あたしも悔しい思いをしたことがあります。何かのおり、かつて女房とHEの話になり、女性がやったと思ったら、一緒にいる男が済みませんと周囲に謝ることで罪をかぶるのが本当に男らしいのだと言っていました。その時は、それで話は終わったんですが、まさか複線だったとは気が付かなかった。

ある日、エレベーターに女房と乗っていたら、いきなりすぐ脇からすんごいのが来たんです。エレベータには私たちを含めて6,7人くらいいたかどうか。女房がわたしを見つめた。私はとっさに言葉が出ませんでしたね。

事件はそれでおしまいですが、あの場にいた人々は誰が犯人だと思ったんでしょうね。

from ロクスケ







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今日見たへんなこと


 今日は変なことがあった。朝、出張先へ自転車で行く道すがら・・・。洋服が2枚落ちている。シャツっぽい感じ。しばらく行くと、パンツ(男性物、デカパン)が落ちている。えっ!!酔っ払いが脱ぎ捨てたのかしら。
 
 通り過ぎて、しばらく考えてしまった。始めは、裸になって帰ったのかしらと思った。でも、そういえばコートやジャンバーはなかったし、ズボンもなかった。靴もなかった。うーーーん。よくわからないけれども、上着とパンツを脱いで、ズボンとコートだけで帰ったのかもしれない。一旦脱いだけど、あまりにも寒くて、またズボンとコートをあわてて羽織ったのか。いろいろ考えいるうちに、何がなんだかわからなくなってしまった。これは、事件であるかもしれない。でも、私には探偵の要素はないらしい。ちっとも、解決できないのだ。
 
 拉致ではない。(多分)現場は二度踏めと言うが、会議の帰りは別の道で帰ったので、未だ謎は解けないでいる。 心配なのは、時々裸になるうちの息子ではないよね!?と言うことだ。ちょっとパンツの柄が似ていたから。(笑)
 
by MUSICA








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カラスの死骸


 今日は、代々木公園を散歩していて、カラスの死骸を見つけた。めずらしいことなので、忘れないうちに書いておこう。

 それは、プラタナスの巨木が林立し、落ち葉で地面が見えなくなってい る、公園の境界近くだった。僕は、いつも通り、iPod_nanoを耳に付けて、英語教材を 速聴で聴きながら、脇目もふらずに歩いていた。ふと、地面の上に黒い固まりをみつけた。ハシブトガラスの死骸だった。この公園でカラスの死骸を見かけたの は、初めてだ。
 
 近寄ってよく観察してみた。カラスは仰向けになって、灌木の下に落ちていた。大きな外傷はあまりなかったが、所々羽毛が乱れている。口はしっかりと閉じている。

 びっくりしたのは、両目が、えぐり取られていたことだ。きっと他のカラスにやられたのだろう。カラスが眼を突っつくというのは、グリム童話や、民話で知っていたが、本物を観たのは初めてだった。

 くちばしをつまんで持ち上げてみた。思ったよりずっと軽い。1kgくらいだろうか。少なくとも家で飼っていウサギ(ミミ)の半分以下の重量だった。その時は、カメラを持ってくればよかったと後悔した。

 体は、まだ死後硬直が始まっていないようだった。頭部を中心に時計の振り子のように、ぶらんと揺れている。ちょっと堅かったが、両手でくちばしをこじ開けてみた。口の中から、少し腐敗臭がした。赤黒い舌がまっすぐに飛び出している。セルロイドでできたような質感だ。さすがに、それをさわって確かめる気はしなかった。

 それよりも、さっきから、僕の頭上でカラスが数十羽樹上に集まってきて、ぎゃあぎゃあとうるさく鳴いている。iPod_nanoのボリュームを最高にしていてもカラスの警戒音は、
おそろしく大きい。

 あきらかに、僕に対して鳴いていた。ヒッチコックの映画「鳥」を思い出した。一瞬、カラスが大挙して頭上から垂直降下し、頭をつつかれるような恐 怖心を感じた。

 僕は死骸を、別の木の下に置いて、その場を早々に立ち去った。カラスたちの喧噪は、僕がその場を引き上げるのに伴って、急激に静 まった。明らかに「ここを立ち去れ!」という意味だった。

 きっと殺されたカラスは、カラスの社会で大罪をおかしたので、集団リンチを受けたのだろう。まず体をつつかれ、体力を奪い、飛べなくなったところで両目をくりぬかれ、木の上から落ち葉の上に落下し、そこが彼の墓場になったようだ。

 おお、恐い恐い。

 でも、あとで、ちゃんと手を洗いました。

by mogurin









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ひとりQC活動

 自らにADHDの疑い(内心、確信)を持つ様になってから、身の回りの物の選び方が変わりました。ごく最近では、「ティッシュケース」

 今までは生活感を出したくなくて、無印良品の、乳白色の樹脂製の物を使っていたのですが、中のボックスがうっすら透けて見える為存在感が薄く(そこが魅力)しかも重い上に、底にご丁寧に滑り止めが付いていた為毎日と言わず日に何度も、足の指を強くぶつけては悶えていました。
 
 が、ADDを自覚してすぐ、オレンジのフェルト製に変えたんですね。すると、嘘のように足指の怪我が減り、部屋の中でティッシュを探す時間も激減しました。これに味を占め、家庭内で痛い物(笑)は撤去、ぶつかりそうな物(扉の縁等)にはカバー、ついでに見失って困る物には派手な目印を付ける等現在奮闘中。(見苦しくならない様、バランスをとるのが難しい)

 物の選び方に限りません。「ひとりQC(Quality Control)活動※」・・・とでも申しましょうか、(※企業向けですが、QC活動に関する本は沢山出ています。手法について興味のある方は、そちらをご参照下さい。)自分で自分を助けるつもりで「普段私はこう(こういう傾向に)あるな」と客観的に観察し、改善法を、自分自身に提案してみる・試してみる・・・結果成功するとは限りませんが、やってみる価値、大、です。

by とくにみりん

確かに人間は環境に合わせて生きて行くよりも、環境を自分に合わせて変えることで進歩してきました。もっともそれが行き過ぎて環境破壊を招き、環境改善のバランスを取るのが大切だと言うことも学びましたが。

ということで、好きな生き方よりも便利な生き方、自分にあった生き方のために環境を変えてゆく気持ちは大切だと思います。(ずれたかなぁ)

わたしの場合は、作業ズボンを普段から穿いていると言うこともそれに当たるかと。ポケットが沢山ありメモ、カギ入れ、携帯、財布、免許証入れ、ティッシュ、メジャー、メンコ、ビー玉など普段身につけているものを整理して持っていられます。

丈夫で緩やか、動きやすく、毎日穿き替えて洗濯が出来るし、わたしには便利です。汚れたら作業用に回せばいいですしね。

from ロクスケ



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フジテレビの番組



http://www.fujitv.co.jp/index.html
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トップ頁の一番下に

「恐怖の食卓」AD/HDに関するのお知らせ

というキャプションがあり、いつまで掲載されているかは分からないが、次のような文が出ている。但し、そのままの引用は著作権問題があるので、要点だけを引用する。

「平成18年9月28日(木)午後7時から8時54分放送の「恐怖の食卓」に於いて、ADADの発症が食事にあるかのような内容で放送をした。それは食生活への関心と理解を深めるため、出演者の日常における食生活の内容を医学の専門家の意見に基づいて分析し、健康維持に役立たせるためであった。

現時点ではADHDと食事の関係は解明されておらず、またADHDが将来犯罪に結びつくかのような表現をしたのは行き過ぎであり、当事者および関係者に多大な迷惑をかけたのでお詫びをする」

というもの。最近テレビ局の捏造が次々に明らかになっている今、これもまた捏造の一種ではないかと思える。食生活とADHDの関連については専門家も触れてはいるし、またADHDのばあい食生活に気を付けるべきとの提言もあるが、それはあくまで対処方法としての食餌であり、原因とは無関係だ。

ADHDの原因は遺伝とされている。基本中の基本だが、それを無視して「食餌により発病する」などの表現は報道機関としての最低限の義務を果たしていないと言える。知らなかった、では済まない。まして将来犯罪を犯す可能性が大などに至っては、偏見の助長ではないのか。ごめんなさいで済む問題ではないだろう。

フジテレビとしては再度この問題を取り上げ、番組で上記の過ち、偏見を正す義務があると思える。

by ロクスケ








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取材に際して

 郷里に戻って10日ほどになります。

 ここ二日ほど、ここの友人のお宅に、お邪魔していました。このOくんというのは、僕の大学の時の、同じ学部の友人で、三男Kくん6歳が、現在自閉症なんです。

 それで、友人が毎日、コミュニケーションのトレーニングをしているというので、その現場を取材させてもらいに行きました。

 ADAというアメリカで開発された、自閉症児のトレーニングらしいのですが、絵や文字の書かれた、カードをみせて、それが何かを言わせる。お父さんのやった、動作をまねさせる。文字を書かせたり、絵をかかせる。

 何かやる毎に、良くできたね、偉いね、と褒める。失敗した時は、ダメと言わずに、じっと正解に導くなど、そばでみていても、これは大変な忍耐のいるトレーニングです。こういったトレーニングを、毎日1時間から3時間も続ける そうです。これは、親の愛情がなけれはとうてい無理だな、と思いました。

 Kくんは電車が好きなので、新幹線などの写真集を見せたら、一瞬にして「100系」、だの「こだま」、だの「500系」だ の言い当てます。僕など、全然わかりません。Kくんの好きな、電車のカードを、そういった教材の中にうまく潜り込ませ、飽きさせないようにしているんです。

 今回の取材と、また7月にもう一度、別の人の取材に伺います。それは、今描いている「トビオはADHD」続編に使わせていただく予定です。

 最近取材や、調べ事が増えてきました。でも、事実を知らないと、いい加減なことは
書けないので、これは必要な事だと思っています。

by mogurin

 子供は記憶力が大人に比べ非常に高く、怪獣の名前や車の種類などを驚くほど正確に覚えている事が良くあります。K君もそうなのでしょう。それから、自閉症の場合、サバンの可能性もありますが、サバン症候群での記憶力は2万年分のカレンダーを記憶しているとか、数千冊の本を読み中身を完全に記憶している、ただし理解はしていない、などがよくテレビなどで紹介されたりしています。
 
 K君の場合がサバンとも思えませんが、それは分かりません。ただ、私なども短期記憶、つまりワーキングメモリーは破壊的にだめですが、物事によっては自分でも驚くほど記憶をしていることもあります。別に大切なこととは限らず、つまらないことを忘れないくせに、肝心なことで強く記憶しようと思うことがまったく覚えられないなど、思うようにいきません。記憶が自分の思うように出来て、いやなことはすぐに忘れ、楽しいことはありありと思い出せるなどが出来たらよいとは常に思っています。
 
from ロクスケ











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猿が嫌いだ〜〜〜〜!

(猿好きの方、読むべからず)

 三つ子の魂百まで。

 幼児期に刻印された、トラウマ体験は一生を支配し、暗い影をなげかける。

 ボクは猿が嫌いだ!!!

 猿という猿、猿に関連する物あらゆるものに拒否反応を示すのである。

 これはもう否応なく、あたまでは理不尽な反応と、解っていても、体が起こす、生理的かつ肉体的な反応とでもいおうか。あるいは猿菌という病原菌が、肉体に侵入し、抗原抗体反応を起こし発熱悪寒体のかゆみ、呼吸困難、めまい、意識障害アナフィラキシー ショックをおこし卒倒寸前になってしまうとでもいおうか。

 それほど、猿が嫌いなのである。

 だから以下の文章は↓(猿好きの方、読むべからず)

 ****************************

 4歳の時、ボクは高知県中村市に住んでいた。

 幼稚園の遠足である山寺に行った。途中までバスで行き、駐車場に止めて、引率の先生といっしょにクラス メイトと石段を登ったのだ。

 一段一段が大きくて、はあはあ息を切らして昇った。でも今思い返すと、石段の数はまあ、たいしたものではなかったみたいだ。先生は、とりあえず山登り体験をさせてみようという感じだったようだ。途中から、石段は、気の根っこにかわったりして、傾斜が緩くなってき た。頂上付近に着いたことがわかった。そこで、先生の説明があって、自由時間となった。

 遠くにいかないように。危険な物に近づかないようにだの、通り一遍の説明がされたと思う、すでにボクは全くその話を聞い ていなかった。リュックサックを開いて、お菓子を出したり、果物を出したり。要するに食べることしか頭になかったのだ。

 古い、山寺で、苔むした石段や灯籠があったり、古木が天に向かって まっすぐ生えていたり、面白そうなものはなにひとつなさそうだった。

 しかし、あったのだ!!

 ボクは、先生の忠告を無視して、ずんずん奥に入っていった。いたのだ!低い石段の脇に、小さなみすぼらしい小屋があり、そいつはその前でうろうろしていた!

 猿だ!一匹のニホンザルだった。

 ボクは、大の動物好きで、犬でも猫でもカメでも虫でも、動物であれ ば、なんでも夢中になって見入ってしまう。

 ボクは手にリンゴを持っていた。ちょうどいい、これをアイツに食わしてみようか。そう思ったのだ。

 ボクがリンゴをもっているのを見ると猿はますます興奮してうろうろ左右の往復運動のスピードが、速まった。

 『おお、猿のやつ、こいつをほしがっているな!!』手に取るようにわかるのだ。

 『あいつめ、鎖に繋がれていて、届かないのだな!』

 猿は、首輪をされていた。その首輪の鎖は小屋の隅に繋がっていた。猿の行動範囲は限定されていた。鎖の起点を半径とする円内でしか、活動できないのだ。

 そこまで解ると、ボクはいつものイタズラ心が頭をもたげてきた。『このまま、猿にリンゴを与えて食わせるのは、惜しい。ちょっとからかってやれ』

 そう思って、ボクはリンゴを持った手を出したり、引っ込めたり左右に振ってみたり。そのつど猿の反応を楽しんでみた。

 猿は、リンゴが欲しいものだから、狂ったように飛び回りついに「ギャー、ギャー!ギャー、ギャー!」と泣き叫び始めた。

 ボクも面白くって、興奮してきた。「あははは、どうだどうだ。届かないだろう!」

 「ギャー、ギャー!ギャー、ギャー!」

 次の瞬間、猿が飛びついてきた。

 ガブッ!!右足に激痛が走った。

 ボクは、気が付かない間に、猿の行動半径内に侵入していたのだ。

 さあ、それからが大騒ぎ。先生、クラスメイトが飛んできて。救急車で、病院に運ばれた。

 外科の先生は、男の先生だった。すぐに消毒して麻酔をして、ふくらはぎを縫った。

 「おっちゃん、痛い痛い!」「痛くないなんて嘘付き!!嘘つきやあ!!」そう言って泣きわめいた。

 確かに麻酔は効いていたが、針で刺す感触が冷たい氷を足に当てるように感じたのだ。感覚過敏症のあるボクは、その感触を100倍にも増幅して感じ取ったのだ。

 「男の子やろ!もちょっと、静かにせんかい!」

 ボクが手術台の上で暴れるので外科医の先生も手を焼いたらしい。

 結局右足のふくらはぎ、腓腹筋の上部と中央部二カ所を3針ずつ縫った。猿の上あごと下あごの痕である。

 この傷はその後、上部の傷が化膿して、大きな傷跡になった。

 あの時の狭い手術室に立ちこめたクレゾールの臭いと、手術器具のカチャカチャいう音手術台のビニールの冷たい感触は今でも忘れられない・・・

 上下並行に並んでいた傷跡は、体が成長するにつれて距離が離れ下あごの傷は縦になった。だが、まだ、はっきりと残っている。右足には、小5のときに被った交通事故の傷もある。要するに傷だらけなのだ・・・

 *****************

 そして、それからボクは猿嫌いになった。夢の中に何度も猿の顔が出てきてうなされた。白い牙をむきだして飛びかかってくる、凶暴で、どう猛な動物とし て・・・

 子供の時、家に少年少女世界文学全集、とかいう分厚い本があった。一冊400〜500ページくらいあり、全部で12巻以上あったと思う。

 挿絵も付いていて、ハードカバーのしっかりした製本だった。ボクはそれを片っ端から、むさぼるように読んでいた。

 今のように、ゲームなどなかったし、テレビもほとんど大人向けのつまらない番組ばかり。いきおい楽しみは、昆虫採集や、読書になってしまう。

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 中国編では定番の西遊記があった。

 たしかにこの西遊記はストーリィが面白くて、何度も何度も読んだ。でもボクは悟空に感情移入することはできなかった。猿だからだ。逆に、三蔵法師に呪文をかけられ、頭のリングが締め付けられて、苦しんでいるシーンに狂喜乱舞したのだ。もっとやれ、もっとやれと。ボクは、猪八戒や沙悟浄が好きだった。

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 その後、漫画を読むようになった。漫画を熱心に読むようになったのは中学くらいだろうかでも「モンキーパンチ」は、まず、ペンネームから拒否反応。絵も下手くそで、デッサンの狂った絵としか思えなかった。

 藤子不二雄は好きでも「プロゴルファー猿」は大嫌いだった。

 手塚治虫の「火の鳥・黎明編」でも「猿田彦」が出てくるので、それ以上読む気がしなくなった。「猿田彦」に感情移入できないのだ。

 鳥山明は好きでも「ドラゴンボール」は、読む気になれなかった主人公が猿だからだ。

 映画、「猿の惑星」は、劇場で見たが、全身鳥肌が立った。SF映画としては傑作だと思うが二度と見たくないと思った。

 **************************

 かように、「猿」に対する嫌悪感、拒絶反応は、すさまじいものがある。

 実は、ニホンザルが増えすぎて、山から下りて民家を荒らしているというニュースを聞いたとき。そんな猿は全部撃ち殺したらいいと、本気で思ったのだ。

 ボクは、ニホンザルは全部、「猿ヶ島」に隔離して自然に任せ本土にいる猿は全部撃ち殺すか、新薬開発のための実験動物に使うのが いいかと思っている。

 チンパンジー、やゴリラ、オランウータンなど絶滅しても全然平気だ。

 オオサンショウウオのほうがよっぽどかわいいし、泳いでいる姿も風情 がある。何としても、オオサンショウウオの為に清流を残すべきである。そう思う。

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 「猿蟹合戦」という民話がある。ボクはこの話が好きだ。よく読むと、猿が悪者で、集団リンチをする内容だが、猿の憎々しさが、非常にうまく描写されているではないか。

by mogurin


 どうも、自業自得のような気がしますが。人間も分類学上霊長類、つまりサルの一種ですからね、自己嫌悪に陥らないようにお願いしたいですね。
 
 まあ、サルにもいろいろの種類があり、哺乳類の中でもかなり繁栄している部類です。で性格もいろいろあり、イメージとはかなり違いますよ。ゴリラはサルの中でも結構気が優しく穏やかで、チンパンジーは相当凶暴だそうです。危険性は虎やライオンと同じくらいだとか。しかし、近縁のボノボは性格が穏やかであり、また同程度に頭の良いオランウータンも、チンパンジーよりはおとなしいんだそうです。
 
 猿の中で一番凶暴なのは人間だとは一致した見方のようです。
 
 さて、ニホンザルは猿の中でも結構凶暴な方だそうです。それと、集団性があり、また人間との関わりが近いだけに様々な被害が目立つんですね。熊やイノシシは自分の法から人間に攻撃を仕掛けませんが、サルは攻撃します。日本ではサルは愛嬌者と考えられていますが、決してそうではないんですな。
 
 イメージと実際が違う例。パンダは猛獣で、結構人間を襲います。熊もテディベアなどのイメージがありかわいいと思われてますが、日本で一番人間に被害を与えている動物です。特にオスのヒグマの発情期に出くわしたら殆ど助かりません。
 
 オオカミは人間を襲いません。人に良くなれ、おとなしい動物です。白鳥は集団でいじめをします。オシドリが一生添い遂げるなど有りません。白猫は凶暴で、黒猫はおとなしいです。猫科は毛色が濃いほどおとなしい傾向があります。
 
 モグラは地面の上でも生きていられます。イエネズミは人間が居ないと生きてゆけません。
 
 動物のイメージは童話などの影響でかなりゆがんだ形で伝えられています。それを理解しておかないと、動物は理解できませんね。
 
from ロクスケ







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ADHDにおけるクセとか 

 もう1つのノートに愚痴を書いたから、なのか、1つの方向に急にとらわれが消えた。つまり、1つの物事への執着を失うと、次の物事は即に進行しているわけで、その移行のタイミングを上手く作る事が大切なのだと思う。
 
 ADHD児がだらしないだとか、集団行動が出来ないのはソコにあるかもしれない。それを自分自身でコントロールする事は本当にむつかしい。本人はとらわれていても、とらわれている事を理解していても、とらわれていたいからとらわれているのだろう。
 
 その問題をどうしても解決したくなるクセが連続してしまう。つまり解決するか、問題を解いてしまうまではその場から離れにくくなるのだ。例えば『何でだろう?』と考える事があったとする。普通の人は理解をある程度出きればその事について考えなくなる事が多いと思う。
 
 しかし、ADHDの人はその先でまた『何でだろう?』とリンクさせていくように、疑問符が続いてしまいその答えがいく通りもあるとしても、同じ事をやり続けてしまいがちである。それは全く本人の意識外で行われる事であり、本人はまず止められると余計に考えてしまうかもしれないので、他に興味を向けさせる事が大切だと思うのだが、その興味すらも、各本人次第で、色々な工夫を周りの人は配慮してあげるべきなのかもしれない。基本的に、1つの事をやり出すとずば抜けてしまうADHD児にとっては、その能力は得でもある。(飽きっぽいのも有)(だが、1,2個は飽きない事もある)
 
 私が思うにADHDが天才かもしれないと言われる理由は、そのずば抜けた興味心の連続性と過集中にあるのだと思う。ADHDの人々に努力という言葉は存在しないのかもしれない。いや、いないだろう。ありうるならば、一般と同じようにしろと強制された時、初めて努力をするのかもしれない。他の自分の興味のある事は、気が付くと頭で考えてしまっている訳で決して『やろう』と決めてやっているのではなく、脳から離れにくく楽しいからやっているとしか考えられないのである。(あくまでも自分の感情を参考にしたけれど)
 
by はいじ


 子供のうちは何をするにしても大人が見守る必要があり、それはADHDであってもなくても同じ事。しかし、問題は、大人になってからの行動は、基本的に自分が責任を持たなくてはならないのであり、周りの人が理解し支えるなどは無いと考えた方がよいですね。
 
 もちろん、チームワークなり通常の分業システムとしての支え合いは当然としてもですが。
 
 あとは、目の不自由な人、体の動かない人などに社会が支援するのも当たり前なのですが、大人になってからのADHD、AS、LDなどにはそれは無関係と思っていた方が良いでしょう。
 
from ロクスケ












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身体感覚

 発達障害の人に限らないと思うが、自分の身体の位置がわかっていない人と言うのは案外多いものだ。例えば、私の例では、狭い通路を曲がる時に、角の机に必ず当たってしまう。これは何度も繰り返しているが身体が学習しない。あるいは、荷物の上を片足で乗り越える時、左足はOKだが、右足はなぜか荷物にこすれてしまう。普通、考えなくても乗り越えるものだと思うのだが。我ながら、自分の身体に嫌気がさす。

 最近、電車に乗っていてアラッと思ったことがある。目の前に座っていた女性が私から見て席が7人がけの左から4番目に座っていた。その人の右側にはここが分け目ですよと言わんばかりに布を縫った痕がある。かなり余裕を持って座っている。

 ところが、その人はゆったりとすわっているのでその人の左側が、少しだけしか開いていない。そこに、女の子が「スミマセン」と言って腰掛けた。反対側の男性は少し腰をずらしてくれたが、その女性は決して腰を上げることがなかった。女の子は最後まで背中をシートにつけることができなかった。
私は、「このおばちゃん、身体感覚ゼロやな。じゃなければ、神経ないかどっちかや。」と思ってしまった。少なくとも、自分の身体がどの位置にあるかわかれば、少しは身体を動かすのが普通だと思う。わざとやっている風ではなかったから。

by MUSICA

 身体感覚もあるのでしょうけれど、単純な運動能力の衰えも大きいと思いますよ。たとえば床に10センチのものがあったら、それをまたぐためには脚を10センチ以上上げればいい筈なんですが、脳の認識通りに脚があがらないと蹴躓くことになります。

 頭はきちんと判断して、無意識に脚を上げる命令を脚に出しているのに、脚はそれに応える能力がないと言うことです。老人になるとほんの少しの段差に躓いたりしますが、これもリハビリをやるとほとんど改善されます。

 私自身、自分の脚が思い通りに動いていないのを感じています。だいたい無意識に動かす筋肉が脳の命令通りに動けなくなったらぶつかったり蹴躓いたりしますね。

 また電車の中で席を譲らないおばさんは、単に訓練不足で自分が動かなければならないと言う意識を持てないだけでしょう。あるいは軽い認知症かも知れません。

 先日仕事で埼玉の田舎に行って来ましたが、ここでは車がなければ生活が出来ません。老人だけの家では、若い人間は都会に出てしまっているので80過ぎでも車を運転しなければならず、中には明らかに認知性の人が運転しているので怖いと言っていました。私は、70になったら免許を返上しようと思ってますが、身分証の代わりになるものがないので、形だけでも持っていようかとも思います。

from ロクスケ





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レゴができなかった私

 最近、いろいろなことを思い出しては、ふうーと思います。それは、子どもの頃にできなかったことが、あっ障害に関係あったんだと思うからです。

 レゴというおもちゃをご存知でしょうか?プラスチックのでこぼこがついていて、それをはめていろいろな立体を作るものです。私は、あれがどうしても使えませんでした。それで、なにかモノを作るということが、全くできませんでした。だから、上手に船を作ったり、城を作ったりする友達に対して、いつも劣等感を持っていました。なんで、できないのだろうと悩んだ時期も・・・。

 また、算数の箱を解体した図から、組み立てた後にどうなるのかと言う問題がいつも駄目でした。例えば、サイコロの目、展開図でこの部分は何になるかと言う問題では、いつも行き当たりばったりでした。

 あとは、パズル。絵が描いてあって、ぐにゃぐにゃと切ってある紙のものです。もちろん、紙のものだけでなく、最近大流行した大人用の木でできたピースでいろいろ作るものも全然駄目です。無理をしてやっていると、吐き気がしてくる始末。知恵の輪もだめですね。

 大人になって、WAIS-Rを受けた結果では、空間認知がとても悪かったのです。なーるほど。ものを立体化するというのが苦手なわけです。なんでできないのだろう、と言う疑問は子どもでも感じるものです。もし、子どもの頃にわかっていれば、こういうことを親子でちゃんと話し合っていれば、ある程度解決できたのかもしれませんね。

 今、お子さんを抱えているお母さんがたには、お子さんにできない部分があるときに、スパルタになるのでなく、どういうところにもともとの弱さがあるか、検査の結果がわかっているなら、活用して欲しいですね。
 
by musica

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依存症の真相

 福島学院大学星野仁彦教授の3冊目の本「依存症の真相 アダルトチルドレンとADHDの二重奏」が発行になりました。星野教授は、自身がADHDであることをカミングアウトしており、豊富な臨床経験も、医師、当事者双方の視点から語っているため、説得力があるとともに、当事者も共感できる部分が大きいのではないかと思います。
 
 さて、本書で主題となった「依存症」ですが、じつは単独で症状が進行するケースは少なく、多くはアダルトチルドレンやADHDによって引き起こされているそうです。注意散漫の一方で過集中になりやすいADHDの特質を考えると、依存症の影にADHDがあり、それにアダルトチルドレンの要素が加わると鬼に金棒(?)になるのもなるほどと納得してしまいます。依存症の本でありながら、途中ADHDの話がずいぶんと出てくるため、話が本論からそれたとお感じになるかもしれませんが、両者にそれだけつながりがあるということとご理解ください。
 
 これからは、ADHDはADHD(アダルトチルドレンはアダルトチルドレン)、依存症は依存症とわけて考えるのではなく、両者の相関関係から全体像を考えていくことがポイントとなると思います。依存症として出てくる症状を抑えるだけでなく、その背後にあるADHD、アダルトチルドレンに目をむけることで、いわゆる根本治療も可能になるのではないかと思います。もちろんすぐには無理かもしれませんが、依存症の背景にADHDとアダルトチルドレンありという認識が一般化してくれば、ADHD当事者が生きやすくなるだけでなく、そのすぐれた発想力や行動力が社会の活性化に役立つのではないかと思ったりもします。
 
 依存症の真相 アダルトチルドレンとADHDの二重奏
 
http://www.voice-inc.co.jp/store/book_last.php?genre1_code=01&genre2_code=001&genre3_code=005&genre4_code=0000000006465

by ヴォイス編集部









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たかがパンクリップ、されどパンクリップ?!

 ロクスケさんが〈貯めていたパンクリップを大掃除で処分した〉というメールを読んで、あれに名前があったんだと、初めて「パンクリップ」の名称を知った。

 最近、「○○家の食卓」が発端となって、アッと驚く、利用術だの、節約術だのの薀蓄が横行・氾濫している。

 先日、こんな節約術がTVで放送された。〈液体ハンドソープのポンプ部分にパンクリップを数枚重ねて置く。すると、ポンプを押す力が制限されて、液体洗剤の使用量を抑制できる〉というもの。それをTVの司会者が「なるほど」と感心している。

 本気で節約するなら端から液体ハンドソープだの容器だのを買わずに、ありあわせのみかんの入っていたネットなどに石鹸を入れて吊るしておけばいいのに。と思うのは私だけ・・・?

by キャサリン

文中、パンクリップの件とは、わたしロクスケがパンを食べるたびに何となく集めていた、パンの袋を綴じるために着いているプラスチックのクリップを大掃除の歳に捨てた、と言う話。

画像は

ここです










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ごみ拾い

 先日、やはり夫が犬を連れ、その付近でごみを>トングで拾う私を見て、通りすが
りのばあさんと息子がこう言った。なんて、ナンセンスは人たち。こんなもの拾ったって、一文の得>にもなりません。この二人連れ、言語道断にも、>その前に大声で、「なにやってんの?」と、のたまわった。男の娘、>ばあさんの孫らしき幼児を連れていた。あの子がどんな子どもに成長するか不安だ。


by キャサリン


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こんな疲れの取り方

 金曜日に鍼に行ったのだが、ものすごいコリで、鍼師も「これ、すごいですねえ〜」と時間ぎりぎりまでやってくれた。いつも鍼や指圧など3時間のフルコースである。鍼師が言うに、私の場合、肩や腰だけではだめで、足までやって始めて効果が出てくるというのだが、今回だけは、足までやってもコリが取れなかった。

 それで、円皮鍼という置き鍼をたくさん打ってもらった。

 そして、夜には、独活葛根湯を飲む。葛根湯といえば、日本では風邪薬だが、実は肩こりの薬でもある。この薬で、血の巡りをよくすべく、かぱっと飲む。後は肩こり腰痛にも効くビタミンB1、B6、B12、ビタミンE配合のビタミン剤をばっちりと飲む。

 でも、土曜の朝にはもう肩や背中が痛い。寝床の中でコリコリになっている。ためしに買ってきた2センチ四方の温灸貼り薬を貼ってみる。う〜ん、まあ、温かいかな??あまり効果はなさそうで、思い切って、直貼りのホッカイロみたいのを貼ってみた。そのまま寝ると低温やけどする可能性ありと書いてあったが、眠くなって寝てしまった。

 体がホカホカ温かい。

 この土曜、日曜は昼の2時過ぎまで寝ていた。久しぶりにうだうだしていた。

 2時を過ぎると、ストレス解消の語学学校へ行く。ここで、ストレス発散。こちらは、精神的な発散だ。

 こうして2日間、ゆっくり疲れを癒してみたら、あらまあ、月曜日の朝の爽快なこと!
自分でも驚いてしまった。

 このところ、父が危篤になったり、仕事も来年度を目の前にしていろいろと忙しく、体がのび切っていた。

 久々の快楽だ。朝元気に起きられると言うことのすばらしさ。愉快、愉快。

 生きていると良いこともある
 
by MUSICA










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体力低下

 仕事が重なって、ストレスによる胃痛下痢・・・疲労感蓄積。集中力低下を食い止めるために薬を飲みそれがまた悪循環。

 少し食べると体が重くなり、30分ほど横になる。また寝床からはい出してきて、一時間ほど仕事また少し横になる。半病人ですな・・・体力低下を実感します。食っても身につかないから、体重も変わらないかわりにパワーもでない。一番効くのはチョコレートとコーヒー

 いやあ、ロクスケさんほどではないけどやはり年を感じます。

 いや、ロクスケさんのように運動すれば、体力回復するかもしれない実行しないと・・・かもしれないは、意味がありませんが。

 仕事の処理スピードは速くなったけど活動時間が短くなり結局生産能力は同じ。

 もし、若い頃と同じ仕事時間をこなしていたら今頃ぶっ倒れていると思います。

 徹夜で仕事をしていた漫画家手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄青木雄二・・・・などはほとんど50代〜60代前半で、亡くなっている。

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 衰えた能力ばかり愚痴っていても仕方ありません。逆に向上した能力もあります。

 体力は低下したけど、知識と創造力は向上しました。

 知識と創造力、記憶力、計算力などの頭脳活動全般で、自分の20代のときと比べ今(51歳)のほうがかなり上です。

 (二十歳前後の自分があまりに注意散漫だったので、普通の二十歳の男性と比較の対象にはなりませんが・・・)

 記憶力は測定の方法が簡単なので、いつでも試すことが出来ますが・・・普段仕事で使う「視覚的記憶力」つまり図形を覚えて、思い出して描く能力は自分の二十歳の時と雲泥の差です。これはずっとトレーニングを重ねた結果だと思います。

 似顔絵を一度描くと三日くらいは記憶に残るので、思い出して同じ顔を描くことが出来ます。
 
 あと人間関係力も向上しました。こんな事を言ったらいやがられるだろうな・・・みたいな事(太っている女性に太っているとか!髪の薄い男性に禿げているとか!)が解るようになり、若い頃のように「口を滑らせて大失敗」することが少なくなりました。

 お世辞は、相変わらず下手ですが・・・
 
 まあ、ボクは細く長く・・・細く長く・・・やなせたかしのように50過ぎて、アンパンマンが認められ鳴かず飛ばずの人生から一転!!億万長者¥¥¥¥それを目指します〜〜〜!!

by mogurin

全般の能力について言えば、mogurinさん御同様私も20代の頃に比べれば、今60代ですが、雲泥の差です。なにより解決力が飛躍的についていますし、総合的な判断力、専門分野に対しての記憶力などは自分でも驚くほど向上しています。一般的な記憶力は確かに衰えているのでしょうが、脳の総合的機能で言えば格段に向上しています。これはなんと言っても、おっしゃるように経験を積んだからでしょうね。

体力は、私の場合はおかげさまで飛躍的に向上しています。何度も触れましたが、20代の頃は大病をしましたし、30代の頃は暴飲暴食運動不足などで最低の体力でしたから、今は普通になっただけなのかも知れません。

年は、やはり感じますが体力的、あるいは精神的というより、みずみずしさを失った、言い換えれば感動が無くなった(その分ストレスにも強くなりましたがね)点を実感するからでしょうね。だから、私は小説などにしがみつくし、mogurinさんは美術があるのでしょう。

徹夜は確かに体力を消耗しますね。私は眠れない時でも横になり目をつぶることにしています。昨日はつい寝際に食事をしたので寝付けなかったのですが、それでも知らないうちに寝ていたようです。それだけでもまるまる徹夜するのとは違います。

誰でも生まれてから時が経つに従い生理的には年を取ります。しかし、本当に老いるかどうかは本人次第でしょう。体力は年齢に比例して衰えるわけではないし、脳の機能は普通に経験を積めば明らかに向上します。問題は精神のみずみずしさです。自分が爺さんになったと思いこむことが一番悪いんでしょうなぁ。

from ロクスケ 







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発達障害を語る上での障害

「障害」と言う言葉が、良くないんだろうな。。。

先日、セラピーの類をかじった事のあるママ友とランチをした時の事。冬季鬱、とかそういう話をしていて、私はいけないと思いつつもつい、「自分は注意欠陥障害かも知れない」と口走ってしまった。・・・ママ友の顔色が変わった。「病院で、そういう診断を受けたの!?」キツい口調。

真の友情など構築できる筈も無いママ友間で、心療内科や薬、鬱の話など、迂闊に口にしてはいけない。あっと言う間に「病んだ人」のレッテルを貼られ、皆から距離を置かれるのだ。

そんな中、鬱の話が出来る相手というのは貴重なのだが「鬱は病気」、つまり周囲から赦される事で、立ち直れた人は多い。彼女もその1人だった。やっと赦された側からしたら、
「自分の怠慢を、病気(障害)のせいにするのはズルい」という発想が成り立つのかも知れない。彼女の口調からは「貴方の思い込みなんじゃないの!?だらしないだけなんじゃないの!?」という責めの響きを感じた。


・・・集中できない、気が付けば何も出来てない、結果「ルーズな人」の評価。出来ない自分を嫌悪して、落ち込む悪循環。

広義の意味で障害にお困りの方は、本当に大変だろう、お辛いだろうと思う。だから私も簡単に、「私は発達障害です」なんて口にしちゃいけないと思う。

けれど。

自分がADDであると「自覚」した事で、私はどれだけ救われただろう。病院でADDのお墨付き(笑)を貰えたら、どんなに安心?出来るだろう。でも、そのお墨付きが公になった時、周囲はどんな反応をするのだろう。

・・・発達障害を語る障害は、多い。

by とくにみりん


かなり身につまされる内容ですね。わたしも常日頃、自分のことをカミングアウトするには慎重の上にも慎重でなければならず、親兄弟といえども軽はずみにしてはいけないと思っています。それほど、目に見えない障害は理解されないと言うことです。

また、障害を持つことはいかなる障害であろうと責任を感ずる必要はありません。本人を含めて、誰の責任でもないのですから。しかし、自分の状態を理解しようと努力し、理解し、その上で自分が出来る対策を取るのは本人の責任です。障害だから仕方がない、と逃げることは出来ません。

しかし、この責任を取ることが出来ることで、私はADHDであることを自覚することで救われるのだとおもいます。

from ロクスケ




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お掃除ロボット

いま、ちょっとテレビで観ていたらお掃除ロボットの宣伝をやっていた。自動的に部屋の掃除をしてくれるので便利だというわけだ。

 3年使うとして、一日1時間使い続ける場合、商品代が6.9万円、フィルター交換、電池交換、電気代が3万円つまり、3年で約10万円、一日あたり91円。わぁ、安いなぁ、と言うのだが、そうだろうか。

 デモでは6畳間の掃き掃除が30分ほどかかっていたから、一時間では12畳間ということ。

 しかし、掃除は掃き掃除ばかりではない。細かい物をしまったり捨てたり、ふき掃除をしたりで、この掃除ロボットを使ったとしてもいずれ人間が掃除をしなければならない。また開けた床面だけの掃除なので、床に物を置いている場合は非効率になるから、狭い部屋にいろいろ置いている日本では使いにくい。

 階段やトイレ、玄関などの段差のあるところでは使えない。

 結局、一日91円使っても、掃除のほんの一部が出来るだけであり、それなら自分で掃除機を使って片づけをやふき掃除をしながらやった方が完全に出来るだろう。

 猫の玩具ならともかく、こういう掃除ロボットを欲しいとは全く思わない。

 日本は世界に冠たるロボット大国で、しかも人間型ロボットの開発では世界の数世代先を行っている。しかし、世界には人件費がただのような国が大半であり、毎日12時間労働で休日無しで働いて、一月3000円、つまり日給100円、時給8円の人間が無数に居るのだ。ロボットが使える国は世界には多くない。

 ロボット開発は非常に大切だし、特に少子高齢化で労働人口が減る日本では必要であろう。それに人間が近づけない危険な場所などの作業には絶対必要だろうが、なんでもロボットがやればいいと言う訳ではない。

 これに近い考え方が新幹線であり、新幹線が出来たために人間の負担が増えてストレスがたまるようになった面がある。昔は往復二日、仕事が一日、つまり東京から関西に出張するには最低3日かかったからその間人間は十分に休めたけれど、今は関西出張など日帰りだ。これでは、疲労とストレスがたまり、効率が落ちるのではないかと言うこと。

 たしかに私が社会に出た頃は海外との通信は手紙がもっぱらで往復1週間は当たり前だったけれど、今ではメールが主であり、時差による遅れ以外にはリアルタイムで仕事が出来る。となると、決断するための準備時間が無く、失敗が増えるし、さらにストレスがたまる。

 結局機械化、スピード化、自動化が無条件で人間に有用であるとは言えないということだ。

 自動化で思い出したことがある。子供の頃、近所の飲み屋に、郊外の農家の親父が馬に乗って飲みに来る。当時は農耕馬というのが一般的で、荷物を運ぶのも馬車が普通だったから、トラックで運んだり、田植機や耕耘機を使う農家なんか皆無、というよりそう言う機械がなかった。移動にももっぱら馬を使っていたのであり、普段畑を耕している馬に鞍を乗せ馬糞袋を尻にくくりつけた形で町を行くおっさんはたくさん居た。

 で、その飲み屋にいつも来るおっさん、店にはいる時は馬を店の前の電信柱につなぎ、バケツに水を汲んで馬の前に置き、自分で持ってきた餌もバケツに入れて馬に与えてから安心して飲み始めるのが常だった。その馬は大人しくて、私たち子供が近くによっても水を飲んだり餌を食べたりしていたし、私たちも馬は身近だったんでその馬を撫でたりしていた。

 で、店が閉まる頃、そのおっさんはぐてんぐてんに酔っぱらって、立っていることも歩くことも出来ない。すると、その場にいるみんながその親父を馬の背中に担ぎ上げるわけだ。慣れているからどんなに酔っぱらっていても鞍にまたがり落ちない。で、ぐてんぐてんの親父を背中に乗せ、馬は自分の家に戻ってゆくわけだ。私しが知っているのはその親父一人だが、話によると、別に珍しいことではなかったようで、正体が無くなるまで酔っぱらった親父も決して馬から落ちることはなく、馬も親父を落とすことなく無事に毎回家に帰り着くんだとか。たしかに、馬は利口な動物であり、自分の役目をきちんと理解していたのだろう。

 この馬に勝るロボットが開発されるかどうかはともかく、何でもかんでもロボット頼みはどんなものかと、お掃除ロボットの宣伝を見ながら考えたものだ。

by ロクスケ








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V字回復

 10年ほど前、ある有名な自動車メーカーの業績回復にまつわる新聞記事を読んだときのキーワードです。

 今でこそ、どこの自動車メーカーも未曾有の不況で苦戦していますが、このメーカーは、10年ほど前にも業績が大きく落ち込み、外国の自動車メーカーから社長を招へいし、色々と改革を実行、当時、見事に業績がV字回復したのは、記憶に比較的新しいところです。

 小生も、仕事や家庭で、自分の悪い癖などが原因で、他人から非常に大きな不信感を買い、色々と陰口を言われたり、人間としての評判が悪いのが現状です。何とかこの逆境を谷底ととらえ、上記の自動車メーカーのごとく、あとは上昇してゆくだけ、落ちるのも簡単ならば、上昇するのも簡単、などと前向きにとらえたいと思います。

 以前は精神状態がすぐ悪くなってしまい、そのようなプラス思考がなかなかできませんでしたが、家族の根気強い励ましや、当事者同士の情報交換、この自分のサイトの記事執筆、向精神薬の服用、感情モニタリング法の復活習得などにより、以前よりは明らかに精神的に変わってきている自分がいます。それを自身の能力的な成長、欠点の克服にもスムーズにつなげてゆく所存です。

 以前書いたことの繰り返しかになるかもしれませんが、自分の物事の捉え方がマイナス思考からプラス思考に変わると、手詰まり、絶望と思っていたことに対して急に視界が開ける気がします。「もうだめだ」というのは、やはりある程度は自分の思い込みなのですよね。

 企業にしても、個人にしても、V字回復ができるのは、そのような思い込み、既成概念を払拭できるからこそ、できることなのかもしれません。

 つまり、払拭できた段階で、それらの思い込み、既成概念が邪魔していたことが一気に解決できうるからです。それにより自信がつき、加速度的に、本当にできていなかったことを克服できるようになり、最終的に急激な回復、挽回につながる、という流れが起こるのではないか、と考えます。

 小生自身の中にも、少しずつ、そのようなV字回復、挽回の流れを起こすよう自分自身を励まし、奮い立たせたいと思います。

 今回はここまで。引き続き、次回以降も話を続けたい。

by なさ



















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青空文庫

 青空文庫というのをご存知だと思うが、すでに著作権の切れた本の内容をネットで公開しているプロジェクトだ。日本での著作権は50年なので、それ以上の年月の過ぎた書籍は誰がコピーしても発行してもかまわなので、それを利用したサービスである。

 ボランティアがテキストファイルにしているそうで、最近のOCRは非常に解読率が高く、殆ど手直しが要らないとのことで、今はおそらくこれを使っていると思う。国会図書館の書籍なども、マイクロフィルムとテキスト化が進んでいるそうですだが、なんせ蔵書数が記憶では4千万(書籍は9百万冊)?世界の国立図書館では少ない方で、大英図書館などは確か7千万冊。いずれにせよ、傷みが進んでいる本が多くその修理、および新しく受け入れる資料の整理に負われ、スタッフが少ないので、電子化がおっつかないとか。

 それはともかく、最近読書量が前より減ったかなと思ってはいたが、考えてみれば活字を本で読むのと、ネットで読む量の合計数は前よりかなり増えているようだ。

 私は青空文庫から気に入ったのを折に触れてダウンロードしているんが、気がついたら100冊に迫っている。とはいえ、ダウンロードした文書を全部読んでいる訳ではなく、いずれ読もうとアーカイブしただけの物も有るのだが。


 私が全集を買ってのめり込んだ坂口安吾作品など、336作品か、たぶん全作品が青空文庫にあるようだ。これじでは、古い本が出なくなるわけだ。

 出張先などに本を持って行かなくても、結構 旅先でダウンロードしている。本の出費と置き場所はいつも悩みだが、私にとって青空文庫は助かる。現代の新しい物は読ないが、古典だと結構ある。全部でどのくらいの資料があるのだろうか。二,三千くらいはあるかと思う。

 googleが同じようなサービスを開始して、著作権でかなりもめているが、いずれにせよ、英語が主みたいだ。英語の資料は街中の図書館にはほとんど無いし、昔は丸善で探したり個人輸入で買ったり、たまに海外に行った時買ったりしていたが、いずれにせよ新刊本ばかりだから、それは今も変わらないだろう。

 とにかく、青空文庫を読もうという話だ。
 
 
by ロクスケ
















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パソコンのバッテリーパック

 私はもう6,7年前に買ったノートブックパソコンを持っている。けっして新型とは言えないマシンだが、当時からかなり先進的な機能を有していて、今でもその辺のノートブックより使いやすい。ただし、普段はデスクトップを使っていて、このノートブックPCを使うことはほとんどなく、以前は外に出るときなど使っていたが、余りに重いのでそれも止めた。
 
 結局、出張したときなどホテルで使うだけだが、そんなわけで使用頻度が低いから機械的には十分使える。しかし、バッテリーパックが駄目になってきた。当初は記憶では2時間くらい使えたような気がするが、今は10分くらいで使えなくなる。
 
 ご存知のように、ノートブックのバッテリーパックには別売品がない。昔は純正品ではないが、売っていた記憶がある。しかし、値段が2,3万したと思うし、バッテリーパックも本体がそれまでに買い換えられていれば無駄になるので、買わなかった。それはそれで正解だったと思っている。
 
 今回はとにかく、駄目もとで自分でこのバッテリーパックを直してみようと考えた。このバッテリーパックはリチウムイオン電池を使っているので、一筋縄で行かないことは分かっていた。なにしろ、それまでも水素ニッケル電池と違い、リチウムイオン電池は非常に危険であって、充電や放電を間違えると爆発しかねない電池なのだ。実際に、携帯のリチウム電池が爆発して死んだ人間も中国には居る。死なないまでもやけどをしたり火事になるケースが韓国などでもある。日本製の電池も、事故を起こして回収されることが何度もある。
 
 それだけリチウム電池の扱いは難しい。
 
 バッテリーパックは中に10個程度のリチウム電池の単体を組み合わせてあるのが普通なので、とりあえず、蓋をこじ開けて中を見た。
 
 中にはソニーのUS18650GR G5という3.7V 2100mAHと言う奴で、これは少し前までは量産されていたけれど、今はもう生産されていない品物。サイズも電圧も特殊であり、いい加減なものを差し替えると事故につながりかねない。
 
 今秋葉などを歩き回ればたまに中古品があるが、これは全く信用出来ない。そして、ごくたまに新品があるが、これは一本1400円という値段でネットにあった。私の場合、使用する本数は12本なので、消費税や送料を会わせると、電池だけで18000円を優に超す。成功率も100%ではないし、こんなに金をかけてバッテリーパックを作り直し意味があるかと考えた。結論、無し。
 
 それよりも電源パックを電池パックに置き換え、その電池パックを持ち歩いた方が良いとの結論に達する。すると、こちらの方の費用は、ニッケル水素電池でやるので、おそらく電池代が四千円強、全部で五千円で済むはず。ただし、元々の電池パックよりかなり重くなるが、使用時間は倍くらいに増えると思える。本体から電池パックを抜いた分は軽くなるのだし、やってみる価値はあるかも知れない。具体的に電池パックを設計してみることとする。難しいのは充電システムだけれど、まあ商売柄どうにでもなる。
 
これは商売にならんかなぁ、とふと思ったりする。
 

by ロクスケ












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2011年、テレビ放送は全面終了すべし!

 今日は珍しく、ADHD以外のネタで原稿を書きたいと思います。小生が10年以上前から思っていることです。

 最近、(あまり普段見ないが、たまに)テレビを見ていると、盛んに2011年7月にアナログ放送が終了することをアピールしている。視聴者からすると、その時点までにデジタル対応のテレビに替えなければならないという煩わしい手間が発生することになる。リサイクル品や中古品のテレビの多くはその時点で用を果たさなくなってしまうだろう。

 そもそも論として以前から思っているのだが、インターネットがこれだけ普及した今現在、もはやテレビというメディアは、アナログ/デジタルを問わず、不要なのではなかろうか。小生からすれば、2011年に、デジタル放送に移行などせず、そもそもテレビ放送そのものを全面的に廃止して良いのではないだろうか。

 (同様な考え方で、ラジオも不要、と言いたいところだが、災害時の機能や車での交通情報の確認などの意味で、敢えて全面廃止とは言わないことにする。とはいえ、大部分の民放の放送局はラジオというインフラの上の存在としては要らないと思うし、NHKや交通情報などの一部機能も、技術的に見て携帯電話機能の一部などとして十分代替できるようにも思われる。)

 最近インターネットを見ていると、YouTubeなどの動画サイトにテレビ番組として放映された映像が(明らかに著作権違反だろうが)多くアップロードされ、自由に視聴できてしまう。正規の手段としても、テレビ局自身が一部番組のオンデマンド配信サービスを始めている。つまり、まだ全部ではないが、好きなときに好きな番組を視聴できるようになってきている。

 インターネットでこれだけの機能が果たせている現在、よく考えて見れば、テレビ放送というインフラの存在意義はもはや無いのではないだろうか。デジタルだ、ハイビジョンだ、ケーブルテレビだと色々な新技術、サービスがあるが、もはや技術的にはすべてインターネットで包含できるものであろう。

 小生の自宅の居間を見てみると、テーブルの前にテレビ台があり、(一応デジタル対応の)テレビとだいぶ古くなったVHSビデオデッキ、DVDプレイヤー、果ては勧誘にのって申し込んだケーブルテレビのチューナーまである。これらが居間の一角を占めている。

 よく考えて見れば、もはや、これらすべて、パソコンとインターネットで代替できるのである。これら全部、処分してしまおうかとも最近半ば本気で思っている。テレビ、ビデオデッキ、ケーブルテレビチューナーといった家電はもはや要らない。

 テレビ用電波の無線帯域も要らない。実は、日本、特に大都市周辺では無線の帯域が現状は不足気味だそうである。だから、他の用途に貴重な帯域を充てた方がよい。東京タワー、果ては浅草地区に今度建設される新東京タワーも、テレビ電波の発信機能としては要らない(観光用途にはあってよいと思う)。

 テレビ局(+下請けの番組制作会社)は、GoogleやYahooなどと同格のインターネットプロバイダーとしての存在に縮小できる。九州・島原に拠点を置く天草インターネットテレビというサイトがあるが、どのテレビ局もそれと同様な形になろう。

 ここまで整理できたならば、社会インフラの一角が相当にスリム化できるはずで、世の中の無駄を相当減らせるだろう。もっとも、テレビ業界で働く人たちにとっては死活問題であり、巨大な利権が失われることになるので、本気でこんなリストラをしようとするなら、半端無い抵抗に遭うだろうが。郵政や道路公団の民営化以上にきっと難しいだろう。

 私事だが、10年以上前、就職活動をしたとき、かねてからの希望で、某公共放送局の番組制作職(ディレクター)というのを受験した。別に紅白歌合戦とか大河ドラマに興味があったのではなく、教育番組(特に高校数学講座などの理数系)の新しい形を作りたかったのである。

 だが、結果的には、違う職種、企業に就職した。途中で、インターネットが普及すれば(当時はネット黎明期だったが)、テレビは完全にインターネットに飲み込まれる、と悟ったのである。テレビというメディアがネットに替わるなら、パソコンとネット環境さえあれば、アイデア一つで番組は自分で作れる、と思ったのである。そのときの考えは間違っていないと今でも思っている。

 話は外れるが、誰にでも無理なく理解できる数学、物理の教育番組を作りたいという小生の夢は今でも変わっていない。もし今後まとまった時間が作れたならば、あるいはもし職を変える場面になったならば、いよいよ本格的に手をつけたいと待ち焦がれているところもある。

 最後に、今回はテレビが不要という話をした。他にも、新聞(紙を使う形態)、NTT固定電話、アナログカメラ(写真愛好家には失礼かもしれません。すいません。)、Windows、過疎地の高速道路など、世の中の要らないと思うものがまだまだある。それらの話もまた機会があれば採り上げたい。

 以上、またも長くなりましたが、ここまでお読みいただいたことに感謝します。

by なさ


私も同じ思いです。特に日本は隅から隅まで光ケーブルが張り巡らされているのでテレビを電波ではなくケーブルを通して各家庭に送ることは可能です。パソコンで見ても良いし、いまの新しいテレビには多くネット接続機能が付いてますからそのまま使えるでしょうし、またチュナーを使えば従来のアナログテレビでも観られます。ただし、島嶼部や山間僻地では、光ケーブルの行っていないところもあるでしょうから、急いで幹線ケーブルを引いて、中継所形式にする(携帯電話みたいな形)にするなどが必要かも知れません。

問題は、ケーブルの伝送量が電波に比べて極端に小さいために、多くの家庭がケーブルテレビを観ると、画質が落ちるなり伝送が停まることがある懸念があります。通常のネットも集中する時間帯では伝送速度が遅くなり、画像などが停まることがありますが、あれがもっと大規模に起きます。

またテレビ、特にハイビジョン画像は非常にデータ量が多いため、ケーブル伝送をすると今の技術ではおそらくまともに映らないでしょう。なぜなら、utubeなどは極言までデータを圧縮して、PCのビデオボードにかなりの負担をかけているからで、今のテレビ並みの画質はテレビで受けるならともかくパソコンではどうなんでしょうかね。相当ビデオボードなどに力を入れれば見られるとは思いますが。

2011年になっても、アナログテレビやリサイクルテレビは、チューナーを使えば地デジが観られます。だから全く使えなくなることはありませんし、基本機能を備えた地デジチューナーは数千円ですから、まあ何とかなるかも知れません。


地デジで使われる電波は非常に波長が短く伝送量が多く(何しろチャンネル全ての電波が飛んでいるわけですから)やはり画質やそのほかでケーブルテレビよりは優れて居るんでしょうね。


ただし、メディアとしてのテレビは、おっしゃるとおり、ほぼ使命は終えたと思っています。なにしろ、低俗すぎるし偏向してますしね。その意味で新聞ももういらないと思ってます。

デジタルデバイドで、パソコンが全く触れないと言う化石人達が居ますが、テレビを使うのと同じように使えるパソコンにしておけば問題ないし。

まあ、しばらくは過渡期が続いて、いずれ全てネット経由になるとか。セキュリティ技術がもう少し完成しないと危ないかも知れませんね。

from ロクスケ














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パンツを作った

パンツを作ろうと凡そ一月前思った。パンツと言っても、下に穿くトランクスやブリーフではなく、コットンパンツ、つまりズボンである。

どうも買った物は体にフィットしないしざっくり穿きたくて気軽に洗濯の出来る物が欲しかったが、いわばチノパンのゆるゆるで、探してもない。無い場合は自分で作る。それが私の信条である。

で、生成の帆布90センチ幅を2メートルと糸を布に逢わせて買って来た。他に、チャコペンシルとマジック針。玩具のようなミシンは持っているがずうっと使っていない。手縫いでやることに決めていた。一度手縫いにはまると結構その方が面白い。

デザインは、どうせ作るのだから好きなようにすると言うことで、尻ポケットは飾り、まああまりごてごて入れて不格好にふくらむのは嫌なので、ごく薄く小さなものだけが入るフラップ付きのポケットを一つ。脇ポケットも、あまりたくさん入れてがさがさふくらむと不格好で動きにくい。従って、脇ポケットは付けず、その替わり極端に大きな前ポケットを両方に付ける。丁度カンガルーポケットのようであり、ここだとかなり大きな物を入れて動きやすい。

ウェストは思い切り大きくして、1メートル10センチくらい有る。それをベルトで絞って穿くことになる。全体に太目にしてとにかく暑苦しくなく緩やかに動けることを旨とする。結局、こうなった。



で見本のズボンを一つ完全にほどき、それを参考に紙でパターンを作る。そして、そのパターンに従って布を裁断。ただし、ウェストのダーツは全て付けない。股上をほんの少し深くする。

裁断の前に布を一回水洗いしてアイロンをかけて置くとあとで形が狂いにくい。それと、生地は長手方向にバイアスにとること。これも一応守っておいた方がよい。








で、紙パターンや、それに基づいて裁断した布。


で、あとはひたすら縫うだけ。部分毎にまち針で留めて置いて、しこしこ縫う。両脇などは2重縫いとし、布の橋は必ずかがり縫いをして解れるのを防ぐ。できあがってから気がついた。2重縫いの縫い代の倒し方向を間違えたけれど、まあしょうがない。

気が向かないと1週間くらいやらないけれど、気が向くと4時間くらいやっている日がある。まあ、感覚だけれど50時間くらいじゃないだろうか。ミシンだともっと早いけれど、私は手縫いが好きなので、こういう物は手縫いが主。

そしてできあがった。早速穿いてみる。結構良い。



ウェストが110センチくらい有るが、ベルトで絞ると思っていたより結構不格好だが、履き心地は良いので、ままええかと思う。

とにかく、見えるところは出来るだけ形良く、見えないところは徹底的に手抜きをしてごまかすのが挫折しない要領である。

気が向いたらジャケットでも作ってみるか。秋になったらブルゾンとか。生成で作って、お茶で染めて、酢酸鉄で媒染すると、真っ黒に丈夫に染まるので、これも着慣れると風合いが出る。お茶は100円ショップで一番安いお茶。鉄媒染は酢に塩を入れ、それに古釘を入れてほうっておけばできる。それを漉して薄めれば簡単に出来る。

このパンツも簡単に洗えることを旨としているけれど、汚れが落ちなくなったらお茶と鉄媒染で染めるなどすればまた良い感じになるかも知れない。



by ロクスケ












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H2Bロケット打ち上げ成功


 先ほどまで日本宇宙開発機構JAXAのサイトで、日本最大の大型ロケットH2Bの打ち上げ実況動画を観ていた。(これを書いているのは9月11日午前4時)

 一号機だが、絶対の自信があったとかで、単なる実験機ではなく実用機として打ち上げたとのこと。あいにく発射場上空が雲に覆われていたので発射台を離れてあっという間に見えなくなったが、各地の追跡センターをリレー中継しながらモニタリングをした限りに於いては、無事にHTV衛星を予定軌道で分離し、打ち上げ自体は成功したとのことだ。

 あと一週間ほどかけて、国際宇宙ステーションに接続し、実験装置や日常品をステーションに届け、廃棄物を積んであとは大気圏で燃焼消却されるとか。

 少なくともISSに到着するまではHTVの完全成功と言えないだろうが、おそらく大丈夫だろう。この種の衛星のコントロールは日本の技術は世界一だし、今まで何度も他国が成功したことのない自動操縦や遠隔操縦を成功させている。宇宙空間で推進に使うイオンロケットなどは日本の実績は相当の物だ。

 それはともかく、日頃あまり嬉しいニュースもないところ、このようなニュースがあるのは楽しいもので、今後も日本の宇宙開発関係者には頑張ってもらいたい。

 それに今回打ち上げたHTVは内部に人間が立ち入って作業も出来るようになっているため、有人宇宙船並の安全性を実現している。もっとも、自力で帰ってくるだけの推進装置や、大気圏再突入仕様には出来ていないので、これ自体は使い捨てだが、それぞれ必要な技術はすでに日本は確立しており、HTVは明らかに次世代の有人宇宙飛行へのステップとして開発されているとのこと。

 それに、アメリカのスペースシャトルは来年廃止され、宇宙への貨物運搬はロシアとEUの小型機があるだけで、スペースシャトル並の大型貨物を運べるのはHTVだけになるから、これも大きな意味があること。

 思えば他国は全て米ソの技術が基になっており、その米ソも戦後ドイツのV2ロケットを持ち帰って、それを基に開発してきたのだから、いわば世界のロケットのほとんどは、ドイツが開発したロケットが基本になっていることになる。

 しかし、日本のみはペンシルロケットから始めて、こつこつと全く自力で技術を積み重ね今に至っているのだから、非ドイツ系のロケットとして唯一の存在だ。むろん、今に至るまでコストや時間の節約のためにアメリカからロケットを買ったともあるが、主流はあくまで日本の技術であり、今のロケットは全て純国産だ。そのうえで、コスト面で使える物は輸入している場合もある。

 日本のすばらしいところは全て平和目的であり、他国は全てが軍事目的だ。この日本のやり方は是非今後も続けて欲しいもの。

 貨物のサイズや有人化、全体の信頼性ではやはり米ロ欧が優れているが、後発、独自開発、打ち上げ実績に対する成功率を考えると、日本は世界のトップレベルと言って過言ではない。軍事目的から派生したロケットと同じ範疇で比べることは出来ないのだが。

 ロケット打ち上げ実況を観ながら、色々考えてしまった。


by ロクスケ

















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パソコンのバッテリーパック

 私はもう6,7年前に買ったノートブックパソコンを持っている。けっして新型とは言えないマシンだが、当時からかなり先進的な機能を有していて、今でもその辺のノートブックより使いやすい。ただし、普段はデスクトップを使っていて、このノートブックPCを使うことはほとんどなく、以前は外に出るときなど使っていたが、余りに重いのでそれも止めた。
 
 結局、出張したときなどホテルで使うだけだが、そんなわけで使用頻度が低いから機械的には十分使える。しかし、バッテリーパックが駄目になってきた。当初は記憶では2時間くらい使えたような気がするが、今は10分くらいで使えなくなる。
 
 ご存知のように、ノートブックのバッテリーパックには別売品がない。昔は純正品ではないが、売っていた記憶がある。しかし、値段が2,3万したと思うし、バッテリーパックも本体がそれまでに買い換えられていれば無駄になるので、買わなかった。それはそれで正解だったと思っている。
 
 今回はとにかく、駄目もとで自分でこのバッテリーパックを直してみようと考えた。このバッテリーパックはリチウムイオン電池を使っているので、一筋縄で行かないことは分かっていた。なにしろ、それまでも水素ニッケル電池と違い、リチウムイオン電池は非常に危険であって、充電や放電を間違えると爆発しかねない電池なのだ。実際に、携帯のリチウム電池が爆発して死んだ人間も中国には居る。死なないまでもやけどをしたり火事になるケースが韓国などでもある。日本製の電池も、事故を起こして回収されることが何度もある。
 
 それだけリチウム電池の扱いは難しい。
 
 バッテリーパックは中に10個程度のリチウム電池の単体を組み合わせてあるのが普通なので、とりあえず、蓋をこじ開けて中を見た。
 
 中にはソニーのUS18650GR G5という3.7V 2100mAHと言う奴で、これは少し前までは量産されていたけれど、今はもう生産されていない品物。サイズも電圧も特殊であり、いい加減なものを差し替えると事故につながりかねない。
 
 今秋葉などを歩き回ればたまに中古品があるが、これは全く信用出来ない。そして、ごくたまに新品があるが、これは一本1400円という値段でネットにあった。私の場合、使用する本数は12本なので、消費税や送料を会わせると、電池だけで18000円を優に超す。成功率も100%ではないし、こんなに金をかけてバッテリーパックを作り直し意味があるかと考えた。結論、無し。
 
 それよりも電源パックを電池パックに置き換え、その電池パックを持ち歩いた方が良いとの結論に達する。すると、こちらの方の費用は、ニッケル水素電池でやるので、おそらく電池代が四千円強、全部で五千円で済むはず。ただし、元々の電池パックよりかなり重くなるが、使用時間は倍くらいに増えると思える。本体から電池パックを抜いた分は軽くなるのだし、やってみる価値はあるかも知れない。具体的に電池パックを設計してみることとする。難しいのは充電システムだけれど、まあ商売柄どうにでもなる。
 
これは商売にならんかなぁ、とふと思ったりする。

画像は
 
ここです。

by ロクスケ











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読書感想文 〜WingBrain発行の本を読んで

ここ2ヶ月ばかり、小生の最大の悪い癖・先延ばしにしていたことがある。何かと 言うと、本メルマガを発行するWingBrain(以下WB)のメンバーの方々が執筆した 本を拝読することである。

昨年、(成人)ADHDの世界に入ってきて、WBに参加する前後から、WBの本の存在は 気にはなっていた。それまでに、「片付けられない女たち」やさくらいクリニック の院長の本などは購読していたが、当事者が著者となった本には巡り合ったことが 無かった。(某NPO法人の代表者の本など、他にも無くは無いが)

WBに加入して数ヶ月が経過したある日、メルマガ原稿を書きながら改めて本のこと を思い出した。思い出したのだが、そのまま先延ばしというか、純粋にまた忘れて しまった。

9月の下旬、ある目的から、図書館で本を借りることにした。その折、出向いた 図書館で目的の本を探していると、たまたま、「片付けられない〜」の本などと 並んで、WBの本が置かれているのを見つけたのである。

意外な出会いに少し嬉しくなったが、オッチョコチョイなミスから、そこの図書館 の貸出カードの作成に必要な身分証明証を持参し忘れてしまい、その日は本をパラ パラめくってみただけで、借りて読むことができなかった。

そしてまた、再度図書館に出向くことを何度か思い出し、思い立つも、その度に 失念、というか先延ばしにしてしまい、2ヶ月が過ぎてしまった。

たまたま、この記事を書いている今日11月28日(土)の前日、やっと行動に 移すことができ、遂に本を借りた。久しぶりに図書館に行くと、12月から数ヶ月 間、耐震補強工事のため、図書館を閉館するとのことであった。 危ない危ない。

同日の夕方から深夜にかけ、(大げさかもしれないが)念願であった本をやっと読 破できた。以下は、その読書感想文である。


まず、先にも書いたが、ADHD当事者による本という点が非常に希少な、存在価値の ある本であると思う。本の中でも触れられているが、今、日本国内で出回っている ADHD関連の本の殆どは、専門家(医師・カウンセラー)が執筆した本である。専門 家でも、当事者の頭の中を正確には分からなかろう。

全体的に見て、当事者の視点、経験をもって、ADHDの良い面、悪い面いずれの側 ばかりを採り上げる、あるいは単に当事者を慰めるだけといった偏りもなく、中立、 真摯な展開がされているところに共感を改めて覚えた。

メンバーの方々それぞれの経験談や教訓についても、普段のメルマガ記事と照らし つつ参考になったし、改めて勇気付けられるものがあった。お世辞無く、良書で あると感じた次第である。

以下、個別に。

マスコミからの取材を受け、自宅の部屋まで開示して応じたのに、インパクトに 欠けるとの理由で結局放映されなかったというお話。マスコミの偏向報道ぶりを 感じる一面である。

小生も、自分の経験や普段視聴する番組の印象などから、あまりマスコミには良 い印象を持っていない。片付けられないといったごく一面をADHDの典型的な特性 として誇張的に報道することには小生も大いなる疑問を感じる。

特に当事者自身の視点で、ADHDの正しい実態を世間の人々に偏見誤解無く知って もらうためにはどうすれば良いのかと改めて考えさせられた。マスコミに採り上 げられることで世間の認知度が上がること自体は良いが、誤解や偏見がその分蔓 延しては逆効果である。専門家もそうだが、やはり我々当事者が主体的に音頭を とって正しい情報発信をしてゆかねばならないのだと思う。

あとは、他国(特にアメリカ)と日本の比較。ADHDケアや福祉の充実度に関して、 日本は非常に遅れをとっていると小生も思う。(投薬治療の是非は別として、) リタリンに処方制限をかける一方、成人には代替の治療手段を提供しないなど、 厚労省や製薬会社の自己都合で当事者が犠牲にされ、専門家である医師ですら 正しい認識を持った人が少ない現状を改めて憂いだ。

国や地域により、ADHDの発生割合に多少の差はあるだろうが、日本でも2〜3% は存在するだろうと思う。日本の人口1億2千万人から計算して、絶対数で24 0万〜360万人は当事者が存在するということである。

このうち、どれだけの人が満足なケアや保障の恩恵を受けられているだろうか。 現状でも、ADHDのAの字も知らない、自覚無く精神的に追い詰められた当事者は 少なくないのではないだろうか。やはり抜本的な対策が望まれる。

次に、専門医師の不足について。この本が執筆された当時はまだまだ本当に少な かったであろうが、今現在はそれよりは改善してはいるようである。一時期、ネ ット上で専門医師や医院の情報を公開することは半ばタブー視されていたが、い つの間にかこんな便利なサイト
http://www.mental-navi.net/b-search/form.html?d=adhd
も開設されているし、ストラトラという薬の治験も再開しているし、専門医師受 診に関する状況は少しは改善してきているように思う。その点は救いである。

最後に、当事者へのメッセージの内容である。当事者だからといって甘える、甘 えさせるべきではないということ、成人である以上社会的責任があるということ。 普段メルマガ原稿などで出てくる話ではあるが、改めてそのような適度な厳しさ、 緊張感を持つことを当事者同士で呼びかけ合うことの大切さを学んだと思う。


他にも書きたいことはもっとあるのだが、原稿としての文章量にも限度はあろう。 今回はこのくらいで筆を置くことにしたい。

繰返しになるが、率直に良書であると思う。大変勇気付けられたし、士気が上が った気がする。情報発信する意欲、もっと言えば、小生も本を出版したい、ある いは出版に携わりたいという意欲が沸いてきた。

本の中にもあったように、人生の目標を持つことは大事なことである。小生は、 お世辞でなく、これからの人生の中盤から後半を、このADHDの状況改善に捧げた いという大きな目標が最近出来つつある。 その大きな目標に向かって、これからもまたメルマガ原稿を書き続けたいと思う。


以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


by なさ














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個性という言葉の意味

今日は、ADHDに関連する概念の一つとして、「個性」という言葉、その意味につ いて考えてみたいと思います。


一般に個性という言葉は、プラスの意味で用いられることが多い。例えば、「あ の人は個性的だ」「個性的ファッション」などと言う場合は大抵はプラスの意味 であろう。逆に、「没個性的」というように、反対の意味に転ずる接頭語が付く とマイナスのニュアンスになってしまう。

また、個々人の個性を尊重することは社会道徳的に必要なこと、良いこととされ ている。確かにそれはそうだと小生も思う。


しかし、ことADHDの診察、治療、自己改善に関連してこの個性という言葉、概念 が用いられる場合、その使い方、考え方については良く良く考えねばならないの ではないか、と小生は思う。

具体的にどういうことかを以下で述べる。

例えば先延ばしが激しい、ぼーっとしている、忘れっぽいなどといったADHD的傾 向を持つ当事者について、その人達を医師が診断する場合、結果的にADHDと診断 されずグレーゾーンと判定されるならなおさら、当事者側としては直したいと思 っている悪い癖や傾向を、医師側から「それはあなたの個性です」と言われて、 それで済まされてしまうことが少なからずあるのではないかと思う。

小生の見聞きする範囲では、他サイトの掲示板上などで、特にグレーゾーンと判 定された人達の書き込みから、そのような話が散見された。

小生の現在の主治医と以前診察時に話したとき、「(ADHD的傾向に起因、関係す る自分の悪い癖について)病気だということにしてしまうと、それを直さねばな らなくなりますから。」と、ポロっと医師としての本音のようなことを漏らされ たことがある。

つまり、医師としては、ADHD的傾向を何でもかんでも病気の直接症状だとすると、 医師の立場上、それら個々の症状を完治させる義務が生じてしまう。そのような 面倒な負担を背負わないために、「個性」という言葉を都合良く盾として用いて、 逃げてしまっているのではないだろうか。

小生はその点に少々憤りを感じるのである。

確かに、ADHD的傾向はプラスの効果をもたらすことは少なからずあり、それがAD HD当事者の長所にもなるわけではあるが、専門医師の診察時に切々と訴える症状 なのならば、それは当事者自身にとっては、大抵は悩みを生み出す、直したい短 所の一つとして言っているはずである。

悩みの原因を切々と医師に訴えたのに、「それはあなたの個性です」などと返さ れて終わったら、当事者は喜ぶだろうか。はっきり悪いものは悪いと認めてもら い、それを治療してゆこうと話を持っていってもらった方が当事者に望まれるこ となのではなかろうか。

(小生が今通っているカウンセリングルームのカウンセラーは、はっきり「それ は悪い」「直していきましょう」と言ってくれている。その方が有難い。)

高い確率でADHD的症状の完治が保障される治療法など現状ではあまり無いのかも しれない。しかしそれでも、たとえ試行錯誤的にでも良いからケアする側の医師、 カウンセラーに完治に向けてトライしてもらえれば、当事者としては精神的に心 強く感じるであろう。

医師などに相談せず、当事者が独力で考え努力して克服すべきとの意見もあろう。 確かに当事者の自助努力は基本にはあるが、どうしてよいか分からず途方に暮れ る状態のときに、「自分で考えろ」「努力しろ」と突き放すのは、単に当事者を 精神的に追い込んでいるだけで、逆効果ではないだろうか。物理的な作業として の努力は当事者に負ってもらうにせよ、方法論を一緒に考えてあげようという救 いの手はもう少しあって良いのではないかと思う。

医師単独では手に負えない面があるなら、臨床心理士、精神保健福祉士といった カウンセラーが医師と連携して救いの手を差し伸べる負担を引き受ければよい。 現状では、そういった連携も少ないように思う。当事者がたらい回しにされる事 態は何とか防がねばなるまい。


話は戻るが、「個性」という言葉を、医師やカウンセラーといったケアする側が、 逃げの手段として、あるいは中途半端な慰めの言葉としてやたらと用いるべきで はないと小生は思う。当事者側の精神状態にももちろんよるが、悪いものははっ きり悪いと伝え、それをがっちり管理、指導しながら改善を図ってゆくというこ とがADHD治療の第一線のあるべき姿と思う。

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。

by なさ



















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天才じゃなかった私は如何に生きるべきか

ケンです。2010年1月からWingBrainに参加しました。私は、医学的な診断を経て いないにもかかわらずADD/ADHDを公言する「自称ADD/ADHD」です。ADD/ADHDは素 人が判断できるほど簡単なものではなさそうですが、そこは(自称優秀?な)技 術者の端くれ。出来ないことはないだろうと資料集めと研究を通してADD/ADHD診 断及び対処法を検討することにしました。その経緯をつづってみようと思います。

その1:【ADDとの出会い】

最初に大人のADD/ADHDという障害があることを知ったのは、NIKKEI ONLINEの記 事「素晴らしい精神科医との出会い 2008年12月12日 金曜日 藤岡 清美」から だった。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081210/179784/?ST=print

そこにかかれれいてることが、もしかすると自分に当てはまるかもしれないと思 い、図書館でADDに関する本を借りて読んで検討してみることにした。主なもの を以下にあげてみる(読書順)。

@ 「わかっているのにできない」脳 1、2 エイメン博士が教えてくれるADD の脳の仕組み ダニエル・エイメン/著 花風社

著者の分類で、6タイプあること、それぞれにどのような処方があるのかが細か く記載されている。彼の分類によれば私は恐らくタイプ3に相当するのだろうと 思われた。タイプ3に効果のあるセントジョーンズワート+Lチロシンを購入 し、効果検証実験を開始した。

A へんてこな贈り物 誤解されやすいあなたに--注意欠陥・多動性障害とのつき あい方 エドワード・M・ハロウェル/著 インターメディカル

作者自身がADDだというだけあって、尊厳に配慮した書き方になっていると感じ られた。「子供時代にADDの特質を持ち、大人になってから情緒不安定で衝動性 がある」ため、私がADDである可能性が高いと思われる(ユタ診断基準)。

B 片づけられない女たち サリ・ソルデン/著 WAVE出版

ADDとして診断されるための必要条件は、「幼い頃から途切れず続いている。か つ、生活に重大な支障が出ていて他の人々よりもひどいこと」。何をもってして 重大とするかが良くわらかいが、後者から判断するに、私はADDとは言えないか もしれない。

C 星野先生の知って良かった、アダルトADHD 星野 仁彦/著 ヴォイス

ADHDは、認知機能(学習)、対人関係、運動、言葉の発達、感情のセルフコント ロールなどの発達が未熟あるいはアンバランス→「発達アンバランス症候群」と 呼ぶべきと提唱。私は、普通の人より、新奇追求性が強く、反面人生のあらゆる 面で学習のスピードが遅いことを感じている(だからといって知能レベルに不安 があるわけではない)。

D なぜADHDのある人が成功するのか 自分らしいビジネスライフを送るために  トム・ハートマン/著 明石書店

ADHDはファーマーの時代に生きるハンター。「注意をあらゆることに向け、同時 に多くの作業をこなし、冒険を恐れない。衝動的に動くことでチャンスをつか み、危機を脱する。遺伝子レベルで特性が引き継がれる」とは私及び私の家族 (一部)が示す特質そのものだ。読んでとても力づけられた。

E 当事者が語る大人のADHD 私たちの脳には翼がある! ロクスケ/著 明石書店

今まで読んだ中で最も「丸い感じ」。常識的で、配慮があって、違和感が無い。

・・・(つづく)

by ケン













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発達障害とサイボーグ技術

以前、NHKスペシャルでサイボーグ技術の最前線というのをやっていた。人体 の中に機械や電子機器を埋め込むことを意味するものであり、SF映画やアニメ などにしばしば出てくるので、この言葉と意味は殆どの方がご存知なのではない かと思う。(もっとも、「ターミネーター」などのように、単なる人間型ロボッ トの意味と混同されていることが多いが)

そのNHKの番組によると、米国などを中心に、技術は飛躍的に進歩しているの だそうだ。つい先日も新聞に出ていたが、視覚障害者の額にCCDカメラを取り 付け、視神経だか脳に電極チップを埋め込んで、カメラの画像信号を適切な形に 変換して送信すると、完全ではないにせよ、物の形状くらいは認識できるという。

それまで、人工臓器などの話は聞いたことあったが、そのNHKの番組を視聴し て、これほどまでに進歩しているというのに驚いた記憶がある。英国の大学教授 が夫人とともに脳に小さな電子機器を埋め込み、その機器を通じて脳から信号を 送り、互いにコミュニケーションをとることができたとか、脳や腕の神経の信号 を読み取って、義手を自在に動かせたとか、どこまでが現実でどこからがSF映 画なのかと疑うほどの技術が急速に確立しつつあるようだ。

倫理的な面での課題は色々とあるにせよ、そういった技術は障害者支援を目的の 第一に掲げていることが多い。確かに、身体障害者にとってみれば、健常者と同 様に自由に歩け、音が聞こえ、ものが見えるというのは相当な悲願であろう。身 体障害者という概念、言葉は、もしかしたら、近未来においては死語になってし まうかもしれない。それくらい大きな期待が寄せられる技術でもある。

個人的に思うことだが、そういったサイボーグ技術のさらなる応用として、精神 面での障害者の支援ができないものだろうか。もっと言えば、ADHDやアスペ ルガーといった発達障害の当事者支援である。現状、これらの発達障害は、医療 としての治療という意味では、薬などの対処療法程度であり、それゆえに難治性 と言われているが、この先、脳と精神面との関連性やメカニズムが解明されてく れば、脳に電子機器や電極を埋め込んだりすることにより、ADHDやアスペも 事実上完治できる日が来るかもしれない。

とはいえ、まだそういった精神面の障害への応用というのは殆ど聞かないし、そ もそも人間の精神面を機械や電子機器で制御するというのは、身体的な面以上に 心理的、倫理的な抵抗感が大きい気もする。様々な課題がまだまだありそうだが、 人工知能の分野に片足を突っ込んでいる研究者のはしくれとしては、今後の技術 進歩に期待するとともに、自分自身もこの先そういった技術開発に何がしか貢献 できないものかと思う次第である。

by なさ
















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便利道具

 今、たまたまテレビの通販番組を見ていたら、万能調理器具のデモをやっていた。食材をあっという間にみじん切りにする機械であり、それ一台有れば何でも料理が出来そうな説明だ。

 しかし、私はほぼ毎日料理を作るが、このような機械の出番はほとんど無い。むしろ置き場所、後始末などを考えると、邪魔なだけと思う。商売の邪魔をしたくはないが、わたし自身かつて色々買った。

 フードプロセッサー、ミキサー、ジューサー、高速ミル(たった今テレビで観たようなもの)、各種野菜カッター、製麺器。

 この中で使っているのは、野菜カッターの下ろし金だけで、後は埃をかぶっている。

 むろん、私が食べる文だけを作るから量が少ないので、わざわざ機械を引っ張り出してくるまでもないし、またそれを使うような料理など殆どしないからだ。

 ニンニク、生姜、タマネギのみじん切りは包丁でやった方が適量が素早く出来るし、ジューサーでジュースを作ることはない。後始末を考えると、そんな気にならず、結局今はいくらでも抱負に変える瓶詰めパック詰めのものを利用する。

 野菜カッターを使うより、包丁を使った方がよほど手際よく出来る。

 製麺器は一時凝ったが、これも今ではお蔵入りで、大体が乾麺を買ってきて茹でる。自分で手間暇を掛けて製麺器で作った面は正直言ってまずかった。これはおそらく生地の練り方が悪かったのだろう。だから、生地をうまく練れるようになればうまい麺を食べられるのだろうが、そこまでうまくなったら結局は自分で切るのではないか。

 昔祖母がよくうどんを作ってくれた。むろん、自分で粉を練り、まな板の上で包丁を使って細く切り、茹でるのだが、おそらく親から教えられてから何十年も作っていたのだろう。当事は別に感激もしなかったが、今から考えれば結構うまかったのだろう。母が麺を作ることはなかったので、おそらく作り方を習わなかったのだろう。祖母が亡くなってからは、おそらくゆで麺などを買ってきていたのだろうと思う。確かに味が落ちたと、その時になって分かった。

 私が買ったのはパスタを作る手動の道具だが、方々で見かける。むろん、蕎麦やうどん、ラーメンも作ることが出来るが、やってみると先述したように、うまく出来なかった。

 結局私が料理で使う道具と言えば、包丁とまな板、下ろし金くらいであり、時々すり鉢と野菜カッターしかない。色々買った便利道具は使っていない。使ってみて不便だと分かったからだ。

 テレビの宣伝では、毎日の料理全てがみじん切り、すりつぶし料理であるかのように言っているが、そんなことはない。

 私がお薦めしたいのは、下手な便利道具に頼るより、包丁を良く研ぎ、皮むきから千切りみじん切りと何でも自由に出来るようにしておくこと、つまり、自分の手がなんと言っても万能の便利道具であることを認識すべきと言うことだ。

 私は炊飯器も使わない。持っているが、今は埃をかぶっている。御飯は鍋で炊いているし、そしてその方が何倍もうまい御飯が炊ける。水加減火加減など、一度覚えてしまえば殆ど考えることなしに出来るし、御飯を炊く時間は精々7,8分だから、蒸らしを入れても他の料理をしている間に炊けてしまう。

 御飯は炊飯器で炊くという常識も改めた方がよいと思う。

 同じように、電動鉛筆削りなども一応持っているが、もう数十年使っていない。カッターで一本一本削る楽しみを捨てる理由がないからだ。つねに、鉛筆を2,30本削って置いて、取り替えながら削る。シャープペンシルも使わなくなった。

 一時期電子手帳などを使ったが、結局メモパッドが一番便利だと分かった。パンツ一枚、ハンカチ一枚なら洗濯機など使わない。

 便利道具が増えて、却ってそれらが不便である場合が多いことが分かった。

 by ロクスケ

 

 














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団扇の話

夏をすすしく過ごすために活用したいのはセンスや団扇であり、夏場の私の鞄には扇子が入っている。おそらく20年以上前に人からもらったもので、黒地に金泥で観音経が書いてあるものだが、割合気に入って使っている。

扇子の良いところはもちろん畳める点だが、なにより、風が柔らかい。ふわっとした感触が心地よいし、それに数回扇いで汗が退けばそれだけでも涼しい。しかし、それは度とで使う場合。家では団扇を使っている。団扇は、巷にはプラスチック製のものがたくさん出ているし、宣伝の入ったものはただでもらえるが、まず使い物にならない。やはり昔ながらの竹骨の団扇とは天地ほどの違いがある。扇いで比べてみればよくわかる。

何がちがうかと言えばしなり具合が全くちがうのだが、今は竹製の団扇もけっこう高いし、なにしろ私の物作り精神が黙っていない。そこで、いろいろ工夫をしながら竹骨団扇を作ってみた。

最初は律儀に手持ちの竹を割って竹籤を作りそれで作ってみたが、これがなかなか難しい。手間ばかりかかってまともな竹籤が出来なかったので、次は長い竹串を使ってみた。今度は堅すぎてしなりが良くない。で、次は古い竹すだれをばらして作ってみた。竹すだれというより習字用の筆撒きであり、これはちょうど良さそうだったが、まだしなりが足りない。

また探し回って、結局前とはちがう竹串を買ってきて、自分で削りなおして使ってみた。これがちょうど良いしなりになりめでたく今少し大型の団扇を2枚使っている。

柄は木製で自分で作った物であり、紙は模造紙だが、軽い生半紙などならもっと良いだろうと思う。

骨の入れ方や本数、紙の貼り方など工夫すればもっと良いものになるのだろうが、わたしは団扇屋になるわけではないので、これで安易に妥協した。

やってみるとおもしろいし、簡単なので、この夏の暑さ対策として試してごらんになってみてはいかがだろうか。

by ロクスケ








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(この原稿は、メルマガ購読者のshame様から寄せられたものです)

僕にとって、今、有効と思われる(将来は考え方が変わるかもしれません)アイデアを書きたいと思います。

【手帳とカーゴパンツ】
手帳を常に携帯するには、どうすればいいか考えていました。外出時にメモを取りたくなる場合が時々あります。そういう時に、カバンから手帳を取り出すのは面倒なのです。

身に着けている物(特にズボン)のポケットに入れることを考えました。でも、他にポケットに入れるものが多くて手帳を持ち歩けません。僕は、ズボンの前のポケットには、財布と携帯電話や、家と車のカギを入れています。後ろのポケットには、座った時に違和感があるので物を入れたくないです。そこで、ズボンのポケットに手帳を入れることをあきらめていました。

ある日、当事者が語る大人のADHD(P187)を読んでいました。その本では、ポケットの多いズボンをはくという事が薦められていました。それを見て、カーゴパンツのポケットに手帳を入れるというアイデアを思いつきました。今は、カーゴパンツのポケットに手帳を入れています。

【手帳とボールペン】
外出時にメモを取りたくなった時、筆記具をカバンから取り出すのも面倒です。カバンの中から筆箱を出して、筆箱の中からシャーペンやボールペンを出して、今までは書いていました。書く度に、これを繰り返すのは面倒です。

ある日、IDEA HACKS!(原尻淳一、小山龍介著)(P18)を読んでいました。その本に携帯電話のストラップにボールペンをつけるというアイデアが紹介されていました。ボールペンを手帳に直接つける方が便利だと、そのアイデアを読んだ時に僕は思いました。今は、手帳の表紙にボールペンをつけています。

by shame








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技術立国・日本の未来

今回は、先日NHKを見て、思うところがあったので、このテーマにしました。


先日、都内の町工場の職人芸を紹介する、NHKの番組を視聴した。中堅規模の企業であったが、非常に高度な技術を持った職人さんを有する会社で、日本の生産技術の中核を担う、まさに縁の下の力持ちと言える存在として、大変輝いて見えた。改めて、日本は技術立国なのだと再確認した。

経済活動の中で、直接的に価値を生むのは、一つには物作りであり、それを支える技術、ノウハウである。もちろん、農業等もあるが、資源の乏しい我が国が世界を相手に食っていくには、物作りしかない。大変お世話になっている方の吠えブログでそう述べられていた。まさしく、その通りと思う。金融やサービス業は、あくまで、一次産業である物作りや農業がありきで、初めて成り立つ仕事である。その土台となる一次産業を、今後も絶対になおさりにしてはならない。


今さらこの場で言うことでもないが、日本は現在、震災も後押ししての不況、電力不足、少子化、海外競争の激化などの厳しい環境に晒されている。日本の高度な技術力を、容易に海外の各国がマネすることは容易ではない。それは、吠えブログでも書かれていたし、小生もそう思う。しかし、小生のような青二才からすれば、自分が年老いた頃の日本がどうなるか、心配ではある。年金問題が最近特に議論されているが、それもさることながら、技術力・一次産業の維持もまた、予断を許さない問題ではなかろうか。

若者の理科系離れ。職人の後継者不足。これらが問題視されて久しい。前者などは、最近でこそ、教育や理科系職の待遇改善などに力がいれられるようになり、徐々に進歩はしているとは思う。しかし、まだまだ道半ば、と率直に思う。一方の後者。不況で、仕事に就けない人が少なくない中で、一方では、後継者が不足する。このアンバランスな状況は、前者以上に、何とかしなければならない問題ではないか。経済活動の自主性に任せるだけでなく、国を挙げて、もっともっと、後継者養成に力を入れていくべきと思う。


ここで、発達障害の問題と絡めて考えてみたい。発達障害の当事者の方々は、その特性を踏まえるならば、理科系の道、職人の道との親和性が非常に高いのではないかと考えている。小生もまた、理系のはしくれではあるが、思えば、学生時代の同級生などにも、今思えば、それらしい特性を持った人が、比較的多かったように思う。過集中と、特定の物事への強いこだわり。これらの特性は、特にこの世界では、強い武器になると思う。

とはいえ、小生も前職を辞めたように、特性が合うからと言って、必ずそも上手く行くわけでは全くない。人間誰でも、長所もあれば、弱点もある。長所だけで成功することは、意外と難しい。発達障害に悩む方々にとっては、尚更ではないか。これは、今までにこの世界で知り合った当事者の多くの方々にお話を伺って率直に感じたことである。長所を伸ばしつつ、弱点をうまく克服する、カバーする。そのための、本人の自助努力はもとより、周囲の手厚い理解と支援が、改めて不可欠と考える。


発達障害の知名度や理解・支援も、徐々にだが、確実に高まってきてはいる。そこで一つ提言をしたい。せっかく就労支援を進めるのならば、障害者雇用や作業所での単純作業だけにこだわらず、特性から見て親和性の高い、理科系の道、職人の道に、当事者の方々がスムーズに進めるための方策もまた、行うのはどうだろうか。小生も、当事者支援の真似事に片足を突っ込む身として、そこに特化した就労支援が、微力ながら出来ればと考えている。

by なさ








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